第144話『ピンチ』


 言ってしまった後に凄くアレなことに気づいた。
 コウキさんは派手に紅茶を器官へと入れ込ませて咽ている。
「ち、違うんですっあの、わたし、ああっごめんなさいっ」
「えほ! ごほっ! いやっごほっ! みゅん!」
「最後変でしたよ!? 大丈夫ですかコウキさんっ」
「こっ……! えふっ!
 紅茶おいしーーーい!」
「その主張になんの意味が!?」
「全っ器官がっ! そう訴えてるよ! ごほっ!」
「よかったです! 体張りすぎですコウキさん!」


 しばらくゴホゴホと咳きついていたコウキさんはお風呂に入るといって食器を持って部屋を出て行った。
 急に静かになって、ちょっとわたしも変だったと熱を冷ます。
 ただ、ほら。
 少し人恋しくなっただけと言うか、一人では寝れないような焦燥を感じるから誰かと一緒ならと思っただけ。
 でも、此処にいかに彼しか居なかったとは言え――。


 と ん で も な い こ と い っ て し ま っ た。


 わあああっと叫びたくなるほどの熱が顔に戻ってくる。
 違うんです!
 違うんです!
 違うんです!
 わたしは別にやましい意味でその言葉を使ったわけじゃなくて
 ただ単にほら、お父さんと一緒に寝てみようかな的な甘えた部
 分が残っててそれが戦争を前にして初めて恐怖だって思い知ら
 されて情けないやら何やらで酷い状態ででもコウキさんは全然
 いつも通り余裕な顔しててお茶して笑って安心させてもらって
 わたしなんか全然なさけないままこんな馬鹿なこと言い出すし
 全然そんなごにょごにょ……!


 ベッド狭くない!?


 途端にばんっと跳ね起きてベッドの広さを見るとどうしても二人寝るには密着しなくてはいけない。
 腕枕に寄り添う自分の姿なんかを想像してまた声なき声で叫んだ。
 わたしはどうしたら!?
 落ち着いて、どうもしなくていいはずだから!
 ちゃんと自分の言ったことを謝って、ちゃんと一人で寝ればいいはずだから!
 ベッドが狭いとかはどうでもいいの!

 ベッドに座ってコウキさんが戻ってくるのを待つ。
 なんていうべきなのかを脳ミソがフル回転で考えているが、またピタリと思考が止まる。
 此処に座って待ってるってどうなんだろう……?
 布団綺麗に敷きなおしてるし……明らかに準備万端というかなんというか……!

 ダダっとベッドのクッション能力を利用して起き上がってその勢いのまま簡易な机の椅子に飛びつくように座った。
 ただちょっと勢いがつきすぎて壁で頭を打ち付ける事になったが。
 もう全力の踏んだり蹴ったりである。
 机に突っ伏してしばらく悶えて、落ち着くと、溜息を吐いて力を抜いた。
 机はコウキさんが去り際に持ってきていた布巾でさっと拭いていったので綺麗だ。
 長い事やっている事はその動作が洗練されて美しく見える事が有る。
 コウキさんのその動作はまさにソレで、ただ机を拭いているだけなのに目を引く。
 椅子まで拭こうとしてたのには少し笑えた。
 そんな癖を含めて、あのコウキさんの行動は見ていて楽しい。
 見ていると安心すると言うか。彼らしい事の一つである。

 小さな魅力。それが沢山集まっていて彼はとても魅力有る人に見える。
 真剣な顔で泣き止むまで頭を撫でるような不器用な所も有るけど――それは欠点じゃなくて。
 弱虫なわたしにも優しい、あの人の心遣い。
 訳も分からず泣いている時に、父親に撫でられているような安心。
 だからわたしは泣き止んで笑い出す。

