第150話『捕らわれの』
焼き切れたみたいな感情はむしろ神経を直接撫でるような危ういものを訴える信号に変わっていて、自分を前へと駆り立てる。
戦場を前にして思うことはこんなにも楽しみにしてしまった戦は初めてだと言うこと。異形の集まる異界の戦とはこうも彩りが多く、戦の難しさか有り大きなやりがいを感じる。零から始まる世界取りは自分が最も“神に近い”と知らされることで現実味は薄くなっていた。
だが同時に知った“覇道”であるその力の圧倒的な打開力。ただ進むだけで木々が自らを避け、風が吹き――世界が自分の味方であると言うことを確信できる。今更とも笑ったが、それでやっと神に近いという言葉の意味を理解するに至った。
到達のための障害を排除する為に力を得ることができるという約束を持っている自分達は、地形も気候も関係ない。ただ真っ直ぐ目的に向かうことを許されている。どんな障害が来ようとも必ず“乗り越えること”を許されている――その爽快である理由が此処に至るまでに2つの国を落とさせた。
ガチャガチャと破片を集めて小さな泉へと投げ入れた。その一つ一つが水に入るたびにピチャリと音を立てて小さく水を跳ねさせた。ソレを見ているのが楽しくて破片を一つ一つ丁寧に投げ込む。水に入ってからすぐに月の光にキラキラと反射しながら、葉っぱのようにユラユラと水底へと消えていく。本当に小さな澄んだ泉だった。だからその作業の場に其処を選んだのだけれど。
半分程度を投げ入れ終えて、もう半分は袋に仕舞いこむ。よし、と溜息を吐いて空を見上げた。大きな月が真上に差し掛かって、泉の水面にも大きく揺らいでこちらをのぞきこんでいた。
くるりと後ろを振り返ると、ぞろぞろと黒い騎士たちが集まり始めた。全員が集まったのを確認して、少し楽しくなってクスリと笑った。
仕上げには血が必要だった。魔女の血を一滴泉に垂らすだけ。
どうやってやろうかと一瞬だけ考えて自分の手はすごく傷だらけだということに驚いた。その傷が付いた理由はずっと知っていたはずだが、今初めて知ったようにああ、と声を漏らした。
その傷が有るのならばナイフも必要は無い。泉に手を翳して、ぐっと手を握るとプチっといって傷口が一つ開いた。
滴り落ちる血は赤色。当然、私も魔女と言われる身分ではあれ人のうちである。
久しぶりの小さな小さな痛みに、少し強く歯を食いしばる。
ポタッ――。
月の色反射する泉にひと雫が溶け込んで、一瞬だけふわっと青色を帯びた。
泉はパキパキと音をならし、やがて月を完全に反射するようにその色を整えた。
「あら、これはただの儀式ですわお姫様?」
先程から背中に槍でも突き立てそうな勢いでこちらを睨む炎の神子を振り返る。
木陰で大人しくうな垂れていたと思ったら、突然コレだ。先日話した後から随分とコロコロとその表情を変える。しかしその感情どおり、彼女には怒りがあり、悲しみがあり、不安があってソレを噛み殺していまそこで生きている。
あの言葉を言った後、彼女はすぐに自殺して見せるだろうと思った。それはそれでと思っていたが、彼女はその道を選ばずただ私たちを黙殺してくるようになった。
彼女は弱いのか強いのか計れないでいた。忍耐強い人間は嫌いではない。だが、彼女は昨日は一日中すすり泣いていたし、今朝からずっと虚ろな人形のようだった。それでも今はどうだ。まるで正反対だ。儚い王女は一転して激しく私を非難する目をしてくる。その差の何故が知りたくて、木彼女に聞いてみることにした。
「あら、昨日とは違ってお元気ですね」
「……別に。貴女はそうやって、擬似的にダルカネルの鏡を作り出すと言うわけですか」
「ええ。とはいえ私はダルカネルの鏡についてよく知るわけではないのですが。
自分の姿に似た人形を得られるとか。もしや貴女はこの鏡を?」
