第187話『仕方ない人』

 イチガミコウキが追い詰められたかのように見えた。決着を促す観衆達の一層の声が響き渡る。
「おおっ」
「愛しの彼がピンチなのに嬉しそうだな。ああ、負けた方が都合がいいか」
「……カルナディア、私とて不謹慎な理由でヴァースを応援したりしない。心情としてはどちらの味方とは言えない」
 紫の長い髪の友人はその言葉を聞いて一つため息を吐いた。
「そうか。なら良かったが」
 カルナディアはヴァースを応援しているのだろう。まぁ最も付き合いの長い友人を贔屓にして然るべきだと思う。この場合は公平と言うロザリアの方が薄情だと言われても仕方のないところだ。
「私は彼のピンチを楽しみにしていたのだ」
「それはそれでどうなんだ」
「ふふ、ピンチは負ける事ではない。窮鼠猫を噛むという言葉があってな。追い詰められた時の本領が彼にとっての一番輝く瞬間だ」
「ほう、そんなところに惚れたのか」
「お前はな、私の純粋な話をどうしてその方向に叩き落すんだ」
「ふ……そんな恋するローズが可愛いからさ」
「はぁ……まぁいい」
 何を言った所でふざけて居る時はふざけたままであるし放っておくのが正解だ。
「あの子はこんな所で負けない。
 決定的に勝つならあの子から剣を奪わなくてはいけない。
 彼は剣が無くなるまで戦う事を諦めないからな」

 剣を投げて、剣を拾って。
 そんな無茶な戦い方をしているけれど、その威勢のある攻撃にはどうしても押されてしまう。

「たとえ片手でも、彼は強さを失わない。それは私が一番良く知っている」

 言うと、舞台の上に立つ宝石剣の主は左手を下げて右手の剣を構えた。

 キィンッ!

 手首を柔らかく使い、相手の攻撃をいなしながら隙を見て大きく攻め込む。
 小さく響く剣戟は速さと甲高さを増していく。

『術式:紅蓮月!!』
 大振りに振り下ろした後逆手に持ち替えて紅蓮月を使って高速に振り上げる。伸びた攻撃距離に驚く形で咄嗟にヴァースは身を引いた。

 ガシャァァァ!

 大きく剣がぶつかり合う音が響いてその時初めて彼は後退と言う行動を取らされた。息を呑んで見守った皆が大きく歓声を上げた。
 その丁寧に攻め込んで行く姿は誰かの姿を髣髴とさせる。彼は追い込まれていた角から脱出し、また剣戟を響かせながら攻撃を始めた。
 片手剣での捌き方がロザリアに似ている事は騎士の皆には見て取れた。他の皆には片手でも剣が使えるという万能に見えるだけだろう。
 そしてヴァースに押されながら舞台中央まで行き、剣を取り戻した。

「自分の技として昇華したのか……!」
 努力を知るものは彼の姿に感動した。片手でも強さが変わらないと豪語していた彼は本当にそう成った。
「吸収力は凄いと思っていたが、これほどか。真似と言うよりも彼の技としての完成度がある……悔しいな」
 自分の剣は技の最中に剣を持ち変えるような事はしない。そもそも離してしまうほうが剣のスピードも落ちてしまうからだ。
 それをカバーする為には剣を離す慣れと練習が必要になる。咄嗟の最速剣の為にそんな事をするのは彼ぐらいのものだ。
「それが悔しいと言う者の顔か」
 カルナディアが呆れたようにため息を吐いて小さく頭を振る。言われてすぐには気付けなかったが自分は心底面白そうに笑っていた。
「……ああ、いち騎士としては悔しいさ。だが嬉しくもある。その方が大きい。私と戦ったその技の記憶を受け継いでいるんだ。あれは私にできるような芸当ではないが、それでも私が基礎になれた事が嬉しいんだ」
「あれで居てまだまだ拙い。まだ育つんだ」
「末恐ろしいとはこの事か」
「ああ正にそれだな」
「嬉しそうだな」
「ああ。私も彼を構成する一人になったんだ。彼が強くなった事は私も誇らしい」
「そうか。だが二人には体良く踏み台にされたな」
「……そういう言い方はよくない」
「君のお陰だよ……って近づいてきてくれると思っているのか?」
「思うか馬鹿めっ。あぁ、もういい、面倒だ」
「怒るなよ。ローズは可愛いな」

