第136話『カタチ』
ファーナは基本的にしっかりしてて真面目な子だ。
勤勉であるし努力家である。
その実証はすぐにできるけれど、それ以外の彼女の実態の方が実に面白い。
彼女の容姿は優遇された美の形を持っている。
まだ少女の面影を残した可愛いと形容でき、将来を有望な美人である。
他人には優しく自分には厳しい。
行き届いたその教育の良さはどんな場所でも崩れる事は無い。
そのファーネリア王女を形成する外観はそこまでといえばそこまで。
人前に出ていて彼女が見せる自分という形である。
完璧に見える。
それは彼女の育ての親のせいだろうか、弱みを人に見せるような性格ではない。
泣く事はあれど自らの為では無く、努力はすれども他人に見せず。
気高く在る彼女だが意外と隙は多い。
彼女が心許す友人は彼女の別の形を知っている。
何故彼女が守られているのか。
その場所が相応しいと思われてしまうのか。
彼女にしてみれば不本意ではあるのだろうけれど。
彼女自体がそう思わせているのに違いは無い。
お姫様とファーナの違いは、庶民一般常識の有無だろうか。
高圧的な態度を取らないし、どんな食事でも有難く頂いている。
多少知らない事があっても丁寧に聞いてくるし、並外れた買い物などもしない。
しないにしてもたまに高級ドレスを見て安いと口にしたりする。
何となくそういう所で格差はあるんだなと感じたりはするんだけど……。
そういうところは彼女がお姫様であるという証拠の実感のひとつとして楽しむべきところなんだろうと思う。
あとコウキさんが庶民的感覚でそれに正直に切り返してくれるので
そのやり取りを楽しむのがこのパーティーのやり方だ。
わたしが彼女を近いなぁと感じるのはやっぱり女の子であると言う点。
悩みの多い年頃であり、同じように戸惑いをたくさん感じてる。
……彼女より長く生きているくせに自分には恋愛経験が全く無かった。
自分には情けないやら思うところはあれど、無いものはないし。
共感できるその関係があるってことだけでうれしい。
……それだけでもなくっ。
旅を始めること自体初めてだ。
幼い頃に親に連れられてしていた旅はわたしの意志で歩いたものじゃないし。
たくさんこの旅で笑って泣いて怒ってみんなで成長してる。
散々な経験もいっぱいあるけど……確かな絆になったから。
わたしとファーナは親友です。
ファーナは基本的に失敗をわたしたちには見せない。
彼女自身が優秀という事もあるが、影に努力があることをわたしは知ってる。
ほんの一例に過ぎないが例えば料理。
思えば彼女が旅路中で最も頑張っていたかもしれない。
法術や剣も練習しながら一冊料理の基礎の本を買ってぼろぼろになるまで使っていた。
わたしが目撃してしまったのはその本を買って間もない頃のことだ。
わたしとファーナが相部屋で少し用事があったのでわたしだけ出かけてきた。
剣を加治屋さんに預けて研いで貰う為である。
その他は用事も無く、少し街をぶらつこうかと思いファーナを誘いに宿に戻った。
宿に戻って部屋に入ろうかと思ったが直前で部屋から声がすることに気づいた。
法術の練習とかで忙しそうならいいかなーと思ってちょっとだけ扉を開いて覗いてみた。
「貴方は……」
ファーナが指差す。
銀色の鈍い光を放つそれは旅のキッチン用具。
コウキさん愛用の鉄のヘラである。
「おたまっ」
こーんとわたしが衝撃をうけてドアの前でコケかける。
「キュゥー」
違うとルーちゃんが首を振る。
「ち、違いますかっ」
「クゥ」
「ええと……ぴーらー?」
「キュゥー」
「うぅ……あっわかりましたっへら、ですねっ」
「カウ! クゥ〜」
「はいっ覚えましたっ」
なんだろうこの光景は……っ。
耐え切れない。可愛い。でも邪魔できないし見ていたい。
ダメだ、わたしの三大可愛いものリストに載ってる二つが此処にあってなんだか健気にかんばってるし……。
と、廊下で悶えているとポンと肩を叩かれた。
「アキ……覗きは良くないと思うよ……?」
遠い目をしたコウキさんだった。
人のこと言えないくせにとはその時いう事は出来なかったのでとりあえず笑って誤魔化しておいた。
