きっとコレでよかったのだろう。踏ん切りがつかなかったが私はあっさりと諦めることになった。
母にも辞めることを言った。私がいいのならいいんだそうだ。そう言っていつも通りに仕事をしている。嘘を付いている事は、多分バレているが聞いてはこなかった。それはとても助かった。聞かれても何も言えないのだから。
二日間は何事も無く進み、三日目に突然その人が現れた。
「御機嫌よう、コーカットさん」
「ぴぃっ、こ、こここんにちはストレーニア様……!?
こんな所に、お一人で……!?」
日傘を差して、その影にいても彼女には少し暑い気候なのかもしれない。伯爵令嬢がこんな所で一人でうろうろ出来るわけが無い。それでも彼女は一人のように見える。
先日の件もある。多分危ないのは私だけではない。
「あ、危ないですよぅ、治安はいい方ですけど……その最近は物騒だって言いますし」
「いえ、流石にそれはありません。馬車がそこの角に控えています」
「そうでしたか……。あの、私に何か御用でしょうか?」
「単刀直入に聞きます。貴女は何故学園を辞めたのでしょうか」
真摯な表情で私に問う彼女の瞳が、私に偽ることを考えさせない。
それでも彼女にその原因をいうことは出来ない。
「……私は、元々成績が悪かったんです。進級が出来ないだろうから辞めるように勧められていました」
「……その勧告に従ったと」
「……はい……私には、勉強の才能は無かったようです」
私がバツが悪そうに笑うと、少し口を噤んで彼女が瞳を上げた。
「貴女の成績は悪くありません。進級は可能な筈なのです」
「え? でも、私のテストはいつも60点未満ですよ」
「あの学校のあのクラスの平均は50点程度ですよ。
貴女は不当な扱いを受けているだけです。
恐らく気弱な貴女が親に泣きついて、交渉に来た所で高めの授業料でもせびるつもりだったのでしょうね」
「そ、そんな……そう、でしたか……」
最近の男性不信が加速しそうだ。怒りよりも悲しみが大きい。
私は強い人間ではないからそこに漬け込まれたのだろう。
「それを鑑みると、貴女の偉いところはダメだと分かった時にきっぱり辞めたことです。
でもそれだと貴女が3ヶ月頑張った理由が分からないんです。
商売人の一人ではありますけれどやはり平民です。あの学校に通うにはそれなりの努力をしているはず。
親の納得を貰って、気弱ながらも頑張って。成績もいいし、性格も悪くない。
恐らくあのクラスで一番知識も技術も有る貴女が、何故辞めていったのでしょうか」
「あ、が、学内テストのチームを組んで居なくて……」
「貴女だけ組んで居なかったのですか?」
「は、はい……」
「チームを組めない人は先生に斡旋してもらう事も出来たのでは?」
「そ、相談はしましたが……」
「なるほど……」
顎に手を当てて考えこむストレーニア様。
なんだかそわそわする。ちょっとずつ解き明かされていっている。
「ま、まぁ、馴染まなかったものは、仕方ありません。
クラスでも浮いてしまっていましたし」
「貴女の場合、別に本気で嫌われて浮いてしまって居たわけでは無いようです。
教師は罰する必要がありますね……。
他に何かありませんでしたか」
「な、何も、ない、です……」
「……嘘がつけないならせめて真摯に言える言葉を選んだほうが良いですよ」
少し悲しそうな影が落ちた瞳でストレーニア様が言う。
確かに嘘は下手だ。すぐ顔に出るし言葉が詰まる。
申し訳なく思う気持ちが沸き上がってきて、情けない気分になりながら頭を下げた。
「あの……すみません、ストレーニア様。私にも言えない事があります」
「どうしてもですか」
「はい」
「……私が原因では無いのですか」
「わかりません」
「……そうですか……。
すみません、お仕事中に失礼致しました」
「あ、いいえ。こちらこそわざわざご足労頂き有難うございました。
……あっ」
彼女よりも深い礼をして顔を上げると、こちらを睨む人影に気づいた。
思わず息を飲んだがスッと顔を逸らして雑踏に消えていった。極普通の通行人に扮していたがずっと声が聞こえる場所に居たのだろう。背筋に冷たい汗が流れたが、居なくなったということは大丈夫だということだろう。
それでも彼女にはすぐに帰ってもらう方が良さそうだ。
「どうかしましたか」
「ぴっ、い、いえ。あ、あの。馬車まで見送ります」
彼女を送って、その馬車が遠のくまで見送る。
きっと彼女の周りでの変化があったのだろう。思ったよりも行動力の有る人だ。
