戦女神祭の時、母は私と一緒に歩いていた。子供の頃の話だがあまり母はその戦いを良いものだと思ってないという話をした。
戦のために服を作るなんて、とか。ちょっと怒ったみたいにぷりぷりしてた。子供の私はそれに対抗するように頬をふくらませて、かっこいいのだとか、キレイなのだとか、色々と説得を試みて仕方ないとか何とかで笑いながら撫でられた。その時の私のこだわりなんてそんなものだったからそれに誤魔化されて記憶の中に積み上げられて思い出せなくなっていた。
ただ、印象的な言葉の記憶というのはいつまでも心に残るものだ。
その時に母がはっきりと口にした『この人形祭は嫌いよ』というのは、脳裏にこびりついたみたいに思い出せた。
母は私よりもずいぶんと小さく身長は150センチの半ばである。私と彼女の差を知りたいなら三十センチ以上の物差しを持ってくる必要がある。しかし私とほぼ同じ髪質で同じ色のぐるぐると跳ねまわるブロンドの髪だ。母はもう上手いこと髪と付き合えているようだが私にはまだ難しい所がある。
母は前髪は真ん中で分け、後ろは後ろで束ねている。私は束ねると箒みたいになるのでなんとか髪を梳いてなだめるにとどまっている。
何故か目が覚めてすぐそんなことを思い出した。祭りが近づいてきているからだろうか。首を傾げて窓の外に見える小鳥のさえずりを聞いた。首をぐるりと一周させてグッと伸びをする。
私のベットは特注品で自分の体に合わせて下町の家具屋さんで買ってきたものだ。去年で百九十は超えて居たので今でも足の先に余裕のある作りのベッドで安心して寝ていられるのはいいことなんだろう。
しばらくぼーっと青空を眺めてから大きく深呼吸して朝の身支度を始めることにした。
此処数日間は近くの席になったストレーニア様と仲良くしてもらって、お互い自然に会話するようになった。私とだけでなく、彼女がクラスに溶けこんできた。それに乗っかるような形だが私も他の人との会話が増えてきた。というのもかなり彼女に気を使って貰って色んな人と仲良くしている。さすが社交性を求められる貴族に生まれた人だ。まぁ本人の寛容さや気遣いから皆が慕っている感じなのだけれど。
クラスの人達と一通り仲良くなって、彼女と私はまた席を変わった。外から見えると訪ねてくる人が多いから皆気を張ることになる。私が壁役になって見えなくなってから休憩中の客足は少なくなった。そしてクラス中の人達から窓口役と認識された。お店の応対がこんなにも役に立つ日が来るとは思ってもみなかった。
そんな一週間を終えて一日の休日が挟まる。そんな日でも私も母も仕事だ。この業界は毎日が忙しい。いつも物量が多く午後からはお店を閉めて作業を行う事になっている。
「な、直せませんか!?」
「うーんそうですねぇ……。フィー、ちょっといいかしら!」
「はーい。ちょっとまってくださーい」
作業室で作業に没頭する私に声がかかる。
手元の作業をキリの良い所まで終わらせてパタパタと作業場から出て行く。
「いらっしゃいませー。何でしょう店長」
親子とはいえお店でお母さんお母さんと言われると締まらないということで、基本的には店長と呼ぶ。私達が親子だと知っているのは懇意にしてもらっているお得意様ぐらいだ。
此処に訪れるのが初めてか、店番をしている私を見てない人はここで初めて私を見て驚く事になる。
そのひとも例外じゃなく私を見てちょっとだけ唖然とした表情を見せた。それに気づかないふりをして店長の表情をしている母を見る。
「これ、急ぎで直して欲しいんだそうよ」
「そ、袖が丸ごと無いじゃないですか……」
お母さんが私に見せたのは左腕部分が丸ごと破けて無くなっている赤いコートだった。深めの赤い生地を黒糸で仕付けたもので着こなすには勇気が要りそうだ。見たところ男物で持ってきている赤茶色の髪をしたお姉さんのものでは無さそうだ。
「最近凶暴なモンスターが暴れてるんですよ。
結構群れになってる狼のモンスターで、もうみんな噛み付かれちゃって服ボロボロなんです」
そう言えばビックスさんもそんなことを言っていた。人を見るとやたらと噛み付いてくるのか。これは本当に夜は外を歩かないようにした方がいいだろう。
「そうだったんですか」
「でもちょっとその数を減らす目処が立ったので、もうちょっとしたら安全にできると思いますよ」
「傭兵の方ですか?」
「いえ、冒険者<アドバンズ>の方ですよ。似たようなものですけどね。
