第149話『神速進行』
突如として。わたしの世界は穏かな色を失った。楽観的な傍観者だった事は否めない。それを後悔する事もまた必然だった。
戦争に関わる当事者として全力を尽くす。とはいえほぼ初作戦となる今回の潜伏兵としての役割は自分の甘ったるい幻想を吹き飛ばすのには少し刺激が強すぎたように思える。
姿勢を低く、茂る木々の根を掻き分けて崖の手前までやってきた。姿は見えないが近くにヴァンさんも居る。姿消しの法術をかけてもらって見張り用の塔の上から飛び降りて茂みへと潜伏を始めた。
緊張で殆ど喋れず不安がぐるぐると身をめぐって神経をじわじわと焦げ付かせる。失敗するとファーナに何が起きてしまうか。殺せると断言したあの人達にどう立ち向かえばいい。
懸念すべき事が多くて気分が悪くなってきた。こんなにプレッシャーに弱いのか、と自分に落胆する良くないサイクルに陥る。待ち時間が長ければ長いほど、焦れてしまうのは仕方が無いのだけれど。
「……アキ?」
「……、はい」
ヴァンさんが声だけこちらに向けて、わたしを呼んだ。姿は見えないが不思議とこちらを見ている事は分かる。わたしもその声の方向を見たのだけれど、誰も見えず青々とした茂みが広がっていた。
「余計なことは考えなくていいですよ。気張りすぎず貴女は全力を尽くす事だけに意識を傾けてください」
「……はい」
「はは、全く効果はみえませんね」
「……緊張するなと言うのは無理ですよ……」
小声でそう言った自分の声が泣きそうだと思った。でもそれは間違っていないわたしの感情だった。
今から対峙しようとしているのは、自分たちを圧倒した軍団。勝ち負けだななんて興味は無いのだけれど、わたしたちに負けを見せた唯一の人である。個人的な算段では剣聖にと並ぶ危険さだ。
「でしょうね。では気を紛らわせる為に少し話しますか」
「え、話してて良いんですか……?」
「ええ。先ほど貴女の背中に両手範囲ほどの遮音のお札を貼りましたし、気さえそらさなければ大丈夫でしょう」
「ま、またですか!? なんで背中を狙うんですかっ」
言われてまた背中に手をやると確かに紙が指先に当たる。取ってしまうと遮音の効果が無くなってしまうのだろうから取れないが……。
「シルヴィアにはよくやりましたね。張ったのはもっと意味の無い札でしたが」
張りがいがあるのはそっくりですよ、と多分いい笑顔で笑ったと思う。見えないけれど。
「……何となく書いてあったものは想像できますけど。子供かって言われませんでした?」
「もちろん毎度のように言われました。が、必ず仕返しに同じことをされるので終わりませんでしたね」
「子供ですかっ」
「……何も言い返すことが出来ません」
ヴァンさんもお母さんもまるで子供。背中に馬鹿と書いた札をいかに気づかれずに張り合うのかを競う姿は想像するだけで笑える。
「きっと二人同時に馬鹿を背負って歩いていた日があったんでしょうね」
それはただの予測だったけど、ヴァンさんは鼻で笑ってよく分かりましたねといった。
「ええ。最後にはウィンドも巻き込んだんですが、そのあとアリーが熱を出しました。
原因は“自分もつけて歩くべきなのか本気で悩んだから”だそうです」
その話を聞くと前回の旅だってきっと面白かったのだろうなと思えた。
「楽しそうですねホント。ホントに」
「ええ。あの時がきっと私の人生では一番楽しかったと思っていますよ」
――。
そうやって少しヴァンさんと話していると、緊張は少しほぐれた。
最後にどうして緊張に気づかれたのかを聞くと、呼吸の仕方が変だったからだそうだ。
お父さんやお母さんならそんな事はなかったんだろう。そう思ってまた少し気落ちする。
「はは。それはそうかもしれませんが、貴女はあの二人にとらわれ過ぎでしょう。それでしたらもっと若かりし頃の二人に習うべきです」
「もっと若い頃?」
「そう。トラヴクラハやスピリオッドの名を頂く前。それこそ今の貴女と同じ時。結果を出そうとしてそわそわして隠密作戦で見つかってしまったり、最前線第一歩でこけたりしてた時の事です」
「ああ、またわたしの中の二人のイメージが……」
どっちがどっちなのかを聞く前に悶える。
「どっちも暴れたら何とかなったらしいです」
「それどっちもお母さんですよね!?」
結果オーライ! と笑顔で言いそうだ。いや、あの人なら絶対言う。
「美化しすぎても、貴女のプラスにはなりませんから」
「でもヴァンさんのは尽く思い出ブレーカーというか……」
主に母方のイメージは一年前と比べて大分元気なものになった。
「ふふ。貴女が思い出を枷にしてしまっているのなら私が砕いて差し上げます。思い出と共に」
「や、やめてください〜」
「貴女は、あの二人の自慢の子ですから。すぐに追いつこうとしなくていいんですよ。問われているのは今の貴女のベストです」
「はいっ」
「良い返事です――」
はっとしたようにヴァンさんは空を見た。つられて私も空をみたが、木で遮られていて見えない。
ヴァンさんは何だアレは、と掠れた声で口にした。
――今日まで、そんな驚きの言葉は聞いた事が無い。
わたしも慌ててそれを確認しようと位置を動こうと立ち上がった瞬間――それは起きた。
ドゴォ――!!!
