第183話『妹の熱量』


「お疲れ様ですシキガミ様っわたくしも街に行きたいです」

 汗を流して食堂に入った俺を出迎えたのは満面の笑みと女性三人である。昼からはファーナについて下の神殿に降りる事になっていたが果たしてそれに彼女は含まれていたかと首を傾げる。
「アイリスも午後から大神殿に降りるの?」
 長くて上品な雰囲気のテーブルに並べられている椅子の一つを引いて座る。ファーナが左手側の主人席でアイリスが俺の目の前である。
 床は濃い目赤い絨毯で壁にはいつも通りの騎士隊旗が掛けられていて、それ以外は暖炉ぐらいしか無いところである。縦長い窓から明るい光が入ってくるのでとても明るいのがこの食堂のいい所だと思う。
「お疲れ様ですコウキ。真に受けてはいけません」
 ファーナが困ったように、首を振っている。やっぱりいつもの強行突破らしい。アイリスはぷぅっと頬を膨らませてからファーナを見て、やはり俺のほうを向き直ってから抗議を始めた。
「シキガミ様! わたくしも世界の見聞を広めるべきだと思うのです! つきましてはお姉様の演説に付いて行きたいという小さなお願いが御座いましてっ!」
「おっちゃんがいいって言ったらな?」
「お父様が素直に首を縦に振るわけがありませんっ」
「まるで素直じゃないみたいに言ってるけど、素直にダメだって言ってるだけだと思うよ」
 おっちゃんは正直な人だと思う。俺が疑ってなさ過ぎるのかもしれないけど。
 席に座るとスゥさんが一礼の後に黙々と手早く昼食を用意してくれる。二人もどうやら待ってくれていたらしい。

「それより、先ほどかなり土まみれみたいでしたが、そんなに激しい訓練だったのですか?」
 別にお風呂に向かう前に合った覚えがないけれど戻ってきた所を見られたのだろうか。確かにファーナならそれは可能だと思うけど。
「ああ。いつも通り厳しい訓練だったよ。今日は武術訓練でぶっ飛ばされて転がったからドロドロでさぁ」
 そんな俺を意外そうにアイリスが見る。
「まぁ、シキガミ様も打ち負けるのですね。その、ロザリアと戦って勝ったという話も聞いているので物凄くお強いのだとばかり……」
「えっああ、俺まだ基礎だけなら騎士見習いレベルって言われてるよ。術が無いと正騎士とは張り合えないや」
「まぁ、シキガミ様がそんなにご苦労なさっているなんて」
 苦労してないと思われたのかなぁとちょっと苦笑いした。

「当然ですよ。コウキは元々そういった事を口にせず感じさせないだけで、実際はかなりの修羅場を潜ってここに居るのですから」
 余り誇張されるのも恥ずかしいけれど、ファーナが俺のかわりにアイリスに言ってくれる。
「それなら基礎も相当強くなっていていいのでは?」
「コウキを練習不足とは言いません。実践量も一週年足らずにしてはかなりの量を積んだでしょう。もっと貴重な死の瀬戸際なんてありえない量を経験していると思います。
 ですが五年十年と訓練と戦争をしてきた猛者たちと比較してしまうと、まだまだ若いのです」
 ファーナの言葉は止まらない。ファーナの言っている通り、経験値は積んでも積んでもやはり足りない。今その強さになっているのも奇跡なのだとラジュエラには言われたことがある。
「でもコウキには死の瀬戸際の量だけ死を回避する力があります。それがコウキが最も積んでいる経験というのなら――

