第146話『温度』

*ファーネリア


 騎乗にて森を走るのは十と幾つを数える騎馬隊だった。グラネダの国の国境線は世界を分ける線を取っていて台地の上側を走る私たちはまだ国の外であると言える。
 グラネダ側の崖沿いには見張り塔が立っていて崖側を移動するとたちまちグラネダは警戒態勢に入る。だが一歩森に入ってその森を突き進めば崖下のグラネダからは見える事はない。その代わりグラネダ城に近づくに連れて高くなっていく崖はその崖方面からの侵入を不可能にしている。
 通常の人間ならばそれは尚更のことで、その高低さと距離はとても跳んで渡ったりといったことは出来ない。自分が知っている例外は名持ちの人間とシキガミだけだ。
 森を走る事は通常容易い事ではない。こちら側は崩れるという話もあって、誰も住まず通らずの本当に只の森である。不思議な事にその森を道なりに走っていたときと同じ速度で走り抜けていた。それは馬が木々を避けて進むと言うよりは、木々がこちらの部隊を避けているような奇妙な光景だった。

 キツキの持ってきた鏡はその場では何もせず、またその用途を聞いても教えてはくれなかった。こちらがであった事の有るものであることを知っているかどうかは分からない。
 謎を残したままであるが、その用途に関してはすぐにわかると不敵に笑っていた為やはりろくな事に使われるわけが無い。

 部隊は目の前が真っ暗で見えなくなるまで馬で走り続け、月が水面に映る時間になってようやく歩みを止めた。こうなってくると馬が可哀想とも思えてくるが、それぞれの騎士にちゃんと面倒を見られている場面をみると呪いの件を忘れそうになる。
 しかし彼らには話しかけても答えてはくれない。アルゼマインやカルナディアも行動は彼等だがやはり違う何かが住み着いているように冷たかった。


 当然だが煙が上がる事を避けている様で法術を直に使用して、魔女が料理を始めた。隠密行動だと言うのなら乾物の用意でもすればいいのに、とも思った。でも、そもそもサシャータを落としてそのまま突っ切ってきた一隊が隠密行動云々を言っても仕方のない事だろう。
 こちらの熱視線を受けて魔女が鍋を混ぜながらこちらを向くと少し考えるような素振りをしてぽんと手を打った。

「……流石に料理をしている時はイーヒッヒみたいな笑いはしませんよ?」
「大丈夫です。全く期待していませんから」
「お薬を作るときだってしません」
「ええ、でしょうね」

 話に聞く魔女の妖しい笑いなどその絵本の空気を妖しくしてくれるだけの想像物か、作者の身近によっぽとテンションの高いおばあさんがいただけの話だろう。
 そして目の前の本物の魔女は残念です、と口にしてクスクスと笑いながら料理を続けた。なんというか妙にしっくりくる光景ではあった。

「できました。はい、魔王様。具沢山のスープです。パンは幾つ必要ですか?」
「……ん」
 頷いて指を二つ立てた魔王に魔女がパンを二つ渡す。……敵だと思って居ても所詮は世界に生きる人だと言う事を感じる。あと急激にお腹が空いて来た。

「さぁ、皆さんも食べてください。自慢の魔王食ですよ」

 魔王食って何なんだろう……。なんというか空気に呑まれ始めた自分に気づいてプルプルと頭を振るう。自分の立場を忘れてはいけない。グラネダに対する捕虜で最強で有る国に傷をつけようかという有様である。隙を見て抜け出せないか、とも思ったが傍らにはずっとアルゼマインが立っていた。怪しい動きを見せようものなら容赦なく剣を抜くだろう。

「さぁ、お姫様。そうピリピリなさらず魔王食はいかがですか?」
「遠慮します」

 間髪居れずにそう返してプイっと顔を背けた。その顔にそって差し出されたスープの皿がついてくる。

「思ってるよりも美味しいですよ? 魔王食」
「名前から怪しい食事じゃないですか」
「では…………魔女特製山菜スープ『キノコもあるよ』スペシャル」
「いえ、名前の問題でもないのですけどね? 名前も問題ですが」
「味付けは濃い目です。お芋にも良く味がついてますっ」
「ですから、そのような淀み無い瞳で力説されても食べる気はありません。コウ……いえ」
「コウキじゃ有るまいし、でしょうか? ふふ、私似て居ますか? ワンコ君と」

