第170話『運命選択』

『例えば君の娘を殺すか、世界が滅びるかの選択があったとして。
 どちらも選べずに終わるのが愚者。
 自らを犠牲にどちらもを救うのが英雄。

 しかし選択を行う者が勇者だ』

 だから我等の言う勇者は英雄にはなれないんだよ。

『汚名をかぶろうとも。心朽ちようとも。
 自らの決めた運命と共に歩くものの事だよ。
 きっと他人は彼らのことを自分の視点から見た自分の価値だけで聖人にも悪人にも変えるだろう。
 彼らの価値は我等には変わらぬがな。
 だからこそもっとも誰かからの価値の変動する、最も不動の価値を持つ者。
 世界においてもっとも勇気が有るとされる者だ。

 だからこそ』

 この世界は彼を勇者と呼んだ――。



「オオオオオオオオオォォォ!!!!」

 巨大な斧の術式刻印が白く光を持って斧の上を奔った。大地が悲鳴を上げて盛大にめくれあがる。
 全力で放った彼の一撃は大きく大地を揺らし、セインの軍を飛び立たせた。術式は威力を増す為のものではあるが、普通の人間が振っても木が一本切れるかどうかの技である。それを――十人以上を並べたセイン軍一隊の足元を抉り取ってみせた。
 獣の王の顔を持ったアルベントが開戦もまもなくとなったところで前線から単独で相手の前線隊に向かって突撃を行った。傭兵隊やグラネダ軍の静止の声を無視した、開戦の合図ともなりえる全くの愚行である。その瞬間にグラネダからもセインからも敵とみなされた。
 彼の背後ではグラネダ軍が弓を構え、空中でセイン軍は槍を構える。

 勇者は英雄ではない。
 勇者は王ではない。

 この、世に。唯一である。

『弓兵構えェェ!!』
『突撃ィィ!!』

 両軍共に最初に標的にしたのはアルベント。

 この緊張が、その瞬間、一気に破裂した。

『オオオオオオオオオオオオオオ!!!』

 何百何千という人々の咆哮。
 自分の声一つでは及ぶことの無い連帯する高揚。

 しかし孤高の獅子が見ていたのは、そのどちらでもない場所である。

「裂空ッ!!!」

 アルベント・ラシュベルの一瞬の覚悟は、たった一人に捧げられたものである。
 ずっと見ていたのは果てに居る赤い理想主義者。

「虎」

 この戦場で一番大きな声を持つのは人数の多いグラネダではない。
 足を止めたくなるほど魅力のあるものを持っている人間が居る。ただその引き立ての為では有るが、なんの躊躇も無く、死線に立った。その価値があると認めて。

「砲!!!」

 ゴォ――!!

 東で爆発したかと思えば今度は西からの暴風。
 突然の事態に混乱した両軍は当然足を止めることになった。


 そして目を上げると、見るものを圧倒する虹色の光が風と共に波うち流れる。それは正に幻想世界の光景であった。虹は天空高くに弧を描いて出現するが、まるでオーロラが地面から溢れ出しているかのようである。突然にしては祝福されるが如く幻想的で、悲鳴と血の臭いに満ちつつあった戦争には似合わないものであった。

 全員が歩みだした戦争の中心に一線が引かれ、目を奪われたそのオーロラの壁は見事に両軍の足を止めた。



「この戦争、ちょっと待ったああああァァ!!!」

 虹を引き連れていつの間にか両軍の間に現れたのは十人にも満たない傭兵である。少なくとも何も知らない人間にはそう見える。
 剣を掲げて両軍に叫ぶコウキとファーネリアがセイン軍側。コウキの叫びと同時にアルベントがその二人に合流した。
 そしてその背にはオーロラの壁を挟んでアキ。神子であるシェイルとジェレイドとシキガミのタケヒトとアスカがただ真っ直ぐグラネダを見据える。

「この戦い、理由無き戦争と見受けました!!」

 ファーネリアが声を張る。
 長いような短いような時間を経て、オーロラが消え去り、その中心へと皆の視線が注がれる。

 見事な色の反転を見せるアキが文字通り目の色を変えて大きな剣を掲げた。

「この先の戦い!!
 このアキ竜士団が預かります!!」



 一世一代とも言える心境で叫んだ。これだけ大勢の前でしゃべる事なんて滅多に無いだろう。
 俺はセイン軍を前にして剣を掲げた。俺の役割を言うと此処までである。此処から先はアキにやってもらうことになる。
「アルベント、ありがとなっ」
「いや安い用だった」
 西の果てに居た自分と逆の端に居たアルベント。一瞬戦争が始まるかと思ったが、間一髪間に合った。
「あそこの一隊邪魔だなーって思ってたんだよどうして分かったんだ?」
 線を引くために、どうしても重なってしまうので被害が最も少なくなる線を選んで剣を構えていた。そしてその直後にアルベントの突撃により俺の引こうとした線上に障害物が無くなった。
「線引きの話とコウキの目線で何となくな」
 アルベントは目が良かった。そういえば本当に動物っぽい五感をしているんだった。野生万歳祭りを催すべきだろうか。
「流石っ」
 アルベントは鼻を鳴らして小さく頷いたが、視線は一度もセイン軍から逸らさない。
 俺はそれに倣うように剣を下げて前を向いた。

