第186話『窮地』

 ――その決闘が開催されるのは昼を過ぎた辺りの事だった。
 用意周到に用意されたコロシアムと賑やかな観衆。ここぞとばかりに歩き回る売り子に色めき立つ会場。控え室に通されたけれどやはり上の空な自分。
 控え室の椅子に座り込んで脱力する。勝てる試合だとは思っていないが、そもそもこんなに気が入ってないなくていいのだろうか。

「おーっす! コウキ居るか!」
 ガターンと威勢のいい声と共に勢い良く扉が開かれ、色黒のでかい奴がづかづかと控え室へと入ってきた。腰にしがみついた兵士をずるずると引き摺りながら、こちらに笑って手をあげた。
「困ります! ここは関係者以外立ち入り禁止で……!!」
 必死で止めようとしているがタケは全く止まらずにここまで来たようだ。
「あ、タケか……。兵士さん、こいつはいいよ。友達なんだ」
 俺の一言で兵士はタケから離れる。
「しかし……規律では禁止です。その、疑うわけではありませんが、ドーピングなどもありますし」
「ドーピングしたらどうせヴァースに真っ二つにされるだけだよ。悪党成敗は得意そうだし、俺そんな事しないよ」
 ナイナイ、と手を振る。より容赦してくれなくなって負けるだけという結果しか見えないしね。
「そーそー。なんも持っちゃいねーよ。
 一応ボディッチェックしてみろって財布なんか見ろよ。カラだぜ! ゴミもでねぇ……」
 タケがポフポフとポケットを叩いて見せ、財布もなかみを全部曝け出す。本当に一銭も入っていないみたいで一枚のカードのようなものが入っているだけだった。
「……では失礼します……。
 確かに何も持っていないようですね」
 一度ポケットのある場所をズボンなどを一通り触れてチェックを終えて何も無い事を確認した兵士が頷く。一応向こうも仕事だろうからタケは追い出しておきたいだろう。
「まぁ、そこに立って見張っててよ。扉も開けっ放しで良いし」
 そういう事なら、まぁ、と渋々と了承してくれた兵士に感謝して無遠慮に俺の隣の席に座るタケを見る。いつに無く嬉々としていて、ニヤニヤとした表情で俺を見た。
「で、この決闘……マジもんなのか?」
 勿論八百長試合なんかじゃない。
「マジもんだぜ……俺どうすりゃいいんだ」
「はぁ? 何言ってんだよ! マジもんなら勝つ一択だろ!
 ファーナちゃん賭けてんだろ!?
 つかオレも全財産賭けてるんだよ!!」
 この前稼いだばっかりなのになんでそんなにすぐ無くなったんだと不思議に思っては居たがそういう事かと納得した。
「だから財布がカラなのか……。
 賭けって、俺の倍率は?」

「お前は十倍。ヴァースって奴は二倍だ」

「あっはっはっは! 妥当だなぁ」
 俺はずるずると腰を背もたれから離して椅子に浅く腰掛けた状態で天井を見た。ていうかまた十倍かよ。アルベントの時から変わってないなぁ。
 まぁ戦争の時は立ってただけだし、武勇を言えばアキの方が数倍信用あると思う。
「オレのライフが掛かってんだから勝てよっ勝ってください!」
 タケが割りと必死に頭を下げる。
「……俺友達とは戦いたく無いんだけど」
「なーんだよ。ヴァースって奴知り合いなのか」
「そうだよ。昨日一緒にお姫様の買い物について行った。年上だけど普通に話せる。一番騎士らしい騎士だし尊敬もしてるよ。
 ……なぁ、タケ」
「なんだよ」
「俺が戦う理由って何なんだろって? ファーナの取り合いしてないんだけど」
「は……? お前それ本当か?」
「だって、俺」
「ファーナちゃん嫌いなの?」
「いや、好きだけど。……そういうのじゃ……」
 言葉に詰まる。
 無いって言えばいい。俺は適当にこの世界に呼ばれて、適当に彼女を救う為に戦っているんだろうって思っているところもある。

「……それ本気かよ」
「……本気だよ」
「……そうか。お前に賭けて損した。がっかりだわ」
「悪い」

「ついでにお前にもがっかりだわ」
 言われると辛いので目を伏せてしまう。タケは詰まらなさそうに控え室の壁を見てため息を吐いた。
「ファーナちゃん、主賓席に居るけど元気なかったぜ。
 場合によっちゃお前最低だぜ」

