第134話『平和な喧嘩』



「あ、おはよう〜ファーナっ」
「お早う御座いますアキ。早起きさせてしまいましたね」
「ううん〜ちょっとぐらいしか変わってないし。
 ファーナは大丈夫?」
「はいっ慣れてますから……ふぁ……」
「ふぁ……」

 必死で欠伸を噛み殺してみたものの、涙が出てしまってゴシゴシと目をこする。
 ソレは彼女も同じようで、とりあえず二人でへにゃっと笑った。
 ……間違いなく二人とも寝ぼけている。
 二人で寝ぼけ眼を擦りながら水場へと向かった。
 冷たい水で顔を洗えば多少は世界がハッキリするだろう。


 今日は珍しく――本当に珍しく、アキと稽古をすることになった。
 実はこっそり剣の素振りはしていたりするがあまり効果は上がっていない。
 大人しく炎術を伸ばした方がいいのだろうけど、いざと言う時に動けないのは困るだろう。
 パーティーバランスは今のままが一番いいと思う。
 だが出来て悪い事は無いと思う。
 覇道の神子の襲撃の時ももう少し動ければ違った結果だった。
 ……遅すぎるのかもしれない。
 せめて自分にもアイリスぐらい動ければ違ったのだろうな――と思う。
 ちなみにアイリスはかなり動ける。
 お父様やお母様を前に自信をなくしたと嘆いていたが、お城の五階から飛べる程度の運動能力と度胸がある。
 お城随一のお転婆娘、という程度で済まないのがあの両親の子供、と言うところである。


 朝早くに起きたのには理由がある。
 アキと稽古の約束をした、というのもそうであるのだが何故そうなったかが重要だろう。
 昨日はコウキが早めに寝るということで部屋から出た後、二人で少し雑談を続けていた。
 まぁわたくし達で話して居ても出てくるのは旅路の話ばかり。
 それはそれで楽しいのだが
 結果に出るのが自分が前に出ないという甘えきったものだった。
 そのままでいいのだとアキは言ってくれる。
 きっとコウキやヴァンも同じ事を言う。
 でも――自分が一番進まなくてはいけない事を知っている。
 自分を置いて強くなるみんなに焦ってしまう。
 ――だから彼女にお願いする事にした。

 今朝は一度起きて、礼拝を行った。
 早朝礼拝が終わった後、もう一度寝てしまったのだが……。
 冒険者をやるようになって生活習慣が変わった為にどうしても少し遅めの時間に起きるのが癖になってしまっているのだ。
 別に、断じて、だらけているわけではないのだ。断じて。
 ……。
 礼拝にきてくれる方々は皆その時間から生活を始め一日を祝福する。
 その方々の発展と幸福を願って、太陽が昇る空に皆を見送る。
 それが自分がこの神殿の巫女としてやって来た些細な事。

 コウキが来る以前であればその生活が日常だった。
 日々はこんなにも人を変える。
 今朝もベッドの暖かさの恋しさにそんな事を思った。
 結局起きるので些細な事ではあるのだけれど。

 訓練の為にさらにちょっとだけ寝て目を覚ました。
 二度寝の事を話すと、とってもいい笑顔でアキにわかるわかると頷かれた。
 訓練場へ行けばいいのだろうか、と最初は思ったが、考えればダメだった。
 コウキほどの環境への順応性があれば兵の訓練などに混ぜてもらえばいいのだろうが、
 生憎わたくしはあそこまで友好的な人格者ではない。
 それに兵達も自分を気にして身が入らないだろう。
 自分とて一応は王女の身ではある。
 だから神殿の地下を使って、友人に相手をしてもらう事にした。
 アキを相手に何ができるやらではあるのだが。
 やり辛さはあるがやっているうちに意外と本気になれるらしい。
 そういえばコウキとやっている時もそうだった気がした。
 あの頃が一番伸びた気がする。

 地下の荘厳な空間は地上の光を取り込んでそれこそ朝日が差し込んでいるかのように朝の色をしていた。
 地下空間故に本来は暗い空間のはずなのだが、天井や柱に特殊な石を用いていてそこから太陽と同じ輝度で光が送られてくる。
 主にその柱がその

