第168話『作戦実行』


 早く此処を突破しなくてはいけないという焦燥感に駆られる。同時に最も高い壁は友人に剣を向けることである。理由を知ってしまっている。どうせあの魔女だ。飄々と人に不幸を向けて笑いながら去っていく。まさに冷血の魔性である。血族としては同じなのかもしれないが同志にはなれないだろう。
 周りには砂埃が立ち込めている。この辺りはあまり肥大な大地ではなく、水はけのいい固い地盤の土地だ。草が多い茂る事は無く、広い空間が確保できる。グラネダにとって最も有利な白兵戦での戦いに集中できる。ホームであるこの地でグラネダの負けは一度も無い。だからこの戦況は異常であるといわざるを得ない。

 友人と敵として戦うとこんなにも心が疲弊するものなのだと初めて知った。きっと中々決着が付かないからだろう。
 魔女のせいでは在るのだけれどカルナディアは許される事は無い罪を犯している。仲間に剣を向け、傷を負わせる。命を刈り取っていく。彼女は私達の敵になったのだ。
 一度剣を振るうたびに相手が敵であると言い聞かせて、次第に脳は非情になる。
 しかし心の端に置いた願いを、忘れる事はできない。
 一握の希望でしかないのは分っているけれど希望を止める事はできない。自分に都合のいい事ばかり考えていると損しかしない。それは希望が叶わなかったときにだけ言う事だけれど……無いものはどうしても希望してしまうのだ。

 カルナディアの一撃を軽い金属音と共に受け流す。元々身長差がかなりあり、当然リーチにも差がある。身体能力云々で言ってしまえば彼女は天才的な領域だ。自分がどれだけ願っても手に入らないものを持っている。あの性格のせいで全く目立ったものではないけれど、彼女もまた才のある人なのである。
 重い攻撃を受け流して間合いから外れる。彼女の間合いに入るのは難しい。だが手負いの今ならば付入る隙はいくらか見当たる。
 ……。
 ……。
 私達の結末がこんな形だった事を不甲斐なく思う。何故私が行かなかったのか。魔女の危険性を知っていながら、どうして私が出なかった。魔女の言う呪いに対してある程度の耐性が自分にはある。いまさら肩代わり出来ていたならと後悔に走ったところでこの現状は変わらない。
 繰り出される突きに剣を当てる。連続する突きに一瞬だけ追い込まれそうになった。こちらの右へ強い一撃が飛んできた時に剣の柄でその攻撃を叩き落すと、一歩大きく踏み込んだ相手の姿勢が崩れた。
 その瞬間は反射的な行動だった。踏み込んで体勢が立ち直るまでに二歩、私の間合いまで踏み込んで剣を振りかぶっていた。そして彼女の喉をめがけて右手のレイピアが牙を剥く。

 腕にザクリと相手を貫く嫌な感触が伝わってきた。脳の奥がジワリと冷たい汗をかいたような気がした。無我夢中になって放った突きが――彼女の右肩口を貫く。息を飲んだ。本当に殺してしまったかと思った――。
 本当はそんな事に安心している暇は無かった。命のやり取りの最中である。敵であると入れ込むことが出来なかった自分の甘さ。戦争の最中は命を取った事を悔やむ事も喜ぶ事も必要ない。

 人の戦いが本当の熱を持つのは泥臭くなってからだ。血を見て己の危機を強く感じるのである。
 彼女を留めておこうと思ったのだ。もう動けないと踏んで一瞬だけアルゼマインの方を見た。総隊長相手に生き延びているのは流石、ただ余り時間が無い事だけは確信した。

 カルナディアが動き出して反応するのに一瞬遅れた。倒れた状態から上半身だけでの素早い突きから血を噴出しながら立ち上がって柄当て、なぎ払い――さらに二撃、三撃と態勢を立て直す前に猛攻が振るわれる。

