第61話『礼儀』
ルーちゃんと一緒にいるのはもう二週間目になるのだろうか。
わたしは淡い金色のフワフワした毛並みの動物を膝の上に乗せて撫でていた。
ルーちゃんは気持ちよさそうに目を瞑って寝ているみたいだ。
今日の天気は雲が多い曇り。
それでも空気はカラッとしていて暑い位だ。
ルアン・バ・アルクセイドと言う国に来て二日目、少し困った事態に陥っている。
「通行許可ですか……仕方がありませんね」
「そんなのが要るのか……何大橋様だチクショウ」
このアルクセイドの国は大きな橋を持っている。
「えっと、エル・パースメン……“大陸を繋ぐ希望”という名の橋ですね」
この大陸を大きく分ける十字の割れ目、そのルアン側の橋を所有するのがこのアルクセイド。
アラン側ではグラネダも同じように橋を所有しているがここのように通行料は取られない。
だが絶対に落ちないと言われるドワーフの造った大橋は安心して渡ることが出来る。
王城を見上げる景観やその橋自体の芸術性も世界に広まっている。
ついているエル・パースメンという名前も創造神からの命名で当然有名だ。
そんな橋を通るためには通行許可が必要だった。
何故この橋を通るのか、何人で、いつ、何処へ行くために。
それを記入した紙を監査に通し、通れば通行許可の紙を貰って橋を通る。
市民で有れば行き来は自由だが旅人や商人からは通行料を請求する。
コウキさんが頬を丸くして腹を立てていたが国の所有物に何を言っても仕方が無い。
大人しく紙を貰って記入し、今日結果を貰いに二人が出かけた。
まぁ、帰りが遅いのは別に咎める気は無いのだが、あまりにも遅すぎる。
朝に出かけて今が昼過ぎ。
そろそろわたしの暇にも限界が来た。
ルーちゃんを膝から下ろして外に出る準備を整える。
とりあえず昨日行った橋の管理局の建物に行ってあの二人の事を聞けばいいかな。
特徴的な二人は探しやすくて助かる。
金色の髪に凛とした赤い目が特徴のお姫様。
溢れる高貴な振る舞いや言動と容姿のアンバランスさが一度見ると忘れられない。
真っ赤な服を着た黒髪の少年はとても目に付く。
この宿の部屋ももうすぐ今日も泊まるように言うか出るかしないといけないし。
――とりあえず出よう。
わたしはルーちゃんを連れて、二人を迎えに行く事にした。
そもそも自分の本名で名前を書いたのが間違えだったのだろう。
よくよく考えればそうだった。
コウキには頭を抱えられたが今となっては後の祭りだ。
妙な事になっていた。
目の前に鎮座するのはアルクセイド国王様。
わたくしとコウキは二人で跪きその場にいる。
「――初めましてマルドナーガ様。
わたくしはアラン・ゾ・グラネダ国ウィンド第一王女ファーネリア・リージェ・マグナスと申します。
こちらはわたくしのシキガミのコウキ。
本日はお招きに預かり光栄です」
コウキにはあまり縁の無い世界。
上流階級の堅苦しい世界は確かに彼には辛いだろう。
今まさにお願いだから俺に喋らせないでと頼まれたばかりだ。
荘厳な造りの王城は歴史のある建物でグラネダの何倍も長く続く国である。
「おもてを上げてくだされお二方。
私の急な招待に応じていただき感謝致す。
――ようこそアルクセイドへ」
光差す荘厳な王座。
隊長階級の兵士が立ち並ぶ
私には面識は無いが話には聞いたことがある。
白髪に白い髭を生やした老いた国王――いや、その国を引き連れる者の力強い目は、老いたという事実を霞める。
「気の利いた用意が出来なくて申し訳ない。
食事の用意をさせているので急いでいなければ後ほどご一緒いただけまいか?」
コウキに目配らせするとギリギリの笑顔で頷いた。
「……はい。では、そうさせていただきます」
「そう緊張なさらずに。なにもとって食べようとは思っておらぬよ。
祖父だと思ってくれるといい。わしも孫のように見える。
シキガミ殿も面白い方だと風の王から聞いておる故、楽にしてかまわん」
「――お父様がいらしたのですか?」
コウキのことを話すということはコウキが来て以降にここにきたことになる。
私が知っていたお父様の予定はせいぜい数週の前の物だがその中には聞いていない。
「そう、つい先週になるか――……。旅に出た愛娘の心配をしておってな。
娘愛を語って去って行ったぞ」
「…………ち、父の非礼は深くお詫びいたします……」
あの人はホントに……!
