第166話『炙り出し』
魔女は俺達を見下ろして何を思ったのだろうか、少しだけ悲しそうに眉を顰めた。
すぐに頭を振って元通りの無表情に戻ると、フヨフヨと浮いたままヴァンの方を向いた。
「うーん……私は撤退としましょうか……できれば貴方も欲しかったです。魔法使いさん」
「……残念ですがどう考えても貴女の軍門には下れない」
はっきりと言い切って彼女を睨みつける。
「私でなくとも魔王様の下でいいのです」
飄々と答える魔女にヴァンが溜息を付いた。
「守る価値に足りませんね」
彼女らをという意味だろう。
「弱きを助け強きを挫くですか」
まるで正義の味方といえる生き方。俺達から見れば、ヴァンはまさにその通りの救世主だ。最初から俺達についてきてくれて、本当にピンチのときだけ本気で助けてくれた。後は適度に手を貸してくれる程度で俺達が進むことの意味を教えてくれていた。
「違います。“私の正義”の価値のみです」
自分を正義の味方とは言わないのは、大衆正義ではないからだろう。法律だけを守るなら自分の正義とはいわないだろうし、ヴァンは自分独自のルールを持って行動している。
俺達との旅ではほぼ守備に徹底していたがそれは俺達への配慮。俺達が自分達で無茶したぶんや、小箱の事以外で危機的といえるほどの状態になった事は殆ど無いのだ。守備に徹底していたその技量はヴァン無しで行っていた危なっかしい旅からも容易に分かる事だ。
「本当に残念ですね……」
フッと魔女は姿を消した。
現れるのも突然。去るのも突然。
あの能力はやはり魔法なのだろうか。謎がいっぱいな魔女だ。魔女っぽい。
「ああ、そうだ」
フッと再び頭上に現れてポンと手を叩く。
神出鬼没なのは分かっているが彼女は自由奔放に近い意味合いだと思う。
ちょっと一瞬緊張を解いた皆が一斉に構えた。
「貴方の正体は教えませんけれど名前は教えましょう。クォーターエルフさん?」
そのセリフに皆がどよめいた。
ヴァンの正体云々どころか、ヴァンの記憶喪失については殆どの人間には話していないみたいだ。
さらに姿を消すとヴァンの耳元に現れて一言囁いた所でバッとヴァンが振り払う。
その手に身を引いてクスクスといつものように笑ってもとの位置に戻る。
「ああ、でも恐らく貴方は偽者の方でしょうけれど。
失敗作と言うのかもしれませんね」
偽者……失敗作? 気になる単語だ。俺も知りたい……というか皆知りたいと思う。ヴァンと魔女で視線を移動させているとぴろぴろと袖を振って彼女はスゥッと姿を消していく。
「では、またお会いしましょうね?」
魔女は今度こそ去って行ったようでふわっと風の重さが変わった気がした。
ヴァンは何も言わずにそれを見送ると息を吐いた。ファーナが歩み寄ってヴァンを心配そうに見る。
「ヴァンツェ、大丈夫ですか……?」
ヴァンはゆっくりと眼を閉じて口を開く。
「……魔女の戯言でしょう。踊らされるのは癪なので忘れます。特に気にするほどの内容ではなさそうです」
それより、無事にもどって良かったですねといつも通りの笑みで笑う。
「そんな……」
そんな事はないでしょうと、言おうとしたのだと思うが彼女は口を噤んだ。
ヴァンは本当になんでもないのだという風に頭を振って肩をすくめる。
「私より若い彼女が何故私の事を知りえましょうか。私にすら分らないというのに」
「それはそうなのかもしれませんが……」
ヴァンが背負っているヴァン自身は俺達が考えているよりずっと重いものだ。簡単に踏み入っても何も知らない俺達の無責任な言葉じゃ、手がかりを見つけたりするどころか無駄に傷つけてたり気を使わせてしまうだけだ。
「それにその話はもう一度調べた事が在ります。私はエルフの里に赴いた事が会って誰も私の事など知らないと言った。それはご存知でしょう。彼女の話が本当ならば私はそこで証明されたはずなのです」
通った道だからと頭を振る。一同の視線が集まっているのを感じたのか皆に持ち場に着くようにと促す。
その中でファーナだけがヴァンをみていたが、決心したかのように頷いて彼に言う。
「そうですか……貴方が言うのならばそうと信じましょう」
ヴァンはあんな事と言うけど、それは長い間の願いではなったのだろうか。それとも、長い時間の中でそれはもう割り切ってしまったのだろうか。チョットだけ気になった。
ヴァンは大人だから、そんな事は意に介さないという風に笑う。それの真偽は分からない。
「ええ。そんなことの真偽よりも、今は目の前を気にするべきです」
「分りました」
ヴァンについての会話はそこで本当に終わり。忙しそうに布陣の説明と作戦の説明や状況の把握を始めた。
「ヴァンツェ様! 国王様王妃様が前線から撤退しているようです!」
「……珍しいですね。やはり今回は手負いになったのでしょう。回収護衛隊を組みます10名ほど集めてください。極力戦闘を避け、お二方の安全を第一に帰還させます。私も加わります」
「了解です!」
作戦は此処で俺達とヴァンは別れる事になる――。
『よぉ! お二人さん!