 コウキは最も生きるに長けたシキガミです」

 ファーナはそういい切って真剣な瞳で俺を見る。実際にそんな死んだ回数が多いなんて情け無い事情を強さだなんて言う事は無いんじゃないかと思う。来る日も来る日も剣を掻い潜って避けて振り回して投げてを繰り返していたような俺には勿体無い言葉だ。
「ちなみに断言してもいいですがわたくしが死んでもコウキは死にません」
「そ、それってどうなのでしょう」
 アイリスがファーナの方を向いて首を傾げた。
 確かにそれは俺もどうなんだろうと思った。ファーナの熱弁はさらに高まって自分の胸に手を当てて話を続ける。
「例えば槍に刺されそうなわたくしを庇ってわたくしの目の前に出ても貴方は右の肺を貫かれて生きてわたくしは心臓を貫かれて死にます。要はそういった自分が死ななくても済むようなギリギリのところを狙えるか否かです。
 あなたはその結果を限りなく狙った地に近い偶然で引き当てる事が可能なのだと思います」
「それはどうだろう?」
 何となく腑に落ちなくて眉を顰めながら首を傾げる。あんまり想像できないけど、なったら頑張ってファーナからは矛先を外すくらいはできると思う。
「そして最終的にそこで貴方の引き当てたモノがついでにわたくしを生かしてくれるのでやっぱりわたくしの右胸に槍が刺さるのです」
 ファーナの考えているモヤッとした何かを感じ取ってまた悩む。
「……よくわかんないけど分かったよ」
 信じてくれている、と言うのは分かる。何かが腑に落ちないけど、うん。
「ありがとう御座いますっ」
 何か語って満足げなファーナだけれど結局褒められているのかどうかも怪しいラインの褒め言葉だった。別に悪気があるわけじゃなさそうだし多分褒めてくれてるんだと思う。
「ええ、そうなると貴方の命を貫けない刃をわたくしを貫けませんから。
 その事は貴方やアキが致命傷を負うたびにそう思っていました。痛感したのはわたくしが致命傷を負わされた時ですけれど。それ以外は本当にわたくしの命に届くような刃はありません」
 嬉しそうな満面の笑みだったのでまぁいいか、とその話題は良しとした。
 アイリスはむぅっと暫くその話を脳内で咀嚼して不意に見たファーナと目が合ってニコッと笑いあうと「まぁ、お姉様が嬉しそうなので良しとしますっ」と俺と同じ結果に行きついた。
 要するに俺がその刃を逸らすのだと信じているらしい。
 それをそのまま言わなかったのは自分にその力が無い事を言いたかったんだろう。物凄く伝わりにくかったけど。


「そしてシキガミ様、話は戻るのですが……」
 食事が終わって一息ついたところを見計らってアイリスが手を挙げた。
 キリッと姿勢を正して視線を俺に向けた後、話を続ける。
「わたくしも降りたいのです。公務をするなら降りれるなら公務だってしますからっ」
「アイリスも演説するの?
 そういえばアイリスって避難所で活躍してたって話だけど」
「それはもう、わたくし何かしたくてしたくて仕方なかったのです! お姉様は戦場に出る力があります。城壁を味方にして巨大な術を発動させる誰にも劣らぬ唯一の力を持っています。お父様とて戦場の先頭に立ち、お母様とてそのそばを離れません。
 しかしわたくしには何も無いのです! この戦争無能っぷりを言えばキリがありませんがっ!
 わたくしは非常に自らを恨みます! 何故わたくしも神子でなかったのか!」

 外に行きたい衝動は色々なコンプレックスを生み出しているようだ。ファーナと自分を比べての不自由を彼女は嘆いてしまう。
 それでもその言葉は少し冗談にしては笑えない。ファーナがすぐにアイリスに向かって声を上げた。
「アイリスっ貴女は神子ではないから正王女なのですっ!
 滅多な事を言うとわたくしが怒りますよ」
 ファーナが怒るのは珍しい事じゃない。正しくなければちゃんと俺だろうがアキだろうが座らせて叱るのである。

「……申し訳ありません。
 でもわたくしなど、言葉だけでどれだけ積み重ねても、お姉様のシキガミ様のその輝く武勲に力は届かないのです。
 成してきた道こそがお二方の言葉の力や道を示せるモノになっています。
 これは本当に、わたくしの真面目な考えです。お二人には聞いていただきたい」
 