「しかしお姉様。クンフーは大変です。
 肉体の柔らかさもバランスをとるのも凄く大変なのですっ」
 ハイッと綺麗なY字バランスでわたくし達を出迎えたのは、
 長い髪を首の後ろで束ねてわたくし達と共に買った服を着ているアイリスだった。
 レモン色の髪はその格好でも殆ど揺れていない。
 本当に肉体バランスには優れているようだ。

「……アイリス、貴女が何故この時間に此処に居るのかは問いませんが、
 何故此処に居るのです」
「さっそく前後で矛盾してるよファーナ! 超動揺しちゃってるよ!」
 アキに動揺がばれた所でコホンと一度咳で間を切ってアイリスを向き直る。
 彼女は楽しそうな笑みを浮かべてパッと両手を広げる。
「はい! お姉様とアキさんをお待ちしていました!」
 バランスをとった姿勢から普通の立った姿勢に戻るとぺこりと小さくお辞儀する。
 無駄は多いが礼儀は正しい。人前に変な格好で出現するのもどうかと思うが。
「どうやってわたくしが此処に来ると知ったのですかっ」
「勘です!
 乙女の! 勘!」
 ビシッと二回目には腰と額に手を当てた謎のポーズがつく。
 何故二回言ったのかはさておき、私は話を続ける。
「いえ……アイリス。
 王女である貴方がそういう舞台に立つのは如何なものかと」
 自分がそういうと、彼女はぷるぷると首を振って、意外と真剣にこちらを見返してきた。
 なんというか、このままなし崩しに訓練して彼女に傷をつけてしまったりするのはとても宜しくない。
 遊んでいるつもりならやめたほうがいい。
 そういう忠告のつもりだった。

「いいえお姉様っ
 わたくしとて姫であり国の象徴である事は理解しています。
 ――だからこそ、わたくしも強く無くてはいけません。
 お父様が、お母様が――そしてお姉様が。
 そう、在ろうとするように。
 わたくしもそう在るべきでしょう。

 いつ、かの世も、統べるは武に智に心に在りですっ!」

 つまりは、完璧であろうとする事。
 武に長け、知識に深く、友好的な人間であること。
 要約してしまえば、努力を怠るなという事だ。
 初めにその言葉を聞いたのはお父様からだった。
 小さい頃に一度だけ。
 戦場へ赴くお父様を見送る時だった。
 ……この国は、今でこそ平和に思えるが、軍隊の出入りは多い。
 当初はあのお父様も最前線で戦っていた。
 だからだろうか、言葉を置いて出て行っていたのは。
 その度にお母様は凄く悲しそうだったけど――わたくしにはいつも笑っていた。

 そんな人たちの子供だから。
 在り方は、変わらないようだ。
 ――歩みたいと思う。同じ道を。

「ファーナ……?」
 おろおろとわたくしとアイリスの間で視線を行き交わせるアキ。
「……ええ。貴女の言い分は理解しました」
 アキに大丈夫、と目配らせをして頷くとアイリスに向き直る。
「でわっ!」
 ババッと右手を前に彼女が構える。
 そして一歩大きく踏み出してきた。
「ダメです!」
 ズシャーー!
 見事に前のめりにこけて受身なしでスライドした。
 コウキに負けずとも劣らぬ身体を張った表現である。

「えええええっ今のは流れ的にっオッケーかかってこいっ!
 って言う所じゃ無いですかっ!
 ダメってなんですかっダメダメばっかりですっ!
 わたくしばっかりダメじゃないですかーお姉様ばっかりずーるーいー!」

 バタバタとこけたままの姿勢で暴れだすアイリス。
 アキと目を合わせて溜息を吐く。
 ふと、アイリスが静かになったので彼女の方を向く。
 彼女は暴れるのをやめて、ふらっと立ち上がった。

「……わかりました……」

 俯いて、ぷるぷると震えだす。
 少し可愛そうだなと思った。
 でも、彼女には傷ついて強くなることよりも大切な事がある。
 武に長ける事よりも智に長ける事。
 時代によってその伸ばすべき所は違ってくる。

「こぉなったら……!
 シキガミ様に神殿でお二人がシキガミ様を取り合って喧嘩してるって言いいますっっ!
 ちょっと気まずい感じの顔で仲裁されちゃえばいいんですっっ!!」

