第155話『戦禍に死にゆく命』
今日は本当に紙のように空を飛ばされる。
災難だ。本当に。
遠く。
手が届かない。
あの力が一体何なのかが良く分からない。向かっていたはずなのに触れられたらその勢いは無かったみたいになって空に跳ね上げられる。
景色はぐるぐると三回転半空や遠ざかる地面を見せ続け息が止まるみたいな力を込めて体制を安定させた。それでも遠のく勢いは変わらない――まるで重力が無いみたいな飛び方だ。
黒同士の二人がその拳を交え、火花が散るのが見えた。
遠くで剣を振りかざし、法術がピカピカと光る。
空から見下ろせば何処も同じ風景。
「楽しいと思いませんか」
風の音に混じってそんな声が聞こえた。
慌てて振り向くと俺に追従するように銀色の髪をした魔女が空を飛んでいた。
「思えない」
「そうですか。残念です。本当に」
からかうように笑って彼女もまた見下ろした。
「止められないでしょう貴方にも。
数の暴力。纏まって動くから人は手に負えない。
それでも貴方達シキガミにはそれを力で制する資格があるのですけれど」
貴方にはもうありませんでしたね。と嗤って振り返ると同時に指先を俺に向けた。容赦なく破裂音が響いて衝撃弾が飛んできたのを宝石剣で弾く。
「だから貴方は本当に残念でした」
続く二、三弾を宝石剣と虹剣でかわして次の瞬間に背筋にぞくり、と冷や汗が流れた。
ドスッッ!
脇腹から剣が生えた。
一瞬の出来事で何が起きたのか良く分からなかった。
そのまま真横に抜けて目の前を黒い影が覆った。
ガゴォォォン!!
頭に物凄い衝撃が来て、脇腹が熱を持った。飛んでいたはずの俺は真下へと移動方向が変わっていた。
「かっ……!?」
揺れる視界の端。
金色の羽と――黄金の薙刀。
あいつに腹を斬られて蹴り落とされたのを理解したのは地面に叩きつけられる直前だった。
さすがに走馬灯を見た。
おごってもらって食べたファーストフードとか。
パイナップルを投げて遊んでたら超怒られたこととか。
姉ちゃんが料理本を熟読してた事とか。
タケと話してると必ずエロい方向に話しが折れてたりとか。
アキが料理担当の時の俺を目の仇にしてるとか。
ファーナが最後に言いたかった一言ぐらい、わかってるよっていう自分の声とか。
ボンッ――!!
痛かった。
死ぬほど痛い。放っておけば死ぬ。間違いなく死ぬ。
何処に落ちた。土煙で見えないけど多分森の中――多分このまま痛いからって寝てたらキツキに殺される。我慢して立ち上がって、林の中に逃げ込んだ。
止血をしなくちゃいけない。本当はそれをして安静が一番だ。キュア班の偉い人が言ってたんだ。間違いない。
ガサガサと草を掻き分けて大きめの木の裏に隠れた。
傷が痛い。動くたびに肉がズレて冷や汗。それ以上に危機感。涙とか鼻水とか良く分からない何かを流しながら服で縛りつけて、足早に移動した。
キツキがこっちに来ているのは分かった。
アイツは耳がいいって事は――ここでガサガサ動いても、末路は同じ。
希望は――無くなった。速さでは勝てないし、頭でも勝てないし。覚悟でも勝てない――。
そもそもなんで勝たなきゃいけないんだっけ――。
すでに意識が朦朧としてきた。視界が歪んで瞬きをしたら意識が吸い込まれそうになった。
次の瞬間の痛みに少し目を覚まして、地面に倒れた事をぼんやりと理解した所で真っ赤な何かを嘔吐して――。
「や、やめようよキツキ……
キツキ、やだよ、もう、ティア、見たくないよ……っ」
「死んだのを確認するまでやめない。お前は見て無くていい。万が一の為に離れるな。目を閉じてろ」
「こんな、血がっコウキ、し、死んじゃう……っキツキ、ねぇ、もうやめよう?」
「その為にやってるんだ」
ザッと歩みを止めたキツキ。
後ろを歩いていたラエティアもそれにつられて足を止め、前を見てしまった。
真紅ともいえるその象徴的なコートはどす黒く染まっていた。
生臭い血の吐き気を催す臭い。
叫びを上げて思わず下がったラエティアがこけて、その場で泣き出した。
戦場にはもっと酷い状態の肉片が有る。
戦火ではもっと酷い臭いがする。
それでも彼女には最も衝撃的で、最も残酷な現実だった。
「いやあああああああああぁ!!」
キツキは殺さないと思ってた。
キツキはそんなことしないって思っていた。
キツキなら絶対助けてくれるって思ってた。
信じていた。
「いやだ、よ、キツキ、なんで?!
