第148話『開戦!』
其処はしきりに声の張られた指令が飛び交っていた。
大軍を纏めるのは大変で、総指揮から各騎士隊長、千人兵長、大隊長、小隊長と経由してそれぞれの兵へと命令が降りる。
本来なら俺なんかこの兵団のどこかその辺とかに混じって立ってるべきなんだけど。恐れる事無く王の横に立っていればいい、とのことなのでさっと目立たないように壁沿いを移動して王様の所を目指した。
「おはようございます!」
バイトに入る前の全力テンションでそこに突入する。ついでに兵士っぽい敬礼も覚えているので王様の前でビッと姿勢を整えてみた。
「ああ。おはよう。まるでアルバイトだな」
「……俺にそれ以上の反応を求めるって酷だと思わない?」
なんたって今さっき庶民派宣言をしてきたばっかりなのに。そんな事情は知らないだろうけど、ニヒルに口を歪ませておっちゃんが笑うとソレもそうだなと同意して軍の方を視線をやった。
号令の点呼が始まって、各隊長へと伝えられていく。
「第五隊準備完了しました!」
ロザリアさんがかかとをそろえて総隊長に敬礼をして報告をする。総隊長バルネロという壮年の騎士はご苦労、と言うと彼女を下がらせる。
その場には殺気に似た気合が満ちていた。その光景をみると残念ながら笑ってていい時間は終わったように思った。
「俺もあんな風にやった方が良かったですか?」
「形式はな。ただその隊は声を大きくする隊じゃない」
「配置は完了です」
「了解。後は此処で待機だ。ぬかるなよ」
「了解」
瞬時にそれっぽい言葉遣いにしてやり取りをした。軍隊ごっこは既にもうおなか一杯である。満足した。それでも気を引き締める為には必要だと思い直して背筋を伸ばして後ろ手を組んで立っていた。するとロザリアさんと不意に目が合う。
「おはよう御座います」
「おはよう御座います」
ザクザクと砂を鳴らして俺の所に来ると軍敬礼をして挨拶をくれた。それと全く同じ格好と台詞を返すと少し驚かれた。
「首尾は如何ですか」
「言うほどの大事は無いと言ったところです」
「ならば安心です。ところで敬語を使うとは、珍しいですね」
「ありがとう御座います。やれば出来るんですよ。あっやめないですけどっ」
「残念です。規則に縛られない貴方の方が貴方らしくて素敵なのに」
「たまには――言葉も必要なときってありますよ」
バイト中は私語で接客すると品性がなくなる。場の清潔さだって言葉に左右されることがある。それを俺に教えたのは勿論バイト先の店長である。
気分を切り替えて、と良く聞かないだろうか。いきなり言われてもどうするべきかなんて分からない事が多い。そういう時はスイッチを作るといい。敬語を使い始めたり、姿勢を正してみたり。何か変えようとするきっかけをスイッチ。喫茶店なんかのアルバイトをやって居る人なら分かるだろう。着替えて控え室を出るとスイッチが入る。俺はアルバイターになる。いらっしゃいませ、の声を張り上げ笑顔で接客。迅速な配膳をする。それはまるで別人だと言ってもいい。規則に縛られない壱神幸輝がルールに自ら縛られてお客様の満足に尽くすのだ。つまりソレほどまでに、違いが見える。意味が有る。だから俺は今なるべく丁寧な言葉を選ぶ。
「では、今がそうだと?」
「そう。礼儀云々よりは、士気かな。俺の気持ち、気合の問題です」
「なるほど。それは分かります」
「まぁ気持ち悪いのも分かりますが、我慢してください」
「いいえ。新鮮でとてもいいです。貴方は貴方が思っているよりも育ちの悪い人ではないですから。丁寧にも友人的にもなれる器用な方です。
それも素敵で良いことだと思いますよ」
ここで気を張る事の意味は、意気込んで集中して取り掛かる事。深刻である事態は分かっている。コレだけの人も動く。そしてその命運を握る主力は自分だ。自覚して動くなら気は引き締めておかなきゃいけない。
ヴァンや、アキみたいに自分で何とか出来る人たちじゃない。自分より弱いと見下すわけじゃないけど、あいつと戦わせるわけには行かないんだ。
「ファーナ奪還後は例の作戦の続行ですよね。
キュア班の位置は?」
「キュア班は城門付近です。ここからだとそう遠くはありません」
「了解」
一周円して見えるのは灰色の人の群れ。赤か青の軍のワンポイントをつけているが殆どが鎧で隠れてしまっている。しかし見た者を圧倒するこの人数。
