第90話『感情選択』


 城が憎い。その権力に人々は頭を垂れず牙を剥く。憎い。
 兵士が憎い。刃を向けるのは敵である私ではないはずだろう。憎い。
 子供が憎い。何故私からその地位と場所を奪うのだ。憎い。
 妻が憎い。信用していたのに他人の手に落ちるのか。憎い。
 民が憎い。私には権力を振りかざす権利は無いと罵る。憎い。
 世界が憎い。こんなにも憎悪に満ちて尚、悪意を生み出し続ける。憎い。
 憎悪が憎い。不快でそれは怒りに変わり、絶望を生む。憎い。
 憎い、憎いぞ。この世に溢れる全てが憎い!!
 何故、私は存在した! それすら憎い!
 神々すら憎い!! 全ての憎悪を何にぶつけろと言うのだ!!
 憎い! 憎い!! 憎い!!! 憎い!!!




「うわ……っ!?」
 世界を憎む声がした。
 思考が――身体を蝕むように響いてきた。
 脳に直接じゃない。体全体に“憎い”と伝わってくる。
 憎悪の念で満たされたそれが棺の表面を触れるだけでわかる。
 慌てて……を離したが目の前がチカチカする。
 狂気に当てられて吐気がした。
 眼を閉じて頭を振る。
 まだ世界を怨む声が聞こえる気がする……!
 何だこれ、は……っ……!
 
「キツキ!」
「大丈夫ですかキツキ……!」
 ティアとヴァンさんが同時に俺に触れてきた。
 驚いて振り返った。
 ティアは俺を見て心配そうにその瞳を向ける。
 ヴァンさんもただ事じゃないと眉を顰めている。
 ――この二人に、心配させるわけに行かない。
 その心だけで持ち直して、大きく深呼吸した。
「――ふぅ、だい、じょうぶです。それより、これには触れちゃだめだ。ケホッ」

 やばい。何か涙出てきた。
 呼吸を整えながら俺は立ち上がって再びそれに向かう。
 こんなモノに何をすればいいんだ……?

「厳重な封印ですね……。正規の手順で封印を解けば数日はかかるかと」
「そんなの待っていられませんよ……ここに来るのにも時間がかかったのに
 なんか、ぶっ壊す方法ありませんか」
「おお、キツキもそういう風に大雑把になることがあるのですね」
「そりゃそうですよ戻ってもう一度来るなんて真っ平ごめんです。ついでに触るのもごめんです」

 ボロボロ。全員が満身創痍だ。
 俺だってこんな所に長くは居たくない。
 次ってない。コウキは足を折ってる。
 全員の疲労は聞こえてるだけでも限界。
 なんとか――この試練を早く終わらせないと。

「……キツキ、これはどんなものでしたか。モノによって、破壊は危険です」
 なるほど。破壊はできる、と。
「……じゃ、俺がぶっ壊すのでヴァンさんちょっとティアと外に出ててください」
「キツキ危険です。もっと安全な方法を取りましょう」
「……コレに触れたとき、流れ込んできたのは“憎い”という思考……怨念です。
 こんなの、どう解いても危険じゃないですか」
「やはり……ですが焦って爆発させると貴方に被害がいきます。
 今ので分かったでしょう。それは危険なモノです」
「大丈夫です。いざとなったら鏡光ノ瞬<きょうこうのまたたき>で逃げます」
「まさに光速の離脱ですが……。ダメです危険すぎます」
「そろそろあいつ等も到着します。呪いの類なら俺一人で受けとくんで」
「そんな食事を頼むような気軽さの問題では無いでしょう。
 無謀です。貴方らしくないですよ」

「――……あいつ等が来ても被害が広がって悪い方向に転がるだけです。
 一番疲労しているのはコウキ達の組でしょう。
 それに四法さん、タケ。二人もさっきの部屋で長めに休憩を取っています。
 一番体力とマナを残してここまでたどり着けたのは俺達です。
 俺達が最初に、やっておくべきでしょう」

