第181話『勝利のみ条件』

 赤い絨毯よりも若干濃い色の真紅のドレス。金色の刺繍が豪華さをより引き立てて、高貴な存在である事を主張する。
 彼女の作った空間はお城の謁見の間に似ている。玉座までの真っ直ぐ敷かれた赤いカーペットに金と赤の椅子。壁には金銀で彩られる供物。そして天井には大きなステンドグラス。そして今日までは左右の壁に日が灯っていてそれが明かりになっていたのだが、今日は左右に天井と同じようなステンドグラスがあっていつもより明るい空間に見える。
 いつかの長い空間のようにこの世界は彼女が思うがままである。一度俺が入ったら形を変えないもののいつも何かしらの違いがあるように思う。神様にもやはり気まぐれというのがあるのだろう。
 今回はその明るい空間だったせいだろうか、少しメービィが難しい顔をすると空間も少し濃い影を落とした気がした。

『戦女神がそう言ったのですか』
「言ったけど、神様って死なないよね?」
 以前、西方の剣と宝石剣でなんとかラジュエラを倒した事があるけど、彼女は健在である。だから死なないものなのだと認識していた。
 メービィは少し深く息を吸って、瞳を伏せる。
『……地上に存在する物質では殺せません』
「えっ……あれ、できるの?」
 地上に存在しない物質を使わなくてはいけないとか……伝説の剣がなんとかな話になるのか?

『できます。貴方の見ているラジュエラは、確かに貴方には殺せません。
 しかし、地上に居る彼女ならば貴方は殺す事が出来ます』

「地上に居る? 神様って世界に直接干渉出来ないんじゃないの?」
 いつか四法さんに神様の干渉範囲は上空二千メートルからだって聞いて居たけれど。俺に空を飛んで戦えというのだろうか。それはそれでやってみたくも無いけれど、今の俺にそんな事は出来ない。そもそも空を飛んで戦うなんてヴァンと魔女ぐらいしかやってない。アキも跳躍でそれに近い奇抜な戦い方をするけれど地上白兵戦の域を出る訳ではない。
『戦女神は戦う者の為に現界を許されていますから。
 勇敢な戦士を迎える役を負っているのは彼女達です。神性が地上に出向くのは良くある事です』
「ええっじゃあやっぱ地上でラジュエラとガチンコバトル!?」
 想像し難いが、地上大丈夫かな。俺はともかくラジュエラが本気で裂空虎砲撃った日にはちょっと世界割れるとかじゃ済まないんじゃないだろうか。ソレを阻止するために戦うって言うのもなんか矛盾する。全世界から祭壇でやれという総ツッコミを貰いそうだ。
 色々思考を巡らす俺にコホンとメービィが咳払いをしてプルプルと小さく頭を振った。
『違います。ソレとこれは話が違いますが』
「ええっ俺の冴え渡る勘が外れたっ?」
『外して置いて冴えているとは言いませんが、貴方が戦うべき人はもう彼女に言われているのではありませんか?』
 ある意味外れてよかったとも思う。地上でラジュエラと一発勝負なんて怖すぎるし。
「戦うべき人?
 ……えー? 誰だっけなー?
 いててて」
 すぐに思い当たったのだけれどあえてメービィから視線を逸らして考えるような素振りを見せているとギュムッと頬っぺたがつままれた。
『とぼけるの止めてくださいっ』
 なんだか妙に笑顔で俺の両頬を抓んでむにぃっと引っ張られた。
「わかってるって! 剣聖だろどうせっ!」

 当然、彼が名乗った時の剣の名前を覚えているならばすぐに合点が行く。
 持ち主を倒す事なのか、剣を壊す事なのかは微妙な所ではあるけれど――もうどちらもというのがこの場合は正しいだろう。どのみち一筋縄でいく相手ではない。

