第159話『死地で輝く』


 熾烈を極める戦争も、佳境を迎えていた。

『グラネダは士気が劣勢ですね』
『そうだな。死者も双方膨れてきた』
『英雄が死にますね』
『そうだな』

 淡々と受け答えをする戦女神。目の前の光景は、惨状と導きの光に溢れている。
 戦女神は勇敢な死者を引き上げ笑っている。
 その中で――ただその二人。取り残されたかのように戦場を見る。

『……――何故』

 オルドヴァイユは重苦しい口を開く。

『なんだ』
『何故貴女が迎えに行かない……!』

『……』
『貴女が手塩をかけて育てたのでしょう!?
 貴女が最強を謳った英雄でしょう!?
 貴女はイチガミコウキに何をさせたかった!?』

 戦場に何を見ているのか。ラジュエラは遠く城を一度だけ振り返ったがすぐに首を振ってオルドヴァイユに向き直った。
 怒声と少しだけ眉を顰めていたオルドヴァイユがその顔をみてさらに皺を深めた。

『……何も』
『……は』
『何も。だ。
 それに我等が迎えに行くべきは、戦場で戦意に満ちたまま、死に行く者だ。

 オルドヴァイユ――、戦女神は死を啄むカラスではない。

 英雄を刃の前へ進ませる悪魔だ。
 朽ちて尚、死んで尚。進もうとする崇高な魂を連れて行く死神だ。

 故に我等の……いや我の最強とはな――』

 オルドヴァイユは驚いた。
 そんな表情をする彼女を見たことが無いと。
 そしてその表情が意味する事。その意味もまた彼女に衝撃をもたらしていた。

 不安げな少女のようにも見える、儚い笑みを湛え戦女神ラジュエラが微笑む。

『希望する事を。
 折れる事を。
 それでも立ち上がる事を。

 それを――やめぬ者だ』






 考えて。考えて――わたし。
 イチガミ・コウキがやってきたこと。それは仲間で有るわたし達を入れての最善最良。頭が良いっていう印象は失礼だが全く無いのだけれど、彼の人の使い方の上手さというのは群を抜いている。
 それは割り切りが上手いということ。事の外戦いというのはその割り切りの上手さが抜群の効果を発揮する。

 そして。わたし達には選択を残した。
 わたし達は“戦う”事もできるし“逃げる”事もできる。この戦争は無関係な人たちにその選択を置いて行った。それは彼の優しさだろうか。わたしはそう思うのだけれど。

 最善を尽くしてそれが終わったのならば次を探す。提案する。

 あの時と変われない。そんなのは嫌だし、連れ出してくれた彼に申し訳が立たない。

 だったらわたしは――成長しない事はもうやめる。

「コウキさん……」
 今は飲み込んだ振りをする。
 強くなれれば、もっと簡単に納得できるだろうと期待して。

「わたしは。
 戦場へ戻ります……この戦いを見届けます」

 わたしには意志が宿っている。それは赤色の情熱と金色の秩序。わたしが最初に参加したこのグラネダの戦いをわたしは見届ける。
 ――最後まで、戦場に立ち続ける者となる。

「……わたしは――竜士になります」

 勝手な妄想を言えば、みんなでなってしまえればよかった。
 ファーナもコウキさんもヴァンさんも。巻き込んでしまえと。ちょっと考えた事もあった。
 それはとても楽しい妄想で、毎日皆で美味しいものを食べて、コウキさんとフライパンを取り合って、ファーナに料理を教えてあげて、ヴァンさんに皆で世界を習って、誰も知らない場所を歩いて。
 日々、わたし達の歩いてきた道が理想だった。

「出来れば……」

 そう、ほんの、小さな希望である。

「見届けてもらいたかった……!」

 弱虫なのはきっと皆に知られている。女の子だからってきっと甘やかされている。
 違う。世界はこんなにも痛いことで溢れていて、わたしの代わりにその刃を受ける人だっていた。
 わたしのように泣いている人なんか此処には居ない。それはわたしが戦うものの中で一番弱いと言う事だ。

「もっと強くなります。もっと賢くなります。
 もっと……! ちゃんと……!
 守れるようになりますから……!!」

 溢れるのは決意と言葉。
 守られていて見えなかったわたしの有るべき姿がみえた。ほらわたしは守られてた。だから弱いままだった。だから戦舞姫<スピリオッド>に似ても似つかぬ弱さだった。

