第173話『天意裁判』

 ゴォン……
 ゴォン……

 静寂の中に鐘が鳴り響く。それは本当に空に吸い込まれるように反響して消えて行った。
 全てが止まったように感じた。
 全てが、灰以外の色を許されない。

「ひっ……あっ……!」

 パリッと自分だけが世界に生きることを許された。
 しかし息が上手くできない。
 きっと、肺に穴が開いてしまっているせいだ。
「ごほっごほっ……!」
 無くなった? それとも無かった事にされた? どちらだって今の現状を作るには変わらない事だけれど。
 ベタベタと手にまとわり付いた青い絵の具のようなモノをごしごしと拭ってわたしは空を仰ぎ見る。

 ――ドラゴン。

 ドラゴンが高い空に見える。空間と空間のつなぎ目がゆらゆらと水面が揺らぐような曖昧なもので繋がっている。
 その揺らぎの先には真っ白で高い塔が見えて、その周りをぐるぐると灰色や茶に見える竜が飛び交っている。もちろんグラネダの近くにそんなものは無かったしあれがこちらの世界の建築物ではない巨大さである事が一番の理由である。あんなもの、人に作る事は出来ない。
 竜の神話は、わたしには身近なものだった。父親に聞かされたことが殆どであるけれど、小さい頃のわたしはその話を何度も繰り返し繰り返し聞いてきた。わたしたち竜人に伝わるもの。

 竜とは、かつてこの世を生きた最強の生き物である。知恵を持ち人に解けない難を説き力を持ちその大きな体で全てに打ち勝った。
 そしてついに竜は神に挑み始めた。
 竜はこの世界に満足はしていなかった。自分達ならば、その世界を作る事ができる。自分達ならば、この世界の失敗のように重ねずに済む――。
 そうして、神々との大戦争を経て、神に認められた竜は神である座を得ました。
 自分達で新しい世界を創造しました。一つの塔を中心にする、竜が生きる為の世界を――。
 竜が生きれない世界だという理由は人が居る為でした。小さいけれど、狡猾で傲慢。子竜を殺しては、自分が強いのだと言い張る。暴れる竜を見ては、弱い生贄を差し出す。
 竜は絶望した。すべての責任を個で終わらせることが出来ない人間達に。敵わないと分かってそれでも自分達に刃を向け続ける人間達に。そのすべてを含めて弱すぎる人間達に。
 竜が共存を拒んだわけではない。人が平穏を望むからこそ。そこに竜が要らないのである。だから親切にも竜は此処を人に譲ってやって自分達は自分達の世界を作ることに決めた。
 そして去っていく竜たちを見て人々は竜に見捨てられたと泣く。
 結局竜が居る事にも依存していて、その後の世界の均衡を自分達で保つことが出来ない人間達が嘆いた。
 そこで竜が神に提案したのは神性階級だと言われている。増えるほど、神性階級は下になる。少なくなるほど神性階級は上になり、特殊な力もつく。それらは全て人の均衡の為であった。そして其れゆえに竜が加護できる階級は決まっていた。竜は人々の協力者だった。世界の被害者でもあったのだけれど、小さき人に慈悲を持って接していた。そんな竜に加護される限られた人物層――それが竜人である。それが竜人と呼ばれる由縁ともなっている。

 この静かな、それでいて、重苦しさと、痛快なほどの青い天空。
 竜が降臨するのだろう。わたしは遠くへ行かないと。
 守るべき人たちが巻き込まれてしまう。

 天意裁判<ジャッジ>に――。

 これから起こる全ては、竜人以外には分からない。強制的に世界に入って品定めされてしまう。

 お母さんは連れて行かれた。

 ああ、ピリピリと脳の裏側で記憶の奥底の鍵の掛かっていたはずの扉を開く。
 怖い……!

