閑話『飛鳥の旅 前編』

*アスカ


雷鳴が轟く暗雲。
ザァっと不吉な雨が降りそそぐ。
驚くほど冷たい煉瓦の壁。
触ると手が真っ黒に汚れた。
ゴシゴシと擦るけど、中々とれない。
諦めて壁に触れないようにゆっくりと歩く。
螺旋状の階段を降りきってその空間に驚いた。

「何ここ……」

レンガ造りの壁や床。
血の様に真っ赤な絨毯。
途方も無く暗いその廊下。
冷たい温度の無い空間。
時折光る雷の光で中が照らされると長く続いていることが分かる。
両腕で自分の体を抱いて震える。
此処は、何処。
あたしは誰なんていうことは無いが……。

真剣に見覚えの無い古びた城にあたしはいた。

「ありえないって……ありえないっ……」

死ねばいいのに。
何に対して言いたいのか良くわからない主張なのは自分でも分かっている。
でもこんなに胆の冷える体験は人生で初めてだ。
ホラーハウスはキライだ。
あそこに入って泣かなかった試しが無い。
今ももうすでに限界が近い。
目の端には涙が溜まっている。
雷も確かに怖いのだが雰囲気に完全に呑まれている。
今仮にもここがホラーハウスでゾンビ役のバイトの人でも飛び出ようものなら軽く気絶できる。
友達と入った時ですらその状態だったのに。
うぅ……怖いよ……誰か……。

ピカッッ!

光がまた廊下を照らす。
壁伝いにジリジリと歩いているのだが、先が見えないので怖い。
本当、目を開けていたくない。

「怖いよぉ……」

泣いていた。
それでも、泣いて留まっているなんて、もっと怖い。
だから、小さく喋りながら自分を慰めて少しづつ壁伝いに歩いた。


気付いたら雨の中、盛大に落下していた。
雷鳴のような絶叫をしながらお城の屋上に打ち付けられたはずなんだけど……生きてた。
よく分からないが良かった。
そう何度も打ち付けられて痛い思いはしたくないし。
とりあえず、お城の一番てっぺんの塔に落ちてそこから頑張って下におりた。
怖かった。
確かあたしは死んだハズなんだけど……。
こんな怖い思いするぐらいなら死んだままでいいのに。


廊下の端にようやくたどり着いて、そこには階段があった。
窓がないらしく、真っ暗。
嫌だ……もう……怖い……!
泣きながら走って降りて、壁にぶつかって気絶しそう。
かといって途中の部屋に入るような勇気もない。怖い。
階段は真っ直ぐ10段ほど伸びて、踊場で折り返して下へと続いている。
雷が鳴り、また階段が照らされる。
映し出される自分の影すら怖い。
廊下の端に蹲ってガタガタと奥歯を鳴らしていた。
寒いわけじゃない。
本当に、恐怖で。


カツン……

身体がその音に跳ねた。

カツン……ガシャ……

金属のような音と一緒に聞こえた。
何っ何っ……!?
鎧でも歩いているというのだろうか。
微かに聞こえる金属の擦れ合う音、甲高く軋む音。
それは下から響いてきているそれも、確かにこちらに向かって大きくなっている。
歩みが遅い。
それに――
何か、別の嫌な音も聞こえる。

カツン……ピシャ……ッ!

そう、それは例えば、雨の水を思いっきり踏みつけるような。

ブチッ……ガシャ……!

生理的に受け付けない音が響く。
なんだろうとても嫌な感じ。
吐き気を催す臭いがする。
なんだっけ――あぁ、腐らした肉がこんな感じだっただろうか。
それなら、この音は必然的に腐った肉が引きちぎれる音に――。




気付いた瞬間、強張っていた体が動き出した。
足音を殺して来た道を真っ直ぐ、足音を殺して、戻る。
あのスピードなら追いつかれることは……!!
元来た塔の階段へ向かって歩く。
そして、階段が目の前に迫った時最悪の事態に気付いた。

