第137話『侵食』
「待ってください」
魔女の声にピタリと剣が目の前で止まった。
手入れのされた剣で軽く触れた前髪が落ちる。
ドッと背中に冷や汗が流れる。
黒い鎧の騎士は剣を引いて魔女の後ろへと下がる。
ただあの剣は届く距離。
そこでやっと護身用の剣を抜き、構える。
しかし騎士の持つ剣の半分に及ばないこの剣は抜いた所であまり役にはたたないのは分かりきっている。
悪あがきに過ぎないソレを承知で呼吸を整える。
問題はそっちじゃない。
命拾いしたからこそその疑問を聞いておく必要がある。
「は……なんで……そこに、お前が……」
今問題は安堵でもなく、魔女でもなく――あの剣。
短剣でその剣を指す。
光るのは金を基調とした大盾に竜の描かれたグラネダ騎士団紋章。
国王より賜った騎士称号の証拠でもある特殊剣。
そして色が変わって気づけなかったがその鎧は――。
「――アルゼ……!」
アルゼマインの持つ剣は特殊な蛇腹剣という剣の刃が幾つもの関節を持つ剣だ。
扱いは酷く難しく、ただ同じ形の剣を作っても全く斬れない。
アルマである事、また彼が優れた鞭の使い手であり有能な剣士あることによって初めてそれが武器になった。
彼は的から十歩ほど離れた位置から見事に一振りで斬って見せたが、
騎士の他誰一人それを真似る事は出来なかった。
その剣の特殊さはそれだけで分かってもらえるハズである。
恐らくそんなモノを持っているのはこの世に彼一人であろう。
ソレが今、目の前にあるという事は――。
騎士アルゼマインの証明でしか無かった。
「何故……!? 何でそこに居るんだアルゼ!!」
おかしい。
アルゼとヴァースは元々ノアン方の大国の騎士生まれと聞いた。
理由があって国を追われ、捨てた二人だがその国の行方は今も安否している。
仕える国を決めただひたすらにその愛国心で行動をする二人だった。
騎士として生まれたが故に騎士として生き騎士として死ぬとそれに恥じない生き方をしていたが――。
「アルゼマイン!!」
剣先は揺れず、また答えも無い。
ただ静かに其処に立っているのみである。
騎士を睨んで歯を鳴らす。
「あら、やはりヘビさんのお友達でしたか?
残念ですが、貴女のお友達はもう居ませんよ」
「は……?」
「もう居ませんよ」
彼女は変わらないテンポで同じ言葉を繰り返す。
「何馬鹿な事を……其処に居るじゃないか」
中は別人だとでも言うのだろうか。
ただその長身な身の丈も、剣の持ち方も彼と変わらないように見える。
「ヘビさんですよ?」
「ふざけるな!」
やり取りに意味が無いと感じた。
かの友人の騎士を見間違えるほど自分は錯乱していない。
「ふざけてなどいませんが……」
困った風な言い方をして少し考えるようなポーズをとる。
「では一体誰だ!?」
「ヘビさんです」
それは彼女がつけているあだ名に過ぎない。
酷くイライラする。
「ワタシを馬鹿にしているのか……?
違うというのならばその兜を取って見せろ!」
彼である事はほぼ明白。
顔を見ればそれが答えになる。それだけだ。
「まぁ。ヘビさんは結婚してくれる方にしか顔は見せませんわ。ふふふっ」
冗談なのか本気なのか。
答えを晒すのは彼女。
「アルゼ……お前がどういうつもりなのかは知らないが……
一つだけ答えてくれ……。
お前は国を裏切るのか……?」
たった一つ。彼の言葉として確認しておきたい。
彼の意思であるのならば、ワタシ達は彼の敵となる。
言葉は――ソレを明確にする。
たった一言で済むはずのその回答はまだ返らない。
返らないのなら、彼は何らかの強制を受けているのだという判断も出来る。
答えは――ない。
だから自分の都合のいいように解釈をすることにした。
「――アルゼに何をした」
「……ふふ、私は魔女ですから。呪いをかけさせていただきました」
「呪い?」
「ええ。私を裏切らない呪いです」
――……少し安心した。
彼の意思でないのなら、まだ救われる道が有るかもしれない。
その呪いというのが何なのかは分からないがソレが解ければ……。
クスクスと薄く笑って、言葉を続ける。
この女……アルゼに何かしたのか?