せめて恥を晒すのは自分の国の中だけにしておいて欲しい。
いや、自分の国でもやめて欲しい。
「はっはっはっいや私にも娘はおる。
ウィンドも息子のようなもので私もその気持ちはよく分かるのだ。
だがあまりにも自慢されると気になるのも道理だと思わんか?」
「父にはわたくしから厳しく言い聞かせようと思います」
恥ずかしいから割と切実にやめて欲しいと思う。
「ふははっアルフィリア殿に良く似て賢そうな子だ。
聞けば有名な術士殿の弟子になったと言う事だが、もう旅に出るほど成長していたとは」
「いえわたくしなどまだまだ未熟者です。
ここに居るコウキともう一人の仲間に手助けしてもらってようやく道がまともに歩けるのです」
「ふむ。シキガミ殿がいれば一騎当千だ。
見た所、世に稀な双剣の相性持ちだと伺えるが」
話を振られたコウキがビクッと反応して慌てて答える。
「は、はいっ俺は――僕は、双剣デス!」
言葉が極端に少ないですよコウキ!
マルドナーガ様はお父様とは違って王様らしい王様だ。
緊張するのも分からなくも無い。
自分は剣ですと叫ぶのはあながち間違いでも無いのだがここは否定すべき所だろう。
一緒に居る私も恥ずかしい。
「くくっ……ははははっそんなに緊張なさるな」
「ど、ああっ、す、すみませんっ!
窓から飛び出して落ちていいですか!?」
顔を真っ赤にして謝るコウキは初めて見る気がする。
何ていうか、必死で可愛いくて面白い。
だがそれはこの場では同時に私も恥を掻いている事になるので気が気じゃない。
ああ、走り出そうとして銀の甲冑を着込んだ兵士に止められている。
私も王様には礼儀知らずなことはことわっておこうかと思ったそのとき――
「いやいや――コウキ殿は、ウィンドの息子だろうか?」
突然、そんなことを言い出した。
確かに黒髪だが二人はあまり似てはいないと思う。
言われて見ればその独特の雰囲気や他の細かな所が空気レベルで似ているような気がする。
「いえっ違いますっ」
両手でペケを作って違うと意思表示をする。
少ない言葉を身体で補う気だろうか。
普段はコレでもかって言うぐらい喋るのに……。
でも言えてる事まで身体で出す必要な無い気がする。
そんなコウキにも優しい目を向けて放してくれるマルドナーガ様。
さすが父が尊敬する大国の王様だ。
「そうか……何処と無く似ている気がしてな」
「はは……あの人の息子なら命がいくらあっても足りませんよ」
「ははは。息子であれば容赦はしないであろうな。
彼に育てられれば面白い子が育つだろうよ」
ある意味あの人に育てられなくて正解なのかもしれない答えを貰った。
もう少し話を続けていると、食事の用意が出来たらしくそちらへと招かれた。
コウキがテーブルマナーを知っているかどうかは知らないが頑張ってもらう他無い。
この上なく引きつった笑顔が不安を煽るというか、知らないんだろうと逆に諦めさせてくれる。
……今日の所はなんとか許してもらわないと……。
国の為には他国の機嫌を損ねるような事はしない方がいい。
ただでさえ神子とシキガミという危うい存在なのだから敵国の場合は掴まってしまうこともある。
今度からもこんな事があるなら一着ぐらいちゃんとしたドレスを持っていたほうがいいだろう。
コウキにも正装を用意しないといけないが彼はとても嫌がりそうだ。
まぁそれはそれで着せがいがあって面白いが。
ああ、アキにも着せたいなぁドレス。
護衛の服も似合いそうだがそれは選んでもらおう。
いや、着せて見るだけ見てからやっぱりドレスを着せよう。
頭の中で自分の幸せ世界を妄想しながら目の前の光景にきりっとした顔で目をやる。
私を妄想の世界に追いやる世にも恐ろしい光景が目の前で展開されているのだが――。
「コウキ殿、レディには先に座ってもらわねば。
椅子を引いて差し上げるのが紳士の嗜み。わかるかね?」
「はいっ」
王様直々のマナー指導。
前代未聞の光景にわたくしは絶句していた。
別にマナーが悪すぎて耐えかねてやっている訳ではなく王様自身の厚意のだ。
しかもメイドや使用人は下げてくれて3人だけの空間となっている。
聞けばお父様に教えたのもこの人らしい。
恐れ多いが口を挟むのもなんなので言われるがままにこなすコウキを見る。
おどおどとしているのかと思えば真剣に話を聞いて実践している。
王様も満足げにそれを見てわたくしもコウキに勧められた椅子に座ると食事が始まった。
