第12話『心に決まるモノ』
タンッタンッ
階段を上る。
エレベーターのボタンが押せなかったからな!
家の前に立つ。
ドアノブを握ろうとした勢いで中に入った。
あー。もう完全に幽霊だなこりゃ。
家の中を歩く。
リビングには電気がついていない。
そこにあるのは――
壱神幸輝の死体だった。
棺桶に入った俺。
吐き気がした。
満足げに笑った顔が異様にむかつく。
自分だけど。
だけど………………これは俺だった。
「ちっ……」
手をやってみた。
その死体は目を開いた。
真っ赤な目。
「ひっ――!」
動くことはできない。
『イキタイカ……?』
俺に問う。
『マダこノカラだデイキタイカ……?』
苦しげに言い放つ死体。
怖い。涙が出た。
でも、それは――俺だった。
違う違う――俺は。
「……いいから寝てろよ――壱神幸輝」
死体は黙った。
満足げに笑う死体。
俺は――もう。
「壱神幸輝は死んだ。俺は――コウキ。シキガミなんだ」
動かない壱神幸輝の体。
「ん――」
不意に後ろから声が聞こえる。
「まぁ、でも。ここでぐらい壱神幸輝で居させてくれよ」
俺は振り返って笑う。
「ただいま姉ちゃん」
その人はソファーで寝ていた。
酷く寒そうな格好で。
「あ゛ーーっもう、なんでバスタオル一枚で寝てんだよーーっ
飲んだだろ!? 未成年のくせにっ!
あっ! 髪も濡れっ放しじゃん!
もーーシャキッとしろーーっ」
「ん〜〜……っ」
「うあっ……食器も片付けてないなっ!
あぁっ! よく見たら部屋が散らかってる!?
なんていうか飲み散らかしてるっっ!?
だらしねぇぇぇっ!」
もともとこういうことをする人じゃなかったのになんでさーもぅ。
俺の中の家事の虫が騒ぎ出す。
「おいっ起きろ〜〜っ!
元はと言えばお前のせいだ壱神幸輝っ起きてとっとと片付けろっ」
怖いが有難い風景。
無論、死人に口無し。答えは無い。
「ええいっ問答無用! 起きろ姉ちゃん!」
パコーーン!
「あ。当たった」
「んっっ……ふぇ……?」
「オハヨウ。何でも良いから部屋を片付けろっ落ち着かないっ」
「……幸輝? ……幸輝?」
二回も聞かれた。
「イエス幸輝。だけどノット幸輝」
グッと親指を立てる。
「え? ええっ?」
「ふふふ……いいからとっとと起きる!!!」
怒鳴りつけるように言いつけた。
「――ぅえっあっはいっ!」
「頭拭くっ!!」
「はいっ!?」
「うわっわっここでバスタオル取るなっ風呂場でやってよ!
はいはいっ服着てっそしたら部屋片付けるっ!」
数十分後。
「ふぅ……片付いた片付いた。姉ちゃん片付けは怠っちゃ駄目だぞ?
厨房の黒い悪魔が発生しちまう」
無論ゴキブリだ。
業界用語でマイケルやGBと呼ぶ。
奴らはしぶとい上に減らない。
姉ちゃんはまだ夢見心地で俺を見上げている。
「何さ。あ、言っとくけど死んでるぞ俺」
息を呑んだ。
その瞳に落胆と涙が浮かぶ。
「――っでもっ幸輝が目の前に居るっ」
「変な服のな」
残念ながら服はあのときのままだ。
こっちでは異様としか言いようが無い。
「…………お姉ちゃんは幸輝がどんな趣味でも受け入れてあげるっ」
ぐっと拳を握るわが姉。
「いや、現実でこんな趣味があったら呼吸する前に家から弾き出しておくれ」
切実に。
こっちの世界じゃ痛すぎて生きていけない。
「んで。こんなに荒むなよ。だらしない生活は人生の敵だぞ」
「――……誰のせいだと思ってんの……」
「これだろ」
「自分の身体でしょっ!」
「うはははっ怪奇現象が成せる前代未聞のボケだよ! すごくね!?」
「嬉しそうに言われても……」
「そいや姉ちゃんは俺が見えるんだな? 触れるし声も聞こえるみたいだし」
「……やっぱり幽霊なんだ幸輝……」
「でもさ、聞いてよーさっき喜月と話してきたし武人殴ってきた」
「……タチ悪い幽霊だね」
「自分未練たらたらでして」
「はははっ幸輝だもんね〜?」
「うん。まぁなんでここに居るのかわかんないけど。
ついでだからお別れを言って回ってる」
「――」
息を呑む姉ちゃん。
「こ、幸輝がそのままでも私はいいよ? だって私は見えるし喋れるし――触れる」
それは自己満足。
それでも良かった。彼に居て欲しいと願う彼女には、他は関係ない。
「駄目だよ」
それでも目の前の存在はそれを許さなかった。
「姉ちゃん――いや。壱神幸菜」
幸輝の存在が酷く冷たく見えた。
「もう一人なんだ。――弟の幸輝は
その存在が死神のように見える。
「――っお願いっ幸輝……っいかないでよぉっ……」
涙を流す。縋る。
「もうっ……! もう耐えられないよっ……!」
酒に溺れれば楽だと思ったでも違った。
何度死んでしまおうと思ったか。
「甘ったれんなぁあああああ!!!」
ゴチンッ!
