第180話『激励と物騒』

 ラジュエラが先に俺を喚ぶのは、より俺に近い存在だからだ。
 シキガミは神性第二位の存在で戦女神である彼女もそうだ。神性となってしまえば俺からは見えるし触れられる。まぁこんな世界だし、彼女を生きている人間として認識している。言葉で言い表せば、色々凄くて強い剣の師匠。戦女神と呼ばれる存在だって俺との触れ方はまさにそうだと思う。

 本日は剣の突き立っていないコロシアム。刺さっていた跡も無いただ平たい舞台に始まりの挨拶も無くラジュエラが立っていた。曇った空模様にいつもの清々しさを感じられない空間と、違和感だらけだった。
 いつもなら気軽に声をかけて変なことを口走って叱咤されるのだけれど、今日だけはそんな気にもなれなかった。
 いつも殺される側であるのだけれど、だからこそ今――初めから俺を殺すための視線が飛んで来た事に気付いた。

 身構えたのは声を出す前である。何事かを聞こうとした瞬間にはもうラジュエラが走り出した。

 パァンッ!
 剣の面を剣の柄で叩かれて酷い振動が腕に来る。縦揺れの振動よりこういった打たれ方のほうがずっと態勢を整えられなくてやり辛い。これは防御中ではない。剣を振っている最中に叩かれたのだ。そのまま鼻先を掠めるように振られた剣をスレスレで引いて避けると虹剣を横薙ぎに振って後ろに跳び下がる。
 今、戦いの何故を求めても、無粋だとか言って鼻で笑われるだろうか。最初ぐらい和やかなお話から始めたかったのに。
 珍しくエアリーダーを働かせた俺が黙って構えていると、喋ってくれたのはラジュエラだった。

「何故キミはこの戦争で剣を取らない道を選んだ」

 その眼は返答次第で即座に殺さんとばかりに俺の喉元だけを見ていた。

「――何故? 剣なんて役に立たない事の方がいい道だよ」
 嘘吐けば、すぐにでも剣は喉を目掛けて真っ直ぐ飛んでくる。緊張の中彼女の一挙一動を見逃すまいと全神経を視覚と反射向けている俺には嘘どころか冗談ひとつも言えなかった。
「どうしてそう言い切れる?」
「誰も痛くないだろ?」
 ピシュッと風を切る音と共に剣が突き出される。それを少しだけ首の位置をずらして皮一枚を切らせて避けると横に仰け反りながら一歩前に踏み込んだ。変則的な姿勢から一撃切り上げるのを軽々と避けられ、縦と横両方からの攻撃に宝石剣で薙ぎ払う。
 ギィンッと虹剣と赤い長剣が交差してガチガチと押し合う。
「そんな事は無い……無益な戦争は経済を圧迫し兵士を苦しめる。
 王は褒章を出す事が出来ず、兵糧と人が減るのみだ。憎しみを生んでしまった今、二国はいずれ解れを起こし戦争を始める。
 得られる物が無い戦争なら初めからやらなくていい。起こってしまったのなら国を落とすか、賠償を受け入れるまでやらなくては意味が無い。
 キミがそのように無知だから、誰も痛くないなんて幻想だけで多くの人に苦しみを与えた!」

 それを罪だと攻め立てられる事は無かった。町の人たちも騎士も王様も――そんな大人の事情なんて飲み込んで、俺に笑っていた。
 無知なのは承知である。だからヴァンには沢山助けてもらった。知識を得て選択する為の経験値が圧倒的に足りない俺は特にそういう利益換算や結果を出した後の変化についての考え方が甘い。常に最悪を避ける事を考えてから行動する賢い人にその視野の広さを習うべきだった。

