第73話『雨は降らない』

ステンドグラスの光りを見上げる。
強い雨がザァザァと当たっていて流れ落ちている。
落ち込んでいるつもりはさらさら無いが、腑に落ちない塊を抱えてどう消化すればいいのか分からなくて――助けを求めるようにそこで空を見上げていたのだと思う。

「貴方はそれでいいのですか?」
「……何が?」

あたしはムカつくその顔を振り返る。
そいつは数ヶ月だが一緒に旅をしている仲間で、チョット見ない間に随分と印象が変わってしまった。
本来なら“オイ、そんなんでいいのかよ”と常に喧嘩腰だった。
いつもそのまま“アンタに話す事なんて無いのよクソエルフ”ぐらいで返せばいい。

世界が変わった。
環境が変わった。
仲間が変わった。

あたしたけ、唐突に置き去り。
明るく振る舞っては見るけど、あの二人との触れ合い方は良くわからない。
ウィンドとは違う。
アリーとは違う。
――以前のヴァンツェとは違うのだ。

気が付けば、あたしの昨日は20年前。

あの子達は誰?
“アキ”って誰?
あたしはシルヴィアだ。
トラヴクラハ竜士団の副団長。
戦舞姫<スピリオッド>のシルヴィア。
トラ様が好きで追っかけまわしていた頃から、
ウィンドとヴァンツェとアリーの三人というとても可哀想なアリーについて行く事を決めてどれぐらい経ったのだろうか。

どうとでも取れる意味であの言葉を言ったのはあたしが何に迷っているか聞くためだろう。
そんな物言えるわけが無い。
――有りすぎて。
それにこいつはこんな奴じゃなかっただろう。
もっと孤独を好んで、自分勝手な奴だった。
こいつに他人の心配なんて絶対無理なことだと思ってた。
戸惑う。
こいつにすら。
あたしはどうすればいい。
「……はは。もしかして遠慮していますか」
「……わかんない」
「ふむ。口でどれだけ言ってもどうにもならないでしょうね」
そう言ってそいつはあたしの後ろの椅子に座った。
あいつも居づらいんだ。
だって――あたしは死んだ存在。


溜息を付いて大聖堂を見上げる。
今日は土砂降り。
部屋に居てもいいのだがそれもつまらない。
アリーに会いに行っても忙しいだろう。
だってあの子は本当に王妃様になってしまったし。
それにウィンドが国王に収まってるのは意外だったが考えてみればそうなる事は明白。
彼方の頃を思い出しながら少しだけ笑った。
どうすればいい。
あたしは。
時間が進んで、トラヴクラハ竜士団は無くなって。

あたしの居場所は、何処?







足音が聞こえた。
妙に陽気なステップですぐにそれが誰なのかわかった。
「ヴァンツェ〜っシルヴィア……さん?」
――コウキ。
何処と無くウィンドに似ているがやっぱり違う。
あいつより更に子供っぽいし……。
軽い足取りであたしの座っている椅子の対面側の椅子に座る。
なんだかフワッとおいしそうな香りがした気がした。
「……疑問にするぐらいならつけなくていいよ。っていうかいらない〜」
基本的に上層社交場以外で敬称をつけるような事は無い。
必要ないからね。
「あ、そう。シルヴィア、クッキー食べる?」
「……へ?」
「クッキー。メイドさんがおいしそうなの焼いててさ。手伝ったらくれた」
「へぇじゃぁひとつ」
「ヴァンも」
「ではお言葉に甘えて」
一つチョコと綺麗にマーブルしているクッキーを手にとって一口で食べる。
そんなに大きくは無い。
甘い味が口の中に広がる。
作り立てなんだろう、仄かに暖かい。
「ん。美味しい」
「だろっお菓子作りは結構得意なんだぜ!」
「あれ? 手伝っただけなんじゃないの?」
「うーんそのマーブル系のやつは全部俺が作った」
「嘘っ!?」
「マジマジ。凄いって褒められたぜっうへへへ」
あたしから見れば意外な才能……。
というかそういえば旅の間全部料理はこのコウキが作っていると聞いた。
――なんとなく、それは幸せそうだ、と思った。
「むぅ間が広いなぁ」
彼は座席の隙間をみてそんなことを言う。
「では、この椅子を倒してしまいましょう。失礼」
あたしの後ろの席に座っていたヴァンツェがそんなことを言う。
そして直後、あたしは体勢を崩す。
急に背もたれがなくなったのだ。
「うわっ!」
「ははははは」
「狙っただろ!?」
「はい」
「ウザっ!」
棘の無い笑顔であたしを見るヴァンツェにそんな言葉しか返せなかった。
それでもそいつの表情は変わらず――前よりずっと優しい。
「おお! 倒れるのかこの椅子!」
「はい。緊急時に此処は全ての椅子が繋がって療養所のようになります。
 そういう思考でウィンドがデザインさせましたから」
コウキが寄ってきてその上にクッキーの入った袋を置いた。
そして更にバッグから水筒をだす。
用意がいい。
「コーヒーと紅茶があるよ」
「あたし、コーヒー」
「お、意外」
そういいながら嬉しそうに全員分のコーヒーを用意する。
あたしは意外とコーヒーの方が好きだ。
でも砂糖とかミルクはできるだけ入れたい。
「その意外性用に砂糖とか多めに持って着てよかった」
「なんでそんなことを……」
そこまで言われて気づく。