 この世界は、わたしの世界じゃないから。
 今此処は竜世界。現実世界は色を失った。鮮やかに見える竜世界の景色は、見惚れるほどに美しい。
 わたしには逃げられない。たとえ土の中に潜ってさえも竜の口の中に入ったも同然。今この場の支配権は竜にある。
 この世界に干渉を許される人間はわたしだけ。
 他の誰もが色を持っていない。
 ファーナもコウキさんも。騎士様達もみんな、ただ世界を眺めるのみである。

 十字架剣を地面に差して、座り込んでゲホゲホと咳き込む。青かった血がジワリと赤黒い色を取り戻して痛いことを今実感した。
 このままだと本当にまずい。次は何て言われるだろう。

 天意裁判。わたしに今降りかかってくるとは思いもしなかった。父は何度かこれを退けている。竜は言葉を話し、わたし達に語りかけてくる。この世界にわたし達が招かれている事。そして招かれたわたし達は竜に食べられ、竜として生まれる事ができる。
 ――見たから。

「いや――やめてっ……! 知りたくないの……!」

 自分で言った言葉が、何故か理解できない。
 何を知りたくないのか。何が嫌なのか。
 それでも嫌悪感と、ただ背筋を走る冷や汗に悪寒が尽きない。

 記憶は一つ白と黒で色をつけて景色を見せた。
 母親がわたしを守らせてくれと言った時である。
 『あの子を守らせて』
 母が言った。ドラゴンにとどめを刺してしまえばよかったのに。
 不意にわたしを振り返ったおかあさんはとても優しい笑顔で――わたしの名前を呼ぶような。
 だからわたしもお母さん、って、呼ぼうとして――

 お母さんは、お母さんは

  あの黒い、竜に 食べられた の。

「あああああああああああああ!!!」

 わたしはすべての光景を見た。血飛沫が飛び散る瞬間も、腕輪が零れ落ちる瞬間も全て見た。
 あの鮮血をみて。あの結末をみて。
 ドラゴンに母を食べられたわたしはただ恐いと思った。

「わたしは……!」

 本当ならば心が折れたかもしれない。ドラゴンに強制的に呼び覚まされたような記憶に焼かれて、恐怖心が焦げ付いて目の前を狭くしてしまっただろう。空は薄暗く見えただろうし、黒い竜を見ればそれ以外何も見えなくなっているほどに。
 わたしが見上げているのは蒼い天の空。白いドラゴンや赤や茶のドラゴンも自由に飛び交う竜の世界。
 恐い……!
 こんなにも、世界に脅えること、こんなにもわたしが小さいこと全てを含めて。
 ぼたぼたと涙をこぼし始めた。

「……」

 この世界に一人なのも。
 これからわたしが一人で立ち向かう絶望感も――。

 わたしにはドラゴンを振り回すような力は無い。
 本当の意味で規格外の力を持っている命名を受けた者達はこんな絶望を感じないだろう。
 わたしが涙を流すのは。わたしが弱いから。今は自分の形すら見失ってしまいそうなほどに心細い。世界に溶けてしまいそうなほど自分が曖昧だ。

「大丈夫ですか?」と声が聞こえた。少し顔を上げると、手が見えた。見覚えのある手が二つ。
 本当に、ごく自然に手を取った。触れて、引き上げれたような感覚を覚えた。
 顔を上げたのと同時に――。わたしはまた、モノクロと竜の世界に居た。

 ……目の前に誰も居ない事に、不思議な感覚を覚えた。
 わたしは誰に起こされて今、前を見ようと思ったの――。

 ざく、ザク。足に力を入れて、立ち上がる。大分マシになったとはいえ、傷は傷。痛い。さっきからずっと抑えている左手は真っ赤に染まっていた。
 軽く目を閉じて、息を吸う。そして、ゆっくりと吐き出した。
 立ち上がるべく、理由を思い出したから――。
 お母さんがその結果で終わってしまったことはわたしにとっては悲しいことだったけれど。
 母親に凍りついたように束縛されるようなことは無かった。
 悲しいな、という気持ちは当然今も芽生えたのだけれど。
 だってもうその鎖はすでにあの人が壊していったから。


