フードを深く被った痩身の男がふらっと目の前に現れた。得体の知れない怖さから声をひきつらせて身を引いた。
 そんな私の前に赤い服の女性が小さな体で堂々と立ちはだかって剣呑な雰囲気のまま対峙した。

「術者か? なんでこの子を狙ってるんだ」
「……忠告だ冒険者。そいつに近づくな」
「こいつ何なんだ?」
「わ、わかりません……」

 私の怯え様をみて、ユキナさんは鼻息荒く振り返る。
 そんな彼女を指さして淡々とその人は言う。

「警告を無視する場合殺す」
「ふん。やれるもんならやってみろ!
 こうやって人よけして女の子襲うなんてサイテーだ! 変態!」
「……殺す」

 煽られたからなのかどうかは分からないが、明確な殺意のある言葉が飛んできた。そしてナイフを閃かしてすぐ真っ直ぐ投擲してくる。私は何も出来ずにその光景だけを見ていた。
 カンカンッと二度金属音を響かせてそれを弾くと、飛ばされたナイフみたいな速度でユキナさんがかけ出した。
 それに驚いて変な声を上げながら尻もちをついた。

 ズレた眼鏡を直して次に目をあけて、飛び込んできた光景に更に言葉を失う。
 私より小さな体のその人が、自分よりはるかに大きな男性を圧倒している。
 二本の剣は真っ白で羽のように見える。相手に息をつかせる暇もないもう攻撃が、彼女の全身を使って放たれている。
 振り下ろされたと思ったらすぐに蹴り、更に切り払い。重心移動直後に踏み込みからの柄殴り。とにかく全ての攻撃が速く、一瞬で圧倒してみせた。
 家に押し付けられて首元に楔を打たれるように剣がつきつけられる。ユキナさんも右腕を深々と切り裂かれていて、全くの油断も出来ない状況だ。

「なんでこの子に付きまとってる」
「……ぐ……! 冒険者風情が……!」

 ザグッと壁に張り付けられた手に剣が刺さる。私も思わず目をそらした。男は耐えているような雰囲気だったが声は出さなかった。

「聞いてることに答えろ」

 さっきまでのユキナさんからは考えられないほど冷たい声がする。
 もうここから逃げ出したい。ジリジリと下がれるところまで下がっていく。
 冒険者なのだからやっぱりああいう厳しさというか、怖さというか、強さを持ってないとやっていけないんだろう。私が持ちあわせて居ないものである。
 でもあんなのは要らない。怖いし、痛そうだ。本当に怖い。帰りたい。

 なんでこんな目に会うんだろう。ちょっと背は大きいけど、別に悪いことはしないし純粋に服を修繕して売ってを繰り返しているだけの普通の町娘だというのに。
 そんな世界とは無縁、というわけではないが遠い存在だったはずだ。
 このさい何故はどうでもいい。私に付きまとわないで欲しい。もう彼の言い分は果たしたのになんでこんな目に会うんだろう。
 目を閉じて耳をふさいでポロポロ溢れるままに涙を流す。

「フィーちゃん? おーい」

 道の端でブルブルしていた私に突然声が振りかかる。
 さっきまでの剣幕は何処へ言ったのか、心配そうに私を見るユキナさんが覗きこんできていた。

「ぴぃ!」
「わっそんなビビんなくても。
 もう終わったよ。あいつそこで伸びてるよ」
「もも、もう、大丈夫なんですか?」
「ああ。とっとと自警団に突き出そう」

 彼女が指差す先を見るともんどり打って倒れている男が後ろ手に縛られている。とりあえず近くの詰め所まで二人で走ってユキナさんが怪我して襲われた事を訴える。
 男を回収して、手枷がより強固なものに変えられる。応急処置を施してから殺人の未遂で尋問を受けることになった。私達への質問はすぐに終わった。自警団の人はよくウチを使ってくれるおじさんで、私の味方だった事が幸いしたようだ。こんなことがあったらすぐに相談しろと言ってくれた。小さな繋がりに助けられて少しほっとする。今日から見回りも強化してくれるらしい。女所帯の私達には嬉しい話である。

 それでもやっと家路に付いた時には日が暮れていた。すっかり暗くなった道を遠い間隔の街灯を照らしている。
 お母さんが心配するだろうからと足早に家路を歩いた。

「結局あんまり分からなかったんだよね。あいつしゃべんなかったし。
 肩の所に鳥と虎みたいなタトゥーがあるだけでほかは何にも分かんなかった。
 なんか心当たりない?」
「いえ……。一週間ちょっと前に私の前に現れて、一度脅されたんです」
「なんて言われたの?」
「学校を辞めろって言われたんです」
「学校? なんで?」
「わ、わかりません……学校からは元々あまり良く思われてなかったみたいで……私も辛いと思っていた所があったのですぐに辞めたんです。
 母に負担を掛けないためにもそれが一番だというのもありましたし」
「まぁあんなすぐ殺すマンに言われりゃ普通はそうだよな。
 もうボッコボコにしとけばよかった!」