 歓声の聞こえるこの部屋から、そのまま舞台へ出る事が出来るのだが扉がついていて野球場のベンチみたいになってる。
「お前さぁ……好きな子に好きって言ってやれないの?
 普段馬鹿なのになんで?」
「わかんねぇ……」
 考えないように、していたのに。
「わかんないって言い続けて逃げてたらあの子が幸せになんのかよ!」
「……っ、でも、ファーナはお姫様だろ……?」
 俺よりも適した人間が目の前に居る。
 ただこの戦が俺が勝ては彼女の為となるならばいくらでも尽くすことが出来るだろう。
 今度ばかりはそうじゃない。

「この大馬鹿野郎! そうじゃねぇ!
 そーやって誰かをダシに逃げんなっつってんだ!」

 思い切りタケに襟元をつかまれて彼が立ち上がったのにつり上げられるように立ち上がる。
 逃げられない所まできているのに何をやっているのだろう、と思うところはある。
 でも。
 俺がでしゃばった所でこの戦いは無意味だと思う。俺がヴァースを邪魔する気は無い。二人は似合っていると思う。ヴァースはいい人だ。何に於いても俺に勝るだろう。どう考えても、俺が邪魔者じゃないか。
 俺らしくもないネガティブなのはわかるが、先の話だって理解できるなら俺みたいな奴がファーナに近づくのは良くないだろ――?

「……居なくなってしまうのもありなのかも……ほら幸いカードがあれば俺だけでも旅は続けられし――」

「おい、コウキ」
「なんブッッ!!!」

 答える前に殴り飛ばされて盛大に椅子ごとひっくり返る。色々と体の節々が痛いが特に頬はヤバイ。頭が揺れる。
 上下もハッキリしない状態だったがそんな俺をタケがまた掴み起こして壁に押し付けてから怒鳴りつけた。

「ふざけるなバカ野郎!!!
 お前を嫌いな奴がこの戦いを泣きそうになりながら席に座るってんのか!? アァ!?
 今まで一番傍に居て一番幸せそうに笑わせてきたお前が! そうやってその場所簡単に譲るのか!!」

 タケの怒声は部屋に響き渡る。大声に一気に意識が引き戻されて、視界がハッキリする。あと物凄く頬っぺたが痛い。兵士さんがタケを必死に俺から引き離そうとしてきているが左手の一突きで壁に突き飛ばされた。

「もう一度言うぞ!!

 お前がそれすら守れねぇってんなら本当に最低だ!!」

 それすら。
 途中で投げ出すような中途半端な想いで俺は何をしていたんだろう。
 投げ出すようなものなら最初からやらなくてよかったじゃないか。
 タケの言っている事は全くの正論だ。

 タケがいきなり俺を放して俺はまた散らばった椅子の上に崩れ落ちる。
 鼓膜が痛い。それほど本気で叫ばれた声だった。
 タケはそれ以上何も言わず鼻息を荒くしたまま部屋から出て行った。
 兵士が起き上がって俺に駆け寄ってきて肩を叩いてくる。
「だ、大丈夫ですか、すぐキュア班を……!」
「……いや。大丈夫っす。ありがとうございます。喧嘩に巻き込んですみません」
 これは俺が悪い。全く否定できない。
 タケの言うとおり最低な馬鹿野郎だったということだ。
「自分は大した事はありません。しかし試合前のシキガミ様の怪我はハンデになってしまいます」
「ハンデって程じゃないよ。ちょっと目も覚めたし、痛いぐらいで丁度いいし」

 兵士さんにもう一度礼を言って、俺は歓声の上がる舞台入場口へ向かう事にした。



 両者入場のタイミングはアイリスが高らかに選手登場宣言を行った後同時だった。黄土色に見えるコロシアムはこの国の有名な建築物の一つだ。円筒形になっていて常に中心には視線が集まる。

「戦士は二人の英雄!
 ヴァース・フォン・サクライス!!」

 アイリスの声が聞こえると、沢山の拍手と歓声が響いた。特に黄色い声が目立つ。

「そしてシキガミ様!
 コウキ・イチガミ!!」

 その声と同時に俺が舞台へと続く道へと出た。
 ブワッ――!
 熱気と歓声で大きな風が吹いた。
 一番近くで俺を囃し立てる人ですら何を言っているのかわからない。解るのは圧倒的にブーイングが多いってことだけだ。
 何気なくタケを探してみるがやはり流石に見つけられない。
「コウキ!!」
 そう思っていたら真後ろの一番上の席から俺を呼ぶ声が聞こえた。驚いて振りかえるとタケが仁王立ちして叫んでいた。近くには四法さんやジェレイドも居る。