ねぇっっキツキ、……っキツキっ!」
「――……戦争だから」
そんなの、嫌だ――!
叫んで、泣きだしたティアを抱き上げてそこから離れる。
一度も振り返らず、血の臭いに届かない場所へ。
戦場の方を振り返って人が煩くて、頭が痛いと小さくぼやいた。
「しっかしアレだなオイ。
いきなり戦争しろだなんて意味がわかんねー」
カミサマのいう事ってよくわかんねー、と背伸びをした。
カードをペラペラと裏表に返してみて首をかしげるとそれをシェイルに投げて渡した。大事に扱え、と釘を刺しながらそれを受け取って彼女は自分のバッグのホルダーの中へと仕舞いこんだ。
天から降ってきたのは今しがた。カードから話しを聞いてすぐに苦い顔をする羽目になったタケヒトはその理不尽を何処にぶつければいいやらと溜息を付いた。
「タケヒト。先に言っておくが、我々は――グラネダに付く事になる」
「へぇ。そうなのか。いいけどなんでだ?」
「我の村が国からも支援してもらっている」
「そうなのか。割と深い付き合いだったりするのかグラネダと。
あ、グラネダっていやぁコウキが居るのか。ファーナちゃんがお姫様だっけな」
「……そうだな。仕えている訳ではないが同盟だ。ワタシはグラネダに付く」
「嫌そうだな」
「ああ」
「なんでだよ? いいじゃねぇかしらねー奴と組むよりは」
「……知らない奴と組む方がまだ心配事が少なくて助かる」
「なんだよ。じゃぁあっちに付けばいいだろ?」
「――残念な事に、それはその心配事が増えるよりも嫌な事だ。我はグラネダに付く」
「そーかよ。それなら安心だ。コウキいっかなー」
「……」
あからさまに怪訝な顔をしてタケヒトを目いっぱい睨みつけると一度溜息を付いてツカツカと彼へと歩み寄って指を突きつけた。
「タケヒト。お前は決別したんだろう?」
「ん。したな」
「ならば何故アレを友と呼ぶ。
そんな事では解ってないのと同じだろう」
わかってないというか、と区切って何処を見るわけでもなく視線を逸らしてタケヒトは笑うと、指を避けるように横に逸れて両手を挙げた。
「わかってねーわけじゃねー。
まぁ、せめてアイツともう少し長く一緒に居られりゃ解った事だけどよー」
「お前が言っている意味が解らない。
お前も、あのコウキも、同じシキガミだ。
何一つ特別などではない!」
その言葉にタケヒトは一瞬気の抜けた顔をして、大爆笑を始める。そしてその笑いの端で言う。
「確かになっ! ははは!」
「な――っ! 笑うなっ我は真剣にだな!」
眉を顰めて声を少し大きくして言うシェイルにタケヒトはわるいわるいと言ってひとしきり笑って両手の平を天に向けて言う。
「ああ、変は変だがアイツは別に何でも無ぇよ。むしろキツキの方が変な奴だしな!」
「は、いや……理解に苦しむぞタケヒト……」
「簡単だぞ? 考え方の“単位”が違うんだ。そんだけ」
言って、タケヒトは手を下ろして土煙の上がる道の先を見た。幾分か距離が有るとはいえ、大勢の声や音からその激しさは容易に想像できる。
「さて――、よし、腹括るか」
先程までの浮ついた声ではなく低い声で言って息を吐く。シェイルもそれに並んで同じくその遠くを見て目を顰めた。
「……行くか」
「おう。――もうすぐ最後なんだろ?」
その問いにシェイルは眼を閉じて頷く。
「そうだ」
「そうか」
「何か思うことはあるか」
「いや。オレの担当は何も考えない事だからな」
それだけ言ってタケヒトが歩き出した。
「なんだそれは……」
それに彼女も並ぶ事にして二人並んで戦地を目指した。
「壁はいねェぞ! 終いだァ!!」
振りかぶられた大鎌を構え今までに無い覇気を見せて地を蹴る六天魔王――鎧姿とは到底思えぬ速度に目を見張る。鎌を振り上げる様は正に死神を彷彿とさせた。
対する同じ黒鎧をした王もまた退く事無く怒声を張った。
「壁が無い事を後悔させてやろう!!」
途端吹き始めた突風に押されるように走り出して距離を一気に縮める。
斬りつけに来るその一線の面に合わせて精確に拳を叩き下ろす。その攻防を二合繰り返して魔王の方から一歩大きく詰め寄って柄で顔面を叩く。
ガッ、と重い音がしたが、その柄を掴んだ国王が間髪おかずにその武器を引き寄せ大振りに左拳をぶつけた。
「があああああ!!!」
――ガゴォォォン!!
