07...


*喜月


 あの事件から数日。
 アイツが現れるような事は無かった。
 平和な時間が過ぎて、俺もあそこに行けば「おかえりなさい」と、言われるようになった。
 それを―――言うと照れくさいが、嬉しく感じる。


 ざわめかれた武人の死も、皆触れないように仕舞いこむように忘れられていく。
 幸輝のことだってそう。もうみんな思い出さない。
 冬休みがあけると学校で俺は浮いた存在になってしまっていた。
 多分俺を見るとそれを思い浮かべてしまうのだろうか。
 二人と一緒に居た俺を見るとみんな浮かない顔になってしまう。
 居辛いな。学校では腫れ物のように扱われる俺はどう反応すればいいのか困った。
 まぁ極力気にしないようにしていればいつか気にしなくなるだろうと思い、日常的に振る舞う事にした。
 あいつ等の居ない日常を受け入れなければいけない。
 陸上部にはショックが大きいようで練習をしている人間が疎らだった。
 あのクラブは陸上好きと言うよりはあの雰囲気が好きでやってた奴が多いんだろう。
 武人が居れば団結力も実力も高いクラブなんだが……やはりトップに立つ人物が優秀だと後が辛い。
 傷跡は大きな物だった―――。




「お疲れ様!」
 カランと氷とジュースの入ったグラスが音を立てた。
 生徒会の任期が終わって、生徒会メンバーで打ち上げに来た。
 まぁ祭りがやりたいだけな話だが、結構生徒会メンバーは仲がいい。
 場所はまぁ良くうちの学校の生徒の利用の絶えない元幸輝のバイト先。

 ファミリーレストランはこのあたりはそんなに多くない。
 一軒一軒数えれば市内には数件あるが歩いていくにはそれぞれ離れすぎている。
 ウチの学校から一番近いファミリーレストランはココ。
 その店の名は―――『Le Petit Bonheur』<ル・プティ・ボノー>。

 語源はフランス。意味は―――小さな幸せ。

 良くある名前。どんなお店だってその名を使う事が許される。
 大事なのはその意味を駆る在り方。
 あのお店は小さな幸せの時間の為にお客様に尽くす、と店長の幸乃さんは言っていた。
 体現してそれをあのお店で現せていると思う。
 幸輝と幸菜さんが二人が考えて、実行してくれたんだって。
 凄く嬉しそうに語って、幸菜さんを困らせていた。

「いや、短かったねぇ二年って」
「そう。いよいよ我等も受験生だな」
 会計と書記がシミジミと語っている。
 まぁ俺と合わせてこの三人は一年のときからずっとやっていて二年目になる。
 三年生は受験で忙しくなるため生徒会の仕事をすることは無い。
 任期は大体丸々一年。
 前後期制の分け目に一度、役員は希望で生徒会を抜けることが出来る。
 といっても理由がなければそれはできない。担当の先生に理由を告げて認められた場合の話である。
 抜けが出来た場合その補充としてまた役員候補を募る事になる。
 まぁ偶然にも俺の時にそんな面倒が起きることもなく、役員は一貫して頑張ってくれた。
「会長も良く頑張ったよねぇ」
「そうでもない。公約は達成したけどそれ以上はやってないからな」
 学園祭の復帰を一年で掲げ、二年目には修学旅行を海外に。
 まぁ冗談みたいな公約だったが成し遂げる事が出来た。
 コレは本当にみんなの協力のお陰だ。一人じゃ出来るわけが無い。
「それが凄いのに。さすがカリスマ。言う事が違うねぇ」
「まぁ褒め言葉として貰っとく」
 褒め殺しはいつもの事でもう慣れた。
 だからといって驕る事も無く謙虚にしていたいと思う。


「―――そいやぁ、もう半年も前になっちゃうんだねぇ……コーキ君居なくなってさ」
 一通り話して会話が途切れた隙に得意ののろけた口調がそんな事を言った。
 別に流しても良かった。
 こんな会話は何度もした。
 でも―――やはり思い出を語る上であいつが乗っかってることが多い。
「……ああ、そうだな」
 ちょっとだけ気遣いすぎていた自分を笑った。
 多分それはみんなが同じで軽く苦笑い。

「喋ろうとする度に引っかかるんだよねぇ……ホント。
 だからいっそ言ってやろうと思って」
 シンプルに切りそろえた髪を揺らして2年を共にした会計の芳沢<よしざわ>が笑う。
 文科系で吹奏楽部に所属する彼女は見た目とは違って些か威勢がいい。
 江戸前的なきっぱりした性格となんとなく語尾の柔らかさのギャップが面白い。
 そのせいか所々抜けたところがあってよく可愛いと称される人だ。
 ちなみに副会長のタケとはよく張り合っていたな。