 それは彼を驚かせただけで鍛錬された彼の前ではほぼ無意味。彼を傷つけるに至らない。それでもコウキにとっては十分な役を果たしたと言える。
 腕を組んだカルナディアが舞台を見てため息を吐く。
「まぁヴァースの本領はこんな物ではないが」
「……そうだな」

 良く知る友人だからこそ、ここから先を容易に想像できた。


 閃く白刃が半円の軌跡を残してピタリと止まる。懐に踏み入ってくる相手に大して少し横に動いて、また刃先を返す事無く斬り返した。攻め込んでくる相手に眉一つ動かさぬ冷静で着実な攻撃方法を行う白銀鎧の剣士。
 それを上半身を仰け反らせて鼻先スレスレでかわして相手を蹴り飛ばして宙返りで着地すると間髪居れずに相手へと攻め込む。赤い服が翻り、そのパフォーマンスにも見える派手な動きに観衆が湧いた。
 その攻防が大きな変化をしたのはもう一度コウキが大きく距離を取った時だ。

「集束:100 ライン:右腕の詠唱ライン展開!」

 今度動いたのはコウキではなく、剣を構えて詠唱するヴァース。右腕に眩い真っ白な光の線が現れる。

「術式:火狐の三爪<イングニヴェルペス>!」
 ボゥ!
 三線の炎が宙を舞いコウキに襲い掛かる。
「うわああああ!?」
 慌てて飛び退くコウキに向かってさらに容赦の無い追撃が行われる。
「集束:100 ライン:右腕の詠唱ライン展開固定!
 術式:閃走する雷矢<アコート・ホル・ファロー>!
 連式:閃走する雷矢<アコート・ホル・ファロー>!!」
 バヂィィ!!
 突如出現する雷鳴が飛んで身動きの取れない彼目掛けて真っ直ぐ突き進む。
「虹剣!!」

 迫り来る二筋の雷光を虹が切り裂く――! 飛ぶ斬撃は観客席を配慮して使わないつもりだったがそうも言ってられない事態になった。観客席は防壁が何とかしてくれると信じて虹剣を解放すると、待っていたといわんばかりに盛大に法術を斬り飛ばした。
 咄嗟に飛び出した所に無理な体勢で剣を振った。そこにヴァースが詠唱を行いながら一気に距離を詰めて走り寄ってくる。

 そして剣をコウキに突き翳して叫ぶ。
「集束:1000 ライン:騎士剣の詠唱ライン展開!
 術式:炎虎の咆哮<ライネガンツ>!」

 ボゴォォンッッ!!

「はっ!? うわあああああああああ!!」

 大きな火の玉はコウキには直撃せず、彼の足元を目掛けて放たれ、派手に爆発するとコウキが上空へと高く飛んだ。
「集束:20 ライン:左掌の詠唱ライン展開!
 術式:仮翼の光<デアーラアウラ>!!」
 自らに白く淡い光を纏い爆風に乗って自らも身軽に飛び上がる。

「最近吹っ飛ぶと大抵良い事無いんだよチクショウ!!
 どんだけ術使いまくるんだァァァ!!」
「無論、全てだ!」

 叫ぶコウキに追いついて、高く剣を構える。

「術式:断空崩落<フェア・シェザリア>!」

 ヒュォォォォッ!!
 自分が感じている風が剣に集まっていくかのような感覚を感じる。そしてその集まった風が、ヴァースの剣の周りで暴れ始めると一気にコロシアム全体を巻き込むような嵐になる。会場全体から悲鳴のような声が聞こえた。

 ビュォンッッ!!

 振り下ろされた剣を両手の剣を交差して止めようとした。だがコウキは剣に当たる前に空気の壁のようなものにぶち当たって落下する。
 そして全く違う高さに居るヴァースがコウキに当たらないはずの剣を振るう。
 ドゴォォンッ!!
 空中で体がありえない方向へと衝撃を受けた。
 防御不能。コウキは全身が巨大なハンマーで叩かれたみたいな感覚に陥った。衝撃緩衝も働かなかった所を見ると攻撃としての技なのだろう。
「てぇっ! 強いとか超強いとかじゃねぇぇ! 次元が違うって言わないかこれ!」
 高い上空でさらに場外ホームランされるなんて思いもしなかったコウキは軽い混乱と驚きで心中が一杯だった。空中戦歴はパンダ騎士の一件以来であの時とはまた状況が違う。
 ヴァースはまた遠くで木の葉舞い<リーフフォール>の術式を唱えて木の葉のように空を滑空して此方へ距離を詰めてきていた。
「君に言われるのは心外だな!」
 ヴァースはさらに剣を構えて追撃を準備していた。
 やられっぱなしはよくないとギリッと歯を食いしばって軋む身体に鞭打って剣を強く握ると体がヴァースの方向を向いた瞬間に叫ぶ。

「術式:炎陣旋斬!」

 ボンッッ!!