よく此処まで生きてたなァ! ハッハ!』
カードが勢いよく喋り出したのは、その存在を軽く忘れかけていた頃の事だった。
「そういえばお前喋るんだった……」
それをみて裏返したりして声の出ている位置を確認しようとするが裏を向けても聞こえ方は同じなのでスピーカーを搭載しているわけではないようだ。
『不甲斐無いマスターだと喋るのも一苦労だぜ。ふぅ。はっは! なんてな!』
ギャグにしても心痛いぜカードめ。後で曲げてやろうと心に誓ってこちらに寄ってきたファーナに見えるように傾けて二人で覗き込む。
「それは申し訳ないとしか言い用がないですけれど……貴方が喋るという事は――」
『もう分かってんだろ?』
ファーナの言葉を遮ってカードが言う。
「なんとなくはね……」
『内容は聞きたいかぃ? 当てたいかい?』
「早く教えてよ。試練内容」
時間も無いし、大体は分かっている。
この戦争が俺達の起こしたものだったというのも頷ける。
だからこそ――
『この戦争を終わらせんだ』
無茶だ何て言えないし、責任も在るんだと思う。
規模は数千人どころの話じゃない。下手をすると万単位で人が死ぬ。
「どんな形で?」
聞いたのはこの細かい事は何一つ言わないカードに制限がないかを確認する為。
『はっはっは。野暮な事ァは言わねぇ』
それはいつも通りだ。野暮な事は言わない。大事な事も言わない。コイツの考えも在るのだろうか。カード、それは役割としてどうなんだろう。
ただカードには試練以外にしか役に立たないという制約がある。その試練以外の部分では大いに役に立ってもらった。だからその在り方云々の文句は言えないな、と少し笑える。
カードは少しだけ光った。
思えば、切り札であり、希望を魅せてくれるのはいつもカードである。
『魅せてくれよオメェさん!
ハッピーエンドって奴をよォ!』
溢れる男気は相変わらず。
俺達を一番理解するのはカードではなかろうか。流石繋いでくれているだけはある。
繋いでたきつける役割をこれほど上手くこなすのだ。きっとカードとしては優秀なのだろう。
お前達はどうなんだ、と試されているのだろうか。こいつはカードとしての役割を全うしているように思う。俺達は不完全な神子とシキガミ。そのカードに期待される価値が在るのだろうか。いや――、期待されているのだから、魅せるべきなのだろう。
何時だってこいつは、理想を成すための俺達の最も信頼できる仲間なんだから――。
戦争に思いを馳せる。
この戦争は多分俺達の中で一番記憶に残る戦いになるだろう。
竜士団とは。
最強を謳った戦争集団。
その人数はたった数十名。
戦争の死神とか勝利の風だと言われているらしいが、たった一言で彼らを表す言葉があると賢者が言った。
彼は戦争時かならず最前線に現れる事から彼らを“生きた中立線”と賞賛した。
和解など難しいのは百も承知でまず自らを壁とする。
中立などと生易しい言い方をしているが要するに双方の敵である。
そこに立ち続けることが出来る人間なんて居るわけが無い。数の暴力に言葉は通じない。
それでもそこに立ち続ける。
それにはそれ相応の資格があって並大抵の神経で底に立つ事はできない。
それを選ばれたモノと言うのか、真性の馬鹿と言うのかは結果だけが語り――。
英雄と言うのならば、それを指すのだと言っていた。
ならなきゃいけないなら、そうなるしかない。
全く持ってそんな称号はいらないけれど、剣だけじゃなくて法術という概念があってよかったと思うこの世界。ミサイルや銃じゃないけど、一人で多人数に対して巨大な力になる。……今はその兵器じみた力が俺達を助けてくれる唯一のものだ。
この戦争の兵器となるのは戦女神に愛される人たち。
俺が集めるのはそれに更に神様の加護付きの核爆弾か。
一発の爆発力を出せる俺達がこの戦争の核だから。
言われた時は空想の話でしかないと思っていたけれど、一騎当万の意味はそういうことだろう。
正直に言えば俺とファーナが本気を出せば、自軍を巻き込んでこの場の全部が消せるんだと思う。
早く前線にも行きたい。ロザリアさんとの約束もある。その作戦を話すと一瞬複雑な顔をしたがファーナも頷いてくれた。