「はあああああああああ!!」

 怒声のようなビリビリと響く声。彼女は私と戦っている。こんなにも全力である彼女を見るのは初めてなのかもしれない。なりふり構わないという気迫、勢い、そして自分が生きる為に相手を殺す為の行動。その全てを敵意と呼び、こんな日が来る事は遠い日に忘れたようだった。
 不意をつかれ気圧されたために普段はぶれない剣が彼女の攻撃を弾く事に普段の位置からずれていくように感じた。自分が考えているより戻りが遅い。そんな微かなズレだったが、私と何千と対決した親友はそんな隙も見逃さなかった。
 カルナディアが三叉の槍を剣に真っ直ぐ突き当てて一歩大きく踏み込んだ。間合いを詰められれば有利なのは此方だが、あえてそうしてさらに腕に対して強烈な一撃をたたきつけた。
 ガァンッ! と鉄盾と鉄盾をぶつけたような音と共に剣を手放した。剣が戻る前に腕に対して入った一撃。しまった、と声にならない声で叫んだ。
 そして傷から血の流れる左手も使い両手で槍を握ると矛先をこちらに向け思い切り振り下ろす。受ければ致命的な一撃が自分に迫るのを凝視した。
「くっ……!」

 こんな所で――。

 親友を失うわけにも行かず、自分も死ぬわけには行かない。
 どうあってもそれだけは譲れない。我慢できない我侭である。
 もしこれが解けない魔法であったなら、非情であれたのに。希望が残っているからこそ縋りたくなる。
 ――ああ、だから此処に前線を任せられる人間は居ないのだ。

 ここまでやっていて意外と情に厚い自分に驚いた。きっと友人はお世辞にも余り多いと言えない性格のせいだろうか。自分より優先すべきを他人にするとは王以外ありえない。それは騎士として在るべきである姿ではない。正義は王と法であり、私は彼女の友人である前に国のしもべであるべきだ。そんなものに縋っているようでは、前線に立つ騎士にはなれないのだ。

 ガシャアアアッ!!

 目前で剣と槍が交差する。眼は閉じなかった。閉じるような暇も余り無かったが目を貫かれるならばその瞬間も見ておかなくてはいけないと思えた。その結果を引き起こそうとした自分への罰だ、と。
 受けるつもりだったそれは剣によって寸のところで防がれた。身体だけが反応して後ろに跳ぶように下がると、その槍を止めた剣の主を見ることが出来た。


「――ヴァース!」

 第二隊騎士隊長が長剣を振り上げてその槍を高く弾き上げた。それと同時にカルナディアが前のめりに倒れこむ。
 カルナディアの放った攻撃はソレが最後だった。

「無事かロザリア!」
 カルナディアに剣を突きつけて、此方に一度だけ視線を送った。
「そこの騎士! 前へ! カルナディアを抑えろ!
 兵士同士は声を出し並べ! 壁が薄くなっている! 背に術士を!」
 叫ぶ彼は険しい表情だが私がやるべきだったことを迅速に行っている。

「立てロザリア! お前にはまだやる事があるだろう!」

 膝を突いて忘れていた呼吸を始めて、息を整えていた私を引き立たせて顔を近づけた。戦場は気性の荒い場所だ。普段温厚と言われる人間もそこでは声を張り、ひたすら自分の役割をこなして切り開いて勝利へと走ってゆく。その頂点に居る隊長といわれる人間達がぐらつく訳には行かないのである。
「二人は絶対に救う! 迷わず守れ!!」
 騎士道を諭されるのかと思ったがそうではない。
 ――迷ってしまった私を真っ直ぐに立たせた。こんな事、言われるまでもなく実行すべきだった。
 それだけを叩きつける様に言って、スグに私から手を離すと踵を返した。

「総隊長! アルゼマインは私が引き受けます! 予定通り引き込んだあと押さえ、此方側に戻します!
 一旦下がって指揮を!」
 ヴァースが割って入って両手剣を構える。刃の広いブロードソードは叩き斬るに適している。並みの鎧では裸同然のように切り裂いていく。
「待てヴァース!」
 アルゼマインの前に立ったヴァースに総隊長が停止の声をかける。
 自分と同じような事を言われるのだろうか。そう思っているうちに、ヴァースは言葉を切り返した。
「軍に関わる被害が及ぶようなら……!」
 多大とは言わない。先程までは国王が食い止め、今までは総隊長が止めていた。彼等の人間性を見ればまだ釈明の余地は在る。
 ヴァースはグッと剣を握って声を張った。
「せめて私の手で殺します!!」
 それでいいのかと言うのは愚問である。それが彼等の決意と言うのならば止めることはできないだろう。きっと今の私には止める権利も無い。
 決意を感じる。きっと私のように悩んだのだろう。仲が悪いような良いような二人だったが唯一無二の親友であった事に変わりは無い。ヴァースとアルゼは私とカルナに良く似ていた。だからこそ親しくなれたのだと思う。
 ヴァースはアルゼマインから目を離さずに言葉を続ける。
「総隊長早く陣形の整理を! こんな所で押し負けるようなグラネダの壁は見たくありません!!」
 アルゼだけを見ているわけではない。着たばかりだが彼にもわかるほど陣形が荒れている。一度立て直しが必要だ。大きな号令ならばヴァースでは無く総隊長が出すべきだ。それはこの前線での理想系を築いておく総隊長の役割である。
 その言葉に顔を顰めたが息巻く彼を見て小さく頷いて構えを緩くした。
「……わかった。アルゼマインの事は任せたぞ」
「了解!!」