「勝て!!」

 タケは一言だけそう言って、グッと拳を握って見せた。それに同じように拳を握って笑うと手を振って舞台を目指した。
 舞台に到着した俺はぐるっと見回してファーナを見つけた。丁度俺とヴァースの横位置で金色の装飾の眩い椅子に座っている。あれは座るだけで恥ずかしそうだ。ファーナは俺と目が合うとふっと目を伏せる。その表情は暗い。タケの言った言葉がチクチクと心にささっていく。

「さぁ、準備はよろしいですか。
 時にシキガミ様、すでにお顔に痣があるのは何故ですか?」
 俺の顔を見てアイリスが自分の口元を指差す。
 それを見て触れると少し痛かった。そういえば殴られたのはこの辺だった。
「予選が終わったんだ」
「予選ですか……今ならキュア班を呼びますよ?」
「いらないよ」
 深い所を聞いてこないのはアイリスの優しさかそれとも場所が場所だからだろうか。まあ余り観衆を待たせても仕方が無いのだけれど。
 心配をありがたく思いつつこの大会の主催っぽくなっているアイリスに問う。
「ていうか、アイリスはヴァース側の味方じゃないのか?」
「いいえ。わたくしはどちらの味方でもありませんよ。
 お姉様の味方です。相打つ結果になったらわたくしがお姉様を頂いていきますね!」
 高らかに漁夫の利宣言をしながら彼女は笑う。
「……その結末は情けないな!」
 今後グラネダに語り継がれる負の栄光となりえるだろう。
 思わずヴァースと目を合わせてごくりと息を飲んだ。
「そうならぬよう全力でやらせてもらおう」
 ヴァースと真っ直ぐ対峙する。
「……そうだよな」

 やるべき事は決まっているのだけれど、どうしても一つ腑に落ちない事が残っている。
 ファーナは相変わらず此方を見ようとしない。

 目の前の騎士は両手剣を胸の前に掲げ、小さく祈るように眼を閉じた。白銀の鎧と同じく白銀とシンプルな装飾のなされた使い込まれた剣はその光景を神々しく見せる。短い騎士の黙祷は終わってヴァースの端正な顔がもう一度俺を見るとその切っ先をこちらに向けた。

「ヴァース・フォン・サクライス!

 銘は神聖騎士剣<アクトナイト>!」


 名乗りの後は観客が静寂に飲まれた。張り詰めた空気に包まれて俺がこの空間に声を響かせる事になる。
 冠は名乗らなくても良いのかとも思ったが……そう言えば無いのが普通だった。この国には四人も命名持ちが居るが――そんなのとぽんぽん戦う機会があるのはアキぐらいのものだ。うん。

 ファーナには俺が無理に意気込む必要は無いと言われた。
 俺はこの戦いを受ける必要は無いんじゃないかって、一瞬思ってしまった訳だ。
 それはファーナは泣くしタケには殴られるし。
 ホント、最低な選択肢だって事は、わかった。

「壱神幸輝!」

 俺の名前を言う時に思い出す。俺は何をすべきだったか。

「銘は錬銀の絶華<シルメティア・オーバー>!」

 虹剣は何の為に俺を持ち主に選んだのか。

 そして――


「純真なる紅蓮宝剣<ファーネリア>!!」


 この剣を持つ俺が、何故この戦いで迷う必要があろうか。
 ざわざわとざわめきが会場に広がる。

「いざ尋常に勝負」
「負けねぇ!」

 ファーナが笑ってないなら。
 俺は間違ってるって思う。俺が戦うよと言っても彼女が笑ったかは定かではないが、覚悟はしていたのだと思う。ならあの言葉を言わせた俺が悪い。

「始め!」

 それと同時にアイリスは舞台を去っていく。
 俺達は睨み合ってアイリスが一定の距離離れるのを待った。

「コウキ、何故ここに立った」
「……別にいいじゃん、俺の理由なんて」
「そうじゃない。戦う理由が無いのに戦うのならここを降りろと言っている」
 確固たる意志を持った目で俺をみてそう言った。
「戦う理由は、あるよ」
 俺は碧眼を見返して言う。
「正直に言うと、最初はなんで友達と戦うんだって思ったよ。取り合ってもないのに喧嘩って馬鹿みたいじゃんか」

「でもそんなこと言ってたら、ファーナが泣いちゃうし。
 そんな事するぐらいならやっぱヴァースでもぶっとばす!」
「キミはリージェ様をどう思っている」

 それには声で答えずヴァースに笑って見せた。それが俺の最後の抵抗。

 剣を構えて相手へと走り寄ると、最初の一発目を思い切り振るう。
「術式:炎陣旋っ斬っ!!」
 ボンッ……!!

