閑話『ソラの記憶 前編』


 ここから出して――。

 幽閉ではないけれど、限りなくそれに近い擁護。

 わたくしにとってはお城は窮屈、退屈。
 どうして外に出てはいけないのかを聞くと、決まって危ないからだ、と帰ってきた。

 空はこんなに広いのに大地もこんなに広大なのに。
 わたくしが歩けるのは大きく歩けば200歩程度の場所。

 あの雲のように自由になりたい。
 わたくしにはやりたい事があるのに。
 早くあの人を迎えに行きたいのに――。



 いつものように勉強の傍らに窓から空を見上げていた。
 先生の授業よりは動く雲の方が楽しい。
 あの雲は何の形に似ているとか、あの鳥はなんだとか、毀れるような光に見とれたり。
 何よりもあの青い空が好きで、いつも空を見上げていた。

 毎日毎日それを続けて、ある日、雲の隙間に変なものを見た。
 太陽ではなくて、鳥でもなかった。
 その黒い影は、真っ直ぐに下へと落ちて、消えた。
 ――あそこは、この城の土地の一角であまり目立つような場所ではない。
 誰かが気づいたような様子も、無い。

 それはとても気がかりで、そわそわとした。
 自分はトテモ好奇心が旺盛で大人しいとは言われるが実は動くのが大好きである。
 その謎の事件に、一人でこっそりと近寄ってみる事にした。
 もちろん授業はきちんと終えて、少し用事があると優雅に部屋を出た。
 とても優雅な足取り過ぎて、先生も唖然としていた。

 少し部屋によって、もしもの時のための書いておいた手紙をさっと用意して、
 さっと身を守るためのナイフを足のベルトに装着した。
 服や靴も着替えたかったけど、生憎そんな時間が無い。
 そのまま平然と部屋を出て、人気の無い裏口を利用してあの場所を目指した。

 ドレスを着たまま少し小高い丘になっているところを走るのは、辛い。
 履いている革靴もあんまりこういう道には向いてない。
 今度来る時は狩に連れて行ってもらったときに使った服と靴を使おう。
 そう心に決めつつ、スカートの裾を引っ張りあげて道を進む。

 目的地の半分ぐらいまで来たところで汗だくになって何度もこけかけて心が折れかけていた。
 ……だって、汗だくの泥まみれですよ?
 戻ってお風呂に入りたい。
 でも――。
「……んっしょ……っ!」
 まだ、わたくしが此処に来た理由を果たせていない。
 だから少し意地になって茂ってきた道を進む。

 城の周りは小高い丘である。
 豊穣な土地柄で、木々も多く茂っている。
 お父様が狩に行くのに付いて行ったりもする。
 だから山に対して知識が無いわけではない。
 でも、一人で出かけるのは、初めて。

 見張り用になどに、この山にも道はある。
 でもその道を通っていては、わたくしはすぐに城に連れ戻されてしまうだろう。
 だから獣道をひたすらに。


 それは小さな丘の頂上だった。
 空を見上げるといつも以上に空が大きく、近く見えた気がした。
 きっと、遮る物がないから。
 わたくしを邪魔するものが無いから。
 自由という感覚に似たそれに心躍る。

 そして――。

 一陣の風が吹き荒れわたくしの髪を引くように撫でて去った。
 思わず眼を閉じて、風が去った頃にゆっくりと目を開けた。




 生まれて初めて見る、その漆黒の髪。
 精悍な顔立ちからキッとこちらを振り向く。
 圧倒されるような威圧感を感じながらも、不思議と恐くはなかった。
 不機嫌なのか眠そうなのか良くわからない目でこちらをみて、ごしごしと目元をふいてもう一度。
 そして何故かとても嫌そうな顔をした。
 なんとなく、それは凄く不愉快だった。
 そして何かか考えるような素振りを見せて手を自分に当てる。