最後まで私に気を使ってくれて、何かあったら言いに来てくれと言ってくれた。
それには少しだけ安心感を覚える。彼女ならば本当に力になってくれるのだろう。力関係で言えば裏側のギルドにも通じているだろうしもしかしたらあの人の話はなんとかなるかもしれない。
でも言いつけて逆恨みを買ったりすると結局誰かが被害を受ける羽目になる。それを一番受けることに成るのはやっぱり私達でしか無い。
力の無い者は、どうしても行き詰まる事がある。特に女二人で生きている私達は。
何にせよストレーニア様にはどうあっても相談できないだろう。彼女自身が見張られている可能性もある。
最後に深く頭を下げてお店に戻る。
店の前にあの人の姿は見えない。
それでも薄気味悪さと、視線が残っているような気がして寒気がした。
この世界には色んな人が居るらしい。
騎士から王様になった人。勇者と呼ばれる獣。竜と呼ばれる人。空から落ちてくる異世界英雄。そんな英雄譚がいくつも物語として本になって、吟遊詩人が歌っている。
世界は広すぎて、何が確かな情報かは分からないが物語を楽しむ以上に感じる事はできない。
当人たちが居て、その力を垣間見て人は初めて信じるということをするのだ。
世界はきっと虹色なのだろう。
私が見ている藍色の世界とは何かが違う。
恐怖の感情は、日々を暗くする。
強い人間になれればどれだけいいことだろう。
私はいつも通り買い物に出かけた。
買い物に出るのは怖かったが、何故を問われるのがもっと怖い。
いつもの元気が無いと売り場のおばさん達にも心配されて、大丈夫だとから笑いした。笑っているとその瞬間だけは元気になれるような気がする。
帰り道になるとどうしても足がすくむ。
大通りを通るようにしているがそれでも振り返るのが怖いと思うことがある。疑心暗鬼になりすぎている。
人の波を水流のように感じて足が進まない。頭ひとつ飛び抜けた私の世界はこんなに濁っていただろうか。
「どうしたんですか? 服屋のお姉さん」
流れの中から飛び出てきた魚みたいに思えた。
いつの間にか私の前にいて、流れを割いているのはその人になっていた。
赤いコートに黒髪の、人懐っこい笑みを浮かべる女性。髪型は無造作に風に流れるままになっていてボサボサだ。それでも育ちの良さというか、肌がキレイで気づけば目を引かれてしまうような人だ。
ポケットに手を突っ込んで道の真中に立っていて、立ち振舞だと男の子を思わせる。身長はあまり高いとは言えないがとても存在感がある。
異国の少女は私を見上げて大きな目を瞬く。
「あ、あの……」
「お姉さんでっかくて分かりやすいよね。
あ、そうだっこの間のお礼に宿の新作デザート奢るよ!」
「お、お礼って……? あ、あの、私何もしてないですけど」
「このコート着てて良しになったんだよ。
買い直すよりずっと安く作業してくれたし!」
手を取られた私はずんずんその人に引かれて大通りから二つ道を外れる。そう言えば三番街に宿を取っていると言っていたなぁ、と思い出す。
頼ってくれと言ったけれど……と思いながら腰元に見える二つの剣を見る。使い込まれたであろう剣が見える。何となく重厚感が有るということは良い剣なのだろう。掴まれている手も少し固い。やっぱり剣を振って生きている人の手だ。
「たっだいまー!」
「おう、お帰りユキナ」
宿屋の扉をくぐるとすぐ食事用のホールだった。お昼時もとっくに過ぎているので人は疎らでカウンター席に三人程座って寛いでいる人がいた。
そのうちの一人が手を上げてユキナという名前のこの女性に挨拶をする。短髪黒髪の男性で少し眠たそうだった。
もう一人はこちらに背を向けていて分からなかったが、金色の髪の女性。もう一人はお店に来て居た赤茶髪のお姉さんだった。
「お帰りなさい、って服屋のお姉さんじゃないですか」
「ど、どうも」
「大通りで見つけちゃった。ぼーっとしてたからパフェ食べてもらおうと思って!」
「えぇ……だ、大丈夫ですか? 時間とか予定とか……って見るからに買い物の途中じゃないですかっ」
「てへっ」
「中身を知ってると腹立つな」
このユキナという人はお茶目な人らしい。
アキと呼ばれた人が近寄ってきて、ボサボサの髪を直し始める。彼女の口ぶりから、この男勝りな人はこういうのは無頓着な性格のようだ。
「あ、あの、時間は少しなら……」
帰って夕食を作らなければいけない。ので日が暮れるまでの間であるならば。
ああ、でも日が暮れると夜道が怖いし……。
「大丈夫だって、ちょっとお茶するだけ。試作パフェの現地審査員だよ。ね!
