00...

 夕陽は山々に吸い込まれて、雲はそれを追いかけるように流れた行った。
 こんなにじっくり夕陽を眺めるなんて久しぶりだった。空を染めるオレンジは今まで見てきた何色よりも綺麗で、何よりも暖かい。夕陽を浴びる自分の影が長く伸びてどこかに消えている。
 不意に学校のチャイムが鳴り響く。もうこんな時間だ。帰らなきゃなぁって思って、一呼吸おいて前を向きなおし、もう一度だけ隠れてしまった太陽を見てオレンジ色の坂を下り始めた。
 坂を下りきるころには空の半分は藍色に変わり、少しだけ冷たい風が吹いた。その風に煽られるように周りの人たちの足取りは速く感じた。だからいつもより少しだけ足早に家路を辿った。

 今日は学校に長く居過ぎた。友人が生徒会長なんてものをやっているからつい手伝ってしまった。意欲的な奴で今は数年前に中止になってしまった文化祭の復活を公約にあげて当選。
 そして公約を守り文化祭復活を決めた。
 進学するためにある学校の中で唯一楽しめる行事ではないか。それは数年前に買出し中に事故があったという理由で中止にまで陥った。
 その事故死んだのは学校を代表する生徒会長だった。
 その年の生徒の素行が悪かったせいもあり、文化祭は中止となった。
 文化祭の無い高校? そんな高校生活なんて間違ってる。
 それを復活させて、その準備に追われている彼は、いつもギリギリまで学校に残る。
 まぁ、そんな奴だから、俺も手伝うんだけど。

 俺が通う高校、陽花学園は普通の私立高校。私立って普通高いよな。陽花はなんか大きな出資者が居るらしく以外と国公立とさして変わらない授業料で行ける。だから志望者も結構多い。
 名前は壱神幸輝<イチガミ コウキ>。2年生だ。この学校はクラブ系勉強系に様々な特待生生徒がいて俺も一応特待生だ。入学金とか学費とかが免除になって非常にお得だぞ? 成績は上位を求められるが別に成績も落としてない。
 「幸輝〜」
 ンでもって学校までも当然歩く。バスで来れば早いのだろうがそんな金もったいない。俺は声を高らかにして全ての学生に言いたい。歩けと。
「こうき〜?」
 いいかよ〜く計算してみろよ。たった10分短縮のために何円かけてると思ってるんだ。走れば10分もかからんだろう。自転車とか買ったほうがまだましだ。最低3年乗り続ける計算で自転車安いやつなら5千円だろ? 月割計算で行くと月139円ぐらい。ほらみろっ月に何千円もかけるよりもずっとお得じゃないかっ。でも歩いたらソレすらかからないんだぞ!
 気づけよ!

「聞けよ!」
 ゴン!! 生々しい音と共に世界が右に揺れる。
「いだぁ!? 何者!?」
「曲者だ!」
 そう答える俺を殴った曲者。
「何!? であえーであえ!」
「曲者成敗!」
「ぐぁ! 俺か!?」
 つい、というかこういう性格なので乗ってしまう。
「じゃ、ねぇよっ音楽プレイヤーもなしにボウッとしてんなっての」
 自転車に乗ったそいつがガシガシ俺を蹴る。
「いやー。でも殴るのは酷くない? キツキ。つか仕事は?」
 俺を殴り飛ばしたのは八重喜月<ヤエ キツキ>。
「あぁあの書類の確認だけやって先生に提出するだけだったからな。
 意外と早く終わっちまった」
「そっか。んで、殴るのは酷いよね?」
「これ以上言うことはない」
 きっぱりと言い切りやがった。こいつひどいです隊長……。

 喜月は俺の幼馴染。んでもってイトコ。なんかもう良くわかんないぐらい小さい時から知ってる。殆ど兄弟みたいなもんだ。だから俺には容赦ない。
 見てくれはカッコイイが中身は鬼だ。その見てくれのよさに嫌がらせのように告白されているが、全て断っている。面倒くさい。と。そろそろ何か一つ手を打つ必要があると思うが、本人には自分で何とかするからいいと断られている。
 そう、さらに傑作なのが男にも告白されたことがあるらしい。ボコボコに殴り倒したらしいけど……。男に容赦はしない主義なんだそうだ。元々、口はかなり悪いのだが。……まぁ根はいい奴だ。
 文化祭復活を見事やってのけた生徒会長とはこいつのこと。
 意欲的に動くし、頭も校内トップ……先生の前では愛想もいい。実に世渡り上手だ。

