第185話『絶句逃走』

 アイリス用の仕事部屋は与えられていて、広々とした部屋に本棚と広い机がある。机の端にあるのは教科書だろう。手書きで写されたもので年季が入った代物だ。沢山書き足された紙の切れ端が挟まっていてとても膨らんでいるように見える。
 王様の所と違って余り年季が入っているとはいえない机だが作りの丁寧さと豪華さはあちらより凄いかもしれない。
 その椅子に座る若い姫がニコニコと俺を見ている。決闘ですなんて高らかに言い放ったりして彼女は楽しんでいるのだろう。

「とりあえずヴァースと止めるように出来ないか相談してくるよ」
 机の上の新聞を折りたたんでポケットに入れると踵を返して部屋を出ようとするとバッと彼女が席を立った。
「お待ちになってください!
 ヴァースには既に承諾を得ています!」
「ヴァースが良いって言ったの!?」
 立ち上がって腰に手を当てた彼女が胸を張る。
「はいっ勿論です」
 アイリスはパッと見俺と同じぐらいかなって思う。ただし二歳下だ。ファーナは年下だなって思う。ただし一歳下だ。まぁ同じ世代だとは言えると思うし俺も大して気にしないが不思議である。
 立ち止まって振り返った俺は腕を組んで一瞬考える。
「うーん、アイリスが嘘吐くとは思えないけど、ヴァースが頷くとも思えないよ。
 だって意味無いじゃん」
「意味が無い、ですか」
 俺が言った事にぴくりと眉を動かす。
「無いよ。取り合ってないのに決闘ってなんでなの?」
 降って湧いただけの話に乗せられるだけって言うのは良くない。
 このままだとアイリスやら騎士団やらに大きく誤解を生む事になる。そうなると折角評判の良い騎士団が迷惑を被るだろう。

「……それでは、無条件でお姉様を差し出して構わないのですね?」
「俺に許可を取るまでも無いって」
 色恋のルールは知らないけど、殆ど無いようなものなんじゃないだろうか。
 そもそもヴァースにもそういう意図があるのか? 俺はそれを知りたい。
「……ほんっとうに、貴方と言う人は……」
 顔を下に向けて、ポツリと何かを呟いた。
「えっ……?」
 俺が問い直そうとすると、キッと顔をこちらに向けて強い視線を向けた。
「何故、お姉様を取り合う決闘と銘打たれているのか、それに貴方が加わっているのかお解りになりませんか」
「別に俺そんな事考えて一緒に居るわけじゃないよ!」
 神子とシキガミはただ単に決められた組み合わせでそれ以上の意味は無いハズだ。
「では宜しいのですね。
 お姉様はあの方のものとなります。
 近づくなと言われれば貴方は近づけません。
 護衛をやめろと言われれば貴方はやめなくてはいけませんっ」
 言い切って、アイリスがふいっと俺から視線を背ける。
「……それは困るけど。そのための決闘って変だろ?」
 目的が相違している。俺はファーナの護衛の名目でそこに居られればいいはずだから。
「そうでしょうか。貴方を倒せばヴァースは貴方以上にお姉様の傍に居る事に足る存在となります」
「……そんな事の為に、俺は友達と戦いたく無いんだ。
 ファーナと一緒に居られないなら旅をするか一緒に来るとかまだ方法あるだろ。
 なんでそんなに決着急いでるんだよ。ヴァースっぽくないよ。ヴァースは俺と違ってちゃんと考える人間だろ?」

 常識を持ち合わせた優秀な騎士だ。仕事も礼儀は完璧だし、庶民の意見を理解できる。
 そんな人がこの理不尽な戦いをやるとは思えない。やるにしても他を巻き込む意味が解らないし。
 俺の言葉を聞いて一度ゆっくりと眼を閉じたアイリスが首を振る。

「シキガミ様」
「何さ」
「そんな事、等と言って居ては――……後悔しますよ?」
 アイリスが凛とした表情で言った。妙に重さを持った言葉に俺も黙り込む。
 別にファーナを蔑ろにしたつもりの言葉ではない。もちろんもし戦いを挑んできているのならばヴァースを怒らせるような言葉になってしまうのだろうけれど。俺の言葉は横一列での人間関係の話だ。前後や距離を求めない。
「それに人の心は誰しもが持ったイレギュラーを生み出すものです」
「……例えば?」
「こういった事態ですよ。
 ヴァースが良いと言うのですからそのままにさせてあげたいではありませんか」

 ヴァースがやりたいなら正々堂々正面からくるだろう。そういう人間だ。
 なんにせよこのままアイリスと話していたのでは埒が明かない。殴られてでも話さなきゃいけない時はあると思う。
 というわけで俺は黙ったまままた扉を振り返った。