 そう言って木製のスプーンを取り出してスープを掬うとわたくしの方へと差し出す。

「はい、あーん」
「いりません」
「無理な断食は身体に悪いですよ。成長しませんよ。主に……いえ」
「放って置いて下さい」

 余計なお世話である。こういう一言多い辺りも何となくコウキを彷彿させるがそれは黙っておく事にした。

「ご心配ならずとも、何も入ってません。はむっ」


「あひゅっ……! あちゅい……!」
「何をやっているのですか貴女は……」
「……熱いのは食べられないので、私はいつも最後に食べるようにしているのですっ。
 あ、熱いと食べられませんか?」
「わたくしは人よりは熱さには強いですから……」
「ではっ」

 嬉々とした表情で彼女はもう一度スープを掬うとこちらに向けた。

「いえ、要らないのですよ?」
「ではこのスープには巨乳効果が有ることにしますから」
「なんのオプションですか! 必要ありませんっ」
「じゃぁ本当に巨乳効果のある薬を入れますから」
「えっ」
「えっ」

 妙な間を持っていまい、いりません、と尻すぼみに言って目を逸らした。
 別に気にしては居ない。たとえ友人に負けていようとも、妹にすら、負けていようとも。……お母様、何故私は貴女に似ていないのでしょうか。
 そんな私を見てそっと顔を寄せてきた魔女が一言。

「……悩んでいるのでしたら、微力ながら私がご相談に……」
「いりませんっっ!」

 小声で少し親身な態度で言って来たので全力でお断りした。
 ちまちまと下らない小競り合いをしていると少し離れた所で魔王が手を振った。

「オリバーおかわりー」
「あ、はいっすぐに行きます魔王様」

 献身的な魔女はわたくしの手錠ごと手を持って木の器を持たせると、ぐっと手を握ってわたくしの目を真剣に見た。

「食べてください。じゃないとワンコ君に怒られますよ」


 言い返そうと思ったときにはいそいそと魔王の傍に行って器を受け取り、代わりの一杯をついだ。そしてお酒を取り出してお酌を始めた。小さな泉のほとりに平和に見える光景。一列に並んで黙々と汁をすする黒騎士の一団さえ見なければだが。
 なんだかバカらしくも思えてくる。自分はどうせ此処から動けない。死ぬか、ついていくかのたった二択。ご飯を食べて死ぬのならば、少しは幸せだろうか。そうとも思える。
 コウキならどうするだろう? と考えて同時に食べますよねと思って少し笑いそうになった。どうしてご飯一つにそんなに悩む必要が? と言う顔でスープを美味しそうに啜るのだ。きっと吐いた息が湯気をまいて、空気中に広がる。ああ、美味しいって言って笑う事が彼の至福のときだろう。それは、旅の中でずっと大切にされてきた事だから骨身に沁みていた。
 でも覚えておいて欲しい。人を信用しすぎることは良くない。疑わないで生きていると馬鹿を見ることだってある。それが食事の一回でも取り返しも付かない事だったらきっと後悔してもし足りないだろう。

 あの魔女が何を企んでいるのか良くわからなくなった。何故わたくしを殺さず生かしておくのか。殺さないで置くメリットを考えても、軍を前にしてはほぼ皆無である。
 父はちゃんと弁えた選択をするはずだ。国と私を秤にかけてこちらに針を落とす事は無い。わたくしが生きていれば奪還の為に騎士隊の士気が上がるだろう。逆効果だ。
 当然この二人がお金を要求するわけも無いだろうし、要求された所で出ないものは出ない。国も身代金を経費に出来るほど裕福ではないからだ。あの人ならやりかねないが。

 それともやはり殺せるという前提が嘘なのだろうか。神子とシキガミという存在に沿えば私たちは全員生きていなければならない。

 では、その真偽を確かめるべく逃げ出してみるという手も有る。

 もしそのタイミングを間違うと即死。

 もう、コウキにも、アキにも、ヴァンツェにも、スゥにも、アイリスにも、お父様やお母様にも――会えない。

 恥ずかしい事からは事有るごとに逃げてきた。どうしてもそういう空気には耐えられないのである。しかし今は、臆病になって逃げる事すらしない。
 周りを窺う。
 アルゼマインは騎士組みに混じってパンをかじっている。
 木を背にしている為、騎士の死角へゆっくりと移動すればあとはあの二人だけである。魔王と魔女の位置は私が背にも垂れている木から10歩以上。しかもお酒を飲んでいる。

 逃げ……れる?