確かに女には弱い奴だった。
そんなものが有るのかは知らないが薬でも盛れば楽に操れるかもしれない。
ワタシが知る魔女の知識は、法術に強い一族であること。
そしてその眼が魔眼であること。
その程度の御伽噺上のものだ。実際に会った事は無い。
御伽噺上ではこうだ。
銀色の髪をした魔女が国の女王を殺し、王様を魅了し結婚して女王になる。
魔女の酷い政治のせいでその国は酷く荒廃し、民が重税に苦しむ。
そして立ち上がったのが王国騎士団の騎士が魔女を殺し国を救う――。
簡単に言えばそういう話だ。
魔女だという彼女ならば魅了なんかもお手の物か――ならば道理は通る。
「ですが、貴女も――」
その言葉を聞いて彼女を睨んだ。
続く言葉は喋る前に分かった。
貴女もそうなると言う。
「ワタシはたとえ今死んでも裏切らない!」
アルゼに何があったのかは分からない。
が、正気ではない。ソレは確か。
「心意気は評価します――が」
殺すのならば早く殺せばいい。
無駄口をしている時間はワタシに生還の余地を与えているに過ぎない。
後ろ手で一つだけ最後の悪あがきを準備する。
彼女は言葉を区切ってフードを外すとワタシを見た。
銀色の髪が揺れ、鮮血のような鮮烈な色をした瞳と視線を交わした。
赤い瞳を見るのは初めてではない。
上質な赤ワインのような真紅を帯びたリージェ様にその暖かな性格そのままの緋色をするアイリス様。
鮮血を見るような恐れを抱かすその色――。
その眼を見た瞬間に、ズキリと痛みが走った。
剣のそれとは違った痛みだ。
痛みの場所は頭の奥――なんだ、これは――。
眼を逸らそうとしたがすでに頭が動かない。
魅入られるようにその瞳を見続ける。
視覚が自分のものであるようなそうでないような感覚。
内側から気持ちの悪い何かがずるずると広がっていく。
「……っあ……なに、を……!?」
危険を感じた。
だから、そこで最後の悪あがきのルーン術を使う為に身体を動かそうとした。
無 駄 で す よ。
魔女の声がしてグワンと身体が揺れた。
でも、目の前の彼女は喋っては居ないし声が聞こえたわけではない。
ぞっとして鳥肌が全身を駆け巡る。
身体の中から直接脳に話しかけられた――!?
クスクスと魔女が妖しく笑う。
蝕まれているそれに気づいたときにはもう遅かった。
だんだんと視覚が身体の奥へとずれていく。
すりかえられる――きっと、ワタシもアルゼのように……!
声も出ず。
ただ力の前に屈してしまう悔しさがあって――涙が頬を伝う感触だけ感じて。
ワタシは誰かに捕まって、ズルズルとその意識の奥へと落ちて行った――。
鼓膜に響く高音は聞きなれた剣閃。
「――っはぁ!!」
鎖が擦れ合う音が響き直後に地面が大きく爆ぜた。
その一撃の威力は竜の爪のように鋭く重い。
竜人アキが戦うのはハルバートを持った黒い騎士――。
更に細かい鉄をすり合わせるような音を立てて武器が凍り蛇腹の剣が動かなくなる。
ヴァンツェが無詠唱でその武器を無効化し、自らも棍を取る。
霧の深い森の中へと到着したわたくし達を迎えたのは黒い一団だった。
誰なのかが判らない。だが神子でもシキガミだけはわかった。
存在感がその霧を超える。
覇道の神子とシキガミ、そして二人の騎士がその場に残りその他は馬で走り去った。
二人の騎士はアキとヴァンツェが対応してくれている。
「ふふ、やっぱり……またお会いできて嬉しいです。
リージェ様にワンコ君、お元気そうで何よりです」
「ご丁寧にどうも……。
そちらの方は初めまして。
わたくしは焔が神子、ファーネリア・R・マグナスと申します。
こちらはわたくしのシキガミ、コウキです」
「まぁ、嫌ですわ私ったら。
申し後れました、改めまして私は覇道が神子、オリバーシル・アケネリー。
こちらは私のシキガミ様であります――
六天魔王様です」
ザクザクと雑草を踏んで歩み寄ってくる六天魔王。
剣を向けたコウキに対して余りにも無防備に見えた。
