第152話『償い』
沢山の人の中の叫びに消えて、俺の声なんて断末魔と相違ない。
この瞬間にも最前線では誰か死ぬ。その声とさらに雄々しくも敵に向かい続けるこの場所は戦場だった。
チリチリと腕が灼けるような熱量を持ってきた。血の循環を感じた。血の流れる頬は、暖かいと思った――。
一人、冷たくなった。
身を貫いて尚も壊される自分の体の痛さなど想像も絶する。その苦痛なんて言葉で表現できない。その刃を通されて砕かれてしまうまでの時間、彼女は俺を見て微笑んだ。
それでも誰かに向かって笑う為の強さがこんなにも悲しいなんて俺は思ってなかった。
ファーナ……!!
もう、どれだけ叫んでも届かない。
光になって行くけど、そこに居た彼女。拾い集めたって戻りはしない意味の無い肉塊。
いつも儚げだと思っていたけど、どんな時も真剣で精一杯生きていて――。いつも国を心配して。
ずっと一緒に居たのに。
死んだ――……。
痛い。俺のその痛みの正体が何かは分からないけど、目からボロボロと涙が出た。
無い。消失した、そこに在った誰かの形。
純粋な悲しい、とは何かが違う。痛いんだ。
『助ける』って、言ったのに俺……!!
約束が守れなかった事じゃなくて、ファーナが守れなかった事が悔しい。
俺を信じてここまでやってきてくれてたはずなのに、俺が応えられなかったことが悔しい。
なんで俺が、あんな場所で吹き飛ばされるようなことをしてしまったんだ。
怒りの矛先は自分じゃないか。
どれだけ悔いて止まっていても、意味が無い。
壱神幸輝にはもう、この世界に生れ落ちた理由が無い。
血を拭う事無く両手の剣を握り締めて――魔王の場所へと走り出した。
悲しんでる暇は無い。確かにそうだ。
でも忘れたかったんだ。
今の間だけ、生きる事に必死になっていれば、考えなくて済むと思っていた。
せめて国王様や王妃様は助けないといけない。せめて、償える何かを。そう思って走った。
俺の目の前に、次の障害が降り立ったのはそのときだ。
バサッっと強めの風が吹いて、俺は足を止めた。
――金色の翼をばたつかせて、黄金の神子が其処にたった。
そして、彼女がいるという事は彼も存在する。
茶髪の髪色は変わっていなかった、着地の為に足元を見ていた目はすぐ俺を見た。眼鏡の奥底に見える目は、深い黒色のように見える。キツキは何も言わず武器を取って、構えた。
「……なんで、キツキがここにいるのかわかんないけど、あれが魔王側なら敵だよな?」
キツキが溜息を吐いた。苛立ちのようにも見える。
「そうじゃなくたって、敵だろ。
コウキ。解ってるか。
お前は戦場に居るんだ」
キツキは――俺の知ってる喜月と同じ口調でそう言った。
「……解ってるよ!」
「解ってねぇだろうが!
俺たちは敵なんだよ!! 相手が武器持ってるのに訊く程馬鹿なお前が解ってる訳がないだろ!!