 そういって、拳をシュッシュッと突き出す。結構ひどい目に合わせた上に捕まえたのだからもう十分だと思うけれど。この可愛さからは想像できない強さがこの人にはある。
 ああ、でもこんな人が味方なのは頼もしい限りである。

「でもよく捕まえられましたね」
「ふふん。まぁね。おっ」

 ユキナさんが可愛い動作で額に手を当てて遠くをみた。私は眼鏡をかけるほど目が悪いが暗がりの中に浮かぶ家の明かりを背に浮かぶ小さな影にハッとする。
 母は家の前に立って落ち着きなくキョロキョロとしていた。
 私を見とめると、ホッとした表情になる。

「ただいま……」
「おかえりなさい。遅かったじゃない。心配したわ……」
「その……ごめんなさい」
「……そちらの方は? あら、この間の」
「こんばんはっ! 娘さんお届けに参りましたっ」
「ありがとうございます。なにか、あったんでしょうか」
「うーん、ちょっとお嬢さんが何か変な奴に付きまとわれてたんです。
 恐らく裏ギルド系の奴ですね。何か狙われる心当たりは?」

 あまりにもさらっと言うユキナさんに私達はあっけにとられる。母はすぐに頭を回して、色々と考えるように顎に手を当てて目を細めた。

「……いえ……。うちはただの中古服屋ですので……」
「じゃあ、お客さんかもしれませんね。
 一応捕まえて自警団に引き渡しましたけど、仲間が居ないとも限りません。
 見回りが強化されるらしいですが気をつけてください」
「そうですね。重ね重ねありがとうございます」

 母の一礼を受けて、少し微笑むとユキナさんは私を見た。私はユキナさんを見下ろして、その右手に巻かれた包帯を見て少し心が痛む。私のせいで怪我をしたのにこの人は全く痛い素振りも、文句も言わなかった。怪我もしていない私をずっと励ましてくれたのに私は何もしていない。

「あ、あの……」
「うん?」
「今日は、本当にすみませんでした。
 私のせいで怪我をさせてしまって……あ、服の修繕しましょうか」
「ホント? これはお願いしたいかも。折角直してもらったのにまた切っちゃったし」
「でしたら……食事もご一緒しませんか。あまり豪華なものはありませんが」
「え、でもそれは悪い気がするなぁ」

 母がいう言葉をユキナさんは困ったように笑って言う。

「悪いなんて事はないですっ、い、命の恩人ですし……」
「ふふ。自信がない予防してるだけですので大丈夫です。狭い所ですがどうぞ」

 そうこう言っているうちに母が彼女を招き入れてしまう。というか、宿で料理をつくるような人に出せる料理が作れるんだろうか。別に酷評するような人じゃないけれど、自信がない。
 食卓にしている所に招き入れてから、色々と話を初めてしまった。今日あったことは全部話してしまったようだ。この後の母の追及が少し憂鬱である。

 変に張り切って失敗しても恥ずかしいので、無難なメニューを作ろうと考える。それでも今日買ったお肉は使い切るぐらいのお礼をしてもいいと思う。うふふ、とちょっと邪悪な顔で分厚い肉の塊に切り分ける。こんなに分厚いお肉を切り分けるなんて誕生日以来だ。なんだか悪いことをしている気分になる。
 まずはじゅわっと広がる煙を楽しみながら肉を焼く。パチパチと弾ける油の音が耳に心地よい。適度なタイミングで肉を裏返して焦げ目をつけ、玉ねぎをすり下ろしてトマトの中身と醤油と一緒に炒める。本当は同時に出来るといいんだけれど、そんなにコンロの数が有るわけでもない。
 ステーキは最初の一つを作ってちょっとだけ味を確かめる。これは自分用なのでいいのだ。
 先に残しておいたトマトの皮に詰める野菜炒めを作る。トマトの肉詰めだ。温めたオーブンでちょっと焦げ目を付けて完成。その間にサラダを終わらせてしまう。
 二人分のステーキは一気にやって、簡単に野菜で飾り付けをする。
 あとは柔らかいパンとお気に入りのジャムを出して準備完了。お店の方で話し込んでいた母とユキナさんを呼びに行く。

