第96話『最前線/記憶』



「グギャアアアアアアアアアアア!!」


 高い音を交えた咆哮についに腰が抜けた。
 怖い。
 逃げたい。
 沢山の人たちが騒ぎ立てるのが聞こえ、撤収の声が当たりに響き渡る。
 門の兵士達がわたくしの所へ着て肩を貸してくれ城壁内へと撤収していく。
 でも途中で二人に気づいてハッと振り返る。

 あの二人は――あの竜に向かって走っていた。
 もう蟻のように小さく見えるほど遠く、速く。
「お父――」
「駄目だ!! いいから城門の中へ!!」
 二人を追おうと思った。
 でも、肩を貸してくれている兵士によって止められる。
 わたくしだって――……!
 役に立ちたい。
 この国のために。

 なのに。
 なのに――っ……!

 無力……!!

 二人を城壁の中から見送り、轟音と共に閉められた城門のなかで、少しだけなきそうになった。
 きっとお姉様なら外に出て役に立つことができた。
 きっとヴァン先生なら、町を守りきる壁となれる。
 わたくしには何も出来ない。
 勇気をだして足元へ行ったとしても、きっと唯の足手まとい。
 分かっているから――辛い。

 本当に突然の天変地異。
 騒然とする街はまさに混乱の渦中だ。
「逃げなくちゃ!! 早く荷物を纏めてこの街から出るんだ――!!!」
「街は大丈夫だ!!! 早く家に戻れ!!!」
「五月蝿い!! 大丈夫なわけが無いだろう!!!」
「お母さん!!! お母さーーーーん!!!」
「終わりだ……!! も、もう、ここで、死ぬのか……!?」
 兵士と争い、声を荒げる民衆。
 動揺が隠せず、兵士も手荒い対応をしている。
 泣きじゃくる子供を見てまるで私ではないかと自らを嘲笑した。
 混乱し絶望している人に掛けてあげる言葉も無いのか。

 姿は見ることが出来ない。
 大地の揺れが、あのドラゴンが動いたことだけを確認させてくれる。
 出ることは出来ない。
 わたくしは――。

 本当に、あの人たちの子であるのだろうか。
 姿が似ていても、才能があると言われていても。
 違いすぎるこの差がわたくしには辛い。

 暴動が起きそうなほど、町中が混乱し馬車がガラガラと荒く行き交う。
 街人が痺れを切らし、叫び兵士に殴りかかる。
 統率を失った行動が混乱を深淵へと導いている。

 已然母親を見失った子供は泣きじゃくり、馬車に轢かれそうになりながら母親を探している。
 わたくしも今あんな風なのだろうか。

 そう、泣いて親を困らせるだけの子供ではない。
 わたくしは認められなくてはならない。
 あの二人に。
 この国に。

 わたくしは、王女だから――。

 考えなくてはいけない。
 今ここに居てあの人たちなら何をするか。
 あの人たちと同じことが出来なくてはいけない。
 わたくしが正王女としていられるプライド。信念だ。
 あの人たちの役に立ちたい。
 あの人たちに認められたい。

 そう、わたくしは――誰の子か――!



「静まりなさい――!」

 姿勢を正しくし、暴動を起こしかけている兵士と民衆の間へ立った。
 沢山の人の睨むような視線が集まった。
 そんなことは気にせず言葉を続ける。
「やめなさい! この争い、アイリス・F・マグナスが預かります!!」
「……! アイリス王女様!?」
 わたくしの姿を見て、一人の兵士が声を上げた。
 それに続きザワザワとわたくしの名が浸透する。


「兵士よ! 貴方達は民を守るための存在!
 民に刃を向けるとは何事か!!」

 強い声で響かせる。
 真剣であることで相手に聞かせる。
「即刻刃を収め、事態の収拾に向かいなさい!!
 貴方!
 馬を走らせ騎士隊へ連絡を!
 鉄拳の王が向かったと伝えなさい!」
 騎士隊はすでに動いているだろうが前線の情報が大事だ。
 人を指し示すことで混乱を失くす。
 緊急時の基本であると何度も習った。

「街の皆様! 申し訳ありません、怒りをお収め下さい!
 既に手は打っております! どうかご静粛に!」
 怒りの声ではない高い声。
 安心感を与え相手の怒りを緩和する。
 これは感情さえ切り替えれば自然にできる。
 混乱を招いてしまったのは王国側であるわたくしたちのせい。
 だから代表としてわたくしが謝り、頭を下げる。

「混乱して街の外に出ては危険です神殿へと避難をお願いします!
 神殿はディヴォクスと焔の神子リージェにより多重の加護を得ています!
 竜は――名の有る人達が食い止めてくれています!
 騎士隊が出動すれば必ずや撃退できるのです!
 兵士の指示に従って、焦らず迅速に避難を!」


