第172話『神壁と竜人』



 法術で焦げた大地を踏んで思う。
 わたしは自分で歩いたのだろうか。
 今此処に立って、何度も何度も問い返す。
 緑は遠くなった。此処にあるのは焼けた大地と血眼になって人を殺そうとする灰色の鎧を纏った人たち。
 綺麗事、理想論。それを振りかざす覚悟。
 全てが見様見真似ではさすがに格好も付かない。全てが言われるがままの子供ではわたしには竜士団を語る資格は無い。
 ちらりと後ろを見た。
 ファーナはわたしを見てくれている。
 コウキさんは見ていない。

 それは。
 わたしを見捨てたのか。

 違う。それはわたしの甘え。見ていてくれるなら助けて貰えるとか、強く振舞えるというわたしがこの旅の始まりから抱え続けている手を引かれ続けたわたしの――あの二人への依存。
 ファーナが見ているのは当然。きっと彼女にとってはどちらが倒れても心が痛い。でもそれを受け入れる覚悟がある。コウキさんが見ていないのも当然。わたしを此処へと連れ出してくれる役目は終えた。わたしを信じてくれていると見ていい。ここで心配そうな顔をして見られるよりは、わたしはずっと自信を持っていられる。
 あの二人を巻き込んでしまえなんて、本当に最後まで甘えていた私の考え。
 わたしを導いてくれる。
 傍に居てくれる。
 優しいくて。
 暖かい。
 本当に大切だと思っているなら。

 わたしは竜士団に誰も巻き込んじゃいけなかった――!

 こんな危険すぎる事。
 両軍が敵で、この一騎打ちに負ければ全員が終わる。ああ、わたしがあんな事言わなければ、皆を巻き込まずに済んだだろうか。今更そんなことを考えてもどうにもならないのだけれど。
 決めてしまったものは進むしかない。
 ここにおいてわたしが負けると言う結果を見せる訳にはいかない。……もう、一度やってるし。
 此処に立つと思わされる。情け無いぞアキ・リーテライヌ。それでもトラヴクラハとスピリオッドの娘か、と。目の前のハイグランダーに叱られているようである。名持ちの人間に許された事は多々あっても、勝った事は一度も無い。それは名前を持っていないからじゃなくてわたしの力が無いから。悔しいと思わない訳が無い。わたしだって、ずっと強くなる為に剣を振ってきた。いつかの竜士団を夢見て、血を流してきた。――約束もある。

 だから感謝します。
 いつもわたしが返さないといけなかった恩。
 わたしが泣かされる理由。
 一つ一つわたしの甘えだと切り捨てられる。

「さて、向かってこないのかね」
「サービスしすぎると火傷しますよ」
「前のままでは準備運動にもならんぞ」
「はい、わかっています。一年前はわたしの攻撃など掠りもしませんでした」

 ギギッっと握った剣が音を立てて、それからジワジワと色の反転を始めた。
 この状態になっているときはいつも必死な時だ。譲れないものがあるとき。わたしはより強い力のために仮神化に体を委ねる。
 思考がクリアになっていく。
 頭が、熱っぽく考えていた感情を切り捨てていく。
 仮神化<アルカヌム・ウェリタ>が進んでくるとそうなる。余計な事は考えないで戦いに専念するようになる。
 仮神化の最中に本当は、泣くとか、怒るとか、感情を表に出す事は少ない。何故かそういった感情が薄くなる。
 でも、わたしはきっと心が弱いから、泣いてしまうのだと思う。躊躇ってしまうのだと思う。

「仮神化したままで泣く人間を見たのは私は初めてだ。
 そこまで仮神化に侵食されていて。神の影響を大きく受けていて。
 貴殿は何故、泣くのか」
「……よくは、わかりません。でもわたしが泣く理由なんて、わたしが弱いに他なりません」

 きっと一年惜しまず修行を積んでいればわたしは今もっと強かった。もしグラネダ騎士様達のお誘いを素直に受け入れられるほど柔軟な人間だったら、もっと違っていた。
 わたしは父の代わりになる竜士団を夢見たまま、届かないものとしてただ外から眺め続けていた。
 心のどこかでずっと届かないままにしておきたかったわたしの憧れていた全てが――わたしの足枷。
 現実になった瞬間に、きっと想像を絶する辛さに潰れるのが怖かった。
 ただ一歩いつまでも踏み出さなかった!
 怖かった!
 わたしは父と違って一人で全てを成すほど強くは無い。世界において小さい存在だと皆で歩いてやっと分った事だ。

 そして気づいた。
 多くを語る意味なんて無い。
 自分が弱いことの露出しかしないから。

 多くの命の上に立っている。
 その上で、進むことを。
 その上で、止まることを。
 お互いが正しいと証明などされはしないけれど。

「いきます!!」

 唸りを上げる十字架剣。軋む右腕。銀の鎖が波打って大剣が舞う。
「当たらぬ!!」
 風ごと投げたような剣が木の葉のように避けられる。
 わたしが自分を本当に強いと言えるのは、きっと父や母に追いついてからなのだと思った。
「知ってます!!」
 ヴァンツェ・クライオンが何度も言っていた。貴女は強い。それはわたしが自分を知ってその言葉の重さを知らなくてはいけなかった。
「だから……!」