「食事の用意が出来ましたよ」
「あっすっげぇいい匂いがする!」
「ほんとね」

 ユキナさんを食卓に案内して、座ってもらう。正面が私で隣が母だ。彼女は食事を見て目を輝かせていた。私達が祈るのをまってから、頂きます、と元気に言って食事を始めた。
 丁寧にお肉を切り崩して、満面の笑みで口に含む。そしてその可愛い顔を更に可愛いことにふるふると震わせながら唸った。

「おいしい〜!」

 その一言に私は酷く安堵したものだ。その様子に母が仕方無さそうに溜息をついていた。だって気になるじゃん。

「このトマトなぁに?」
「トマトの肉詰めです」
「わ、わっスープがっ」
「ふふ。すぷーんをどうぞ」

 彼女の食べっぷりが可愛いのと作った人冥利に尽きる。

「ユキナちゃんはいい食べっぷりねぇ」

 いつの間にか非常に仲よさげな呼び方になっている母が苦笑する。ユキナちゃん……。何となく違和感を感じなくもないがこの瞬間だけは確かに子供っぽさが際立って見える。
 いっぱいにスープを含んでいたのでもぐもぐとリスみたいな表情で振り返るユキナさんに二人で笑ってしまう。

「んん……。分かった、分かったよ。この隠し味はなんかフルーツだ。ほら、黄色くてちっちゃい!」
「コリコの実です。よく分かりましたね」
「昨日かじったんだ。市場でいっぱい積んであったから何の実か聞いてみてさ。気のいいおばちゃんが一個むいてくれたんだ」
「そうだったんですか」
「でもすごいね。醤油もこんな使いこなしてるんだ」
「元々学校で教えてる事でしたから」
「あ、学校行ってたんだ」
「こ、この間やめたんですけどね……」

 あはは、と空笑いをする。この話題はちょっとまだ心が痛む。自信作の食事の味が一瞬わからなくなる程度には動揺しながらそう答えた。

「そっか。まぁそんな浸透してるわけでも無さそうだしね学校。
 どのぐらい習ったの?」
「え、えっと……とりあえず私はひと月で教科書ひと通り……」
「え?」

 ユキナさんがびっくりした表情になる。私はテストの補習で全範囲の勉強を独自にする羽目になった。
 なので必死に詰め込んだのにあんなことになってしまった。

「教科書ってね、1年で習う範囲なんだよ。
 それをひと月って……」

 そう言うと、ユキナさんがパンを手にとって、手元のナイフで切れ目を入れる。
 私が作った肉詰めの崩れた所をそのパンに挟み込んで行く。
 すごい美味しそうだ。

「頭いいんだなぁ」

 しみじみと言っているが私は彼女の手元から目が離せなくなっていた。

「ユキナさんが美味しそうなことしてる……」
「パンに挟むのは外食の基本だしね。や、あんまりおいしそうだったからつい。
 行儀悪かった?」
「いえ、そんな事は。私もやってみようかな」

 ユキナさんの真似をしてパンに挟んでみる。
 時間が無いときはこういう食べ方もいいなぁ。
 そんな事を考えると食事の時間は思いの外平和に終わった。

「んっ。ごちそうさまでした!
 美味しかったよー。今日はいい夢が見れそうだ。
 俺はフィーちゃんと一緒に寝ればいいんだよね」
「……え?」
「今日から数日護衛で泊まってくよ。3日間ぐらいかな」
「そ、そうなんですか!?」
「うん。ルーメンももうすぐ戻ってくるだろうし。
 ちょっとの間よろしくねフィー!」

 あわあわしている私を横目に母が食器を片付けに行く。

「お、お母さん!?」
「ちゃんと言わないから、こうなるのよねぇ」
「ぴぃ!?」

 それをやり返してくるのは酷くないだろうか。ふふん、と意地悪気な表情をして洗い物に行ってしまう。
 まずい、部屋を片付けなければ……! 本が散らばっているし服も畳んで置いたままのものがあった。机の上も片付けたい。
 どうせ人なんか来ないと思って恥ずかしい柄の枕がある。無駄にハートの柄なのだ。

「ね、どんな部屋?」
「ま、まって、ああっ!」

 ぐいぐいと私を引っ張って二階へと上がっていく。
 それは大きな犬を彷彿とさせる。

「ぴぃぃっ! まっまって! 待ってくださぁい!」

 そんな悲鳴虚しく、自分の部屋が見つけられて突入されてしまう。
 これからはちゃんと綺麗にしていようと心に誓った事件だった。……ちゃんとお母さんに謝っておこう。

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