 兵士達はわたくしの言うとおりに武器を収め、人々を先導する。
 民衆は多少混乱の色を残しながらも撤収をはじめた。
「アイリス様、貴女も避難を……!」
「わたくしはまだやるべきことがあります。
 暴動が起こりそうな所を回り説得せねばなりません。
 手の空いている方はわたくしについてきてください。
 迷子の子供やけが人を保護し神殿へ優先的に連れて行ってください」
 わたくしの出来る最大の仕事。
 国民を守り道に混乱を失くす。
 そうすれば兵士達も通りやすくなり、外へと出陣も出来る。
 人生で一番頭が回転している。
 遠くに見える喧騒それに向かい駆け出す。
 少しでも早く収め、騎士隊を援護に向かわせないと――!
 無事で居てくださいお父様、お母様……!!


 不安を押し殺し、毅然とした態度で裁き語る。
 人々を先導し、動かす。


 その才能が自らの受け継ぐモノだと、彼女はまだ気づいていない。



 そしてものの1時間にも満たない時間。
 街に民衆は殆ど居なくなった。
 こういう時の対策に神殿地下に強固な巨大空間を設けてある。
 そこへと先導した王女の指示は的確で、無駄の無いものだった。
 連絡の行った騎士隊はすでに動き出していたが収拾の速さはアイリスの手柄だ。
 行動力と存在感――王である威厳の態度と全てにおいてカリスマである。



 第一騎士隊バルネロ隊は神殿に。
 最後の砦としてかの隊長以外の適任は無い。
 他――全部隊が前線へ。
 第二騎士隊ヴァースを筆頭に全騎士が壁となり法術部隊を後ろに
 法術部隊が壁に立ち、研究の成果となる最大の防御陣を築き上げる。
 戦争であればここは難攻不落と呼ばれる国であろう。
 臨時事態に対応できる日々の訓練や教えは立派なものである。









 ――ズドォォ……!!!

 巨大な竜が揺らぐ。
 質量に見合った速度でゆっくりと顔を仰け反らせた。
 恐れることなくかの竜に立ち向かうのは唯二人。



 ガギャアアッッ!!


 自分の体重以上のものは空中で殴ったとしても殆どが跳ね返されるだけである。
 それを爽快なまでに無視し、その拳一つがまるで巨大なハンマーであるかのような音で巨大な竜の顔を殴った。
 風が暴風のように彼の拳について舞い、押しぬけるように吹き荒れる。
 彼の行動を支える空の神子は彼に風の加護を与え、さらに追加法術を唱える。
 空中固着の術と並列、彼女もまた偉大な術士の一人――!

 神子とシキガミとしての記憶は二人には無い。
 ただし、戦い方は覚えているそれは沢山の月日が彼らに刻み込んだ消えない記憶。
「――!! 随分と、懐かしい気がするな!!!」
 拳を唸らせ足元に2撃目を入れる。
 ただ彼の拳でも、竜の鱗には到底及ばない。
 怯む事無く、竜は足を進める。
 二人には無いはずの記憶。
 この戦いを懐かしいと感じ、脅える事無く向かってこれた理由が不明。
 ただ一つ感覚で分かっていることは――

「ウィンド――! 私達は、コレと、戦った事があります……!!」

 アルフィリアが見上げ手を翳しながら叫ぶ。
 水色の術式ラインから光が放たれ、風と光が混じった無数の玉が術陣から出現。
 それが彼女の術式詠唱完了と共に竜の頭へと向かって飛翔した。
 その一撃一撃が彼女の全力。
 ――しかし傷一つつかず一歩前進する――!
「何故……!」
「クソ――! 歌があれば!!」
 シキガミの歌を失った神子。
 彼女はもう神子ではなく、彼もシキガミではない。
 身に余る加護を受けるグラネダの王達である。
 また一歩、竜が街へと歩みを進める――。

「この……ッッ!! 止まれェェェ!!!」


 パギィィィッッ!!!

 再び豪腕が竜を叩く。
 竜の頭が再び浮き上がる。
 軽く前足が浮き上がり、再び降りてきたときに大きな地響きとなった。

 竜の歩みが止まる。

「ハッハッハッッ!! どうだッ!」
 ウィンドが高揚から竜に叫ぶ。
 喧嘩は常に半切れがもっとも効果を生むと彼は言う。
 冷静さを欠かず武力の限りを尽くすことができる者がツワモノである。

「――ウィンド! 嫌な予感がします!」
 アルフィリアが叫び宙に立つ彼を大地に下ろす。
 その瞬間黒竜が大きくその羽を広げた。
「――飛ぶのか!!?」
「危ない!! ウィンド――!」


 バサァアアッッ!!

