第133話『霧煙』
カルナディア隊と丁度合流し、捜索隊出発前のキャンプだった。
十騎の小隊でアルゼと同じく前線を行く為の捜索隊。
丁度作戦会議のテントで話を行っている途中、急に乗り込んできた騎士が居た。
隊長と副隊長、それと今回の駐留の班長を集めた全体会議。
駐留していた森の空気は新鮮で、少し肌寒いぐらい。
日中は晴れていたのだが日没から急に霧が出た。
同時に到着したカルナディア隊が連れてきたものだと皆で笑っていたが少し気味が悪い。
カルナが意外と早く此処に来た。
彼女が居るということはロザリアも城に戻ったという事だ。
そうなれば当然神子様と彼等も戻ったのだろう。
カルナ曰く羨ましいほど楽しそうだった、という事らしい。
なんというか、清々しいほど予想通りの結果である。
ワタシも行きたかったと漏らすカルナ。
まぁ仕事はほぼ連日であるし、たまには違う事もしたいという願望はだれにでもあるだろう。
自分もできれば行ってみたかった。
神子様たちが歩む道というのがどういうものなのか知ってみたい。
それも含めて、そうだな、と相槌を打って笑った。
「隊長! 二番隊隊長! ヴァース様は居られますか!?」
会議中だったその空間の視線全てがこちらと彼を行き来する。
大声で呼ばれたのは自分の名であった。
「どうした!」
「アルゼマイン様より報告です! 何卒お時間の程を願います!」
声の主は息を切らし真っ直ぐこちらを見ていた。
ざわざわとしだすテントに、会議を続けるよう促す。
「わかった。会議は続けておいてくれ。
カルナ、先進の報告だ。行くぞ」
「ああ。仕方ない。付いていってやろう」
冗談交じりに言いながら席を立つカルナ。
「急ぎだ」
「わかってるさ」
カルナを連れてその騎士の話を聞きに外へと赴いた。
周りに人が居ない事を確認し、騎士が敬礼をする。
「……報告します。
混乱を避けるためとは言え、失礼いたしました。
先進アルゼマイン隊は、シキガミと接触致しました」
「本当かっ」
カルナが少し声を上げる。
彼女の方を向いて頷く騎士。
「続けてくれ。状況は?」
「はっ。シキガミは小隊でこちらと同じく十騎程度。
黒い鎧のシキガミ“ロクテンマオウ”を名乗る者が率いる一隊でした。
自身より大きな鎌を所持しています。
アルゼマイン隊長の手前に並んでいた数人を馬ごと一撃で葬り、一気に隊は壊滅状態。
私とあと二人。そして隊長のみが残りましたが隊長は我々に伝言を託し、その場に残られました……。
しかしすぐに轟音と共に大きな光があって――。
例の小隊が向かってくるのが見えたのです……。
我々も罠を発動させながら道を戻りましたがあとどれ程持つか分かりません……。
隊長より伝言です……
絶対に戦うな、と……」
「……信じられないな……」
彼女はその話を聞いて少し物憂げに灯された篝火を見て目を閉じた。
自分達4人はほぼ同時に騎士隊へと配属された。
騎士になって一番最初にカルナディアやロザリアにちょっかいを出したのはもちろんアイツだ。
挨拶の求婚の言葉もアイツが有名になりすぎたせいで普通に流されていたが。
あまりの無節操さをロザリアには叱られていた事もあり――今では懐かしい。
彼女ら二人は騎士団でも随一の美人で尊敬される事も多かった。
銀の髪のロザリア。髪はいつも綺麗に結われており、その性格が現れていると思う。
生真面目で融通が利かない面があるが芯が強く真っ直ぐな人だ。
女性らしい女性と言えば彼女を一番に思い浮かべる事が出来る。
騎士にしてはとても珍しい人だ。
薄紫の髪のカルナディア。彼女も色気、という点では凄く目を引く存在だ。
胸元まで大きく開いた鎧は今まで幾度も会議で騎士の気概を削ぐと問題視されていた。
本人曰く敵を油断させる作戦だ、という事らしいがどこまでが本気なのかはよく分からない。
男だろうと女だろうと関係なく惑わされている者は多いようである。
隊長となっても4人は対等で、遠征の労いの会などもよくやっていた。
仕事仲間で、良い友人だった。
あまり実感は無い。
その姿を見ていないから、だろうか。
彼もアルゼが死んだ、といっている訳ではない。
もしかしたら、生きているかもしれない。
「……分かった。有り難う。名は?」
「第七騎士隊ケルヴィンと申します……」
敬礼と共に、悔しそうな表情があった。
無力だと嘆く。
力が欲しいと願う。
この世界では、必要な事だ。
ポンと肩に手を置いて次の行動を指示する。
「そうかケルヴィン。来てすぐに悪いがそれをそのまま王城へ伝えに行ってくれ。
キュア班に一度より、治療と補給はしていくように」
「ハッ……!」
騎士は深く頭を下げ、足早にこの場を去る。
カルナディアは少し考えているようで腕を組み顎に手を当てている。
「カルナ隊も一緒に戻ってくれ。
捜索は必要なくなった」
「ああ、断る」
「……おい、カルナディア。私情で動くな」
キッと睨んでカルナに言う。
それは隊長にあるまじき言動だ。
隊長は常にトップでありその下に命を預かっている事を自覚していなくてはいけない。
騎士隊は確かに熟練者で構成されているが、アルゼ隊が壊滅という事はカルナ隊も危険だ。
「私情じゃないさ。ワタシには捜索の任務がある」
カルナは首をふって当然だ、という顔で俺を見る。
「捜索は終った。無理な衝突で戦力を失う事は許されない」
「ああ。だから隊は成さない」
腕を組んでフッと自分から顔を背けた。
「馬鹿を言うなっ! 自分が言っている事の意味が分かっているのか?」
「当然だろう。ワタシは個人でシキガミと接触を試みる。
交戦があった場合手の内を確認して後退する。
それでいいだろう?」
「良い訳があるか!