 家も近いため帰る方向は同じ。俺たちは信号を渡って住宅街へと向う。キツキの後ろに乗って平坦な道は楽をさせてもらう。
「はぁ。文化祭の準備も意外と楽じゃないな」
 毎日良く続くよな。と言ってやる。文化祭が近づくにつれて、喜月は長く学校に残っている気がする。
「まぁそういうな。楽しい祭りには準備が必要なんだ」
「それは認めるよ」
 だろう。なんて喜月は笑う。確かに準備が万全ならいい結果を見ることが出来るだろう。そんな手を抜かない性格も、こいつを生徒会長に押し上げたんだと思う。
 予算は勿論際限なくかけることはできない。必要な物については毎日報告を受けて会計が処理する。
 元々、生徒会なんかに興味は無いと言っていた喜月だが、あまりにも去年の生徒会が頼りにならないと言って立候補。結果はこの通り、現行の業務に追われる。
「はははっ頼りにしてるぜ会長」
「あぁ。手伝いは頼むぜ」
 俺と喜月はそういう役割。喜月が先頭にいるから、俺はそのサポート。
 ま、当然の分担なんで全く文句は無い。やりたい事やってる奴を手伝うのは楽しいし。

 帰り道はいたって平凡なもので、昨日もしたような雑談を繰り返して家に着く。
 一旦途中のスーパーで買い物だけして再び自転車の後ろに乗せてもらう。
 先に喜月と分かれて、一個角を曲がった先のマンションが俺の家。3LDKの空間に、俺と姉ちゃんだけが住んでいる。結構広い場所で一部屋余っていたのを借りられた。周りにはコンビニ一つ無い。
「ただいまぁ〜」
 俺は玄関を閉めながら廊下の向こうに向って言う。
「おかえり〜」
 返事が返ってきたということは居るんだろう。
 俺の姉ちゃんが。

 俺は靴をそろえると鞄と上着を自分の部屋に放り投げてリビングへと顔を出す。
「お帰り〜遅かったねぇ」
 そこには俺の姉ちゃんがテレビを見ながらソファーに寝転がっていた。幸菜<ユキナ>という名で名前を並べれば俺達が姉弟だと言うことが分かってもらえると思う。
 俺もそうなのだが、割と歳を低く見られる部類の人間だ。
 高校を卒業して社会人1年目の姉ちゃんは、去年は同じ学校の先輩。元同じバイトの同僚。色んな肩書きで語る事が出来るが要するに姉ちゃんだ。
「喜月と文化祭の打ち合わせやってたんだよ」
 俺は冷蔵庫に買ってきたものを入れて、手を洗う。
「いいなぁー。あたしは2年のときにやったっきりだよ」
「ま、喜月が言い出したからね。呼ぶから遊びに来なよ」
「うん。絶対呼んでよねー」
 さて、と俺はとりあえず手洗いとうがいをしてキッチンに立つ。
「あ、ご飯は炊いといたからオカズは作ってよー?」
「へいへい」
 俺はひとまず冷蔵庫をみて今日のオカズの材料を取り出す。
 食材は昨日確認しといたんで今から作るものは決めていた。

 俺たち姉弟は交代でメシの担当をしている。今日は俺の番だ。サボると1週間連続という決まりを作って早5年。といってもどちらかがサボるとご飯が出てこないので基本的にはサボれないし、お互い遠慮なく文句を言うのでクオリティも上がっていた。
 俺の手さばきも慣れたものである。まぁ始めは二人とも料理なんて出来なかったけど、今となっちゃ趣味みたいなもんだ。

 親は居ない。両親は交通事故で死んだ。残された俺たちは喜月の家に引き取られた。
 でも、迷惑をかけていると知りアルバイトでお金を貯めて二人暮らしを始めた。
 四苦八苦してようやく今のように安定した。それが俺たち壱神姉弟の経緯。

 ちなみに今俺はグリグリとミンチを練っている。今日はハンバーグだ。味は俺が保証する。
 俺たちの料理の分担は俺が洋食系、姉ちゃんが和食、中華系をサポートしている。二人が一緒の料理を作るのは楽しくないということで、そういう分担も最初に決まった。最近は姉ちゃんが洋食に手を出してきたのでピンチだ。何がかといわれると困るが、何か負けてるところにトドメを刺される気がする。男だから別に気にするほどでもないけどさ……。悔しいじゃん?
 ペタペタと形を整えて、熱したフライパンに置く。ジュワッといい音と匂いが広がって、換気扇をつけてないことに気づいた。換気扇をつけると、今度は先に煮ていたジャガイモを取り出す。
 ハンバーグといえばポテトサラダ。というわけで今度はサラダ、と。ちなみにポトフも同時進行中だ。おい、芋ばっかりだと思うなよ。
 ……そうだけどさ。ジャガイモ安かったんだよ。