 大きく一度翼を羽ばたいた。
 風の重圧に押しつぶされそうになりながら二人がそれを凌ぐ。
 ウィンドを空中から下ろさなければ地面に叩きつけられていただろう。
 彼にはもうシキガミの加護は働いていない。
 竜は、大地に居るときより空に居る方が数段危険だ。
 羽ばたくだけで今のように近づくこともできず、速度も鳥となんら変わりないほど。
 考えて見てほしい鳥と竜の速度が同じという恐怖を。
 質量差をみれば明らか。
 その異常なまでの翼力に驚かされる。

 そのまま――高く飛び上がる。
 嵐のような風を浴びながらも二人はその姿を見上げる。

 ――同時に、次の光景が思い浮かぶ。


 ――シキガミの記憶の再生。

 二人にはシキガミ時代の記憶が無い。
 それは神子とシキガミの役目終了の約束である。
 加護神や戦女神に加護されていた事を忘れ、何事も無かったかのように振舞う。
 記憶の封印――それは、何らかの形で少しだけ覗いたりするのだが、
大概気のせいで片付けてしまうのは人間の愚かさ。

 その断片を辿って意味の分からなさに吐き気のする画像が脳裏にフラッシュバックしては消える。
 そして見つけるその記憶。

 かつてと同じように高く飛び上がる黒竜は――次に業火の一撃を落としてくる。

 歩き渡った国で、あの黒竜は同じ事をした。
 全部で十あった試練のうちの八度目、最後の不幸を被る事になったのは二人ではなくその時に近くに存在した国であった。
 ――防ぐことは、不可能だった。
 咄嗟に使用した運命無視フォーチュン・キラーにより仲間達だけが助かった。


 ――そして、黒竜が大きく口を開け、神の術式ラインを発動させた。
 口周りに広がる術式陣はほぼ魔法陣と言える巨大な術陣。
 真っ白な光を帯びて、発動されたことが確認できた。

 冷や汗が流れた。
 自分達にカードは無い。

 どうする。守る術が無い。

 祈るしか無いのか――。
 後ろに小さく見える国を振り返る。
 自ら立ち上げた国。
 信じて着いてきてくれた人々。
 何年も何年も苦労して、ようやく大きくなった。
 見知った一番街の人々。
 白銀の砦騎士バルネロや城に住む旧知の知人や部下達。
 歩いてきた日々が沢山の人たちと自分達を繋げて、その上でやっと立っている国。

 王であると自覚がある。
 だから毎日の書類作業にも文句を言わずやってきた。
 それに――
 それにあそこにはアイリスがいる。

 愛すべき娘は、自分達を信じてあそこで待っているから――。

 ――守らなくては――!

 この時に使えなくて何のための力だ。
 ――思い出せ、もっと。もっとだ。
 断片的な記憶を辿る。
 頭が異様な熱を帯びて、倒れそうだった。
 神との約束により封じられた記憶。
 その断片の記憶が黒竜によって引き出されたそこから無理やり手繰り寄せる。

 歌が無くても。
 その身に宿した本物の力があったはず。

 奇跡を今信じずに何処で信じる――!!


「アリーーーーーーーー!!!」


 叫んでウィンドが飛ぶ。
 そのタイミングは正に阿吽の法。
 空気を固着し、壁を走るように一直線に駆け上がる――!

「術式:風神翔脚<ふうじんしょうきゃく>――!!!」

 正に風の如く空を駆け抜ける。
 彼の名に等しい風の神を語る技は
 そして――黒竜の目の前。
 大口を開け、まさに今放たんとばかりに口に蓄えられた炎。
 人と蟻に等しいその体格差。
 何を以ってそれを覆すか――。
 無数の術式ラインの走るその頭部の鼻っ面に向かって拳を振りかぶる。

 鉄拳の王が叫ぶ。

「術式:雷神<らいじん>!!!」


 バヂヂィィッッ!!!

 視界を白に染める雷光。
 それが拳に集結し、雷針と成る。

 体格差はあれど、人とて蜂に殺されることが有る。

 筋肉を軋ませ、全力でその身が頂いた技を行使する。

「嵐舞<らんぶ>ッッ!!!」

 ズゴォォォォッッッ!!!

 まさに嵐が纏う雷。
 多重に重なり拳唯一点に集中しそこから一気に黒竜の身体を駆け抜ける。

 まるで大砲が直撃したかのように飛竜が空中をスライドした。
 翼が力を失い、大地へと落ちる――。



『ワァアアァアアアァァァア!!!』

 歓声が上がる。
 城門前で防御陣営を築く軍が湧いた。
 防御壁の用意の為軍や騎士は向かって来れない。
 黒竜は明らかに街を狙っている。
 壁の法術の準備が万全である必要があるのだ。

 ――ズドォ――!!!

