第184話『陰謀』
大神殿はとても賑わっていた。朝の礼拝の時間よりも人は多いのは一目瞭然だった。今回の件についての説明を求めている人は多いようで、ファーナ以外にもアイリスとヴァースが参加することによってこの場の人数は増えたようだ。
朝にも中央広場の方で王様直々の演説があったとは言え全員が参加できたわけではないだろう。集団の場所は声も聞こえにくいし。一応朝王様が話した内容とファーナから見た一部始終のまとめと今後方針についての話があった。その後、アイリスからの演説とヴァースの騎士団方針の話だ。あとは簡単な祈りと聖歌でその場は締めくくられた。俺は一部始終を見ていただけである。神官護衛服を着ていてやっとごわごわしていた感触に慣れ始めたところだ。
控え室に使っている一室にファーナと共に戻ってくる。その部屋には既にアイリスとヴァースが居て少し雑談をしていたようだった。俺達が入ってきたことでアイリスがぱあっと笑顔になってファーナのところへ歩いてきた。
「お疲れ様ですお姉様。とても綺麗な歌を聞かせて戴いてわたくしとても感動しました」
アイリスが小さな拍手を送って戻ってきた彼女と握手を交わす。
「有難う御座います。アイリスの演説もとても良かったですよ」
「良かった、お姉様にそう言って頂けるなら安心です」
満足げに頷きながら、アイリスは手を離すとそうだ、と手を打った。
「お姉様、この後の記者の方がお会いしたいとの事ですが」
「それはお受けしましょう」
ファーナが頷くと早速入り口に待機していた神官の人にその事を伝えて、応接室で取材に応じる事になった。
ファーナとアイリスは別々に取材を受けるようだ。
「では参りましょうかヴァース」
「畏まりましたアイリス様……」
アイリスの言葉に姿勢を整えて敬礼をするヴァース。本当に付き人騎士みたいだ。みたいと言う話ではなく、そのものなのだけれど付き人騎士をやっている友人を見るのがなんとなく現実味を帯びないというか。
「ではわたくし達も行きますよコウキ」
「ハッ! 了解であります!」
ピシッっと踵をそろえて敬礼をする。わっとファーナが驚いてオロオロと俺の様子を窺い始めた。
「ど、どうしたのですか」
「えっ何かダメだった?」
「ダメじゃなかったのがダメでしたね」
「空気に呑まれてみただけだよぅ」
やはり真面目にやるとファーナの物凄い勢いで心配されてしまう。
その様子を見ていたアイリスがクスクスと笑って俺達に、
「やっぱりシキガミ様とお姉様は仲がよろしいですね」
と言って歩き出す。ヴァースがこちらを一瞥して一瞬間を置いてからアイリスについて歩き出した。
神殿応接室での取材は恙無く終わった。記者の人たちも深く一礼をして神殿を去っていった。窓の外からはオレンジ色の光が見えている。時刻はもう夕刻だ。
「アイリスの方は終わっているでしょうか」
「話は長そうではあるよね」
「違いありません。あの子はお話好きですから」
「そこに関してはどっこいだと思うね」
「ふふふ、それはそうかもしれません。コウキもお疲れでしょう、どうぞ座ってください」
そう言って俺に椅子を勧めてきた。一応まだ隣の応接室では取材が続いているらしいので扉の前で待機している兵士さんに終わったら呼んでくれるように言って待つ事にした。
「それにしても質問が俺にまで来たのはビックリしたなぁ」
唐突に失礼します、と前置きがあったけれどファーナの取材だと油断していた所にこちらに質問が飛んできた。内容はご活躍なさったようですがどういった指揮を執ったのかというものや何故そういった命がけの作戦に打って出たのかなどだ。
「貴方の方が活躍しているのですよ。戦況の要になったのです」
「なんだかなぁ」
俺ではなくアキやアルベントの方が活躍しているし、ヒーローインタビューはあの二人で良いじゃないかってね。
「それに随分とハッキリした受け答えが出来ていたではありませんか」
「まぁ分かってる事ぐらいは答えるのはらくだよ」
いうとファーナがふふっえ笑い始めて俺は首を傾げた。
「えっ何?」
「いえ少し……どうやってあの人物達を集めたのかについてを聞かれた時、記者方々の唖然とした表情を思い出してしまって」
言われてああ、と俺も思い出した。
「いや、だって友達じゃん」