コウキはあたしたちと話に来たのだ。

「どれぐらい入れる?」
「砂糖は3つミルク3つ」
「それならカフェオレとかミルクコーヒー作った方がいいかもねぇ」
「あ、できるならそれがいいなぁ」
実はとてもそれが好きだったりする。ミルクティーとかも好きだ。
「ま、明日持ってく分はカフェオレ作ってあげるよ」
「やた〜っあ、ん? 餌付けされてる感があるのは気のせい?」
「あははっないない」
なんていうこと。
まさか天下のシキガミ様が料理当番……更に気遣い上手だ。
ウィンドとは雲泥の差だわ。
そういえばシキガミは全体的に威張ったり驕ったりしない。
そういう立場にあることを知らない。
知っても、柄じゃないとウィンドは馬鹿みたいに振る舞ってた。
あたしは好きだな。そういうやつは。
上下を気にするとか得意じゃないし。


三人で何気ない話に没頭する。
紅茶も好きだけど、やっぱ男共と居るときはコーヒーが落ち着く。
「コウキはタバコ吸わないんだ?」
「吸ってる顔じゃないだろ?」
その笑顔を見て確かに、と納得する。
「ウィンドは会ったときからプッカプカふかしてたけど」
「げ。おっちゃんやっぱ不良かよ!」
「そうですね。タバコ吸う喧嘩する酒飲む暴れるは彼の得意技ですから」
ヴァンもコウキには気を許している。
仮にも王様の悪口だ。
しかも大聖堂のど真ん中。
椅子を倒してお菓子食べて雑談。
――此処は神官がいるわけじゃない。
お城の管理だ。
まぁ元々はヴァンツェが管理だったらしいし。いいんじゃないだろうか。
「最悪じゃんっタバコ吸っても体力落ちるだけだし酒飲んで暴れるって馬鹿じゃん」
「馬鹿だからネェ〜あいつ」
「あれ? 喧嘩は否定しないのですか?」
「それは否定しないよ。その評価はそのときにしか出来ないもんだしっ」
しかもこの子超しっかり者だ。
顔の割にはじつは歳があるのだろうか。
「コウキっていくつ?」
「俺? ふふ。俺ってば永遠の」
「8歳です」
「おおい! 一桁は精神年齢だけにしてよっ」
思わず吹いてしまった。
流石に一桁は無い。
「ん〜ギリギリその倍ぐらいの歳に見えるけど」
「お。近い近い。俺17だよん」
「ははっでも話してたらあたしと同じだと思ったんだけど」
「19? 姉ちゃんがその歳だぜ」
「お姉さんがいるんだ?」
「おう。昔は同じ顔してたんだけど、今は違うかな。俺よりもっと女っぽい」
「コウキは女装すれば天下一ですからね」
「いやだよ! お互いその過去は捨てようよ!」
「えっなんかあったの?」
「コウキはシルトリアの女装大会で優勝したんですよ」
「やりたくてやったんじゃねーーっっ! ヴァンだって準優勝だろっ!」


他愛も無い話。
笑ってムッとして、コウキの表情はコロコロ変わる。
――どんどん、あたしも自然に話せるようになってきた。
楽しい。と、思った。

「シルヴィアって何か愛称無いの?」
「あたし?」
「シルヴィアは……確かシィルと呼ばれてましたね」
あたしより先に応えたのはヴァンツェ。
余計な事までしっかりと覚えているエルフの特徴だ。
「あぁ、うん。士団の中の女友達はそう呼んでたわね」
「だってシルヴィアの“ヴィ”ってビじゃないんだぜっヴィなんだぞ。
 下唇真っ赤になるぜっ」
「常に赤いでしょそこはっ」
「うははっんじゃシィルって呼ぶよ?」
「お好きなように〜」
愛称。
シィルはホントに親しい人しか呼ばない。
大体小さい頃に付いたあだ名だ。
この子はするすると人の中にはいってくる。
決して不快ではなく、むしろ話しているのは楽しくなる。