 ラジュエラとの押し合いが弾けて、二、三回剣戟を激しくぶつける。
『術式:炎陣旋斬!!』
 その宣言は同時で、同じように焔が爆ぜた。
 左肩にその火を受けて、二の腕が酷く焼け焦げる。
 ラジュエラの右腕も同じで肘から二の腕辺りに同じような傷が出来ていた。
 その怪我になど眼もくれず、ラジュエラは俺に剣を向けて構えた。俺も遅れず前後に剣を向ける。
「グラネダの王様は、通商条約を結んで相互の商業から利益を得るって言ってた。
 国を落としてもすぐに得られる利益って今ある土地と人手ぐらいで、本格的な利は国として統治できた数年後からだって言ってたよ」
 王様はそう言っていた。
 戦争を止めたことの不利益よりは犠牲を止めたことを良しと言ってくれた。俺の考える限り最善の方向で終わってくれたんだ。
「それが大きいんじゃないか。それすらも無い戦争なんて、人間にとっては最低だろう?」
 ただ無感情な瞳を向けてラジュエラはそういった。
「最低だったって言いたいの?」
 あの戦いで誰も居ない場所に向かって剣を振った俺を、責めているのだろうか。
「ああ。最低だったね。戦女神から言えばな。
 それにキミの言う誰も痛くないなんて嘘だ。
 キミは最初に神子に酷い仕打ちをした。
 “殺されるかもしれない”から、やつらに神子を引き渡した。
 結果、カーバンクルが居なければあそこで死んでいたのは本物の方だろう?」

 あの時、痛い思いをしていたのはファーナなんだ。
 ギッっと強く剣の柄を握って、俺から走り出す。此処から彼女までの速さは俺とラジュエラで速度の差は無い。
「そしてキミは王の怒りを買い、重傷を負った」
 沸騰した感情が弾けるようは重い拳を腹に貰って、あと少し治療が遅ければ死んでいたなんて洒落にならない致命傷を負っていた。
 痛かったのは、俺達だけ。

「何故あそこで! 剣を振るう選択をしなかった! キミは彼女の為の英雄だろう!」

 ファーナに剣を向けられていたあの時。
 ショックもあったけれど、怖かった。
「俺は英雄じゃない! もっと確実に救える方法を――!」

「英雄でなくとも、キミしか居なかっただろう!
 千の軍勢を目の前にしてキミは引く必要は無い! 例え数万の軍二つに囲まれても!
 キミはシキガミだろう! 力を持って存在しているだろう!
 人を守るだけを英雄と言うのか? 己の正義を全うするだけが英雄か?
 全てを守った気で居るのか?

 キミの目の前では誰かが死んだ!」

 誰かの命を散らして出来上がった戦線。

 俺が怒られているのは、最も守るべきだった人に対して俺が行った行動だ。
 もっと必死になるべきだったんだ。わかってるし、後悔も沢山している。その選択を引き摺って本物の彼女が帰って来るまで俺は最低の結果を出し続けたんだから。
 結果オーライって笑ってはいるんだけれど。全てを無かった事には出来ないから結局その問題は後に響いてくる。
 彼女の問う何故剣を取らなかったか。その理由を考える。


「……嫌いって」

「嫌いって言われるのが、怖いんだ俺。
 ちゃらんぽらんだけど、友達って大好きだから、余計怖いんだと思う。
 だから、怖気づいた」

 近ければ近い人ほど、それを恐れるようになる。だからアレは一番俺にとって起きて欲しくなかった事のひとつでもある。だからラジュエラの言わんとするところは、俺は剣を振ることを恐れた訳ではなく自分の気分だけであの場でファーナを攫われることを許したのだと言っている。殆どはあの時の条件と無意識でソレを行った。今となっては結果を盾にそれを言い逃れることができる。
 シキガミの力は無くても、ラジュエラに教え込まれた剣術も剣もあの時自分の手の中にあったのに――。

 ラジュエラが高く双剣を構える。赤、黒、白――帯びる光に空気が振動する。
 俺の剣はアレと同じ、威圧と速度を誇るというのに。

「コウキ! 一つだけ言っておく!!」

 彼女がその双剣に眩い光を溜める。俺も間に合わせるように裂空虎砲を振る。
 両手を振りかぶって、真っ白な光りが俺達の視界を埋めていく。

「勝ちの先にしか道がないときは迷わず勝て!!」

 鬼神の如く形相で、怒声を放って彼女は剣を振り下ろした。

「キミが守る誰かを!! “負け”の言い訳にするような事だけはするな!!」

 ゴォッ!!
 俺の放った裂空虎砲の一撃とは重さが違う。密度が違う。それだけ“戦女神”の情念の篭ったものだと言うことなのだろうか。俺は今此処でだって、負けたくは無い。悔しいけれど何も言い返せない。でもただ、負けたくない。そんな想いがあった。
 裂空虎砲の出力勝負に負けて真っ白な光に飲まれてよくわからない距離を吹き飛んで背中からコロシアムの壁に激突した。激痛と衝撃で息が止まって呼吸が出来ないまま突き刺さった壁から落ちる。