部隊編成はアキとファーナと俺でタケや四法さんを集める。アルベントに傭兵部隊を任せて中央へ先に向かってもらった。中央についてからは総力戦だ。その神子とシキガミの全力でやってもらわなくてはいけない事がある。
まず最初に行かなくてはいけないのは中盤に居るタケヒトのところだ。助けてもらったぶんの手伝いも兼ねて。最悪キツキに……と思ったがその考えはしない事にしておいた。
神子とシキガミ同士が戦っていればそこは周りの人間は余り入り込まない空間になる。戦いの次元が違うのだ。何も自分から爆弾の炸裂する実験場に突っ込むべきではないという事。だが遠めにみてもそれは見当たらなかった。だから最悪の結果も頭を過ぎった。
「コウキさん! ファーナ! アレ!」
中央に向かう途中、アキがパリパリと紫色の雷光が見つけたらしい。振り向いた時にはもう見えなかったが、俺達は駆け足でそちらに向かって足を進める。
在る程度近づいたとき、馬鹿でかい剣を振り上げるそいつが見えた。
「タケー!!」
「――!? コウキ!? もう動けんのか!?」
戦場の中間地点。中央から更にばらばらに編成された軍が翼人兵隊の一隊を押し返そうとしていた。
ちょうどそのタイミングで、翼兵の一団はその場所を引いた。既に夥しい数の死体が転がっている。ファーナはあえてみないようにして顔を逸らしていた。
紛う事なき戦場である。
「あっちで裸のお姉さんが待ってるんだけど行かない?」
あえて空気を読まないのはいつも通り。笑えてたかどうかは定かじゃないが、タケは一瞬あっけに取られた顔をした。
「お前戦場でふざけんな!」
ガッと首根っこをつかまれる。アキとファーナがと目に入ってきたが俺がそれを手で制した。
「で何処だ!!」
次に発せられた言葉に二人はズザッと足を擦った。流石に俺もちょっとその返し方には吹いた。
そして次の瞬間にはゴヅッという鈍い音と共にタケの巨躯のてっぺんに向かって思いっきりチョップが降り注いでいた。もちろんそのチョップの主は紫電の神子である。
「今日ほどお前を最低だと思った日は無いな」
ゴミを見るような目でソイツを見下す。見下すといっても視線位置は全く同じだが、心持である。
「浪漫は人に蔑まれても達成してこそ男子!」
グっと拳を握るタケヒト。グラネダの兵士は前線を押し上げて歩みを進めていっていた。
「その浪漫がくだらなさ過ぎるんだお前は」
「冗談だろうが。ちっちぇこといってっから胸も育たな――」
「貴様その口もぎ取ってやろうか」
「すんません」
「……今度言ったら噛み千切ろう……」
「な、何を!? 何を噛み千切る気だ!?」
まぁ心寒い戦争の真っ只中で少しだけ暖を得た、そんな気分である。
荒んだ心にエロ成分。実に無駄で意味もなく非生産的で楽しい。
「二人に頼みが在るんだ」
「頼み?」
タケが首を傾げる。
「ふん、お前を助けただけでも破格だぞ」
神子は相変わらずとげとげさんであるが、俺の救出に協力してくれたいい人と俺の脳内でインプットされている。
「ありがとう! お陰で超回復したよ!」
手を差し出したが無視された。クレバーなのはやっぱり変わらない。
「……相変わらず厳しい人だよね」
「ああ、愚痴を聞いてくれるなら一晩中話すぜ」
本人の前で言うなよ、と思ったがその神子の態度が変わる事はない。
やっぱりシキガミはヘラヘラしてくると神子がしっかりするらしい。
「ええと……その前に、キツキは?」
「ああ、戦ってたんだがよ、召集とかなんとかで戻っちまった」
あっけねーよ、と溜息を付く。
正直胸をなでおろした。そこらへんに転がってるとか言われた日には本気で凹む。
キツキは敵だけど……これだけ死にそうになったらさすがに誰かを殺す力を持っておくというあいつの言ってることも分かる。理解と納得は別だけれど。
「あと四法さん何処だろう」
「目立たないようにどこかに潜伏しているんだと思います」
ファーナがぐるりと森の方を見ながら言った。
「行動が派手だからなぁ……」
戦っていたらそこらへんツララだらけだと思う。
「どうやったら出てくると思う?」
四法さんを呼べばジェレイドも付いてくるだろうが、今ここでこの広い平原を端から端まで移動して叫んでいるような暇もない。
「こう……そうだこんなのどう……?
