第87話『血の盟友』


 ああ、くそ、何やってんだ。
 動こうとしたけど、足が動かない。
 何でだ。
 痛い。
 そんなの、無視すればいい。
 痛みは唯の警告。
 足から脳へと発せられる救済の声。
 無視しよう。
 今はそれより、大事な事がある。

 動けばいい。
 走れ。あそこまで数メートルの話だ。
 ただ、術は集中力を乱すと良くないと聞いた。
 見上げているファーナの視界に入らないようにしよう。
 姿勢を低くしていけば気付かないはず。
 地を這うように――全力で走れ。
 俺の脚なら大丈夫だ。
 この距離でもあの剣が振り下ろされるまでに間に合う。
 渾身の力を足に込めて床を蹴る。
 一歩蹴って――二歩目が踏み出せない足になった。
 ヒビだったそれが完全にいった。
 痛みにと絶望に泣きそうだ。
 叫びたい。
 でも声にならなくて手を伸ばす。
 まだ思考は終わらない。
 だって誰か行かなきゃファーナが、死ぬ。
 また助けれないなんて嫌だ。
 今度は間に合うんだ。全力を出せばこんな距離秒にも満たなくて――誰か。

 助けてくれ……!!

 助けての叫びで埋まりかけた脳にそれは響いた。


 『助けてやろうか』




*シルヴィア


 叫んだのは彼女に危険を知らせるためだった。
 彼女がそれに気付くことは無かった。
 自分の手があそこに届く事は無い。
 全力で走ってもあちらの刃は振り下ろされて、きっとファーナが致命的な怪我を負う。
 アタシには届かない。
 救えない。戦場で油断している方が悪いのだ。
 そう割り切っていたのはついこの間までの話。

 ウィンドとアリーについていくようになってそれは変わった。
 元々御人好しな二人は協調性の無いアタシやヴァンを助けるのに躊躇しなかった。
 仲間なんだから当たり前だと言って二人が笑ったそれだけの記憶。
 唯ひたすら戦争に行って殺戮だけを繰り返したアタシとは違いすぎて――眩しい。
 一瞬でも、憧れた。
 迷わず拳を振るい続けるウィンドと彼を信じて守られるアリー。
 その二人の――在り方が……。

 どうしても重なる。
 この二人も、あの二人も同じ。
 アタシを守ってくれて、アタシと友達で居てくれて、アタシを頼ってくれている。

 答えるべきは今ではないか。


 右腕に力を込める。
 脱力しかけた体を踏み留めて十字架を剣とする。

 待って。
 剣を振り下ろすな死体。
 アタシがこの十字架を墓標にするから。


 だから待って!

 彼女を殺さないで!!

 時間が足りない!!

 わたしに守らせて!!


 剣が――振り下ろされた。


 なんで……!






 コウキが視界の端に入った。
 あの子はアタシを見て――カードを掲げている。
 ココから彼女まで数歩。

 希望の無い、その距離。

 彼なら、それをゼロにしてしまえるだろうか。



 その瞳の色はブラウン。

 ファーナの発動している術の焔はアタシ達の周りで、今だ力強く燃えていた。

 その光を映した焔の入った真紅を帯びた眼は――



 まだ何も諦めてはいない。



「血の盟友<エムブレム・ブラッド>!!!」




 それは言葉ではなかった。思考に介入する彼の声。
 アタシの神経になったみたいなその声に身体が反応する。
 剣を投げる事で解決しようとしたその距離を埋めるために一歩目を踏み出した。


“ は し れ !!! ”



 ――!
 体が軽い。そしていつもより速い。

  まるでコウキみたい。

 彼の速度を体感した事なんて無いのだけれどそれに近いと感じた。
 瞬時に自分の体の位置が十字架剣より先にファーナの隣。
 速い。速過ぎる。

 気を張っていないと自分のそのスピードに置いていかれる。
 十字架剣は掻き消して、もう一度右手を振りかぶる。
 ズキズキと筋肉が無理だ、と軋むのを感じた。
 ……無理じゃない……っ!

 コウキと同じ速度で走れた。
 コウキと同じ速度で剣を振れて然り。

 痛みと言う悲鳴を受け入れる事にした。
「――――ァ!!!」

 声にならない声で激痛に叫ぶ。
 それが彼女を助ける剣を振る掛け声の一つとなるのならそれで構わない。
  何をしている代償なのかは分からないが仮神化したこの身体が叫ぶ。


   それでも彼女を守るのだ、と。



 ドシャアアアッッ!!!