それを素直にそう言った時に一瞬間があってからぎこちない笑顔になった記者二人の姿を思い出す。その場に居た友人に声をかけた。確かに傭兵の募集もしたけど、集めてくれたのはアルベントとノヴァである。
「そうなんですよねっそうだから人との繋がりは大切にされるものなのです。ふふふっそれでも驚かれても仕方ありませんよね」
彼女はそういって面白そうに笑う。助けられている俺だけれど、それを誇っていろということなのだろうか。
適当に雑談を進めていると、不意に部屋がノックされて扉が開かれる。扉から顔をのぞかせたのはアイリスだった。
「失礼致します。すみませんお待たせしてしまったようで……あ、お話中でしたか」
「アイリス、お疲れ様です。ただの雑談ですよ。
一応これで公務は終了となります。お疲れ様でした」
「はい、お姉様もお疲れ様ですっ」
ファーナが立ち上がって扉へ向かう。それに続いて俺も席を立った。部屋から出るとヴァースが警備兵に終了を伝え、次の持ち場へ向かうように言っている所だった。
アイリスは嬉しそうに頭を少し揺らしながらファーナに次の提案をする。
「少しだけ街に行きたいのですが大丈夫ですか?」
「ええ、構いません。何処か行きたいところはありますか?」
「わたくしは七番街に行ってみたいです。新興地ですし」
「でも実は七番街は新興地故に余りお店などは揃っていません。今から行くとかなり暗くなってしまいます」
「うーん……でしたらお姉様にお任せします」
「そうですね。食事は城に戻ればすぐでしょうし三番街で買い物にしましょう。
ドレスだと目立つので着替えます。あ、コウキとヴァースも目立たない格好に着替えをお願いします」
迷い無く決めて彼女はこちらへも目を配る。護衛服と騎士服は確かに街中では目立つだろう。かといって俺の私服の赤コートが目立たないかと言うとそんな事は無いわけだが。
「了解です」
「わかった」
一応出かけ用着替えは持っている。アイリスとファーナはその応接室を着替えに使うようで服を持って二人で入っていった。
男と女の着替える速度には何故か雲泥の差がある。男ならば気にしなくても良いことなんて沢山ある。化粧も髪型も匂いも女性に比べれば圧倒的に関心が無く、靴紐以上の複雑なモノに厄介になる事なんて殆ど無い。
俺もヴァースもソレは例外ではなく殆ど鎧を脱いで上着を着なおした程度で終了して部屋からでた。当然先に二人が待っていたという事も無く部屋の前で雑談をして待っていた。
「騎士の人も街にはあんまり下りないの?」
あまりそう言った話は聞かない。城から街までは徒歩だと少し時間が掛かってしまう。だが城の寄宿舎は丁度城と街の中間ほどになり、距離も程ほどとなる。
「いや、そんなことはない。降りる奴は毎日降りている」
「へぇ。ヴァースは?」
「私はあまり降りないな……アルゼやカルナが飲みに行こうといつものメンバーを連れ降ろして行く時位だ」
「隊長が降りると騒ぎになったりしない?」
「そんなことはないさ。鎧を着ていなければ我々も一般人だ」
まぁヴァースとていつも仕事ばかりというわけでもないのだろう。
「そっかぁ。あ、オススメのお店あるから今度皆で行ってみてよ。二番街の五番通り」
「そこは飲めるところか?」
「そりゃあもう。お酒の種類は凄かったよ。それよりミートパイとかパイの料理が凄く美味しいんだ。ミートパイは限定だけど予約しておけばちゃんと取っておいてくれるし」
「それは気になるな。店の名前は?」
「リュフティって言うお店。出来たのは割と最近らしいよ。俺も友達に連れられて行って知ったんだけどさ! 飲むのも食べるのも良いし、喋っててもいい。雰囲気の良いお店だったよー」
ご飯が美味しいって飲食を進ませる大事な事だ。
「はは、それなら皆喜びそうだ。その、コウキ」
「ん?」
談笑していたのが一転して少し表情が真剣なものになった。少し間があって首を傾げた。いや、と歯切れの悪い声をだして、一度ため息を吐くとこちらを見た。ドアの向こうで姉妹が元気に喋りながら着替えをしているようだが一向に出てくる気配はない。
「アルゼの件は聞いたか?」