そこはひみつの努力ってことで内緒にしておいて部屋をノックしてファーナを呼び出した。
別段なんてことはない努力。
彼女がたくさんやってる事のひとつ。
でもそのひとつひとつ一生懸命だから。
少しだけ手を添えてあげる。
彼女は優秀だからすぐに覚えていく。
でもあの努力があるから彼女は成長してる。
わたしも彼女に影響されて多少本を読むようにしている。
ファーナが勧めてくれるものやヴァンさんに読んでおくと役に立つものとかを聞いて寝る前とかに。
……お陰でいつも良く寝れている。
本を読みながらベッドでまどろんでいるとその時も相部屋だったファーナが机に向かって本を本でた。
彼女が本を読む姿はとても絵になる。
穏かな午後の象徴で妙に平和だった。
だから珍しくそのまま1時間ぐらい寝てしまったようだ。
起きると少し状況が変わっていた。
猫が居た。
野良猫ではなくこの宿の猫なのだろう、妙に人に慣れた猫でファーナにじゃれていた。
「ニャー」
「にゃー」
猫が鳴くとファーナが答える。
……なんなんだろうこの可愛さは。
ごろごろとじゃれ付く猫も、丁寧に答えるファーナも。
「ニャッ」
「ごはん? にゃっ」
神様これは一体なんの試練でしょうか。
わたしにソレを耐え切れというのだろうか。
鼻血出そう……。
暫くソレを妙にきゅんきゅんしながら見ているとぱっと振り向いた猫とファーナに目が合った。
猫の方はそそっとファーナの方に擦り寄ってじっとこっちを見る。
「あ、っアキいつから起きてっ」
「んと、ニャーあたりからにゃー」
少し眠気が残っててわたしもへにゃへにゃと笑ってる。
「……別に声をかけてくれてもよかったのですよ……」
ぷーっと膨れて猫に視線をもどしてまた指先で相手をしている。
さっきみたいに謎の会話なんかはしてない。
きっともうしないだろうから凄くレアなものを見たんだと思う。
こんなにも素がかわいい彼女である。
コウキさんはきっとそれをあまり知らない。
わたしが相部屋しているから見えてしまっているわけで。
それは凄く残念だなぁとおもう。
コウキさんにも見せたかったなんていったら彼女は真っ赤になって否定した。
きっともうやらないんだろうなぁ……。
穏やかな日々に、彼女の魅力をひとつ。
食事を終えた私たちは各々部屋へと戻っていた。
あ、ルーちゃんを食べたんじゃないよ?
ルーちゃんにはいつも非常用の食料を持たせていたので今日はそれを食べた。
干し肉なんかでも日持ちが良いとはいえそろそろ危ないものもあったし。
実はちょっと忘れてた野菜なんかもあったし。
コウキさんがレイゾウコって言ってる氷と一緒に空間圧縮してあったお野菜。
新鮮ではなかったが確かに腐ってはいなかった。
ルーちゃんをみんなで撫で回して褒めると最初の事なんてすっかり忘れて喜んでいた。
ファーナに手伝ってもらって今日は軽く食べて。
夕食に期待しようなんて言ってたけど――。
「アキ! お城から緊急の召集です! 準備を!」
その言葉でわたし達の穏やかな午後は一変した。
――その報せは急に届いた。
日が落ちかけた赤い空。
俺はベルトを巻いてバッグを装備してルーメンをフードに突っ込むと城へと走る。
城ではざわざわと兵士達が走り回っており外の警戒態勢が強まっている。
その途中でファーナとアキと合流して軍部で使用している会議室へ到着した。
そこに居たのは王様とヴァンとロザリアさんと騎士団長。
今までに無いピリピリとした空気に俺たちは黙って部屋に入ると言葉を待った。
何があったのか、それを目で訊いたのに答えてくれたのは王様。
「シキガミとの接触があったそうだ。
アルゼマイン隊は壊滅、隊長は生死不明。
現在は軍は撤退。だがカルナディア偵察隊は前進し足止めの為交戦を行うようだ。
お前達の出番だ――頼む」
――引けって言われてたって聞いたけど……交戦って……。
それにアルゼが……?
冷や汗が背中を伝う。
もしも――あのワカメ野郎みたいな容赦の無い奴だったら。
あの村みたいに犠牲になってしまうなんて事は――。
「了解っ! ヴァン、行こうぜ!」
許せないだろ。
俺達の存在はそんな事をする為にあるんじゃないだろ……!