「でも十数人に対してコレは大げさすぎないですか?」
「そうでしょうね。数十人に対してなら大げさすぎます」
「……それ以上いるってことですか?」
「そうですね。敵の前線はヴァース隊を避けて通りました。今朝方敵影が確認できなかった連絡が入っています。こちらに向かっていることは確かです」
「我々は外部に大きな援軍があると見ました。
定石通りの戦争をしているならまず間違いないでしょう。そうでないとこの国を襲う不利があまりにも大きくなる」
ロザリアさんは腕をひとつ前へ出して軍をなぞるように動かした。
「相手が魔王と魔女とあれば如何なる不測の事態をも想定しておくべきです。
援軍がどこからどう出てくるかは分かりませんが備えています。
それが今の状態です」
聞けば聞くほど俺の知らないところで色々と作戦が実行されている。俺はロザリアさんに聞きながら一瞬崖上へと視線をやった。
崖上は遠く、少し霞がかってみえる。とてもじゃないが肉眼でそこから上の状況を確認するのは無理だ。双眼鏡で影から確認している人が居るのでその人が合図を出すと敵が崖上からの襲撃が来たことを知ることが出来る。俺たちはそれまでそちらには興味の無い振りを続けなくてはいけない。
軍隊ってすげぇなんて客観的に考えつつ次々と点呼確認の終わる軍を見ていた。
基本的には前線に出かける素振りを見せるらしい。3番隊を筆頭に、1番隊、5番隊と続いて俺はその一番後ろ――見事に
ロザリアさんは一番後ろで馬に乗って皆を歩かせている。俺はその横についてテクテクと歩いていた。さすがに何千ともなると足音が重なって地響きみたいだ。隊の移動は平原へと差し掛かった。
戦況をガラリと変えたのは彼の一言だった。
まだまだ平和な時間であると思っていたがそうではなかったらしい。
晴天にも見える空を見上げた彼は最初唯何も言わず顔を顰めた。
「ロザリアさん……!」
「何でしょうシキガミ様」
彼は空から眼が離せないと言った風に目を見開いた。開いた口が塞がっていない。右手を上げて太陽に目がかくれるようにして何かを確認した。
「空から! なんか来てる!!」
その言葉にさっと空を見上げその瞬間空は翳った。太陽の光をまるまる遮って、日食が起きたようにも思えた。こちら二人が見上げたのを皮切りに隊列の人々がポツポツと空を見上げる。自分も手を翳して目をこらしてソレを見た。どんどんと大きくなるシルエットに驚愕した。そして、ざわざわとざわめきが広がり始めた時に、声を張った。
「敵襲ーーーッ!!
全軍後退!! 空襲に備えろ!!」
緊急伝令! 緊急伝令! と馬を駆り走ってゆく。
突然、場は騒然となり、部隊はグラネダへとぐいぐいと押し戻され始めた。
今後ろに押されるのは良くない。あまり森近くにおびき寄せてしまうとこちらに不利になる。多人数で森に入ると結局分散されて、思い通りの人数の力を発揮できない事が多い。
誰も、そんなモノが空から降って来るなんて思っても居なかった。
蜘蛛の子を散らすように一斉に軍隊はグラネダへと退却する。
叫びと逃げ惑う人々で混乱する中――
ズン……!! ドォォォォ!
っと地面を歪ませその島が着地した。
目に見えて地盤が大きく揺れて、軍隊が転がりまわる。馬も怯え跳ね上がり、馬ごと転等した者もいた。
揺れが収まると、草原だった場所のど真ん中に大きな城が一つ建っていた。
真っ白な外壁を金色のベールのような飾りが覆っている。日の光に反射して眩しい場所は全部金色だった。そして空を飛ぶ青色の羽を持つ人たちがどんどん増えて、空を埋め尽くさんばかりに覆っていた。
翼人、セイン軍の浮遊遊撃軍隊は、大きな戦争こそ起こさなかったがまけ知らずである。
その城からバサバサと青い羽の人たちが飛び上がって空で隊を整えた。
「何をしている!! 早く隊列を整えろ!!
ルアン・デ・セイン翼人王国の一隊だ!!」
空に見える黒い影。大きな翼を羽ばたかせるその意外な敵の正体を知る。
第五隊隊長ロザリア・シグストームが馬を走らせ怒声を振りまく。グラネダ王国軍は陣形が崩れ、混乱中である。それを一国も早く立ち直らせるために彼女は馬を走らせ兵を集めた。
ドォォォン!! ゴゴォォン!!