 しかし、何処へ? ここは森の中だ。
 逃げたとしても、この手枷のせいで法術も使えない。
 森でモンスターに会ったら?

 焦る。

 食事を終えればアルゼマインは再び私の横に立つだろう。考えながらズルズルと少しずつ位置をずらして、騎士たちから隠れる位置へ着いた。
 後は足音を忍ばせて進むだけだ。談笑する二人はこっちには目を向けない。草の少ない道を見つけた。真っ直ぐ走り抜ければ――いける……!

 脱兎の如く、走り出した。
 その一瞬の間に、振り返って見た魔女と、魔王は月を見て――
 居なかった。


 緋色に光る目はこちらを真っ直ぐ見ていて、その存在感を知らしめるように光を帯びていた。
 談笑のままに振り返った笑顔と、私を見つけて嘲笑うその表情が混じって歪な笑みを浮かべ――こちらを指差していた。
 その指先は夜よりも黒い闇。ただ無感動に焼けるでもなく、切り裂くでもなく無機質に押し切るような痛みのあるあの術。
 ドンッ! と空気を押し出す音を聞いて、あの時と同じ痛みを覚悟した。

 急に中に放り出されたように体が舞って思いっきり地面で後頭部を打つように転んだ。ぐるんと木々が回って、物凄い振動で一瞬動く事が出来なかった。どうやら滑って転んだのだと理解するまでに少し掛かって頭を押さえながら起き上がった。
 そこに剣を向けてきたのはアルゼマインだった。斬られる事を覚悟したが、魔女の殺すなという一言で私の腕を掴むとずるずると引きずってもとの場所へと戻した。

「――……あら? お怪我はありませんの?」

 揚々と包帯を持って近づいてきた彼女は私をみてそう声を上げた。
 幸運な事に、怪我は無かった。急に足元が滑ったのは水辺だったからぬかるんだ所が会ったのだろう。こんな時にドジを踏む自分に呆れもするが無駄に流血して体力を失ってしまうよりはずっとマシな状態だった。こういうときこそ神に感謝せねば、と心の中で感謝の言葉を言っておいて魔女を見上げた。

「おかしいですね……酔っていても外れないと思ったのですが。
 この程度の距離で……飲みすぎでしたか。不覚です」

 イロイロと思ったことが口に出ていると言う事は少しは酔っているのだろう。口調も先程より少し丸い気がした。

「運が良かったですね。あまりおかしなことを考えないようにお姫様?
 あ、スープは飲んでください。暖まります。おかわりもありますっ」

 腰に手を当てて、むふーっと息を吐いた。ますます持って何を考えているのか良くわからなかった。

「食べないと……そうですね……凄い…………」

 指先がふわっと空を指差して当ても無く動いた。
 凄い、の先が何なのかは流石に少し気になった。
 この先もうことと次第によっては――。


「…………」
「…………なんですか」

 魔女は溜めたままふわふわと指を動かしていた。思考の速度が鈍っているのか、余計な事でも考えているのか。そのどちらにせよ余りろくな自体にはならないだろうと予測できる。
 そして、途端にはっと思いついた顔をして、指を鳴らした。


「凄い、アレな夢を見せますー」
「あ、アレって、なんですか、何をするんですかっ」
「アレです」
「だ、だから何を!?」
「凄い、アレです。アレします、うふ、ふふっ」



 ――迂闊に寝る事もできない。
 しかし、寝ないと明日の馬の上で私がどうなるかなどほぼ明白である。考えたくは無いけれど……いや、食べない、寝ないをすれば乗り切る事が出来る……?
 いや、そんな事は些細な問題だ。もっと根本的なものを知ってどうするべきなのかを考えなくちゃいけない。