隊長であっても犠牲者となる方が高い!」
誰であっても。
その存在に対しては、小さすぎるのだ。
自分達がその人間を守らないでどうする。
「……どうせ」
カルナが視線を下げて呟く。
その言葉に首を傾げて続く言葉を待つ。
「どうせ、ワタシがそうしなくても、ヴァースがそうするんだろう?」
髪の間から薄く彼女が自分をのぞき見た。
見透かされているようで、少し返答を戸惑うが――答えは一つ。
「……いや、しない」
自分はその忠告は受け入れて千人を守るだろう。
淀んだのは少しの情念。気にするほどのものじゃない。
「嘘だな」
なのに、彼女は自分とは違って何一つ淀む事無くそう言い切った。
「嘘じゃない。自分なら橋を落とし一旦引く。
一騎当千だか一騎当万だかしらないがシキガミも不死身じゃない。
勝てる場所で勝つことが重要だ。
……それはここじゃない」
城に戻れば兵力は上がる。
兵も術士もキュア班も。その総力を持って一騎当万を潰すことなんて容易い。
犠牲も最小限で済む。
守る事が出来るじゃないか。
「……では……問おう。
今すぐ馬を走らせ、シキガミを蹴散らし、アルゼの元に辿り着けば、彼が助かるとしたら」
「くだらない事を聞くな。
行くに決まっている。
だがその話は乗れない。余りにも絶望的だ」
自分はそれを言い切って、テントへと向かう。
――撤収の指示を出す為。
「ヴァース」
「……何だ」
背中に降りかかった声に振り返らずに答える。
何を言われようと自分の意見は変えないつもりだ。
大体、カルナ自身も危険だ。
女性だから、そういう面も無くは無いが。
友人の残念な知らせを聞いた後に、前線へと送り出せるような神経は持っていない。
信頼はしている。実力だって分かっている。
こと手合わせして逃げるだけであるなら彼女が一番適任だと分かる。
だが迷わず退けというのは王からの命令である。
自分達は存命し、より多くを守らなければいけない。
少しだけ間があって――、
「ワタシはアルゼが好きだった」
「はっ!?」
余りと唐突さに間抜けな声を出して振り返った。
そこには不敵に笑う彼女がキセルを取り出して葉を詰め込んでいた。
「とうことにしよう」
ぐっ、と少し落胆してしまう。
「……で、それがいったいどうなるんだ」
火を灯し、ゆらゆらと煙が上がる。
彼女の紫煙たる所以。煙のように、掴めない。
掴みどころが無い人間だ。
アルゼやローズといった人間とは違う。
時々、その煙たさの向こう側が気になる光を放つ。
煙を吸えば熱を持つのは奥に詰まっている葉であるように――見えない熱を持っている。
ぼやかすのは性格だ、と彼女は一度言っていた。
人を煙に撒くのはその性質故。
自分は別に彼女が煙を吸うことは厭わない。
ロザリアには随分と叱られていたようだがそれでも彼女は止めなかった。
いつから吸うようになったかは知らない。
だがそれは決まって戦いの前である事は知っている。
「愛するものを救いに行くのは道理だと思わないか」
胸に手を当ててうそ臭くきらめく。
「見え透いた嘘は辞めろ。さっきも言ったばかりだ。私情で動くな」
溜息を吐きながらうな垂れた。
時々こういう変な事を言う。騎士としてはかなり扱いづらい。
「ふむ? 私情ではあるが男性では最も好感な奴だったが……」
以外にも――本心だというように、少し気恥ずかしそうにそう言った。
どこがどう、とは聞かない。今はまずその時でもないし、意味も無い。
だから当然返す言葉は彼へ。
「本人に言ってやれ……」
あの男も多少は報われただろう。今更ではあるが。
カルナディアはポンとキセルを持ったまま手を叩き、にやりと笑う。
「あぁ、そうしよう」
「いや待てカルナ!」
彼女が馬の方へと歩き出したのを声を張って止める。
しかし、彼女はゆらゆらと煙を撒きながら後ろ手に手を振った。
「はっはっは! ヴァース隊長! ワタシはアルゼマイン捜索に向かう!