アルゼもヴァースも一緒に一日執事と掃除をやった仲である。その日元々二人とも休暇で暇だったらしい。久しぶりにファーナに会えないかと神殿に来たらしいが走って逃げる女性的な誰かをアルゼが見つけ、追いかけて丘でナンパされたのだ。そのあと逃げて戻ってきた俺とアルゼが揉めあいしているのを見て、ヴァースが止めに入って乱闘騒ぎだ。そりゃまぁ休暇中とはいえ隊長だし処罰をと王様が罰したのがあれだ。俺から見れば処罰と言う言い方も怪しい所だと思う。
結構アホな事をやった仲だからすぐに仲良くなった。ヴァースは色々固かったけど付き合いの長いアルゼが居た事で、少しは仲良くなりやすかった状態なのかもしれない。
「聞いてないなぁ。ロザリアさんと朝すれ違ったけど何も聞いてないや。
……どうなったの?」
そうか、と難しい表情だったがすぐにその答えが返ってきた。
「降格処分と……一周年の遠征が決まった」
重苦しい声で言われたのは彼の友人の遠出だ。
「遠征っ? 何処に?」
「サシャータだ」
「うおっホントに!?」
「一応兵士不足で応援依頼が来ていたので元々騎士が誰か行く必要があったんだ」
確かにサシャータは自分で見ているがかなり深刻なダメージを受けていた。最も外面的なダメージはアキがやった消し飛ばした部分だけれど。しかし何しろ城の人間は殆ど居ない。貴族などから再び政治要人を選出せねばならなかった。そこを立てても今度は兵が居ない。町の兵を戻しても今度は街の兵が足りない。暫くは気合で回すしかないと王女は嘆いていた。アキが気に入られていて騎士隊長にと勧誘を受けていたけど事の成果を竜士団で通した所もあって丁重にお断りしていた。
「一周年帰ってこないと……向こうの騎士になっちゃうよアルゼ」
割と真剣にそう思う。恐らくここより良い待遇なら移った方がいいんだろうとは思うが居なくなるのは友人的に寂しい。
「無いと思うが……まぁそれはそれだ。アルゼの選択ならそれでも構わないだろう」
「俺はヤだなぁ。特にアレだよ。サシャータのお姫様は痩せると凄い美人さんになるよ」
俺の見立てだとあの人仕事に没頭するタイプの人だから、脂肪があるのをいい事に余り食べないだろうなぁと言う事。人のお肉の心配をしている場合でもないのかもしれないが健康にはよろしくないので心配なのだ。やっぱり激務で痩せるのって良くないよな。今度行ったら何か差し入れ持って行こうと心に決めた。
「それを聞くと少し帰ってくる気がしなくなったな」
冗談ではないのだが笑ってしまう。
「アルゼだもんなぁ」
「ああ、アルゼだからな」
二人でそう纏めたところで後ろで扉が開く音がした。
新調した新しい服に袖通しをしたからだろうか、ファーナもアイリスもご機嫌である。
いつもより濃い赤の生地の服に白いコルセット。髪型を後ろで纏めて何時もよりすっきりとした印象を持てるファーナ。アイリスは裾が軽そうに靡く空色の服に藍色の服を重ねていて、より街歩き用というスタイルだった。それぞれ白と黒の司祭帽子に似た形の帽子をしていて、顔の横側が薄いレースの布で見えにくくなるもの使ってなるべく隠れるようにしている。
お待たせしました、と二人が言うと何故か此方が照れる始末で一瞬ヴァースと一緒に固まっていたがソレに気付いて二人で慌てて動き出す。
「失礼、余りに似合っていたので見惚れてしまいました」
そこでそう言えるのがヴァースの凄い所と言うか、社交慣れを感じる。
「では早速行きましょう。馬車を出しますので」
「いえ、歩きましょう。
この服なら中央出入り口から出ても目立ちませんし」
目立ってないつもりなのか……まぁ気持ちも大事だよね。
「ヴァースは少し目立ちますね」
彼の装いをファーナが上から下まで眺めてそう言った。ヴァースは少し困ったような表情で自分の服装を見る。全身黒色で固められており、特に羽織っている物も無い。護衛なので剣をぶら下げる程度になっていて持ち物も少ない。すっきりと纏まっているがヴァース的には一番地味な物との事だ。
「そうでしょうか……」
「うーん、顔だよねやっぱ」
飾らない故に素材が生きるというか。某店のシンプルな服装のモデルを彷彿とさせる。
ファーナが覗き込むように少し近づいてうーんと唸った。なんだかとても絵になる図だ。
「……あ、少々お待ちください。丁度置いてある場所を知っています」
「いえ、自分は大丈夫ですから」
なるべく隅に居ますしと一歩下がる。
「ダメです」
「やるならトコトンですよね」