「……っ。何故わたくしを生かすのです」
「それを知ってどうするのですか?」
「考えます。わたくしが今死を受け入れるべきなのか」
「国のためならば、ですか? 献身的ですね」

 魔女はくるくると包帯を巻き戻して小さな応急セットの中に仕舞いこんだ。

「……それには有り難う御座いますと言って置きます」
「では、一つ。結論から」

 大きく一つ息をついて、彼女が私を見た。
 いつも通りの魔女の眼は、冷たく私を見て背中に冷たい汗が流れた。


「私たちは――貴女を殺します。

 軍の前で。

 王の前で。

 無惨に。

 最も、人の目に悪い方法で……!」



 森がざわめく様に葉を鳴らした。自分の血の気が遠のいたのを感じる。魔女は冷たく笑っていた。
 スープの温かさなど初めから嘘なのだ。初めから私の行く末を哀れんで演じていただけに過ぎない。かの至福であった思い出を辿るように彼女は振舞っただけ。
 感情的に言えば泣きたくなった。助けてと叫んでしまいそうなくらい。心底恐い、という感情を覚えてどうにかなってしまいそうだ。ひとつ、思い出したように頭に駆け巡った言葉は――助けてコウキという、最後まで彼へと頼りきった言葉だった。
 そう考えを巡らせたときに彼女は私の前に踏み出して顎を持ち上げた。


「でも、此処で死のうだなんて無意味なんですよ。
 貴女は、ここで死ぬわけには行かないんですから。
 どう考えてもここで死んでしまうよりは、ワンコ君の要るあそこへ言ったほうが貴女の生還率は上がります。
 そうでしょう?
 貴女だって、信じているでしょう?
 今、この瞬間だって彼を疑ってはいないでしょう?」

 魔女の言う言葉一言一言は私を突き抜ける。全てを見通されているように感じた。
 彼を遠ざけてしまったのは私だ。たった一瞬でも、その心の隙を突かれて今こんな事態になっている。

 ――それでも、彼は助けてくれた。
 繋がっていないはずの私のところまで、真っ直ぐ来てくれる。
 彼は迷ってなんか居ないのに、受け入れて笑ってくれるはずなのに。

 ただ、自分の最後が決まっている事だけはずっと言えないまま今日まで過ごしてきた。
 何故隠したか? それは今までのコウキを見てきていて言える言葉だろうか。少なくとも私は……一緒に笑って居たかった。


「ふふっ怖いですか? 言っている通り貴女が死んでも構わないのですよ?
 死体でも構いません。容赦なく、ね?」

 つぅっと頬を通って惜しむように撫でた後に魔女の手が顔から離れた。
 道が見えない。
 死以外の道を見つける事ができない。


「今更震えるのですか? 可愛いですね。泣いても構いませんよ。
 ……堪りませんねその表情っふふっ」


 絶望という表現に足りるだろうか。考えたくも無い。
 助けて、コウキ。
 縋ることしか出来ない事も悔しい。
 それ以上に怖い。




 有事の際は、賢明な『選択』を。


 そう教わって生きてきた。
 王女であり神子である。国を動かすものである。

 何を思うべきなのかは勉強でも習ったし、自分でも思うところはあった。

 国の為に有るべきものであり、国のためを思って動くものである。
 象徴であり王女であるが無くてはならないものではない。

 思うべきものは『私を作った世界』であり、『私』ではない。


 故に此処で言う賢明は『死』ではないか――。







 ……だからこそ。
 その影が過ぎるたびに、私を思いとどまらせる声の強さが心を叩く。
 いっそう、死ねと言われていれば迷わず舌を噛めたのに。

 何一つ、根拠もなく信じていられる言葉あった。
 それはど事とっても信憑性等無いのに何時も信じられる言葉。

 只一つその身の奇跡とも言える彼の――。



『助けに行くから!!!』


 私へ向けられた言葉を、信じていたくて。
 弱い私は、膝を抱えて泣きながら、冷たい朝を迎えた。


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