『分かっているならいいのです』
「いてて……今、ちょっと本気だったろ? 頬っぺたマジで千切れそうだったんだけど」
『気のせいです』
「ちぇー。ああ、ノヴァかぁ……そもそも約束もあるしなぁ。でもホント何処行っちゃったんだろ」
『心配せずともめぐり合いますよ』
「いやまぁ心配というかね……」
 出合ったら出会ったで戦慄が走るんだけど。ていうかやっぱり会うんだ。もっとこう穏便な感じに終わらないかなホント。
『剣聖が持つ剣もまた、彼女です。やはり貴方に課せられているのは彼を超える事です』
「……なぁ、ノヴァもそうなんだけど、ヴァンが何処に居るのかって分かる?」
『そうですね……存在の肯定は出来ます。場所は教える事ができません……。でも心配は必要ありません。貴方が思っているようなことにはなっていませんから』
「そっか。それがわかっただけでも安心した」
 俺が考えうる最悪の事態は、魔女に取られたって事。ヴァンを敵に回すのは色んな意味で嫌だ。
『良かったです。コウキ、その……今回だけ貴方の成す事に口を出す事を許してください』
「うん?」
 珍しいな、と思った。メービィは基本的には傍観者であって、俺やファーナのやっていく事には何も言ってこなかった。
「神様的にオッケーなの?」
 冗談交じりに訊いてみた。別に言われたからと言ってそれに従うとも思われていないと思う。
『……わたくし達は基本的に貴方達に干渉しない事が尤も良いのです。だって、本来ならば神々は人に触れ合うことを許されていないのですから。今わたくしと言う存在が、貴方に影響を与えてしまう事も本来は良くないのです』
「そうなんだ。俺的には全然面白いからいいと思うのにな。ファーナもラジュエラも、神様ってこんなにも俺達に似てるのに」
『……だから、ですよ。コウキ』
「えっなんで?」
 思わず疑問一杯の顔でメービィを見ると、ゆっくりと彼女は視線を下げて両手を見た。姿かたちは人である。ファーナに良く似ている彼女は紛れも無く人間の一人として俺は見ている。
 そもそも“神様”なんてよくわからない定義でメービィやラジュエラを括れない。俺はこの世界に落ちてきた人間だ。どんな世界が出来ようが今更驚けない。だってそういうことが出来る世界なんだろう? ここにメービィが存在するんだろう? その事実がこの目で確認できて、存在できるものであるこの人たちの神たる所以はなんだろうか。奇跡が起こせるから? 魔法のような事が出来る人なら、俺はいっぱい知っている。それならその人たちも総じて神様になるべきじゃないか。
 だから――俺の脳みそは当たり前のようにその神様を友達に分類した。
 メービィは俺のほうをみてジッと目を合わせた後、俺が首を傾げたのを確認してから少し大きく息を吸って話し出した。

『コウキ、わたくし達に貴方が似ているのではないのです。
 その全くの逆。
 わたくし達が、貴方に似ていったのです。
 貴方は貴方が思っている以上に影響を与えてしまっているのです。
 本来わたくし達からは遠くに存在する“感情”を貴方は与えてくれました。
 きっと、貴方にはあまり気にするべき事ではないのでしょう。
 ……戦女神は要するに、貴方に願いを掛けたのです。
 貴方は、友人が変な頼み事をしてきたと思っているのでしょう?
 地上では一生涯をかけて天啓を必死で全うしようとしているような人が居るというのに――。貴方は本当に何気なくそれを引き受ける。
 神々とて、希望はするのです。
 自らの願いを叶えてくれる者に、神々を信じる者に与えるのです」

 願いを聞く事。それは断じて特別ではないといえる。例えばアキが父親を探していた時もそうだ。色々な町でアキが探しているのを見て、俺も手伝おうって思った。アキにお願いされたわけじゃないから俺のお節介だ。出来る事しかやってないし。メービィにとってそれがいい事だったのならば、それに越した事は無いと思っている程度だ。
 最高の敬意を向けてくれているのは分かるけれど、褒められ続けるのは照れくさいなぁと思って自分の首の後ろに手を回して視線をメービィから外した。

「そして貴方は、わたくし達にその希望を与え続けてくれています。
 貴方の歩いてきた道は決して平坦ではなかった。貴方が選択した今は、決して間違っていないとわたくしも信じます。
 ……一つだけ、わたくしからも我侭を言わせてください』

 メービィの我侭なんて確かに本当に今まで一つしかなかったものだ。最初のお願い以外、俺は何一つ彼女に願われる事はなかった。メービィにしろファーナにしろ――最初に願った同じ願いだけ。
 だからちょっとだけ期待して次の言葉を待った。

『貴方が勝って下さい』

 彼女は神に願うかのように両手を硬く握り合わせて、俺の知ってる人みたいにそういった。聖母像もそんな風に祈っていたかな。別にそんなことしなくたってお願いぐらい聞くのに。
 ああ、でもいよいよ逃げ場は無くなった。逃げる気も無くなったし、こみ上げてきた何かに従って自然と頬が緩ませる。

 此処で引き受けなければ男が廃る。まぁそんな立派な理念があったわけじゃない。ただただ友人に弱いだけの俺の調子のいい言葉である。
 もう後戻りは出来ない。剣聖は良い奴なんだけど、漢気溢れる漢の約束をしてしまったからには俺だって逃げる気は無かった……あんまり。だってノヴァはちゃんとファーナ奪還作戦を遂行してくれたし、傭兵隊を守りきる為に戦っていた。人に約束を守らせておいて俺が守らないなんてそれも不公平だ。
 だから俺は逃げない。

「ラジュエラも言ってたよ。俺が負けた言い訳を守る為にやったなんて言うなって。」
 しかもその上お願いされたんじゃ俺も逃げられない。
 ただ俺は友達の願いを聞いてあげたいだけ。
 それは決闘の約束にたった一つの結果を許す言葉。