「何をしんみりと。別に彼は不名誉な事をした訳ではないではないか」
 縁の無い眼鏡を上げながら俺を見て言うのが書記の満井<みつい>。
 理系人だが性格は堅物と言うほどでもない。物言いが固いのは実家が古いタイプの家なのだとカラカラ笑う。
 誠実で理系だが実は熱血。古臭い信条を大事にするいい奴だ。
 そんな彼だがただ苦手とするものが俺にとっては意外なものだ。

「……意外だな。満井って幸輝が嫌いなんじゃなかったのか?」
 俺の記憶ではそうなっている。
 満井自体が幸輝と関わりたがらなかったしな。
「失敬な。嫌いなどとは言っていない……ただ、なんというか、苦手なのだ」
 困ったように眼鏡を押し上げてため息を吐く。
 別にコイツは悪い奴じゃない。
 ただ人種が違う。そういう理解を俺はしてる。
「何が違うのー?」
「……なんだろうな。ぁ俺が狭量で才色兼備過ぎる奴がうらやましいだけなのかもしれん。
 もっともそういう点では八重には尊敬すら覚える」
「ふふっ会長モテモテだねぇ」
 芳沢がニヤニヤと俺を見る。
 例の事件は知っているようだ。
「野郎にモテても嬉しくねーよっ」

 男に告白された。それは自分の中学時代のトラウマであるが、それ以来妙な噂が身の回りに蔓延っていて残念ながら女の子に言い寄られた事は本当に無い。
 もっとも今となっては俺に向かってその噂を突きつけよう奴がいるようなら、物凄く冷たい目で「死ねばいいのに」というセリフを吐く事にしている。そのアドバイスをくれたのは中学時代の女の子の友人であるが彼女は元気だろうか。
 そんな俺の気分を知ってか知らずか折沢は笑顔で言葉を続ける。
「女の子にもモテるじゃなぁい?」
「モテてません」
 それにきっぱりと答えてジュースを飲む。オレンジの程よい酸味が喉に広がる。
「ああ、嫌味だな。コレだから会長は」
 そう言ってポテトを一つフォークでさしてパクつく満井。
 まぁ寄ってくる人が居たとしても生憎好きな人が居る俺にとってそれは無意味で―――。
 ただ、今はかなり理想に近い形で居られてるから俺はそれで良いと思ってる。


「うるせっそれより、満井君よ」
「何だね。俺のポテトの時間を邪魔するとは相当な用事であろうな?」
 いや、そんな時間の割り振り知らないが。
 もむもむとポテトを頬張ったまま鋭い瞳をこちらに向けて俺を見る。
 普段とは打って変わって全然威厳のかけらも無い姿だ。
 家が純和食派らしくこういったものは外での機会でしか食べられないのだそうだ。それでそのジャンクフードを好む辺りは男らしいというかなんというか。
「うむ。これは芳沢女史にも意見を聞かねばと思う事なんだが」
「へ? アタシ? 何?」
 ストローでジュースを吸うのを止めてこちらに視線をやる。
 ボックス席に男二人と芳沢さんが向き合う形で座っていて、満井を奥側にセッティングしている。

「先週の手紙……」

 今日、俺がここに来たのは他でもない。この話をする為である。そのモノの所有者であるソイツに小声でそれを言った。
「あっ! がっ、コラッ八重!」
 俄然として空気が俺に傾く。
 俺はそいつにだけ見えるように計画通り、と口を動かした。
「おおっと。ポテトがフォーリン……グしちまうぜ!」
 皆まで言うとあれなので方向転換。
 俺の煽り文句は全部幸輝とタケから頂いたものだ。
 相当むかつくに違いない。

「ぐおお! 俺は今オマエを殺してもいい!
 英語の文法から叩き込んでくれるッ!」
「ああ、ちょっとやめなってっ
 もー。何? 何の話なのよぉ? 混ぜてよぅ」
 俺に押しよってくるそいつをぐいっと片手て追いやって、机にずいっと顔を寄せた。
「姉御……あっしは姉御に話さなきゃならんことがありんす」
「まぁ、一体なんでござんしょう?」
「お、お情けを! お情けをぉ!」
 さすが二年の付き合いがあればこんな時でもこの対応。満井の顔面を右手で押して離す。
 俺はこらえ切れない笑いを前面に押し出して話を進める。
「満井ってさ、割とモテるとおもわね?」
「あ、うん。思う」
 芳沢さんもうんうんと頷く。
 結構小柄な女性で顔も小さい。
 そういった動作がよく似合うと思う。
 俺は一先ずその返事に満足して右手側に注意を戻した。
「よーしよしよし。いい子だ満井。
 落ち着け。まだ慌てるような時間じゃない」
「ぐおお! 屈辱! 八重それ以上言うようなことがあったら本気で」