「ええ。ではこちらの事はお任せします国王様」
ヴァンが頷いて王様を振り返る。
「ああ。無茶はするな」
「その言葉はそっくりお返しします」
「ははは。私にはできんよ。歳だからな」
「それもそうですね」
「ははははっ」
「ははははっ」
「とっとと行け!」
「イエッサー。さぁ行きましょう皆さん」
軽口を王様と交わして俺達に行くように促すヴァン。
それに頷いて皆で会議室を出た。
中庭には兵士達が集まって、緊急態勢の激励中。
バタバタと色んな人たちが慌しく移動している。
俺達はそれに混じって走って、神殿の前へと向かった。
手っ取り早く広い場所からの出発を考えれば中庭か神殿前。
イチガミジェット態勢こと両手を横に出して立つと左右にアキとファーナが捕まって、
後ろにメインエンジンのヴァンがつく。
あとは本日も安全な運行を祈るのみである。
「アルゼマインは無事でしょうか……それにカルナディアまで……」
ファーナがギュッと手を強く握ってきた。
「……わかんないけど……俺達が行かなきゃ」
俺達しか対等じゃないって言われてるんだ。
「そうですね……」
「では――コウキ。目的地はカルナディア・テンペストです」
ぽん、と両肩に手を置いてヴァンが言う。
「……え、もしかしてまた言わなきゃいけないの?」
「ええ」
「それマジなの?」
「マジです」
「コウキ早くっ」
「コウキさんっもたもたしてると手遅れになるかもしれませんよっ!」
ちなみにグラネダに帰ってくるときもやった。
でもいらない気がしてならない。
「よし!! いくぞっカルナディア・テンペスとぁああああああああああああああ!?」
俺が言い切る寸前で青い術陣が大きく広がって、白くなって俺達を押し上げた。
「今言い切ってなかったよ!?
ルー! 風除けぇぇ!!」
自らの生命の危機。それを常に感じる。
恐怖が感覚を鈍らせる。焦りで正しい判断が出来なくなりそうだ。
ただただ自らの正気を保つため、今にも切れそうな緊張の糸を保ち続ける。
シキガミとの交戦は思ったよりもずっと容易ではなかった。
自分が基準としてきたのはコウキというシキガミ。
しかし今思い知る。
彼の傍には神子が居なかった。
シキガミとは独りの戦力の話ではなかったのだ。
神子と併せてその能力を何倍にも発揮できる。
もしイチガミコウキとの練習試合に神子がついていたなら彼はきっともっと楽にロザリアに勝てていたハズだ。
個のポテンシャルとしては自分達と同じ。
彼が強いのは彼個人としての能力。
そこにシキガミとしての能力の付加が来るのだ。
そんなもの――到底ワタシが敵うわけもなかった。
二撃。ワタシが受けたのはそれだけ。
奇跡的にも、ほぼ無傷。だが――持っていたハルバートが見事に粉々にされた。
一振りで十人を殺すという話は本当であった。
ワタシは武器だけで済んだが騎士達は鎧ごと切り捨てられたのである。
奇跡的なアルマであれば確かに鉄をも切り裂くだろうが――たった一撃とは。
現在、生きているのは奇跡である。
ワタシが使える数少ない法術で事無きを得ている。それだけの状態だ。
状態は最悪。
今葉の音でも立てようものならその刃に貫かれる。
法術の効果が切れれば――自分は死ぬだろう。
笑いたくなるほど滑稽な状態。潔く散ったほうが綺麗であるといえる。
あたりを一面真っ白な霧が覆っていた。
一歩進むと味方も見えないだろう。
ワタシが助かっているのはそういうわけだ。
音で位置を特定されない限り見つけられない。
音さえ立てなければワタシは動いても大丈夫なはずだ。
この雑木林では無茶な話ではあるが。
「ふふ、なんとなくこっちのような気がします」
「そうか」
気配だけでわかる。大きな鎌を振りかぶった。
そして重々しく風を切る音と共に一気に固い木を両断する甲高い音と木々が倒れる轟音が響いた。
焔のシキガミの裂空虎砲にも似たものだが鎌一振りによるただの斬撃である。
後からワタシについてきた偵察隊の精鋭達がたった一振りで甲冑ごと切り裂かれたのである。
身の毛がよだつ程冷酷な一振り。
アレと対峙してしまうと、ワタシは一つも約束を守る事が出来ない。