音では言い難い。空気の振動。
風の壁が吹きつけ木々が、続いて地面が大きく波打った。
まるで――まるでドラゴンが降りてきたみたいだった。
立っていられなくて尻餅をついて木にしがみ付いていると、揺れが収まった。
そして崖方面から一気に風が吹き上がる音がした――。
その風は月に一度、短い時間だが落ちている人も浮き上がるような勢いで強く吹き上がる。その時間は毎回違って予測できない。かつては国王様を助けた事があり、神風と呼ばれるグラネダを象徴する風である。
そして急に――目の前に黒い一団が現れた。
それは嵐のようだった。馬の一頭一頭が一直線に道を駆け抜ける。
降ってきたようには思えなかった。自然に馬を走らせるように現れて、土を巻き上げて颯爽と目の前を通り過ぎる。
危うく見逃しそうになったファーナは一番前――その一団が走り去って道に飛び出るヴァンさん。
ピンッ! と指を跳ねさせて無詠唱に光をだす。直視できないほどの輝きで、それは伏兵第一隊の出撃の合図だった。
「オオオオオオオオオ!!」
最初に出たのはアルベント隊。怒号、空気を震わせながら獣が叫ぶ。
そして巨体に見合ったそれにしてもさらに大きなその武器を掲げ、思い切り振りかぶる。
「術式:
「術式:
「術式:
「術式:
地を這う衝撃と宙を疾走する法術が轟音を轟かせ黒騎士隊へと向かう。
黒い一団はその事態に動じる事無く、その衝撃に立ち向かって行った。
先頭に居るのはファーナだ。ファーナに当たらないか、ソレだけが心配だった。
黒い一団の先頭を走る黒い大きな馬は、ファーナと魔王――黒騎士のシキガミを乗せていた。
その魔王は腕を突き出すとその手に大鎌を持った。
事も無げに、それを自分の前に向かって一閃する。
ボンッッ!!
本当に今のは魔法だと思った。軽く撫でるような一振りである。
――たった一振りで目の前にあった衝撃、法術が相殺され城壁へ亀裂を走らせた。その亀裂自体はあの鎌のものだ。
「今です!!!」
鎌は振られ、次の一撃には少しだけ隙が出来る。その一瞬を突くには優れた集中力と瞬発力が必要だ。しかも動く馬に対して飛びかかろうと言うのだから尚並大抵のものではその役目は務まらない。
茂みから補助法術を全身に受けて、光のように飛び出す剣聖ノヴァ――。
優れた肉体能力、眼、バランス――すべてにおいて、唯一この場で達している人間。
その魔王の胸元からその人を引き剥がして――ドン!! と城壁を凹ませて着地する。術式緩衝術陣がその場に出現するがそれはヴァンツェ・クライオンが無詠唱でやってのけた。そして、その一団を隔離するように氷の壁が張られる。黒い騎士団の進行方向、左右を塞ぎ、自分たちの居る後ろ方向だけが開かれた氷の檻。その壁を前にしてもその一団は勢いを止めなかった。だからだろうか、彼が焦ったように声を張る。
「アキ!!」
言われたときにはもう準備は整っていた。
この部隊は決してファーナを救うためだけに作戦を練ったわけではない。最低限はそうであるが――ここで彼らを屠ってしまえば。この戦争は終わったも同然。
故に今全力を注がずして、何処で見せようというのか。
怒涛の術式連弾の幕引きに選ばれた事を光栄に思うのならば――この一撃はまさに全力を。
出現させていたアウフェロクロスにマナが注ぎ込まれ術式ラインが真っ赤に光る。真紅の剣の刀身は仮神化が起こった身に呼応するように反転し、髪の色と同じブルーになった。
「術式:竜神の咆哮が<マキナ・サン>――!!!」 」
・・・・・・・・・・・・
「それはリージェ様ではない!!! 離れろノヴァ!!!」
わたしの声すら遮って、怒声の声が通った。
ドン! ドン!!
