第165話『炎に喚ばれ』


「ガラス……?」
 砕けた六天魔王の姿をみて、王妃が呟く。キラキラと散って行ったあれはガラス。
「チィ……倒した気がしねぇ」
 国王は拳を握りなおして魔女に向けた。
「今のはなんだ!?」
 魔女がクスクスと笑ってふわりとまた浮いた。
「魔王様の、偽者です。魔王様が前に出るなんて本当は無い事ですよ」
「やはりか……!」
 ギリッと拳が鳴る。これだけ苦戦して拳は全くあの魔王に届いていないと知らされると改めて悔しさがある。
「残念でしたね」
 神経を逆なでするように魔女はその心境に対して労うような言葉を放つ。
「全くだよ」
「では、ご褒美に、もう一度戦う権利を上げましょうか」
 左手を横に広げてグッと拳を握った。
「本物なら歓迎だがね」
「あら。偽者でも素敵ですのに」
「お前の感想なんざ聞いてない」
 国王は言うと全速力で魔女の元へ駆け出す。ブワッと風が渦巻いて彼を押し出すように舞い上がる。しかしその直後。

「王妃様!!」

 バルネロが叫び、国王が足を止め振りかえる。黒騎士の猛攻が彼女に対して始まっていた。
 カルナディアが目をくらまし、アルゼが鞭を振るう。彼女を守りに入った一団が次々と倒されて行った。
「クソ! やってくれたな……!」
 一度彼女を睨んですぐさま標的を切り替えて、魔女から遠のく。
「まぁ魔王様が居なくとも此処はもう用済みですね……さて」
 魔女はその姿を見届けてクスクスと笑った後またフッと姿を消した。



 法術障壁には法術以外の耐性が弱い。物理障壁として使用しても矢を止められる程度で剣を振られるとすぐに壊れる。また属性を得ない障壁は逆の理を持っており、使い勝手が難しいものである。
「くぅ……!」
 王妃は苦痛の声を漏らす。目の前の兵は見る見るうちに減っていき、相手の位置は掴めない。これほどの戦力が敵に回ってしまった事が悔やまれる事とともに自らの危機を強く感じる。

「いかに己が意志が無かろうと――!」

 不意に割り入って来た巨躯に霧が踊る。その身体に阻まれて、剣が跳ね返る甲高い音がした。戦場で圧倒的な身体の大きさを持ちながら動きに無駄は無く、不動の壁として名高い騎士総隊長バルネロ。足の怪我を省みず、自らが守るべきものの為の壁と成る――。

「王に剣を向ける事は許されぬ!!」

 怒声が響き地面ごと抉り取るような勢いの槍が霧を裂いた。火花が散り、靄の中が雷雲のように光る。シャン、と響く丁寧な蛇腹の音はアルゼマインだろう。非常に扱い難い剣は相手に対して不意を突けるが扱う方も特性のハンデを負う事になる。アルゼマインは必ず鞭の形状から剣に戻す際に剣を下に向けておかなくてはいけない。秒もせずに剣の形を取るが姿勢が在る程度限定されてしまう。ましてその癖を騎士総隊長であるその人が知らぬわけも無い。
 霧の向こう、その影すら危ういその中で狙いを定めて槍を振るう。
 バルネロの豪槍は黒い騎士を捕らえた。金属音の後に肉を裂く感触が伝わってくる。確かな感触だったが油断は出来ないため一度呼吸を整える為に槍を引く。

 途端、霧が消える。

 途端に晴れた視界に、皆が一様に驚く。
 バルネロが斬ったのはアルゼマインではない。

「カルナディア――!?」

 蹲って腕を押さえるのはカルナディア。そして――

「バルネロ!! 上だ!!」

 蛇腹剣だけの殺傷能力は鎧を凌ぐ事は無い。ましてや神壁を名乗るバルネロに対してはもっての他である。鎧でない部分に対して当てていくことにより相手の体力を奪うモノだ。
 バルネロの鎧は引き剥がされた事により足に大きな亀裂が在る。自身の重さと剣の強度によって出来たもの。自分の育ててきた騎士達に負わされた久しい傷はこの戦場の激しさを思わせる。
 自分を傷つけることの出来る人材がこの軍に居る事は良い事だ。一対一でなくとも、協力していけると信じていた人間である。

「こんな形で――お前達を」

 グラネダの未来を担っていく人間を――。

「失ってしまうわけにはいかん……!」

 ズガッッ!!