「……」
彼女は答えず沈黙した。彼女がダルカネルの鏡と読んだ時点でそれがほぼ答えになっている訳ではあったのだが――まぁ隠しているつもりなら騙されている振りをしていても良いと思った。
このお姫様の可愛い所であろうか、国が絡むと途端に瞳の色が変わる。きっと今の戦力が増える事は分かったのだろう。
辺境の魔術師ダルカネルは元々エルフの大賢者に名を連ねる古き者である。
しかし、一度神々の戯れ――シキガミの戦争に関わって、人が変わったように術の研究をするようになった。彼が何を作ろうとしていたのかを詳しく記している文献は無いが、ある研究結果を残して失踪してしまったとある。後にその研究の内容は他人の手によって少しだけ本になった。
彼が研究していたのは“檻”だった。
ありとあらゆる者を捉える檻。まるで世界を作るような勢いの資料と術式。彼は現在の法術の術式の基礎は全て彼が築いたとすら言われる、全てを明かした法の父である。
“檻”の成果はこの世に沢山残っている。
現在残っている“壁”術といわれているものが全て彼の作った“檻”の派生なのだ。
身を守る為に最初に基礎として覚えるその法術は、彼が何かを捕らえるために作った檻なのである。
そして、最後まで彼が研究を続けた最も彼の理想に近い形の“檻”が『ダルカネルの鏡』と呼ばれる鏡なのだ。彼はその一番重要な研究内容は綺麗さっぱり持ち出して以後五百年の時が流れたといわれている。エルフの五百年は全くその形を変えない期間である。今でも当時と同じ人相書きで、彼は探され続けているそうだ。
さて、もっとも肝心な彼がその鏡を完成させたのかという事実の確認だけは出来なかったのである。彼は姿を現さなかった訳であるし、鏡も自分から出歩いたわけではない。
出歩いた所で、人のように見えるそれが見分けられるわけが無いはずだ。
ソレを知りえたのは本当に希な出来事であった。
グラネダにて神子にちょっかいを出した後、その町にまた興味深い人物を見つけたからだ。
黒色の長い髪を高めに括って歩く女性、白い髪の男の神子と歩くその姿を一目見て、神子とシキガミであると気が付いた。道中で堂々と仲良くする二人に少々遺憾な気持ちを感じたことも覚えている。
シキガミの方に近づいて、少しだけ話してみた。これもまたワンコ君と同じ種族らしく、“ヒヨコさん”は人良く私に接してくれた。
そのとき、たまたま術士の見習いだと言って彼女の冒険話を聞いた。どうせならとワンコ君と知り合いである事を言わせ、二人の組が協力して戦った事があるという話を聞いたのだ。
その一番最初が“ダルカネルの塔”だと言うではないか。何も隠さずぴよぴよと話してくれるヒヨコさんは本当に可愛かった。
こちらの神子は頭がキレる上に“天眼”の持ち主だったようで、全て見抜かれていた。
私は引き離され、一人だけ訳が分からないと怒って言うヒヨコさんに免じてその場は引こうと思った。グラネダの偵察はそれで終えるつもりだったが、その天眼の男は寿命――というか、廃人までの期限が――短いらしく、かなり衰えた様子に見えた。
だから、一つ交換条件を提案した。
彼らは、ダルカネルについての情報を話す。
そして私は――彼に有るものを提供する事だ。
本当に偶然。私はその街で天眼の人物を知っていた。
まぁ、その日に居なくなってしまったのだけれど。
世界の連鎖を楽しいと思う。
ザバザバと水の中に入った全員が左右対称な双子になって出てくる。これは面白い光景だと焔の神子に言ってみた。
「世界には凄い人が居ます」
「……貴女のように悪用しなければその人は凄い人で終わったのですが」
「あら、私が凄いと言っているのです。世界など当に凄いといっているようなものですよ」
「大した自信ですね」