「マイ……」

「マイ……?」

 一言で一旦止まって彼の言葉をわたくしが繰り返す。
 ああ、そうか、もしかしたら彼は異国の人なのだと今更ながら気づいた。
 だから、その動作から

「ま、まいねーむいず、
 う、ウィンド、ルック……」

 ひたすら何かを考えながら言葉を追っているようなたどたどしい喋り方。
 強調されたところから言うと、ウィンド、ルックがきっと名前。
 ジェスチャーもそうだ。
 ウィンドで自分を指した。だから。

「ウィンド?」
「い、いえーす! ウィンド!」
「アルフィリア、
 わたくしの名前は、アルフィリア、といいます」

 彼に礼をして、わたくしも名乗り返す。
 ――未知との遭遇。
 わたくしの知らない人。
 でも、わたくしに最初に名乗ってきたという事は、恐らく悪人ではない。
 お城にようがあって潜り込んだのならここにはもう居ないはずだし、
 わたくしを知っていれば攫ってしまえばいいのに、この人はそれをしない。

 ただ、沢山の混乱を抱えた瞳で、わたくしや景色を見ている。
 だから、真っ直ぐにその人が何をしようとしているのかだけ観察する。
 怪しいようなら、叫べばいい。
 ――怪しくなかったら……?
 ふと思ったのは、自分の行動について。
 どうしようというのだろうか、わたくしは――。


 その方はわたくしから目を離して顔を手で覆った。
 なんとなく耳が赤いような気がしなくもない。
 どうしたのだろうかとクビを傾げていると、ぷるぷると頭を振ってわたくしに笑顔を見せた。


「……ええと……わりぃ、言葉は通じるみたいだった……」


 勘違いを恥じているのだろうか、とても申し訳無さそうだった。
「そうでしたかっ」
 なんだか、とても安心した。
 言葉が通じないというのは一番大きな壁になる。
「あと、ちょっと質問をしてもいいか」
「ええ、構いません」
「ここって何処だ?」
「此処はアラン・ゾ・マグナス。マグナスの城の敷地内です」
「……そう、か……」
 結局、分かったのか分かってないのかは微妙な顔をする。
 そして、少し沈黙が出来たので、こんどはこちらが聞いてみることにする。
「では、今度はわたくしから貴方に質問があります」
 じりっと少し身構えると、ウィンドと名乗った彼はその困ったような顔をこちらに向けた。
「何?」

「貴方は何処から来たの?
 此処へ何しに来たのでしょう? 目的は何です?
 どうやって此処へ来たのでしょう?
 出来ればその方法を教えていただきたいのですが!
 空から落ちてきたように見えましたがあれは――」

「うあーー! まてまてまてまて! 多いぞ!」

 質問攻めに頭を抱えて悶絶する。
 ただわたくしはここでその答えを聞いて彼の言い分を量らなければいけない。
「当然でしょう! 我が国に突然降ってきておいて!
 訊くなと言うほうが無理なお話ではありませんかっ!
 さぁっ答えてください!」

「んなもんおれがききてぇっ!
 日本ですらねーならおれどうやって此処にきたんだよ、
 空からって……空!? 死ぬだろ!?
 つぶれたトマトもめじゃねーぞ!?」

 上から下へ指をさしてわたくしにそう言う。
「ですがっ貴方はいま此処に居るではありませんかっ」

 その深く抉れた地面から察するに何らかの方法で落下からの衝撃を緩和したのだ。
 嘘が上手くとぼけているのか、それとも本当に何も分からないのか。
 その表情は深読みをすればするほど、良くわからない。
 眉間に皺を寄せて唸っている彼が腕組した手をひとつ顎に当ててわたくしの方を向く。

「あー……と。
 とりあえず、おれの状況を聞いてくれ。
 ……実はさっき目が覚めたらそこだった。
 何が起きたのかさっぱり分からんわけだ。
 はっはっは」
 開き直ったのか腰に手を当てて高らかに笑う青年。
 白黒はつけがたいがまだ黒いところが多いので
「では、不法侵入の不審者で牢に放り込まれるだけですね」
「うえ!? な、なんだよソレ!?」
「此処は王城ですよ?
 その土地に突如現れ身分も明かさず現れた侵入者が何故囚われないのですか」
「とりあえず、泥棒とかそんなんじゃねぇよ!」
「何にせよ貴方が此処に居る以上、捕まってしまえばスパイとして詰問や拷問を受けるでしょう」
「とりあえず逃げろってことだな! じゃ!」