それは彼の器量かどうかはわからない。
だが――言い知れない圧力をコウキと二人で感じていた。
「――犬コロにしちゃァ、いい眼するじゃねェか」
「つぶらだろ!」
ビッと親指を立ててルーメンを指すコウキ。
「カゥ!」
確かにフードに入っていたルーメンが肩口から覗いていたが……。
「そっちじゃないですよ……」
「そいつじゃねぇよ……」
まさか敵と同時に溜息を吐く事になるとは。
「だって丁度いい所でモサモサしてるからさ〜」
残念そうに耳を垂らすルーメンをコウキがフードから出して地面へと立たせた。
「あと、犬コロ言うな! ちょっと可愛い感じなのがダメだ!」
子犬がコロコロ転がるように親犬についていく様が思い浮かぶ。
……確かにそれっぽいというか。
「あ、今ファーナそれっぽいって思ったろ!」
「はいっ」
「すっごい嬉しそうに笑うなよぅ!」
こんな時だけど、繋がっている。
ちょっとした感覚に嬉しさを感じる。
「ガキだねェ……戦場だって忘れちまわァ」
腰に手を当てて得物を地面につける。
コウキが戦いにやる気が無いように見えるのはいつも通りだ。
彼は一度剣を交えてからスイッチが入る。
最もその一度で腕を切られた過去がある。
そのせいかのかは知らないが武器を持っている相手に対しては気を張る事を忘れていない。
全身黒一色。薄く掛かった霧の中で絶えず影のように映りこむ存在感。
鎧は金色で紋様が描かれ、英雄騎士のようにも見える。
長い髪が流れ、それを面倒くさそうにかきあげた。
顔に立派に整えられたひげが見える。
熟練の騎士だろうか、出で立ちもスマートだ。
自分の父よりは若いか。しかし自分の倍ほどは歳がありそうに見えた。
「失敬。顔を見せてなかったなァ姫殿。
六天魔王――ノブナガだァ」
ぴりっと空気が揺らいだ気がした――。
コウキが驚いているのはわかったが彼はそれを表に出さなかった。
だから黙って自分は相手を観察する。
高圧的な態度、物言い。
恐らく何処かの将か王であったのだろう。全く物怖じがない。
魔王と豪語するぐらいだ。そのぐらいの肝があって当然なのかもしれないが。
「――赤いの。貴様は」
「イチガミコウキだ!」
「そォか。覚えておくぞ。
聞くところにゃァお前さん、どっかで三枝のにいっぱい食わせたんだってなァ?」
「三枝の……?」
きゅっと首を傾げるコウキ。
本当に覚えてないらしい。
嫌いな奴は覚えないと言っていた気がするが本当のようだ。
「ワカメ頭の事だ」
「あ! ワカメ野郎かっもしかして友達!?」
「はっ……莫迦を言うなァ。ありゃ仇だ。
まぁんなもんはどうでもいい。
剣二つなんざ二天の話しかしらねェしなァ。
ちと興味があるぞ若造――!」
風を重々しく切る音がしたと同時にコウキが真上に跳躍した。
反射の速度はどのシキガミを見ても彼ほど速い人間は居ない。
別にコウキを特別扱いする気はないが彼は異常だ。
自分も最大の速度で一度後ろに跳んで相手から距離をとった。
ソレと同時ぐらいに頭上にふわっと風を感じた。
ナナメに描かれた軌道は丁度自分の頭の上だったか――そんなにも強い威力が有るのだろうか。
そう思いながら法術の準備の為に手を翳す。
パサ……っと、耳に落ちてきたものを感じてバッと手をやる。
葉っぱか何かとも思ったがそれにしては軽い感じだった。
それを掴んで視界に入れると――見覚えのある白い羽飾りの一部だった。
「――あ……!」
自分が身に着けている髪飾りはお母様から頂いた大切なものだった。
唯一――自分が母と繋がっている証だった。
あの、斬撃――飛んでいる……?
これが自分の首だったら、と考えて少しぞっとした。
さっきの場所にたっ居たら間違いなく――こうなっていたのは自分だった。
「あらあら、よく避けれましたね」
そんな自分を嘲笑って魔女が頭上高くから話かけてきた。
「コウキ! その鎌の斬線に気をつけてください!!」
「――わかっ……たっ!」
ガギィ!