魔王の鎧が一部歪み砕け、破片が宙を舞う。
即座に武器を放し、蹴り付けると同時に直ぐ手に新しい大鎌が出現する。心象武器の利点の一つであるその消去と出現。しかしその動作もシキガミと神子同士で見れば不自然。その六天魔王を名乗るその人の動作に神子は何一つ関与していない。
本来神子が“歌う”ことによって出現する神子の心象武器のアルマは何のハンデを負わず魔王の手に存在している――。
即座につめようとしたが妙な感覚から反射的に後ろへと飛び下がる。ふっと肩元を何かが通り過ぎ、地面で破裂した。それと同時に大鎌が振られその飛翔する斬撃に直面する事になる――。
パキィ――!
破裂する金属音を立てたのはウィンドの鎧ではなかった。
「バルネロ――!」
若い国家に使えてきた古き神壁。巨人のような巨体は常人には扱えぬ巨大な槍を振るう。外見は初老の老兵。ただその動きは百戦錬磨の熟練騎士。一分の油断も隙もみせず自らを王の壁とする。
決して崩れぬその壁は、幾千の戦いに於いてただ主を守るのみに徹した最強と言われる守衛の達人の字――神壁<ハイグランダー>。
「国王! ご無事ですか!」
「馬鹿者! 下がれバルネロ!! コレは――」
「おォ――また壁か、流石に最強国家ってなァ、分厚い――!!
ははは――だ、が、なァ!! ブッ壊す!!」
大きく振りかぶって振りぬくと景色が歪むほどの斬線が生まれる。
一振りで十人を葬る攻撃。それに唯一人引くことも無く立ち向かえるのはその戦場においてハイグランダーのみである。彼はただ埃を払うかのようにそれに触れ、真下へと方向を変えた。地面を抉る斬撃をよそに巨体は槍を振り被り真っ直ぐに突き出される。それを――全く同じ動作で、魔王は真下へと突き落とした。
「ははは、何だ、ワシと同じかジイサンよ!」
「……そのようだな」
だが――、と言った魔王に風のようにバルネロの脇から現れた国王が拳を振るう。
『術式:土蜘蛛!!』
叫んで移動する足跡が彼から三歩遅れて高い土煙を上げる。視線で追いついた魔王に大きく次の一撃を叫ぶ。
『術式!!』
先行する術式行使光が雷鳴に似た青白い光を放つ。
『術式:夢中の霧<フォクス・フェリア>!!』
目の前を急に紫掛かった濃い霧が覆う。数メートル先に居た黒い甲冑の姿が見えなくなる――。狐につままれたような夢を見る。乱反射する光は人型を見せない。
「カルナディアか!!」
バルネロが怒声に近い声でその名を呼ぶ。紫煙のように煙に巻き、その姿を見失わせる術を使うその人間は彼女を於いて他に無い。
『雷神乱舞<らいじんらんぶ>!!』
ボゥ――!!
構わず放った国王ウィンドの一撃が空を切り霧を巻き込み竜巻のように巻き上がった。振り切った直後を狙って引かれた鎌を避けきれず、腕に再び切り傷を負う。慌てて一歩さがるが続け様に斬撃が飛んできて間一髪で避ける羽目になる。
「霧め――!
邪魔だああああああ!!!
術式:風 神 翔 脚!!」
ドゴォ!!
