第92話『哀愁喜話』
その空の下では全てが平和に見える晴天の午後。
少しうとうととしてしまったファーネリアがハッと金色の髪を揺らした。
紅の双眸が2・3度眠そうに薄められたがそれではダメだと立ち上がって大きく背を伸ばした。
同じくその膝上で寝ていた子犬のような動物もそこから降りて前足後ろ足と伸びをした。
金色の毛並み、額には真っ赤な宝石――。
動物として珍しいカーバンクルだった。
プルプルと身体を振るってやっぱり一度大きな欠伸をしてファーナを見上げた。
*ファーナ
大脱出から――3日。
大脱出というのはあのシキガミ達の訣別のあと、コウキが取った行動によって起きた
大惨事のようで奇跡のようで……一つだけ言える事はもう体験したくないという事だけである。
コウキが景気付けと豪語して右手で裂空虎砲をあの部屋で行使。
落盤と悲鳴の中コウキは気絶したがそのまさに切り開いた道を進むと――出た先が街。
なんとも都合の良すぎる奇跡だったが何にせよこうなればコウキだけは救える。
叱るに叱れず腑に落ちない感を抱きながら過した3日だった。
――コウキは、今だ目を覚ましていない。
疲労や怪我の具合からは致命傷とは言えないが大怪我があった。
――……左手は……失う事になった。
処置が遅かったのだ。
コウキの壊死してしまった左腕を再び繋げる事は出来ない。
壊死した腕を治すのは殆ど死者蘇生に近い技術が必要なんだそうだ。
ヴァンツェはそれを知っていて傷口を冷やし腕の保存を図ったのだがそれも時間の前に意味を成さなかったようだ。
コウキには起きた時きっとそれがショックだろう。
わたくし自身それがショックで泣いてしまった。
聞いた瞬間にシルヴィアが殴りかかったりルーメンが止めたりと大変だった。
そんな生臭い話ばかりで気が滅入った。
右足も治ったコウキの看病に区切りをつけて、いつも通りの寝顔にちょっとだけ安堵して
外の空気を吸いにキュア班の病室を出た。
皆にはコウキが治るまでは自由時間と言っている。
ヴァンツェとシルヴィアは調査隊の募集に加わって新しく出来た地割れの調査に出た。
夜は流石に病室が出入り禁止になるのでキュア班に任せているが殆どの時間離れないようにして看病をしている。
目を覚まして最初、何と言葉をかければよいのだろう。
そればかりを考えるようになった。
キュア班の建物の屋上に来た。
そこには毎日洗濯されているシーツや病人服などが干されている。
青空に映える白で風にフワフワと靡いているのが爽快だった。
深呼吸をして街並みの見える屋根へと歩み寄った。
鉄の柵があってそこに手を乗せると目の前の街を見下ろした。
ルアン・ワ・ソードリアス。
ブレイズアーチと並ぶ工業地帯の一角で聞けばわたくしたちの潜ったシン鉱も元は栄えた場所だったとか。
なんでも掘り進めるうちに病人やけが人が多くなり、
呪われた場所として有名になってしまったようでシン原石もあまりでなくなった事から廃鉱。
今ではこのソードリアスへと移ったらしい。
地割れの大地震と裂空虎砲の大爆発で町が騒がしかったのだが、
人的被害は少なく建物の改修作業をしている姿が沢山目に入る。
――思ったよりわたくし達の試練が世界に影響を与え始めた。
「カゥ!」
「ルーメン……」
「キュ〜」
ルーメンが寄って来たので抱き上げて撫でる。
「――今日、調査隊に加わったヴァンツェとシルヴィアが帰ってきます。
二人が帰るまでにコウキが起きればいいのですが」
ろくに食事も食べないで寝ているだけのコウキはどんどん弱っているようにも見える。
早くいつものように健康的に笑う彼の姿が見たい。
それが日常的であったから尚更――彼の回復を祈らずには居れなかった。
夕方にはヴァンツェとシルヴィアは戻ってきた。
今日の看病は一旦切り上げて二人を労うために一緒に食事を取る事になった。
「お疲れ様ですお二人とも」
「お疲れー! いやホント疲れたわ」
シルヴィアとヴァンツェとグラスを交わし二人は一気に飲み物を呷った。
二人は試練の疲れの取れぬまま調査隊に加わったのだ。
ヴァンツェはあの地割れの真意を知っておきたかったらしい。
シルヴィアも自分が関与している事件だとその協力を惜しまなかった。
報酬はまぁまぁだったらしいがディナーぐらいは私が振る舞う事にした。
ヴァンツェは渋々と言った風だったがシルヴィアはすんなり受け入れてくれた。
