第158話『奇跡を願う』
「コウキさんはわたし達が連れて行きます!」
アキの声がした。
普段からは考えられないほどの剣幕で声を張っている。
「こっちです!」
ヴァンだ。
そのまま援護隊を回して指揮している。
「何やってんだ大将!」
「即席担架作るよ! みんな手ェ貸して!」
傭兵の人たちがバサバサと慣れた手つきで布を固めて、簡単な担架になった。それに乗せられて戦場を渡る。
目の前がチカチカする。コントラストの強い焼けた世界が瞬きする毎にかわって見える。目を開けたくないが閉じているのも恐い。一度目を閉じるとブルーの強く入った懐かしい色の世界になって徐々に青から光を失っていくような経験を体験している。それは――壱神幸輝の死だったのだけど。
タケとタケの神子さんに助けてもらった。後で礼を言わないと。キツキは相変わらず。ティアも可哀想だ。
どうしてこうなったんだっけ。俺達は戦わなきゃいけないシメイだから?
アイツがそう結論付けたのは、俺達が守るべき人たちって言うのが居てその人たちを守る為にそうしたんだろうか。なんだいい奴じゃないかキツキめ。
まぁそんなイイ奴過ぎたそいつの攻撃にはもう迷いが無い。ああ、カッコイイな。だから弱くて無防備な神子は安堵する事ができる。
当の俺は。
「はぁ……! ぅぁ……!」
呼吸はまとまらなくて、呼吸をしても足りない気がした。喉が焼けるように熱かったがそれでも空気を、水を欲しがる。
焼けるような傷の痛みがやっと凝固してきた血が傷を固めて更に血を求めている。
「しっかりしてくださいコウキさん……!」
アキの声がした。担架で運ばれているのは分かったが、それ以外の状態は不明だ。見ると担架を担いでくれているのが傭兵の人。アキは並走して道の指示や援護をしている。
いっぺん気絶したからか、痛みが酷い。傷の酷さを再認識した。貫通してるから押さえ切れないし、抑えても血は出続けるし……。
痛さに喘いでいながら、何となく、あの時に一番近い。
「痛ぇ……! も、……。あはは。やべぇ……!」
笑えた。死が近いと言うのは分かる。
「死んじゃだめです!! わたしを生かしておいて自分だけ死ぬなんてずるいじゃないですか!」
アキが本気で怒っている。だんだんモノが聞こえなくなってきていて、断片的だったけど、自分だけ死ぬのはずるいって言ってる。
俺だって嫌だ。ファーナの死から逃げてるみたいで、ここではもう俺は必要とされていないのが怖い。
「あはは……アレはアキが、俺の都合に、変な事するからでしょ、!」
「じゃあわたしがわたしの理由で死んでたらやら無かったんですか?」
「やった」
「じゃぁそんな言い訳聞きたくありません!
許しませんから! 後でちゃんと叱りますから!
生きてください!!」
恐いと思える声で怒鳴りつけて、尚もみんな足を止めない。
「わたし達は守られて来たんです!
わたし達もコウキさんを守りますから!」
その怒りは今嬉しいと感じる。
痛いけど、ちょっと笑えた。
「うわぁ……楽しみにしとくよ……。
ちょっとイイ感じに、空気が吸える、呼吸法、しらない?」
「吸って吸って吐いてー!」
「ひっひっふー! 生まれちゃうっ!」
「生みの苦しみを知ることが出来るだなんてコウキさん凄い!」
「そう……俺が新しい世界に生まれる為の……ぐはっ」
「コウキさん! ここで死んじゃうのは危ないです! いろんな意味で!」
「うーん……」
死ぬ間際も割りと元気だ。二度目ながらも自分に笑う。
「着いたぞ!」
ひと際大きなアルベントの声がした。アルベントの指揮の声は遠くに居ても聞こえる。ずっと先頭に居たのは声で分かった。
城門近くに行くと、脇の小扉から怪我人を受け入れているようだった。小隊は一端街中へ避難する事で、
「急患です! 手当てをお願いします!!」
アキが言うと近くに居たキュア班の人が走りよってくる。その人たちもすでに疲れている顔をしていた。俺以外にも沢山の人たちが並べられている。
印象的なのは番号札だろうか。順番に処理されているらしい。遠くには白い布を被せられている列も見えた。
コントラストの強い俺の目に、その白い布は些か眩しかった。
「腹部裂傷、貫通してますね……この血の量でよく此処まで」
「も……寝ていい、かな……」
視界がもやっとする。瞬きをすると、どんどん目が開けなくなってくる。酷い眠気のせいだ。
「だめです!」
「あはは、寝て起きたら治ってるって……」
睡眠に対する欲求のように静かに襲われる。かつて、壱神幸輝が終わった日を考えれば、それも笑いごとみたいに嘘なのだけれど。
「寝て起きたら此処じゃないですよ!」
「ダメです……私達には、どうにもできません……」
キュア班の人が俺の腹部に手をやっていた。
「そ、そんな!」
「キュアが効かないんです……。極端に体力が低下していると、キュアをかけても細胞の活性化が起きないんです……! 自然治癒で有る程度回復してからなら……」
「ふざけるな! なんとかしろ!!」
アルベントが大声を上げると、ひっ、とその人が後ずさる。
「そ、そんな……っ! できないから言ってるんですっ」
キュア班の人が声を大きくして言う。
「手術を行おうにも、此処にはもう輸血用の血が無いんです!
