始まりを旅する未熟者達6


 先に行くとだけ言い残して、自分は引きとめの声を無視して走り出した。
 それは最初に自分がやった愚かしい行動の再現では有るが、今それを掘り返して足を止めていては自分が為すべきことを放棄しているようにも思える。
 アタシが走る理由は一つ。自分を助けて、人質になってしまったあの子を助けなくてはいけない。そこに取り残されたアタシは救われた。
 人の注意一つ聞かない自分を助けた誰か。それは優しい人だ。優しい人は嫌いじゃない。恩を受けたのならばそれを返すべき人。

 パタパタと勘だけを頼りに走って一つ大きな扉の前で止まった。
 なんていうことは無いただの勘である。此処に居る。ついでに余り言い予感もしないけれど、そんなものを怖れていたのでは進めない。
 呼吸一つ大きく吸い込んで、その扉を押し開けた。

 そして、唖然と立ち尽くした。

「……何してんの」

 其処も薄暗い部屋だった。窓が無い性質上、夜だろうが昼だろうが構わず暗いであろう洞窟に求めるべきものではない。翳したランプと薄暗くも照らす蝋燭に照らし出される光景に目を凝らした。
 一人が台座の前に立っていてザクザクとイヤな音だけが響いていた。

「ねぇ、何してんの……あんた……!?」

 そいつが誰かとかそれはどうでもよくて。
 ただ目が合っているけれど何処も見ていない横たわったその人に釘付けになった。薄く遠くを見ているみたいだった。光を受け入れては居ないのだけれど、ピシャリと赤いソレが目に降りかかっても、体が誰かの振動に動かされた程度の動きしか見せなかった。見えては居ない瞳は深い闇色をしていて怖かった。恐怖を覚えたのは初めてだ。
 ――死んだ人間なんか沢山見てきたのに。

「――ああ――!」
 酷い身震いに襲われた。悪寒と他の何かとても抑えきれない感情の緒が、プツリとそこで切れて血が煮えたぎるような錯覚を感じた。
 言葉より行動である信念と、素行から褒められもしない戦闘においての手の早さで剣を振り上げた。幾人かを切り捨てた拾い物の刃がどれ程の切れ味なのかは関係も無くただ腕力を使って引き裂くように線を描く。

「ああああ――!」

 ナイフを振るっていた誰かに暴力と残虐の限りを尽くした。
 其処に立っていた誰かが無残な肉片に変わったが――。
 本質的な何一つ、解決しやしない。
 剣を投げ捨てて急いでその人を抱えてアリーの下へ行けば――せめて、せめて。
 抱き上げようとしたら、ずるりと首がズレて、首は台座から転がり落ちるとあたしの散らかした肉片に重なって暗闇の中、何処へ行ったか 分からなく なって しまった。

「ぅぁああああああああぁぁぁぁあぁああああ!!」

 神経が焼け付く。痛くも無いのに痛い。
 叫んでいないと自分が破裂しそうだ。
 世界は目の前のすべての光景に完結した。
 アタシを助けた誰かがアタシのせいで死んだ。

 意識して誰かを助けるなんていう事はした事は無いけれど、前線に居たアタシを褒めてくれる人は多かった。勝手に自意識過剰に自分は強いと認識して、自分ですら空っぽだと思っていた頭にもプライドが存在したようで、砕けて谷底に落ちるように全てを見失った。
 体の内側からの眩暈のような感覚に襲われて膝をついて愕然と糸を失った操り人形のように崩れた。
 言葉を失って、思考も止まった。溢れるのは涙だけ。それまでのアタシを動かした熱量は、すべて涙に。汚れたけど、消したけど現実は消えない。変わらない事実のままだった。




「――彼女を生き返らせてやろうか……?」


 言葉は、何処から聞こえてきたのだろう。少し掠れた、疲れたようにも聞こえる声。
 その言葉を理解するのに数秒を要して、チリチリと熱を持った喉から言葉を出そうとしたのだけれど何を喋るべきなのか纏まらなかった。

「簡単だ……。コレを彼女の亡骸に埋め込んでやるといい」

 ころん、と足元に真っ赤な石が転がってきた。宝石のようにキラキラとしている。実際宝石なのであろうが余り興味を持ったことがないので名前は知らない。その石は指先の爪程度の大きさ。宝石としては大きい方だ。
 コレを埋め込むだけ。
 それで彼女が生き返るのか。