 そのまま鎖を引くとファーナから後ろの死体たちを鎖と剣で一掃する。
 聞き覚えの有る生々しい音はどうやらファーナの耳には聞こえていないらしい。
 彼女は真っ直ぐ自分の敵だけを見ていた。

『発射<ショット>!!!』

 ズガァァン――!!!

 ファーナの術が発動した。
 その眩しさに思わず眼を閉じた。
 閃光みたいな光りが発せられて眼を開けていられなかった。
 ああいう技を使う前には一言欲しい物だ。
 術者は良くても前衛で戦う剣士には死活問題だ。
 それは、また抗議するとして――

 甲冑は溶けて崩れた。
 あの熱量は半端じゃなかったらしい。
 プチブレスでもあんなには無いと思う。

 フラフラとする視界と足元。
 全員を見回しファーナとコウキの二人を確認して……叫んだ。


『やっっったああああああああああああ!!!』



 全員で――……!
 歓喜の声を上げる。
 たった3人なのに戦争に勝ったみたいな達成感。

 その叫びで伝わる喜びの中――

 意味の分からない倦怠感に倒れる事にした。









 「シルヴィアっ大丈夫ですかっシルヴィアっ……」
 「ん……」

  何となく呼ばれた声に反応する。

  聞きなれた声は――
 「アリー……?」
  だと、思ってそう声を返した。
  そして眼を開けると青空が広がった。
  
  視界の端からアタシを覗き込むのは髪の長い女性。
  アタシはその人を良く知っている。
 「シルヴィア……良かった……。ウィンド、お水をお願いできますか?」
  手にある布でアタシの汗を拭いながらウィンドにそう頼んだ。
 「はいよ。まぁ無理はするなよ〜」

  チャプチャプと心地よい水の音が聞こえる。
  フワフワとレモン色のウェーブした髪が揺れる。
  空色の瞳がアタシと目が合って彼女は安堵したように微笑んだ。
  傍から見れば怒っているようにしか見えない顔でウィンドが水を渡してくる。
  これはこいつなりに心配している顔らしい。
  その向こう根腐れしているクソエルフがこちらを一瞥して鼻で笑う。
  腹立つ。文句言ってやらないと――まぁ後でいいか。


  なんて『アタシ』の日常


  ……って。

「うへぁ!?」

 オカシイ!?

 今はあいつ等じゃなくて――



「おっはようシィル」
「大丈夫ですかシルヴィア」

 一緒に、旅をして居るのはこの二人。
 ああ、ただアイツにはもうすぐ会えるだろうし文句だけは言っておこう。
 でもなんだか――やっぱり……。
 膝枕の感触は同じだったか。

「シィル? どっか痛むか?」
 コウキはそういって心配してくれる。
 ファーナも同様の視線をこちらに向けた。

 でも……。
 それはアタシに向けられた優しさじゃ無い気がした。
 ……きっと二人はアタシを心配してくれてるいい子だから。
 冷徹に割り切った、信用に値しないという声が聞こえる。 
 かつてはその声をなくしてくれた人たちが居た。
 教えてもらった気がするこの感情。
 アリーがアタシに触れながら――教えてくれた欠けた感情。
 サビシイ……だ。
 そうか……今アタシは寂しいと感じてる。
 それを色濃く感じるのはきっとこの身体のせい――。



 さぁ……アタシとは違う身体に染み付いたわたしは誰だ。



「シルヴィア……?」
「あ……な、何でもないっ! いや、何で気絶なんかしてたのかな〜って」
「それは、コウキの使用した“血の盟友<エムブレム・ブラッド>”のせいです。
 カードによると、シキガミの加護を一時的に他人に譲渡する術らしいです」
「へぇ! 誰でもシキガミってわけね〜」

 そりゃ便利だと手を打ってみる。
 一時的……ああ、でもあの一瞬をシキガミとして過しただけでアレだけの負荷が有るのなら考え物だ。
 アタシがあそこでシキガミとして動いたのはほんの数秒――それだけなのに気絶。
 情けないが……精霊クラスの加護を一身に受けては身体が持たない。
 あんなものの中で生きてるんだろうかシキガミは――?

「そうでもないんだよ。俺が一度血を飲んでないとダメなんだ」
「アタシの血をコウキが?」

 コウキに聞けば深く頷く。
 飲むってどんな場合……? 毒を吸い出したとか?
 まぁ無くも無いシチュエーションかもしれない。

「そうそう。まぁ長い旅付き合いだし、料理の時に即効薬で……」

 そこまで言ってまた微妙な顔でアタシを見る。

「即効薬?」
「あーうん。まぁ包丁で指切ったアキとファーナの指を俺がぱくっと。
 一応吐いたけど多少は飲んだ事になるかな」

 あ、そうか。わたしの血を飲んでた。だから、だ。
 もう考えず遠慮なく言う事にしたようだ。
 その方がアタシとしても楽。
 自分の指をみて何となく生々しい舌の感触を指が思い出した。

「……エッチ」
「えっ!? なんで!?」
「何かエロかった。コウキのエッチぃ」
「本当ですコウキ」
「ファーナまで!?」

 ねぇ? アキ?
 ワタワタしているコウキを笑ってフゥッと溜息を吐く。


 アンタはこんな子が好きなの?