姉妹は言ってから「ですよねぇ」と声を合わせて楽しそうに微笑む。ファーナはすぐ戻りますと言って足早に廊下を歩き出した。
彼女の向かっている方向からヴァンの書斎二号室に違いないと推測した。一号室は城側の神殿にある。最初ヴァンと会ったのもあの部屋だなぁと少し懐かしい気分になった。
「ヴァンツェ様のを持ち出すつもりでしょうか……ならば尚更迂闊に使えないのですが」
目上の人間の私物を居ないとはいえ勝手に使ってしまうのは如何な物かとヴァースは悩む。それに対して俺とアイリスで大丈夫だと言いくるめていると本当にすぐファーナは戻ってきた。彼女の手には何か四角い箱が握られている。
「お待たせ致しました」
「折角なのですがヴァンツェ様のお持ち物ならば勝手に使うわけには……」
「いいえ、これはわたくしが作らせた伊達眼鏡ですから」
「リージェ様のものですか?」
「いえそれも違うのです。昔ヴァンツェにと思って作らせたのですが実は度も分らず……ヴァンツェに合うかを見たくて買ってきたのですが、あまりしっくり来なかったので結局ヴァンツェを連れて新しいのを買いに行ったのです。
それでこれは伊達眼鏡のままずっと仕舞われていたのです」
「拘り派だなぁ」
「どうせなら似合う物でなくては物も人も勿体無いでしょう」
俺は買った物が勿体無いと言いたい貧乏人。まぁヴァンへ何かあげる事に夢中だったんだろう。
カツカツと足をそろえてファーナが眼鏡を掲げる。
「というわけで持ち主は居ないのです。ヴァンツェとて怒ったりはしないでしょう。さぁどうぞ」
「……では、お借りします」
そう言ったヴァースにファーナが眼鏡を高めに差し出す。掛けようと手を伸ばして少し届かなくてよろける。
「わっ! す、すみませんヴァース」
「いえ、お怪我が無くてよかったです」
卒なくそう言うと、眼鏡を受け取ってかけた。
その姿を見てファーナが満足そうに頷いてとても良くお似合いです、といって微笑む。
「……恐縮です」
クスクスと笑いあう二人に何となく近寄りづらい空気を感じる。
「似合うなぁ二人とも」
空気がそうだ、と思って小さく口に出した。恋人か仲のいい兄妹かに見える。数歩離れて何となく見ている隣にはアイリスが居た。
「そうですよね。お姉様ばかりずるいです」
突然聞こえてちょっと驚く。意味のある感想ではなかく返事が返ってきた事が意外だった。
「はは、でもアイリスぐらい身長無きゃ届かなかったな。ファーナ変なところで挑戦するなぁ」
「それはそうですけど、それもお姉様の可愛いところです。
……油断していると取られてしまいますよシキガミ様?」
俺に近づいてこっそりそう呟いてからアイリスは俺にウィンクするとニコッと会心の笑みを見せてから行きましょうと皆に言った。アイリスが振り返ると甘い匂いが残って何となく気になる。さっきから何かアイリスに違和感を感じるけれど服と雰囲気のせいだろうか。より美人で大人っぽく見える。
「わたくしはちょっとだけ香水屋さんに寄りたいです」
「あれ、もういい匂いするのに」
「えっ本当ですか、有難う御座いますっ! お気に入りの香水なんです。
わ、面と向かって褒められるとなんだか照れますね」
照れられると此方も照れるのだけれど、嬉しそうなのでいいか。
「アイリス、徒歩になりますがお店は何処に?」
ファーナがアイリスに聞くとはいっと軽やかに服を揺らす。なんとなくやっぱりいつものアイリスだなと思った。
「実はわたくし、全部持ってきてもらっていたのでお店の場所を知らないのです」
「いつも持って来て頂いてるのは一番街のシャルモーテです」
一番街はお城に一番近い街区画だ。故に一番街は老舗ばかりで高級な店が沢山あるという印象がある。王室御用達なお店だって少なくは無い。そういうところから全て持ってきてもらっているというのはどれだけ厚い待遇をされているのかが伺い知れる。
「ではそこ以外がいいです」
とてもいい笑顔でそういい切るアイリス。
「あら、冒険心が強いですね」
「だっていつでも来てくれるなら、今日しかいけない所へ行きたいのです」
アイリスが腰に手を当ててそう言うのが、何となく昔のファーナみたいに見えた。好奇心と一緒にグラネダを歩くのは楽しい。
雑談が過ぎたがようやく皆で出発し二番街へと向かい始めた。