 走り寄る。
 術式行使光が線を引き、移動してきた軌跡を残す。その自分を追いかけるように消えていき、自分が止まらない限り追いつくことは無い。
 与えられた強さ。生まれたときに決まったわたしの体の強さから、わたしは自分が敵わない人としか戦ったことは無かった。

「当たるまで!!」

 大きく縦一線に剣を振り下ろし、剣を消して横に一閃を振る。この剣をこの速度で振れる人間はわたし以外に居ない。
 大きく構えられて、そのまま大きく突きを出してした。

 ゴッッ!!

 金属のハンマーで思い切り叩かれるような鈍い音。十字架剣の面でその突きを防いだが、地面に足を付いていたにも関わらず、そのまま仰け反りそうな姿勢で地面を滑った。再び最初に居た距離を取り戻してわたしは仕切りなおしを強いられる。
 強い……! しかし当然だ。わたしは今剣聖にも勝る力を求められている。大抵名前を持っている人間なんて、剣を持って何十年、魔法を使うこと数百年といった人達だ。父や母だって初めからそうだったわけじゃない。わたしが求められているのはあの人たちが乗り越えたそれに同等の価値の強さだ。今から一瞬で其処に到達しようなど、図々しいにも程がある。
「術式:幾多の罪を赦し賜え<ジャド・ジュレーヴ>!!」
 すぐに体勢を整えて、全身のバネを使って全力射出。
 赤い軌跡が大量に攻め寄り、嵐のようにバルネロを襲撃する。
 それは1年前の再現。わかってはいても皆が驚きの声を上げる。
「術式:悔い改めよ<ポェニティアム・アギテ>!!」
 更に空中からとどめの一撃といわんばかりにアキが剣を振り投げる。轟音を立てて剣が地面へと突き刺さり、隕石が落ちたようなクレーターが出来上がった。

「大型弩砲<バリスタ>かよ……!」
 アキの攻撃を見た兵が言う。
 この技は本来弓で使うものと聞いた。それは間違っては居ない。
 わたしは先程の一撃の力を利用してバルネロ様の居る位置に飛び掛る。

「無駄だと言っている!」
「やってみないとわかりません!」

 足りない……!
 剣に力を篭める。パァッと赤い線を引いて、術式ラインが浮き彫りになる。
 わたしは当てなければいけない……!!

「断罪の一線:無から無へ<エクスニヒロ・ニヒル>!!」
「術式:豪進弾<ランブロク>!!」

 ガァァァンッッ!!
 近くに寄って振った一撃に槍が当たった。防がれたから当然ではあるが、当たったこと自体には驚きの声が上がった。
 総隊長の術式行使は始めてみる。
 しかし、これが最後かもしれない程に――強烈な一撃だった。こちらが術式を当てた事など、微塵も気にならない。防御したわたし毎まるで壁に激突されたような一撃。剣が消せるような物でなければ、押し返しでそれに真っ二つにされていた。体術ではあったが体全体が岩に直撃したような痛みを覚えた。
「ガ……ハァッッ……!!」
 体が割れる……!!
 体勢を空中でなんとか着地に持っていきつつ、目の前の気配に気づく。
「連式!!」
 相手は当然微塵も手加減をしてくれては居ない。それは当然。これは単なる試合ではない。
 わたし達が命を賭した戦争。

「灰魁の彗星<グラーシーザ>ッ!!」

 銀色とも言えるその光を纏った槍が空中にいるわたし目掛けて一直線に突き出される。
 空中での姿勢移動には、体が言うことを聞かない。先程の攻撃で、着地が出来る程度にうまく回転するので精一杯だ。あとは十字架剣頼りである。
「避けて!!」
 ファーナの声が聞こえたけれど、それが出来ないから取っている行動だった。でも少しだけ反射的に体が仰け反るように動く。わたしがファーナの叫んだ真意に気づかされたのは直後である。
 ザシュゥッッ!!
 ただでさえ体中が痛いのに、更に盾にした剣を突き抜けて脇腹に深く槍が刺さった。そしてそのまま切り捨てるように槍が振られる。
 幸い、心臓には当たらなかった。左胸の下に穴が開いたけれど。
 貫通技――なるほど、盾を持ってしても貫かれるという恐怖の技。確かにこの人には何も通用する気がしない。

 気合で着地して、二度呼吸すると、血を吐いた。
「アキ!!」
 ファーナが叫ぶ。でもその声に振り返ることはしない。悲痛な顔を今見たくない。
 ドクドクと左胸が熱い。
 これは心臓ではなかったにせよ、じきに死ぬ――。

 槍を構える山のような槍兵。ハイグランダーは未だに高い壁である。

「決したな」
「……まだです」

 ジャラジャラと鎖が鳴る。わたしはまだ死んでいない。
 自分にはそんな余裕は無い。相手が進んでいる時は当たることが分かったのならば攻撃あるのみである。
 もっと、もっと強い一撃を当てなくてはいけない!!