私達のパーティがモンスターが増えてる元凶を見つけて来たんです」
昼の空は快晴で、モンスターだのなんだのというものが迫っているという危機感はこの街に広がってはいない。街には一度も入られていないのが現状だ。
それにこのお店の場所はちょっと山側で小高い場所にある。これ以上高い場所は貴族様方御用達の別荘などが立ち並んでいる。使用人用のエプロンや手袋が良く売れる。維持は質素倹約に尽くしている家も結構多い。なのでこんな小さな中古服屋でも結構利用してくれる人がいるのだ。
健康的な雰囲気の女性はこの服がパーティーのリーダーの目印だからどうしても直したいのだと笑う。確かにコレは目立つ。
「ええと、直せますよ。丁度色の近い布地がありますし、キレイに使われているのであまり目立たないかと。
右袖も揃えたほうが見栄えはいいと思いますけど」
「ついでにポケットも増やしたいって言ってました」
「男の人ってポケット多い服好きですよね。ポケットを増やすのも受けていますよ。
大体急ぎで二時間ぐらいで終わります」
「え!?」
「あ、遅いですか?」
「い、いえ、遅くないです。早くてびっくりしました。よろしくお願いします」
「他に注文はありますか?」
「あ、袖口のスリットも要らないって言ってました」
「じゃあこれも無くして折り返しのところはボタンで留めるようにしましょう。
ちょうどこちらのコートみたいな形で――」
お姉さんと熱を入れてこうしようああしようと色々決めていく。このコートに魔改造をすることが決まったのはそこから十分もたっぷり話込んでからだ。
時間は全箇所の見積もりをして再度決めた。大体二時間と少しはかかるだろう。
速達で割高なのにパッとそれを払ってその人は去っていった。あとで本人を連れて取りに来るそうだ。その姿を見送って私は作業室に入った。
同系統の色の布はある。新しいものは流石に色合いが合わなすぎるが、使い込んでいる割に色落ちがそんなに見られない。繕った後も随所に見られ、丁寧に使っているんだなぁと感心する。襟元もかっこ悪くなっている箇所は取り替えて欲しいと言われたので早速右袖と襟の分解にとりかかった。
右袖を分解して型を取る。コレで右袖のサイズを間違える事はない。
肩の部分からバッサリ切り取ってこれも型を取ってポケット用の素材に回す。肩から袖の部分まで一気に作りなおすと決めたのだ。色の差の繋ぎ目を気にする人が居るかもという話をしたのでそれが気にならないようにする為の作業だ。繋ぎ目部分に当たる胸下を黒い布で飾り付ける。こうすることで飾りが色の区切り目になって大きな色の差がなければ気づかれないだろう。
肩部分を先に作りきって黒糸で繋ぎ始める。頑丈になるように二重に糸を仕付けて行く。胸元から背中にかけての黒い縫い目の上から飾りの生地を縫い付ける。そこで折り返しの袖部分と、別に注文は受けていないがコートの裾も同じように黒布で飾ることにする。
このコートの主は黒髪黒目のとても元気な男性らしい。恋人さんですか、と聞いたらしどろもどろしだしたので多分好意を抱いている人には違いないのだろう。雰囲気は素朴な感じだったけれど、気立てが良くて美人だ。ああいう人になりたい。惚れられている人も相当格好いい人なんだろう。
大方仕上がった時に袖のボタンの色で悩んだ。金属製のものを使うか、それとも黒ボタンにするか。センスを褒めてもらって細部はお任せという言葉を貰っているのであまり冒険をしすぎないほうがいいかもしれない。
顔を上げるともうすぐ二時間が過ぎようとしていた。
黒いいインナーのマネキンに着つけてみて、確認を行う。
ちょっと改造が過ぎたような気がするので仕上げは店長と一緒に見た方がいいか、と思って呼びに行く。
「店長ちょっと見てもらっていいですか」
「あ、はいはい。ちょっと待ってね」
丁度人が途切れたらしく、今日の伝票の整理をしていた母はその整理を手早く終わらせるとカウンターに呼び鈴を置いて立ち上がる。
作業室に行くとあら、と面白そうに笑ってくるくるとマネキンの周りを回った。
「いいじゃない。コレなら継ぎ接ぎだって怒られないと思うわ。殆ど新しく作ったようなものじゃない」
「あと袖に付けるボタンなんだけど、どの色を使おうか迷っちゃって」
「そうね、冒険者の方みたいだし、光物はやめた方がいいわ」
「あぁ、そっか」