 思ったよりも速いスピードで振ってきた黒い騎士に深く足が貫かれる。
「ぐ……!」
 二十数年ぶりに戦場で膝を付いた。が、槍の柄をその黒騎士に向かって振りぬく。激しい金属音と共に、身体が浮き上がる。

「おおおおおおおおお!!!」

 ガァアアンッッ!!
 その状態に鉄拳が降る――グルっと身体をライフル回転させながらアルゼの身体が地面を滑った。相も変わらず出鱈目な方である。
「押さえ込め!! 逃がすな!! バルネロ大丈夫か!?」
「なんのこれしき」
 そう言って彼は剣を抜かず立って見せる。逆に今剣を抜く事は死ぬ事になるからだ。
「剣が突き刺さってる状態でよくそんな事言えるな……」
「戦場の傷は男の勲章ですぞ。この程度キュア班にいけばすぐです」
「ハッ。さすが総隊長だ――さて」
 アルゼマインは沈黙。そしてカルナディアも押さえ込まれている。
「思ったより早く片付いたな」
「ロザリアの事です。遅刻はせぬでしょう」
「だといいが、少し下がる。前線にこのまま第一隊を残すが私達は戻ろう」
 最前線を作っている第一隊の背でその会話をする。砕けた拳と貫かれた壁――そもそも大げさだと笑ったこともある。だがしかし、それは二十年という歳月の中では実在する伝説だった。そして今新しい力がそこに届こうとしている。
「……承知しました。
 第一隊! このまま前線を――!?」


 突如、敵の城の目前に大きな術陣が現れ始めた。一つ大きな円を中心に幾つも円が重なっていく。法術に疎くとも、その危険性は分かる。バルネロの激励は前線からの撤退命令に変わった。降りていた翼人兵達は一斉に飛び上がる。
「引けぇぇえええ!!」
 騎士団詠唱の法術壁を作るには人数が足りない。
 規模を考えるに単に個人で壁を作っても意味は無いだろう。
「国王!! 王妃を連れて撤退を!」
「アリー!!」
「は、はいっ! しかし壁を……!」
「範囲が広すぎます!! 私達を背に真っ直ぐ撤退を!」

 戦場が混乱する。中央に寄せられていた陣営が一気に左右へと散ろうとする。
 そのチャンスをみすみす逃すわけにはいかないセイン軍は一気にその術式を完成させた。その術陣の満ちた光が戦場まで届く。
 そして戦場にその光が満ちた――。





 戦況は混戦を極めていた。数で勝るはずのグラネダ軍は空からの攻撃に翻弄されていた。
 グラネダの地形は、国自体は崖を背にしていて非常に攻めづらい地形である。城壁は第一から第七までの七つ。半円状に門を作っていて第七門が完成した時点で世界最大の城壁を所有する国となった。同時に難攻不落の代名詞となり、攻守とも最強を欲しいままとしている。
 ただ、国の誤算としては飛行手段が確立する前に空中戦を挑まれた事である。法術という在る程度長距離を攻撃できる手段があるにせよ、その初の戦闘に翻弄される形で統制が乱れている。
 苦戦を強いられては居るが、グラネダ軍はその数をあまり減らされていない。死者数で言えば同等で在る。総勢力戦を選んだグラネダであるがそれが空からの奇襲に対しても安定を生んでいると言えた。