「勝つよ!」

 自分の為に戦う事よりも人の為に戦う事の方がよっぽど気が楽だ。誰かにやる気の起源を預けて後はひたすら走る。そうしているのは決してその誰かに自分の責任を擦り付ける事じゃ無いんだって戦女神が言う。その通りだと思う。心の拠り所であってくれるだけ。
『はいっ信じています』
 メービィが微笑んで金の髪を揺らす。最も愚直に自分は馬鹿だなぁと思うのはそう言われるだけで今言った事が成せる気がするから。

「あははっ俺が勝ったら、何かご褒美は?」
『えぇと、わたくしには余り用意できるものは無いのですが……ええと、一つだけあります』
「えっホントに? 物凄い勢いでやる気がこんにちは!
 俺体育祭は先生の驕ってくれるジュースの為に頑張ったと言っても過言じゃないくらい頑張ったからな。リレーのアンカーぐらいならまかされてあげるよ!」
 うおおっとやる気アピールに諸手を握って高く挙げる。
『あ、あの、あまり期待しないでください……がっかりさせてしまうと申し訳ないのです』
 途端にメービィがあわあわと慌てて俺に言う。何も無いよりは後に何かあるとわかっていた方がやる気が出る。ジュースでも分かるとおり割と俺のやる気を買うのは安いのである。
「んーんっあ、例えばなんだけどそこらへんのアクセサリーとか頂戴って言ったら貰えたりするの?」
『いえ、残念ですが差し上げる事は出来ません。この空間はわたくしの記憶から出来ているものですから。あれはこの中でしか存在できないただの飾りです』
「そうなんだ。ちぇー。あの辺とかファーナにお土産に持っていったら喜ぶかなーって思ったんだけど」
 明らかにここにあるのは趣向品としての作品ばかりだろう。金銀宝石に彩られた飾りは見た目からして切れ味が無さそうだ。置物にはあまり興味は無い。自分の部屋は神殿に借りている場所があるけれど、何か自分の趣味のものを置いておく場所って感じではないし。
『ふふ、アクセサリーならばわたくしよりもファーネリアの方が沢山持っていますよ』
「いや、でも赤いし」
『貴方は自分の神子が赤い何かを持っていけば喜ぶと思っているのですか』
「うん。割と」
『……ええ、わたくしも全く否定は出来ないのです』

 メービィが自滅を始めたのをいい事にそれをいじりながら緊張感の無いおしゃべりを始めた。此処に来た理由のもう一つはファーナが聞きたがっていた他愛の無い事を聞くこと。それをまぁ適当に喋りながら聞いていこうと思い、また二人で長い談笑を始めた。




 本日の朝は雲一つ無い晴天。顔を洗うときに外に出ることになるので必ず空を見上げてしまう。そういえば旅を始めてからとても天候を気にするようになった。雨が降るなら雨避けの服だって着なくてはいけない。傘も存在するけれど持ち歩くには少し邪魔だ。折りたたみが在ればいいんだけれど、そんなのは無いし。それに雨避けマントは凄く便利だ。何か術式が書いてあるらしく、雨に濡れないし両手も開く。旅人には必須のものになっている。ただそういうのに慣れている自分に気付くと、旅生活に染まったなぁとちょっと感慨深くも感じる。
 朝の礼拝を終えて、朝食までもう一度寝た。それは遅くまで話していたコウキも一緒だったらしく、スゥがちょっと遅めに朝食を用意してくれた。本当に気の効くいいメイドである。その自分に就けられているメイドは普段から結構淡白な人で、表情が読めないことが多いのだが、今日は目に見えて沢山のため息を吐いていた。時折誰も居ない場所を見ては遠い目をする。――その席はヴァンツェが座っていた場所。
 コウキはメービィは心配しなくても大丈夫だという言葉を伝えてくれたが、やはり心配はしてしまう。それはコウキも同じなのかついスゥの視線を追ってから一言を零した。