光物は遠くから敵にバレる恐れがある。冒険者の多くは鉄製でも塗装が施された物を使うし、ツヤのあるものはつや消しをわざわざ使用していたりする。鳥系のモンスターが寄ってきて余計な苦労をするらしい。
そんな事情をビックスさんから聞いてそうなんだ、と感心した。色々と苦労するようである。
私は袖に黒色のボタンをすることに決めて片側に三つずつ縫い込んだ。飾りでなくて実用でいくのならここのボタンは服に使われているボタンと同じにしておくといざというときの変えになる。
そんな思惑に気づいてくれるかは定かではないが飾り付けとしても十分見えるものになっていると思う。
仕上がりを一緒に確認して、解れを切ったりして完成した。それを母がマネキンから外してお店のカウンター裏の保管場所に持っていくのを見送る。私は此処で元の作業を続行だ。
続きの作業を終えて、次の作業に手を出そうかというところでまたお店の方から声が掛かる。
それに応じてまたテクテクと作業場から歩いて行くと先ほどのお姉さんと目があった。
「あ、いらっしゃいませ」
「ありがとう店員さん、なんだか凄く良くしてもらったみたいで」
そういう彼女の隣には真っ赤な服を来た黒髪の女性が立っていた。
年頃は私と同じか少し上ぐらいだろうか。いや、並べば必ず私が年上扱いされるだろうが其処は雰囲気だ。丸顔で可愛く、身長は母と同じぐらい。人の目を引く黒髪とブラウンの瞳が私を見上げた。
うわぁ、かわいい。
そういう感想を素直に抱いた。同じ女性の私でもドキドキする可憐な顔立ち。私をみてふっと視線に笑顔になる。真っ直ぐな瞳とふっくらとした艶のある唇。黒くてサラサラな髪に健康そうな肌色をしている。
理想的な女性だと思った。こんな人になりたかった。私のコンプレックスを全て解消したような人が母と並んで握手をしている。なんだこの可愛い空間は。
そんな驚きが顔に出ていたにも関わらずその人は輝くような笑みをこちらに向けてそう言った。
「ありがとう! コレ作ってくれたんだって!?」
「え、えぇ」
あぁ、元気のいいという言葉通りの人だ。握手を求められたので恐る恐る握り返すとぶんぶん上下に振られた。私なんか軽く振り回されてしまいそうな力を感じた。
「あんまりやると失礼ですよ」
「あ、ごめん。
ポケットも増えたし! なんか高級感出たし、俺的には大満足!
これならファーナに継ぎ目が気になるとか言って怒られないと思うしな……うんうん」
何かしたり顔でうんうん頷いている。きっとそういうのにこだわる人が居るのだろう。それはそれで分からなくもない話だ。
自分を呼ぶときの言葉が男っぽいけど、間違いなくこの人は女性のはずだ。それは体型と顔ですぐにわかる。
小さい割に発育が良いようだから男物で体の線を隠しているのだろうか。こういうアクティブな人はむしろ出していくスタイルになる人が多いのだけれど。ちょっと不思議な感じだが親近感を覚えた。
「というかホント凄いなぁ本職の人って。俺の継ぎ接ぎ何処に行ったんだ?」
「ええと……まず袖は別の生地から作り直しています。近い色の生地で別の服の裾や背中で――……継ぎ接ぎの多かった場所は一緒に切って――……」
私の説明に服を眺めながら感嘆の声を上げる赤い人。目がキラキラしている。本当に可愛いなぁ。
純粋に感心してくれているようで凄い凄いと繰り返されると照れてくる。そろそろいつもの緊張グセが出そうな所で母からの助け舟が来た。
「パーティのリーダーさんでしたね。
冒険者さんは男性の方が多いから大変でしょう。
それでもリーダーだなんて凄いと思いますよ」
母が言うとその人は頭を掻いてどうかなと笑う。アキさんも何か思う所があるようでちょっと困ったような笑みをしていた。
それでも男勝りな笑みを作ってグッと拳を作ると私にウィンクしてみせた。
「まぁ、今をときめく狼退治のリーダーなのは違いないよ。
ギルマスによくちゃんとしろって怒られるんだよね。
今後も来ることになると思うんでよろしく!」
「は、はい」
こ、この人すごいグイグイくる。私の半分ぐらいにみえるのに。それになのに何故か威圧感で押し負ける私。大抵の人には身長差だけでかなり押しこむ形になるのだけれど。こういう人はビックスさんに続いて二人目かもしれない。
そんな彼をアキさんが笑顔で首根を捕まえて引っ張っていく。あ、何か犬っぽい。
そう、小型の犬だ。口には出さなかったけれどそんな感想を抱く。いいお姉さん達だ。