「先週さ、ラブレター貰ったんだとよ」
「えっ? ホント?」
「言うなと言っただろっっ……!」
 マジで力が入ってきた腕を俺も割りと本気で押さえる。見えてる表情とは違ってここの攻防は割りと本気だ。
 コイツは家が古いと言うだけあって古武術に通じている為力が強い。あと下手な押さえ方をするとすぐに持っていかれる。俺の爺さんと似た環境があって、こういうところで馬があった仲だ。
「ええい。まぁまて、聞きたくもなるじゃないか。折角の場だぞ?」
 そう聞くとぴたっと動きが止まって手を離せ、と両手を開いた。
 それに了承して俺は手を離して答えを促す。
「で?」

「……別に返事など。出来るわけも無かろう。名前も無い手紙など」

 恥ずかしそうに頭を掻いて視線を外にやった。
「……へぇ〜? じゃぁあったら?」
 一瞬考えるようにしてた彼女が興味津々といった風に聞き返す。

「断る」

 一刀両断、というのが正しいな。
 本当に間髪居れずそう言い切った。
「えっ?」
 その勢いに驚いて彼女が目を丸くする。
「なんでだよ」
「五月蝿い。俺の勝手だろう」
「……」
 ぷいっっと拗ねたように俺達から顔を背ける。
 分かりやすい奴だよな?

「紙一枚でも、結構な勇気とかいるんだぞ?」
 俺は氷が溶け始めたグラスを持って、少し薄くなったオレンジジュースを飲み干す。
 紙一枚。
 たった一言でも難しい。
 言う事も難しいから。
 怖いから―――同じ言葉を、喉を通さず、伝えるために。
 何分も、何時間も、何日も悩んだかもしれない。
 今時手紙ってのも無いよな。
 いたずらって事もある。

 ただ、今は携帯だって同じ。
 メールなら簡単に伝えられるから。
 俺だってコウキ以外に携帯持ってない人間がこの世に存在するとは思ってなかった。
 この満井という男……機械類が本当に苦手らしい。
 まぁその古臭さにも合っていていいかなぁと他人的に思う。
 柔軟でないと息苦しい世の中で真っ直ぐ生きてるヤツだ。
 だから。
 その下駄箱とか机とかに入れる手紙も悪くは無いだろう。


「だから……もういいだろう……この話は」
「良くないから言ってやってんのに」
「ええい一々癪に障るなっ! なら何の意味があるっ」
 バンッと机を叩く。
 最も簡単に怒りを表す方法のひとつだ。
 それに驚いてか、視線を下げる。
 気まずいしんとした空間。
 レストランには音楽が流れているから無音ではなかったが。
 芳沢が目の前の席から立った。
「あ、芳沢―――」

 ―――タタタタッ

 芳沢が走りさって店から出た。

「オイ……どういう事だ、八重」
「頭がついているなら考えてみたらどうだ?」

 ガッッ!!

 俺はそいつの本気の左手を顔面に受けた。
 ワザとらしくイスから飛び出して、地面に落ちた眼鏡だけ拾った。
「きゃぁ!? お、お客様!?」
「大丈夫です。すみません」
「クソ―――!」
 もう一撃、そいつは立ち上がって俺に襲い掛かる。
「もう、いいから、とっとと追いかけろって。
 芳沢泣いてたぞ」
 殴りかかろうとした拳が止まって、彼女の走り去った先と俺を何度か往復した。
「くそ、クソ―――! また食わされたのか俺は! 覚えてろ八重!!」
 結局悔しげに俺を睨んで、全速力で店を飛び出した。
「くっくくくっ……!」
 あの様子じゃぁ結局からかうネタはこっちが握っていることには気づいていまい。
 だからこそイイヤツだ。
「お、お客様、大丈夫ですか……?」
「あっはは大丈夫。いやぁ面白かった。あ、お騒がせしました」

 正直に言えば俺は全部知ってる。
 芳沢が机に手紙を入れる姿を見たし。
 名前を書いてないなんて、ベタベタで分かりやすいミスも彼女だからこそ。
 手紙がメールに。そんな話をしたのは俺だったりもしたし。
 
 満井についてはあんな真面目な奴だから、好きな奴に一途ででも自分から言い出そうとはしない。
 だから、ここは俺が一芝居打ってやったのだ。
 まぁ芝居ってもんでもないけど。
 あいつらにとって不明慮になって遠回りさせるのも楽しいが。
 変な誤解で仲が悪くなっても俺が困るし。
 こういうのは何度かやった事があるがやはりこれは第三者的に楽しい。


