閑話『コウキ・ユキナ』


 あ、あ――。

 変な音が聞こえる。
 金属がぶつかるみたいな。
 動いてるのは分かる。

 意識の外。
 何だろう、不思議な感覚だ。

 私は動いていないけど、風を感じる。
 寝起きに近いのは意識だけで、思考ははっきりとしている。


『――目が覚めたか』

 遠くで聞こえた。
 知らない人の声。
 女の人。
 見えない暗い場所に居る私を見つけて、彼女は問いかける。
 ここは何処?
 その答えを待つ。

 ――……長い。
 きっと聞こえなかったんだ。
 いや、違う。
 だって私は喋ってない。
 起きてないんだから。
 眠ったままの私。

『問う、名は何と言う?』

 問われた。
 答えないと。
 だから。

 目を、覚まさなきゃ。




「……た、しは……っ


 ……、きな……」




 喋ったのだけれど。
 酷く喋りづらい。
 誰かが強制的に喋らせまいと顎を押し付けていたみたいな。
 目を開けたいのだけれど、開けているつもりなのだけど、光の信号は無い。
 酷く不思議――でも、不安ではなかった。
 でも、この場所は心地よい。



『うお! なんだ今の!? なんだ今の!!?』


 聞こえた。
 日常の声。
 安心できる理由は彼が居るから。
 長い時間をずっと一緒に生きてきた最愛の弟。

 久しぶりに聞いたはずなのに、いつも聞いていたみたいで。
 その矛盾の正体に気づく事は無かったんだけど。
 じっと、誰かと彼の言葉を聴いている。

『さて――。
 キミにもそろそろ自覚があるだろう。
 キミはプラングルに近い。
 キミ達は約束を目の前に、決戦を行う』

 こんどは私に向けられたものではない。
 彼に対してその言葉は向けられ、私は傍聴者となる。
 悲しい、と彼の心が動いた。
 可哀想――。

『――……それは嫌だ!』

 素直な弟だと思う。
 真っ直ぐでいるから、私はずっと支えてあげたいと思っていた。

『ああ、知っている。
 キミがキミであるのなら、キミは其れを成す。
 支えを得たのだから。
 世界を変える為に――キミ達が戦うんだ。
 だから。
 再び別れを迎える。

 サァ、仕上げるぞ――!

 必死で抵抗して見せろ! コウキ!!』


 ぞわっと――背筋に冷たいものを感じた。
 私から見てもおしゃべりで余計な事ばかり口にする弟が口をつぐむ。
 ぴりぴりと空気の緊張を感じて、世界が狭くなったように感じる。
 集中とも言うそれは、視野を狭くするが絶大な反応速度を約束する。
 慣れてきた。視界は無いのだと気づいた。

 異様な速度で彼が後ろへ飛んで、左手に何かを持つ。
 ギリッと力いっぱいそれを握って可能な限り素早く目の前へと振り下ろす。
 また、金属音が鳴る。
 それは何度も何度も。
 分かるのは、誰かと傷つけ合ってる。それだけ。


 コウキを、苛めないで――。

 怒りがこみ上げてくる。
 彼ばかり疲労しているようで、相手はずっと楽しんでいるのを感じた。
 ――もどかしい。
 私には彼を庇う事が出来ない。

 一際甲高い音共に、右手に持っていた何かが手から離れた。
 明らかな動揺に心が揺れる。

 何を見たんだろう。
 死を――覚悟する。

 私もそれと同じ衝動を受け、眼を閉じる。身体を小さくする。
 そういう雰囲気だけではあるが。


 ドンッッッ!!!


 身体に大きな衝撃を覚えた。
 頭に直接響いた。クラクラする。
「イッ……!!!」
 痛い。今までで一番痛い衝撃だった。
 いっぱい殴られた事あるけど、死ぬほどって程じゃなかった。
 死ぬほど痛い。全身を思いっきり叩かれた。

 痛覚が戻ってきた。
 全身が心臓から順番に、痛い、と叫ぶ。
 それが足の先や頭の先に行き渡って、涙が出た。
 真っ白な光に呑まれて、まるで私は今ここに

 生まれたみたいで――。





「――ようこそ“プラングル”へ――」










「ゲホッ……! な、何……!? 今何やったのさ!? なんか無いぞ!」
 わさわさと自分のポケットから無くなったものが無いか探してみる。
 財布はある。メモ帳もある。ルー用のお菓子もある。
 そんな俺をみて、ラジュエラがクスクスと笑った。
「ああ。無いかもな。キミの大事なものが」
「嘘ォ!? 俺女の子になっちゃうの!? なるの!?」
 思わず内股になってしまう。
「落ち着け。
 だが望みならそれもそぎ落としてやろうか」
「うお! ついてたぁあああ!
 ノーサンキュウだよっ! てかホント今何が起きたんだ……?」
 剣じゃなくて、拳を食らった。
 俺が進んでた分も相まって、心臓が止まりそうな衝撃を受けた。
 というか、貫通した。
 ぶっ飛んで転がって――起き上がってドコを触っても異状は無い。
 俺は生きてた。