「……それならキツキ、貴方も疲れている。もっと冷静に判断を下してください。
 全員がココに来るというのならそのときの方が好機でしょう。
 呪いの類を分散して発散する事もできる。
 もっと効率のいい方法も見つかると思います」

「……だからダメなんです。
 コウキたちは今回、カードのペナルティがあるとも言っています。
 だから。あいつ等が来る前に終わらしたいんです」
「足が折れたのはペナルティではないのですか」
「わかりません。四度目の不幸はどんな形なのか予測が付きませんから。
 でも大事をとるならやっぱり俺達で呪いだけでも受けるなり吹き飛ばしておくなりするべきでしょう」

 ヴァンさんを見てその蒼の瞳を見つめる。
 俺は真剣だと目で伝える。

「……はぁ……貴方はコウキより頑固ですね」

 ヴァンさんは眼鏡に手を当てて溜息を吐いた。
 どうやら勝てたようだ。
 これは勝訴を掲げて走るべきだろうか。
「ありがとう御座います」
 俺は本当に感謝の気持ちで頭を下げた。


「よーしっやっちゃうよキツキ!」

 ピシッと棺を指差すティア。
 羽を出してたら絶対バタバタさせてるはずだ。
「……ティア。お前はダメ。外」
「やだー! だってキツキさっきから全然相手してくれないもん!」
「大人の話なんだ」
「ティアも15歳だよっ!」
「ははっ」
「笑うなぁー!」

 いやティアと2つしか違わないなんて信じてないからな俺。
 そうだな最近やっと9歳って感じか。
 大人しくしている場面では大人しいし意思表現も身振り手振りも交えて多い。
 最近怒ったり拗ねたりが多くなってきた。
 ……反抗期ってやつか?
 とりあえずティアを押して扉の外へと出る。
 ちょっと離れたぐらいがいいか。
「うっし。この辺で待っててくれよティア。すぐ終わるって」
「ううー……」

「ではお二人とも、少々お待ちくださいね」

 ゴゴゴゴ……ガタン――!
 あれ――?

 それはお茶を淹れに行くような自然さ。
 言葉を失ってティアとその場所に立ち尽くす。
「ヴァンさん!?」
 俺は扉に寄ってあけようと試みるが凍りついていて開かない。
『一先ず待っていてください。貴方がやるよりは安全です』
 声だけそう聞こえた。
 扉は分厚い。俺だから聞こえる声だった。
「ヴァンがやってくれるんだ?」
「……はぁ……そうみたいだ。後でお礼言わないとな」
「うんっ」


 意外な事に十分にも満たない時間で扉が開いた。
「どうぞ」
「もう終わったんですか」
「ええ。半分処理してから壁で囲んで最大出力の法術で吹き飛ばしたのですが」
「もしかして跡形も無く吹き飛んだとか言いませんよね……」
「いえ。それが――気味が悪いほど綺麗に残っていますよ……棺が」
「触れたりしました?」
「触れました。しかし何も起きません。蓋すら動かせません。
 どうやらここからは私には何も出来ないようです」

 そういって俺達を中に招き入れた。
 中には――先ほどの禍々しい封印の布や鎖の無くなった金色の棺。
 磨かれていたように輝いていて――不気味だった。
 でも先ほどのような違和感は無いし周りにも異常は無いように見える。
 棺の回りだけ絨毯が削れていたり、抉れてたりするのは何か激しい事があったんだなと流す事にした。

 とりあえず、あければいいのだろうか。
 油断は禁物だ。
 さっきの事もあるし中から何が飛び出るか分からない。
 俺は側面に立って恐る恐るそれに触れる――


 何も、起きない。
 先ほどの思念は何処へ行ったのか。
 思念もクソも無い感じで吹き飛ばしたんだろうな。
 安堵して、その棺の蓋を――ずらした。


 ガッッ!!
「うわっ!?」
 いきなり腕が掴まれる。
 乾いた干物みたいな左手。
 やっぱり罠だったか――!
「キツキ!!」
 二人の叫びを聞きながら振り払おうと右手を振るった。