 しかし、その直後に神子を寄り代とした大法術。その光は瞬く間に戦場を飲み込み、大きな被害を与えた。
 グラネダの戦況は絶望的と思われた――。
 だが奇跡は起きた。
 光を裂く焔。無傷のグラネダの国に赤い術陣の大法術詠唱。


「リージェ様だ!! リージェ様は生きておられる!!!」


 馬が走る瞬く間にその情報は戦場を駆け、神子生還の報せが兵は士気を上げる。
 グラネダ兵の号令の声が大地を揺らした。

「押し切られるな!! リージェ様は生きていらっしゃる!!
 空と言えど一人も後ろへ通すな!!
 術士隊整列! 歩兵は術士を守れ!!」

 各隊長が叫び、兵士の統制を取る。ばらけかけていた隊が隊列を整え再び連携しての攻撃が始まる。
「障壁解除! 撃てーーーーー!!」
 障壁を張る術士と攻撃の術を放つための術士が分かれており、交互に守備と攻撃の展開を変える。近づいた翼人兵士は剣兵や槍兵が近づき術士への接近は極力避けさせる。少ないが弓兵隊のある隊は弓兵と術士で交互に攻撃を行っていたりと空中にも容赦のない攻撃が行われている。
 対してセイン軍の攻撃は滑空による突撃や法術召喚、届かない場所からの矢の雨を主とした翻弄作戦である。グラネダでなければ一網打尽で会っただろうが、矢の雨は物理障壁に長けた国に対してあまり効果を見出せていない。そして頼みの綱の召喚術は確かに一度グラネダに大きな被害を出させたが突如現れた個体戦力に破壊された。だが有効だと判断され連続して出現し、巨人が四方で暴れる。
 もはや勝敗を見出せねば止まらぬ、戦争となった。






 事大きくなる前にと戻っては来たが時既に遅く、ファーナが戻ったときの大法術で大きな被害を出してしまっていた。その光景に心痛まずには居られず、ファーナも心苦しそうに顔を顰めた 。引き金となった自分には自己嫌悪さえ覚えると小さく口にしていたほどだ。
「貴方は今そんな事を気にしている場合ではありませんよ」
 ヴァンに諭されて何かを言い返そうとしていたがそれを飲み込んだ。
「だからこそっ! この戦争の為にがんばろーっ」
 そういうと彼女は少し微笑んで頷いた。一緒にやってくれるのならば心強い。

「さて、未だにロクテンマオウの真意が見えませんね……何かご存知ですか?」
 ヴァンが遠くを見ながら目を細める。聞いたのはファーナにだろう。あの魔王の身近に居た新しい情報所持者である。
「いいえ……ですが向こうの――ラエティアとキツキがロクテンマオウと組んでいると言う事だけです。あとはダルカネルの鏡の破片であの黒騎士軍を作っています」
 ここでその名を聞くことになろうとは思わず、少し驚いてアキと顔を見合わせた。
 ダルカネルの鏡はかつて俺の映し身を創った変態術士の鏡である。
 ヴァンツェ・クライオン曰く、その領域に達したエルフは彼だけだという事だ。余り詳しい文献は無いが今もどこかで研究を続けていると言われているらしい。まぁ俺は白骨を見たわけだけど……あれってダルカネルって人だったのかな。


 ざわめく城門前にさらに今話題沸騰の逸材が現れる。
 ふよふよと無防備に空に浮き、口元を袖で押さえてくぐもった声で笑う魔女。俺達を見つけるとまるで玩具を見つけたみたいに無邪気に笑った。
「あらあら。こんにちはお姫様。よく眠られていたのですね」
「寝坊で遅刻したわけではありませんけれど、また貴女に会わねばならないとは……心休まりませんね……。
 丁度いいではありませんか、首謀者側近たる貴方に問います。何故このような戦争を?」
「さぁ、私は魔王様の御心の在るままに動いておりますので」
「貴女が何も知らないとは思えません。
 この戦争……貴方達のメリットにはならないではありませんか」
 ファーナの周りだけ少し温度が上がっていく。グラネダはホームグランドだ。焔の加護傾向が強く、紙程度なら彼女は無詠唱で燃やせるかもしれないと言っていた。それほどこの地は彼女にとって有利なもの。
「貴方達のデメリットですものね?」
 その地に居て彼女を押し込めた魔女。体調不良と雨を重ねるとやはり本調子にはなれないようだ。
 埒が明かないとため息をついてファーナは空を仰いだ。
「あまりおしゃべりに時間を使えません。手短に言います。
 わたくしからの要求は三つです。