「確認してきたのは発祥のあの場所からトラン<西>からアラン<東>に真っ直ぐ地割れとして伸びています。
……コウキの作ったものはそこからノアン<北>に真っ直ぐです。
あの部屋自体が方角に対してきっちり作ってあったのでしょう。
面に向かって打ったものが真っ直ぐ北に斜めに掘り抜かれています」
「凄いわよあの地割れ。コウキのは足で追えるけど……2時間以上かかるし、
十字傷に並ぶ傷だろうって」
「そうでしたか……」
ヴァンツェ達は左右に大きさを調べるのではなく対岸までの距離を測り戻ってきた。
他の調査隊がわたくし達が歩いてきた道を戻ったらしいのだが水没していて途中からは戻れなかったらしい。
あの遺跡にたどり着く事は無いと言うことか――。
「……それと、地割れとは別のノアン側の傷の方は人為的とばれているようです」
ヴァンツェが小さくしている声を更に小さくしてこっそりと言った。
ああ確かにそれは不味い。
わたくし達は運悪くあの地割れに落ちて、運良く助かったパーティとして有名だ。
疑われたり事情を聞かれたりすることもあるかもしれない。
「まぁ、一先ずは何も知らない事を告げています。
私達が調査隊で行った成果も評価されましたし大丈夫だとは思います」
本当に手回しの早い人だ。
そういう人なのは知っていたが改めて感心した。
「そうでしたか。ますますご苦労様です……後はコウキが目覚めればいいのですが」
「たたき起こせばいいじゃん」
「そ、そんな事は出来ませんっ」
「いいじゃん3日も寝れば元気だって」
「ダメですっ」
「あっは。冗談だって。お酒追加しちゃお。ヴァンツェ、アンタもいるの?」
「いえ、結構」
「すみませーん。麦酒二つ追加で」
「……」
それなら聞く必要は無かったのではと溜息を吐くヴァンツェ。
シルヴィアの事だから言う事なんて聞かないのは分かっているのだけれど。
「ふふ。好きなだけ飲んでくれて結構ですよ?」
きっと彼の事だ私に遠慮している。
そう声をかけるとすみませんと小さく洩らした。
シルヴィアの傍若無人ぶりには驚かされるが時折見えるヴァンツェの素顔にも驚ける。
この二人のやり取りは新鮮な楽しさがあって良いと日々思う。
でも何か足りない。そんな日々を送って彼の存在の大きさを痛感する。
フラフラと千鳥足で部屋に帰った二人を見送って、自分も部屋に戻った。
酒場の喧騒も終わりかけた時間で、自分もベッドに入って寝ようと思い服を着替えた。
ベッドの横に立ったとき、窓の外に月が見えることに気づいた。
なんとなくそちらへと近づいて、月を見上げた。
――満月。
毎日のように見ていた月。
コウキはアレを見るだけで、すごいとはしゃいでいた。
誓いは――守れているだろうか。
満月に向かって、二人で言った言葉がある。
強くなることを。
でも……。
いつの間にか、コウキに甘えてしまっていた。
彼が、強くなるから。
彼が、守ってくれるから。
彼が、笑っていてくれるから。
心のどこかで、大丈夫だと――甘くなった。
彼の信頼を通して、彼の信じたものを信じた。
そして――彼の腕を、失わせてしまうことになった。
――もう、起きてくれないのかもしれない。
だって……彼は沢山失って、沢山傷ついて、この世界を嫌って――。
コウキは、わたくし達を本当に大切な仲間だと思っている。
当然それはわたくし達も同じ。
だから、アキが居なくなったとき彼は自分の身を挺して彼女の復活に尽くした。
そして、傷も癒えぬまま――世界を共に超えた友人に裏切られた。
分かっていたのに。
何故わたくしは止めなかった。
後悔が巡り、自己嫌悪に泣きそうになる。
彼は、わたくしの信頼に応えてくれる。
わたくしは――彼の信頼に、応えれてないではありませんか……。
それなら――神殿で独り彼を待っていた頃のわたくしの方がずっと強かった――。
強くなるべきなのは――わたくしであるべきなのに……。
――明くる日。
今日こそ、起きているだろうか。
ほんの少しだけ期待して、病室の扉を開けた。
期待が大きいとその落差に心が痛む。
だから、少しだけ。
「失礼いたします……――っ」
コウキと、目が合った。
起きたばかりなのか少し眠そうに見えた。
そしてちょっとした癖のある髪を揺らして顔を傾けて――懐かしい顔で笑った。
「おはよっ」
少し掠れた声。
それでも、コウキの声だった。
止まっていた思考が再開する。
抑えていた感情も、一緒に溢れてきた。
「コウキ……!