 その竜は其処に居た。いつの間にか。
 そっとわたしを気遣うように見ているような気がした。
 真っ黒な竜は大きな目で私を見下ろす。

「此処には人が多いので、できれば遠くにいきましょう……っ!」

 できればあの光景は人に見せるものじゃない。竜人クラスの人たちは皆身動きは取れないが視覚は残っている。
 竜はゆっくりと首をこちらに向けて少しだけ、首を捻った。

『構わないすぐに終わる』

 歪みを持った竜の声。これも聞いた事がある。人の言葉なんて知る必要の無い竜が人の為に言葉を落とした結果である。低くてくぐもった重い動物である声。
 すぅっと寄ってきた竜に剣の切っ先を向ける。
 大きい。ドラゴンを見るのなんてドラゴンレプリカ以来だ。あれは定義的にはドラゴンでは無いけれどそれでも大きさは同じぐらいかそれよりも大きく見える。わたしなんてドラゴンのつめほどの大きさも無い。
「わたしは抵抗しますよ。だから遠くに」
『何故?』
「わたしは竜に成りたくありません。愚かで弱い人間で居たい……けほっ」
『其は強く成りたいと願った』
「はい……っわたしはそれならばこの人間のまま強く在りたいです」
『理解に苦しむ』
「……はは、はぁっ」
『其は時期に死ぬ。無念を叫び、世界に消えるだけとなる』
「それはそれでいいんですよ……っ」
『報われぬ、とは言わぬが。それが満足だというのか。其ほどの力があって、この世界に届かぬといわれる事が』
「……っけほっごほっ!」

 しゃべれない……!
 血をなくし過ぎた。流れるものを止めることは難しい。体でも自然でもそれは同じ。意識が朦朧としきた。地面が近づいていることで、自分が倒れていると気づいたけれど、感覚がおかしくて姿勢が分からない。わたしはそのまま倒れてしまった――。
 つもりだった。



「満足じゃないね。こんなん全然納得いかねぇ!!」
「同感ですね――。アキ。これが天意裁判と言うのなら退けましょう」

 ビリッッと電流が走ったみたいだった。急に全身が力を持った。わたしの姿勢はコウキさんとファーナに抱えられていて、後ろに寄りかかるようにして立っていた。声と同時にあった激痛に反応して反射的に姿勢を真っ直ぐにして正しく地に立つことができた。
「こうきさ、ん、いた、いっ!」
 ズキズキと傷口が疼いて、熱を帯びる。コウキさんがそこを抑えているから。

「痛いだろ! 生きてる生きてるぅ!」

「いや、そ、ごほっ! そこじゃなくて!」
「しかし圧迫していないと、また死にますよアキ」
 痛いホント、指が、傷口物凄い圧迫してくるんですけど……!
 それでもファーナもコウキさんも笑ってわたしを支えてくれている。また死にますよなんて台詞わたししか言葉の意味そのままに受けれる人間は居ないだろうなと思った。だから少しだけ笑えた。
 本当にコウキさんは毎日毎日笑顔が元気だ。日常のシンボルでもある。どうして二人が今此処にいるとか、そんなのは凄く瑣末な気がしてきた。
「ダメ。アキすぐ痛くなくなると死んじゃうし。このエムっ子め!」
「えぇっあぅっど、全体的にどういうことですか……っ!」
 いや、今確かに、何か諦めに似た暖かい何かを感じたりして、今痛みによってまたはっきりとした意識を取り戻してきたわけだけれど。それは痛みに慣れたわたしが出血による貧血を起こして平衡感覚を崩してしまっただけでそれは全然痛みが気持ち良くなったわけじゃなくて、慣れたとは言ったけれど慣れたというのは決してその痛みを良い方向で受けたんじゃなくて麻痺とかそういう感じで慣れただけで――。
「アキは痛いの大好きなんだなぁって」
 何そのいい笑顔。ちょっとコウキさんが酷い誤解をしている。
「ごほっ! 誤解ですよ! コウキさんだってそうじゃないですか!」
「否めませんね」
 ファーナが顔を顰める。
「ええっいや、ファーナそれは誤解だよ。痛いの嫌だよ俺。だからがんばって強くなるんだ」
「わたしも嫌ですよっひあんっ! へ、変な声でたじゃないですかぁ!! ごほ……!」
「コウキっそ、そのあまり変なことはよくないですっ」
「変じゃないよ。どちらかと言うと傷を抑えられて気持ちいいアキが問題だよ!」
「誤解ですってばぁぁあ!」
 わたし真剣なんですよ――!
 というか、
 なんで、二人が、此処に、居たりなんかしちゃったり……してるんだろう。
 痛いのはそうなのだけれど。
 天意裁判はわたしのように階級の昇格審判を行う者のみが動くことを赦されて、後は見ることしか出来ないはずなのに。

