第95話『黒い山』

 グラネダという国がある。
 断崖絶壁を背に城が聳え立ち豊かな土壌と加護の大国だった。
 他の国には無い発想で技術発展し、類い稀な速さで成長した。
 沢山の法術を駆使し医療、軍事、水源などに利用され、法術研究の最先端である最高法術研究科を国が所有している。
 その技術は沢山の国に提供し国交も多い。
 その国を作ってきた王は人々に親しまれ敬われて居る。
 ほとんどの発想がその王が提案し、名前高らかに響く技術者が実現して来たのだ。

 そんな国には二人の王女がいる。
 一人は公表されておらず、一人は正王女と呼ばれるアイリスと言う名の少女だった。



*アイリス

 鏡を見て立ち止まった。
 でも自らに酔い痴れる癖はなく、単に一瞬の勘違い。
 わたくしが頭を傾ければ鏡の人も傾くし髪が揺れればそのままを写し出す。
 あれはわたくしだと理解するのにそう時間は掛からなかった。
 わたくしはお母様と瓜二つ、と言っても過言では無い。
 若い頃の肖像は本当に今のわたくしに似ていて、いや似て居るのはわたくしなのだけれど、良く遠目に見て間違われたりする。
 実際今自分が間違えかけたのだ。
 レモン色の髪に緋色の瞳。
 15という年の割には大柄で、最近知った姉よりも大きいようだ。
 かと言ってそれを気にする事も無く、姉は存分に抱き締めて可愛がることにしている。
 お父様には外観は何一つ似なかった。
 わたくしの姉もそう。
 あの方はとてもかわいい人だ。

 お母様は少しわたくしよりもシワが深いだけで黙っていれば姉妹にだって見える。
 フワフワとしたレモン色の髪。
 ――唯一違う野は瞳の色。
 お母様はキレイなブルーの瞳。
 お父様はブラウンでむしろそれに近いとは言える。
 火の加護があるからとも言われる。
 その証拠に神子であるわたくしのお姉様は真紅の瞳。
 瞳だけ全員が違う色なのだ。
 わたくしやお姉様は焔に魅入られ赤に。
 お母様はそう、キレイな空色。
 かつて、空の神子と言われた尊い方――


 白髪の目立つ漆黒の髪。
 褐色の肌に鍛えられた大きな身体。
 お父様は珍しい黒髪。
 あの色は見てて惚れ惚れする。
 かのシキガミ様達はみんなそうなんだそうだ。

 この世には沢山の人種が居る。
 人間、エルフ、ドワーフ、オーク、翼人、ヴァンパイア――竜人。
 そして、その中でも秀でた神性、いや、神に挑む運命の子。
 神子と呼ばれる存在がいる。
 神子は必ず竜人と並び、更にそれを越える存在となる。
 そして、その神子が使役するシキガミという存在。
 神性第二位の神なのである。
 彼らがどうしてこの世に存在できるかは定かではない。
 だが確実に人を凌ぎ、世界に影響を与える存在。
 わたくしはそんな人を二人知っている。
 国を偉業の速度で発展させた父。
 わたくしの誇りであり、目標である。
 もっともその想像図に近いシキガミ様は――、コウキ様という。
 そして、わたくしの姉。
 焔の神子ファーネリアは、彼を使役する神子である。
 異形の集まりが偉業を生む。

 でも。どう考えてもわたくしだけ普通。
 いいことなのか悪いことなのかと言えば、わたくし的にはとても不満である。




 お姉様とシキガミ様が旅立って一月が経った。
 お城での生活は相変わらず退屈。
 わたくしはどこかの国の王子様を待っているわけではなくて、
ただ日々をもう少し楽しく過ごしたいだけなのだ。
 それはとても親しい姉妹が側に居ることでもあるし、
初めて自分が会いたいと思ったあの人と話すことでもある。

 特に音沙汰も無く、平和な日々。
 少しルアン側で大地震があったと聞いたがわたくしにはお姉様たちがそれに巻き込まれてませんようにと祈ることしか出来ない。
 やっぱりどうにかして付いていけばよかった。
 役には立てなくても邪魔はしないように頑張れる。
 シキガミ様と旅をするのは絶対楽しい。
 心ときめくあれやこれを想像していると扉がノックされた。

「はい」
「失礼いたします。アイリス様、王妃様がお待ちです」
 ――そうか、今日は時間が出来るからまた法術の勉強をさせてもらえる。
「はい。分かりました。すぐ行きますと伝えてください」
 毎日課せられる授業と勉強。
 それはわたくしのやるべきことなのは分かっている。
 でもあまり楽しくないのだ。
 お父様とお母様は日々に忙殺されそうなほど頑張っている。
 そんな中でわたくしが欠伸と戦うのは酷く申し訳が無い。
 でもわたくしが勉強しなければ二人の役に立つことは出来ない。
 正王女とはいえ、実際にその道は遠く険しい。