 そんな風に家事をこなすこと数十分。ご飯も炊けて準備が整ったのでリビングへと運ぶ。その気配を感じ取ったのか姉ちゃんが騒ぎ始める。ちなみに一度も振り返っていないので何を作っているかは匂いで察知したのだろう。
「あ、今日はコウキ特製ハンバーグセットだね?」
 ビシッと得意げに指をさす。今日みたいな時間の無い日は基本的に自分のレパートリーの中から作る。それ以外はなるべく新しいものにチャレンジするようにしている。料理本はキッチンの端に大量に存在するのだ。
「そのとーり。まぁハンバーグは匂い分かりやすいよね」
 さすがっと笑って俺は次々と並べる。コレは一番俺が得意なもので一番味を研究したもの。
 その辺の店には負けない自信があるぞ。
「幸輝ハンバーグ作るとき、最後に絶対お鍋カンカンするもん」
「これは鍋にある出汁が超美味しいんだって」
「あはは! 知ってるっ。でも中はカンカンしちゃだめよ。傷ついたらそこに焦げ付いちゃうし」
「わかってるって。はい」
 座って手を合わせて二人で「いただきます」と口にする。
 姉ちゃんは早速嬉しそうにハンバーグをほうばる。
「おいしーっ今日もバッチリじゃんっ」
 言ってグッと親指を突き出してくる。俺ももぐもぐとご飯と一緒に含みながら同じ指を突き出す。まぁ、作る側としては言われると凄くうれしいのだ。
 あんまり素直な反応はできないが。本当に美味しそうに食べてくれる姉ちゃんだからこそ作りがいもあるのだ。

「そいや、学園祭って何すんの幸輝たち」
「ん〜俺たちはカフェだよ。軽食もやる」
 まぁよくあると思うが俺たちのクラスは屋台系の奴より、こういうカフェがやりたいという意見が多く出た。俺はなんでも良かったんで適当にポンポン手をあげていただけだが。……ただひとつ、腑に落ちない事が起きた。
「あははっ幸輝、店長でしょ?」
「……なんで知ってんの……」

 学校でのこと。店長を決める際、誰も手をあげなかった。
 いつもこういったお祭りごとのリーダーになる喜月とタケは生徒会がある為なれない。生徒会は別の催しがあるそうだ。
 そこで、準備係に割り当てられてない人を祭り上げることになった。それは俺を含めて6人……6人もいたんですよ?
 喜月がさっさとクラス案の詳細を進めたいらしく、投票を行うことになった。
 6人全員の名前が書き出される。
 恨みっこなしのため全員が机に突っ伏す。一人ひとり名前を読み上げるのにあわせて手をあげるだけの簡単な投票。
 すぐに終わって俺はゆっくり顔を上げた。そして黒板に書かれた文字を見る。

壱神 38
片瀬 1
橘  0
宮元 0
森野 0
渡辺 1

「ええええええええええええええええ!?」
 俺は驚愕の声を上げる。
「ちょっとは遠慮しない!? つか謀ってない!?」
 教室中にひろがる笑いの声。
「幸輝。これは正式な投票の結果だ」
「嘘だーーーーっ!?」
 俺は信じないぞぅ!
「観念しろ。この際だしさっき幸輝に手を上げた人挙手!」
 喜月の声に合わせてがばっと手をあげる俺以外の人間たち。
「ちなみにあとの一票は俺があげ忘れたのに気づいて、幸輝が可愛そうだから適当に付け足しただけだ」
「実は満場一致!?」
「そ」
「いや、だって喫茶店経験者で、バイトリーダーなんだろ? ここじゃ店長ぴったりすぎるだろ」
 黒板の文字が消されて修正が入る。

 壱神 40 ○決定

 俺の清き一票すら俺に入って、すべての票が俺を店長に押し上げる。
「俺は、バイトがぁ!」
「大丈夫大丈夫。店長の役目は全員の報告を待ってオレたちに報告するだけが最初の仕事だし。
 あとは当日に店をうまく回してくれるだけで」
 笑いながらタケは言い切る。
 ―――俺の、平和な文化祭が……。
「日々の生活の賜物だな。じゃ、次はメニューについてだが―――」
 放心する俺をおいて、非情にも喜月は話を進めていった。