「って、なんで全然止まる気配が無いんですか! 聞いてないんですか!」
「ぬおおおっ放してぇ! 俺は自由に!」
 立っていたのが助走になったのだろう。扉を開ける前にアイリスに掴まってしまった。
「いえっ! こればかりは譲りません! たとえシキガミ様とて逃がしません〜〜っ」
「何で!? 俺はヴァースに事の色々を話したいだけなんだよぅ!」
「だ、だから今ヴァースに近づくと貴方が危険なのですっ!」
「トライ・アンド・エラーって大事だと思うんだよね!」
「エラーが起きたらシキガミ様とて首が残るかどうか解らないではありませんかー!」
「それもそうだ……! それでも俺には行かなきゃいけない時があると思うんだよね!!」
「その意気には感嘆を漏らす勢いですけれど! わたくしの目が黒いうちはそれを許しません!」
「やった! アイリスの目は青いもんな!」
「こ、言葉のあやです! そういう揚げ足取りはよくありませんよシキガミ様!」
「こうなったらアイリスごと連れて行く!」
「えっ!? あの、困りますっ」
「よいしょ」
「えっ、ちょ、シキガミ様、本気ですか!?」
「行くぜ! あ、苦しくなったら言ってね」
「は、はい。慣れているので大丈夫ですけど」

 アイリスを担ぎ上げて扉を出て、出てすぐの窓を開け放つ。
 バッと下を見下ろして軽く引いた。
「高っ! アイリスこれとんだの!?」
 いつぞやアイリスが上から降ってきた事があったけどこの高さどんな神経で飛び降りるんだ。衝撃緩衝ついてても嫌だぞ。絶対ヒュンってなるし。
「あ、はい。飛びました。風があると浮力移動の法術が使えるので木の葉みたいに降りる事ができます。なので一応平気なんです」
「なるほどねー。じゃ、飛ぶぞー。着地はやるから浮力移動やってみてよ!」
「えと、はいっ行けます。
 収束:10 ライン:掌の詠唱ライン展開
 術式:木の葉舞い<リーフフォール>」

 その術が掛かったのを確認して俺は窓枠を蹴って飛び出す。
「おおっ!」

 ぶわぁ――!
 下から感じる風が俺達を避けていくのを感じる。重心移動をするとそれにあわせて木の葉のようにヒラヒラと落ちていく。安定させると少しくるくると回りながら衝撃緩衝が発動する必要の無いレベルですとん、と地面へと降り立った。
 新しくて精錬された法術ほど、意味が自分にとって解りやすい物になるらしい。例えばヴァンが言っている神言語は聞こえもしないのは普通の人の頭である以上理解に及ばないからだ。
 今アイリスが行使した術はかなり完成された術なのだと思う。
「すげぇ! 綺麗な術式だなぁ」
 流石法術最先端の国で王女やっているだけはある。
「有難う御座います……あ、下ろしていただけますか?」
「うん」
 俺がアイリスを下ろすとスカートを調えて背筋を伸ばした。
 そして彼女が視線を向けたほうを見る。
 中庭では軍の朝練が行われているがこの時間はヴァース隊が行っているようだった。これだけの騒ぎがあるのに規定通りの朝練を行っているという事はやっぱりヴァースだって知らないのではないのかと思う。ヴァースが新聞を読んでいないとは考えられないのでその上で放置しているだけなのではないかと思えた。

「ヴァース、お勤めご苦労様です。少々お時間宜しいでしょうか」
 アイリスが話しかけるとヴァースは振り返って敬礼をした。
「ハッ。スイマール、少しの間頼む。
 あちらへ行きましょう」

 中庭から少し離れて城内の廊下に入る。一応周りに人は居らず、俺たちだけなのを確認して俺は新聞を取り出す。

「これは、ヴァースも見てるよな」
「今朝の新聞だな。もちろん既読だ」
「こんなのおかしいよな!? ヴァースも言ってくれよ!」

 俺の訴えにヴァースは俺の目を見て一度アイリスと目を合わせた。
 そしてアイリスが頷くとヴァースはため息をついた。

「そうか……では単刀直入に言おう」
 やっと俺の味方が出来たかな、と一瞬安堵した。

「君にはリージェ様を守りきる事が出来ないと判断した。
 故に君が今回この戦いで私に勝つ力が証明できなければ、あの方の前から消えてくれ」

 ――あれ。
 ヴァースは厳しい表情で俺を睨んだ。
「ホントに、ヴァースがやったのか……?」

 表情を崩さずヴァースが頷く。

「隠すほどでもないだろう?
 私の我侭を聞いていただいているだけだ。
 キミはこの戦いを受けなかった場合、負けた者として国を追われる。
 またこの戦いに負けた場合も同じだ」
「お、おかしいだろ!?」
「おかしくは無い。
 キミは笑いたいのだろうが、私にはそれは無理だ。
 何度キミはあの方を危険な目に合わせた。
 何度キミはあの方を泣かせた。
 あの方を慕う者として私ももう黙っては居られない。