 お母様に習うのはほぼ全般の振る舞いである。
 おそらくシキガミ様やお姉様に行き届いているわたくしの見聞はとんだおてんば娘なのだろうが、
外部的な体裁だけはきっちりしてるつもりだ。
 ……たぶん。
 まぁそれは本当にお母様を見て育ってきたからである。

 準備を整えてその人に会いに行く。
 本当に貴重な時間だ。
 食事の時間を除けば月に数回程度しか会えない。
 始めはそれはが不幸だと思っていた。
 お姉様の話を聞くまでは――。
 お父様やお母様と会うのは――年に一度。
 それを聞いて、私がここに居てどれだけ恵まれているのかを理解した。



「失礼します」
「いらっしゃいアイリスっ」
 入ってすぐお母様は満面の笑みでわたくしに抱きつく。
「お母様っお仕事お疲れ様です」
「ふふ。ありがとう。さぁ、今日は何を教えようかしら」
 お母様はええっと、と前回の内容を思い出しているのだろう。
 マルバクスという目くらましの術を教わったのは先々月。
 先月は少し忙しかったので教わることは無かった。
 なので自分の意見を言ってみる。
「旅に出れる法術を教えてください」
「それは駄目っ」
「ええっ。わたくしも法術には自信がありますっ。
 お姉様みたいにとは言いませんがすぐ扱えるようになって見せますっ」
「だーめ。旅に出られたら帰ってきそうに無いんですもの。
 唯でさえファーネリアに会えないのにアイリスにまで会えなくなったらもう誰を愛でれば……」
 物憂げに視線を下げるお母様。
 そうだ。それはお母様にさらに淋しい思いをさせてしまう。
 というか愛でると言われると猫か何かのような気がするのですが気のせいでしょうか。
「大丈夫ですっ愛でられに帰ってきますっ」
「駄目です」
「何故っ!?」
「私が忙しいと、会えないもの」
「うぅ。そう言われるとそうですがわたくしの有り余る就業意欲はどこで発散すればっ」
「そうねぇ。もう少し歳が無いと無理ねぇ」
「ならば仕方がありません。
 では。その発散には付き合っていただきますっ」
「あら。何かするのかしら?」
「とりあえず、お父様に会いに行きたいのですが」
「うーん。でもお仕事ですから」
「同じ場所に居るのです。
 協議会や直接交渉が無い限り城に居るのですから!
 地の利場所の利法則の利!
 突撃あるのみです! さあお母様!」
 自分でもよく分からない意味の言葉で押し通してお母様を連れ出す。
 クスクスと笑いながらそれでもついてきてくれるのが心強かった。



「そんなくだらん理由で私の仕事を邪魔しに来たのか……」
 呆れ気味に言いながら詰まらなさそうに書類に目を通すお父様。
 仕事中は本当に気分の乗らない発言や態度をしている。
 ここで話す時以外はとても面白い人なのだけれど。
「いいえ! 下らなく等ありません!
 わたくしには重要すぎて思わず街に飛び出したい程です!
 ていうか、街に下りる許可下さい!」
「駄目」
「また駄目って言われましたっ!」
 うう、あまり駄目駄目と言われるとどうしても実行してやりたくなるのはどうしてでしょう。
「では私にも街に下りる許可下さいな」
「アリーは取るまでも無いだろう……駄目だ」
「駄目ですか。
 でもたまには仕事の息抜きもしなくてはいい仕事はできませんからっ。
 水入らずで降りてみましょう」
 うふふっと笑ってお父様に寄って行く。
 お父様にこう進言できるのもお母様だけだろう。

 お父様はあのなぁ、と反論を言いかけて一度止まった
「そう言えば、ファーネリアからの手紙の話はしたかな?」
「いいえ? 聞いていませんよアナタ」
「戻ってくるみたいだぞ。
 あー……と。

 ああ、今日だな」

『なんでそんな大事な事を!!』
 スバンッ!
 同時に二人で机に飛びついて大きく鳴った。
「音楽隊出撃ですか!」
 決して音楽隊は出撃するものではないが。
「いや、ヴァンに叱られるからもうやらん」
 お父様は言いながら眼鏡を外した。
「そうか……そうだな。降りるか。街に」
「やったー!」
「まぁ。乗り気で嬉しいわ。
 夕方までに戻れるかしら」
「任せろ。私も夕方から会議がある」
「それでは夕方までに帰ってこなければ無意味ではありませんかっ」
 お父様とお母様は言ったわたくしをみて、二人で顔を合せると満面の笑みで再び振り返った。