「お待ちなさいっ! そっちは――」

 わたくしの言葉に耳を貸す事無く、彼は風の様に走り去る。


 賊にしては、潔すぎる。
 こちらに対しての警戒心はほぼ皆無であったし、わたくしを人質にして城に乗り込むなどの事も考えていなかったようだ。
 こちらの質問には正直に答えていたように見えるし、こちらの求刑については本気で驚いているようだった。
 まさか侵入を考えるものがその先を考えないなど愚か過ぎる。

 言葉は少し荒かったが好青年のように思えた。
 街角の工場辺りで見かけてもおかしくはない感じ。
 なぜかは良くわからないが、彼の混乱は手に取るように理解できた。
 一体あの人は何者なんだろう――?

 彼の走り去った先はざわざわと風が揺らめいて吹き抜けていた。
 わたくしに付いて来いと、言っているのだろうか。
 その先、城の一帯には侵入者用にトラップや術が幾重にも仕込まれている。
 とてもではないが、無知である人が抜けられるものではない。

「はぁ……っ」

 息を吐いて、スカートの裾をまくって結ぶ。
 コレで少しは走りやすくなった。
 追いつけるかどうかは分からないけど……その居場所は風が教えてくれる。
 不思議なほど走りやすい追い風に吹かれながら、わたくしはその獣道を進んだ。





「どわあああああああ!!?」

 バササッッ!

 数分ほど走った所で、あの人の叫び声が聞こえた。
 何かに引っかかったらしい。
 まずい、法術の罠であればすぐにここに兵が飛んでくる。

 そうではない罠であればいつも動物なんかが引っかかってあまり大事にはならないのだが――。
 なんとか間に合って――!



「クッソッ! なんだこの網っ!? 罠とか聞いてねーぞ!?」
 バタバタと木に吊るされた網の中で暴れるウィンドを発見した。
 アレに引っかかる人を初めて見た。
「当たり前ですっはぁっっ! 貴方が言う前に逃げるからでしょうっ! っはぁっ!」
 その間抜けな絵図らを指差して叫ぶ。
 なれない靴で走ったせいで足が痛い。
 それに何故か山道は走りやすく全力で走ったがその分純粋に疲れた。
 彼は随分と運動慣れしているのだろうこの距離を走って尚疲れている様子は見えない。
 それにやっぱり何か特殊な力を持って居そうだ。
 でもこんな罠に引っかかるところを見るとやはりただの事故であるか愚直な侵入者のどちらかであろう。
 いや、愚直である人は間違い無さそうだが。

 此処に来るまでに役半分ぐらいの術罠は回避している。
 風の通りに走っただけで彼はそれだけのことをやってのけた。
 コレを本人に聞いてもはやり知らないととぼけられるだろう。

「悪かったよ! 助けてくれっ」
「ダメです!」
「じゃぁせめておれまだ初犯だからもっと刑をやさしく!」
「なりません!」
「世の中理不尽と不幸に溢れすぎだろーーーっ!」
「仰るとおりです!」
「はぁ……覚悟するっきゃねーな……」
「諦めるのですかっ?」
「はぁ? おれにはもーこの状態じゃなーんも出来ないのわかるだろ?」

 それと、今のやり取りではっきりした。
 この人は一般人だ。しかも限りなく正直者な。
 今も結構必死に網から逃れようとしているが此処に何の用意も無く突っ込んでくるなどありえない。
 この罠はナイフの一つでもあれば簡単に抜けられる。
 此処までの道はただ真っ直ぐ。
 風に愛されているのだろうか吹かれるままに。
 きっと最善の道を用意した風も、余りにも愚直な彼を笑って渦巻いている。
 だから自分がここに連れてこられた。
 息を整えて改めて彼のほうを見る。

「ええ。では、貴方に一つお願いがあります。
 それを約束してくれるなら、そこから出して差し上げますっ」

「…………トンデモな願いじゃなけりゃなんでもするさ」
 もぞもぞと動いて網の中に座った。
 なんだろう、妙なところで堂々としているように見える。
「簡単な事です」
 わたくしは笑って胸に手を当てる。
 この願いは、きっと今、彼にしかかなえられない。