マナーの指導が終わると同時に食事も終了した。
教わっている間のコウキは優秀でスイスイと物事をこなしていく。
堅苦しい雰囲気だったかと言うとそうではなく、父親が子供に教えるような――
いや、孫に教えているおじいちゃんにも見えた。
最後にはコウキも打ち解けて今までのぎこちない笑いが消え楽しそうに会話をしていた。
――凄い。たったそれだけの事で国王様はコウキと打ち解けて見せた。
コウキ自体にそういった能力が高いことが分かっているのだがお父様のように元々同じ国から来たわけでもなく、
平民から出た王様というわけでもない。
マルドナーガ・ヘンツェバー・クリエス・アルクセイド様は御身が3代目、200年続くこの国の王である。
わたくし達のような子供を受け入れる寛大さも驚くべきである。
それを口にすると王様は笑って、未来ある若者に手を沿える事ができるのはうれしいことなのだと答えた。
「きっと君たちのような場合はこういうことがよくある。覚えておいて損は無いだろう。
恥を掻くなら最初に思いっきり掻いて置けばいい。それが成長の種になる」
かなり趣味的な意味合いを感じたがまぁ楽しんでいるようなのでなんともいえない。
このあたりにお父様と似たものを感じた。
わたし達が子供だという差し引きも行って現在の状況を見れば――
やっぱりコウキには教えておくべきだったと顔から火が出そうな勢いで反省した。
国王様は暇ではない。
食事が終わって少ししたらもう会議の予定があるそうだ。
貴重な時間を使って会ってくれたようだ。
……しかもコウキのマナー指導までしてくれた。
「――君たちのような若者が戦争の種になってしまうのか……」
笑う私たちをみて、ふと悲しそうな顔をして国王様は言った。
お父様がきたのは恐らく――わたくし達が居ないときの為の援軍要請だろう。
「仕方がありません……強大な力を持ってしまったのです。
かつてマグナスの国を滅ぼした力ですが……
今度は救うために使いたいと思っております――」
シキガミと神子同士の決戦の地として使われ、滅んだと言われるマグナス。
私が知っているヴァンツェから聞いた話は、お父様やお母様からは失われた記憶。
彼はお伽話のように小さな私に話してくれた。
ある、神子とシキガミがいました。
――空を司る神の神子。
風を名乗るシキガミ。
見ていて羨ましくなるほど自由な風は世界中を吹いて回ります。
大空は何時でも傍にいて優しい笑顔でそれを見守っていました。
喧嘩ばかりする銀のエルフと赤い竜人を連れて世界を歩きました。
彼らの通る道は笑顔で溢れ、沢山の感謝をされました。
大きなモンスターを沢山倒し、深い迷宮を潜り抜け、海を渡り、沢山の試練を受けてくぐりぬけて行きました。
時には、悲しい事もありました。
戦争や他のシキガミとの戦い……たくさんの人が傷ついてしまいました。
泣き出す空の神子の涙も風が吹き飛ばして笑います。
そして、神々の混沌が迫ってきました。
死ぬかもしれない空の神子は一度故郷に帰ったのです。
生み育ててくれた両親にお礼を言って、約束の地へ赴くはずだったのです。
しかし、戻ったこの地はすでに火の海と化していました。
空の神子は泣いて泣いて、決意しました。
また、この国を作り直すのだと。
風は言いました。
帰る地は此処にしかないのだと――。
――それが、私の父と母の話だと気付いたのは何度も、何度も聞かされてからだ。
私はそれを悲しいと思った。
だから、今度は――救うためにありたいと思う。
私の目をみて意思を確認したのだろう頷いて王様が言う。
「ああ、ファーネリア殿のような意思を持っておられるならそれもできるであろう。
コウキ殿、しっかり守ってあげなさい」
「もちろんです」
コウキの答えに満足げに頷いて立ち上がった。
もう時間なのだろう、扉のそばで使用人が待っている。
「――それでは私はこれから会議に行かねば。
大したもてなしも出来ずに申し訳なかった。
通行証は出すように手配しておく。
あとはゆっくりとアルクセイドの街を楽しんで頂きたい」
「はいっありがとう御座いましたっ!」
「そうさせて頂きます。私達のような若輩者の為にお時間を頂ありがとう御座いました」
国王様は部屋から姿を消し、わたくし達もお城から出る事になった。
突然すぎた謁見も無事やり過ごす事が出来た。
というか。
「コウキ」
「は、はい」