 ちょっとはんべそ気味でわたくし達を指差す。
 別に仲間はずれとかそういう類ではないのですが……。

「どうしようファーナ、凄く嫌なんだけど」
 割と真剣な顔でアキに相談された。
 確かにあれは紛れも無くただの嫌がらせだ。
「嫌がらせですから。

 ――どうやら入り口まで行くのを阻止しなくてはならないようです」

 言ってわたくしは二歩ほど前に出て両手を広げる。
 そして少し集中して、両手のラインを意識する。

「収束:10 ライン:左腕の詠唱展開固定
 術式:焔式護法<プリメラ・セキュニア>」
「収束:100 ライン:右腕の詠唱展開
 術式:岩石の謳<ガンチュード>」
「収束:100 ライン:喉の詠唱展開
 術式:反響する祝福歌<ライアネル・フォール>」

 赤い術式行使光。
 焔式護法は火や熱に対する耐性が上がる。
 焔を触ってもあまり熱いとは感じなくなるし、実際に肉体にも影響が少なくなる。
 岩石の謳は、肉体の物理的な硬度を上げることが出来る。
 そして、反響する祝福歌。
 自分自身にかけた術を回りに居る人に同じものを反映させることが出来る。
 少し赤い光の走る術に感心したアイリスが自分の手を裏返したりしながら確認している。

「アイリス……。
 貴女はわたくしに術を許している場合ではないのですよ本来は」
「で、でもっ凄く綺麗です!
 凄いですお姉様! お相手お願いしますっ!」

「肉体的に硬くはなっていますが――痛いものは痛いです。
 覚悟してください」

 ――それを沢山乗り越えて、強くなってきた人を知っている。
 だからこそ、自分も後を追わなくてはいけない。
 置いていかれてばかりなんて、嫌だ。
 アイリスの気持ちは痛いほど分かった。
 だから。


「アキ、動きの指導をお願いします」


 模擬剣を構える。
 いかにアイリスが体術に長けているとはいえ長物相手とあっては分が悪いだろう。
「ほ、ほんとにやるの?」
「わたくしを置いて、他の誰が彼女を止めるのです?」
「う、うん……」
 構えたわたくしを前に、アイリスは強気な笑みこそ浮かべたが、全く不満そうな顔はしなかった。
 なんというか、恐らく彼女は、わたくしよりも強い。
 何故かというとあの両親の元にいて、素直にそれを学んできたから。
 真っ直ぐに私を見る緋色の瞳は、その自信の表れだろうか。
 でも、自分だって、今日まで沢山の戦いを経てきた。
 純粋に経験ならば負けはしない。……はず。
 彼女はいろんな意味で未知数だ。油断は禁物――。




 先手必勝、そう叫んで彼女はわたくしへと踏み出してきた。
 強く握った模擬剣を構えてそれを縦の一閃で迎え撃つ。
「避けて!!」
 アキの声が聞こえた。だがそれを理解して実行するにはまだまだ速さが足りない。
 ふわっとアイリスは姿勢を低くしながら回ると、右手で模擬剣の面を弾いて自分に当たらないように逸らす。
 踏み込んだ勢いと、さらに沈み込んだ体勢からの持ち上げるような体当たりをモロに受けた。
「かはっ――!?」
 息が一瞬止まった。
 まるで岩にぶつかったみたいな凄く重い当たりだった。
 ――お父様の体術のようだ。
 体重の軽い自分は軽く吹き飛ばされて宙を舞う。
 ズシャっと派手に尻餅をついたが、すぐに立ち上がる。
「お姉様、手加減は無用ですっ!」

 ――此処に居て、ただの箱入り娘が育つわけが無い。
 自分もそれに含まれる事に少し笑えた。

「けほっ……そうでしたか……!」
 彼女は体術においては私のはるか上だ。
 模擬剣を構えなおして、右手に収束をする。
 自分本来の戦い方に準じる事にした。
 戦い方をある程度分かっている、それだけが唯一わたくしと彼女の差を詰めるものだろうか。
 不確定で頼りないものではあるのだが――。