「わたくしを、この城から一緒に連れ出してください」


 貴方をそこから出す代わりに、わたしを此処から出せと。
 同じような事を約束させる。
 彼にも、わたくしにも必要である事のはずだ。
「あぁ? だってあんたこの城の人だろ? 簡単に出れるんじゃないのか?」
「……それがそうではないのです。
 鳥籠の鳥など扉を開けてくれる人が居なくては飛びたてません。
 このご時勢、親はわたくしの意見など知らず、ただ箱詰めにして愛でるだけ。
 城の者は誰であろうと、沢山の検問を通らなくてはいけません。
 空はこんなに近くに見えるのに、何故扉が開かないのでしょうか。
 わたくしには外でやらねばならない事があるのに――……」
 こちらの言葉にうーん、と頭を捻るウィンド。
 そして何かに思い至って頭を抑えながらこちらを振り返った。
「あー……成るほど……。
 まさかとは思うが、お姫様なのか?」
 そういえば、自分の紹介はまだだったことを思い出す。
 相手にそれをさせておいて自分はしないなど不躾だった。

「ええ。申し遅れました。わたくしは

 アルフィリア・リージェ・マグナスと申します。

 以後お見知りおきを――」



「……アルフィリア、アンタを連れ出して、おれが捕まった場合の刑は?」
「死刑でしょうね」
「……いまここで捕まったら?」
「拷問後に無期懲役か強制労働でしょう」
「……死んだようなもんか」
「そうですね」
 少し悲しそうに俯いた彼に、申し訳ないなと思った。
 この国がもう少し優しければ良かったのだが。
 生憎自分の父母を見てお世辞にも優しい人だとは言えない。
 パンッと頬っぺたを両手で叩いて彼がこちらをみた。

「よしっ、乗った! 降ろしてくれ」
 その目に曇りは無い。
 ただ、進む事を決めた人の決意を宿している。
「本当ですかっ?」
「ああ、おれに二言はねーよ」
 言って歯を見せて笑う。
 歳はわたくしと同じぐらいに見える。だからすこし子供っぽいといえる。
「嘘吐けなさそうな顔ですものね」
「ほっとけっ!」



 足元は落とし穴になっていて、下には剣の山が築かれていた。
 古典的というか、恐らく演習ついでに作らせたものだろうがいま不思議な事に絶大な効果を発揮している。
 こちらで縄を切って落とすと危険だ。
 彼にわたくしが持っていたナイフを渡し、彼はそれで網を裂いて脱出した。
 ――まだわたくしのほうには疑念があったため、降りてきた瞬間少し身構えたが、
 すぐに彼はくるっと刃を持ってわたくしにナイフを返した。
「さんきゅっ! やーホント助かったぜー!」
 どうやら、根っからの善人であるようだ。
 自分の方が素直ではないのだと見せ付けられると、なんとなく恥ずかしい気にさせられる。
 それを受け取って足につけたホルダーに仕舞い込むと彼を促す事にした。
「さ、さぁ! ここでぐずぐずはしていられませんっ。
 もうすぐ兵が来てしまいます」
「ああ、でもおれ適当に走ってきたからな。もっといい出口は知らないか?」
「あればもうわたくしは出ています」
「おお、それっぽいな」
 わたくしをみて屈託も無くそう言って笑う。
 ……なんだか、初めてだ。こうやって自然に接してくれる相手と話すのは。
 もっと、礼儀とか、上品さとか、そういったものを毎日問われていて、息苦しくて。
「それっぽいとは失礼ではありませんかっ」
 素直に、それを笑う自分を少し不思議に思えるぐらい。
「約束させておいてよく言えるな」
 ジト目でわたくしをみてニヤニヤとした顔で言う。
「わたくしは、そのっいいのですっ」

 再び風が吹き出して、その風に吹かれるまま走り出す。

 余り好きではないが有体に言うなら、運命に導かれるように手を引かれて。


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