「ヴァン何処行ったんだろ」
 彼は何となくそう言って紅茶を口にした。今日の紅茶は何となく苦い気がして砂糖を一つ入れた。朝飲む茶葉の配分は毎日違うらしい。その気遣いは誰の為か。
「心配なのは分かりますが……じきに戻って来ますよ」
 自分は紅茶に視線を落としたまま言う。俯いて影を帯びるとやはり悲しげにも見えるだろうか。コウキは何時もの調子でニコッと笑みを見せる。
「そうだよねー。まぁヴァンは旅はすげー好きみたいだったからさ、いきなり居なくなるって事もあるんだろうけど。どこいるんだろ。アルクセイドでナンパ中かな」
「ふふ、あまり冗談が過ぎると後ろから思わぬものが降って来たりしますよ」
 スゥがチョット視線をコウキに向けたからそう言ってみた。するとしませんよ、という抗議の視線がこちらに飛んできた。コウキはちょっと楽しそうに笑ってカップを置いた。
「うはっ安心で気無いね。俺はそろそろ朝練行こうかな。次の交代で入る隊に混ぜてもらおっと」
 席を立ちながらそういうと壁にかけられた時計をみた。どの時間でも大体何処かの隊が集団練習を行っている。身体を動かす事を怠らないコウキは城に居る時は毎日隊練習に混ぜてもらっているようだ。
「ええ。お気をつけて」
「ご馳走様でしたスゥさん」
「いえ。お気をつけて行ってらっしゃませコウキ様」
「いってきまーす! お昼には戻るよっ!」
 そう元気な笑顔をわたくし達に見せて彼は颯爽と城へと向かう。私的にはコウキが楽しいと自分の気持ちも曇らないので晴れた気持ちでそれを見送った。
 そして彼を見送って少し静寂な空間になった。窓は開けていないが外も良い天気で庭に茂る芝も綺麗に見える。窓を開ければ気持ちいい風が入るのだろう。
「スゥ」
「はい。紅茶のおかわりをお淹れ致しましょうか?」
「お願いします。
 あと、窓を開けて頂いてもいいですか」
「あ、畏まりました。……本当に今日はいい天気ですね……昨日が嘘のようです」
 昨日は戦争がありました。なんてこの平和の前に現実味を帯びない。紅茶を淹れ始めた彼女は少しだけ外に目をやってそう言った。
「……スゥもヴァンツェが心配で元気が無いのですか?」
「あ……いえ、その……」
「コウキにも気付かれる程ですよ」
「そうでしたか……確かに心配はしています。でもリージェ様と同じで、戻ってくる事は信じていますから、大丈夫です」
 紅茶を淹れ終えてから、静かに窓の前へと彼女は立った。
 窓を押し開けると風に乗って爽やかな空気が部屋を駆け抜けた。カーテンを緩く揺らして吹く風は少し湿った草木の朝の匂いがする。外では兵士が訓練する掛け声が微かに聞こえた。昨日戦争があったとは言え訓練は行われる。訓練の無い日は三日に一度でこのペースはどの隊も崩さない。
 スゥの言う大丈夫は彼女自身に向けての言葉だろう。それ以上何を言えばいいのか分からなくて黙って彼女の開いた窓の外を見ていた。
「リージェ様、本日はどうなさいますか?」
「ああ、そうでした。今日は午後から下の神殿に行きます。今回の戦争の説明をせねばなりません。お昼は此処でコウキと摂ることにします。
 コウキを連れて降りてきます。夕刻には戻りますから」
「畏まりましたリージェ様。
 今回の滞在予定は一週でしたね。長めの期間ですが大丈夫でしたか?」
「ええ。研究用に小箱を貸してしまったので一週間は旅立てません。手をかけてしまいますね」
「いいえっ。此処はリージェ様の家なのですから。わたくしとしてはもっとゆっくりしていって欲しいのです」
 スゥはそういうと微かに笑みを浮かべた。きっとそれは本心から言ってくれている言葉だからだろう。それは素直に嬉しく感じる。

「そうでした、午前時間が空いているのでしたら、アイリス様をお呼びしてよろしいですか? お時間があればお話したいと仰られていました」
 帰ると必ず会いに来てくれる妹が今日は先にアポイントメントを求めてきている。いつもは突然やってきては自分も連れだせという無茶を言う嵐のような子なのに今日はちゃんと手順を踏んでいる。それに少し驚いきつつ頷いた。まぁ、そう思ってしまうのは彼女にも失礼なのだけれど。
「ええ、構いません。珍しいですね時間を先に聞いて来るだなんて」
「いえ、授業はあるのですけれど」
 困ったように眉を顰めて、小さく首を傾げた。
「それは授業を優先させるべきだと思うのですが」
「では、忙しいと返事を出しますか」
 スゥはわたくしにそう聞き返してきた。自分には午前用事が無くて、大丈夫な状態ではあるのだ。別に自分が邪険にする理由も無い。
「……いや、わたくしが呼んだとしてください。先生方にはあらかじめ午後からと連絡を入れてください」
 専属の教師なので休む事での遅れは日数的に遅れるだけで、授業内容が飛ぶことは無い。実際には知っている事を復習させられることが多いと彼女は愚痴を零していたので大丈夫なのだろうと思う。
 スゥは両手を前に重ねてわたくしの言葉に深く一礼をする。
「畏まりました」
 そういってその事を伝える為にと部屋を出た。
 今日も騒がしい一日になりそうである。紅茶を飲み終えて、自分も部屋に戻る事にしてその席を立った。

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