荷物とお姉さんは俺が送るからさ!」
ほ、本当に元気だなぁ。勢いがある人はなんだか強そうに感じる。
最近男性不信気味であるし、強い女性に送ってもらえるのは正直うれしいかもしれない。
先ほど感じた不安はもういつの間にか消えていて、目の前の状況に戸惑う私はその三人の席まで連れて行かれると金髪の人の正面に座るように勧められた。
金色の髪に、真紅の瞳。透き通る肌に華奢な肩。
美しさに見入って言葉を失ってしまった。私が混乱しているのをよそに、赤い服の女性、ユキナさんから紹介が始まった。
「まず俺がユキナ。冒険者そのいち!
赤茶髪のお姉さんがアキ! もう会ってるよね。
短髪の奴がタケ! 金髪の美人がファーナ!
俺達此処を拠点にして色々やってんだ。
昨日狼の件が片付いたから今日は休養日って事でさ」
元気にそう言い切るユキナさんに、ファーナと呼ばれた人が溜息をつく。
そして私に向き直ると小さく頭を下げた。
「ユキナが強引に連れてきてしまったようで申し訳ありませんね」
それは初めてストレーニア様を見た時よりも衝撃的だったかもしれない。
「ぴぃっ、い、いえっ、その、だ、大丈夫、です」
「緊張なさらないでください。私はファーネリア。皆にはファーナと呼ばれています。貴方もそう呼んでくださいね」
「は、はいっ! わ、わっ私はフィーフィー・コーカット、ですっ。その一介の中古服屋の娘ですっ。私なんかが座ってすみませんっ」
「いえ……私は冒険者ですし。そんなに固くならなくても大丈夫ですよ?」
少し困ったように笑って首を傾げるファーナさん。
動作一つをとっても可憐で嫉妬もできないぐらいである。
とうかその対応自体が最近受けた物と重なって申し訳ない気分になってきた。
「ファーナの言うとおり楽にしててよ。
じゃあ俺パフェ作ってくる!」
「えっ、あの、ユキナ、さんが作るんですか」
「そうだよ。まぁフルーツもここいらで買える安い奴買ってきたし!