 ――そんな暖かな日々を振り返ること。
 心を休める為に。わたしが今できる事と言えばそんなことぐらい。
 コウキさんとの出会いも、ファーナとの出会いも――すべて今は心温まる記憶。
 あの家から出て一歩目から、驚かされてばかり。
 わたしと同じで世界を知らなかったコウキさんやファーナと世界を歩くのは楽しかった。
 いつもヴァンさんから教えてもらって、お父さんから教えてもらった知識を褒められて。
 焚き火での調理や、コウキさんと取り合ったフライパンや、ファーナと一緒のお風呂。
 何時も努力を惜しまない二人の姿を見て私も頑張ろうと言う気になって。
 みんなで――全部皆で積み上げてきた日々。

 優しい気分に慣れた。
 もっと頑張ろうって思える、そんな思い出。

 心が落ち着いた。
 ばかだなぁ、と笑える。
 何をあんなに慌てて焦っていたのか。
 わたしたちはただの――

 コンコン


 だっ、ど、ええっ!?

 聞こえたノックに全ての思考が持っていかれた。
 バクンッと心臓がなって、その音に振り返る。

 キィっと静かな軋みのような金具の擦れる音。
 そして、入ってきたコウキさんは――少し髪が濡れて、沈んだ瞳をしていた。
「……アキ……」
「……は、い……?」
 妙に掠れた声でわたしの名前を呼んでその瞳をわたしに向けた。

 真剣な顔が似合わないって言うのは、変な顔に見えるからじゃない。
 いつもお気楽に笑った顔をしているからそれ以外に違和感を覚えるだけ。
 それは言葉通りの意味で似合わないのではなくて、彼にはあっていないという理由。

 真剣に真っ直ぐ。
 彼だって言葉をちゃんと伝えようとする時は、そうやって真剣な顔で真っ直ぐ相手を見る。
 何も考えられなくなった。ただ立ち上がって言葉を待つ。
 鼓動だけが妙に聞こえて、恐いのか冷たいのか暑いのか良くわからない。
 ただ、言葉にしようの無い熱――いや、空気がそこにあって、彼の口が動く事に期待すら感じた。

 彼が二歩、詰め寄ってきて気圧されたわたしが下がろうとして、机にあたる。
 ガチっと背中の方で音がして、わたしは強くコウキさんに抱かれた。



 背筋を駆け上がる鳥肌。声にならない声で小さく叫んだ。
 カチャリっと背中でまた音が鳴る。
 どうすればいいかも分からずただ抱かれるがまま。
 彼の熱が移ってきて、暖かい。
 離れた時隙間に入る空気を恨めしいと思った。
 彼の左手がわたしの顎を上げて真正面に向かい合う。
 顔の距離は拳一つも無かった。

 ――目を、閉じた。

 感じるのは、御互いの吐息。その距離。
  そしてもう一度背中でカチャリと音が聞こえて――。

















 森の中は暗く、静まり返っていた。
 此処は何処なのだろうか。
 ――道なりに真っ直ぐ行っていたようだが、途中で全騎が森の中へと入っていった。
 こちらからグラネダへ渡るには一つしかないグラネダ所有の橋を渡るしかない。
 軍はグラネダ城下からアラン側へ少しの山間に居るだろう。
 そこを通る以外に方法は無いはずで後は何日もかけて遠回りする程度しか思い浮かばない。
 アルクセイドで地理に関して興味を抱いてから自分で暗記して行った地図の中では
此処からはもう山だらけで何も無い場所だ。
 崖沿いに道なりに行けば、アキの育ったサイカの村やグラネダの後ろを通過することになる。
 危険なモンスターも出現する為夜の行動もやりづらい。
 どういった行動を取るのかここからだと全く想像がつかない……。

 ガサガサと馬が草を掻き分け道を進む。
 先頭に居る敵の神子――オリバーシル。
 彼女はあろうことかシキガミの背中にしがみついたまま寝こけていた。
 確かに此処数時間移動で森ばかりで景色の代わり映えは無かったとはいえ。
 さらにソレよりも危険なのがそろそろお尻が限界に近づいている……。
 乗馬というのは長時間乗る為には姿勢を変化させる必要がある。
 アルゼマインの腕内に居る為、余り動けない上に手枷も有る。
 窮屈この上ないが呪われているなりにも彼らしい配慮が一つあって、
常に一頭だけ土煙のこない場所を走ってくれていた。