ついでにシキガミには迷ってもらおうか。
その間に、兵を下げて橋を落とせ」
繋いである馬を引き寄せて軽く撫でる。
手綱を引いてその準備を整える。
「馬鹿を言うな! それではカルナが――」
「ん? ワタシがなんだ? おっと――」
颯爽と馬にまたがり、少し落ち着かない様子に怯える馬を宥める。
栗毛のその馬は彼女のお気に入りだったか。
すぐに落ち着いたようで主人の合図を待つ。
「無駄死にするような真似はよせ!」
彼女の行く先を塞いで立つ。
彼女は紫の髪を揺らして、少し残念そうに頭を振った。
「ヴァース退いてくれ」
「ダメだ」
「そんなにワタシが好きか? ん?」
艶っぽく口元に手を当てる。
その行為は今、自分をイライラさせるものに他無い。
「ええいそんなことは関係ない。いいから戻れ」
首を振って否定する。目を合わせないと恐らく逃げられる。
だから真摯に彼女を見る目は外さない。
「ヴァース……」
「カルナディア!」
悲しそうな目で見られても動かない。
こんな時にばかり上手く女性を使ってくる彼女をどう褒めたものか。
口を少し尖らせて溜息を吐くと、あー……と間抜けな声を上げて再びヴァースを見る。
「……ワタシはな、存外に今の騎士団が好きだ。
総隊長もアレン隊長も良き軍の長だ。
そしてワタシ達4人。対等に伸びた兄弟じゃないか。
グランズというやんちゃな弟分も出来た。
まだまだだ。強くなれる。
ワタシ達騎士隊は全員で名持ちの最強騎士になるんだ。なぁそうだろう?」
騎士になってからの夢。
それは自分達がその領域に辿り着く事。
あの国を本当の理想郷にする為に自分達がそうならなければいけない。
難しい。きっと何年も掛かる大きな夢だ。
それでも総隊長はそれを笑わず。
相応だと満足げに頷いてくれた。
4人でした誓いだった。
己が剣に懸け互いに切磋琢磨し上り詰める。
その過程ではなく結果を最後、この理想郷を本物とする為に――。
仲が良かったのは間違いない。
自分達は血は違えど同じ道に辿り着いた兄弟であった。
一緒に居て心地よい仲間というものにどれだけ助けられてきただろう。
――戦場に出ている。覚悟はあった。
口だけはきっとそう言う。
誰かが死んだと聞いても、ピンと来ない。
死ぬ事、を信じてないからだ。
自分も、カルナもそうだ。
だから彼女は橋を渡り彼の元へと向かおうというのだ。
言いたい事は分かる。だから自分も退けるわけには行かない。
彼女を危険へと向かわせるより、彼が無事で戻ってくる方がまだ信じられる。
――そのほうがマシだ。
「無駄死になどしないさ。死ぬ気もない。毛頭な。
よく考えてみろ。相手の足を考えれば今から逃げても半日で追いつかれる。
だが殿<シンガリ>も適任が居る。
それがワタシだ――ヴァース」
「罠だっていくつかは仕掛けられている!