 多分だが。
 きっとアタシと同じでどっか鈍い所があるんだろう。
 アタシはこの心に残った感情は人を好きになったときの感情なんだって知っている。
 知らない存在に語りかけてはみたけれど何かが変わるわけも無く。
 だたちょっとだけ――考えが変わった。
 アタシの娘と噂の彼女がここに居るべき存在だ。

 アタシは帰りたい。
 ココはアタシの旅する道じゃない。
 アタシはこの子じゃなくてあの人を守る約束がある。
 きっとアキにもこの子を守る約束が有る。

 アタシの娘ならアタシの娘らしく約束ぐらい守りなさい。アキ。

 生きてないはずのアタシがここにいて生きてるはずの貴女がここに居れない道理は無いはずだ。
 アタシが逆の立場なら気合でナントカする。
 叱ってみたけど親としてのアタシの台詞ではない。
 それでもコレはシルヴィアからアキへの言葉。
 この二人は相当危なっかしい。
 アタシが守っていた二人よりはマシかも知れないが。
 それでも守り甲斐のある二人だ。
 この二人に何故付いて来たのかは知らない。
 アタシが付いて行っている様に唯の運命なのかもしれない。

 アンタが守りなさい。


 小さく胸の奥が高鳴った気がした。



 ファーナがコウキに肩を貸して二人が立ち上がった。
 アタシも立ち上がって身体を伸ばす。
 最後の階は一丁気合入れていきますか!
「うぎゃ!」
 コウキを持ち上げて肩で抱える。
「し、シルヴィアっそんな乱暴に……」
「アタシは娘を応援してる!」
 グッと指を立ててアピールしてみる。
「な、何の事ですか!?」
「なんだろ〜ね〜? あっはっは!」
 そのまま階段を上りだした。
「は、走ると足に響くぅぅ!」
「待ってくださいっシルヴィアっ」

 チクチクと痛む胸は――その子の優しさなんだろうか――?






 あっは! そんなものにアタシは怯えないけどね!






*コウキ


「あのさぁ」
「んー?」
 シィルの声が近くで聞こえる。
 今だ担がれて、先頭はファーナ。
 コレが一番速いと彼女の判断だ。
 まぁファーナの肩を借りて歩くよりは断然速い。
 扱いはナマモノ。開封後はお早めにお召し上がりください的ピッチピチ17歳。
 重いものも何でもお任せドラゴン急便で楽々配送!
 なるほど優秀な宅配人だ。
「あのねぇ……一応竜士団でも一般旅人でもそういう荷物とか預かったりするよ?
 大概重いものは嫌われるけどウチは大人数の移動だったし。重さには頓着しなかったからねー」
「あ、マジであるんだ。つかエスパーか!?」
「喋ってたでしょ普通に。
 配達は小さい事でも役に立たないとってトラ様が……
 ってそんなのいいから最初の続き話なさい」
「ああっそうそう。
 えっとカード発動しただろ?」
「みたいねぇ」
「カードってさ、試練中って発動しないんだ」
「……ちょっとまって……もしかして……」
「まぁもう分かると思うけどさ、コレ、試練じゃないんだ」

「はああああああああ!!?」
「ぎゃあああああああ!!?」
 思いっきり投げ出されて宙を舞い、盛大に石の廊下を滑った。
 ……壁で頭打って割と痛かった。
 この際だから右足は痛いに換算しない事にした。常に痛いからな。

「何で!?」
 シィルが怒ったように叫ぶ。
「はぐぅ……ファーナ、何で?」
 俺はボロボロの身体を両手で持ち上げて右足を庇いながら壁にもたれた。
「コウキ大丈夫ですか!?」
「うん。何でコレ試練じゃないんだろうな?」
 気にさせないために気軽な風にそれを聞いた。
「……わ、わたくしにも……分かりません。
 もしかしたら……コレがフォーチュン・キラーの代償なのかもしれません」
 ファーナが俯いてそう言った。
 ……そう、俺たちにも分からない。
 俺たちは言われるがままにココにきて言われるがままにココを攻略している。
 その道中がどうなっているのかとか、何が試練なのかは明かされない。
 カードが俺たちに課す試練が曖昧なのはフォーチュン・キラーのせいなのかもしれない。
 ――道中が長いのは俺達のせいかも。
 ……巻き込んだ皆には申し訳ないとしか言いようが無くて。
 俺もこんなんになっちゃって。
 正直……マジで凹む……。
 誰かの足手まといになるのは……辛い。


 でもこんな所で落ち込んで女の子二人に不安煽るとか出来ないし。
 とりあえずヘラヘラでも笑ってられたらいいなぁなんて思ってる。
 ギャグだけど片足でも結構動けるし、いざとなったら盾ぐらいにはなろうかな。
 なんて、考えてる。
 この後何があるのか分からないが……絶望的だ。

 ゴンッッ!!