「いやー? 経験量と料理の腕で言えば一番でしょ? そんなもんだよねぇ」
 んふふ〜と箸をくわえたまま笑う。行儀が悪いぞーと言うとスッと食事の姿勢に戻る。
「あとはきーちゃんいるし幸輝もみんなに押し出されるだろうし」
 いや、姉ちゃんは実は見てたんじゃないかってぐらい正確に当ててくる。
 学校で俺が居るのはそういうポジションだ。……嫌な役が回ってくるね。
「じゃあなんかメニュー考えようよ。
 スペシャルコウキ風ほにゃららを!」
「何かが俺っぽくスペシャルになるのは分かったけど……。
 フレンチトースト難しいよ。俺まだあれ一回も成功したとは思ってないぞ」
「うーんそうだよねぇ。なんか高級な感じだから貧乏舌のあたし達に合わないのかもね」

「ん。ごちそうさまー」
「お粗末さん」
 あっという間に食べ終わって食器を片付ける姉ちゃん。料理を作ってない方は洗物の当番だ。拭くのを手伝ってから風呂に向う。

 まぁ家のサイクルなんてこんな感じ。一見普通な姉と共同生活をしながら気ままな生活を送っている。

 そんな、365日のうちの、たった一日、だ。




 ん―――ん?
 白い世界。ふわふわと浮いているのはコレが夢だからだろうか。
 あまり夢を見ない体質で、見たところで明日の晩御飯ぐらいのもんんだろう。
 ……珍しいことに、夢だと気づいているのに目が覚めない。動こうとしても動けない。
 世界が白いのは俺が目を開けてないせいか―――?
 動けない。不安だ。目を開けるのも、何故か難しい。いや、どうせ夢だ。
 どうせなら起きてやろうと俺は思いっきり呼吸をした―――。

 白い世界は黒くなり、やがて体の重さが戻ってきた。夢のオワリ。何も無い夢は何を意味するんだろ。
 目を覚ました。時計を見ると7時過ぎ。丁度いいぐらいの時間だ。鳴っていない目覚ましを切ると、俺は体を起こす。
 目覚めはいいほうで朝はあまり苦にならない。夜更かしをあんまりしないからって言うのもあるんだろうな。が、夏になった今は、暑苦しさでだるい。服がべったり汗で引っ付いてて気持ち悪い。俺はベッドから降りて洗面台へと向う。冷たい水で顔を洗うと、より意識ははっきりとする。
ついでに寝癖を水で押さえつけると部屋に向って制服へと着替えた。
 着替え終わるといい匂いに誘われて俺はリビングへとたどり着いた。
「あ、お早う幸輝」
「おはよー」
 姉ちゃんがキッチンで朝ごはんを作りながら振り返る。今日は姉ちゃんの当番だ。寝癖だけ適当に治しながらテレビを眺め朝ごはんの到着を待つ。
 リポーターが天気予報を始めたあたりで後ろから足音がする。
「はい。お待たせ〜」
 朝食に来たのは純和食。ご飯に魚に味噌汁、そして納豆。こういう和食は胃に優しくオススメだ。手際よく並べ、向い側のソファーに姉ちゃんが座るのを待って、いただきます。と手を合わせた。
 俺は熱い味噌汁をすすると息を吐く。うん。落ち着く。朝からこういった手の込んだことをやってくれる姉ちゃんには凄く感謝している。
「どう?」
 不意にそんなことを聞かれる。
「おいしいよ。……味噌汁ちょっと濃いめ?」
「あ、ばれた? 残り少なかったから全部使っちゃったから。買い物お願いね〜」
「ん。分かったよ」
 と、俺たちの朝ご飯は進む。基本的に買い物は俺がする。こうやって俺たちの家は成り立っているのだ。親がいないとしっかりしてくるもんだ。



 ミーンなんてやさしい音じゃない。
 ミ゛ーーーンッ!!!
 ぐらいのセミの鳴き声を聞きながら朝からあっつい道を歩く。学校へ行くのはいつも喜月と一緒で大抵は先に家の前に立っている。
 至って普通の会話をしながら学校へ行く。喜月とは同じクラスでよく一緒にいる。同じクラスといえばもう一人仲の良い奴がいる。