 私が到着しても何も変わらなかった前線がすぐに息を吹き返し始めた。流石私達の中では最も早く隊長に就任した人間である。全てにおいて頭一つ飛び出る才気で人を動かすだけの熱量と技量がある。
 比べてしまえばそれは未熟さを感じて少し悔しくもあった。だからこそ、剣を強く握って整列に従事する。私がするべく事は自らを弁え、例外を潰し精確に作戦を実行することである。
「恐れるな! こちらにも対抗手段はいくらでもある! 隊列を組み訓練通りに当たれ!」
 後は策通り引き連れて下がらなければ。最も空から来る敵に自陣中の有利は余り感じることが出来ないが……。降りてくる兵が多いところを見ると滞空時間もそう長くは無いのだろう。
 この場面の転換をこちらに風を吹かせるために出来る事を考える。
「術兵! 信号を! 白、黄! 第五隊後退だ!!
 第五隊はヴァースを援護と共に後退を開始!」
 号令と共に大きな声が上がりたい列を整えてヴァースにあわせて後退を始める準備を始めた。
 第五隊が下がっていくのにあわせて第一隊が左右に別れ、大きな窪みができる。
 後退する方向も城門方向でよかっただろうか。なるべくシキガミ様の居る方向に向かって時間をかけないようにしないといけない。こんなことなら方向合図の一つでも決めておくんだったと思いながら城門を振り返る。


『アスカLove!』


 あっ。あそこだ。
 浮き上がる炎に少し吹きだしそうになった。戦場で何をやっているのだろうあの人は……。青春類なら説教者であるが何故かそんな気はしない。リージェ様も絡んでいるからもう少しマシな理由が在るはずだ。
 土煙のあがる戦場であれだけ大きな目印が出来たのは偶然だがそれをありがたく思いながらつくづく目立つ人だと笑う。
 すぐに剣を振って騎士に命令を下す。

「移動修正! 十時の方向に向かって下がれ!」

 オォォオオ! と兵士達の声が上がって隊列が方向を変え始める。
 ヴァースとアルゼは第五隊が円形に彼らを囲み、闘技場で戦っているかのように見える。一騎打ちは熾烈を極め、鎧に当たる剣が火花を散らす。二人の怒声がビリビリと空気を揺らし、盾を持つ兵も油断を許されない状態だ。
 両手剣を振るうヴァースの安定感は凄まじいものが在る。型が分かっていても全く揺るがす隙を見せない彼を切り崩すのは至難の業だ。ただその切り崩しの天才がアルゼマインである。変則中の変則、蛇腹の剣と鞭の攻撃。さらに近接では長身からは想像に難いが片手剣が素早く振り下ろされ猛威を振るう。御互いに譲らない。
 焦れる。友人二人が戦わなくてはいけない。縄に縛られて引きずられるように歩くカルナディアの姿も見える。

「シキガミ様……!」

 まだですか……! 私はこの光景をいつまで耐えればいい。
 どうかあの刃がどちらかの命を奪ってしまう前に。
 落ち着かないまま食い入るようにその銀の軌跡を追っていた。


 遠くに赤い姿を見た。
 戦場であんなにも目立つ服を着る人間は少ない。派手すぎると狙われやすくなる。個人の趣向にどうこうは言わない。目だって見つけやすい事は私にとっては位置も把握しやすく良い事だ。
 振り返って揚々と声を張る。ヴァースはまだ戦いの渦中だが、こういった耐える戦いなら群を抜いて上手い人間で救われた。基本のしっかりした人間にしかこういった戦いは難しい。