 拳骨が降ってきたのはチョットだけ――溜息を吐いた瞬間だった。
 めっっっっっっちゃくちゃ痛かった。

「コウキ!」
「いって……何さー!」
 罵倒を覚悟して奥歯を噛締めながら笑った。
 それが今の俺の精一杯だった。
「なんでそういうアタシの活躍チャンスを先に言わないの!?」

「ふぁ?」
 唖然と彼女を見上げた。
 なんか――……そうだ。
 懐かしいって思ったかな。
「試練はそりゃアタシ達は役に立たない事は多いわよっ!
 シキガミ達がやるためのものだってね。能力制限されたりもするし!
 でもそうじゃないなら!」
 
 俺たちの目を見て頷いて口の端を上げた。
 姉ちゃんみたいな笑い方だった。
 ちょっと泣きそうだぞ……っ。

「あっはっは! 心配しなーい! アタシ強いから大丈夫よー!」
「まぁ得てしてその通りなんだけど自分で言うと台無しなんだよ?」
「ふふん。台無しかどうかは終わってからの判断で良いのっ。
 どこぞのクソエルフよりは役に立つし安心して」

 さっきまでマナ切れでヘタれてた彼女とは違っていつも通りな彼女だった。
 でも空元気とは違うなぁ。シィルは嘘吐かないタイプだし。
 見てて清々しい何かに吹っ切れた感じだ。
 
「?? なんか元気になったねシィル」
「うん? あーなんかね寝て起きたからかマナの回復バッチリしちゃってて!
 あ、なんならプチ抜こうか?」
「……いやプチ抜かなくて良いけど」
 何だ? 驚異的な回復力? でもペンダントとか無いし……。
「うん。じゃぁ出発! ぃよいしょ!」
 またシィルに担がれる。
 今度は前後逆だ。
 さっきは顔が前だったので胸を避けるのに精一杯の神経を使っていたのだが今回は大丈夫そうだ。

「……アンタはちゃーんと前見てなさい」

 小さく、そう声がした。
 ――……確かにこの格好なら前が見える。
 そういう意味も込めて俺をこっちで担いだのだろうか。

「えっファーナのお尻の事?」
 冗談交えてそう答えた。
 ココの位置だと割と背中から下のほうが見える。
「……まぁそれも良いでしょ」
「そんな趣味無いしっ」
「またまたー。じゃあ生足」
 言われて目がいくファーナの足。
 べ、別に興味があっていったんじゃない。
「無い! ないし! 不可抗力って言うんですぅ!」
「ファーナー! コウキが足見てヨダレ垂らしてる!」
「えっあのっそんな、困ります……っ」

 ファーナが真面目に足元の服を押さえる。
 ワタワタとした仕草をなんだか可愛いと思った。
「見てねぇぇぇ! いや、見えるけどさ!」

 言われたら気になってしょうがないじゃん!

「あっはー! やっぱりエッチねーコウキ〜」
「俺をエッチに仕立て上げて楽しいかチクショウ!」
「男の子なんだからちょっとぐらいエッチじゃないとダメなんじゃないの?」
「そのちょっとぐらいは今出す所じゃなだろぅ!?」

 シィルは笑いながら俺の右足の太ももを叩く。

「アリガト」
 聞こえなかっただろうがそれだけポツリ、彼女の背中に投げてみた。

 ――……っ元気でた。
 俺だってたまに電池切れするんだ。
 充電してくれると助かる。
 方向だって見失う。
 指差してくれると助かる。
 それはかつて姉ちゃんのやってくれた事だけど。
 小さくても。元気付けてくれるのが嬉しい――絶望を感じた今それを強く感じる。
 顔がにやけたまま止まらない。
 振り向いたファーナがまた真っ赤な顔して前を向く。
 ああ、滅茶苦茶誤解されたよ俺……。
 絶対領域に燃える男子壱神幸輝誕生だぜ!
 ……どうしよう。

 うっし。ま、頑張って俺も――

 ……うーん……

 ……とりあえず応援するかなっ!


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