階段の上は、屋上。逃げ場が無い――。

あたしは更に戻る。恐らくそろそろ向こうの音は折り返して更に上がってきている。
逃げる場所逃げる場所逃げる場所……!
あたしはもう限界で、間にあった部屋に駆け込んだ。
怖い。
何が来るのかは知らない。
ただ、絶対ろくなものではない。
怖い。
部屋に鍵をかけて雷で照らされるその部屋を見る。
甲冑が飾ってある。
その姿に心臓が飛び出るかと思ったが、胸から上が飾ってあるだけ。
多分、あの音は、これが歩いたらそんな音が出ると思う。
恐る恐る近づいて、その手に持っていた槍を取った。
重いのかと思ったがそうでもなく、なんとか振るぐらいはできる。
改めて部屋を見回す。
真っ暗で何も見えない。
雷の光りだけが頼りだ。
そして、雷が光ると机やイス――そして棺桶が見えた。

「ひっ――」

思わず声が出た。
今まで悲鳴だけは出すまいと我慢していた。
そろそろ本気で限界が近い。
怖い。
死ぬ――。


ガタンッッ!!!


ドアが揺れた。
身体が恐怖に揺れて、槍を強く握る。
ガンガンと叩かれるドア。
意味わかんない。
誰か。
助けて。
あたしが出来る最善の処置を施す。
机やイスをドアの前にバリケードとして置いて甲冑の横に蹲る。
ブツブツと、助けてを呟く。
なんで、いきなりこんな目に。
神様、あたし、何かしましたか。


バギィ!!! ガッ!!


木製の扉は、何か刃物によって見る見るうちに壊されていく。
斧……。
最悪の映像が頭に流れる。
その斧で、自分が殺されるイメージ。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!
助けて。
誰か。



ドガッッ!!!


ドアは壊されて、バリケードも打ち破られる。
暗くて詳しくは良く見えないが、やはり鎧。
そして、所々鎧の隙間から、何かが吹き出している。
やはり、それは血だろう。
動くと、ミチミチと肉の裂ける音がした。
そして雷が鳴るとその全身が鎧で、唯一見える頭の部分が――死に体であることが確認できた。

「いやあああああああああああああああああああ!!!」

あたしは全力の悲鳴を上げる。
ありえない。
ありえない。
アレは死体だ。
死んでいる。
腐食して朽ちている。
鼻をつく吐き気のする臭いはその腐った肉と、雨のような血のにおい。
動くたびに肉は裂けて無くなりかけた血が散ってるのに何故動けるのか。
違う、今はそうじゃなくて……!!
その甲冑たちはそれぞれ剣と斧を振りかぶる。
槍を最長になる位置で持って、そのうちの一体を突いた。
よく分からないが、その一体は部屋の外まで吹き飛んだ。
火事場のバカ力と言う言葉もある。
大して、その力は疑問に感じなかった。
だがもう一体に構う余裕が無くて、そいつの剣に容易くやりを弾かれて腕を軽く切られた。
死の旋律が走る。

「――いやああっ!!」

もう、いやだ。
怖いのも、痛いのも、涙を流すのも、血を流すのも。
ガシャン、とその鎧が一歩踏み込んできたので思いっきり横に飛んで棺桶の向こう側まで走る。
鎧はゆっくりとあたしを振り返ってこちらへと近づいてくる。
さっき吹き飛ばした鎧も再び部屋に入ってきた。
あたしは棺桶の蓋を取って、その鎧へと投げつける。
体勢を崩して、その棺桶へと突っ込むことになった。

何かに触れて、棺桶には何が入っているべきなのかを思い出す。

そう、それも死体。




の、ハズだった。


「……おはようさん。なんや騒がしいな」

言葉を聞いた。
何がなんだかよく分からなかった。
暗くてよく見えないし触ってる感触も人のものだった。

「――だっったっっ助けてぇ!!!」
「はいはい。ちょいと血ぃ貰える?」

混乱しているあたしの頭。
何でもいい。
助けてくれるなら誰でもいい。
縋りたかった。
その言葉を発した誰かは傷のあるあたしの腕にかぶりついた。
もう、驚きで動くことすら出来ない。
その間にも、そのモンスターはガシャンとノロノロ近づいてきていた。

「――!?」
「……ぷは。ありがとさん」

それだけ言って彼は立ち上がった。
部屋のランプや蝋燭に火が灯り、明るく照らし出される。
褐色で白髪、真っ黒いマントに身を包んだ男がそ目の前に立った。
――ヴァンパイア、なんて言葉が安易に思い浮かんだ。
立ち上がった男に、ゾンビの甲冑が剣を振りかぶる。
その間、首を鳴らして欠伸をするとそいつは詰まらなさそうに一言呟いた。



「ワイの――に何してくれてんの死体風情が――……逝ねや」



言葉は良く聞こえなくて彼が怒っていることだけ分かった。
そして、剣と斧を振り下ろす死体に冷たく言い放つ。

「収束:1000 ライン:瞳の詠唱展開
 夜の紅い斬風ノックス・ウェントルベラ

ドンッ!

