第111話『お嬢様っ』
幼少の頃は姫様、と呼ばれていたこともある。
それはいつしか王女と変わり、この身が神子と分かってからはその身分を呼ばれることはなくなっていた。
神子である自分は神官として最も身分が高く、国の象徴として存在していた。
だから。
自分があのような行動を取ったことの愚かさには気づいている。
象徴である人間は、愚行を働いてはいけない。
自分に信仰を持っている人に自分で正しいのか、と疑問を持たせてはいけない。
象徴であるが故に完璧を求められる。
お父様には助けられた。
わたくしが外で怪我をした理由についてはほぼ誰も知りはしない。
それでもわたくしが求められるけじめの為に、迷惑をかけた人たちには謝らなくてはならない。
わたくしは時間を持て余すので本を読んでいました。
今日の治療は終了。明日には完治である。
コウキには唖然とされたが
術をかけられて治療され続けるのも割りと体に負担がかかって疲れる。
お昼にコウキが逃げたあと、膨れたお腹も丁度良くなってきたので一旦睡眠をとることにした。
その眠りは妙に心地よくて、いつ寝たのかわからないぐらい自然。
そして、ノックの音にフッと目を覚ました。
時間はさほど経っていない。
「どうぞ」
そう言って、自分も布団から起き上がった。
「失礼します」
聞きなれた声だった。
すぐに彼の名はわたくしの口からこぼれる。
「コウキ――……」
少し寝ぼけマナコ。
だから違う格好になった彼に上手く視点が合わせられずごしごしと目をこする。
漆黒の衣装は妙に大人びた人を思わせる。
妙に着こなしてそこに立つ彼を一瞬考えを留めるほど
そう言えばコウキは姿勢が良い。
だからだろうかその燕尾服を不思議だと思わないのは。
「寝てた?」
「ええ……どうせ、すぐ起きるつもりでした」
「そっか。今……人に会える状態?」
「ええと……少々お待ちください」
流石に寝起きで自分がどうなっているのかを確認せずにあうのは怖い。
わたくしは階級もそうであるし、象徴と言われる程の立場なのだから特に気を使う。
身だしなみ。美しくあること、自分を磨くこと。
それ自体は誰にも必須だと思う。
初見印象は良いほうがいい。
そうであるためには日々自分を磨いておくべきである。
まず鏡を見る。自らの欠点を知るために。
髪の毛はさほど乱れては居ない。手でさっとなでるといつもの状態になる。
顔を洗ったりもしたいのだがさすがにそこまでの時間は無い。
カチューシャをつけて再びささっと髪を触る。
羽飾りのヘアーバンドは冒険の象徴。だから極力お城ではつけない。
さらに服が乱れていないかを一周くるっと回って確認して、折れた袖を直す。
あとは――まぁこれ以上できることもない。
お化粧なんかも出来なくはないがあまり好きではないしそんな時間もかけられない。
「お待たせいたしました。お願いしますコウキ」
「了解っ。二人とも、入ってよ!」
格好はまたバトラー。
何が起きてそうなってのかは良くわからない。
ただ妙に見覚えがある顔だった。
なんとなく圧倒されて声が出ず、わたくしは二人を見上げる。
「お久しぶりです。リージェ様」
スッと一人がわたくしに歩み寄って跪く。
アルゼマイン――。
少し苦手な記憶がある。
唇が手に触れて、顔を上げると薄い笑顔でわたくしを見上げる。
「いつ見てもお美しい……是非結婚してください」
ゴンッ!
慣れた慣れたとは言い聞かせていたが、どうにも久しぶりなせいか冷や汗がどっと流れた。
アルゼにはこういう少し変わった所がある。
ソレを止めるのはいつも彼の役目。
これはもう何年も変わらない関係で、御互いが隊長となっても変わっては居ないようだ。
「ご迷惑をおかけします」
ソレを謝るのがヴァース。
碧眼を閉じて深く頭を下げる。
――実はこの二人とは騎士の中で一番最初に面識を持った。
ちょっとだけ、それをお話しましょう。
騎士隊が大きく隊を増やしたのはついこの5年の出来事である。
それまでは第1隊のバルネロが一人で大きな軍隊を纏めていた。
バルネロはわたくしが生まれるずっと以前から命名持ちの騎士だった。
彼に憧れて、此処にやってくる人は多かった。
国が壊れて立て直したばかりで王も住人も若く、一番信用されていたのがバルネロだった。
微かな記憶にはアキの父親トラヴクラハの凱旋もある。
わたくしが神殿へと来て、二年ほど経った日。
二人の若者が騎士隊へとやってきた。
もちろん英雄のバルネロやトラヴクラハという存在に惹かれてやってきた人たち。
生半可な覚悟では城から追い出される。
が――見事、二人はそこに残って見せた。
そこから1年の活躍は目まぐるしく――。
二人が、わたくしの警護に当てられた。
当時はわたくしの手が掛からなくなったので
ヴァンツェは城の発展に力を入れていて外出などの際に手が開いていないことが多かった。
あまり無いことではあったが。
初めて会ったときも緊張したものである。
ヴァンツェ以外の男性とは殆ど面識が無く、小さく頷いたりする以外は殆ど話せなかった。
「初めましてお姫様。僕はアルゼマイン・ビオード。
こんな可愛らしいお方の警護を預かれるとは光栄です。
是非結婚してください」
スッと
「アルゼ! 申し訳ありません!