「おはよーぅ! 喜月! 幸輝!」
 不意に叩かれた背中がスパーンと小気味好い音を出して朝の空に響く。
「はよー」
「おはようニャー」
「語尾がキモイぞコウキ!」
 返って来た挨拶に嬉しそうに頷く彼は弐夜武人<にや たけひと>と言う。珍しくも無い集団で大抵一緒になる組み合わせだ。ニャーと行ったのはタケのあだ名の一つだ。言うと大概の場合はスルーするが。
 顔を付き合わせればスポーツの話題かエロイ事の発端は大体コイツのせいな事が多い。
 短髪で大柄な体格で褐色と運動部のスキルを網羅している見た目通り活発なソイツは今年身長が百八十を越えた。俺らからしたら巨人とお話している気分である。俺だって決して小さくは無いと思うんだけど。
 陸上部で部活星人である。勿論俺や喜月には何度も陸上部勧誘をしてくる多少のうざさを持ち合わせた奴だ。二年になってからは流石にその回数は減ったけれど。
 しかし基本的にはただの友人で、中学生の時にやった悪戯を機にとても仲の良い有人の一人だ。


 中学生の最後の時に俺達が学年リーダーになった時の話だ。各組毎の四チームに分かれ、クラス対抗型の対決をするのがウチの中学のやり方だった。
 例年の体育祭と同じでは詰まらないので何か仕込もうと提案したのは喜月で俺が体育祭に一種目変な項目を増やそうという案を出した。
 当日のビックリ企画として担任対生徒代表、つまり俺達で先生を負かしてやろうという企画だ。俺達が勝ったら強制的にジュースを驕ってもらう。それを目標に俺達は色々な競技を考え、障害物競走の前にその競技の名を入れることにした。障害競走道具の一部を使用することで用意自体の時間は考えなくて良いようにするためだ。
 結果は変な事をしたというのは怒られたが――俺達には仕込みから盛り上げまで結構頑張ったので結果オーライという話になった。俺らも物欲的な試みであったがジュースはもらえたので良しという結果である。
 その辺りから急に仲良くなってつるんでいた四人が居たのだが、今はこの三人が同じ学校に通っているのでそのまま仲良し三人組となっている。もう一人は女子高に行ってしまい、携帯も持っていなかったのでもう会う機会は殆ど無い。俺は今も持っていないけど。


 授業はいつも通り終了し、部活の時間となる。
「幸輝、今日はバイトか?」
「うん。そう、じゃあまた」
「おう。またな」
 言うが否や俺は教室を出た。



 俺にとってバイトは……戦場だ!
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
 どこにでもある言わばファミレス。
 だが店内はきれいに作られ、料理はそこらへんのファミレスなんかより断然美味しい。
 ここでのバイトも、もう5年目。アルバイトの中では開始最年少記録と年数最年長記録を持っている。
「オーダーでーす!」
「は〜い」
 まぁ、だからどうと言うこともない。
「幸輝君3番お願い! 終わったらこっちもお願い!」
「はーいっ」
 ……激しい。極上の笑顔で接客して鬼のように洗い物をする。コレ基本。
「……店長〜追いついて無いんでサブやって来ます〜」
「ごめん、お願いねー!」
「たつさーん俺入りますよっどっから行けますかー?」
 飯時の追いついて無い厨房は俺がフォローに入る。
「悪いなっ丁度偶数テーブルやってっから奇数行ってくれ」
「うぃっす」
 笑顔の接客から鬼のオーダー提供まで。
 最近は新人さんも入ってきたため研修も俺がやっている。まぁ、基本は教え込んだから大丈夫だろうけど、細かい云々は分からないときに聞いて貰う方針で行っている。アルバイトの時給はもう最初の時給とは比べ物にならないほどあがっている。十円とか五十円の力って侮れないよ意外と。

 忙しい仕事をこなして夜9時やっと俺は解き放たれる。まぁ……慣れている自分に乾杯。幸い、ソフトドリンクは従業員飲み放題となっている。そのため夏場はバイトの従業員が控え室に溜まってだべることが多い。とはいえローテーの休憩があるときだけだけれど。
そんな楽しい環境が売り。ホント従業員同士の仲はいい。休日に一緒に店長とも遊びに行くぐらいだ。
 だからアルバイトの人はやめていかない。募集も年に1度ぐらいだ。学校で聞くと、結構競争率の高い店らしい。
 へぇ。そうなのか。そういえば面接はたくさんきてたなぁ……と思ったが俺達が人事をするわけではないのでかわいそうだなぁと思う程度だ。