 本当なら――。

 あたしは、彼女を救えた事になるだろうか。


 人生で一番迷っている。
 コレは良くないことかもしれない。
 起きていることを飲み込みきっていないのだけれど、目の前のそれは魅力的な提案である。
 何も考えずそれで生き返らせてしまえばいいとも思った。
 彼女が生きれば商人の両親も喜ぶ。私達も憂いることは無い。何一つ、不都合は無いように思える。
 目の前に転がってきたのはいつも通り幸運のはずだ。それを幸運云々だと考えた事は無かったが今回だけはそう思っても良いと思う。

 カコン、と靴を鳴らす音がした。
 びくりとしてその音の方を振り返ると、入り口に入ってすぐの所に銀色の髪を靡かせるエルフが一人。長い髪が明るい光に照らされてキラキラして神々しくすら見えた。少し瞳を動かしてこの部屋を眺めたがキッとこちらを見て止まる。

「死んだ奴を救おうなんて馬鹿のする事だ。
 大馬鹿ドラゴン」

 憎たらしい声がした。
「だ、だって……助けられる……」
「何をだ」

 冷たくアタシを見下ろす瞳に苛立ちを覚えた。全てを見ているようでそれでいてアタシを愚かと見るような目が気に入らない。
 初めからそうだった。これからもそうだと思う。
 大嫌いな奴だ。

「命を!!」

 壊す事は出来る。容易い。
 作る事は出来ない。難しい。

「あんな風になる事が助ける事か」

 ぱっと一つ光を出して、部屋を照らした。私の散らかした肉片が、ズルズルと再生していく。
 その光景はもう、人のソレではない。黙って死んでいるべきソレが生きようともがく。

「生き返って、『バケモノ』だろ。
 恩着せがましく生を売って、また傷つけるんだな。
 ……そうなら救いようのない馬鹿野郎だ」

 心底、失望したように溜息をついた。

「うるさい!! 黙れクソエルフ!! 何も知らない癖に!」
「分かるかっ! 分かりたくもない。
 だがその子が生き返った後の苦労だけは死ぬほど分かる」
「うるさい!!」
「その子は死んだ!」
「でも!!」
「間違ってるって言ってるだろ!!」
「アンタの言う事なんか聞きたくない!!」

 そんな希望の無い言葉なんて聞きたくない。そんなあたしの都合の合わない言葉を吐くソイツが嫌いで仕方が無い。

「本当に救えないバカだな!!」

 ふっと、ソイツは手を振った。
 ガキィィンッッ!!
 途端耳元で激しい金属音が鳴った。其処から飛びのくように立ち上がってやっと――。

 やっと部屋の様子を頭に入れた。
 台座にあの子の体は起き上がって剣を握っていた。
 首も無く、意志も無く。それは紛うこと無く私達がモンスターだと言って倒してしまうもの。さらにあの肉片も続々と身体を作り上げていく。

 

「自分も救えない奴に誰かを救う資格は無ぇ!! シルヴィア!!

 とっとと無い脳みそでクラハと仲間が言ってたことぐらい思い出せバカ!!」


「うぅ……!」

 言葉は出ない。
 最前線に進んでいくアタシにあの人たちが何を言ってくれていたか。
「……ま、前に出すぎ、戻れ、とか」
「出すぎだバカ」
「くうぅ! バカじゃない!」
「油断するな!
 迷うな!
 生きて帰れ!
 バカが勝手に死ぬのはかまわねぇだろうが!
 下手にバカだから構われてるんだよ!
 一人で頑張ってるつもりだろうが、助けられまくってるんだバカ!
 考えろ!」

 あたしはソイツを嫌っている。

 理解なんかしてやる気も無かったけど。言葉の重さだけは分かった。
 理解しようとしたって今更すぎたけど、剣を取るべきであることが分かった。
 納得するまでに時間は掛かるだろうけど、それは聞いてきた言葉達だった。

 アタシがバカなのは知っている。ロクに本も読まないアタシは読み書きも怪しい。ソイツがバカじゃないのは分かる。でもそいつの言う“救いようの無いバカ”を受け入れるのは酷く嫌だった。言い訳をしても敵わない。逃げ道はすべて塞がれる。暴れたってアタシは何かを解決できるわけではない。

 アタシが剣を取る理由は何だ。

 其処に戦うべき敵が居るからである。其処にアタシの存在理由である戦場最前線が存在するからである。
 たったそれだけが今まで最前線に立ってきた理由で、たったソレだけが居場所だった。
 考えちゃいけないんだと思っていた。