 目的を教える事。
 コインを返す事。
 戦争を止める事。

 この三つ」

 指を立てて魔女に突きつける。
 その指を暫く見ていた魔女はゆっくりと首を横に振る。

「却下ですね。貴方達に神子とシキガミは向いていませんし、丁度良いではありませんか」
 クスクスと薄い笑みを残して言う。
「それはどう意味でしょうか?」
 声を少し強くしてファーナが問う。さすがにその棘は彼女に触れたのだろう。
「そのままです」
 ファーナと魔女の戦線は拮抗したままである。このまま長く話を続けているのも仕方ないだろうし相手は空中だ。首が疲れる。
 俺はとっくに今話す事は諦めて魔女をおろす方法を考えていた。そして協力者にアルベントを選んで彼女のそっと真下近くに移動した。

「うしっあげて!」
「ぬぅ――がぁ!」

 垂直跳びは身軽なほうだったから得意と言える方だったがこの距離を飛ぶとなると少々躊躇われるものがある。いまだに落下する時のヒュッてなる感じがもう思い出すだけで鳥肌が立つ。
 魔女の真下から弾丸のように飛び上がる。狙いは彼女の真後ろ。あまり高いというほど高い位置に飛んでいなかった為すぐにそこに到達した。両手を回しこんで空中で魔女を捕まえる。あらっ、とちょっとだけ驚いたような声を出してこちらを振り向いた。俺は放物線の頂点を通過して向かう方向と共に頭上方向も変わった。

「イチガミ大バックドローーーーップ!!」
「まぁ、大胆ですね」

 おおおおおっと歓声が上がる。派手なだけで実は術式緩衝がある為大してダメージにはならないこの技。決まれ必殺イチガミ大バックドロップ。

「楽しそうですが貴方だけでどうぞ」
 魔女がふっと手の内側から消えてぱっと真上に現れて俺が落ちていく様に手を振る。
「ですよねーーーー!」

 ボフゥゥゥン……!
 盛大に土煙が上がる。術式緩衝は空気の抵抗とと地面をある程度押し込むことでの衝撃緩衝を行う術のようで、ここのように砂の多い場所でやるとよく土煙が上がる。

「コウキ!? 何をお馬鹿なことをっ」
「大丈夫でしょう。術式緩衝がありますから」

 ファーナとヴァンにはあまりダメージの心配はされていないみたいだ。ちょっと悲しい。


「術式:神隠し!」

 ぶんっと右手に持ったそれを振り上げると勢い良く真っ直ぐ飛び上がる。
 
「――えっ? きゃあああぁっ! 何ですかこれっ」

 空で魔女が悲鳴を上げる。

 服の中に投げ込んだそれがもぞもぞと彼女を這い上がる。スカートの中から入ったはずなのでそのまま上に出るだろう。

「カウッ」

 すぽっと魔女の懐からコンニチハ。ルーメンの頭が出てきて出会い頭にぺろりと魔女を舐めた。
「わっぷっ」
 そしてそのまますぽっと抜け出すとすばやくこちらへ落ちてくる。

「見えなかったろ?」
 ちょっとだけ自慢。隠せるものは剣だけじゃない。
「……舐めた真似を」
「へへっ舐めたのはルーメンだよ!」
「むむ、貴方も大概に人の神経を逆撫でしますね」
 俺はルーメンを逆撫でしながら成果を聞く。無意味にルーメンを投げたわけじゃない。
「キュー!」
 小さな浮遊壁の中にコインが一枚。
「やりっルーメン流石だーっ」