「わたくしが一体何をしたでしょうか。この小さな箱でご飯を食べて習い事をして世界を知った気になっているだけでしょう?
 お姉様が旅毎に提出してくださる報告書と政策提案書にも経験に基づいた提案と論証があります。政策の結果の報告だってありますけれど、それを纏めてこうしましょう、というやり方を初めから回避する為に提案する前に知っておくべき世界があるでしょう?
 庶民と貴族は違います。貴族と王族も違います。わたくしが知りたい全てはその全て民の皆様の元にあるんです!
 シキガミ様! わたくしが皆様の全てを知っているように見えますか? 見えないでしょう? 何を知っていて何の判断を下すように見えますか? 世界の上面だけを見てわたくし基準で作った世界は楽しいと思いますか!?
 違うでしょう! この国は、世界は、皆で作っているものです!」

「よし、おっちゃんにそのペースで話しに行こうぜ!」
「わ、わたくしがですかっ」
「うん。やっぱ直接交渉が一番有効だしなっ」
 結局背負いすぎてる節が見えるアイリスの為にもやっぱり直接の話合いは必要だと思う。
「おっちゃんにも考えがあるだろうし」
「コウキ、前々から思ってたんですけど、やはりおっちゃんというのはどうかと」
 少しだけ困ったようにファーナが言う。確かに二人はお父様と読んでいるしそれ以外は国王様と呼んでいる。古くから親しいというヴァンだけがウィンドと呼ぶ様を見たことがあるけれど、それ以外にそんな事をいう人は居ない。
「おっちゃんが良いって言ったんだからいいじゃんっ。
 俺もおっちゃんが王様してる時はちゃんとそう言うし。二人の話してる時はおっちゃんだよ」
 物凄く自分勝手を言っているのは分かるけれど、俺は別にあの人が王様呼ばわりされたい人のようには見えない。それを聞いてアイリスが少し面白そうに笑った。ただ、タイミングが悪かったらしく、丁度紅茶を口にしていた所で苦しそうだった。
「んふっ、ちょっと面白かったです。危うく紅茶を持っていかれるところでした。確かにそうかもしれませんっ」
「確かに王様らしからぬ時がありますね」
 アイリスとファーナがクスクスと笑う。
「それも味なんだと思ってたけど」
 だからこそ俺は気さくないい人だと思う。
「言っておきますが、コウキが来るまではそんな事は無かったんですよ?」
 誰もそんなことしなかったからだろう。なんと言っても王様だからそういう態度を取ろうだなんて思わないだろうから。別に畏まらなくていいという言葉とヴァンとのやり取りで何となく俺の中での態度が決まっていったんだと思う。ヴァンもそうだし。
「確かに。シキガミ様が特別扱いの理由の一因となっていますね。確実にっ」
「特別を言えばこの状態が既にそうなのかもしれませんが」
 兄弟揃って仲がいい姿を見ることは余り無い。
「姉妹が揃う奇跡の瞬間にいつも立ち会ってる気がするねそういえば」
「……やはり、シキガミ様がめぐり合わせてくれたんです」
「それはそうでしょう。コウキが居なければきっと貴女は未だにお父様との約束を守っていたでしょう。わたくしもそうしていました」
「うぅん、我ながら分らないところもありますけど、きっと守っていました。でも街に行きたいとごねていたとは思います」

「そういえば何故、お父様はお姉様に会わせてくれなかったのでしょうか。いずれこうなるなら、いつでも同じだったと思うのです」

 明言は避けられてきた。自分の行く末を知っていたファーナなら最初から何故の理解に至れたのだろう。ファーナは少し悲しそうな顔で言葉を言い淀む
「それは……」
「……お姉様」
 済んだ話を余り重苦しくするのは面白く無い。
「アイリスは、ファーナが居なくなると寂しい?」
 ニヤニヤとしながら訊いてみた。
 だってファーナが居なくなる確立を考慮して、とか、アイリスの為にとか、色々あるんだと思う。誰かの言い訳を聞いてそれに納得できるのかと言うとそんな訳は無い。