 そしてその人事、そして店を担う人物が颯爽と自分の前に現れる。
「今日もお疲れ幸輝君」
「あ、お疲れっす」
 そう帰り支度を整えた俺に投げ掛けるのは店長。一見ほんわかしててトロそうなのだが店では機敏に動く。
「幸菜ちゃんが居てくれたらもうちょっと楽なのにな〜」
 そりゃそうですねぇ、と俺も頷く。姉ちゃんも同じバイトをやっててここの古株…と言うと怒られそうだが、俺の同僚にあたる。
 去年までずっとここでバイトをしてた。就職した今もたまにお客として来る。全盛期は俺たち二人がバイトに入るだけで店が回るとまで言われたものだ。絶対無理だけど。

「まぁバイトばっかりやってる訳にはいかないからねーちゃんも」
「あら? 私はちゃんと正社員に誘ったわよ? フられちゃったけど」
 フフフッなんて含み笑う。店長はこういう人だ。レストランは趣味と言い切ってくれた辺りも含めて大物だと思う。歳はまだ20代の後は……いや、前半で!
なんとなくこっちを向いた笑顔が怖かったので訂正しとくけど、実際の所は知らない。どちら様かの御令嬢らしい。纏っている雰囲気は落ち着いているし、実際美人でモテてるようだ。タイトなスカートが魅力的で客の視線が常に下向きになっているのをよくみる。
 しかし実際の所、人情に弱くとても優しい人だ。男気や決断力がある。そんな人が俺たちのお姉さん役を買ってくれていたのだ。
「はははっさすが姉ちゃん。店長に甘やかされるのは嫌なんだよ」
「私、嫌われてたかなぁ」
 俺たちを心配してくれるのは店長だけだ。
「あはは、それは無いよ店長ー」
 俺は笑ってそう言い切った。自信がある。
「……ありがとうっ……あと店長じゃ無かったら完璧
 姉さんって呼んでっていったじゃ〜ん」
 華のような笑顔とはこういうのを言うんだろう。
「親しき仲にも礼儀ありですよね。目上は敬語で!」
 呼び名がいっぱいあって呼び分け大変なんだよ?
「だめー」
 制服を脱いだらプライベートだっ! と言い張る店長は絶対にゆずることはないだろう。
「うーん、駄目かぁ」
 俺は抗議するのをあきらめてカバンに荷物を詰め込んでまとめる。
「あ、断られたと言えば幸菜ちゃんが」
 それを見届けて店長は言葉を出す。
「へぇ。何を」
 俺はカバンを担いで店長に振り返る。
 姉ちゃんが店長の願いを断るのは珍しい。
「幸輝君を頂戴って」
 笑ってそんなことを言う。やっぱり無茶苦茶なことを言うなぁ。
「ぶっ! 弟に? 俺なんか持ってっても楽しくないですよ〜?」
 実際そうだし。
「ふふっというかね初めは二人ともウチに来ない? って誘ったんだけど、
 迷惑かけるからお断りしますって幸菜ちゃんに断られてねっ。
 じゃぁ幸輝君をって」
「まぁ俺も姉ちゃんと同意見だよ。迷惑かけるだけだし」
「そこをなんとかっ」
 目が本気だ。よし、逃げよう。
「ははは……わがまま言わないっじゃ、俺帰りますっ」
「うん。また明日っ」
「うい。お疲れ様で〜す」

 彼女は彼をドアが閉まるまで見送って、ゆっくりと呟いた。
「幸菜ちゃんは本気で焦ってたんだよ? 『幸輝君を』って言ったときは」
 もともと自分と同じ「幸」の字が気に入って雇った二人が、今では本当に弟妹みたいで大好きだった。
 母親の真似事も買って出ているがあの二人は私のものにはなってくれない。それでもあの子達は彼女を姉と呼ぶ。慕われているのが分かるから余計に可愛いと思っていた。

 ―――さて彼を見送ったので仕事に戻ることにしようとエプロンを締めなおして店への扉をくぐった。




 スーパーで言われていたものとこれから作る夕飯用の材料を手際よく買う。時間のロスをすると俺の腹が持たない。今はそこらの野良犬より低い唸りを上げてメシを望んでいる。
 姉ちゃんも待っていることだろう。とっとと帰ろう。あの人は仕事から帰ってきて俺を待つようにしている。先に食べてていいと言ってるのになぁ……。
 遅い時間の食事は体に良くないと聞いているけど。まぁ、一人で食べるよりはいい。
 だから素直に感謝することにしている。