こんなに大きな戦いになるなんて誰も思ってなかったんですよ……!」
これがファーナを失った代償としていいのだろうか。アルベントが巨躯を震えさせて激昂しながらキュア班の人に掴みかかった。
それを慌てて傭兵の人たちが止めて、5人がかりで下がらせた。
「お前らそれでも医者か!」
「いいよ、アルベント」
「だがコウキ!」
「キュア班の、人を、怒ったって、傷は、治んな、いんだろ? じゃぁ、いいよ。ありがと」
「ぐっ……!」
「き、キュア班の人、は神様じゃない、から。できない、ものは、できないよ。
即効薬、自分で、大量に吹いたら、けほっ、治るかなぁ。でも、あれ、表面だけなんだっけ」
常に痛みはついてくるものだ。
ファーナを失った事に等価だというのなら死の近さにも納得する。
「そんな……! そんなのって、無いじゃないですか……っ
コウキさんは、死んでた人を生き返らせるようなことができるのに、わたしたちには出来ない……!
こんなところで死なれたら無力を押し付けられて虚しいだけじゃないですか……!」
此処まで来て、という皆の無念。アルベントも口を紡いで拳を握る。
色々考えをめぐらしてみたが俺にもどうすればいいか何てもう分らない。せめてアルベントが暴れないよう抑えるばかりだ。
そういえばヴァンが見当たらないような。さっきまでパキパキ氷の壁が出てたのに。
「……退きなさい」
「えっ?」
虚ろな意識の中で誰かが俺に触れるのが分った。
頑張って目を開けると顔は俺のところからは良く見えないが金色で顔が半分隠れるほど前髪が長い。ちらりと見えた瞳は青かった。
「……コレは酷いな。もうすぐで輪切りじゃないか」
脊椎神経まで来てなくて良かったな、と言ってから、何かをやりはじめた。
「……さて、いい場所じゃないが緊急だ。だが言っておく十中八九、もはやこれはただの応急手当だ。……傷口を繋ごう」
「そんな……」
淡々と手持ちのアタッシュケースから治療道具を取り出す。注射や聴音器、糸やメス。キュアが蔓延っている世界では珍しいと思った。
「……気休めなど言わないぞ。言ったところでどうにもならん。生きたければ根性で生きろ」
「あはっは! けほっ! やっぱ、そんなもん、かな」
「……そんなものだ」
ちくちくとした痛みがあったがそれが傷を縫合する物だとは気づかなかった。
気づけば。綺麗に傷は繋がれていて、少し驚いた。
「……さて、私にできるのは此処までだ。すまないな少年」
「いや、ありがとう」
「……ああ」
口数の少なそうな人だ。お礼をいうと、悲しそうな顔で少しだけ微笑んだ。
「ロード」
終わったところで今度はヴァンが来たのが見えた。その医者をロードと呼んだ。
彼女はそれに応えるように立ち上がって彼を見る。
「……終わったぞヴァンツェ」
「ええ。ありがとう御座います神医<アンサラー>」
「……よしてくれ。私は神じゃない。
答えなんかくれてやれないよ……」
すくっと立ち上がってロードと呼ばれたその人は俺を見下ろした。
俺も立とうと思って上体を起こした。
「……多少長く生きれるようになった」
「そうですか」
ヴァンが眼を閉じて頷いた。
「……苦しむならば、手を差し出さぬほうが良い事もあるのだぞ?」
「そうでしょうか? 少なくともコウキはそうは見えませんが」
家の石垣を背にずるずると立ち上がった。なんとか頭を上げると、貧血で視界が曇った。それをゆっくりと息を吐いて回復を待つと、皆が日に当たって険しい顔をしてこちらを見ていた。
「みんな、わりぃ、作戦失敗だ。危ないから、逃げて。こっから、先の、戦争は、各自判断、任せる。治ったら、俺出るし」
精一杯笑ってみせた。
冗談だけど、誰も笑ってはくれない。
「大将……」
「ノヴァは居ない?