目に見えて闇に染まったドーム状の空間。
その中で何かが弾けた。
赤い光の閃光が何度かみえた。
その黒いカーテンのような空間が無くなると、全てが終わった残骸だけがそこにあった。
切刻まれた、鉄の残骸。
腐敗した肉片はもう何なのか分からない。
――そして、全てが霧のようになって消える。

心臓が、痛いほど高鳴っていた。
涙がボロボロ零れて止まらない。
あたしを助けてくれた誰かがあたしの頭を撫でた。

「――お疲れさん。怖かったろ」

頷いて撫でられるがまま。
そんななかで、あぁ、いい人だなと思っていた。
――それが、あたしとジェレイドの最初の出会い――。






――3、2、1。


「誰!!? ここ何処!!? アレ何!!? あたし誰!!?」

脳の起動開始とともに全ての疑問を全力でぶちまける。
あたしは、誰なんてことは分かっていると思うが勢い次いでだ。
未だに安定しない思考がいまも次々に押し寄せてきているが自分でも分からない状態の為

「はぁ。ワイはジェレイド・C・ウォンバット。
 ここはトールドバーク。
 アレは死体。
 アスカやろ?」
「死体!? なんでそんなのが動いてるの!? ドッキリ!?」
「いや、ドッキリはするかも知れんけど。
 わざわざアスカ驚かすために動いてるわけとちゃうで?
 そんで、自分は名乗らんの?」
「し、しほう、あすか、です……」
「おぉ。分かってるやん」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……自分、生きとるか??」

あたしの目の前で手が振られているのが分かる。
思考が完全に停止していた。四法飛鳥<しほうあすか>があたしの名前。それだけが確か。
身体は呼吸を整えることで必死でその人にしがみついたまま離れる事もできない。
震える手は収まらなくて、体温が異様に低い気がした。
だから、誰かに捕まって、少しでも暖かさを感じるのは変な話、安心した。

「い、生き、てる……っ」
「生きとる生きとる。よー頑張った」

人に見られるには不都合な涙が止まらない。
思考は全然、安定しない。

「えと、ジェ、ジェレイド……ジェレイド……?」
「おう?」
「名前……? ジェレイド……?」
「そうそう。ジェレイド」
「外人さん……? えと、えと……
 は、はろー?」
「いや、うん。努力は認めたるけど……自分話せてるから大丈夫やで?」

言われてそうか、と気付く。
少しだけ手の震えが収まった気がした。

「えと、うん……此処は……」
「トールドバーク」
「と、とーるどばーく…………?
 あ、あの、英語は無理! アイムバット!」

何となくダメな子宣言してしまった気がする。
が、わたしの知っている精一杯の単語を繋ぎ合せた最大のコミュニケーションだ。

「うん、気持ちは認めたるけど。地名やから。言葉通じてるしやね」
「そっか……日本じゃ、ないの……?」
「そそ。世界すら違うと思うけど」
「……えと。うんと……まってね」
「待ったる待ったる」

日本じゃなくて……外国で。
世界が違う……?
世界って地球……?

「…………地球じゃ、ない…………?」

やっとその言葉を口にした時、その人は困った風に笑った。

「そのチキュウが同じ定義かは知らんけど、この世界はプラングル。
 ここはな? トラン・ワ・トールドバーク。
 トランの端て言われとる、トールドバークの城や」
「城……お城?」
「そう……ま、今は廃墟みたいなもんやけどな」

し、知らない世界……
つまり、だ。
あたしが気絶している間にUFOとかNASAとかに連れ去られて別の星に……
死人が動くなんて話漫画か映画でしか聞いた事が無いし……!