 信号は赤。赤の中で礼儀良く立ち止まる人が俺に止まれと訴える。
 俺は濃い藍色にそまった闇に止どまる。微かな光に反射する灰色の横断歩道と静かに対峙する。
 車は来ない。アスファルトは黒く、闇を強調する。帰り道の信号が青になった。
 俺は鼠色と漆黒のシマシマを踏み歩く。
 いつも暗い道を歩いて一人で帰る。
 昔は姉ちゃんが一緒だった。
 今日の仕事はうんたらかんたら。毎日そんなことを話しながら帰っていた。多少は明るくも感じた。
 でも、今年から一人、だ。お腹がすいているからかサクサクと歩く。

 今日は一段と暗い。雨でも降るのか?
 空を見上げるが星は見えない。光が無い。

 別に暗闇に特別な思いは無い。ただ今は―――怖い。
 音と言う音の無い空間の不気味さ。作られた微かな光しか届かない不明瞭さ。

 なんなんだ? この怖さは……早く帰らなきゃ。
 こういう嫌な勘は良い。
 嫌な事が起きる前兆はいつも寒気だった。
 見えないものに恐怖する悪寒。
 だからか、今俺が全力で走っている理由は。
 見えない手が後ろから掴み掛かって来るような感覚。
 それを振り切るように全力で走る。

「はぁ―――、はっ」
 心臓は体中に酸素を急いで送ろうと必死だ。
 坂道を走って、嫌な感覚は消えた。
 星は見えるし、家々の明かりもある。
 眩暈がした。
 ちょうど公園の塀に寄りかかる形で、立ちとどまる。
 まだ続く坂道を見上げながら大きく呼吸を繰り返す。
 視界が大きくゆがんで気持ち悪い。
 運動は得意だ。
 普段ならこんなに疲れることはなかっただろう。
 家まで走って帰ったって今みたいに眩暈がするほど気持ち悪くはならない。
 坂の上に光が見えた。
 車か―――。
 一台のミニバンが坂の上から下ってくる。
 俺の目の前は丁度T字路で右側が下り道左側が4丁目。
 そんな境目で少し広めに取られた公園がこの壁の向こうにある。
 車が俺に向かって真っ直ぐ坂道を下ってきた。
 別になんともない、当たり前の事。
 ズキリ、と頭に響く予感。
 逃げないと、逃げないと――。

 なんでっ―――足が動かないんだ!

 眩暈は続いている。
 視界が光の白一色に染まる。無い。逃げる手段が。
 止まれよ。俺は―――まだ

 ゴシャッ―――

 潰れた。
 俺の体が、コンクリートの塀にめり込む。
 更に壁を突き抜けて公園に投げ出された。
 吐血する。
 器官を通る血液が熱い。
 真っ赤。
 理解できるはずのものが理解できない。
 クラクションの音。
 遅すぎた危険の合図だ。
 ノーブレーキ。
 迷うことなく車体は俺を貫いた。
 痛い。
 涙は無く、血が吹き出す。
 痛い。
 誰か、助けて―――
 誰かが俺に呼びかけている。
 そんなのいいから、助けて。
 呼吸がしたい、できない。
 走馬燈?
 姉ちゃんが泣いてる。
 赤、朱、緋、紅。
 多分あふれているのは血の涙。
 目の前の姉ちゃんが俺の名前を呼んでいる。
 聞こえてるよ。
 叫ばなくても、
 姉ちゃん、
 俺はここに―――

「―――っ!!」
「――――――こうきっ!!」
 触れているのは本物。壱神幸菜、彼女本人だ。俺は覚醒したように意識がはっきりする。
 さっきまでの混乱は嘘のように無い。
 ズキリと走る痛み。
 頑張ってしゃべろうとする。血が溢れた。
 俺は咳き込むが、それすら痛い。
 涙が溢れる。
 力を抜くと幾分か楽になるが、体中から血が溢れる。
「幸輝っ!! しっかりっっ!! 今っ救急車呼んだからっっ!!
 お願いっっっ死なないでぇっ!!!」
 俺を抱いて、泣きじゃくる姉ちゃん。
 困ったな泣き止ます方法が無い。
 辛うじて両手が動く。
 動かして姉ちゃんの頭に回す。
 子供をあやすなんて、中学のインターンシップ……職業体験で行った保育園以来だ。
 でもアレはなかなか楽しかった。
 そういう道もありかな、と思った。
「幸輝っ……幸輝っ幸輝っ!」
 ただ、俺の名前を呼び続ける姉ちゃん。
 たった二人の肉親。
 同じ家に住んで同じバイトで同じ苦労をして同じご飯を食べて同じ学校に通って――。
 この人を助けなきゃ、って思って今まで頑張っていた。お互いそうだけど依存しすぎた関係に終わりを見つけなければいけないと漠然と思っていたのだけれどこんな終わり方になるとは思いもしなかった。
 ……今、俺にできるのは、ただ頭をなでるだけ。