『当然、帰ってくるまで待つ!』

 この返事を聞いてやっぱりお父様とお母様はわたくしの両親だなぁっと思えて嬉しかった。

「しかし、どうやって街へ?」
 付き添いが来てしまっては目立ってしまってどうしようもない。
 それに、もうここを出れば必ずそこに立っている騎士に見つかる。
 一人一人がばらばらに出て落ち合う……?
 それも手間がかかる。

「よっと。ん? ほらアイリス、早くしろ見つかるぞ?」
 早速横の本棚がグルッと回っている。
 ああそうか。お城にはこの手のものが沢山あった。
 当然お父様の部屋であるここにも。
 ささっと迷わず入っていくお母様とお父様。
 ……慣れてる、とか。きっと気にしてはいけないのだ。うん。
 わたくしもその後を追うとお父様が本棚を元に戻した――。
 中は狭い通路で真っ暗になるかと思ったら、お母様が手に光を灯している。
「さ、こっち」
 静かに螺旋状の階段を下りて、おそらくあの部屋から一気に地下だろうか。
 とりあえずお母様の灯している光以外本当に何も無い。
 少し埃っぽくて壁にドレスが触れるのを躊躇ってしまう。
 お母様は思いのほかスルスルと埃に触れることなく階段を降りていく。
「遅いぞアイリスっ」
 後ろから楽しそうにあせあせと下るわたくしを追いかける声がする。
 わたくしが遅い、とは……!
「は、はいっ申し訳ありませんっ」
「そんなに虐めないのアナタ」
 楽しそうに笑う笑顔がこちらを見上げたまま階段を下りる。
「お母様後ろ向きです! だ、大丈夫なのですかっ」
「あら。淑女たるもの後ろを向いて階段を下りた程度では転ばないものよ」
 ウィンクしながら尚も揺るがないその速度に感服した。
「初耳です! 精進しますっ!」
「信じるからやめろアリー。
 アイリス。こう見えてもアリーは昔な」
 お父様が何かを言いかけたところにお母様が声を挟む。
「あらアナタ。もう着きましたよ。
 アイリス、服を着替えます。こちらに」
「はいっ」
 そのままお母様に連れられて、少し開けた場所に出た。
 しゅっと背中でしばられた紐が解かれる。
「外に出るために着替えますよ」
「ですが服は?」
「目の前にありますよアイリス」
 言われて目の前に視線を戻せば、お姉様達と買ったあの時の服。
 足元が開けていてとっても動きやすくて、着るのも素早くできる。
 ドレスよりはこういう服の方がいいのだけれど流石にお城での体裁は守らなければいけない。
 だが今日は街にお忍びだ。
 存分にこの服を着ることができるっ。
「さ、服はコレで脱げたわ」
「ああっいつの間にかっ!?」
「うふふふふ若いわぁピチピッチ♪」
 下着だけにされてちょっとたじろぐ。
「お母様!? あれっお母様いつお着替えに!?」
 お母様を振り返れば白と青を基調にした術士ローブを見に纏っている。
 フードをして口元まで布が掛かっているので見た目かなりの若い術士に見える。
「もうとっくの前によ。さ、服も着たことですし進みますよ」
「えっ!? わたくしまだ……アレ!?」
 終わってる!?
 不思議がいっぱいだ!
 何が起きたのかさっぱり分からないまま着替えが終わった。
 正直に言うけれど、わたくしは本当に何もしていない。
 お母様が凄過ぎる。

 その空間にあった扉を開けて更に長く続く道を進む。
 その間の道は分岐が多く、右へ左へともう5度曲がった。
「おっお父様はっ……?」
「もう先に行っているでしょうね。そこを右に曲がると出口ですよ」
 なんとなく逃走しているような焦燥感を覚えながら一生懸命お母様についていく。
 おそらく手加減して走ってくれているのにわたくしはほぼ全力。
 本当に冒険者だったんだ、とその片鱗を感じる。
 身体を鍛えることを忘れないようにと言われそれも頑張ってきたつもりだが全然及ばない。

「さぁ。出口よアイリス。お疲れ様」
「はぁ、はぁ――」

 光を背負って手を差し出してくれているお母様の手を取る。
 勢いと意外と強い力で引き上げられ外の眩しさに目を細めた――。
 

「遅かったな」
 聞き覚えの有る声に慣れてきた目を凝らす。
 黒いシルエットでまだ見えずらい。
 お母様が歩み寄ってその人に笑いかけた。
「ふふ。ごめんなさい。でも女性は時間が掛かるものよ?」
 わたくしはあんなに時間を掛けなかったのは初めてなのですが。