起きたのですねっ!
体調は、大丈夫なのですか!
お水は……いえ、食事も、摂ってませんから、何か食べれるものも……!
ぁ……っ! よかった……!」
泣く所じゃないのに。涙があふれる。
もっと言いたいことがあるのに。
「みず、とりあえず、持ってきます……!」
とても恥ずかしくなって、部屋を飛び出す。
よかった……!
*コウキ
嫌な夢を見た。
真っ暗な空間――。
喜月とか、タケとか、四法さんがいて、武器を向け合って――殺しあう夢を。
汗だくになって起きた。
夢だった。
安心した。
ため息をついて、起き上がろうとして――左側に転がった。
左手が、無い――!
夢じゃない……。
言葉にならない。
左腕を抱えて、起き上がる。
何を悲しめばいいのか分からなくて。
呆然としていた。
ガチャ――。
「失礼いたします……――っ」
声がして振り向いた。
金色の髪真紅の目。
あまり大きくは無い女性的な身長。
俺が守るべき神子ファーネリア。
一瞬、夢だと思った。
ありえない登場人物。
それは現実だと――ガチリ、と何かがはめ込まれた。
呆けていた頭が急に動き出した。
起きてすぐ言う言葉はいつも――
「おはよっ」
だったはずだ。
声がかすれた。
喉が渇いていることに今頃気づいた。
「コウキ……!
起きたのですねっ!
体調は、大丈夫なのですか!
お水は……いえ、食事も、摂ってませんから、何か食べれるものも……!
ぁ……っ! よかった……!」
ワタワタとまくし立てるファーナに何か言おうと思ってたんだけど上手く声が出なかった。
ファーナは感極まって泣き出す。
「みず、とりあえず、持ってきます……!」
そう言い残して涙を隠すように走り去る。
――そんな心配させたのか……。
あとで謝んなきゃだなぁ……。
そう思って頭をかいた。
で、服を着替えなきゃだよな。
片手で着替えっていけっかな……。
ベッドから足を下ろして、棚の上に置いてあった俺の服を手に取る。
とりあえずズボンかな。
そう思って俺は今着ている服を脱ぎ始めた。
簡単なものでするっとパンツ一枚になった。
で――ズボンを片手で持ち上げて……どうしよう、と思った。
「これ、片手で穿けんの……?」
とりあえず片手で横を持って足を入れようとする。
「よっ……おおっ!? ととっ!?」
ズボンの穴に上手く入らなかった所で体勢を崩してこけそうになる。
なかなかやるじゃないか……!
どうやって穿けば……。
はっと俺の脳裏に思い浮かぶ名案。
ズボンを投げる
↓
俺も飛び上がる。
↓
ズボンッ!
↓
スタッ!
↓
穿けた!
「これだ!! ゲホッ!!」
グッと手を握って叫んだ。
勢いが良すぎてちょっとムセた。
よし、それなら膳は急げだ。
俺は距離的に一番取れるベッド横から入り口まででやることに決め、早速ベッドの横からズボンを投げた。
「とぉぅ!」
そしてその後を追うように俺も飛ぶ。
ここで大きな誤算。
ズボンの穴がこっちを向いていない――!
「この――!」
合っていないなら……!
合わせる!
俺は体勢を殆ど床と水平に取り、ズボンに両足を突き刺す。
バサッッ!!
かなり気持ちのいい音を立てて、ズボンに足が通った。
だが、その足は半分しか入りきってない……!
しかも着地、が……!
勢いが良すぎたせいで入り口のドアが迫る――!
ガチャッ
「コウキ、み……」
ファーナが軽快にドアを開けた。
「え」
「ず、」
そして、刹那に俺と目が合った。
「よけっっ」
「えっ」
もう、間に合わない――!
「きゃっ――!」
「うあああああああああああああああああ」
バシャッッ!
水差しに入れてた水が散る。
俺はそのまま何もできず、ファーナに飛び込む形で突っ込んだ。
ただ――俺はシキガミ体であることにすごくありがたみを覚えた。
衝撃緩衝――!