 それから数十分後に全騎は一旦止まり、魔女は馬を下りて臀部を擦っていた。
 私も同じポーズをしていた為バカには出来ずなんとも言えない空気の中、二人で血液の循環を促進させていた。
 魔女とは言え馬に乗れば流石にお尻は痛めてしまうらしい……と。
 どうでもいいことを覚えてしまった事を後悔しているとその魔女がこちらへと静々歩いてきた。

「ごきげんようお姫様。ご無事ですか」
「……あまり」
「……正直、長時間の馬がこんなにも辛いなんて知りませんでした」

 微妙な間を持ってしまう。
 この魔女と一秒でもシンクロしてしまった事が少し悔しい。

「遠乗りの次の日は余り椅子に座りたくないというお父様の言い分が分かった気がします。
 ……それで此処は何処でしょう?」
「ふふ。ソレは貴女の方がお詳しいでしょう?」
「この辺りは森……そして森を抜けて待っているのは世界を分ける十字傷。
 つまり、大きな崖。とても馬と一小隊が跳んで渡る事は出来ないでしょう。
 素直に道なりに行き、橋を渡るのだと思っていましたが」
「まぁさすがグラネダの神子様。
 そう、其処は渡る事が許されない絶壁の崖。
 ノアンとアランの壁。唯一の正式経路はグラネダの架けた橋それだけです」
「正式経路でない道が有ると?」
「いいえ」
「では何処を通るつもりなのですか」
「そうですね、押し通るのもいいでしょう。
 でも魔王様ですから。
 もっと特別な方法で、もっとシンプルに攻めて行きます」

 彼女が言うと、嫌な予感しかしない。
 クスクスと笑いながらこっちを見て一言恐い顔をなさらないでと言って、
ふわりと黒いローブを翻してシキガミの元へと戻っていった。
 こちらを通るというのは果たしてシキガミの意向なのか彼女なのか。
 このまま真っ直ぐに言ったとしても崖が続くばかり。
 グラネダ付近はさらに崖と崖の間の広い場所になっており、跳んだって届かない。
 いくら落ちても大丈夫なシキガミでも跳ぶなどという真似はしないであろうと思う。
 それに、そういったもしもの事は考えられていて、グラネダに直接跳び入る事は出来ないようになっている。
 普段は見えないが人を妨げる効果のある法術を組み上げ、城全体を覆っている。
 例外を作れるのはその壁術式を作った本人――ヴァンツェ・クライオンのみ。
 もしそんな馬鹿げた事を考えているのならば。私にはチャンスとなる。
 でも油断も出来ない。
 この二人は――明らかに、異質。


 そのまましばらく休憩するようで座っていたり、軽く動いていたりと思ったより皆思い思いに動いている。
 呪われているといっても、染み付いた行動は出てしまうようだ。
 カルナディアは木に寄りかかって腕を組んでいた。
 アルゼマインは私付きであることである為か、シンとして傍に立っている。
 私もあまり座りたい気分ではなかったので木に寄りかかってふぅっと溜息をついた。
 空を見上げると、余り見通しの良い場所ではなく、天気も余り良いとは言えない。
 灰色の空にはずるずると重い雲がうごめいていた。
 雨には降られないことを祈ろう。


 バサバサと鳥が羽ばたく音が聞こえた。
 葉と葉が擦れ、枝が軋み、木々は手を振るようにその風に揺れた。
 そして、その大きな音が近づいて、頭上から何か塊が振り落ちてきて思わず顔を覆った。
 ――突然の事で何かは分からなかった。
 アルゼマインが私の前に立ってその存在に剣を抜いた。
 他の騎士たちも同じで、さすがと言える素早さでその塊を囲んで武器を取った。
 それが人であったのはすぐ。
 そしてそこには私の見覚えのある人物が其処に居た。