術式を叫び大地を踏みつける国王を中心に爆風に近い風が巻き起こる。ゴォと軽い地響きがなり、巻き起こる嵐のような風に霧は散る――。黒い鎧はグラネダ王の他に、彼の後ろに影一つ。
「惜しいなグラネダ王! ワシで無けりゃァ吹き飛んでたぞ――!!」
死神が大鎌を振るう。振り返ったときには銀色の刃は風を切り、命を駆る一線を引き始めていた。
「しまッ――!!」
目を見開いて、その迫る刃を見る。
「国王様!!!」
巨体も、老いも感じさせぬ動きで神壁<ハイグランダー>は神速の転機を見せた。その大鎌と国王の間へ身体を滑り込ませ、槍を構える。
『邪魔だ、退けェェぇえええ!!!』
『退かぬ!!!』
ドォォンッッ!!!
土煙と空気の破裂。武器の柄を合わせ互いが一歩も引くことも無く神壁と魔王が対立する。王を守るガーディアンはそのシキガミに対して唯一対等。正に神の壁に等しい姿である。
一対一の対立であれば、正に山の如く佇む難攻不落のガーディアンだった。その山を前に、歪に表情を歪ませ歓喜する六天魔王はまた異端である。
「蛇! 狐!」
鎌を振りぬき、一歩引きながら魔王が言う。ざっと土を蹴って黒騎士二人が動き出す。
『術式:蛇縛の棘<ヴィーンカ・アグニス>!!!』
『術式:幻影の雨<イマギン・インベル>!!!』
戦場は息をつかせぬ攻防が続く。周囲を圧倒するその攻防もまた至る場所に置いて起きていた。その戦禍の中心であるこの場所では―――さらに凄まじい。
蛇腹剣は鞭を象り、相手へと絡みつく。的確に振られた剣先は鎧に突き刺さって壁を苦痛の声を吐かせた――その続け様。ザァっとむせ返るように発生した霧が十人の黒鎧の騎士を見せる。身動きが取れなくなったバルネロにその全員が同時にハルバートを振るう。
「アルゼマイン!! カルナディア!! 目を覚ませ!!」
「――」
反応は返らず、ハルバートの一撃はガヅッと脇腹に突き刺さる。
仕方無し、とバルネロは歯を食い縛る。
「オオオオオオオオオオオオオオ!!!」
そして空気ごと運ぶようにその巨大な槍を振りぬいた――。
突き刺さった剣先を無理矢理振るい払い、太腿を大きく裂いた。ハルバートの鍵に鎧もさらに裂かれたが、鋭い眼光を真っ直ぐに魔王に向ける。
魔王は已然薄笑いをやめず、大鎌を持って神壁に立ち向かう。それに備えバルネロも槍を構えたその瞬間――。
「バルネロ!! 上だ!!」
ドン! ドンドドドドド!!!
空から無数の黒い質量を持った何かが降り注ぐ。破裂音は甲高く、そのいくつかはアルマである鎧の上からも身体を揺らすほどの衝撃を与えてきた。相手は空でそれを受けるだけでは下に居る六天魔王の攻撃をただ受けるのみとなる。国王はそれを受け一旦逃げに徹する事になった。上からの雨のような衝撃弾とさらに横から斬撃――。満身創痍になるのに時間は掛からなかった。
『術式:虹の空壁<レイ・ド・ナスカ・マーベイル>!!!』
その攻撃を遮ったのは虹色の障壁。それが誰のものかは言わずとも二人には理解できた。
そこからはたったの一瞬の出来事。
すべての攻撃を受ける事を構わず、バルネロは手を伸ばし、六天魔王を掴む。放たれた斬撃に手甲が裂け、弾けた肉から血が噴出すがそれに動じる事無く真っ直ぐに魔王だけを掴み、押さえつけた。
抱え止め、身動きが取れない状態になった六天魔王がその手を振りほどこうと暴れるが、流石の巨躯による押さえつけは瞬時に払う事が出来なかった。
「魔王様!!!」
魔女が叫ぶ。初めて緊迫したような、慌てた声を出した。
「国王様!!!」
「応!!!
術式:雷 神!!」
パチィ!! 雷鳴が再び閃光を迸らせる。
ギチギチと力を篭めた左腕が欠けた鎧の破片を飛ばす。
「乱 舞!!!」
――ドッッ!!!
純粋な破壊をするその攻撃は、魔王の黒鎧の胸を突き抜ける。
すべての衝撃をその一部分に集め心の臓を潰す理想的な破壊を行った攻撃だった。
六天魔王は――真っ赤な血を吐いて――
パラパラとガラスのように砕けた。
/ メール