 ラジュエラが剣を収めている。
 戦う意志が無いととって俺もそうした。

「コウキ。キミに、与えるものがある」
 凛とした瞳が俺を見て笑う。
 嬉々とした笑みにも見える微笑を浮かべて戦女神が俺に言った。
「え。ほんとかっ新技!?」
 テンションが凄く上がってきた。
 いや、今の今まで戦ってたからテンション自体は高いんだけど。
 一歩ずつ強くなって行くのは楽しい。

「しかし残念な事に我から授けられる最後となる」
「あ……そっか」

 紅蓮月、炎陣旋斬、裂空虎砲――。そして、神隠し。
 俺の手に入れた4つの術。
 一つは俺のモノだって言われてるけど、ラジュエラが居なきゃ完成しなかった。
 だから正確に4つ分技を貰っているという感覚はある。
 加護者一人につき5つ……無制限にするとエライ事になる人がでちゃうんだろうな。
 だからきっとそれが法として通ってる。

「でも、これでさ」
「ふむ?」

「これでやっと、本気のラジュエラと戦えるかな」

 今までは序章に過ぎない。
 ラジュエラに勝つ、と言うのは本当に此処からだ。

 彼女は少しだけ瞳を大きく開いた。
 恐らく俺がそういうとは思わなかったんだろう。
 ゆっくりと閉じてくつくつと笑い出す。
「はは――主は本当に勘がいいな。好いぞ。ふふ」
 ガシャ、と鎧を鳴らして手を俺のほうに突き出した。
 彼女の花びらを模した様な兜の飾りが揺れた。


「コウキいいか」
「おうっ」
「キミにとって、最も辛い戦いになる」
「ああ、頑張るっ」
「――……」
 少し、悲しそうに目を伏せて息を吸う。
 閉じていた手をゆっくり開いて――。
「では――……健闘を祈る」

 願う女神に見送られ――ズッと世界のずれるような感覚に眼を閉じる。


 暗転した世界。俺の立っていた位置は変わらないはずなのに此処は別の場所。
 負けやしない。
 タケだろうと、キツキだろうと。
 そう思って、剣を取った。

 相手はもう居る。
 剣を抜く音が聞こえた。

 目を開くと驚愕した。

 聞いてないぞって叫びたかった。



 二刀を携えるのは黒髪の剣士。
 横に跳ねたクセ毛と赤い服。

 自分――では無かった。



「――姉ちゃん」

 イチガミユキナその人がそこに現れた。
 姿形は変わらず。
 その無機質な光を持つ剣を俺に向けている。
 ありえないだろ。
 兄弟喧嘩ってもんじゃないだろこれ。
 殺し合いなのに……!

 タンタンッ――ヒュッ!

 二歩の足音と風を切る音。
 咄嗟に宝石剣でそれを庇って後ろに引いた。
 どうしよう。混乱している。

 容赦は無い。再び俺との距離を詰めて、大きく回転する。
『炎陣――!!』
 あの人の声。
『旋!! 斬!!』
 段階を踏んで回転するごとに焔を帯びる技。
 ラジュエラが使ったみたいに大きく爆発をして、ろくなガードが出来なかった俺の肌を焼く。
 剣には当たらなかったが爆発に巻き込まれた。
「いっ……て……!」
 腹が大きく焼けて大きな火傷が出来た。
 非常にマズい……!

 容赦なく詰めてくるその人。
 動きがラジュエラ――いや。

 俺そのものだ――!






 ラジュエラの声は聞こえない。
 きっとこの戦いには声を貸さないんだ。
 最後なんだ。
 俺が受け取る最後の強さ。

 学んできている。
『戦場で容赦はするな』
『女だからといって甘く見るな』
 何度も何度も。
 そう言われながらながら俺は此処で殺された。
 この技の受け取りにも、約束がある。

 ここで負けたら俺は死ぬ――。

 剣を合わせて、思考する。
 この人の目は俺を弟としてみては居ない。
 ただ敵を排除するために敵意をむき出しにした眼。
 俺もこんな眼をするんだろうか。
 同じ速さ、同じ剣筋のはず。
 だが、身体分だろうか、少し姉ちゃんのが速い。
 勘でやっていてやっとあわせられている。そんな感覚だ。

 ガッッ!!

 そんな甘い剣を振っていたからだろうか。
 重症の腹に蹴りが入った。
「ぐあっっ!!」
 激痛に悶絶する。
 痛ェ……!!

『裂空――』

 姉ちゃんが右手の剣を高らかに構える。
 ヤバイ……!!
 それだけは止めないと……!!
 歯が割れそうなほど食いしばって足に力を込めた。
 宝石剣を一閃して剣を弾く。
 裂けた肌から血が滲み出していて熱い。

 顔が近づいて、視界に姉ちゃんの顔が入った。
 昔は似てる似てるとよく言われていたが、高校に入ってからは余り言われなかった。
 ただ、勝気に笑う顔は良く似てるって言われてきたっけ――。
 寒気を覚えた。
 咄嗟に、身体を前へ。
 姉ちゃんを押し出す形になったが――本能的反射で進んだ。

 ズッ……!!