 ちょっとだけ、落ち着いたのか、姉ちゃんは顔を上げて、俺を見つめる。涙がポロポロと姉ちゃんの頬を伝う。
 ―――言いたいことがいっぱいあった。最後なんてわかってないようでわかってるから。
 でも、伝えることができない。
 ……泣くなよ、とか。
 ……生きて、とか。
 ……ゴメンとか、ちゃんと彼氏作れよとか、ありがとうとか―――
 はは、いっぱいある。
 特に彼氏はちゃんと作るべきだ。
 就職しているとはいえまだ10代のくせに一回も誰かと付き合ったこと無いとは。
 俺が居ればいいなんて言ってたけど、突然居なくなる事だってある。
 こんな風にね?

 血を吐ききったみたいで、呼吸が楽になった。
 肋骨が折れて刺さっているので満足に呼吸はできないが、痛みが麻痺してきて、涙も止まった。
 小刻みに呼吸をすれば何とかなり……っそうかもしれない。
 ―――
 しゃべれる……かな?
「ねぇ……」
「幸輝っ!!」
「うん……ちょっと……楽に、なった」
「大丈夫っ!? もうすぐ、救急車来るからっ」
「あぁ……頑張っって、みる……で、さ」
「ん? 何?」
「いい加減、彼氏作れよ?」
「いらないっ! 幸輝がいて!」
「せっかく……は、……可愛いっんだから……使えよ」
 と、ツッコんでるあたり、死に際って意外と冷静になれるのか。
「いやっ幸輝がいいっ」
 ここまでオープンなブラコンも珍しいと思わないでもない。
「ブラコンも、ほど、ほどに……しろよっ……ゴホッ」
 ちょっとうれしかったりする俺もシスコン入ってるかもしれない。
 でも絶対認めないぞ。
「幸輝っ無理しないでっ!」
「お、おっけ。エホッ……ふぅ」
 視界がぼやけて来た。眠い。痛いけどそれ以上に眠い。
 寝たら楽だろうな。
 起きれないかもしれないけど。
「……姉ちゃん」
「何?」
「―――ありがと」
「……やめてよっそんな」
「だから、彼氏つくれよ」
「……職場恋愛って難しいのよ?」
 必死におどけて見せようと、悲哀の表情のまま笑う。
「はは、知らないよそんなの。……頑張って、生きて。
 守って貰ってくれよ、俺、もう……」
「やめてよ……幸輝」
「俺、多分」
「やめて……」
「もうすぐ」
「やめてっ!」
 悲鳴みたいな声。
 だから、俺は、言うのをやめた。
「うん。だから、姉ちゃんは、生きて―――ゴホッ!」
 また咳き込み始めた。血が溢れる。
 かすれた視界。終わりが近い。
「いやっだめだよっ幸輝っ!! 死なないで!!」
 救急車の音が聞こえる。はるか遠く。もう間に合わないと、俺は悟った。
 泣きじゃくる姉ちゃんに何もできない。手にも力が入らないんだ。

 笑った。泣きながら笑った。
 謝ることも出来ない。
 事故なんて不条理に怒るでも無く、ただ謝りたかった。
 口を動かしても声が出ない。
 いつも当たり前のことが出来ない。
 だから泣いていた。
 姉ちゃん、ごめん。俺、死んだわ。
 それに気づいたのかまた、姉ちゃんは俺を呼んでいる。
 ―――でも、もう殆ど、届かないよ。
 俺を掴んで叫び続ける姉ちゃんにどうにか落ち着いて欲しい。
 困った俺は多分笑った。
 驚くような顔をした姉ちゃんの顔。
 それを
 みて

 俺は終わった。

前へ 次へ


Powered by NINJA TOOLS

/ メール