 そして徐々に目が慣れて、その姿がハッきりと見えた。
 褐色の腕に黒い服。黒い髪に額と胸には黒いプレート装備。
 黒ずくめな姿の腕には銀のナックルプレート――。
 お父様であることはわかったのだけど、やはりそのギャップに驚く。

 ――二人は命名を受けている。
 鉄拳の王、ウィンド。
 空の神子、アルフィリア。
 

 神子とシキガミで逸話として沢山の伝説をヴァン先生から教えてもらった。
 拳で竜を砕いたというお父様。
 指先一つで空を割るお母様。
 その姿で偉大な二人なのはわかる。

 そして焔の神子のお姉様が間に立てばきっと完璧な家族。

 そんな事を考えていると頭にぽんぽんと手がのせられる。
 お父様の硬い大きな手だった。
「おし。行くぞ。あんまり目立つなよって無理か」
 そんな事を言いながら悪戯をする子供みたいに笑う。
「そうねぇ。でも久しぶりに出てきたんだから楽しまないと」
 お母様も同じ。
 わたくしの手を握って微笑む。
 ああわたくしが愛されているのは、きっと幸せなこと。
「はいっこの前美味しい昼食の取れる所を教えていただきました。
 そこへ行きましょうっ」
「なるほど。腹ごしらえが必要だな。
 ちょっと待ってろ」

 お父様はわたくしたちを置いて人だかりのある方へとスタスタと歩いていった。
 どうやら、アームレスリングの大会らしい。
 隆々と筋肉を筋肉で固めた大男が腕を掲げて挑戦者を待っている。

 わたくしも近くへと思ったらお母様に止められる。
「ウィンドは大丈夫よ。さ、もっと影でまってましょ」
 そう言われて手を引かれ、そこで何が起きたのかは見ていない。
 ただ、ズドンッバキィィィ! という音と大歓声だけを聞いた。

 どうやら手持ちのお金が無かったらしく、荒稼ぎしたらしい。
 結局お父様が一番目立っていた。









 お昼が終わって。
 国の門の近くでわたくし達はお姉様たちの到着を待つ。
 今日はとてもいい日だった。
 お父様とお母様はとても仲良く話をしていて、街の喧騒に溶け込む。
 目立つと言えば目だったが壁に背中を預けて笑っている二人は何処にでも見える夫婦。
 いや、恋人か。
 会わないけれど、こんなにも仲がいい。
 会わないからこそ今を楽しんでいるだけなのかもしれない。
 きっとどちらも。
 だからちょっと邪魔しないように離れて大人しく街の外を眺めてみることにした。
 きっとシキガミ様が戻ってくれば一目で分かる。
 あの人の着ているコートは何処にいても一目で分かる。
 それにお姉様もヴァン先生もシルヴィアもルーちゃんも。
 ああ、あんなに魅力的な一団は他には居ない。
 あの人達と旅ができる事が純粋に羨ましい。
 いいなぁお姉様――。


 そう、思いを馳せながら景色を見ていた。
 なんだろう、遠くが急に雲に覆われていて、雨が降っているのだろうか。
 雨は、嫌だなぁ。と思うのは焔の加護を受けるものだから。



 ズオオオォォォ……!

 大きく揺れた。
 最近、地震がよくある。
 頻繁に起こると天変地異だとか、沢山の人が不安がってしまう。
 それよりも、大変なものが見える。
 ――山が降って来た。
 そう言いたい。

 お父様とお母様も異変に気づいて門壁から少し離れてその山を見た。

「オイオイ……! 天変地異ってこういうやつか……!」
「大変――、なんで、あれが……!」

 流石の二人も驚いてその黒く大きい影を見る。
 アレは、なんて言うんだったか。
 小さい頃にお父様に絵に描いてもらったのを見た。
 子供心にその下手な絵が怖かった。
 それをそのまま再現し、形にしたものがアレ。

 恐怖であり、神。
 神でありながらモンスター。
 見ることは稀。
 見たものは生きていられないと言う。

 お父様とお母様は口を揃える。
 たった数文字に確信してわたくしもその言葉を恐る恐る繰り返す。

「あれが――黒竜<ドラゴン>――……」



 竜は神である。
 言葉を持ち意志を持ち人に与えることができる。
 神性第三位が竜位と言われるのは、不侵不可視の空間を自らで作り上げそこに住むようになった竜への神からの賛美。
 竜人とはそれに最も近く、それを越えることのできる可能性を秘めた者のことである。

 ただ今ひとつ言える事は、グラネダ建国以来の最大の危機だと言うこと。

 隣で二人が強い瞳でその光景を見る中――わたくしは恐怖で動くことすらできなかった。



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