 今回最高に働き者のルーメンをわしゃわしゃと撫でながらコインを掲げる。息苦しそうだが撫でられるがままである。これは後でみんなでもっとモシャモシャにしてやらなくてはいけないなっ。今度イチガミ七つ道具の一つ目としてスカウトしよう。

「じゃ、返してもらったよ!」

 コインを握るとなんだか妙に手に馴染まないような馴染むような温もりを感じる。
「……なんだか生暖かい」
 体温を感じる。人肌に暖められた十円玉を渡された気分だ。
「今まで挟んでましたから」
「ど、どこに?」
 聞いてはいけなかったかもしれないと思いつつ口は先に動いてしまっていた。
 魔女はにやりと笑うとつぅっと指先を胸にやりながら視線をファーナに持っていく。

「お姫様には出来ないところに」

 魔女とファーナの間でチリッと火花が散った。
 ふふん、と一笑をだけを残して魔女が俺に視線を戻した。別の意味で戦場になったこの場所で緊張で生唾を飲む。野郎故に俺にはアウェー。
 ファーナが少し手を掲げかけたところで魔女が口を開く。
 つい先程までとは打って変わって真剣にも見える無表情。

「……止めておきなさいワンコ君。
 信頼できるパートナーと一緒で無いと犬死しますよ」

 何故――魔女がそんな事を俺に向かって言うのか。煽ってるだけか。無表情ではあるけれど心配してくれてるように思える。それは自分のお気楽思考のせいだとしても、

「……」
 ファーナが瞳を伏せる。
 魔女の言葉を思い出す。ファーナを
「……それは俺に言う言葉なの?」
 首を傾げて聞いてみる。俺に言うべき内容ではない気がして。
「貴方でもお姫様でも同じでしょう。
 この戦いに置いてこんな事態に陥ってしまうこと自体が異常なことです。貴方達の他に私程度に離されてしまった神子とシキガミが居ますか。
 私は知りませんけど断言できます。

 貴方達はこの戦争の渦中に居る神子とシキガミの中で一番弱い。

 そんなことで離れ離れにされた挙句に犬死して何が楽しいのですか?」

 ファーナが悔しそうにただ唇を噛む。
 何も言い返せない事実だから。
 犬死するなんて言われてただ沈黙のみ許される。
 何を口にしても馬鹿にされるだろうし、どう行動をとっても惨めに見える。


「けど俺はファーナを信じるよ!」

 コインを握った拳を突き上げる。

「信じて貰う為に頑張るよ!」

 勝手に頑張るから。それは俺の身勝手な言い分。
 仲間は信じてる。かつて無いほど今なら信じていられる。

「犬死なんて誰もして無いし俺の仲間は不死身でね!
 心臓がつぶれても死なないし誘拐されても帰って来るし。
 怪我して三途の川のほとりで爺ちゃんと会話して戻ってくるぐらいなら朝飯前。しまいには腕が吹っ飛んでも生えてくるし!」

「後ろの方はコウキさんだけですから!」

 アキに突っ込まれて笑う。その様子を見て、泣きそうだったファーナが笑う。ああ、よかった。

「自慢されてしまいました」
「へへへ自慢しちゃいました〜」

 魔女の方に笑いかけると彼女も少し笑った。
 何度だって自慢できると思う。俺の友達だけは俺の誇りだから。
 すっと小さく息を整えるような動作をしてファーナがこちらに歩み寄る。

「……言い訳なのかもしれませんが……わたくしがコウキを信頼してないのではなくて……」
 すっと手を伸ばしてコインを持った手に重ねた。少し熱いとも思える体温を感じたがすぐに空気に散るようにいつもの暖かさに戻る。
「この繋がりの心の近さが怖いのです。
 わたくしは自分に疑心を抱きます。太陽である貴方の背が眩しいと思います」