立て続けに二度轟音が鳴って、グラネダの両脇の森から黒い騎兵が現れる。完全に不意を突かれた。正面からのセイン軍と後ろからの魔王軍。迷っている暇は無かった。剣を抜いてロザリアは黒い一団を指した。
「第五隊!! 後ろからの黒騎士隊を止めろ!! 一人も通すな!! いくぞ!!」
『おおおおお!!!』
目の前に一瞬赤い背中が過ぎる。
彼は何処へ行ったのだろうか。もうすでに森の方へ行けたのだろうか。しかしそうでないと援護が間に合っていないはずだ。
少し馬で走ると、騎乗で黒騎士との交戦となった。手綱を持ったまま剣を構えて、馬通しがギリギリですれ違うかどうかほどの距離ですれ違いながら斬り付ける。
どうやら自分がこのままアルゼやカルナと戦ってしまう確率もある。王様も気になるし、シキガミの戦況も気になる。
「みんな無事で……!」
せめて――自分の最善を尽くす。戦場で出来る唯一つ。自分の隊を指揮し国王の右翼側の防衛に出た。
俺は全力で走った。地面が揺れて足場が酷くても走ろうと思えば走れる事を知った。
唯どうしても自然の力には逆らう事が出来ず、何度か全力でヘッドスライディングをした――それでも。走る。
全力で其処へ向かう理由は着地と同時に後ろから大きな爆発音を聞いたからである。つまり――ヴァンの読みは当たった。ヤツラが後ろの両脇から現れたのである。
しかしまさか、あの轟音に紛れるとは思って居なかった。全く持って豪快な作戦である。
俺の聞いた音の正体であろうグラネダの壁の傷は、かの鎌でつけられた傷にそっくりだった。
城壁は地震で大量のヒビが入っていたが、崩れたりはしていなかった。
ただ地面は抉れていたし、近くにヴァンやアキは確認できなかった。
「あらあら。お早いご到着でしたねワンコ君。相変わらず鼻がいい」
そして、ムカつくその声を聞いて足を止めるとすぐさま剣を抜いた。
「ファーナは!! ファーナはど――っ!!」
ガギィッッ!!
重い鎌の一撃を二つの剣を交差させて受け止める。
馬に乗っておらず早速鎌を振るう魔王の姿が見れるとは思わなかった。恐らくノヴァやアルベントが頑張ったのだろう。
上へと勢いを逃がすように弾き上げて二撃、受けた後にまたピタリと姿勢が止まる。
その瞬間に魔王がにやりと笑って俺に言った。
「わりぃな若造。ちぃと退いててもらうぞ……!」
ぐるっと鎌が逆回転して、柄が俺へと迫ってくる。
その一撃を避けて、相手の切り替えしの鎌をかわしたと思った瞬間に、腹に渾身の蹴りが入る。こっちも腹に力を入れて後ろへと跳んだが――無駄。
「ぅおおわ――!! だあああああああああああ!!? いきなりかああああ!?」
ブォッっと自分でも不思議に思えるほど軽く身体が中に舞う。
勢いを往なしてに立ち直るつもりがどんどんその高度を上げていって、まるで野球のホームランみたいな半円を描いて吹っ飛んだ。
平原の後ろ、つまり最前線となっているグラネダ軍第1隊の目の前に墜落する。
衝撃緩衝が働いて、軽く術式行使光が足元あったがソレもすぐに消えた。
最前線は空中にいるセイン軍を警戒しながら見守っていた。
俺もすぐに戻ろうと足に力を篭めた――その瞬間である。
「コウキ!? 何故空から――! ちょうどいい、シキガミとの接触は!?」
墜落してきた俺を見て国王がそう聞いてきた。前線はいぜん混乱が――。いや、全く混乱していなかった。むしろこの第1隊周辺は静かで既に隊列を整え空を見上げていた。弓や術の準備も終わっていて、いつでも迎撃できる態勢に見えた。
さすが国一のベテラン部隊だ。たとえ地震があっても揺るがない実力が有る。
「ありました! 今しがたぶっ飛ばされたんでもう一回……!!」
ザッと目の前に現れた気配に俺たちは身構えた。
「あら、こちらから出向いたので、その必要はありませんよワンコくん」
黒いフードを被った魔女。そして、黒い鎧に黒い鎌を持った死神のような魔王。
そして魔女に力なく捕まる――金の髪の神子。
嫌な予感がした。
酷く。
気分で言うなら吐きそうで、さらに涙が出そうだ。
ファーナが顔を上げた。
本当に、申し訳無さそうに。
ポロポロと大粒の涙を零していた。
そして――魔王と魔女の最悪のショーが始まった。
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