 数秒して、少しだけ呼吸が出来るようになってから、腕に力を入れた。全身に痛みがあって何処が重傷かなんて分からない。ただ使える筋肉を使って、生まれたての鹿のように立ち上がってから舞台の上を見上げた。
 くすんだ空を背にした戦女神がただ遠くを見るように俺を見下ろした。

「キミは望んだ事が成せて居ないだろう!
 神子を取られ友人とやらに気を取られて狼狽している間に多くの人間が犠牲になった!
 忘れたかイチガミコウキ!!
 剣を振るう事を恐れるな!!
 シキガミであるキミの剣がキミの願いに届かない訳が無いだろう!!
 神子を救う事を諦めるより戦争を止める事の方が難しかった!!
 原因を“殺せなかった”コウキ、キミが――!

 キミが全部悪いんだぞ、コウキ……!!」

 ラジュエラの声が、酷く悲しそうだった。
 彼女の足音がゆっくりと階段を下りてきて、俺の目の前に立った。
 朦朧とした視界で表情は見えないけれど声が震えて泣いているようにも聞こえた。

 感情は薄いのだと豪語する故に、俺が行った事の罪深さを思い知らされるようで心臓が痛い。
「……ゴメン」
 情けない、と思った。そこまで言われてやっと気付くのか。
 ビュッと重い風の音と共に少しからだが後ろに揺れた。
 冷たい剣が刺さっていて、物凄い異物感に吐気を覚える。心臓が痛いのは物理的にも本当の話になった。
「謝罪など要らない」
「……」
「コウキ……」
 返事をしようとしたら吐血しそうになった。それを涙目になりながら飲み下して、小さく息をした。
「……ありがとう。ラジュエラ」
 流れていく血のせいで身体が冷たく感じるのだけれど、もっと熱のある何かが満ちてきた。
 戦女神の口が俺の耳に近づいて、搾り出すような声で言う。

「……全部纏めてキミの幸せに巻き込むのがキミの役目だろう……?」


 この世界で生きると決めた時に。

 俺がそう言ったんじゃないか。


 視界が虚ろになって、足元から崩れた。崩れた事を知ったのはラジュエラに抱きとめられたから。彼女は俺に見えない耳元で、言葉を続けた。

「分かっているさ。君は恐怖を飲み込んで、助けに行くと言ったんだ。
 自分が犯した責任の為に拳を受け入れたんだろう。
 勝つための強さを求めて剣を探しに動き回ったんだろう?
 優しいな、キミは。馬鹿正直者だ。そんな痛みを受け入れるような度胸があるのなら、初めから剣を取れ。
 キミの剣はたった二本で、奇跡を起こせるんだぞ」

 消えていく俺に、彼女は言葉を続ける。

「だから優しいだけのキミは嘘だ。
 それは我が殺しておいてやろう……そして、最後にキミがもう一つ強くなる方法を教えよう」

 最後の言葉を聞いて、耳鳴りのような高い音が全てを飲み込んだかと思うとフッと音が消えた。
 世界が消える。
 心臓を貫かれて、弱虫な誰かが死んだ。

 戦女神は、口を紡いでただ憂いを帯びた目が何も無い世界の空を見上げた。





『ようこそ神々の祭壇へ。私加護神メービィがもてなさせていただきます』

 ぼうっと見上げていた天井は赤い。痛みの余韻と柔らかい絨毯の感触があって眠りから覚めたみたいにさっきの死は嘘になった。
 こちらに近づいてくるメービィの気配を感じて両手に力を入れて上半身を起こした。両手でペタペタと傷のあった場所を触ってみてもやはり何もない。耳に触れてさっき最後に聞いた言葉を思い起こす。あれは、本気だったんだろうか。あの人が嘘なんて吐かないとは思うんだけど。