 目を上げて眩しそうに俺を見た。空は曇っているし眩しくはないだろうけど、彼女は何を見ているのだろうか。

「しかし。この世には太陽が二つあるのです」

 雲の向こうには薄っすらと日の光が見える。太陽は二つ並んでいて大きいほうと小さいほうで分かれている。アレを何故と尋ねた時に、それはそう存在するからだと言われてしまった。俺達の常識なんてこの世界では小さい方の太陽にも及ばない。

「小さな光ですが……片時も離れる事はありません」
 太陽の周りにある恒星だろう。その光が離れたのを見た事は無い。
 不安げにギュウと俺の袖を握った。
「……せめてわたくしがそうであるように」
 ファーナが魔女を見上げる。
 決意に満ちる表情でもう影を落としていない。

「そしてわたくし達がグラネダの太陽となりましょう。
 進むべき道はわたくし達が照らすのです」

 ファーナが手を下ろして、カードを取り出した。真っ白なカードには何も書かれていない。
 初めは偶然。
 気合を入れて、その意味も知らずにシキガミになった。やっと少しずつ見えてきたけれど、今と最初ではこのコインを渡す意味は違う。

 ファーナはこちらを向いて、一度瞳を閉じた。

「謝ります。嘘をついた事も。隠し事をした事も」
 目を開いて真っ直ぐ俺を見る。決意である事はすぐに伝わってくる。
「その程度誰にだって在ると思うんだけどね」
 俺にだってあるぞちゃんと。男の子にはいっぱいヒミツ在るよ。多分。
「でも、それがこの結果になったのなら。わたしはもう貴方に何も隠す事などありません。
 少し気を抜くと泣けるほど今――貴方の言う幸せを感じます」
「うん。よかった」
 言われると暖かくてこそばゆい。
 我侭だと言われている俺が唯一自分の感情だけで身勝手な幸せ論を翳したのに、彼女はそれを笑って幸せだと言ってくれた。
 壱神幸輝がこの世界で生きる事を決めた意味がやっと一つだけ報われた。生きて幸せを創る事が何よりのあり方。

「こんな……未熟なわたくしですが……コウキ、わたくしは――……。
 貴方と居た日々を――、一日も、後悔していません」

「コウキ、もう一度わたくし達と共に、皆と貴方の幸せの為に。わたくしに力を貸していただけますか」
 問いかけは少しだけ、不安げだった。ちょっと肝心な所で勇気の無い神子様である。それは変わらなくても俺は困らないけれど、彼女は変えるべきだとおもっているのだろう。

「……うん。もちろん」

 いつの日かの復唱だ。この言葉も今と昔とでは意味が違う。

「俺はファーナの”シキガミ”だから」

 それでも同じ言葉が出てくる辺りが自分である。その因果には少し笑えた。

 カードの上にコインを重ねた。ふわっと消えるように吸い込まれて淡い青色の波紋を生んだ。その光景は何時見ても神秘的で透き通る海の底を見るような感覚。
 繋がっていく感覚。手を繋いで戻していく離れた心。
 ファーナの心は、温かい。心の炎がそのまま法術になるような術士だ。
 照れ屋で恥ずかしがりだが熱意と真摯な気持ちを持つ神子だ。足りない所は俺がカバーすればきっと完璧になるようにできてるんだろう。神子とシキガミの一体感は常に神秘的なほど完璧に思えるものだ。

 ファーナは今まで出見た中で一番満足そうに笑って頷いた。

 そして凛とその真紅の瞳を魔女に向ける。


「もしわたくし達に挑むと言うのならば」


 グラネダの神子が魔女に言う。
 同時に眩い光を放つカードと、両腕にはチリチリと熱が集まり始める。
 この感覚は久しぶりだ。こんなにも熱くて――力強い。
 久しぶりに身体に光が満ちる――この熱量をファーナが叫ぶ。


「太陽に挑むものと思いなさい!」

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