 アタシは何の為にあの人たちを殺していたの。

 それを全部、竜士団のせいにしてしまって。それでも皆仕方が無いってアタシを許してくれてそれに甘えるだけの自分が其処に居た。ヴァンツェ・クライオンが人を殺めた理由とは違う。言われるがままに戦争を、戦争を。そう渡り歩くものだとは言え、アタシは―――無自覚すぎたんだ。

 それでも何故アタシは生きているの。

 生かされていた。戦場で、戦線で一人だと思い込んで居た。結局お節介な人が後ろから助けてくれていた。それがきっと金の槍。
 ――そんな風に育て方しかできなくて、ごめんなさい。両親からの遺伝として純血の竜人となったアタシに戦争しか教えなかった父母はいつかの戦いに散って行った。最後の最後にそれを聞いたけれど涙も流れなかった。教えてもらった、弱いから死ぬんだ、とその時は思っていた。

 それは当然だった。

 だったらアタシが。強いアタシが最前線にいれば事足りる。受け継いだ十字架剣も身体能力も随一でトラ様が一団に加わるまでは事実最強だった。
 アタシが守ればいいんだ。それは誰にでも出せる簡単な結論。


 それは結局誰かを守る事じゃなかった。

 竜士団では無意味。ましてや、トラヴクラハという師団長は、漠然としたアタシとは違って意志を持ってあの一団を守り、世界を守って行っている。迷惑以外の何事でもないそれに気付いたのはその銀色エルフに出会ってからである。だから、ああ、大嫌いだ。
 気付いてからの世界は違った。アタシは唯の役立たず。皆は元気が無いと心配してくれるのだけど、あたしの中で一個忘れていた歯車が回り出したかのようにいきなりギクシャクして吐き気がするほど毎日毎日考えさせられる。


「後悔してる暇があったら剣を取れ!!
 ソレしかないだろ!!
 お前はバカなんだからな!!」


 結局。
 結局アタシはバカだから。
 でもソレが正しいって事ぐらい分かる。

 タンタンッ
 二歩その場から剣に飛びつくように手を伸ばす。

 剣を取った。此処では十字架剣には頼れ無い。

 ガッ――!

 足を捕まれて、剣に届く事無く勢いを失う。
 首の無い身体がアタシの足を掴んでいる。一瞬、死ねと声が聞こえたような気がしてソレを振り払おうとした。意外にも握力の強いそれは足をばたつかせたり蹴ったりしたぐらいでは振り払え無い。この――自分の唯一の利点とも言える竜神加護を無くしてしまう空間は忌々しい。普段ならこれごとだって進めるのに。まるで弱いアタシを笑うかのよう。
 這いずって進む。ミシミシと骨が軋む。握力だけでここまで痛い。

「――……助けられなくて、ゴメン」

 肘を突いてぐいっと床を進む。

「……アタシには、難しい事わかんないけど……! このまま生きたら不幸だって……!」

 ザリザリと自分とソレを引きずって、指先に触れた剣を取った。
 そして上体を起こして剣を足に向ける。地面ごと貫くようにアタシを掴んでいた手を突き刺して今度こそ其処から飛びのいて距離を取った。


「――術式:流動反陣解放<バーム・アンチ・リロード>!」

 ふわっと床が緑色の光りを放って、急に身体が軽くなった。
「よし――解いた」
 ――それがどれだけ凄いことなのかは、アタシには分からないが。
「遅いわよクソエルフ」
「ふざけるなバカドラゴン。世界最速だ」

 それは驕りでもなく、ただそれが当たり前である自信からの言葉である。法術に長けた者ならば唖然とするような物言いをしていたがアタシには笑う所のように思えて笑っておいた。

「あっはっは。十字架剣<アウフェロクロス>!」
 ズンッ質量の有るその剣が床に刺さる。
 それは彼女に向けた十字架である。

「アタシには救えない?」
「ああ」
「アンタにも?」
「無理だな」
「そっか」
「そうだ」

 じゃあせめて。
 アタシが火葬を。

「――ありがと。アタシは助けられちゃったよ。
 今度は……せめてアタシがやるから。
 ……助けてあげられなくてゴメンね……」

 誰かの命に。
 まだアタシの答えを付けたわけでもないのだけれど。
 それでもヴァンツェ・クライオンの言葉が正しい事は理解した。納得した。
 何を言えばいいのかもゴメンが正しいのかも分からないけど――。
 アタシは一つ、ものを量ることが出来た。だからたった一つの命の重さに、自分の情けなさに涙が出てきた。

 銀のエルフは何も言わず入り口から一歩出るように後退した。
 ドラゴンの吐息は――ちゃんと骨を残せるだろうか――。

 アタシは出来るだけ優しく――その部屋へ、炎を吐いた。

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