 しゃがんだ姿勢から立ち上がって長めの髪を撫でた。
 茶味掛かった黒髪と黒いアンダーフレームの眼鏡。
 コレだけの軍勢に囲まれて武器を向けられているのに眉一つ動かさない。
 そして、一枚の金色の羽がヒラヒラと落ちて――そこにスカイブルーの髪の少女が居た。

 黄金の二人――。
 なぜ、此処に……。


「……六天魔王は居るか」

 その声も間違いなく彼のもの。
 そして低くそれを言って見回すと騎士たちが一歩引いた。
 奥の方からガサガサと足音を立てて黒い騎士が現れ騎士達が道を開いていく。

「此処だ。退けお前らそいつァ敵じゃねェ。
 遅かったじゃねぇか黄金の」

 ――敵だ。
 視界が揺れた。

 しかも、最悪な事にこの二人がだなんて。
 対面した神子とシキガミの中でこの二人だけには黒星をつけている。
 そう、私が最も今心配すべきは自分の身でも、シキガミを取り戻せるかでもなく。

 グラネダが滅びの危機に晒されている事。

 何故彼が魔王と名乗るシキガミに加担しているのか――。
 理由はいかにせよ、これはグラネダにとって最悪としか言いようが無い。

「持ってきたぞ。ダルカネルの鏡の破片だ」
「あら。お早いのですね。受け取りのサインは必要かしら」
「いらない。それよりも――」
「ええ。分かっていますわ」

 妖艶にクスクスと笑って魔女は投げられた袋を開いた。
 其処には土にまみれたキラキラと光る――
 ――ダルカネルの鏡……!?
 アレは確か粉々になったはず……。
 それに、なんでそんな鏡の存在を知っているのだろうか。
 アレは私達が見つけて私達が壊したはずなのに。

「貴方達が、何故それを……!」

 少し声を荒げて一歩前に出た。
 アルゼマインに肩を押さえられ、ザリッと地面をならす。
 その声に振り向いた黄金の二人は、驚きに目を丸くした。
 私がこんな姿でここに居よう等とは思わなかったのだろう。
「ファーナ……? どうして……」
 私に近づこうとした彼女をシキガミが制す。
 ソレで正しい。
 対峙すると、二人は少しやつれたような――疲れたような雰囲気があった。


「あら、少し黙っていてくださいますか?」

 ふっと、何気なく指先を向けられた。
 次の瞬間に、ドンッ! と空気が爆ぜて黒い塊が目にも留まらない速さで私に襲い掛かる。

 眼を閉じて、衝撃と痛みを覚悟したが、キィンという甲高い音がしただけで自分の身体には何の衝撃も無かった。
 恐る恐る目を開けるといつの間にか私の前に居たのは黄金の薙刀を持ったキツキだった。
 振り返ることも無く歩き出してまたティアの元へ戻る。

「あら。庇うのですか。お優しい」
「勘違いするな。今死なれると困る。
 ……黙らせるぐらい穏やかに出来ないのか」
「さぁ。わたくしわかりませんわ。魔女ですから」
「そうかよ。じゃ、ファーナが気をつけるんだな」
「……肝に銘じておきます。有り難う御座いますキツキ」
「いや――……ああ。どうせコレっきりだよ。気にしなくていい」

 ――彼は、エングロイアを飲んだのに――。
 どうしてこうも平常に振舞えるのか。
 それとも――本当に、あの王の呪い<エングロイア>を、彼が飲みきったのか。
 だとしたらとんでもない器の大きさだ。
 蓄積された憎しみの感情を飲み込むなど人間の業ではない。

「ティア、行くぞ」
「う、うん……ファーナ……」
「お気になさらず」

 おずおずと私と彼の間で視線をゆきかわして、落ち込んだように顔を下げた後大きく翼を広げた。
 金色の四枚翼は今も変わらず、その輝きは夕日のソレに似ていた。
 あっという間に空へと舞い上がって雲の上へと消えた。
 あの二人がどういった関係で此処に着たのかは良くわからなかったが……。
 大変な事になっている。
 関わっているシキガミが多い。

 もしこのまま数を増やしてシキガミにシキガミを当てて行く様にしていけば、
 それは――世界を壊す事になる。

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