コレはアルゼの癖でしでっ、
此処に来た最初も王妃様に同じご無礼をなさり……なにとぞご理解を……!」
もうあまりの頭の下げ方に息苦しさすら見せる謝り方である。
圧巻されて慌ててわたくしも頷いた。
「は、はい……」
「よかった……申し遅れました私はヴァース・フォン・サクライス。
ヴァースとおよび下さい」
もう何かを諦めた目で見ていた目をわたくしに向けて、何かに気づいたように止まる。
子供なりに考えて至った結論は愛想笑いであった。
「ええと……お、王妃様にとは……?
お……国王様が、その、お怒りになられたのでは……?」
そういうことをされてお父様が黙っているとは思えなかった。
「ええ。ボッコボコにされました」
フッと仕方なさそうに笑ってアルゼマインの肩を叩く。
予想通りの答えに思わす笑う。
あの人がそうしないわけは無い。
「美しい人に自分を捧げるのは当然の事。
言葉にしないなど僕の理念が許しません」
相当な理念を持っているようだ。
たとえ既婚の王妃にも曲げない信念はある意味賞賛に値する。
……のではないかと思う。
「へぇ……でも男にもやるのはないな〜」
コウキが一歩引いてアルゼマインを斜めに見上げる。
「ついにそういう趣味に……」
ススッと自分もそれに乗ってみる。
「ち、違う! 元はといえば女装癖のあるキミの方が問題だろう!?」
ああなるほど。女装させたコウキに同じ事を言ってしまったのだろう。
ますますもってイケない女装だ。
「そんな癖ないよ! やらされてるんだよ!」
くわっと主張するコウキ。
「いえ、どちらも異常ですから」
唯一男性で常識人が二人に止めを刺す。
正論ほど強いものは無い。
「で、何故ここにお二人が?」
バトラー服を見ればなんとなく此処で何かやるのだろうとは思うのだけれど。
「見ての通り、ここの使いを命じられました」
ヴァースが溜息をついてアルゼマインを見る。
彼は彼でそっぽを向いて同じく溜息をついた。
「ヴァースさー。もうちょっと僕を放って置いてもいいと思うんだけど」
「お前を放って置くと、今日みたいな犠牲者が増える」
どうやら二人は二人でまだ仲が良いみたいだ。
「え、二人って仲が悪いわけじゃないのか」
コウキが二人に問う。
わたくしが知る限りでは仲は悪くは無いはず。
「別にそんな事は」
「悪い」
そんな事は無いというヴァースに対して、アルゼマインが即座に否定をかけた。
わたくしはそんな二人に首を傾げる。
「一体、どうしたのですか?」
「この二人、さっき女の子の取り合いしてたんだよ」
コウキが二人の方を指差す。
それにムッとしたアルゼマインが何かを思いついたように満面の笑みになる。
「あまりにキミが魅力的でね」
「きしゃぁーー!」
コウキが良くわからないポーズを威嚇する。
どうやらここは本当にあまり仲がよろしくないようだ。
「怒るなよ。可愛いなキミは」
「ファーナ! 逃げるなよぅファーナ!」
心持後ろに下がっていたところにコウキが手を伸ばしてくる。
「いえ、心の持ち方は人それぞれですよ?」
「何の話!?」
……今日は本当に何が起きるか分からない。
「でも、あれだよね。コレだけ男揃いだと、お嬢様! って感じだよね」
「いきなりなんですか……」
ぐっと拳を握るコウキを見る。
「コウキくん、リージェ様は元からお嬢様だ」
ヴァースがあきれながらコウキを見る。
まぁそういう扱いをしないからコウキといるのが楽しいのではあるが。
「そうですよ。ここでは一応」
だからちょっとだけ膨れた対応をしてみた。
ここでだけ。今だけ。
「いや。そうか。俺はお仕えする身ですし?