 それを含めて、今の自分をハッキリさせたい。
 肉体的には余り強くはなっていない。
 ただヴァンツェに習った術式や焔加護の術式には特化している。
 しかし必要最低限は動いて戦うことも視野に入れなくてはいけない。
 コウキやアキにばかり任せているわけにも行かない。
 それに、何故二人があんなにも強くなったのか、それも知りたい。
 きっと剣を振るようになれば分かる。
 何故戦うのか、何故強いのか。その答えを知るために。




 右腕の詠唱ラインを展開固定状態にして、
 燃え爆ぜる矢の術式を連発しながら近づき、剣を振る。
 火力は押さえてある。加護とあわせれば空気の塊に圧されるようなものだ。
 だがアイリスはそれを虹壁で防ぎながら、さらに自分の間合いへと詰めてくる。
 ――そんな術も使えたのか、と少し驚く。
 懸命にも見えるが、それは日々の反復をこなしているようにも見える。
 彼女の間合いには入らず自分の間合いを保つために使っている炎。
 アイリスも加護に甘えず、それを防いで間合いを詰めてくる。
 息が詰まるような一進一退の戦い。

 ――負けたくない、と思うのは、自分が彼女の姉だからだろうか。
 闘争本能というのだろうか、競争とあれば勝ちに行くのは真理。
 試合において勝ち取って得るべきものを考える事はしない。
 勝つために戦うのだから、でしょう?

 3度炎を放って、二歩近づく。
 それを3度繰り返すとその三つの炎を全部弾いて剣以下の間合いに詰め寄られる。
 アイリスの機転の良さが伺える。
 パターンを作るのはよくなかった――その後悔はしている暇も無い。

 ダンッッ!!
 一際大きく左足を踏み込んだ彼女が同じく左の手を突き出す。
 胸の中心に真っ直ぐな掌底が突き刺さる瞬間に少しだけ反応して、後ろに飛んだ。
 気分になった。
 彼女の一撃はこちらの踏み込んだタイミングにあわせてのもので自分が圧し留まるので精一杯だった。
 結局は彼女の一撃を直撃で頂いて軽い吐き気と共にまた自分の軽い体が宙に舞った。
 コウキのように瞬時に剣を間に滑り込ませるような事が出来れば呼吸が出来ないなんていう事態にはならないのだろうけれど――。
 今度は地面に転がる事無く、膝を突いてザリザリと石の上を滑る。
「――っっ」
 息を吐こうと思ったが、それすら出来ない。
 肺が麻痺している。
 確か体の内部から攻撃していく体術もヴァンツェから聞いたことはあるが、
 食らってみるとその厄介さを実感する。
 くらっと世界が歪んで、膝を突いて模擬剣を立てて寄りかかる。
 無理に呼吸をしようとすると逆に苦しく感じてしまう。

 タタタタタッ――!
 聞こえた乾いた音に反応して顔を上げる。
 目の前には最後の一歩を踏み切って足を高く上げた彼女。
 手より、足の方が力が強い。
 足を自在に使える様になれば、強くなれる。
 徒手空拳の名手である父が、いつか、誰かに言っていた。
 体躯にも力にも恵まれなかったわたくしがそれを行っても、彼女の足元にも及ばないだろう。

 ヒュッッドムッッ――!

 痛々しい音と衝撃が聞こえてから、ほんのわずかで痛い、という悲鳴が体から上がる。
 体勢が崩れて、一気に石の床に叩き付けられて、跳ねる。
 痛い。
 殴られただけでこんなにも。
 泣きたい。逃げたい。吐きそうだ。

 切り裂かれるとどれだけ痛いのだろう。
 コウキや、アキは、どれだけの覚悟で、最前線に立っていられるのだろう。

 痛い。

 少なくとも――
 こんな所で、挫けていては、届かない。
「ファーナっっ!?」
 アキは心配してわたくしの名を叫んだが、それに縋ってばかりではわたくしは変わる事が出来ない。


 強く、ならなきゃ。



 こと激しい戦いを何度も繰り広げて、どんな傷を負っても強く在ることの出来る人を知っている。
 お手本にするなら彼の往生際の悪さだろうか。
 パートナーとしてはもう結構な日数を経ていて彼の考え方の方向は大体把握している。
 何はともあれ、まずは――
 あきらめない。