「では、ありがとうございました」
「あ、何か困ったことがあったらギルド『赤い奇跡』のユキナまで! 三番街のブーフの宿が拠点だからー!」
赤い奇跡の話は私も噂程度には聞いている。確か最近この辺りを拠点にしているギルドで、ギルド自体が何か事業をやっているらしい。
詳しいことは覚えていない。まさかこんな所で会うことになろうとは。
去り際もぶんぶん手を振って本当に元気な人だ。私達は唖然としながら小さく手を振り返して二人が見えなくなってから顔を見合わせえてからクスクスと笑った。
私の身長をものともしない。そんな人も居るんだなぁ。
「あんたもアレぐらい勢い良くなればいいのに」
「む、無理だよぅ……ああいう人は地が明るいんだって」
ああいう強い人と比べられても困る。私は体ばかり大きくなって気の大きさなんて猫といい勝負だ。そう言ったのは他の誰でもない母である彼女である。
でも少しずつ変わりつつ有る私へのアドバイスか何かなのかもしれない。こう見えて母は意外と細かい所を見ている。
私は午後の店じまいの手伝いをして昼食を作り始める。今日は唐揚げとサラダにパンを添えて手早く済ませると二人で午後の作業に従事することにした。
夕飯の買い出しに出て山の谷間で日が沈むのが早いこの土地の夕日を見る。すぐに山の陰に覆われて夜の帳を感じるようになるだろう。
二番街の大通りからはちょっと外れたところにある家から少し歩いて三番街の商店通りで買い物を済ませた。人が多い場所では見る場所の多さから私が目立つことはあまり無い。ただお店の人達にはやはり人の後ろから話しかけて来る私は大いに目立つようで大抵の人には覚えられてしまった。荷物を籠に入れて野菜をおまけしてくれたおばあさんにお礼を言って去った後、その人の多い通りから二つ抜けて静かな通りを歩く。
作業はテンション高く一気に終わらせてしまって、ちょっと褒められてこれだなんてと母に呆れられながら今日の作業は終了した。その恥ずかしさ余って今日の買い物を受け持った次第である。どうせ母が食事の当番なのでどのみち行く事にはなっただろうけれど。
「はぁ……またなにもしないまま今日が終わってしまう……」
独り言をゴチてみても私がピンチの状況は変わっていない。
トボトボと歩いていると後ろから声を掛けられた。
「……おい……お前。そこのデカ女」
「ぴぃ!?」
怒気をはらんだ声に驚いて慌てて振り向く。
そこにはあからさまに怪しいフードを被った男性が立っていて更に驚く。
フードの内側にはキラリと光る刃物が見えた。
思わず息を飲む。声すら出せなかった。
「ストレーニア卿に近づくな。死にたくなければ学校を辞めろ」
体が大きくても、それを使う心が揃わなければいけないのだ。
武術を習うこともせず、ただ手元の仕事に従事した私には布の束を持ち上げる程度の力しかない。それは小さい冒険者である彼女に握手で力負けしたというので分かる話だ。
その人は私の首を掴むと建物に押し付けた。頭ひとつ分私のほうが大きいが、結局男の人の前では私はそんなものだった。
荷物を放り出して私は首元に手をやるがその手が岩のように固く、全く離れない。
黒いローブの下から出てきた手は黒い手袋に赤い蠍の刺繍がされていた。
「あ、がっ……な、なん、で……!?」
「拒否権は無いぞ。断れば店が燃える。それだけだ」
「ま、まって、なんで!? わ、私達が! な、何をしたっていうんですか!? うぐっ……!」
グッと締めあげられて言葉がでなくなる。
死ぬかもしれない。怖い……!
誰か助けて、と叫びたい。けれどそれは強く喉を抑えられて出なかった。
「知るか……。こっちもくだらん事に巻き込まれて腹立ってるんだ。
いいか3日以内に辞めろ。でなければ殺す。この事を誰かに他言しても殺す。以上だ」
それだけ言ってコンと、踵を鳴らした。
すると建物の影に溶けるようにその人は消えていく。
突然首を支えていたものが無くなって落ちるように開放された。
咽るように咳き込んで、喉を抑えながら辺りを見回す。涙目になってよく見えなかったけれど、喧騒はいつも通り聞こえて来ていつの間にか人通りも疎らに戻ってきていた。
大丈夫か、と手を差し出してきた男性が怖くて籠を拾って一目散に走り帰った。
次の日、私は学校を辞めた。
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