さぁ、ご奉仕しなきゃだな!」
「へ? ええっ!?」
ご奉仕と言われると困る。
何をされるのだろうかというちょっとした期待もありつつ。
とりあえずコウキ達の行動に身を任せてみることにした。
「失礼します〜。ファーナ、こ……お邪魔しました〜」
扉から顔を出して、すぐに引っ込んだ彼女に手を伸ばす。
「待ってください! 助けてください! アキ!」
アキが顔半分だけ再び戻って来て覗き込む形になる。
「え、助ける事態なんですか?」
「いらっしゃいアキ。お嬢様にご用件でしょうか」
そう言ったのは、コウキである。
もう一度言う。コウキです。
満面の笑みと崩さない姿勢。
全く、悪ふざけにも程がある。
ヒトの心臓を壊してしまう気だろうか。
コレは、お嬢様ごっこ、である。
提案したのはコウキ。従者ではない彼が始めたのだ。これはごっこに相違ない。
立場的には現状正しいわけではあるが、お嬢様などと呼ばれると歯がゆい。
部屋にはわたくし一人である。
謹慎前ではあるが、特に外に出る用事は無い。
したがって部屋で本を読むことになったのだが――。
此処で3人をどう仕事に割り当てるか。
それが議題となって、わたくしではなく3人が出した結論は――
本をめくり、お茶を用意する係りコウキ。
右手マッサージにヴァース。
左手マッサージにアルゼである。
何故こんなことになってしまったのか良くわからない。
最初はごねた気がするがそこからさっきまで気持ちよく本を読んでいた自分に
アキが来たことによってようやく違和感を覚えた次第である。
ここにいると感覚がおかしくなる。
何でしょう、この、状態は……!
ササっとアキに抱きついて後ろに隠れる。
「すごいねファーナ、こんな人たちを侍らすなんて」
「わっわたくしはやってませんっ勝手になっていたのですっ」
「それも逆に凄いよね」
「で、ですね。コウキさんをお借りしたいな〜と思ってやってきたんです。あまってます?」
愚問である。
「見ての通りです」
はぁ、と溜息をつきながら彼女の背中に頭をつけた。
「じゃぁダメかぁ……」
何処をみてそういうことがいえるのだろうか。
「全然ダメじゃないです……むしろっ」
キッと彼女を見上げる。
「むしろ?」
ぽよっと首を傾げる。
この3人の女性への慣れ方は異常だ。
ソレを知ってもらう。そうだ。そうしよう。
彼女から離れてパン、と手を合わせる。
3人の視線はわたくしに集まる。
「みなさん、アキがお困りのようですので全員で丁寧にお手伝いをお願いいたします」
「えっ!?」
『畏まりましたお嬢様!』
その言い返事に満面の笑みで頷いて颯爽と歩いてアキにつく彼らを見る。
「えっ!? ちょっと、コウキさ……!」
「さ、お仕事お仕事」
ふぅ……頑張ってください、アキ。
御武運を。
その祈りを込めて小さく手を振った。
*アキ
自分でも始めてキャァ、なんて叫びを上げたのではないかと思う。
別に可愛子ぶっているとかそういうのではなくて。
空気がそうさせるのだ。気づいて欲しい。
わたしはとりあえずスカーレットさんのお手伝いをしていて、一つやってほしい事があると仕事を任せされた。
それは神殿の掃除である。
毎日人が通るので掃き掃除などはするのだが窓や椅子の拭き掃除は出来ていない。
というわけで4人で大掃除。
これなら今日中に終わるかも――。
「それ俺がやるよアキっ。椅子はこっから全部俺拭いてくよ」
コウキさんが手際よく素早くなれた感じで椅子を拭いていく。
なんか、わたしが拭くより綺麗にみえるし……。
じゃぁ此処はコウキさんに任せようかなっと彼にお願いした。
「手伝うよアキさん。高いところの掃除は僕に任せて」
窓は結構大きくてわたしじゃ身長が足りなくて上の方は窓枠に立たないと拭けなかった。
その高さにすいすいと届いてみせるアルゼさんに任せることにした。
「手伝いますよアキさん。後は私に任せてください」
掃き掃除くらいなら誰にでも。
そう思っていたわたしからそっと箒が奪われた。
悪意の無い優しさと笑顔に抵抗が出来なかった。
と、そんな調子で仕事の出来る人たちにわたしのやることを全て奪われてしまった。