「…………火星の、基地!?」
「ワイの話きいとった?」
「聞いてたよ!?」
「……阿呆」
「とっっとにかくっあたしは家に帰りたいのっっ!」
「……やろうな」
「そうよっ! 帰してよ!」
「……嫌や」

その男は自分の頭に手をやって溜息をつくとそう言い切った。

「えっちょっ! どうして!」
「帰るんやったら勝手に帰りや?
 ワイはアスカがシキガミやから助けたったのに。
 本来は逆なんやぞ?」
「シキガミって何よ!? あたしだって居たくてここに居るわけじゃないんだからっっ」
「あーはいはい。さよか。
 知らんのやな? シキガミと神子の話も、なんで此処に落ちてきたかも」
「知らないっっ! ねぇあたしはどうなったの――!?」

あたしは――。
あたしは……そうだ。
確かな記憶と、理由がよみがえる。

衝撃と、血と、悲鳴。
最後の記憶。
あの人の涙は――本物。
追い詰められたあの人を……

――そう、か。
あたしは、一度、死んだんだ。

「生きてる……」

頭に走った衝撃から、身体が動かなくなるほどの衝撃の痕もない。
――おかしい。
あたしは、あそこで、死んだのに……!?

「――どした?」

彼に話しかけられて、ハッと頭を上げる。
言葉にしようと思ったが何から話せばいいか分からず、言いよどんだ。
語彙力は無い方でしかも思ったことはすぐ口にするあたしは、嫌われることが多かった。
初対面の相手にはさすがにそれは――……。

「えと……」
「まだ混乱しとるんか? 落ち着いてからでええで?」
「う、うん……」

妙に人の扱いに慣れているみたいでしがみ付いているあたしをはがそうともしない。
棺桶に入っていたくせにちゃんと体温はあるし暖かくて落ち着く。
そう、あたしはしがっっ……

「く……」
「く?」
「くっ付くなーーーーーーーーーーーーっっ!!」
「ぐおおお!?」

思いっきり弾き飛ばされた彼は棺桶の端につまずいてピチーンッという可哀想な音と共に盛大に床に叩きつけられた。




「ひどい……ワイは何もしてへんのに……むしろ助けたのに……」

ジメジメと部屋の端でそいつは涙を流す。
割とヘタレのようだ。

「ご、ごめんね?」
「許したるから血ぃ頂戴?」
「いやっ! 美味しくないし!」

アレだ。血なんて嘗めてみても鉄の味しかしないし。
飲んだって喉で固まって色々最悪だと思う。

「案外問題は普通そこじゃないねんけど……。
 んまぁ。ワイらの場合主食やし。アスカ処女やろ? メチャウマ――」
「セクハラは死ねーーーーーーーーーーー!!!」

ゴッッ! と鈍い音と一緒に拳が彼の顔にめり込む。
あ、と思った時にはもうすでに手が出る難儀な性分。
女の子相手にはここまでではないが――

――彼は再び部屋の隅でシクシクと泣いていた。


なんとか機嫌を直させて再びあたしと向き合うジェレイド。
悪い奴ではないっぽい。
助けてくれたことにお礼を言ってもええよ、と一言で終わらされたし。
あっさりしすぎている気がしなくもないけど。
彼はあたしの知識不足を補うためにやることがあるのだとブツブツ漏らしている。

「いっぺんラティスんとこ行かんとなぁ……。
 ……んじゃ、降りよか」
「おおお降りるのっっ!? 暗いよ!? 変なのいるよ!?」

此処を降りるなんて無理だ。
正直もうあんな思いはしたくない。

「おー。おるおる。ここいらでの戦争の死体ほったらかしたのがモンスター化したんやろ」
「そんなサラッと言われてもっ!
 ここ怖いじゃん!? 食べられちゃう!?」
「あー。美味しそうやもんね自分」
「お、美味しそう……!?」

いろんな意味で身の毛がよだつ。
心なしかそいつから身を引いて舌なめずりしているのを見ていた。

「血がウマかったし。栄養もバッチリや!」
「褒められてるの!?」

微妙な褒め文句にたじろぐ。
こ、この人、本当に――吸血鬼ヴァンパイア……!?

……健康的に焼けた小麦色の肌。
真っ白な髪の毛をしているが年齢は全然若い。
流暢な方便を使って笑うと方眉が下がる癖があるみたいだ。
――あぁ、うん。
違うなぁ。
と、結論を下した。

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