『人の子。神の子』
「はい」
『……己より下等な気に入らない奴は殺してしまえばいい。
 どうせ少しでも残っていれば人は生まれる。
 そう、己より馬鹿を殺せる平等があるだろう。
 これは選択肢だ。倫理や道徳は考慮に入れなくていい。
 我はこの戦争は正しいと思うし、君達がやりたいことも正しい。
 そして世界的多数決でこの場を決めてしまうと、君達以外が死ぬことが最も優れた解決になろう。
 何を迷うか優れし者よ。
 其には殺す力がある』
「それじゃ意味無いんだって!」
 コウキさんが右手を振って叫ぶ。
 私達が望んでいる結果じゃないし。
『なんなら我が燃やそう。一息すればこの数も今の半分に満たなくなる』
「止めてください!
 この人たちには関係ないじゃないですか!」
『我にとってはどうでもいいことだ。
 ああやってくれてやろう。その方が早い――』

 あ――。
 それは。

 それ、だけは。


 ィンッッ!!
 ドラゴンの収束は早い。それこそ神速とも言う。
 真っ赤な術式ラインがスゥッと線を描いて徐々に口元に巨大な術印を描き出す。竜の大きさはそもそも測れない。グラネダもかくやと言うほどの大きさである。ドラゴンレプリカなど比べ物にならない。空も飲み込むほど大きな竜に相応の大きさの術式はかなり巨大なものである。それに威力も計り知れない。ドラゴンは今興味が無いと言っている。なら全滅しようが構わない、そう言っている。
 その大きさはセインが放った巨大術式や、グラネダが放った焔の巨大術式なんかの比ではない。

「でけえええぇぇぇえ!!」

 コウキさんが叫ぶ。わたしもファーナも彼と同じぐらい驚いていた。今すぐ、何とか対処しなきゃ――。
「十字架――<アウフェロ>!?」
 わたしも十字架剣に収束を行おうとするが、全く反応しない。

 ――さっきの戦いで剣に穴が開いている。
 ああ、そうか、だからアクセサリーに戻らなかったのだ。

「こ、壊れてる……!」
「えっ!? マジか!」
 そういえば鎖も伸び縮みしない。巨大な鎖付き鈍器になってしまった。
「コウキ宝石剣を! 全力でアキを支援します!」
 ファーナがドラゴンを指差す。
「さぁ、ドラゴンを倒しましょう!
 わたし達はこの戦いに勝たねばならないのですから!

 こちらが前哨戦でしょう!!」

 対竜神様が前哨戦――!?
 確かに言われればそんな気もしなくも無いけれど、どう考えても規模の大きさが逆だよファーナ!
 この二人にサンドイッチされた状態でわたしに何が出来るだろう。と考えているとコウキさんから紅蓮宝石剣を渡されて慌てて剣を地面に突き刺してそれを受け取る。アウフェロクロスがあるからあまり派手に移動できない。ここで技を放ってしまうのが一番策でこの状態からするとそれ以外の選択肢は無い。翳した手にファーナとコウキさんの手が重なった。

「微力ながらわたしも協力致します」
「デカイのいくぞーーーー!!」

 パァァァッと宝石剣が真っ赤に光り輝く。キラキラと焔の精霊の光が地表に舞い上がる。
 わたしの力では此処まで大きな収束は出来ない。コウキさんの気合全開とさらにファーナが焔を躍らせる。
「ではアキがマキナ・サン・クラマを。皆で撃てばきっとドラゴンのファイアブレスにも届きます」
「じゃあファイアブレスだな! 叫べよ!」
「えっそれ意味無いんじゃ?」
「ふいんき大事だよふいんき!」
「ふふふっそうですね! さぁアキ!」

 ファーナが凛とした瞳を竜に向けた。
 わたしもそれに倣って竜を見る。

「――感謝しています竜神様!」

 例え母を食べた竜だとしても。
 わたしがそれをうらむ事は無い。母が選択した道で、母がわたしを助けてくれるようにと願った経過があって今生きていられている。やっと歩き出せている。
 世界記憶の成した母ではあるけれどわたしはその言葉を聴くこともできたし、あの人はわたしを応援してくれていた。

「わたしが此処で止まる事は赦されません!」
 手を添えてくれる仲間がいつまで居てくれるかも分からない。

「次は“わたし”が!! 竜<アナタ>に勝ちます!!」

 これは間違いなく天意裁判において無効を得て良い反則だろう。
 今はそれで良い。
 そうしなければならない――!

「術式:竜神の咆哮が如く<マキナ・サン・クラマ>!!」

 体中に――浮遊感のような壮絶な高まりを感じた。
 それは空から落ちていくときのようなぞわぞわと鳥肌の立っていく高揚感。

 敵わない事を知っていて、わたし達は笑っていた――。

『超竜虎火炎砲<ファイアブレス>!!!』

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