断れないわたしも悪いよね……。
というわけでわたしが目をつけた掃除場所は二階部分である。
手すりがあって、そこから立って教壇を見ることが出来る。
本当に大勢の為に作ってある建物だ。
あまり大きな場所ではないので掃き掃除はすぐに終わった。
次は無いかとちょっと視線を上げると丁度わたしの頭程度ぐらいの高さから始まる窓を見つけた。
一番高いところまでは流石に手が届かないかなぁ。
ぴょん、と跳ねてみて結構枠が深くそこに立てそうだと思った。
一度下に降りてバケツに水を汲んだものと雑巾を一枚。
ひょいっとそれを持って上がって窓掃除を始める。
片手で持って上がったのかと言われればもちろんイエスだ。
身体バランスには結構自信がある。
とりあえず足場の足りている場所の窓掃除を終えて、足場の先の窓を見た。
丁度手が届くぐらいの位置。
跳べば届く。別に落ちても着地ぐらいは楽勝である。
脳内で安全だと結論を出して、スタッとその窓枠に立つ。
「あっアキ! 危ないよそんなとこ!」
コウキさんが慌てて降りてと手を振っている。
「いえ、全然平気ですよ〜」
心配性だなぁなんて思ってみた。
こういうところでの女の子扱いは嬉しかったりする。
「いや、下に俺らいるんだけどっ」
「はい?」
「正直に言うとパンツ見えてるよ!」
「ええっ!? あ――!」
お約束、人間反射的な姿勢変更にはバランスを伴わない。
足を前後左右に十分に広げるスペースが必要である。
窓枠は丁度つま先で立てる程度の場所だ。
スカートを抑える勢いと体の揺らぎに相当する足場は――無い。
落ちる……!
「キャァ――!」
落ちるにしても姿勢が不十分だ。壁に沿って真っ直ぐ落下する。
コレはもうダメだ――!
ふわっっと、その勢いは急にベッドに落ちたかのようだった。
男性が三人私の視界に入った。
両側に二人、ヴァースさんとアルゼさん。
頭側にコウキさん。
「大丈夫ですか?」
ヴァースさんがフッと笑う。
「高いところは僕に任せて。遠慮なく言ってくれて構わないから」
――それは、凄く恥ずかしくて、思いっきり赤面した。
ふふっとアルゼさんに笑われる。
可愛いなぁと言われるとその三人に支えられた状態から立ち上がる。
「ゴメン、俺が変な事言ったから」
コウキさんがしゅんとしてわたしに謝ってくる。
「レディにそういうことは直接言っちゃダメだろコウキ」
アルゼさんに小突かれつつ悪かったよぅ、とばつが悪そうに笑うコウキさん。
とってもいつもどおりなんだけど――……。
ごめんな、と本当に悲しそうな顔でわたしに言う。
「本当に大丈夫でしたか?」
真摯な瞳をわたしに向けて心配してくれるヴァースさん。
「い、いえっ大丈夫ですごめんなさいドジでわたしっ!」
言葉の順番が変になりながらぺこぺこと謝る。
ダメだ……!
ダメだわたし!
こんなべたべたで
甘い空気に溶けそうだというこの状態で
お掃除で失敗とか侍らすとか
ホントファーナごめんなさい〜〜!
『はぁ〜〜……』
溜息をついた。
ファーナと二人。
今日一日の担当が終わって、この疲れを誰かに知ってもらおうと思って。
唯一の共感者である彼女の元へ。
「明日からは、是非普通に戻っていただきましょう」
「ですね……コレは……は、恥ずかしくて疲れちゃうよ……」
こんな体験は人生で初めてだ。
「理解していただけて光栄です」
「ファーナは慣れてたんじゃ……」
すっごく侍らせてたって感じだったよ。
「わたくしは抱きつかれたりするような場面がなかったからよかったようなもので……」
「分かっててやってるのかなぁ」
「理解してやってるのは誰一人いないでしょうね」
「ですよね〜……」
あの人たちの怖さを知った。
心臓が持たない。本当に。
「でも謹慎が終了するまでは一緒なんですよね……?」
「あ……」
「て言うことは……」
「何を言っても……意味が無い……?」
ひぁぁぁっ!
ファーナと二人で声無き声で叫んだ。
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