「魔女ですから」
「……そうですね」
彼女はそう言って座り込むと、膝を抱えて俯いた。昨日も寝ていないし、何も食べていないお姫様は目に見えて体調不良を起こしていた。今も眠くて仕方が無いはずだ。それなのに弱音を吐かず、私に助けを求める事も無かった。
寝たら云々、呪い云々、自分では軽口で言っているつもりだがすべて彼女はそれを本気と前提して自分が最も生きる確率の高い行動を取っていた。何かに似ていると思うのだけれど、彼女だけはどうしても動物にはならなかった。気高く映る――憎らしくも、尊いものであると認識せざるを得ない。
まぁ、魔女などに褒められても本人は嬉しいとは言わないのだろうけれど。まるで、逃げる機会を窺うサーカスの動物のような目。ああ、きっと彼女は彼のように諦めようとはしないのだと気づいた。今もまだ光を持っているのだ。それは――私には無くて羨ましいものだった。
鏡の分身はぞろぞろと森の先へと向かって言った。明日の開戦にあわせた作戦の為だ。
半分は東側、半分は西側の城門から回りこむ。
城を落とす必要は無い。城にはどう足掻いても直接入る事ができない。入ったところで何かの術に引っかかってしまって出られなくなるはずだ。城の中に直接入ったわけではないが、近くまでは行った。それだけでかなりのマナを消耗をした。城内から外への侵略は不可能であると判断した。それは正しいと思う。
目標は王を落とす事だ。ただそれだけ。
前線に出る事が多い王だと聞く。もし明日の布陣が有るのならばそこが出撃となる。
少し高揚した気分で夜を過ごした。
待ちきれないと言う思いもあったし、自分の持つ“覇道”はこの作戦は素晴らしいと言う自信みたいなものもあった。
前夜の夜は長く――それでも次の日の朝はやってきた。
神速の作戦は私たちの手を殆ど煩わせる事はなかった。
作戦中に高笑いが止まらないほどの絶頂感。
少数であるが故に豪快を取った六天魔王の采配は、まさに神業であったとしか言いようがない。
大軍は彼女を象徴としている。
この国は王家に支えられて居る。
一人に意思が集うからこそ、其処が一番弱いと言う部分でも有る。
かの王がシキガミとして最強を名乗れる時代は終わった。
ただ呆然と立ち尽くし、こちらの出方を見るしかない相手。
それではどうしようもないと分かっているのに手が出せない。手を出さない軟弱さ。
この世界はもっと厳しい。もっと痛い。もっと臭い。
「皆様。お集まりいただき光栄です。高々小さなわたくしたちの為に、こんな軍勢を用意してくれて有り難う御座います。全く役に立ってなくて何よりです」
チリチリと空気が焼けるようだった。
心地よいと思った。大勢を少数精鋭で手玉に取るのは何と爽快な事か。
「それでも戦争です。
これは、見せしめであり、警告であり、罰であります。
さぁ、お姫様。最後に何か一言、お願いします」
条件は出さなかった。
何も、出す気など無くもちろん彼女にはその場で地獄を見てもらうからだ。
彼女ほど綺麗なのならば天国なのかもしれないが、ソレはどちらでも構わなかった。
パンッと熱気のようなものがはじけた。
いろいろな場所で叫びが上がって、人々はみなこちらへと進みだそうとしていた。
その全ては手遅れなのだと私は笑ったけれど。
「――……コウキ」
「ファーナ!!!」
最後に聞いたのは王子様とお姫様の悲劇の別れ際。その声。
二人は目を合わせて何を思ったのだろう。
大鎌の白刃は目にも留まらぬ速さで彼女の身体を駆け抜けた。
真っ黒い衝撃の弾丸がその身体を食い散らかして、真っ赤に変えた。
美しい悲劇であった。
醜く汚い、血と肉となったのだけれど――。
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