こうでかい垂れ幕を城壁に書いて“シホウ カム!”みたいな」
「でもそんなことしてる暇ないだろ」
それもそうだ。どっちにしても時間が掛かりすぎる。このままだと俺が全力で走り回る事になりそうだなと思ったとき、ファーナと目が合った。
彼女が首をかしげたので俺も首を傾げる。
あ、そうだ。と手を叩いてファーナの肩を掴む。
「じゃぁファーナ、火で書いてよ。火文字!」
空を指差してファーナに言う。
かつてヴァンが氷でそれをやって見せた。石版的な使い方だったけれど、大きな文字なら壁術の併用でなんとか出来そうだ。
「そんな事に術を使いたくないですが……炙り出しなら仕方ありません。
火が必要ですものね。
文面は?」
俺はタケと目を見合わせてにやりと笑う。
ファーナが一息で術式を唱えた。
呼吸をするように炎が生まれる。この土地では本当に相性が良いらしい。
金色の髪が揺れて、赤い眼が空を見る。ゆっくりと手を上に挙げて真紅の術式ラインが術陣を見せた。
ボゥっと火が灯ってそれが上に向かって伸びていくそして空に浮かび上がる――。
“アスカLove!”
「ふあっはっはっはっはっは!! アスカラブ!」
「アスカラブっっっ!! ははははは!!」
炎が描くアスカLove。vは若干ハート気味に書いてもらった。
術士本人も少し笑っている。紫電の神子がくだらない、と言って口元を押さえた。どうやらウケているらしい。
強いて言うなら俺はこういうくだらない事ばっかりやってきたので笑ってもらえるならその言葉は褒め言葉だ。
「やぁぁぁめぇぇぇてぇぇぇーーーー!」
ガサァ!!! ザザザザザザ!!
意外と近くに居たらしく、森のかげから飛び出して一気に駆け寄ってくる。
敵と誤認したグラネダ兵に槍を向けられていたがそれを華麗に氷で飛び越すと真っ直ぐこちらに走ってきてファーナに飛びついた。
「あ、早かったね」
「はぁ……はぁ……! そういう恥ずかしいの止めようよ!
ファーナちゃん生きてたよかったはぁはぁ! よかったぁぁ!」
「く、苦しいですアスカっ……! 此処でトドメを刺す気ですかっ……!?」
「あっごめんっちょっと嬉しすぎてっねっ壱神君っ!」
何故か俺に同意を求める四法さん。
「でもホントよかったよ〜っ! 壱神君の悲壮感漂う顔とか見てられなかったもん」
「それ秘密に! イチガミ七不思議に!」
しぃっと口に指を当てていうがもう聞こえてしまったのものは仕方ない。今度からイチガミ六不思議になってしまうのか。
「えっあの、その、すみません、というか……うぅ……」
ファーナが赤面する。真面目に照れるから本当に勘弁して欲しい。悶えて死にたいが戦場のど真ん中で悶え死には如何なものか。
「それにしても今のは酷いよ! 歴史に名の残る戦争に、アスカラブ! って刻まれちゃう!」
史実は残っていくものである。さらに伝承マニアのヴァンツェ・クライオンが居る限り、この事は必ず文書として間違いないように現象を残され、その中の一文に“アスカラブ炙り出し作戦”が堂々と書物に書き記されるのだ。しかもヴァンだからやりかねないというところも在る。
「炙り出しだもん」
偉人になってよかったじゃん。と笑ってみる。
「もっと優しく炙って!」
キシャーと噛み付かんばかりに声を張る四法さん。
「えーっどんなのなら良かったの?」
一応聞いてみた。
「ええと……“チチ キトク スグ カエレ ハハ”みたいな」
「電報だな」
スグ帰れっても家じゃないしな。
「じゃぁ次は“ハート キャッチ アスカ”で」
「変わってない!! 何にも解決してないよ! 心なしか変身しそうな響きもあるよ!」
「まぁある意味最速で来てくれたしいいじゃん」
恥ずかしさによる最速だけれど。
「よくない〜っあたし超恥ずかしかったのに!」
「あーよーわろーたわぁ」
ふらっと現れたジェレイドが腹を抱えたまま現れる。目の端に涙を溜めている所から相当笑っていたらしい。
「アンタ死ねばいいのにーーー!」
前回の四法節が心地よく懐かしい気持ちになった。
「まさか炙りだし……ぷふっアスカラブっ!」
ジェレイドが口元を押さえて言っていたが、笑いでプスプスと空気が漏れている。
「ぷっ」
「ふはっ」
それが伝染して俺とタケが噴出すと女性陣もぷるぷると耐える様子を見せる。
「ああああもおおおおお! 死ねばいいのに!!」
わーんっと叫んでバタバタと地団太を踏む四法さん。
――何はともあれ、目標人数を集めた俺は、状況とやることの説明を始めた。
もちろんへそを曲げた四法さんを宥めながら。
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