 まだ溢れる弱さは頬を伝う。
 それを誤魔化す事ができたら――戦場へ赴く事。

 それが。アキ・リーテライヌが選んだ道です。

 医者に診せても駄目だった。わたしに出来る治療は無い。
 この時点で、――イチガミコウキの命を諦めざるを得なかった。後は奇跡を願う以外手段は無いのだから。
 それでもコウキさんはただ道を標した。
 ただ先へわたしたちが迷わないようにその道を教えた。
 死ぬのならばその導となる。最後まで誰かを想うその姿には敬意すら覚える。
 わたしが返せるものはただ彼に教えてもらった事をわたしが実行するだけである。成長だともいえるのだけれど、それはもっと長い時間かかけて成果に変わる。だからこの言葉を今更言ってしまう自分を恥ずかしいと思うけれど。でも歩く事を止めてしまうのは彼への恩返しにはならない。その言葉にすら報いる事が出来ないのならわたしには一緒に歩いてくる価値も無かったんだと思う。
 それほど。それほどまでにイチガミコウキの命を貴いと思った。
 彼を死なせてしまう事がどれだけわたしが無力なのかを思い知らせてくれる。

 死に行く彼にあげられるものはわたしが誓う言葉だけ――。

 だからこそ、弱さがまだ頬を流れ落ちる。


 ボタッ
 ――ィンッ!

「えっ……!?」
「カゥッ?」

 キラリと。その赤い宝石が光を持つ。
 ルーちゃんの額の宝石がフワフワと淡い光りを持った。ルーちゃん自体も額が気になるのか上を見ようとしてわたしと目が合った。
 ちょっと驚いてぱっとルーちゃんを放すと、スタッと着地して自分を見たいのかグルグルと尻尾を追いかけるように回った。そして見えないことに気付いて諦めたのかその顔をこちらに向けて不思議そうな顔をした。
「キュゥー……?」
「る、ルーちゃん、それ――」

 この、光は。
 ペンダントと同じだ――。

 でも。光を持っているだけ。何が起きたという訳でもなく。
 ただわたしに問いかけるように、光った。

「ルーちゃん……」
「キュー」
「……お願いが有るの」
「……カゥ?」
「……ちょっとだけ力を貸して欲しいんです。
 ちゃんと、返しますから。わたしの何が代償でも構わないから」

 しゃがみ込んで、その宝石にゆっくりと手を伸ばした。

「助けてください――」

 荒むこの地に癒しを。
 それを守る為に、わたしは竜士になります。
 安らかな笑みを。
 それを作る為に、わたしがどんな事でも成します。

 わたしの。世界の幸せを作るためにそう成ることを。誓います。


 ィィィ――――!!
 懐かしい――清々しい光だった。すべてが真っ白に染まって、それでも不安を感じない暖かさも有る。眩しさに眼を閉じて光が収まってゆっくりと目を開くと、フワフワとした暖かな白い光がいくつも傷へ集まって、そよ風が吹きぬけるようにふわりと消えた。
 それはわたしも其処に居たみんなも同じで、驚き、そして不思議を感じた。


 そしてわたしは。奇跡と出会う。


「……は……ふぅ……ん?」

 むくっと起き上がるコウキさん。
 血も出ていない。ついでに服も修繕された。

「お? んー……おー……」

 ぺたぺたと体を触って、手をギュッと握ったりパーにしたり。目元をごしごしと擦って、立ち上がると「んーっ」と声を溜めながら背を伸ばした。
 驚いて声も出ない。

 そしてすぅぅっと大きく息を吸って大きく笑った――!

「うおああああ治ったああああ!! よくわかんないけど! 
 治ったあああ!!」


『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』


 傭兵の人たちが拳を上げて叫んだ。
 更にその雄たけびは此処だけにとどまらなかった。
 実にキュア班看護領域全土。
 その範囲で“奇跡”が起きた――。


「うぁ……! よかった!」

「ほらー泣かない泣かない」
 決意した先で、また泣かされてしまう。弱いわたしのまま。
「コウキさんが……! 悪いんです! うあっ……! よかった……!」
 ぼろぼろ泣いた。コウキさんが何とかして泣き止まそうとしてくるのでもっと泣いた。最後にはよしよしと抱き込まれて、子供のように頭をなでられた。

 嫌だ、嫌だけど……その弱さも……今の道と成ったのならば……!!