まぁ期待してていいよっ」
にこっと笑うとポンポン腰に下がるバッグを叩いてみせた。大通りに居たのは買い物をしに行っていたようだ。
ユキナさんはそのまま宿の裏側へと行ってしまう。
待っている間はアキさんが取り持ってくれて、少しずつその三人と仲良くなる。
気さくでいい人達だった。上がり症なことを上がりながら説明すると、無理はしなくていいといってくれた。
歳は近いらしく、この辺りに来たのもひと月程前との事だ。それでも結構難題だった依頼を片付けて居るらしく、町の人達の覚えはいいようだ。特にユキナさんが目立ってしまうらしいがあの風貌にあの性格ならば仕方ないと思う。どう考えても目立たない方が無理な話である。
その眩しい物語の一端を聞くだけで心が踊る。いい仲間といい冒険をしているんだなぁと思えた。
「おまたせ〜」
そう聞いているだけでも楽しい話に頷いているとその声が聞こた。
清潔な格好に着替えて髪を括ったユキナさんが、ガラスの杯にいっぱいに盛られたクリームとその間に垣間見えるフルーツ、スポンジ生地の層が出来た食べ物を運んできた。
「こ、これが……パフェ、ですか?」
「そう。ここいらで良く売ってる果物使ってみたんだ。食べて感想教えてほしいなぁ」
自分の元に一つ、アキさんとファーナさんの所にも一つずつ。
タケさんのところにはコーヒーが運ばれてきた。聞くと甘いモノが苦手なんだそうだ。
どうやって食べるんだろう、とちょっとだけ周りを見る。アキさんとファーナさんはスプーンでクリームを救ったり、焼き菓子で掬って食べたりしていた。
見よう見まねでスプーンを手にとって恐る恐るクリームを掬う。白いしっかりとしたクリームがスプーンの上に乗って少し溶けていた。
思い切って口の中に入れると、ふわりと溶けて甘い味が広がる。思わず唸ってしまう程まろやかな味が口の中に広がった。
「お、美味しい……っ」
感動した。最近悩んでいたことが一瞬頭から消えるぐらい美味しかった。
そこからは焼き菓子で掬って食べ、スポンジ生地を切り崩し、新鮮なフルーツを食べ。
いつの間にか大きいかもしれないと思っていた杯は空になっていた。
「はぅ……、美味しかった……」
夢中で食べてしまった。こんなに美味しいものがあったのか。
というかこんなの食べさせて貰っても払えるお金は無いのだが大丈夫なのだろうかと今更変な所で冷や汗が出る。
「食後のお茶だよー。どうだったみんな?」
「あ、あのう。私あまり持ち合わせが無いんですが」
「え? あぁ、最初に言ったけど奢りだよ。気にしないで。試作品だし。
売るとしたらバターがまだ高いからなぁ。ちょっと値が張っちゃうんだよね」
「ユキナさんからいい匂いがする」
アキさんがユキナさんに顔を寄せる。確かに何かを焼いて居たいい匂いがする。
「厨房にいたからね。さて、ぺろりとたらい上げてくれた皆。何が一番良かった?」
「わたし、クリームもいいんですけど冷たいクッキーが良かったと思います」
「確かに、あの生地は良かったですね。私はクリームと氷の破片も良いと思いました」
アキさんとファーナさんはそれぞれ思った所を口にして居る。順番的に自分だったので急いでさっきの味を思い出す。
層になっていて飽きることもなく、ずっと美味しく食べれていた。
「えぇっと、私は全部美味しかった、と思います。
あの、すみません……こんなので」
「いや、此処にずっと住んでる人に美味しいって言ってもらえるならいずれお店にも出せると思うし。ありがとね」
その人の笑顔に釣られて私も笑う。
それからちょっとの間みんなで談笑をした。私は殆ど笑っていただけだけれど不思議と居づらい空間ではなかった。
ユキナさんとのやり取りのお陰だろう。タケさんという見た目はゴツイ怖そうな人でも、お互い叩き合うような会話をして和ませてくれた。
「時間大丈夫? そろそろ送っていったほうが良い?」
「えっと、はい。そろそろ帰らないと、母が心配しますので」
すっかり長居してしまった。人見知りな私にはかなり珍しい。
気を使ってもらって悪い気がしつつも、心配ごとの一つではあったので素直にその厚意を受け入れた。
エプロンを外して出てきたユキナさんを捕まえてアキさんが髪を束ねる。恐らくさっきのように髪をボサボサにさせないためだろう。髪質が重い私はあまりそういうことに悩まされる事は少ない。
パッとその作業を終えて皆に一礼をしてからユキナさんと共に私は宿を去る。
またね、と言われたのがちょっとだけ心に引っかかる。
お客さんにあまり入れ込んではいけないと、母はよく言う。だからこそビックスさんとはそういう距離にならない。
一つ正論ではあると思うのだけれど、やっぱり私は再婚を考えて欲しいとも思う。もし私が居なくなっても、守ってくれる人がいるというのは安心できる事なのだから。
隣をぽんぽん跳ねるように歩いていたユキナさんが何かに気づいて急に足を止める。お腹辺りをピタリと抑えられて「ぴぃ!?」とへんな声を出しながら歩みを止めた。
目の前にはいつの間にか、私の恐怖の根源が立っていた。
/ メール