 ――ブワッと世界が黒くなる。
 感覚が無いような。

 ――祭壇に召喚された時のような。





『ようこそ。第7試練へ』




 クツクツと笑う声。
 俺は五体の感覚の復活と共に目を開く。
 ゼロの試練に似た感覚。
 だがゼロは俺達の未練を断ち切るための物。
 コレは――ソレとは違う。

 先ほどの部屋と似た造りの空間。
 薄暗く、蜘蛛の巣や埃が多い。
 金色はくすんで、赤色も褪せている。
 空気というか、雰囲気も手伝って気分があまり良くない。
 棺のあった場所は玉座で黒いシルエットが鎮座していた。
 怨念の正体だな、と感覚的に感じ取って槍を構えた。

『シキガミ殿だな――待っていた』
「誰だよアンタ」
『ハハ、名前などあの地下で暮らすうちに忘れてしまったよ』
「死んでるのに暮らす? ああ墓だからか」
『そう私が外に出られないように、とな。フフ』
「――出られないように?」

 触れられないための――とは。
 彼に、来る者が触れられないようにと言う事なのか――?

「これはシキガミの試練じゃないのか?」
『いや。シキガミの試練に相違ない。
 迷路は私のせいでは無いがな』
「アンタを倒せば小箱が手に入るのか」
『小箱……ああ、コレか。もう用は無い。くれてやるさ』

 カタン――かた、パタッカコンッパタッコンッ……!


 影の彼が手を翳すとその足元に小箱が――
 多くないか……!?

「まて、そんなにあるのか!?」
『ああ。ここにあるだけで8つじゃ。コレが要るのだろう持って行けばいい』
 計算すれば一人二つ――って二つもか!?
「……アンタは何なんだ?」
『私か。私は王だった者……それ以外はどうでもいいじゃろう。
 宝でもなんでも持って行くといい』
「王だった者……過去のほうがどうでもいい。
 アンタは、今何なんだ?」

『……今は――そう、憎しみじゃ。
 感情、そのものだと言っても過言ではない。
 私は怨念――“憎しみ”である』

「憎しみ……感情?」

 黒さと禍々しさで言えば憎しみと言われても納得できる。
 普通襲い掛かってくるようなものじゃないのか?

『さすがはシキガミ。この空間に居ても気をやらないとは』
「気分は良くないさ。このままだとアンタは――倒すべきだと判断するが」
『好きにするといい』

「あのさ……そっちがやる気じゃないとやりづらいんだけど」
『シキガミが相手じゃ。竜位にも届かぬ私にはどうもできぬ』
「……やりづらい試練だな。いや小箱はあるから終わってるのかコレ?」
『終わっておる。封印を解くのには本来ならばもっと手順が要るはずなのだが。
 外におるあの男が全部吹き飛ばしてしもうたわ。
 主等は大変な男を連れておるの』
「後で伝えておくよ。で、結局アンタ何したいの?」

『何? そんなものとうに終わっておる。この8つを使って世界にまた傷をつけてやったわ』

「世界に、傷……?」
『そう。大陸の十字傷に並ぶ大地割れじゃ。
 ここに来るまでに何度も地盤のズレにあっただろう?
 それにココは大きな空洞だった場所でな。
 少し揺らせば割れいって大陸を分かつ崖となった』

 ――地上、今どうなってんだ……!?
 確かに地中は意味分からんぐらいズレてたが俺達を分断するためじゃなかったのか……!?

「なんでそんな事を!?」
『私が世界を怨むものだからだ。
 はは――私が憎いか。シキガミ』

「……っ俺は、正義の味方じゃない。
 だけど腹が立つ。ムカつくな」

『――はははは!
 憎む事は難しい。私のような世界を怨む者はそうそう居なかった。
 憎さの上では人も殺せる。そういった感情の激流じゃ。
 今の私はその残りに過ぎん』

 ――つまり、俺たちは遅すぎた。
 世界に影響を及ぼしたその後にココに小箱を取りに来てしまった。
 この覇気の無い憎しみも、恨みを半分以上晴らしたせいだろう。
 それ自体はいいことだ。
 しかし――俺達の小箱は、ついに世界に大きな影響を与える所まで来た。
 もう、後戻りは出来ないってことか――。