 こんなにも嬉しい……!

「大将女泣かせだなぁオイ!」
「ちょっとー! ウチの子が泣き虫だからって虐めないで頂戴っ! 訴えるわよ!」
 いつも通りのコウキさんだ。意味は良く分からないけど安心して少し笑えた。
「泣かせたのあんただろ」
「モンスターペアレント攻撃が通じないなんて……くっ。
 そう……俺が真犯人だ!」

 カッと親指で自分を指してアピールするが、ゲラゲラと傭兵の人たちを無駄に笑わせるだけだ。そんな事でも彼は嬉しそうに笑うのだけれど。
 いつだってすぐに笑おうとするのだ。



 歓声のなか銀のエルフはその光景をみて小さく笑っていた。
「――はははは、本当に私を驚かせる――!
 貴方が生かし、繋いできた道は貴方を生かし、貴方を進ませる――!
 小さな奇跡を集めて大きな奇跡を生む。
 勇者を集めて英雄を生む。
 だから希望してしまうのです……!
 貴方なら先に辿り着くのではないかと――!
 この絶望の先に希望を魅せてくれるのではないのかと――!」

 だから、貴方と共に歩もうと言う人はこんなにも脆くも、強い者が多い。
 貴方のその進むべく力に焦がれ。
 生み出すべく力の在り方は――

 人の王の如く――。

 それを言ってもきっと彼は、謙遜して嫌がるのだろう。小さく纏まることを望むのだろう。
 それでもここに於いて最も人を集めるのは貴方しかいない。故にこの奇跡を――好機と見る。

「……文字通り奇跡だな……」
 少しだけ掠れがかった声。声はあまり大きくは無いが、強さと意志を感じさせる。
 彼女が驚きを見せるのは珍しい事だった。余り表情には出ていないのだけれど、まぶしいと目を細めた。
「ええ。貴女が繋いだんですよ。やはり貴女を呼んで正解だった」
「……たまたまだ。私など」
「はは、そうでしょうか。
 そうかもしれません。彼は……いえ、彼女も。恐ろしいほど呼び込みますから」
「……知っていたのか?」
「いいえ」
「……不可解だ……是非解剖したい」
「中身はもう見たでしょう。恐らく普通です」
「……残念だ。生命の神秘にはまだ遠く及ばない」
「それにしても涙とあの石でこうもなりますか」
「……カーバンクルの石に涙? 当然試したがこのような反応は無かったよ」
「そうですか」
「……もしかしたら、これが願いなのかもな。
 あの子もあのカーバンクルも、あの少年を慕っているのだろう?」
「ふむ……そうですね」

 ヴァンツェは腕を組んで息をつくと、空を見上げた。

「さながら、あのペンダントの名前は命の結晶<ドラゴン・ハート>。
 そしてあの子の奇跡は――」

 竜の子であるが彼女は竜ではない。ただただ一人の弱い乙女であった。
 しかしより強い願いを持っている。より輝く想いがある。
 叶わぬものは無いと信じたか。彼に魅せられたその生き方を想い願った。

「乙女の願い<ブライト・ハート>」

 輝ける願いにその名を与える。
 神の言葉を預かる者として、そして偉業を成した彼女への賛美である。

「想いが成した奇跡です。
 初めて見ました。大怪我を瞬時に直せる事は、怪我による死の危険を大いに無くせるのです。
 彼女の母親は、それを不死に最も近い幸福としました。
 あなたの持っていたペンダントも、誰かの命の上に作られたもの。
 あなた達はそれを犠牲を出さず、生きたままやってくれました」

 かのペンダント、命の結晶<ドラゴン・ハート>は幾人もの鮮血を飲ませ作り上げたものだ。
 彼女に託されたそれは緩やかに人を助け、そして砕けた。
 あの石の最も幸せな末路だと思える。