 爆発のように炎が奔る。それが本当の開戦の合図となった。

 炎を割ってヴァースは俺の前へと踏み込んできた。そういえば術には強い鎧を使っていると聞いたが、それはこうまで大胆に踏み込ませるほど強力なのか――。回転しながら刃を合わせて振り上げられた剣を弾くと数歩離れた位置で構え直す。虹剣の反則ビームはオヤスミだ。考えずに振ると物凄い被害出るし。
 基礎が出来上がった人間は本当に強い。動きに無駄が見えないからだ。双剣で攻撃しているのに一瞬の隙も見せない。
 ラジュエラの目の前に常に立たされているような緊張感がある。この緊迫した空気の中で動き出すのは俺だった。
 本当に不本意な戦ではあるのだけれど、強い誰かと対峙したとき肺の奥底から揺れながら出てくる闘志は熱を帯びるばかりなのである。

 自然と剣を持つ手には力が入っていく。
 縦に振った虹剣をさっと横に避けてから視認の難しい突きが来た。両手剣だがリーチがある。間一髪宝石剣で勢いを逃がすと二歩下がって構えなおす。これを片手でも打てるとなると一歩下がるだけでは足りない。
 キィンッ! キィンッ!
 高らかに響く音と共に二、三撃を打ち合う。此方が必ず宝石剣を下に打ち落とされるので後退しているとその行動に対してすぐに追い討ちが掛かった。
 その対応の速さも然ることながら、まだ余力を残しての剣であることが解るのが流石というところだ。
 当の此方は技量で全く適わない。運動量でどうにかしているだけで攻撃は優勢に見えていたりするのだろうが、全然真逆の事実なのである。
 単純な剣技じゃやっぱりロザリアさんと同様に勝てない。使える技を織り交ぜて俺の攻め込むチャンスを作らないといけない。
 辛うじてヴァースの剣を避けながらくるくると会場を走り回る。ちょっとしたブーイングも聞こえてくるが逃げ回っているのではなく俺に必要な位置を取る為に動いている。
 大体ヴァースの速さと踏み込みの感覚を掴んだと思った。打ち合いは大した数ではないが一撃一撃は真剣な攻撃だと言うのが解る。
 俺はヴァースが踏み込んで届かないだろう太陽を背にするような位置に立って動いて剣を投げる――。

「術式:神隠し――!!」

 それが、今日の二度目の最悪の行為になった。

「術式:突撃雪華<ブリッツ・ブリザード>!!」

 ビュォォ!!

 ヴァースは神隠しを知っている。俺が剣を投げた瞬間を狙って最大速度で走り寄ってきた。俺が走り寄って中間地点辺りで剣を取るはずだった為、瞬時に目の前まで踏み込まれて焦った。咄嗟に宝石剣を目の前に構えたが吹雪みたいに氷の塊が俺の身を裂いた。攻撃に押されて思い切り後ずさって何とか踏ん張って立つが、自分の血がポタポタとリングに落ちていた。
 ラジュエラみたいな踏み込み速度。
 体が反応したのは訓練のお陰で、宝石剣でなければ即死だったかもしれない。
 怪我をしたのはほぼ全身に渡る。氷の飛礫が物凄い勢いで飛散して流石に避けられなかった。額にもその氷は当たっていてつぅっと血が垂れてくるのを感じた。

 ギンッ! と虹剣がヴァースを挟んで遠く舞台の中心に突き立った。

 ヴァースが騎士剣を構えて、眼を細めて俺を見据える。

「……手から放す攻撃が仇になったな」

 一度見られただけだけれど――確かに俺の必殺となりえる神隠しは手から剣を放すという重大な弱点を持っている。
 手の内を立った一度見ただけでこれだけの対応が出来るという彼の能力には舌を巻く。

 じりじりと追い込まれ、俺は舞台の隅に立たされた。

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