青白い光が俺たちを包んでその衝撃を和らげる。
「うぼふっ」
ただ、やっぱり緩衝が切れれば体重が戻ってくるので右手だけじゃ支えきれない。
ファーナを押しつぶす形になってしまった。
「た――だ、大丈夫かファーナ!」
すぐに起き上がって体の下敷きになってしまった彼女に話しかける。
俺より小さくて、やわらかい感触に凄く焦った。
「ん、ぅ、大丈夫、です……」
うわぁ絶対大丈夫じゃねぇえええ!
「ちょ、ホントごめん! そこベッドあるし、そこで寝てていいから!
ここキュア班の建物だよな! あっ! すみませーん!」
メディーーック!
そう叫びたい感じで俺はキュア班の人を呼んだ。
……
…………
………………
「非常に申し訳ありませんでした。
本当にごめんなさい。
マジすみませんでした。
真摯に反省しています。全て僕のせいです。はい」
こうやって正座で謝るの何回目だろう。
俺はベッドの上で座ってしゅんとしていた。
「っっ知りませんっっ。
ほんとっ何がどうなって、はっ……半裸で病室から飛び出すのですかっ!」
「ズボン穿こうとして……」
「ズボンでですか!?」
俺の予定では穿けてたんだよぅ……。
激しく申し訳ないので頭を下げておく。
はぁ……朝一番に俺何やってんだろうなぁと、自分に呆れてため息をついたのに、ファーナの声が重なった。
「もう、いいです。コウキが元気ならよかったですから」
その声に顔を上げると上機嫌に笑った。
「コウキは、大丈夫でしたか」
「ああ、俺はぜんぜん。衝撃緩衝あるし」
「ならよかったです」
満足げに頷いて俺に一度視線を合わせたあと、赤面して顔を逸らした。
「うん?」
「いえっ、その、服は……?」
そういえばまだズボンしか穿いてない。
「ああ、着づらくてさぁ」
片手も大変なんだなと実感している今日この頃。
「あ、そうですね。お手伝いします」
「ホント? ありがと」
ファーナが俺にインナーを着せいつもの服に着替える。
さらに靴下や靴も意外とテキパキとやってくれて、立ち上がった。
服は半袖までまくってくれた。
この辺りの気候は暑いらしく、確かに外は燦々と日が照っていてコートは必要なさそうだ。
「さ、お腹も空いているでしょう。朝ご飯でも食べに行きましょう」
「おうっ!」
俺の答えに満面の笑みで頷いてファーナが置いていた荷物を纏めて持った。
それをさり気なく奪って俺は歩き出す。
「えっあっこらっコウキは病み上がりですからそういうのは――」
「あっはっは。気にしなーい」
建物を出てすぐの事。
外はファーナが言っていた通り暖かい。
少し日差しがキツイ気もする。
ぱちん、とファーナが日傘を差した。
どこかの絵画の一枚のように、それは似合っていた。
「カゥゥゥゥ!」
師匠ーーーと俺を呼ぶ声がして俺は振り返る。
金色のモフモフしてるのがモフモフしながら走りよってきた。
「ん? おお! ルー!」
荷物を置いてルーを抱きとめる体制を取る。
「キュゥゥ!」
ズバッと俺の前で一気に踏み込んで飛んだ。
そして意外とイイカンジのスピードで腹にブチ当たってきた。
「ごふぅ! や、やるじゃない……?
やーなんかすごい久しぶりだなルー。元気だったか?」
「カゥッ」
ぐりぐり撫で回して再会を楽しむ。
相変わらず可愛いやつだ。
「あー! コウキ起きたんだ! 遅いー!」
そして続けて聞こえてきたのはシィルの元気な声だった。
「おう! ごめんなーみんな心配かけて」
「カプッ……! キュゥゥゥ!」
鼻が取れるぅぅぅとルーが叫んでいる。
俺が何をしているかは想像してほしい。
「おはようございます。もう体調はよろしいのですね」
「おう! ばっちりだぞヴァン!
朝からちょっと不名誉なことまでしちゃったぐらい元気さ!」
「ほう? ではそれは皆で朝食を摂りながら聞きましょう。
あちらに調度いいお店があります」
銀色の髪のエルフもいつも通り微笑んで店の方向を指差した。
いつも通りに戻った。
片腕は失くしたけど、俺達はなんにも変わっちゃいない。
とりあえずメシ食いながら何がどうなったか聞かないとな。
そんなことを考えながら、軽快に道を歩いた。
/ メール