「喜月くん……やるわね」
 呼ばれてきたのか店長の幸乃さんが俺の横に立っていた。
 蓬綾幸乃さん。容姿は知的にも見える端正な美人である。
 喋ると業務中はしっかりしているのだが私生活はてんでダメらしい。
 まぁ勉強はとてもできるしここが経営できるぐらいの実力がある。
「あれっ店長のお知り合いでしたか」
「すみませんお騒がせしました」
 こうも大きく騒ぐことになるとは思ってなかった。さすがに真摯に頭を下げる事にした。
「うん。良いよー気にしなくて。でも会計はちゃんとしてね」
 まぁちゃんと払う気ではあったが。
 3人分の食事代は学生身分の俺には少々痛い出費である。
「ええ。わかってますって。すみませんでした」
 本当はもう少し静かにやって俺が食事代だけ払って出る気だったんだけど。
 そう上手く事は運ばないものだ。
「ううん〜青春っていいわー! すばらしいわー!」
 そう言って幸乃さんが笑っていると、別のお客さんが入ってきてすぐにお店の人へと戻って言った。コウキもそうだったが切り替わりが凄い。俺はドリンクバーでもう一杯だけもらって店を出ようかな、と新しく飲み物を取りに行った。


 新しい飲み物を飲み終わって会計を済ませた。
 あの二人が去ってさほど経っては居ないが戻ってないと言う事は上手くいったのだろう。まぁ考えても野暮だし明日何が起きるか覚悟しつつ俺は家に帰ることにした。
「あ、所で喜月君、今日お暇だったりしない?」
 興味を失ったのかそれとも急な用事があったのか。
 まぁこういうときは後者を思い出したというそぶりであろうか。
「え? それってどのぐらいの時間からの話ですか?」
 それは今の時間のことだろうか。
 このまま二人が戻ってきたりの合流が無ければ俺は帰るつもりだが。
 結果だけあとで芳沢にメールで聞いてみようと思う。満井は答えなさそうだからな。
「それはあたしの仕事のおわりだからー9時ぐらい?」
 んー、と悩むそぶりを見せてすぐに結論を出した。
「そりゃ暇といえば暇ですけど……」
 今日も幸乃さんがあっちに帰るのなら勉強を教わろうと思っていたのだが、と思考をめぐらせる。
 いつも幸菜さんが帰る8時ぐらいからお邪魔して、あの家に勉強する為の場所を借りている。

 ちなみにウチは驚きの狭さなのだ。
 1DKに母と二人。
 唯一の部屋は母の書斎である。物書きという職業で収入は不安定だ。
 ダイニングの方は一応俺の部屋扱いではあるが……。
 何かの時にはやっぱり客も入る。幸輝とタケが入れば一杯一杯なのである。
 ウチが幸輝達を引き取れなかったのはそういうわけがある。
 母の稼ぎもあまり良いものではない。移り住むわけにも行かず、壱神の家を点々とすることになった二人に母は泣いていた。
 俺の父親は離婚してどこか遠くにいるらしい。別に会いたいなどとは思わないがこの状況には腹が立つ。
 ウチの母は幸輝の母との姉妹で元々はかなり壱神の世話になっていた。



「ふふふ大丈夫よ〜勉強はちゃんと見るから〜」
 指をピンと立てて左右に振る。
 これは任せなさいという意味であると解釈して頷くことにした。
「いいですけど。何かあるんですか?」
「実はね、ゆきちゃんちに持って行こうと思う家具が重くて……」
「ああ、なるほど。そう言う事なら喜んで手伝います。
 というか完全にあそこに移り住む気なんですね? 少しずつモノが増えていってますよね」
「だってその方が楽しいもの。あたしの家よりここに近いし。実家通いだから今」
「そうだったんですか……え、と。じゃぁその実家まで?」
「うん。だめかなー?」
「いや、構いません。じゃぁ……待ち合わせどうしましょう?」
「喜月くんの家は?」
「わざわざ悪いですよ。9時にここに来ればいいですか?」
「うーん。ちゃんと上がれるかわかんないから……」
「いえ。全然待ちますから。」
「そう? じゃぁ9時にここに来ててもらえる? ごめんね〜?」
「いえ。教えていただいてる身分ですから」
「あら殊勝な心構えっじゃぁお願いね?」
「了解しました。では、お仕事の邪魔してすみません」
「ううん。あの子達にも気にしないで来るように言っておいてねっ」
「はい」
 ……まぁそう言われても実際はもうここほど二人にとって来店し辛いところも無いと思うが。
 まぁ……半年も経てばケロッと使うようになるだろう。
 俺は店長さんに手を振ってそのお店を出た。空調の聞いた店の中とは違って、少し熱を帯びた熱い風と日差しに出迎えられた。これは次に出るのは少し涼しくなってからだな、とひさしを一度手で遮ると、夏の気配のする道を歩き出した。

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