 追い討ちを食らった身体に鞭打って、左手で思いっきり石床を叩くようにして転がる。
「わ――!?」
 足が乗っていた彼女も大きく姿勢を崩してバタバタとその場から立ち退いて構えなおす。
 その間にこちらも起き上がって三歩の距離をとって左手で模擬剣を構える。
 試合は続行。その意志も込めて。
 アキが不安そうにこちらを見ていた。
 アイリスと睨み合っている状態になっているため、その視線には応えられない。
 呼吸はさっきのショックでか一気に正常になった。
 ただし服の下はきっと青痣だらけだ。
 一方アイリスの方はほぼ無傷に近い。

「お姉様っ」
「何でしょう?」
「……次で、決めます……」
 痛々しい、と、表情をゆがめる。
 きっと今のわたくしが可哀想なのだろう。
 確かに妹に完敗状態で、必死に足掻くわたくしは滑稽で可哀想なのだろう。
「お好きなように」
 終らせるのはきっと彼女の優しさ。
 それが勝つための言葉なのは、彼女の強さ。

 拒みはしない。
 彼女が行おうと言っているのだ。
 わたくしに何ができようか。

 そう言った自分に少し笑う。
 そうは思っても無いくせに。


 わたくしはアイリスのように天才ではない。
 小さく努力して積み上げる小さな人間である。
 コウキも同じ事を言っていた。
 彼は努力を他人に明かさないが、確かに積み上げられたそれをわたくしは知っていた。

 天才ではない彼は、どう戦っているだろうか。
 自らの持つ力の全てを生かして戦う。いつも全力で相手にぶつけている。
 戦いの最中に学んで、工夫をする。

 それはわたくしも習うべきである。
 考える側の人間であるわたくしは、余計な思考が多い。
 その思考を研ぎ澄ませれば何かみえるだろうか。
 真似てみようと言うなら――とことんでも、面白い。


 例えば彼女がとっている構えから、次の行動を予測する。
 この構えは2度くらい見たかもしれない。
 横の回転から来る攻撃と、後ろ足で下から蹴り上げるようなパターン。
 きっと後者の方が確率は高い。
 最後の一撃にするなら引き寄せてまた鳩尾を蹴るだろう。
 今度は多分立てもしない。
 アキに酷い心配と責任を感じさせてしまう羽目になる。
 それだけは何としても避けよう。

 足を開いて、重心を低く構える。
 安定したその姿勢で、左手に持った模擬剣を身体の後ろに構える。
 先程の踵落としの衝撃のせいか、右半身がビリビリと痺れている。
 感覚はあるのでしばらく無理せずに休むべきなのだが――これほど意味のある立会いを無下にするわけにはいかない。
 両手を開けば鏡に映したように、アイリスと同じ姿勢。

『何のつもりですか?』「――!?」

 きっとそう言うだろうと思って言葉を重ねた。
 動揺しかけた彼女だが、瞬時にこちらを睨んで掌を返した。
 息を呑む彼女に合わせて、ゆっくりと掌を返す。

 この行動には――意味は、無い。


 とりあえずやってみようと思った。
 それだけである。


 この構えの使い方なんて知らない。
 アイリスが動くのを待っている。
 自分が動かないと、こちらが動かない事を悟ってすぐ彼女は飛ぶように三歩、その距離を詰めてきた。
 突き出された手の位置だけを合わせてその動きを目で追う。
 手を合わせてきたのは彼女も同じで、掌を合わせるようにして、捕まる。
 次の瞬間にはぐるんと彼女は自分の方にわたくしを引き寄せると、案の定後ろの蹴りが真っ直ぐに飛んでくる。
 ――予測できていた。
 だから、その場には左手に持っていた模擬剣が入った。

 バキッッ!!

 乾いた派手な音を立てて折れる。
 予測していなければ骨がその音を立てていただろう。
 驚いているのはアイリス。
 骨が折れたと勘違いしているのだろうか。
 手が私を放したので倒れるように沈み込む。
 両手を突いて、アイリスが足を地面に戻す寸前――

 ガッッッ!!!