「隊列解放!! カルナディアを前へ!!
 待たせたなヴァース!!」
「まったくだ!!」

 もうすぐ二人を解放してやれる。
 今の時間が一番長く感じる。一刻も早く二人を助けたい。
 もう一度後ろを振り返ると、赤い服の人が手を振ってから少し横に逸れた。

「ッ!? シキガミ様!?」

 ここは真っ直ぐ来て欲しい。
 なんというか、それは無い。
 流石に焦って一人使いを出そうと騎士を振り返る少し前に――。

 掲げられた白いカードに気付いた。
 その一面はずっと此方を向けられていて狙いを定めているようである。

 方向からしてここは通過し前線に向かうのだろう。
 中盤に陣取った円形を此処まで来て迂回するより直線的に目的地を目指す方が早い。
 直線位置で一番近い場所で私が“血の盟友<エンブレム・ブラッド>”を受けなくてはいけない。
 ならば、予定通りである。
 言葉にされていないことに一抹の不安を覚えるが、了解した。
 私は何一つ捨て無いあの人の行動を信じる事にする。

「アルゼマイン、カルナディア! お前達に言っておかなければならない!」

 この後は気絶する予定だ。
 言うべき事は今言っておくべきだ。

「後で死ぬほど説教してやる!! 覚悟しておけ!!」

 げぇ、と私の隊の人間が声を上げた。
 混ざるか? と笑顔で言うと、プルプルと遠慮してきた。


“血の盟友<エンブレム・ブラッド>!!”

 キィィンッッ!!

 予想通り――剣を振るう人々をすりぬけて真っ直ぐに光が此方へと飛んでくる。より早くその光に触れられるように右手を伸ばした。指先に当たって電撃のような爆発のような感触を身体の内側に感じた。
 ドクンッ! と血潮の流れを感じる。周りの空気がチリチリと肌を焼く様に感じる。グッと左手で左目を覆うと、二人を視界に収める。
 大切な友人だ。人材としてもそうであるし私情が大きいという話もある。
 騎士の兄弟は、こんな所で終わるべきじゃない。

 腹の底に言葉を溜めて、目を見開いた。二人とも此方の異常に気付いてこちらを見ている。今しかない。

『忌まわしき魔女に掛けられし呪いよ!! 解呪せよ!!』

 ブォッ!!
 一陣の大きな風が吹いた。
 私の追い風となった風が小さな旋風を生み出して戦場を駆け抜ける。
 私の言葉の後に二人は頭を抱えて苦しみ始めた。抵抗しようとしているのだろう。
 それだけは許さないと二人を睨みつけて声を上げた。
「ああああああぁぁぁあああァァァァァ!!!」
 マナをつぎ込む。上乗せする。何度も何重にも掛けられている呪いなのだろうか中々その解呪が終わらない。
 目が熱で潰れそうだ――。
 でも、そんな事はどうでもいい。救えればどうだっていい。結果を伴えば誤算の範囲である。目の一つなどくれてやる。安いものだ。命を危険にさらしてシキガミの力を私に貸してくれているあの人に比べれば、私がやっていることなんて余りにも容易いことでしかない。
 此処で成功しない事が全てへの裏切りである。何が何でも私が成功させる……!!

「目を、さまし、なさい!!」

 ただ一つの願いだけをこめて、右目に力を集中する。

「アルゼ!! カルナ!!!」

 そして目の前で光が爆ぜた。


 パァァァァアアアン!!

 ガラスと鉄が弾ける様な凄まじい音だった。
 二人の付けていた真っ黒な兜が消し飛んで、黒い鎧もパキパキと白銀に生まれ変わる。心なしかくすんでいた肌の色も、生気のある赤みを帯びて、彼女達を取り戻したのだという感覚を得た。
 爽快な満足感があった。私は友人を取り戻した。これはこの戦いでの大きな意味になったはずだ。
 崩れ落ちるアルゼマインとカルナディア。怪我は在るものの二人とも無事なように見える。
「はぁ……!」
 血の塊を吐いたかと思うぐらい熱い息を吐いた。唐突に眠気のような視界狭窄に襲われ、自分も膝を付く。
 シキガミの力は右手からまたズルズルと私を根こそぎ持っていくかのよう抜け出ているように感じた。ああ、貴方がいて本当によかったと呟く。本当のお礼は後でいくらでも言えるだろう。
 あらかじめ任せていたキュア班の人間が走り寄ってきて、倒れる前に抱きとめてくれた所まで意志があったがそれ以上はどうやらダメなようだった。
 一つやり遂げた満足感を感じながら私は眠りに落ちる。

 この瞬間の幸せなど、目が覚めてからの戦争を考えれば忘れるべき事であるが、今この瞬間だけ、勝利に近いその感覚を感じながら眼を閉じる事にした。

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