『コウキ?』
 俺のすぐ近くに見慣れた顔の彼女が立っていて、俺の行動に首を傾げていた。
「あ、いやーっ死んだ死んだ! ははは! おはよメービィ!」
 慌てていつも通りに笑った。
『コウキ、あまり死を笑う物ではありませんよ』
 不謹慎だと言って彼女が不機嫌そうな眼で見上げる。
「あははは、いや、ホラ、反省の意味も込めて?」
『え、っと……それは貴方が貴方を嗤うというのですか?』
 メービィが難しい顔をして考え込むように手を顎に当てた。
「うん。おバカだった。
 ゴメン、メービィ。俺がやった事はメービィが俺を呼んだ一番の理由から外れてた」
 一歩下がって野球部張りの最敬礼をする。あれは身体を折りたたむのに近い。それに少しだけメービィが慌てるようにそんな事をしなくてもいいと俺の姿勢を戻させて、安堵したように笑ってから俺に言う。
『……素直ではないファーネリアにも非がありますから。
 それでも覚えていてください。貴方を嫌っているわけではないのです。
 彼女もまた、貴方と同じだけなのですよ』
「俺と同じ……?」
『ええ。いくら通じ合っているとはいえ、貴方から見た彼女は他人ですから。それは彼女から見てもそう。
 貴方と同じ恐怖に怯えているのです』
「うーん、神子とシキガミって似るの?」
『そうかもしれませんね』
「ふぅん……だからファーナも俺も弱虫なのかなぁ」
『……認めるとわたくしまで弱虫と言っているようなものではないですか。
 いささか疑問と遺憾を感じますが……まぁ間違っていませんね。わたくしもラグナロクに参加しているわけですから。弱虫なのです』
 メービィが苦笑いを浮かべる。それにつられて同じように笑った。
「ああ」
『でもわたくしに比べれば、貴方とファーネリアの方がずっと勇敢です。そんなことを気にし続けるのも貴方らしくはありません』
 それもそうだ。と思う。自分は笑ってる方が良いと他人によく言われるし自分でもその方が良いと思う。楽しいっていいことだ。

「そだね! アキとヴァンも居なくなっちゃって、ラジュエラにもボッコボコにされるしちょっとしょげてた!」
『そういえば……先ほどは、何か様子が変でしたが、何かありましたか』
 あっ、と気付いた彼女が俺の顔を覗き込む。その瞬間、ちょっとだけなんでそこに突っ込んでくるかなぁ、と苦笑いが出た。真紅の瞳が何故かずいっと一歩分近づいてきてより近くから彼女が俺を問い質す。
「えっ!? いやぁ、ちょっとほら、ラジュエラがさ……」
『ラジュエラが、どうかしましたか』
「うーん……言わなきゃだめ?」
『……お任せしますが、言って欲しいです。その、もしも、あの、あまり、近づいてくるようなら、注意もしないといけないですし、ほら……』
 もにょもにょと何かを言っていたところが聞こえなかったのだけれど、とりあえずあんまり嘘も吐きたくないので正直に言う事にした。
「ん? ……いや、あんまりいい話じゃないっていうか、物騒なんだけどさ……」
 ラジュエラは俺の師匠。鬼教官だ。そのモットーは、身を持って知れ、口は災いの元だぞ、殺す事を躊躇うな、といった所だ。修行の日々は思い返すだけで心臓が痛くなる。腕や足は何回斬り飛ばされたかもう覚えて無い。
 爽快なほど戦いを愛していると思う。俺が戦いを躊躇うと必ず怒って殺しに来る。戦女神の鏡と言うべきか、むしろ死神と言うべきなのか。どちらと言ってもあの人なら笑い飛ばすのだろう。
 そんな人が死に際に俺の鼓膜を揺らしていた声は――、囁くような。勇気を振り絞って言う願いみたいな声。普段の自信と覇気の塊のような力強い彼女の声とは似ても似つかないか弱い女性のような声だった。

『……我を殺せ、イチガミコウキ』

 それはどういう意味なのか、叶えるべき願いなのか。

前へ 次へ


Powered by NINJA TOOLS

/ メール