それと同時二度破裂音がしたが剣聖は声がする前にその抱えていた人物を投げ、飛びのいていた。
「ち……!」
「ふふ、残念でした」
投げ出されたファーナが空に浮いて笑う。あまりにも似すぎていて一瞬目を疑ったが――グニャリと景色と姿が歪んで黒いローブを纏う魔女に変わった。
立て続け、わたし達に向けて黒い塊を連射してくる。ヴァンさんが壁を作るが、それを蝕むように突き抜けてソレを間一髪避けながら後退した。
「く……そんな!?」
ィン……! シュゥゥ……。
竜神の咆哮が如く<マキナ・サン・クラマ>の術式が死んで気化したマナが湯気を上げた。
パキィ――――!!
氷が砕ける音と共に馬が走る。
その間全く勢いを変えなかった一団はわたしからどんどん遠ざかる。
「オオオオオ!!!
術式:百獣・王獅子の踏<ライ・ガル・グラガスト>ォーーーーッ!!!」
ズドォォンッッ!!
「きゃあ!!」
再び轟音が起きて地面と――空気が割れた。
地面はまるで竜が踏み込んだように大きく沈み込みうねりを帯びて一団を巻き込んだ。
パンッと木が弾け倒れこんできて黒騎士団の一人が木に巻き込まれる。
アルベントの武器にある大地属性を使った大技である。あんなものに飲まれれば普通はひとたまりも無く終わりを迎えるだろう。
でもその黒騎士隊は――誰一人として、止まらなかった。まるで風を切るようにその道を進み続ける。大地が歪み空気が悲鳴を上げても、全く勢いは衰えなかった。
馬は流石に足を取られ、次々と転等し地面へとたたきつけられた。騎士たちはそんな事は想定済みのように馬を捨てる。その動作はよどみなく、まるで初めから馬は捨てる気だったようにも思えた。
「ふむ――意外だったのは馬を捨てさせたのが、獣の凡骨だった事かァ。
褒めて遣わす! 顔に違わぬ獅子であった!!」
「いらぬ!!!」
ブン! と空気ごと振りかぶって大きな戦斧を振り切る。まさに獣の動きを見せる獣人アルベント・ラシュベルは爆音を立てて城壁に突き刺さった斧を即座に同じ速度で振り替えす。巻き起こった土煙を丸ごと振り払うような一撃を黒騎士は最小限の動きで躱すとパッと腹に手を当てた。
「邪魔だァ!!」
ザッ――!
魔王は一歩踏み込んだ。
唯それだけである。
「ガッ――!?」
それなのに倍以上も有る獣の王の身体は浮き上がり、森の木々の方へ吹き飛ばされた。見えなくなってすぐバギィ! と森の奥で木が無理やりへし折れるような音がする。
一隊は進むことをやめない。
そのうちの一人に人を担いで移動する騎士が見えた。つまりあれが本物のファーナで――っ!
わたしたちは随分と遠くで足止めされた。
優秀な兵隊だけで構成しているせいか、異様ともいえる速さで進行するその一団。
「ノヴァ!!」
術を、といいかけたヴァンさんが言葉を止めた。
「……クソッ! 腹をやられた! 最初だけはあたっちまった!」
脇腹を押さえて顔を顰める剣聖。指の間からドクドクと血が流れ出て、とても走るなんて事をさせる身ではないようだった。
剣聖はキッと鋭い視線を空に向ける。それはヴァンさんも同じで空にはわたしたちを嘲笑う彼女が居た。
「アッハハハハ!!
私たちは“覇道”を歩む者!
到達した者を邪魔する事は出来ません!
それではまた――ショーでお会いしましょう?」
フッっと影を残して消える。言い知れぬ高揚は此処にきて最高潮となった。
速い……!! 速すぎる!!
叫びたい衝動に駆られた。作戦の失敗が悔しいのか、ファーナの
でも、ソレより早く、わたしの横に居た二人は駆け出した。
信じられるのは自分だけ。
何より、行動するしかない。
戦争が――始まってしまった……!!
わたしも渾身の力を篭めて大地を蹴る。
「ぅおおわ――!! だあああああああああああ!!? いきなりかああああ!?」
叫ぶ声と共に遠くに赤い人影が空に舞った。
ぎゃあああぁぁと声が遠のいていく。
「何やってんだあいつ!!」
「コウキ!! 今はそんな事をやってる場合では!!」
「コウキさん!? じゃあファーナは!!」
思い思いに叫んで走る速度を上げる。心持ちであって実際は全力。
嫌な予感しかしない。一歩踏むごとに地面が悲鳴を上げるほど力む。
助けなきゃ。
追いつけ。
間に合って――……ファーナ……!!
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