「寂しいです! 当然ですっ! 何を仰るんですか! 当然です!!」

「だってさ」
 だったら、今この結果と、アイリスの言葉だけあればいいじゃないか。
「……ええ、そうですね」
 それだけ言ってファーナが申し訳無さそうに笑った。
 アイリスがキョロキョロと俺とファーナを見て首を傾げる。
「えっ? ええっやはり何か、よくないお話ですか?」
「えっ、ううん。それを言うとファーナがアイリスに会いに帰ってきてくれるようになるだけ」
「あっそれは言ってよかったです」
「もう、言っててください」
 気恥ずかしそうにファーナが言って紅茶を一口飲む。先ほどのような曇った表情は無かった。
「だってお姉様が旅から戻るたびにわたくし涙がっ」
「大袈裟ですよアイリス……」
「大袈裟などでは在りません!
 嫌な事から目を背けてどうするんですか!
 王族とて家族でしょう!
 支えあい、生きていくモノではないのですか!
 現実から逃げるなど、お父様もお母様もらしく無いではありませんか!
 いかに神子という立場が危険にさらされるものであっても!

 その絶望ごと抱え込んで、愛するのが絆でしょう……!」

 秘めた熱量はきっとファーナにだって負けない。
 アイリスは強い子だ。そのままブレ無いなら本当にいい王様になれると思う。
 そしてこの家計の凄いところはそういう台詞に全く出し惜しみが無く、カッコイイところだ。
 決意のある言葉は何時だって熱を持ってる。
 今確実に俺とファーナにその熱は伝わって感動した。

「だからわたくしを外に一緒に連れて行って遊んでくださいっ!」

 グッっと拳に力を入れてその一言を最後に持ってくる。

「コウキのせいで、最後に余計な事を言う癖がついてしまいました……」
 はぁ、とため息をついてファーナが言う。
「俺のせい!?」
「冗談ですよ。さあ、お父様に掛け合いに行きましょう。あまり時間もありませんから」
 ファーナはそう言って席を立った。立ち上がる瞬間は物凄く機嫌のいい顔をしていたのを俺は見逃さなかった。アイリスも嬉しそうに微笑んで同じく席を立つ。
 そんな二人を見届けつつ俺も紅茶を一気に飲み干してひとまず王様の所へと向かう事にした。


 王様の外出に沢山付き人が付けられるように、アイリスにもまた付き人がつく。
 前連れ出した時はシィルが居た。一番大きいのはやっぱりヴァンだろうけど、あの勢いと強さは王様だって一目置いていた。それに匹敵するか管理能力のある人間を出しておかなくてはアイリスを見失ってしまう。
 本来ならばお城側の仕事を優先的に配られる奇数騎士隊が出るのだが、今日はそうではなかった。

「本日護衛任務を預かりました、第二隊のヴァースです。何なりとお申し付けを」

 礼儀正しく一礼を行う眉目秀麗な隊長騎士。
 王女護衛であるし、隊長配属なのは分かる。けれどヴァースは割と今仕事が溜まっていると言っていた。まぁこれもその仕事のうちになってしまうのだけれど。

「よろしくお願い致します」
 粛々とそう言ったのはアイリスでファーナが何故か目を逸らしていた。アイリスが言い終わってから慌てて同じように礼をしてやはり少し変な態度だった。
「よろしくヴァース!」
「ああ、宜しく頼むよコウキ。朝は隊の者がすまない事をした」
 そう言って俺に謝る。そんなのは別にいいんだ、と言ってチョットだけヴァースに近づいて小さい声で訊いてみる。
「なんかファーナの様子がおかしいんだけど分かる?」
「いや……分かりかねるな」
 ヴァースは言って笑うと、姫二人を振り返る。
「さぁ、公務の時間も迫っています。急ぎましょう」
 そう言って馬車の待つところへと進んで二人が乗り込むのに手を貸していた。


 その時は何だろうなって思った程度だった。
 ファーナの様子からは何も分からなかったし、訊いてみてもなんでもないと答えるだけだった。
 ファーナの公務とその取材の後、ヴァースを多少困らせながら楽しく過してその日を終えた。
 次の日、俺は朝の新聞に大きく書かれた見出しに驚かされることになる。
 その内容は、

『英雄激突! リージェ様争奪の決闘!!』

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