「キュア班の皆様。決して努力を怠らなければそこにいち早く辿り着ける存在は貴方達です。
 今でこそ奇跡ですが、貴方達が技術に変える。
 そうすれば。この惨状を。救うことができる。
 手を止めないでください。

 ――ロード。貴女も。この瞬間に立ち会ったのです」

 小さくため息をついてロードは肯いた。 

「……わかっている。
 ……あの純粋さには目が眩む様だよ」
「私もです」
「……できるだろうか」
「目の当たりにしたではありませんか。奇しくもあの人の子です」
「……通りで似ているわけだ」
「あとは貴女が応えるべきでしょう? 神医<アンサラー>」
「……その名前はやめてくれと言うのに」
「ロード。道であると。ならば此処の皆を貴女が導いてください」

 彼女はもう何も言わず、ただ肯いた。
 それを見届けてヴァンツェも肯くと深く一礼をして、次の患者が届けられ手来る方をみた。
 此処で回復したからと言ってまだまだキュア班の仕事が無くなったわけではない。

「……さぁ、持ち場に戻れ。次が来る。
 戦場に戻る者はもう返って来るなよ。キュアによる治療は難しい」

 静かな声が通る。思い出したかのように次の受け入れを始めてキュア班は動き出した。
 それだけを見届けて、ヴァンツェは歩き出す。

「さぁ行きましょう。コウキ」
「おっけーぶいぶいだよ! なっ!」
 アキの顔をギュッと親指で大きく拭ってぐるっとヴァンツェに向ける。
 そこに涙の跡こそあれど、凛々しく前を見る彼女の瞳があった。
「……はいっ!」
 その姿に――かのスピリオッドが重なって懐かしくも思えた。
「では」

「カゥ! キュゥークゥ!」
 もふもふと身体をこすり付けてルーメンがコウキの足元を動く。
「えっ? おーっ!
 ルー! よーしよしよし。もぐっ」
「ちょっ! 食べないでコウキさん! ルーちゃん食べないで!」

「キュー!」
「あはは! こうやったら仲良くなれるって聞いたんだけどなぁ。
 毛がっぺっぺっ」
「自業自得じゃないですか……まったく、もー」
 アキが甲斐甲斐しく世話を始めるとまた外野に茶化される。
 笑って、恥ずかしがって、怒って。既に感情に満ちた暖かな場所になっていた。

「コウキ」
 ライオンの顔をもつ巨躯がコウキの前に立った。
「よっアルベント! 戻るけど準備はいい?」
 それに拳を突き上げるように上げた。
 少し考えるような間が合ったが、アルベントはもう何も言うまいと括って、拳をあわせた。
「……ああ。貴公と共に奇跡を見よう」
 幾人もの死をみて。何度も死に掛けて尚。
 変わらぬその人ならば信じる事ができる。

 それを信じて間違いじゃなかったと、安堵する。


 コウキはルーメンを下ろすとパンパンと手を叩いて腰に当てた。
 皆を見回して、誰もかけていないことに頷く。
「よし、みんな! 城門だ! 城門前に集合!」

「門?」
 傭兵の一人が首を傾げる。出入りするなら城門ではなく脇の小門だ。あそこはいつでも潰せるようになっていて、実は通るのが少し億劫だ。
「なんかルーメンが来いって言ってたんだよ」

「大将……もうちょっと寝てたほうが……」
「ち、違うよ! そんな可哀想な感じじゃないよ!」
 ビシィっと突っ込みを入れるが視線が冷ややかである。どうも自分以外に聞こえないとは不便で誰にも信用してもらえないのである。
 がやがやとやり取りする人たちに、たちまち笑いが耐え切れなくなる者が一人。

「ふふふ、ははははは!
 さぁ! 傭兵皆様!
 守るべきは約束を果たしましょう!
 結末を迎えるまで、この戦いを否定はさせません!
 貴方達のやって来た事は何一つ無ではなかった――!
 どん底からひっくり返しましょう。その時点で盤上に無かったものは後から来るものです!
 勇者諸君!
 奇跡の続きを見に行きましょう!」

『おおおおおおおおおおおお!!!』

 そのヴァンツェの蜂起を見て、さすが、と笑った後、彼は歩き出す。
 バスッと皆に背中を叩かれたけれど、その意味を履き違えたままとりあえず笑って進み出した。

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