そんな事やってるからあの子が死ぬんだ!!!」
ビリビリと俺にだけ響くその声が、傷口を抉るようで痛い。
甘えそうになってる俺を叩きのめしに――いや、殺しに――来た友人は最も親切に俺に分かりやすくその真実を伝える。
世界が歪みそうなほど、痛かった。どこも怪我なんかしていないのに。“出血多量”で死にそうだ。
怒るべきなんだろうけど、やっぱり焼き切れた思考がどうも沸騰の邪魔をする。
ファーナが居なくなって。
友達も敵で。
皆に嫌われた気がして。
一気に、ドン底に落とされた。
何とかしなきゃって、思うのに。
酷く、孤独だから。
「コウキ!!」
「コウキさん!!」
並んだ二人が構える。
「よかった……無事で何よりです!」
「……でもファーナが……」
二人の顔を見る事が出来なくて、キツキだけを見ながら言った。
「その話は後にしましょう。
コウキ、お願いがあります」
ヴァンが言ってこちらを向いた。その気配がわかって反射的にヴァンの方を向く。
彼にしては比較的険しいといえる顔をしていた。でも――悲観的には見えない。
「国王を助けてください。魔王と戦えるのは貴方しか居ません」
「……俺はもう、シキガミじゃないけど……」
「馬鹿を言わないで下さい。
国王を見てください。彼はシキガミではありません。元です」
ヴァンが指差す先で国王は―――魔王と対等に戦っていた。
振り下ろされる大鎌を避け、柄を弾き、極力外への被害を少なくしながら拳を振るう。 あの拳が必殺となるのは近距離で一番プレートの薄い場所を打った時だ。今はその大鎌を避けて弾いてが精一杯でその間合いに入ることが出来ていない。このままではジリ貧だが一太刀の助けがあれば――何とかできるかもしれない。
そしてソレを阻むのは八重喜月である。
黄金の薙刀はかつて俺の左腕を切り落とした。
……今なら、そう簡単には落とされたりはしないだろうけどそれでも薙刀の有段者だ。元があっただけに油断できない。
「わかった、行く」
「では――彼は私達が食い止めます。
あまり長くは持ちません」
「……ちょっとまって、キツキをどうやって止めるの」
「彼の移動に鏡の反射を使う術があります。それ以外であればリーチでも技でもアキは引けを取りません」
「……」
考える。勝算は無くない。俺が今までどおりの戦いが出来るのかはさて置き、二人の連携でキツキに勝てるか――そんなのやってみないと分からない。
だから、少し悩んだ。
二人には――居なくなって欲しくない。
パァンッ!
「なっ!?」
不意に右側の腰辺りに衝撃があって少しふらついた。
それはアキが俺を叩いたものだと気づくのにそんなに時間は掛からなかった。
「コウキさん! 迷っちゃダメです!
戦場に持っていく三か条ひとつ!! はい!」
――アキがシィルと重なる。雰囲気が全然違うはずなのに、少し同調しているように見える。
「ゆ、油断しない」
「油断だらけじゃないですか」
「わたしに叩かれてちゃだめなんですっ二つっ」
ヴァンとアキが交互に言っう。ヴァンは呆れているように見えて、なんだかアキが凄くプリプリと怒っている。
「躊躇しない……」
「ソレが今です」
「コウキさん、三つっ!」
「――……必ず、生きて帰ること――」
沢山の死を見てきた人の言葉だ。
何が起きても気を抜いてしまわず、何を見ても動じず、何が起こっても、生きて帰らないといけないというのだ。どうして。
「わたしたちだって、悲しくないわけじゃないんです。
みんな思ってます。考えるのは後です。コウキさん……!
助けましょう……!
ファーナの為にグラネダを助けるんです!!」
ファーナだけじゃない。グラネダが死ぬ。
そうしたらもう、何も残らないじゃないか。彼女を守りたかった。彼女が守りたかったものはこのグラネダで――俺を含む全部だったんだ。それは、知っていた。
大きく息を吸って――剣を持っていることを再度確認した。
あの事を考えるのは後。戦争だから。 ごめん。
せめてもの償いに彼女が守ろうとしてたものを守らなきゃ。 ファーナの為に。
此処は戦場だから、立ちはだかるなら的だと認識しなきゃいけない。 友達も。
それでもまだ、俺を必要としてくれる人が居て――俺は進まなきゃいけない。 生きる為に。
迷うな。
息を吐いた。
酷く熱っぽくなって、少しだけ視界が滲んだが瞬きをすると消えた。
何も終わってないんだよ。
今は後悔する時じゃなくて、ひたすらグラネダの為に。
きっと俺が死んでもファーナはそうする。そうか。黙ってみていた今までの時間は彼女への裏切りだった。
せめて。
その彼女の願いを叶えよう。
歯を食いしばって、俺は――敵へ向かって走り出した。
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