こちらでもしかけながら進めば1日は持つはずだ!」
人手に任せて仕掛ければ数十分で時間を稼ぐ罠は仕掛けられる。
算段はある。
なのに彼女はクスクスと笑う。
金のキセルから一度大きく煙を吸い込んで、勢い良く吐き出した。
そして、全くさっきと真逆に厳しい表情でこちらを見た。
キセルを突き出しこちらを指す。
『その話は乗れない。余りにも絶望的だ』
全く同じ言葉を突きつけられる。
その絶望的という言葉は何故か的確に思えた。
背にしているのはシキガミ。
しかも恐らく敵意のあるシキガミだ。
罠のどれ程が役に立つだろうか。
そう――。カルナディアであれば可能だ。
自分達はより高確率に城に辿り着く事が出来る。
彼女の目くらましはヴァンツェ様のお墨付きである。
絶句したその瞬間に、彼女はもう走り出していた。
馬が勢い良く、自分の横を通り過ぎた。
「後は頼んだぞヴァース!!」
その言葉だけを残して――。
――結局。
自分は煙に撒かれてしまったようだ。
……自分は全を助けたかった。
彼女もそうだ。死ぬ気は無い。その言葉は本当だ。
そして彼女は――アルゼを助けに。
もう、命は無いかもしれない。
そんな人間を助けに行った。
恐らくは。自分の代わりに、だ。
理屈だったのか屁理屈だったのか。恐らく後者の彼女の言動。
自分は行かなかった。絶対に。
だから彼女が自分の言葉を使って向かって行った。
――……何をやっているんだ。私は……。
ギリっと拳を握ってキャンプを振り返る。
千。自分が守るべき数字。
彼女が守るために走り去った数字。
自分がすべき事は彼女がなすであろう半日を彼らの安全の為に使わなくてはいけない。
自分の出来る最大は、結局同じ答え。
自分が友人に贈れるものはせめて無事であってくれと、願うだけだった。
自分の行動が自分のエゴである事は気づいている。
言ったことは嘘ではない。
単体で時間稼ぎを出来る人間はワタシだけ。
恐怖が無いわけじゃない。
彼の言っている通りにしても良かったはずだ。
英雄を気取って後退するのではなく、言い知れぬ不安と、彼の正義の為にワタシはその任を負う。
先も言ったとおり、自分は騎士隊が好きである。
気質のせいでフラフラとしがちなワタシを留まらせ、そう在らせる場所はそうそう無い。
明確な意思が上にあり、ワタシ達も未熟ながらそれに追いつこうとする。
きっとそれはこの上無くいい関係だ。
騎士の理想は、思ったより単純な言葉で表現できる。
特にヴァースなんて簡単だ。
他の誰よりも単純で真っ直ぐ伸び純粋な願いを信念としている。
綺麗な人間だ。ワタシが持っている印象を言えばそうである。
さっきの言葉もワタシを含める全てを守る為の言葉だ。
そう、正義の元に全てを守る。
真実はそれに近い何かを実行するだけ。
彼の理想に近い形でそれを実現させる。
ワタシだけではない。皆もだ。
詰まる所――彼の願いはワタシの願いでもある。
騎士団全体のモノ。
ローズもアルゼもそれぞれの願いを持ち、皆と共有しながら進んでいる。
国を守るために必要なモノ。
共有はしているが――決して侵される事の無い信念。
目前へと走り寄ってくる十程の馬。
先頭の漆黒の甲冑。
さぁ、魅せようか――。
「なんっかなぁ……」
夜に差し掛かり、珍しく霧がかかった。
山側の王城では珍しい話ではないのだ、町全体を覆うように大きくそれは広がっていた。
警戒態勢であちこちに明かりがあって、もやもやと漂っていた。
目が悪いってこんな感じなのかな。
度の強いめがねをかけた状態は目が悪い状態とは異なるらしい。
寝起きでボーっとしてる時とか目に水の膜が出来た時みたいなのに似てるんだってさ。
キツキの眼鏡はやばかったな。なんか平行感覚おかしくなる。
寝起きの時に眼鏡をいつもの反対側に移すだけで10分は迷わせる事ができる。
なんて不便なんだ眼鏡族。
「霧……ですか」
窓に張り付いていると、ファーナが覗き込んできて、訝しげな表情で呟く。
「凄いよね〜。少し肌寒いぐらいだし。
暖かくして寝ないとね」
アキは客用のイスに座って暖かい紅茶を一口飲む。
一瞬だけ、暖かな吐息を吐き出した。
3人で居るから、この部屋もまだ暖かい方である。
「そうですね。コウキ、何か感じますか?」
「あ――いや。なんか。うん。
……良くわかんないけど気味が悪いよな」
俺も椅子に戻って紅茶を淹れて貰うことにした。
「――そうですね。あの魔女もいつ現れるか分かりません」
「はいファーナっ」
「有り難う御座いますっ」
ファーナにも紅茶が手渡され、にこやかにそれを受け取る。
ここだけ別空間みたいに平和だ。
外はあんなにも冷たそうなのに。
「騎士の皆大丈夫かな……」
「騎士のって……ヴァース様とかアルゼ様とか?」
「そう。だって前線だぜ?
雨だっていきなり降り出すんだぞ?」
雨如きにはやられないだろうけど。
「アルゼとヴァースは友達だしさ。なんか心配なんだ」
一緒に話して、一緒に笑った。
難しい友達の定義はしてない。
簡単に、そう。
俺と話したら。一緒に笑ったから。それだけ。
そんな小さな話が――これからもっと、大きくなる。
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