「憎む……か」
 人を殺すような憎しみ。
 死ねばいい、と一度だけ叫んだ事がある。
 ああ、あの激情の中ならば何が起きてもきっと大丈夫――。




「……憎しみに聞く。

 友人を憎むにはどうすればいい」


『ほう……?』
「憎まなくちゃいけない友人がいる。
 本来なら戦わなきゃいけないシキガミ同士だ。
 だが――ぬるい環境から来たせいか緊張感もなくへらへらしてる」

 おかしな話だ。敵にこちらの事情など話して憎む方法を聞くなんて。
 だが影はその話に大きく頷いておそらくニヤリと笑った。


『ならば――食うか。私を』


「食う?」
『簡単だ。私に触れろ。そうすれば私がお前の憎しみになってやろう。

 私は王ではない“憎しみ”感情そのものである』

 言ってそいつは――俺の形の影を取った。

『シキガミ。体と意思の保障はしない。
 そのかわり絶対にその友人を殺す憎しみを得る』
「身体を譲る気は無い。普段は普段通りじゃないと意味が無い。
 戦いの時にだけ必要なんだ」
『それはお前の意思次第だ。私に飲まれるようなら身体は諦めろ』
「――そうか」
『どうする』
「――望む」
『――ほう』

「俺たちはそうじゃなきゃいけない。
 勝ち残らなきゃいけない。
 甘いんだ。
              ・・・・
 誰か一人でいい。必要なんだそういう奴が。

 友達とかそういう観念をぶっ壊して、全員に刃を向ける奴が。
 生きる事が約束された世界で生きてきた俺達は、牙を研ぐ事を忘れてる。
 人を信用しない事じゃない。命を自分で守る術を持たなくちゃいけないんだ」

 そうなろうと。何度も殺すなんて言葉を使ったけど。
 結局アイツのペースにはまって、あいつ等と一緒に笑う事を望んでしまった。

 だから俺が望むのは当然で、俺がそうなるべきなのは分かっている。
 ここで俺がコレに触れたのは運命だろう。
 コウキなら、きっと受け入れず弾き返してしまうから。
 タケも納得しているフリはしているが結局流れに任せているに過ぎない。
 あいつが本気で誰かを殺す事を考えているとは思えない。
 四法さんも論外だ。もしかしたら呪いに飲み込まれたかもしれないが基本的にコウキに近い。
 当然俺たちの輪が崩れなくてはいけない。
 全員が平等に全員に刃を向けるべきなのだ。
 別にそれでも尚他の3人が結束して俺に掛かってくるのなら俺は――
 非情になってあいつ等を殺さなくてはならない。

 ……俺でいい。

「ただし。俺がお前を許すのはこの戦いが終わるまでだ」
『なるほど。利用して捨てる気か。
 だがその後の呵責に耐え切れるか?
 お前は友を殺し、今までと同じ顔で生きられるのか?』
 玉座に座った俺が俺を嘲笑う。
「……今までと同じだなんて思っちゃいない。同じわけがないんだ」

 四法さんに負わせるには重過ぎる。
 タケに負わせるには無自覚過ぎる。
 コウキに負わせるのは――不幸過ぎる。

 俺が一番バランス取れてる。だろう?

 俺は玉座に手を差し出した。

 ズズ――と、ソイツが俺に溶けた――。





 初め、なんら変化は無いと思っていた。
 それは――タケを見た瞬間に変わった。

 体の底から“憎しみ”が溢れる。
 そうだ。アイツを殴っている時のような感情。
 死ねばいいと、本気で叫べる危うさ。

 俺は、友達を殺せる力を手に入れた。

 分かりきっている不幸をあいつに負わせる事は無い。
 だから。もう一度。

「俺はお前を殺せるよ。コウキ」

 全ては俺の意志。そのままに動けるように。
 俺はシキガミとしての道を歩む事に決めた。
 


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