幸輝の渾身のゲンコ。
その場に蹲る姉。
「ええいっそこになおれっ! その腐った根性叩き直してやらぁ!」
姉弟喧嘩は多いほうだった。
些細なことで喧嘩して――仲直りして。
「〜〜〜〜っっこのぉっっバカ幸輝!!」
パァアン!
幸菜の平手打ちが幸輝を打った。
「バカッバカッ! しねっ!!」
「死んでるよっ!!」
「もぅもっと死ねっ!! 千回死んで地獄に落ちろっ!!」
「ひでぇ!! それが死んだ弟に対する言葉かよっ!」
「もー! 最低! 最悪!! バカバカバカバカバカバカバカバカ〜〜〜〜〜!!」
殴る蹴るの暴行。
「痛い痛い! ごはっ!」
素晴らしい足払いで綺麗にこける。
――マウントポジション。
俺の上で子供のように泣きながら拳を振りかぶる姉ちゃん。
これはやばい……!
「ちょっ……すとっぷぅぅ!!」
「〜〜〜〜!!!」
ガスッガキッゴギッゴス! ドッドギャ!
全弾顔面の集中砲火。
やばい音を聞きながら殴られ続ける。
「バカッバカッ」
ドッズシャッガンッゴッゴッゴッゴッ!!
「バカバカバカバカ!!」
し、死ぬっ……!
シャレにならんぞ!?
ちったぁ手加減して殴ってくれても良いのに。
このお姉ちゃん本気だよ。
「ばっかぁぁぁっっ!」
バリバリバリッ(引っかく音)
「にぎゃぁぁぁぁぁっ!!!
それはもう物理的最終手段的な攻撃じゃないですかっていうか痛いからっ!
百戦錬磨の漢みたいな傷がのこるだろやめてぇぇぇっ」
「ばかっばかっ」
泣いている。
嗚咽を湛えて弱々しく胸を叩く。
「…………ごめん」
謝るしかなかった。
勝手に死んだのは俺のせいじゃない。
人生の誤算に贖うすべは無い。
「でも姉ちゃん。俺は姉ちゃんはそんなに弱くないと思うんだ」
「……」
「姉ちゃんはさ、誰よりも真剣に生きてたじゃん。
『お姉ちゃんがなんとかしてあげるから』ってさ、いっつも俺を助けてくれた」
「……それは……」
「すげぇよ。頭も良いし何でもできるし優しいし可愛いし。
俺の自慢だった」
ポカッ!
「〜〜〜〜っ」
顔を真っ赤にした姉ちゃんに叩かれる。
痛くは無かった。
「ただ彼氏つくんねぇのが謎だよ。誰がそのナイスボディを
ほぐぁ!! 腹がえぐれるぅ!!」
「変態!!」
「ええいっ正直に話してるんだからいいだろ!」
「ならなお悪いーーーっ!」
「言い直すよぅ。誰がそのナイス☆ボディを」
「やっぱ死ねーーーーーー!!」
心持、千回殺された。
「うぅ……酷い。こちとら思春期のまま息絶えたというのにっ
ケダモノ〜悪魔〜姉ちゃん〜」
「最後だけでよろしいっ! もー死んでもバカじゃ救いようが無いじゃない!」
頬を膨らませながらソファーに座る。
「確かに」
「あ・ん・た・の・こ・と・よ!」
「はははははっ!! いや〜どうも死んでも死んだ気がしなくてさ〜
あっ聞いてよ、あの世じゃないけど新世界で今生きてるんだぜ!? スゴクネ!?」
新しい世界での色々な事を話す。
久しぶりにする姉弟の団欒。
まぁ、俺的には1日ぶりなんだけど。
いつものように笑って話して。
不意に姉ちゃんがため息をついた。
「はぁ……幸輝は、頑張って生きてるんだね」
「おう。やらなきゃいけないこともあるし――……姉ちゃん」
「………………も〜っわかったっわかったっ……」
観念したように両手を挙げて言う。
「行ってらっしゃいっ頑張っておいでっ」
「――ありがとっ」
いつものように人懐っこく笑った。
立ち上がった。
帰らないと。
なんとなくだけど、帰り方は知っていた。
「行ってきますっ――また姉弟やろ〜な〜」
「嫌〜っ」
その言葉に幸輝は笑う。
空間が歪む。
姿が溶け出していた。
「次は――」
その言葉を聞く前に幸輝は消えた。
憂いを帯びた瞳が虚空を見る。
「次は、他人で――また、会いたいなぁ……っ幸輝っ」
さようならが、もういない存在に語りかけられた。
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