は、まぁ、強いから、大丈夫、か。アルベント。ありがとな」
「コウキ……」
「はは、イチガミ隊は、解散――わりぃ、みんな、アリガト」
最後の挨拶。コレでいいかは分らないが俺からできる事はおわった。
誰も笑わなかった。どうせなら、成功して、皆で酒場で乾杯でもしながらなら、とても楽しかったに違いない。
もっともコレが――最悪の終わり方ではあったけれど。
「そんな、最後みたいな、言い方っダメですよ、コウキさん……!」
ずるっと視界が傾いて俺は壁沿いにゆっくりと横になる。
何言ってんだよ。俺だって流石に今は生きてるので精一杯だよ。
言葉にしようとしたけど。
本当に、今は呼吸をするのが精一杯だった。
「コウキさん……?」
アキがちょっとだけしゃがんで、俺の手に触れた。でも喋れない。なぜかは分らないけど、涙出てきた。
喋れない。死ぬ。
耳鳴りが酷くなってきて、雑音とか声とかも聞こえなくなった。アキが叫んでいるようだったけど、聞こえなかった。
コウキさんが隊の解散の宣言をして。誰もそこから立ち去らなかった。コウキさんは力なく壁に血の跡を残してずるずると倒れる。
最後みたいだからやめてくれ、と言ったけれど、曖昧に笑って呼吸を荒くしていくだけだった。
流れたのは絶望感。わたしも言葉を失った。
「カゥ!」
「な、なんだ!?」
「犬か?」
金色毛並みのカーバンクル。間違いなくルーメンだ。コウキさんの前をうろうろと歩いてペロペロと頬を舐めた。
「え……? る、ルーちゃん……?」
ファーナを追いかけていって、それからの動向は知らないが此処まで良く戻って来たと思う。ルーちゃんはちゃんと帰ってきた。
「キュゥクゥー」
わたしの方によって着たルーちゃんを抱き上げてぎゅうっと抱きしめた。
「……でも、コウキさんは……っ」
「カゥ……」
「……わたしにはもう、どうすることも……っ」
ルーメンは苦しそうながらも、抱かれるがままである。
「ファーナも……!
コウキさんまで居なくなったらわたしっ……!」
涙が零れる。情けない自分は嫌いだ。でもいつもあの二人に泣かされるわたしは泣き虫で弱い。守られてるのが嬉しい。守れる事もまた嬉しい。わたしがあの村を出た意味もここまで二人についてきた意味も、全部それは二人が居てくれたから。
泣く事笑う事怒る事そして楽しい事全て、みんなでやってきた。
親友と呼べるわたしの大切な二人をわたしはなんの成す術も無く失ってしまうのが本当に悲しい……!
誰か。誰か助けてください。命を懸けて助けられるのならばいくらでも。この人には出来てわたしには出来ないのはひどいじゃないですか。
ぽん、ぽん。
頭に手が乗った。
コウキさんが、笑った。
ズルっと、力なく、手が、落ちた。
「あ、あああ」
まって。待って……!
考える時間を。せめて何か手を打つ時間を。戦場にそんなものは無いと、最善を叩き込まれたけれど。わたしはその中の最善を尽くしてしまっていた。
「いやです、ああ、コウキさ……!」
わたしは本当に。
貴方に何も返せないまま。
これじゃ……、こんなのじゃ。
あの時からわたしは全然成長なんかしていない……!
ポタポタと涙を流しながら、ルーちゃんを抱いて祈る。きっと今あのペンダントがあれば。それに応えてくれた。
あれだってわたしの力ではないのだけれど。今になって堪らなく惜しいと思った。
自然治癒に任せればよかったモノは多かった。それでも使ってしまっていたのはわたしの甘えだろう。それを頼られたことを自分が頼られた事と同じとしたわたしの驕りだろう。
どうやったら、わたしは二人を守る事が出来たんだろう。
どうやったら、此処から救うことが出来るんだろう。
きっと、貴方ならばと思うけれど。
此処に居るのはわたしでしかないから。
奇跡を、と願うのである。
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