 その術式を足元で爆発させて、空中で動く為の推進力にする。
 そしてコウキの意志に呼応するように両手の剣が燃えるように真っ赤に光った。
 連続で容赦の無い一撃を叩き込む――!

「術式:裂空虎砲!!」

「術式:絶対反響<リパーキュア>!!」

 パァッッ!
 ヴァースが振り下ろした剣の先にコウキが振った虹剣の七色の光が吸い込まれる。
 脳裏に過ぎる嫌な予感。ゾクゾクと背筋が凍るその光景に、コウキはすぐに連式を唱えた。

「連式:裂空虎砲!!」

 宝石剣が炎を吐き出す。白の剣の軌跡が炎を帯びて斬光線を放つ。
 同時に――此方へ返ってきた虹色の光の光にぶつかって空中で嵐になって霧散した。

「うわぁぁぁっ!!」
「ぐっ!」

(なんだあの技!? キツキの鏡技みたいなものに見えたが技を跳ね返すのか!)
 暴風に呑まれてヴァースは空に舞い上がって、コウキはさらに場外へ押し出されていく事になった。このままでは本当に最後部の観客席を飛び越えて外へ落ちてしまう。
「場外だ! やべぇ!」

 かくなる上は必殺で戻るしかない!
 ぐぐっと上半身を捻って腰を低くするように足を曲げた。

「術式:炎陣旋斬!
 連式:炎陣旋斬!!
 連式:炎陣旋斬!!!

 ファイナルイチガミロケットォォ!」

 連続してグルグルと回りながらリング側へと自分を押し戻す。加速して落ちてを繰り返す動きはイカみたいなものだろうか。アキなら剣を投げて戻れたんだろうけれどあんな滞空能力も無いし素直に火力推進でリングへと落ちてきた。時計回りに回転していたのを縦回転に変えて見事両足で着地した。緩衝術式が短い時間発動したが大した衝撃にはならなかったと言う事は結構勢いは殺しきれたのだろう。

「着地ーー! 十点!!」

 自分で言ってバッと両手を挙げてアピールするとワァっと観客が沸いた。
「ありがとう! ありがとう! 俺は地上に帰ってきた!」

 コウキがいろんな人に手を振っているとヴァースが木の葉のようにふわっとした動作でリングに戻ってきた。それにも黄色い歓声が上がって舞台がまた熱気を帯びる。

「お帰りヴァース! まさか戻ってこれるとは!」
「君が戻れるのに私が戻らない訳に行かないだろう」
「あっはっは! 俺は別によかったけどな〜?
 つか法術使えるなら使えるって教えてよ」
「ああ、それはすまないな。基礎だから基本的に騎士は皆使える」
「常識かよ!」
「そうだ。私が使えることはなんら不思議な事ではない。今度があるなら法術基礎授業も受けるといい」
「俺はヴァンツェ大先生に諦められたぞ」
「まぁ……向き不向きはあるからな」
「慰めはいらないやい」
「君は身体に染み込んだスキルとしてあの威力を出せるんだ。それは不遇ではない」