――クッキーはすぐになくなった。
美味しかった。
ホントを言うとあんまりお菓子って食べたこと無い。
アリーと一緒に居るようになって、あんまりにもケーキを物欲しそうにみるから連れて行くぐらいしただけ。
そういうのよりは夜にお酒飲んで馬鹿騒ぎするほうが好きだったから。
今はコウキのお陰で騒ぎながらお菓子を食べているけど。
こういうのもいいかな。
そう思った。
「といいますか、こちらが日常になりますよ」
「えっ」
「いえ。考えるのはいいですが口に全部出てます」
「うっそっ?」
うわ、結構変な事考えてたのに。
「本当ですよ。コウキといればわかります。夜に残る体力は無いです」
「酷っ! 俺が疲れさせてるみたいじゃんっ」
「その通りではないですか」
「大丈夫だって! 俺夜も騒ぐしっ」
「ただ騒がしいだけじゃないですか」
「チクショウ!」
ペシペシとアグラをかいているヴァンツェの膝を叩いていた。
それを笑って受けるヴァンツェ。
何だろうこの変な風景は。
こいつこんなに協調性あったか?
時間って人を変えるっていうのもバカに出来ないなぁ……ほんと。


「あははっあ、飲み物無いな。なんか貰ってくる〜」

フラッと現れてフラッと去っていく。
そんな感じ。
「面白いでしょう彼は」
「うん。どっかの馬鹿共とは全然違うわ」
「おや、意外と素直に頷くんですね」
「だっていい子じゃん」
「ふむ。確かに」
天井を見上げて随分と久しぶりに雨が降っていることに気付いた。
あれ、なんか晴れてる気分だったのに。
晴れてる日のちょっとした時間潰しで木陰でのびのびと話しているような――……。
「――天気、雨ですね」
不意に同じことを思ったのかヴァンツェがそう口にした。
「そうねー。さっきまで気にもならなかった。
 聖堂ってことすら忘れてたわ」
「見えてる風景すらですか」
「そ。晴れた日にちょっと一休みしてるみたいな感覚だった」
会話は途切れることなく続いたし、新鮮で飽きなかった。
「彼にはそういう魅力があるんでしょうね」
「すごいね〜」
「全くです。ああいう力はつけようと思って付くものではありません」
「実はいっぱい女の子泣かせてそうだね〜」
「泣いてましたね。とりあえずリージェ様とアキさんは」


――またその名前。
あたしの知らない――あたし。
あたしの娘。なんだって。
「……あのさ、アキって子」
「はい」
「どんな子だった?」
「とても優しくて、間延びしてて、頼りになって、自分には自信を持っていない謙虚な方でした」
とても、あたしの娘だとは思えない。
でも――トラ様の子供なら納得できるかもしれない。
「……言葉で表すとそうなんだろうけど、良くわからない……
 ねぇあたしやっぱりその子を振る舞った方がいいかな。
 コウキもファーナもいい子だけど……わかんなくなる」
不安だ。
あたしと言う存在も不安。
ここはあたしじゃなくて、その子の居場所。
「バカな所に真面目ですねあなたは」
「うっさい! バカじゃないあたしはちゃんと――」

「お待たせ〜お? お取り込みちゅう?」
コウキが戻ってきた。
ちょっと空気が悪い。それを察したのだろうか。
「ん……違うよ」
折角いい空気だったのに崩しちゃったな。
悪いなぁと思いながら座りなおす。
「そう? はいヴァン。さっきと違うやつなんだ」
「ありがとうございます」
「そんで……シィルはコレ。カフェオレ」
「えっあ、ありがと作ってくれたんだ」
「うん。苦かったらまた明日はもうちょっと甘く作るから言ってね」
言われてちょっと口をつけてみた。
程よく甘いミルクの味。
酒場に有るようなのは苦すぎる。
お茶屋に有るようなものは甘すぎる。
たまにある穴場のカフェオレが好きだった。
「――ん、うまいっこれっあたしの好きな味っ」
おお。すごい。おいしい。
「風呂上りとかに飲みたいな〜」
そういうと、彼は本当に嬉しそうに笑った。
「うちのねぇちゃんは風呂上りに牛乳飲んでたよ。身長は伸びなかったみたいだけど」
「そうなんだ」
「うん。なんか所々シィルに似てるかな」
彼は可笑しそうに笑う。
「そっか。会ったら意外と気があるかも」
「そーかもね」
この子の姉ということはさぞ楽しい人なのだろう。
そう予測して自分も顔が笑っていた。