二人のお嬢様を連れての買い物は目立たないわけがなかった。今度ファーナに何故服が赤いと目立つのかについて考えてもらう必要があるだろうか。まぁ俺達が睨んでいるだけで声が掛かる事は無いと分かったので大人しくそれに従事していた。
買い物は主に道案内だけをしてあとは二人に買わせている。店を三つ回っただけで俺とヴァースの両手がほぼ埋まった。
四件目の店の前で此方を執拗に注目している輩が居たのでそっちに向かって俺からも視線を送っておく。視線が逸らされたのを確認して自分達のところに視線を戻した。
「視線集まるなぁホント」
「確かにな。襲ってこない限りは気にしないようにしているが」
視線慣れしている人の対応だ。けど確かに自分が過剰に反応しているだけなのかもしれない。
「そうした方がいいのかな。俺睨み返しちゃったよ」
「それは止めた方がいい。睨むと近寄ってくる奴なら余計面倒になる」
「それもそっか……でもなんか変なんだよ」
「何がだ」
「……俺達が見られてる感じ。なんか俺達が離れるのを狙ってたりするのかな」
ふむ、とヴァースが少しだけ周りを見回す。見る分には特に怪しく立ち止まっている人も居ない。確かに他三人を見れば髪色的に俺が目立つので気になるという理由なら仕方ないけれど、気づくと見られているという視線の意図とは違うと思う。
「警戒を怠らなければさして問題ではないはずだ。少し引き締めていこう」
「了解っ」
ひとまずは気にしない。移動しながらだと視線は分散するので殆ど感じないし。
二件目の香水の店に入ってもう三十分はしただろうか。俺は外から見ているだけだがもう既に飽きた。少し中に居たのだが色んな匂いが混じっていて俺にはキツかった。
見上げるともう日もかなり落ちていて星も見え始めている。
「そろそろ戻らなくてはな」
「そうだね。さっきのもう一件のお願いはずるかったよね」
「……ああ、ずるいな」
二人がもう一箇所だけ、と懇願するものだから俺達が折れてもう一店だけ連れてきている。まぁ個人的には全然いいだろうと思って速攻で快諾していたのだが、城基準では大体日暮れがリミットらしい。俺がオーケーを言った後は二人はヴァースに向かって上目遣いで迫っていた。だからずるい。
「つい買ってしまいました……安いというのも考え物です」
「流石に少し買いすぎかもしれませんね……」
「ビンが可愛いのは反則ですね。つい買ってしまいます」
二人が満足顔で店を出てくる。
「あぁ見てくださいヴァース、これ可愛いと思いませんかっ」
そう言ってアイリスがヴァースに菱形の小瓶を取り出す。
「そうですね。とても似合っていらっしゃるかと。
珍しい品ですか? 確かに見た事の無い形の瓶ですが」
「ええ、これは余り入荷できないノアンのお店でしか作られていないものなんですって。
やっぱりお店に直接来ると色々発見があっていいですねっ。
今日は本当に有難う御座いますっ」
本当に嬉しそうに言ってさぁ帰りましょうと揚々と歩き出した。
「ファーナは良いもの買えた?」
「わたくしは沢山買いこんでも、持っていけるのは一つですから買ってません」
確かに……ルーメンが居ない状態の時は持っていける物は減ってしまう。香水を大量に持ち歩くのは不可能だ。
「今度は、そうですね、出た先で選んでもらうのも良いかもしれません」
「ファーナの香水? 俺が?」
「はい。ダメですか?」
「ダメって言うか、変なのえらんじゃうかもよ?
てかファーナの匂い覚えなおさなきゃ。うーん?」
今は結構爽やかな匂いのものを使っていた気がするけど、と思いつつ顔を近づけると顔をギュムッと押さえつけられた。
「ふがっ」
「あっちょっと、やめてくださいっ」
「コウキ、猥褻罪で逮捕するぞ」
バッと俺とファーナの間に入ったヴァースに睨まれる。それにバッと両手を挙げて無抵抗の意を示す。
「すみません! ファーナの香水も五、六回変わっててファーナの匂い以外はぼんやりとしか」
「ま、まぁ、お姉様の匂いはわかるのですか……」
ぱちぱちとまばたきをしながらアイリスが俺とファーナを交互に見る。
「そそそういうのはっちがっ、やめてくださいっ」
ファーナが真っ赤な顔で俺を睨んだ後アイリスにワタワタとしながら何かを訴えかける。
「伊達に魔女にワンコ君って言われてないぜ!」
食べ物も腐っているかどうかは匂いで大体わかるだろ?