 剣を振り上げてヴァースが構える。
 その切っ先を見据えて、此方も剣を構えた。
 気力溢れる二人はまだまだ互角に見え、観客も声を張る。

 ポタポタと、血をしたたらせて戦うのは、たった一人だった。



 彼は毎日の反復練習は欠かしていない。双剣といえど、結局は片手の動作がしっかりしてこそ剣技が映えるのだ。
 驚かされたヴァースが道を開け、角から逃げ出し再びコウキとの猛攻が始まる。
 コウキがヴァースに押し負けたかのように後退して虹剣を取り双剣に戻ると会場は一気に最高潮の熱気に包まれた。窮地からの脱出、そしてその復活は劇的に見えた。
 一方、主賓席に座る自分はハラハラしてたまらない。一挙一動に不安ばかりが募る。
 隣に座るアイリスは涼しい顔でその試合の様子を眺めていた。
「本当にこのまま続けるのですか」
「はい、続けます」
 アイリスはその戦から目を離す事無く頷いた。
 仄かに期待を抱いていた。彼女になんらかの意図があってこの戦いを止めてくれるという事を。
「し、死んでしまうのかもしれないのですよっ!?」
「それもあると思います」
「そんな……」
「……決着をつける方法は、あの二人が倒れる以外にもあるのです。聡明なお姉様がそれを解っていないとは思っていませんけれど」
「く……!」
「これだけは助けられません。恨まれても、お姉様には此処を進んで戴きます」
「何故……っ?」
「お姉様が決まっている事にお悩みのようでしたので。
 その優しさが人を狂わせしまいます。ここで終わってしまえば、不当な未来には行けません。
 こんなことをしている間にも、あの二人は傷ついていきます」
 アイリスの言っている通り、このままわたくしが黙っていると本当に強さでの決着がつく。

 押し黙るわたくしに彼女はため息を吐く。

「貴女は最初から誰かの為にしか動かなかった。
 民の為に政治をして、
 民の為に歌って」
 それが自分のあるべき姿だった。それを喜ばれていた。それが嬉しかった。
 それを間違っているとは思っていない。
「それがメービィという神様の為になって、シキガミ様の為となって……。
 でも貴女はいつも与える側だった」
 アイリスは舞台から外さなかった視線を今初めて此方へと向けた。
 その視線にはどんな感情が会ったのかは読めない。ただ真面目な顔でこちらを見て言葉を紡いだ。

「だから貰おうとする事が苦手で」

 明確にその感情を感じたのは彼が初めてで。

「愛される為に何をすればいいかわからなくて」

 仲良くしようとすればするほど、恥ずかしくなって。

「それではどっちつかずで困っているのは、誰でしょう」

 解っている。
 それが自分だと言う事ぐらい。
 この戦いの原因はここに座っている自分である。

 この勝負は互角ではない。
 コウキの劣勢だ。
 コウキはわかりづらいけれどどんどん傷を増やしていく。赤い服なんて着せるのではなかった。ここからでは彼がどれだけ血に染まってしまっているのかわからない。
 鎧を纏わない彼は剣を受けるたびに傷を増やしていっている。術を受けるたびにどこかを痛めていっている。彼は弱音を言わないし、弱った姿も見せない。死にそうなその瞬間だって笑うような人である。
 だから、今も。
 無理をして気丈に見せているだけで、本当は痛いところばかりで、泣きたい程の理不尽を抱えているのに違いない。

 それはわたくしも同じなのだ。

 言い知れぬ気持ち悪さを残しているこの戦いの本質。
 決着をつけるのがわたくしで良い訳が無いのだ。この決闘は――!

 わたくしがどのような行動を取ったとしても、「誰か」が幸せにならない……!

 全員が身近な人間だからこそ捨てきれない。自分一人で責任を負うことすら許されていない。
 悩めば悩むほど身体の傷も心の傷も深くなってしまう事になる。
 ならばいっそ、今ここで叫んでしまった方が――。
 いや、それも。剣を持つ人のプライドを傷つけるだけではないか。人目が多すぎる。沢山の人を巻き込みすぎた。これはわたくしを逃がさない為の罠だったのだろうか。逃げられないのはわたくしだけではない。舞台で戦う二人も――。

 アイリスのように強ければ今何か叫ぶ事が出来たのだろうけれど、弱いわたくしはただ息を飲んで俯いた。
 どんな結果が待っていようとこうなってしまった以上受け入れるしかない。
 ただ涙を流して、戦いの結果を待つだけ――。


「ファーナーー!! 泣くなァーー! 笑えー!
 笑ってくださいお願いしますー!! ぎゃふん!!」
「し、シキガミ様余裕ですね……蹴られてますけど」

 アイリスが驚きの声を上げている。剣戟が止まないので戦いながら、此方の心配をしている。わたくしが何の危険にさらされる訳でもないのに。何をやっているのですか、コウキは……。

 ああ、本当に、仕方のない人。

前へ 次へ


Powered by NINJA TOOLS

/ メール