「双方、代表者を!!」

 アキがいつに無く勇ましい。彼女の至るところが色の反転反応を起こして、いつもは赤茶の髪の色も今は真っ青だ。仮神化とその名を聞いて久しいけれど赤かろうが青かろうが彼女は彼女であることが分かっている。特に今は決意するものが懸かっているため懸命なのだ。
 グラネダには彼女の事を知らない者は居ない。だからこそ彼女に見合った人物が前に出てくる。ヴァンの思惑通りなら総隊長が前に出てきてくれるはずだろう。
 対して俺がセイン側に居るのはもちろんキツキに出てきてもらうためである。シキガミにはシキガミを。セインが俺を知らなくてもキツキが俺を知っているから。

「コウキーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 予想に反して、凄いのが飛んできた。
 バサァ! っと金色の羽をはばたかせて風を巻き起こして止まると思いっきりこちらに飛び掛ってきた。
「うぁっ、ティア!?」
「生きてた! うああああっ! よかったぁああっ!」
 キツキの神子ラエティアは変わらず勢いが良い。剣を避ける様に下げて片手で支えるとわしゃわしゃと頭を撫でた。
「あっはっは! 俺は不死身だからな! 大丈夫だからちょっとファーナにくっついててね」
 残念ながら今は非常に危険だ。すぐさまファーナに頼むように視線を向けるとファーナはすぐにティアを受けとってくれた。
「うああっファーナっごめんなさいっあたしじゃキツキが止められなくてっ……うぅ!」
「ああもう、ほら、泣くのは止めなさいラエティア。コウキは大丈夫ですから」
 ティアはキツキの暴走を止められない。あれは全部キツキの意思だからだろう。俺がキツキに殺されそうになったときにもずっとやめるように叫んでいた。

「エアリィン様!」

 びくっとティアが表情を一変させて後ろを振り向く。その先には赤い翼の屈強な男性とキツキが立っていた。ティアの本名を呼んだのが赤い翼の男でこちらを敵意を持って睨んでいた。
「キツキ」
「……」
 キツキは俺を見て押し黙る。そのキツキに向かって更に言葉を投げた。
「この戦争でセインがグラネダと戦う理由は何なんだ!」
「……此処で仲間が殺されたからだ」
 彼は当然であろうと言わんばかりに溜め息をついた。
「そんなの後付だろ!?」

「先も後も無いだろ。
 お互い沢山の同胞が死んだ。殺した。
 俺たちが此処で戦う理由なんて、今此処で戦争をしているから、それに他ならない」

 ああ、確かにそうだ。
 しかしそれを認めてしまってはこの戦争を止められない。

「そうじゃない!!
 グラネダにはセインと戦う理由が無かったんだ!!
 六天魔王がこの戦争を仕掛けてきておいて、セインを見捨てて逃げてるだろ!!」
「ロクテン様はセインの英雄だ! 侮辱は許さん!!」
 声を上げたのは赤い翼の男だ。グラネダの総隊長よりもずっと若い。こちらの王様と同じぐらいだろうか。それでも赤い羽の人は偉いと聞いたことがあるのをうっすらと思い出した。

「あいつは! 俺たち神子とシキガミだけの戦いに、みんなを巻き込んでるだけだ!
 ここでこの戦いを終われば……!」
「戯言を! ここで終わるなどこの屍骸の上に立って言える事か!!」

 俺が言いたいのはそういうことじゃない。
 この戦いは無意味だろう。でも無意味のまま戦って、戦う意味ができてしまった。それは分かる。
 でもここで止まろうという俺の言い分。グラネダはセインと戦うためにここにいるんじゃないのに。
 ――もう、戦うしかないのか。

「わたし達は、竜士団です。

 戦争に水を差しました。故に刃がこちらに向けられるのは仕方の無いこと。
 ですが待ってください。わたし達は暴れるつもりはありません。
 一つ、わたし達は両軍に――
 決闘を申し出ます!」