 右足を蹴り出し大きくその軸足を薙いで、体勢を崩させた。
 自分でも不思議な感覚。
 今はとても思い通りに身体が動く。
 知っていたから? 肉体の動く速さが劇的に速くなったわけじゃない。
 ただ、最適な動きが出来ていると思えるだけ。
 あっ、と口に出して、べしゃっと転んだアイリス。

 あとは呆気なかった。
 立ち上がって右手を翳した私に寝そべったまま降参です、と声にした。


 ――――あ、勝った。





 少しだけ嬉しくなった。

 膝に力が入らなくなって、アイリスの上に折り重なるように倒れた。
「あうふっ!」
 下敷きになったアイリスが声を上げる。
 ばいんっという効果音でいいだろうか。
 アキほどではないが――確実にわたくしよりはあるなぁ――……

 勝った……いや、負けた……。
 この感触……一つ下の妹とは思えない。
 その半分ぐらい私に分けてくれたっていいではありませんか。

「あ、あの、っや、お姉様っ!?」
「ファーナ大丈夫!? 何やってるの!?」
 走り寄ってきたアキに顔だけ振り返る。
 へにゃっと笑ったけど、今頃な痛みに少し涙が出る。
「アキ、痛いです」
「う、うん、早くキュア班で見てもらった方がいいよ〜」
「はい。そうします、でも、アキ、貴女に聞きたい事があるのです」
「何?」
「何故、――この痛みに耐えようと思うのですか?」
「……」

 痛い。
 泣きそうなほど。
 辛い。
 逃げ出したいほど。

 それでもコウキもアキもいつもコレに耐えて、笑う。

 いかに二人が強いとは言え、痛いでしょう。
 痛いと泣けばいいのに。辛いって言ってくれればいいのに。
 二人はただ、笑うのだ。



「……なんで、だろうね?」
 アキも首を傾げて曖昧なものを残した笑みを見せる。
 いくらでも言いようはある。
 守るためとか、約束だからとか。
 それを疑問にするような彼女や、きっと彼も――同じように曖昧に思いあう仲間だから。

 それが分かったら、今私も笑えるだろうか。
 ああでもそれはアキが来てすぐに分かった。

 ――そうである事が、自然だからである。

「アキ、心配などしなくてもわたくしは平気ですよ――」

 悲しそうな顔をされると、安心させたいと思う。
 わたくしが笑えば彼女も笑うから――。
 そんな自然な事だった。

 痛い時には自分の代わりに泣きそうになってくれる人が居る。
 その人の為に、笑う。
 安心してもらうために出来る簡単な事。
 心配したと相手も釣られて笑う。
 それを知らなかったわけじゃない。
 でも強くないと出来ない事はわかった。

「アイリス、手加減してくださってありがとうございます」
 顔は見えないがそれをいうとアイリスは笑って、ギュッと私を抱く。
「あははっお姉様こそ、今度は4個以上の炎を使って下さってもいいんですよっ?
 加護術式も持続させながらなんて、嫌がらせですっ」
「いえ、それはそうでないと……」
 炎の術式を使った時点でこちらに分がありすぎる。
 己惚れる訳ではないが、炎との相性はこの世の誰よりもいいと思っている。然りである。
「いいえっフェアじゃありませんからっ次はもっと修行してお城ごと吹き飛ぶような術を覚えておきます!」
「吹き飛ぶのでやめてください」
 やりかねないと思ってプルプルと首を振る。
 実はもう動けない。気が抜けたからだろうか。


 二人に連れられてキュア班へと行く。
 医者には軽く怒られ、直ちに治療を受けた。
 アイリスの手加減のお陰で打ち身だけだったのですぐに治療は終った。
 本気でやられていたら恐らく全身バキバキに折れていた。
 もっと自分を大事にした行動を取りなさいとのことである。
 特に先日の強襲の件もあり厳重に注意されてしまった。
 全く生傷を絶やさないわたくしのほうが妹よりもお転婆娘扱いである。
 参加はしていないが止めなかったアキも同罪だったということで3人纏めてしかられてしょんぼりとしてキュア班の建物を出る。

 同時に溜息を吐いて三人で目を合わせると、クスクスと笑えたのだけど。


前へ 次へ


Powered by NINJA TOOLS

/ メール