 キミが私より強い事を証明でき無いなら、キミにあの方の傍にいる事を私が許さない」



 ああ、人生で一番疲れた。健康優良児の俺の胃を高速で穴あけに来てるだろこれは。理不尽に捉われて悶えるイチガミコウキがグラネダ城神殿の噴水前で転がっていた。
 なんだか真面目モードになったヴァースとアイリスに追い返されて戻って来た次第である。どうやら俺に拒否権はないようだ。
 確かにファーナを守りきれなかったのは俺に責任が有る。ヴァースの言ってる事も理解できる。罪意識に凹むのは俺らしくは無いが、突かれると痛い傷の部分である。
 陽気な太陽が照りつける空。この瞬間は平和で今が昼過ぎなら寝ててもいいぐらいだ。なんか城側も色めきだって居て滅入るのだ。こんな所で寝ているとスゥさんや兵士さんに叩き起こされるだろうけど。
 悶えて居ても仕方ないしファーナを探して何とかしようかなという結論に達する。
 まだお城のほうに居るような気配があるが、なんとなくこっちに戻ってきているような気がしてとりあえず噴水の前で待ってみる。
 程なくしてファーナが城から神殿に直結している廊下に現れてすぐに此方に気づいた。その姿を見つけるとなんだか安心できておーい、と彼女を呼んで手を振った。城や神殿に居る時は決して走らないファーナが足早に此方へきて「お待たせしました」と微笑んで俺の隣に座った。同時に、二人でため息を吐いた。彼女も同じような事をやってきたのだろう。
 互いにその仕草に目を合わせてから、無防備にへにゃっと笑いあった。緊張が続いていたせいだろうか。落ち着けるっていいね。

「コウキ、全てを聞きました……よね?」
「聞いた」
「……あ、貴方はどうするのです」
「正直逃げたい」
 ヴァースは言わば騎士隊長の中でも最も強いと言われる人だ。基礎訓練では勿論一度も勝てた事は無い。
「そうですか」
 ファーナはただ頷いた。

「でも、負けたくない」

 ファーナが此方を向いた。真剣に俺の目を見て本当なのかと聞いてきているように見えたので頷く。言葉に偽りは無い。
「戦うのですね」
「戦う」
 おっちゃんにしても。ヴァースにしても。彼女を守ってきた時間が長い人ほど俺に苛立つのだと思う。一つ一つそれに対してのけじめと証明を行わなくてはいけないのはここに居る最低条件なんだろうか。
「コウキ」
「ん?」
「侮辱された時、貴方は怒ってもいいのです」

 そんなに気高いって存在じゃない。言われている事は間違っているわけじゃないから受け入れるべきだとも思える。
「貴方の侮辱はわたくしの侮辱です。
 わたくしは悔しいです。
 貴方は貴方の心情で泣いたり怒ったりしないのでしょうけれど……。
 それは、疲れませんか」
「……実はちょっと怒ってる」
 悔しいし。上手く行かないとやっぱりイライラして行き詰っている感覚に投げ出したくもなってくる。
 俺が怒るのは理不尽なのと理解の足りない逆切れな気がしてならないからだ。
「知っています」
 ファーナが得意げに笑う。
「お見通しかーってまぁ当然か……」
 感情リンクはしている。脳内の言葉の繋がりではないけど、気持ちが伝わる。
「もうアキもヴァンも居ないから俺がやらなきゃだし。
 これぐらい出来なくて何がシキガミなんだってことだろ?」
「……そうですね」
「……? ファーナ?」

 沈んだ表情のファーナが眼を閉じる。
 俺が訊いてから長い間があって、その間妙に大きく噴水の水が流れる音が響いていた。太陽が雲で影って暖かかった空間に少し冷たい空気が流れた後、少し辛そうな顔をして言葉を選びながら彼女は言った。

「……貴方の使命でもありますけれど。
 貴方が……それに捉われてしまう事はありません……。
 わたくしの為等と無理に息巻く必要は無いのです」

 雲だけが通り過ぎてまた少し陽気が戻る。照り返す光が眩しくて眼を細めた。
 ――諦めろと言われている様な気がした。
 それをファーナに言われると俺はどうしようもない、気が、する。

「それだとファーナが……。いや……」
 俺がファーナを見捨てるみたいな事になる。
 でももしかしてというか、やっぱりというか――。聞きたくは無いのだけれど、つい一つ口に出てしまう。

「ファーナは、さ。
 ヴァースが好き?」

 一瞬息を詰まらせたファーナは苦悶の表情を見せた。

 そして一瞬泣きそうな顔になって急に立ち上がって走り去る。

 あれ。

 もう感情は伝わってこない。

 直前に爆発するような苛立ちに似た、何かの感情。

 それが何だったか解らない。


 走り去っていく後姿を呆然と見送った。

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