 再び大きな振動が起きる。
 この地方では地震は起きない。
 それ故にこの揺れには誰もが不安を感じる。
 だがそれほどの質量との戦い。
 鉄拳の王だからこそ成せる技である――。

 大きく舞い上がる土埃。
 その最前を鉄拳の王が落ちる。
 シキガミとして活躍した彼も、今は精霊位の人間ではない。
 肉体が直接衝撃緩衝をしていたシキガミの身体であればこその業。
 今の2撃で完全に、戦闘能力を失った。
 シキガミの身体はそれだけ優れていて、恵まれている。
 その術を人の身体で行使できたのは執念か責任か使命か。
 彼を動かした全てが支えた結果である。




 下から見上げていたアルフィリアは白い雷光にだけ一度目を閉じ、黒竜の怯む姿を見た。
 そして、自らの伴侶が落ちる姿も。
 無茶をするのは知っていた。
 でも――自分を呼ぶ以外の彼の声が聞こえた気がした。

 守らなくては、と。

 かつての時を明確に思い出すことはできない。
 でも、彼の叫びには応えるため彼女は空へ道を造った――。



 その空から落ちる彼を助ける為に、再び法術を唱えようとした彼女の眼に。

 術陣を変えず街に向ける黒竜の姿が映った。

 轟々と舞う土煙から顔を割って出し、歩み出る。

 その咆哮が放たれれば彼ごと街を貫くだろう。

 迷った。
 何をすべきかという一瞬の判断。
 長き平穏に鈍った彼女の戦いの勘。

 その一瞬で――黒竜に光が満ちた。

 彼を助けなければいけない。
 国を救わなくてはいけない。
 あの人を助ける為の術式を実行すれば、国が無くなる。
 国を救う為の障壁を唱え実行すれば、あの人が落ちて死ぬ。

 大きな二択だった。
 迷っている暇も無い。
 彼を見上げているだけなのに、また声がした。


『国を守れアリー!!!』



 繋がってなんか居ない。
 かつては何も言わなくても通じるほど近い存在だった。
 互いに「ヒト」となって、その声は無く。
 それでもこのヒトは信じることが出来ると手を取って二人で歩いてきた。
 もう神子では無いのに。
 もうシキガミではないのに。

 自分達は王である。

 泣きそうになった。
 自分を恨んだ。
 どちらも、後悔が残る。

「収束:3000 ライン:額の詠唱展開!!」

 空色の光が額から広がり、複雑なラインを描いた。
 術を唱える口は迷い無く、収束はかつて無い程の高速。

「術式:虹の空壁<レイ・ド・ナスカ・マーベイル>!!!」


 空に出現する虹の壁。
 彼女の全力で竜とウィンドの間にそれは展開された。
 彼女の出せる最大の法術。
 四節に収束三千。壁として申し分無い筈の大技――!

 ――ィンッッ!

 耳鳴りのように竜の発動させた術陣の音が響く。
 高鳴る心音と共に音が全身を駆けた。

 ズドォンッッッッ!!!

 凄まじい爆音を立てて光の束が直撃する。
 両手を翳して、自らの出現させた虹の壁に皹が入るのを見た。
「嘘――!?」
 有り得ない出力のドラゴンブレス。
 確かに緩和することはできるかも知れないが結局それを防ぎきるのは無理だ。

 それが砕ければ――


「ウィンド――!!!」



 悲痛な声で叫ぶアルフィリア。
 もうすぐにも虹の壁は壊れる。

 誰か助けて――!
 その言葉は声にならない。
 スローモーションで短い一瞬が酷く長い。
 それでも足りない。
 声をこれ以上出す暇が無い。
 脳裏に過ぎる二人はこの国に居ない。

 ヴァンツェ……! シルヴィア……!!


 鉄拳の王、空の神子、神言を預かる者、戦舞姫。
 世界に轟く四人の名声。
 かつて――世界を共に歩いた仲間である。
 風に導かれて出会い共に喜怒哀楽の時を過ごし、終わった後もその仲間の記憶だけはあった。
 セピア色ではあるけれど、共に肩を並べ――守ってくれていた。
 断片の記憶の走馬灯が巡り巡って――目の前の全ての色が砕ける瞬間に――。

 彼女のスカイブルーの瞳から涙が零れた。
 そして、再び彼の名を叫んだ。
 風ではない、本当の名を――。
 不自然な筈なのに酷く当然のように口に出た。
 そして――ブレスが落下する彼へと迫る。

「いやああああああぁぁあああああ!!!」

 そして――絶望の叫びを上げた。
 眼を逸らしたかった。
 でも助けたくて手を伸ばした。

 その手が届く事は無い――。

前へ 次へ


Powered by NINJA TOOLS

/ メール