 両軍がざわざわとどよめいた空気を持った。
 竜士団は世界に知られている名である。戦争に名を連ねておいて、影響しなかった事は無い存在だ。

「さて、貴軍にて一番腕の立つ者を出してください。
 竜士団が手を下し、この戦争の意味を証明致します。
 人の戦争に、神子とシキガミは関係ありません。
 故にシキガミである其方の方は手を引いてください。
 こちらもシキガミは交渉が決裂しない限り前には出ません。
 決裂となれば――わたし達が全力で終わらせます!」

 その声には意志が宿っていた。亡き父が言ったような存在になるために、彼女は必死なのである。

「竜士団の戦争介入を拒むのならば!
 一騎打ちを受けなさい!」

 ピリピリと空気が震えて威圧する。
 普段のアキからは考えられないほど剣呑な空気を生み出して、相手の目の前に踏み出していくように見えた。彼女の覚悟が本気であるというのはすぐに見て取れる。
 提案はした。後はこれを受けてくれるかどうか。
 虹を引き連れて現れた一団の力をどう見てくれるか。できるだけ派手なパフォーマンスをしたつもりである。

 グラネダ軍の中からバルネロ総隊長が歩いて出てきた。実力、風格共に名実最強の兵である。元々巨躯を持つ人間ではあるが、千や万の兵を背にして尚その存在も薄れることは無く大きく在る。一騎打ちを挑むにあたってこれ程大きな壁とあたる事は相手にとっての不幸でしかない。
 本来なら其処に立っていたのは黄金の鎧と黄金の槍。戦の王と呼ばれた存在で、それでやっと神壁と呼ばれるその人と同等である。武術大会はバルネロには動かない、槍を振るわないというハンデがあって、やっとアキが辛勝でしかなかった。故にグラネダ最強の壁の意味は変わっては居ない。

「さて、若き竜士団よ。
 そこに立つ意味を理解しておられるか」

 威厳や威圧はどう控えめに見てもあちらの方が上である。
 本当に平静なのかは分からないが、動じないだけでもアキは凄いなと思えた。

「ええ、バルネロ様。
 考えも無く此処に立った訳ではありません。
 グラネダの戦争の進み方に疑問があります。
 故に。わたしは貴方達を止めさせてもらいます」

「貴女がグラネダの味方で居てくれないのは酷く残念だ。
 だがグラネダも、セインも、止まるわけにはいかないのだ」

「いいえ、此処でとまれば!!」
「死んだ者が生き返るか?」
「これから死ぬ人間が居なくなるんです!!」

 少なくともそうだ。
 無意味であるという決断を下させる為の時間を与えたい。
 理想を言えばそこで戦争を終わらせたい。
 俺たちが竜士団を名乗る理由はたぶん戦争をやっているほうからすれば、酷く理想主義者の戯言程度の扱いを受けるだろう。

「某とて、分かっておらぬ訳ではない。
 だが、この戦いセインとグラネダの因縁を決する時と見た。
 止まるわけに行かぬ。勝たねばならぬ

 其 処 を 退 け 小 娘 ――!」


 在り方が少しでも曖昧ならここで引かなくてはいけない。
 見栄とか意地とかで戦争するというのなら俺たちは此処に立ってはいけなかったから。
 グラネダの兵士でさえ押し黙って息を呑んだその怒声。何十何百と戦場に立ってきた人間の本質から出てくる恐ろしさ。まさにこの戦場で別格である。いくつの戦場を越えて、試練を超えて“神壁”と名を持った人間か。名を戦場での価値にしてしまえば若い竜士団は雑兵に値する。実力はあるのかもしれないが実績は少ない。

「退きません!!」

 それでも、この竜士団が本物である証明をここでしなくてはいけない。
 アキは引かなかった。
 剣を強く握って切っ先をグラネダに向ける。

「今此処で!
 貴方と共に!! 一度止まってもらいます!!

 アキ・リーテライヌ!
 冠はありません!
 銘は“穿つ十字架”<アウフェロクロス>!!