 左足のふくらはぎに、鋭い痛み。
 降ってきたのが剣だと言うのにはすぐに気づいた。
 ――神隠し……!!

 ここまでやられて初めて自分と戦う事の厄介さを知った。
 よく戦うよラジュエラ……こんな面倒くさい相手と……ッ!

 俺は動く事が難しい。
 姉ちゃんは両手でもう一つの剣を振り上げて俺の脳天を狙っている。
 絶体絶命って言うんだろうか。

 絶望体験だ。
 死ぬ。
 殺される。最も信頼してたその人に。

 17年の走馬灯。
 あの人に守られてきた。
 あの人を守ってきた。
 だからこそあった絆。

 今。今はどうだ。
 俺は誰に守られてる――?
 誰を守ってる――?

 ――ファーネリア。

 手に迸る焔。
 右腕に持っていた宝石剣が光り出す。

 守られてる。
 守ってる。

「姉ちゃん、俺は――」

 沢山の記憶。
 こっちに来てからだけでも随分と沢山。
「もう、大丈夫だよ」

 ピタッと、剣が止まった。
 少し笑って、トンッと彼女と自分の距離を離す。

 これでやっと姉離れか。
 ラジュエラが切り離したモノを知った。


 戦女神の声が聞こえた。
 空笑いしながら両手の剣を構える。
 形だけの存在でも、悲しいと思う心が残ってた。


「俺は――この世界で、生きるから……!」

 変わってない。
 俺は自分の死を飲み込んで、自分の生に精一杯だ。





『無拍子・獅子牙突<むびょうし・ししがとつ>』


 ボゥ――!

 俺の剣が燃え上がる。
 ゆらゆらと陽炎が上がり、幻想を見せる。
 いくつもいくつも――剣の姿を模した焔が出来た。

 俺は動く気は無かった。その体勢を整えてすら居なかった。
 だから相手も剣を構えて、見る体勢で――。

 呼吸を始めた後ぐらいだっただろうか。
 自分でも良くわからない瞬間に足を踏み出して、戦女神と同じ速度で詰め寄る。
 剣をもって構えていても、相手は自分に気づくのが遅れた。

 ――捉えた――!

 轟音の響く裂空虎砲とは間逆で殆ど音は無かった。
 足音も立てず、一瞬にして得物を捉えるように。
 飛び掛ってその牙を剥く――獅子牙突。
 噛み付かれる牙の如く――前後に逃げ場を失う。

 貫いた肉の感触だけが精確に感覚として捉えられて、吐き気がした。
 血を吐いたりしないのが唯一の救いだっただろうか。
 ラジュエラの創った俺の甘えを壊す。
 ――喰い殺す。それに近い気がした。

 静かだが乱暴な技だ。
 数十回つらぬいて剣を収めた。
 ――必殺技って言う言葉。正にそれだ。
 一対一に置いて、相手を必ず殺す技。

 俺には無かったもの。
 失ったけど……手に入れてしまったもの。

 それを強さとはまだ呼べないけど。
 出来れば欲しくは無かったけど。

 俺は暗闇の中を振り返って。
「ありがとう」
 と口にした。




「ん――……。頑張ってねコウキ」


 最後の最後だって言うのに。
 それは幻想のはずなのに。
 消えていきながら横顔で姉ちゃんみたいに笑って後ろ手に手を振った。
 我慢してた涙が決壊して。ボロボロ泣きながら――俺も手を振る。

「……ありがとう……っ!」

 死んでも守ってくれてた。
 世界が違ってもあの人はそこに居た。
 吐き気がするほど悲しい。
 俺の心の半分を補ってくれてた人。

 今迄の強さはあの人が俺を映したんじゃなくて、俺があの人を映してた。

 だから――俺は俺の強さをこれから見つけなきゃいけない。
 大丈夫だ。仲間が居るから。
 助けてくれる人は、もう居るから。
 ああ、頑張る。


















 私は宙に投げ出されている。
 感覚を得てなお、なんだかオカシイ。
 世界は白すぎて眩しい。


 ――ボッ――!


 空気に触れた。
 触れてはいるけど、体全部をすり抜けてる。
 空高い。でも落ち方がおかしい。
 何かに吸い寄せられているように――何処かへ飛んでいる。

 遠く遠く。世界を渡る。
 夜なんだろうか。所々に見える光。
 少ないけど――暖かい。
 空には大きな月があった。
 ああ、ここはやっぱり何かが違う世界のようだ。

 違う私は元々――この世界に、居た。
 帰ってるんだ。
 あるべき場所に。
 ずっと自分を放っておいた。
 だから、謝らなきゃ。

 木の上で、一人泣いている彼女を見た。
 夢を見る。毎夜。辛く悲しい記憶。
 彼女に私は見えてないだろう。
 言葉だけ小さくつぶやいて。

 抱くように――彼女に戻った――。




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