だから見苦しかろうが何だろうが、その場から逃げた。
しかしそれも時間の問題だ。
虱潰しに周りを斬り、こちらへと迫ってきている。
それが意図的なのかどうかは分からないが、間逆側から徐々にである。
酷く消耗する。
あの黒いフードの女性にはワタシの位置が分かっているのだろうか。
何故殺さない。
それとも本当にばれていないのか。
ならばワタシは移動するべきだ。
また木が倒れ、大きな音が立つ。
出鱈目な威力の武器だ。術式の兵器の類に違いない。
今しかない――その音に紛れて逃げる。
木二つ分を移動して、またピタリと静止する。
「……あら、あら。またハズレのようですね」
「当たらんな。面倒臭ェ……森ごと斬るかの」
はは、怖い事を言う。
だがあのシキガミならやってしまいそうだ。
背筋に冷や汗が流れる。
「嫌ですわ魔王様。それでは道が分からなくなってしまいます」
「オマエ……空から見えるじゃろォが……」
「それはそうですが、あと1日ほど待っていただくことになりますよ?」
「そりゃぁ……面倒臭ェ……」
霧の向こうでまた木をなぎ倒す轟音が響く。
再びその音に紛れて逃げる。
これを繰り返してあとどれぐらい持つだろう。
法術の効果範囲はせいぜい五十歩程度の半径だ。
その距離を最大限にワタシが離れたとしても、あの斬撃から逃れられる術はない。
次は道を横切らなくては成らない。
せめて武器があれば――。
再び鳴り始める轟音。
一気に道を横切る為に全力で地を蹴る。
――なんと無様。
走り終わって、また木の陰。
嫌悪で頭が痛い。
息切れするが極力静かに。
「あら、そちらにいらっしゃいましたか」
背筋が凍った。
同時に反射で姿勢を低くする。
鋭い風の音と同時に頭上を物体ではない衝撃が動いた。
木がワタシに向かって勢い良く倒れてくる――。
バギバギと枝が音を立てて折れ、大人二人でようやく囲めそうな幹がいとも容易く折れた。
「――霧が晴れてきました。やってしまったのでしょうか?」
集中力が切れた。
法術で固めていた霧が霧散して辺りの森が見えてきた。
無残にもなぎ倒されている多くの木。
此処だけ大規模な伐採にあったような酷い有様だ。
「――……いや」
モヤの向こうに見える影。
十騎程の兵が馬から下りてただ様子を伺っている。
その中心で鎌を肩にする黒騎士のシキガミ。
ローブを着てクスクスと笑う神子。
神子がこちらをみてまた面白そうにクスクスと笑う。
「あら、あら。生きています。貴女はとても運がいいですね」
「……生憎賭け事はしないからよくわからない」
「そう、そうね。騎士様ですもの。貴女もグラネダの騎士ですね?」
動こうにも足が木の間に挟まって動かない。
詰んだ。絶望感から諦めの境地に至る。
思考が穏やかだ。出来る全てを考えた。
石でも投げてやろうか。はは、無駄な――。
「ふふ、絶望しますか? していますか?
あは、悔しいでしょう? 悲しいでしょう?
でもどちらでもないでしょう?」
手を口元にやってしずしずとこちらへ近づいてくる。
シキガミではなく、一人の黒ずくめの騎士が後に続いた。
手元にあった手ごろな石を投げつける。
本気で投げたので当たれば致命的な傷となっただろうが――騎士の剣に阻まれる。
「――近寄るな」
「まぁ、恐い。恐いです騎士様。
そう邪険にしないで。ふふ」
「ウチの神子様とは偉い違いだ。まったく化け物だな」
「……ええ、お姫様とは違います。
私は魔女。化け物ですから」
聞く耳を持たず。魔女はワタシとの距離を詰める。
共に寄ってきた騎士が剣を振りかぶる。
終った――。
戦場で終る事は覚悟していた。
任務の中であればそれは割り切れる。
だが任務も成せず何一つ役に立てず無駄死にとなってしまう。
それが一番悔しい。
剣が振り下ろされた。
幾多の日々が巡る。
騎士隊の日々も旅の日々も修行の日々も全部見た。
「――っ!」
だから、悔しくて――歯を食いしばって。
その見覚えのある銀色の剣だけを見ていた。
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