「……宿に戻ったらマナーは復習ですね」
「……あいさー」
「と、言うのがさっき起こった事実さっ! もう、色々縮むかと思った!」
宿に戻り、部屋に入ると飛び込むようにコウキはベッドに身を投げた。
顔を埋めて溜息をついているところを見るとアレでも気疲れしているらしい。
「それは私の台詞です……で、アキ。何故そんなに拗ねているのですか」
「別に〜」
ぷぅっと頬を膨らませてアキが拗ねている。
ルーメンがぎゅうっと抱きしめられて苦しそうだが耐えている。
兼ねてよりやってみたかったのでその頬を指でプスッと押してみた。
ぷしゅぅっとしぼんでいきなりギュッと抱きついてきた。
「置いてかれたのかと思った……」
抱きつくアキが子供みたいに見える。
「ごめんなさい……連絡する手段が無くて心配をかけてしまいました。
ですがたった数時間で大袈裟ですよ?」
私はアキの頭を撫でながら言う。
たった数時間……まぁ情報収集をしながら追って、
たった数時間前の人の足跡を見失えば確かに気落ちはするかもしれない。
アキが言うには何度探しなおしても必ず発行所の前で止まるんだそうだ。
あそこの人間には王城から口止めがしてあって誰も喋れなかったのだ。
発行所の建物の裏口から馬車に乗って城まで行ったので人目に当たる事がなかったのだ。
「キュー……キュゥゥゥー……」
間に挟まれたルーメンが流石に苦しそうだ。
「おーい。ルーがうらやましい位置で苦しそうだぞぅ」
主にアキの胸に挟まれて宙吊りの状態のルーメン。
抱きつかれている私には救出手段が無い。
「キュゥー……キュ……………………」
「あ、アキっルーメンが大変な事にっ」
胸の間から儚い表情の顔だけが見える。
「えっルーちゃん!?」
「カフッ! カゥーキュゥゥー」
解放されたルーメンはコウキに走り寄って撫でられている。
何もしていないのに嫌われるのは納得いかない。
あとで野菜をあげて撫で回そう。
それはそうとアキの膨れっ面も直っていない。
「何故そんなに拗ねているのですか?」
聞くと更に頬を膨らませてそっぽを向いた。
その気持ちはよく分かる気がする。
「別に……」
「あんまり口を尖らせるとキスしますよ?」
「!?」
予想外の発言に絶句したアキに満足して微笑んだ。
「――と、昔よくヴァンツェにからかわれました」
アキはコウキのベッドに飛び乗ってガクガクとコウキを揺らす。
「コウキさん、ファーナがおかしいよ!?」
「よーしよしよしよしっルーかわいいなっよしよしよ……え?」
コウキはルーに夢中な素振りからアキを振り返る。
何も聞いていなかったようだ。
ルーメンがぐったりするほど撫で回していた。
あの言葉はヴァンツェにしては一般的な拗ね対策らしいのだがその辺は割と非常識な物を感じる。
いつもそう言われると顔を真っ赤にして逃げていた自分が今度は言う側になるとは思っても無かった。
にしても、言うのも恥ずかしいので逃げてしまいたいのだがなんとか平然な顔で振る舞う。
「……顔赤いよ?」
ニヤニヤとした顔でコウキが言う。
アキも便乗してニヤニヤとわたくしを見る。
すぐに居た堪れなくなって声を荒げてしまった。
「な、なんですかっ見られると恥ずかしいではありませんか!」
当然だ。
する事はもちろん、言う事も少ない。
ああ、もう逃げたい。
「はははっ拗ねるなよー」
「拗ねてなどいませんっ!」
どこかで聞いたやり取りにコウキはニコーっと笑顔を向けて言い放つ。
――それは、私にとって最も耐えられない言葉。
「あんまり口を尖らせるとキスするぞ?」
――っっ!!
「あっファーナ!? 何処行くのっ!?」
勢い良くドアを開いて逃げ出した。
多分、全身が真っ赤になったと思う。
しかもその勢い余って宿から出ていた。
心臓がバクバクいってる。
思い出すと――笑えてくる、何でなんだろう。
想像してしまった自分に、嫌悪する。
ダメだ……ダメ……そんな自分の姿は恥ずかしすぎる……!
――合わせる顔が無い。
冗談だって分かっているのに、何故こんなにも反応してしまうのでしょう……。
ペチペチほ小さく頬を叩いてその暖かさを確認する。
ダメだ――まだ、会えない。
どうせ今日は休みだ。
一人で街を歩いて頭を冷やそう。
そう思い立ち、一人街を歩き出した。
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