「愚かよ!!」
 そんなものは、まだこの先でいくらでも変わる価値だ!
「二線!!」

 ブワッと追い風を感じた。ミシミシと腕が悲鳴を上げるような音を感じる。
 往生際の悪い――、とバルネロが口にしたが、気にするような事も無くなった。

「天から地へ<アラスト・クラニクル>!!」

 パァァァンッ!!!

 振りきると地に刺さる切っ先から光が爆ぜる。
 赤い光はもう、無い。
 自分が引いている術式行使光は明るい青。

 十字架剣も青い。
 そしてその上に光る術式ラインの光も――空色。

 まだ足りない。
 もっとだ。もっと強くならなきゃ、届かない。

 今の一撃であのハイグランダーが、一歩退いた――。当たってはいない。避けた。避けさせた。
 彼は身を引いて大きく構えている。空気がパリパリ音を立てて軋む様だ。その場に居るだけで視界が揺れる程の迫力は普通の神経では立って居られないだろう。

「術式:灰魁の彗星<グラーシーザ>ァ!!」
 次こそ心臓に届いてしまうか、と思うほど早く巨大に見えた。
「術式:悔い改めよ<ポェニティアム・アギテ>!!」
 グッと力を篭めて、持ったまま剣を振り下ろす。
 バギャァ!!
 また鉄で鉄を叩き落す重苦しい音がする。
 この一撃は超重量、超加速する技だ。相手の槍ごと持って行けばその重さで持っていかれた物は殆どの場合持ってすら居られないだろう。次の一撃はわたしが有利……!!
 しかしその攻撃を受けて尚――バルネロは槍を放さなかった。
「ぬぅ……!!」
 ミシミシと大地が割れるような響かせながら地面へと足が少し飲まれていく。

 しかし、ここしかチャンスは無い。
 守りに徹している間は攻撃が効かない。攻撃を受けている最中である今、次の連撃を決めなくてはいけない……!!

『術式!!』

 バルネロとの叫びは同時。
 力を篭めろ、力を篭めろと頭に流れ続けるわたしの叫び。

「竜神の咆哮が如く<マキナ・サン・クラマ>!!」
「三大精霊の重壁<バルト・モートス・アイガー>!!」

 空色の光を持っていた剣がパキパキと術式ラインを広げていく。剣を象るシンボルを大きくすることでその剣は更に大きさを増して見える。
 まさに全力、全開――わたしに今以上の力は無い!
 全身全霊を持って、この――相手を屠ると決めた!!

「ハアアアアアァァァァァァ!!!」

 槍から銀色の光が広がって大地に線を描く。それは三つの色を持って柱を作り、空高くに伸びる。さらに格子状にその範囲を広げ、瞬時にグラネダ軍を守るような形になった。
 三大精霊の加護者――。大地、空、太陽――その精霊は、この世に存在する全ての属性の攻撃を無効化する。
 ――悲しいかな、わたしの焔だろうが無属性だろうが、関係は無い。バルネロ様の修行を上回る程の攻撃を覚えなくてはいけない。もしくは、それほどまでに鍛錬を行わなくてはいけない。

 それでも、わたしは――!!

「クワアアアアアアァァァァァァァ!!!」

 叫びに血が混じる。
 赤い血が、その剣に吸い込まれるようにちってわたしのドラゴンブレスの光の中に消えた。なるべく高出力を小さな範囲を狙って至近距離でそれを撃った。
 それはお世辞にも絞りきれているとは言えないけれど、城を吹き飛ばしたときより一回りは小さく見えた。
 トラヴクラハ・リーテライヌなら突破する。シルヴィア・オルナイツならば壊せる。
 わたしはただ、貴方達の血を受け継いで育ったけれど。それ以上でもない。
 ただ生まれた個人に過ぎない。これを貴方達の娘として、生かせることができるかどうか。それはわたしの生き方に過ぎない。
 わたしがは至らない子でしたと言えば良い。今此処で死ねば――それが全て。

『アアァァァァ!!!』

 アキ・リーテライヌの命は――。

 此処で、

 死んでは、

 い け な い !!!

 わたしは一度助けられた!
 死ぬほどの無茶はしたつもりもあるけれど、わたしが何の為に生きたのか!!
 わたしが涙を流して求めたのはいつも――!!!
 脳裏に焦げ付くような熱を感じる。
 目の裏がチリチリと電気を走らせる。土の塊が浮き上がっては咆哮き消え、大地は大きな揺れに包まれる。


「その為なら!!!
 わたしは――竜にだって届いてみせますから!!!」


 ゴォン……!

 その叫びと同時に――世界が、白と黒だけになって。
 ピタリと皆が息を止めた。

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