「あっ順番が逆だ!」
コウキが眼を丸くし、あたしをみる。
「順番?」
当然意味が解らないので首を傾げる。
言うとコウキはアタシの正面で正座する。

「シィルに俺達の旅について来て欲しいんだ」

あたしは呆けたような顔をしていたと思う。
あたしバカじゃないか。
それに、彼も初めから一緒に行く前提でまた明日の話をしたんだ。
――関係ないんだ。
あたしがアキでもシルヴィアでも。
それは悪い意味じゃなくてとてもいい意味で。
「あたしは、アキって子じゃないよ?」
それでも訊いてみる。
その子がどんな風に役に立ってきたか。
聞き及ぶ限りじゃあたしには出来ないことも沢山あった。
あたしは戦う事しか能の無い戦争屋。
料理はできない口は悪いついでにマナーも無い。
「俺はシィルに言ってるんだよ?」
ニヤニヤとあたしの質問を質問で返す。

ああ、もう。

「行くわよ。行きたい。他に居場所が無いから」

「なはははっフリーエージェントゲットだぜ! と言うか、居ないと困るんだ」
「そう?」
「ファーナと同性ってだけで十分役に立つんだよ。それに強いなら尚更」
「ははっコウキが守るんじゃないの?」
普通なら虚勢でも言っておくべき所だろう。
「俺一人で守れるわけないじゃん」
「男らしくないよ〜? そこはバシッと守る! って言う所でしょ?」
「言えないんだ。だから俺はシィルに居て欲しい。
 一緒に守って欲しいんだ。俺は前を見ながら後ろは見れない」
「ヴァンツェがいるじゃない?」
「三人でいれば無敵だろ?」
「――それもそうかっ」

想像する。
全員の背中で、彼女を守る。
向いている方向が違うけど、囲まれたって負ける気はしない。
見える気がする。
この体がかつて戦った日々が。

ヴァンを見れば何も言わず不敵な笑みを見せる。

――ま、いいかな。
妥協じゃない。なんか嬉しいな。

この子の周りはホント、雨が降らない。

「うん。じゃぁよろしく」
差し出される手。
握手。
皮の分厚い感触の手だった。

あたしの手もそんな感じ。
今まで剣しか振り回して無いし――。
「アレ?」
そうでもない……あ、いつかのあたしの手より、女らしい。
そういえば……。
「あたし、こんなにおっぱいでっかくなってるの?」
むにむに触る。
育ちすぎでしょコレはっ。
「……いや……うん。そうなのか?」
コウキが困っている。
ウブな奴め。
「そうね。あたしの中じゃおっぱい革命が起きた」
ぶっちゃけて言うと数日前まで胸が無いからジャンプが高いとヴァンツェにバカにされていたのだけれど。
ふふ。この力を借りればそんなことは言われ無さそうだ。
「すげぇ革命だ。恥ずかしすぎて聞いてられないっ」
コウキがキャーなんていいながら顔を隠す。
「う、うるさいっあたしだって驚いてるのっ」
「困りましたね。それでは自慢のジャンプが低くなってしまいます」
そう来やがったかっ。
「ならんわっ! むしろこの胸を使って更にブルンブルン高みに上る!」
「どんな使い方ですか……いえ、実演はいいです」
「見たくないの?」
「シルヴィアは……少しは恥じらいを持った方がいいかと」
「いいじゃん見せてるわけじゃないし服の上から見られても害は無いし。
 実践で使えれば凄いよ! おっぱいが役に立つんだよ!?」
なんだかそれはとても凄い事に思えてきた。
「モンスターも胸に負けたみたいで悔しいだろうね」
コウキが首を押さえて死に掛けのモンスター演技を始める。

「く、くそう! あのおっぱいさえなければ俺たちが負けることは無かったのに……! ガクッ……」
「な、ナニィ!? おっぱいで二段ジャンプだとぉ!? ドワアアアッ」

「あははははははははっ! アホくさ〜! ぷっはははははっ!」
「――っ!!」
見ればヴァンツェも爆笑を堪えているのかバンバンと膝を叩いている。
皆でツボって笑う。

「これぞおっぱい革命だーーーーー!! ははは!!」

コウキが最後にそう叫んだ。
ガチャ。
それとほぼ同時に扉の開く音。
聖堂には途轍もない音量で響き渡ったその声。
ドアを開けたのは――お姫様。

ファーナとアリス。

「……」(二人と目が合う両手をあげた状態でおっぱい革命を叫んだコウキ)
「………」(とりあえず自分の胸に視線を落とすアイリス)
「…………」(無表情で固まったファーネリア)


「コウキ、そりゃないわ」
「不潔ですよコウキ」
あたしとヴァンは即座に掌を返す。
「ちょ、あれっ!? 俺のせい!?」
「……最低ですコウキ……」
どす黒いモヤを纏ってコウキを睨むファーナ。
「なるほど……シキガミ様は……む、胸が好きだったのですね。
 殿方ですもん。いろいろあるのですよお姉様っ」

「え、うわっ、ちょっっっ……! ――ご、誤解だあああっ!!」



――きっと。この旅も楽しい。
二人に慌てて弁解をする彼を見てそう思った。

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