 今一度お相手願います――!!」

 高らかに鎖の音が鳴る。
 総隊長とは俺も練習試合なんかさせてもらえなかったけど凄く強いとは聞いた。それを騎士隊長が口を揃えて言っていたのだから確かだと思う。何故強いかそれは機密になるからと教えてはくれなかったけれど。アキは一度戦ったことがあるから分かるのだろうか。それでいて敵になることを選択したアキの心境は計り知れない。俺たちはここからただアキの無事を祈ることしかできないから。

「で、こちらの相手は私で良いのか」
 アルベントがセイン軍の赤翼の人をちらりとみた。あちらも敵意満々にこちらを見返す。俺はアルベントが合流してくれるとは思っていなかった。逆側でアレだけの騒ぎを起こしてくれただけでも十分すぎる働きだったのに。
 アルベントがやったことは、俺が戸惑っていた理由の排除。真っ直ぐにしか引けなかった線の上にいたセイン軍を土を抉り返して後退させたのだ。もちろん両軍に被害は無く、刺激となってしまったがその瞬間に俺は真っ直ぐに虹剣を振り下ろすことができた。
「え……アルベント……でも竜士団名の戦いだぞ? いいのか、そう簡単に片棒持って」
 戦争の片棒を担ぐ危険な行為。このままの状態は不味いから確かにその申し出は素直に言えばありがたいけれど。
「ふん。愚問だな。そんなものすでに戦場に居る皆が担いでいる」

 たぶん冗談なのだろう。分かりづらいけれど、アルベントなりの配慮が伺える。
 アルベントは戦争慣れした熟練の傭兵だ。それこそ俺が折り紙つける必要なんて無いほど強いと思う。最初戦った時は勝ったように見えたが真面目に戦う騎士隊長クラスの人間に匹敵するアルベントに勝てるかどうかは微妙なところである。一度あたると体が丸ごと持っていかれるような勢いで振られる巨大な斧や獣染みた異様な素早さは敵にすると本当に恐い。
 その強さは信頼に当たる。俺が出て行くわけには行かないし、アキがこの後連戦っていうのも間抜けな話だ。その間待ち続けるなんてしないだろうし。
 俺はキツキを見た。こちらを見て眉を顰めているがキツキがあそこにいるのはあくまでもシキガミが出た場合に彼が処理するためであろう。
 アキが言ったとおり、神子とシキガミは出ないのだからこの場ではアキとアルベントにしか資格は無い。

「頼んだ」

 だからこそ。
 この戦いを神子とシキガミで終わらせてはいけない。竜士団か――俺たち以外の手の内で終わらせるべきだと思う。

「任されよう」

 何一つ躊躇無く、俺の言葉を受け入れて歩みだした。
 ドカッっと重量のある斧を地面に突き刺して、アルベントが大きく息を吸ってから叫ぶ。

「アルベント・ラシュベル――!
 冠は“選ばれし勇者”<エレクト>!
 銘は“大地術印の戦斧”<ジェクトボリア>!」

 アルベントの冠と銘は初めて聞いた。その呼び名はラジュエラから意味ありげな言葉を聞かされたことがあるが、最終的には君はそれ程の仲間を持っている、という意味だったと思う。抽象的で考える幅の多い言葉で沢山を思わせる事が彼女らの意図だ。俺はその中で自分なりにそうだと思ったら考えるのは止めることにしているけど。
 冠と銘を喋る事は実にフェアを重んじる騎士道から来ているらしい。分かる人間は冠だけで経歴を知るわけだし、武器の銘だけでそれがどういうものかが分かってしまう。

「――! 驚いた、傭兵の勇者は竜士団の一員だったか――!」
「……さてな、だが今私がここに在るのは確かだ」

「私はシェーズ・ボーマント!
 冠は“誇り貴き赤鷹”<アクイレグス>!
 銘は“星屑の双剣”<タイターミリオン>!!」


 さすがに、相手だって一筋縄じゃいかない。武器を抜いて見せたときに息を呑んだ。
 翼人の双剣主だ――。名持ちの双剣主は皆ラジュエラ加護の言わば同門の人間。残念ながらラジュエラにしごかれているのは俺だけだけれど、名を頂いた者の戦いを見るのは剣聖に続いて二人目。不覚にも、こっちの戦いにも期待が隠せない。剣聖と戦王の戦いのような。他人ではあるけれど、自らを突き詰めて命名を受けて高まってきた言わば頂上決戦に近いものだ。
 この中ではアキだけが冠を持っては居ない。だがそれも当然だと言われる。十代のうちに命名を頂くのは異端中の異端の人間だ。今までのアキに持てていたならきっと騎士団は全員が持っていただろうし、もっと世界にも多く存在してしまった。皆戦場で熟練したものに与えられている名だ。安くは無いと実感できる。
 ただし、アキの潜在能力に関しては俺も未知数であるとしか言えない。自分で出力の最大がどれぐらいの威力かが分からない技を持っていたりと、彼女自身も計りかねる何かを持っている。背水の陣である今彼女はどれだけの力を発揮するだろうか。

 四人が真剣勝負の空間をそれぞれの相手と作り出す。

『いざ、尋常に勝負――!!』

 そして大きな運命を持った一騎打ちが始まった。

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