剣で鎌を振られる前に止めに行く。
コウキも気づいてはいたんだろう。
ただ何度もその手は出来ないだろうし、結局はわたくしたちの方でも感知して避けなくてはいけない。
下手をするとアキやヴァンツェにも被害が行く。
なんて迷惑なアルマなんでしょう……。
仲間すら切り捨てかねない。
私は覚悟を決めて、術の準備を始めた。
双剣は長物に対しての対処法が多い。
片手で相手の武器を捕らえた時にもう片方が攻撃に使える。
ただ、鎌という武器がかなり特殊な為今回は凄く不安だった。
相手の武器をかいくぐって懐に入ったかと思うと、急に後ろから刃が迫ってくる。
いつもとは逆だ。
懐に入るとこちらの独壇場になりがちだった長物との勝負がいっきに良くわからなくなった。
「うおっ! この……!」
思いっきり前のめりにしゃがんで右足でその鎌を蹴り上げる。
そのチャンスに横へと大きく転がって再び剣を構える。
今までの敵の中で一番戦いにくい――。
離れてもファーナを斬れるぐらいの斬撃が飛ぶ。
近づいても刈り取られる。
あれはズルいの類の武器じゃないだろうか。
武器的には特殊すぎて使いこなすにも多分時間が掛かっているんだろうが――。
ふと見ればあちらの神子は空高くに退避している。
まぁ斬撃はかなり見極めなくてはいけないだろうからあれが最善では有るのだろうケド。
ヒラヒラと俺に向かって余裕で手を振る魔女神子。
まだ俺はおちょくられているようだ。
俺は再び大きく振りかぶられた鎌を上に向かって大きく弾き上げた。
ガンっ! と空いた胸を一蹴して蹴り飛ばす。
やっぱり鎧は固い。相手を少しふらつかせただけに終り俺は再び剣を構える。
「ところでっ!」
びしっと剣先をシキガミに向ける。
「なんだァ?」
「カルナさんはどこだ!」
さっきから何か余裕というか、俺で遊んでるようにしか見えないそいつに聞いておく。
「カルナァ? 誰だそりゃ」
目の前の黒騎士は興味なさげ首を鳴らす。
何となくこいつは知らないんだろうな、と思って空を見上げた。
「なぁ姉ちゃん! 姉ちゃんならわかるだろ!」
割と反射的にそう呼んでしまった。
「姉ちゃんではありません。オリバーシルです」
「あとパンツ見えてる!」
ゴンッ!
後ろに歩み寄ってきていたファーナに殴られた。
「あ、まぁ。ワンコ君のエッチ」
「コウキのエッチ」
「ち、違う! 注意しただけだよぅ! いたたたっ」
スカートを押さえながら頬に手を当てるオリバーさん。
ファーナが無表情で俺の背中を抓る。
「コウキさんのエッチ!」
「コウキ……それは仕方ない事です」
「意外と余裕なのな二人とも!?」
アキとヴァンも余念無く参加してくる辺りウチのパーティーの底力を感じる。
俺をからかう時は全力過ぎる。泣けてくるぞ。
「違うよ! みんな落ち着け!」
「男なら当たり前だ若造!」
ドォンと構える黒シキガミ。
男らしいオッサン理論が降ってきた。
「アンタが煽るなよ!! 『コレだから男は……』見たいな顔されちゃってるだろ!?」
その評価が全て俺に来るという悲惨な事態。
激しくよくない事態だ。
俺たちの様子をみてクスクスと笑う覇道の神子とシキガミ。
あちらもかなり余裕がある。
「カルナディアさんでしたら先程からそこにいらっしゃいますよ」
その指先をちらっと追いかけると、其処には大きくハルバートを振るう黒い騎士。
――確かにカルナさんもあの武器を使う人ではあった。
ただ――白黒の騎士と初めから重なっていた。
嫌な予感がしてたんだ。
「本当!?」
「私は嘘を吐きません」
「ダウト!」
「本当です」
ムッとした顔で俺に指を指して抗議するオリバーさん。
つまり本気らしい、と判断した。
「アキ!! その人カルナさんだ! 手加減して!」
「む、無茶ですよ! しかも急に言わないで……!
カルナディア様は強いんですからー!」
彼女の一言一言と同時に重い剣が重なる音が響く。
確かにいっぱいいっぱいでは有るようだ。
「コウキ! こちらはアルゼマインです!」
ヴァンが棍で打ち合いながら叫んだ。
あれは腰につけていた魔法のステッキだと思っていたんだがそうじゃなかったらしい。
確かに近づかれて戦う手段が無いのは困る。
良く見ると二人の鎧は見た事の有るものだ。
白かった場所が黒くなっている以外は。
「ホント!? てか――じゃぁ、また呪いか――」
「はい。また呪いです」
ただただ嬉しそうにクスクスと笑う魔女。
此処に居る全員を考えて俺は剣を振らないといけない。
それはかなり苦だ。
だからせめて此処から離れないと……。
その旨をファーナとアイコンタクトする。
ファーナにも離れてもらわなきゃ到底戦えない。
俺たちは一旦分離して戦う作戦へと移っていった。
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