そのせいで死体の臭いの時は本当に鼻曲がるかと思ったけど。
「全く、君はもう少し品性を知るべきだ」
ヴァースが腕を組んでため息を吐く。まぁあと俺に落ち着きも無いからだと思う。
「ヴァースはオトナだなぁ」
「キミが少し子供ぶりすぎているだけさ」
ヴァースを見てるとそれもそうかとも思える。歳は八つ違うんだけど俺と同い年の時にこんな風だったかって言うとそうじゃ無さそうだし。
さすがに今のは四法さんが居たらセクハラ呼ばわりされただろうか。されたな、うん。
「ぶってはないけど……もうただの生活力のある子供ですら居られないのかぁ」
「そうだな。君は一人前を名乗るべき人物だ」
「一人前にしては足元がおぼつか無いんだよね。主に収入的な意味でだけど。奇跡的に困ってないんだけどさ。
俺の生きてる実感ってやっぱり接客の仕事してお金貰ってた時だったと思うから余計にさ。
今の生活だとやっぱり必死さが足りなくて、物足りないんだ。罪悪感があるぐらいだよ」
自分の感覚を語るとなんか変な気分になる。
それを人に押し付けるつもりは勿論無いわけだけど、普通の人の普通の理想を言えばそういうものだと思う。
「メイドに混じって働く貴方をわたくしには働いてないと言えないです……」
「ファーナは報告書とかやってるじゃん」
「それは帰って一度やれば事足りますから……」
ファーナはそれが仕事だからいいんじゃないのかなぁと言っているとスッと俺の目の前に手が入ってきた。視線を遮られたので必然的に会話が止まる。
「失礼ですが、そろそろ戻りましょう。
国王様も心配なさっていますよ」
ヴァースが空を見て、皆に言う。それに皆で同意して大神殿へと向かった。
最後まで視線はあったけど、馬車に乗る頃にはもう無くなっていた。ヴァースの言っていた通り、特に気にするほどでもなかったんだと思ってその視線の事は忘れて帰途に着いた。
そして、翌日には全ての事をちゃんと気にしたほうが良いなと俺が言うほど酷い記事がグラネダを震撼させた。
新聞で書いてある事によると、どうやら俺はヴァースと一緒にファーナの取り合いをしているように書かれていた。しかも無理矢理キスしようとして断られているとか。
感じていた視線はこの記者のものだったのだろうか。
ファーナを探したが現在取り込み中のようだったので城へと向かった。
王様は今朝すでにセインへと出ていて不在。アイリスが事を聞いて俺を呼んでいるという話を聞いて彼女に相談する事にした。
新聞を目の前にアイリスが眉間に皺を寄せていた。
「こうなっては仕方がありません。決闘しましょうッ!」
ダンッと新聞ごとアイリスが机を叩く。
「なんでだよっ滅茶苦茶でっち上げじゃん! これ訂正させようよ!」
「いえ……しかし、今日はお父様お母様はいらっしゃいません。
並びに大臣、バルネロもセインへ出向しています」
グッと拳を握る彼女に嫌な予感を感じて、俺は小さく手を挙げる。
「……あの、アイリス?」
「ということは、ついにわたくしが、指揮を執るべき事態ではありませんかっ燃えますね!」
目がぴっかぴか光った状態で鼻息荒く彼女はそう言った。何か使命感的なものに捉われているのか物凄く楽しそうである。
「あの、別に燃焼はいいんで、沈静してくれない?」
アイリスの燃える瞳にプルプルとノーサンキューの意志を持って頭を横に振る。そういうのは、もっと違うときに使って欲しいな。
しかし彼女に全く俺の話を聞いている様子は無い。むしろブツブツとなにやら用意の事を頭の中でシュミレーションし始めて、突然くるりと此方をむいた。
「ああこんなにもわたくしは燃えている! シキガミ様! 必ずや血湧き肉躍る最高の舞台をご用意しますから! 誰か! 闘技場を押さえなさい! お姉様を主賓席に! あ、座席は赤いものを!」
「えええええ! あ、アイリス!?」
ぶんっ、と彼女の掲げた手が真っ直ぐ振り下ろされる。
「お姉様を賭けて、決闘です!!」
彼女は声高らかにアイリスはそう宣言した。
――これ、不味くね……?
思う俺とは裏腹に、迅速に全ての用意は行われていった。誰の陰謀とも知らずに――。
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