第188話『決着!』
空は晴れ渡っているが何と無く鉄臭い匂いを感じて雨が降っているように感じた。それは自分の血がダラダラと額から流れ落ちてポタポタとリングを汚していっているからだろうか。思考が冴えていくのは余計な事を考えなくなったから。血がなくなっていって冷静になっている反面、それはヤバイ事なんだなと他人事のように考えていた。
深呼吸をしてちらりと観客席を見る。雨が降っていると思った理由は別にあった。
戦っている最中に喋るような余裕は殆ど無い。
「いってっ!」
「余所見している余裕は無いと思ってたが」
「今チョット後悔してるよ……!
まぁ泣いてる子は全力で構うのが俺のモットーなんでねっ!」
ズキズキと痛む脇腹を押さえて息を整える。
流石に鉄の塊で覆われている足で蹴られるのは痛い。あのまま動けるように訓練された兵士は本当に凄い。ロザリアさんだって俺にそう劣るような速さじゃなかったし、早く動けない分はみな洗練された動きを持っている。
その中でも抜群の鍛えられた心技体を持っているのがヴァース。今俺の中でラジュエラ並の生命の危機警報が流れていて動くたびに冷や汗が出ている。
このまま綱渡り続けていたら命がいくつあっても足りない。
「ファーナが泣くからかーえろ! ……そろそろ終わろっか」
「そうだな」
切り傷は多い。実はもう余力が無い。見えてるほど余裕じゃないのだ。
ヴァースの法術連発は結構酷い傷が増えた。
「じゃあ必殺技を使うよ」
「それは先に言うべきでは無いな。怖くなる」
ヴァースは剣を高めに構えて、迎撃の姿勢をとる。言っている割に楽しそうな表情で微塵も恐怖の見える顔ではない。
「その割には楽しそうじゃん」
「リージェ様の件を抜きにしても、君とは本気で戦ってみたかった。
……しかし、君はどうしても本気になってくれないが」
「なんで? 俺裂空虎砲まで使ったのに本気じゃないわけ無いだろ」
「……私にあえて傷をつけていないだろうコウキ。
手加減をされるのは酷く心外だ」
「手加減無しで傷無しの闘いが出来るわけないじゃん。
全力で傷はつけてないだけだよ」
「……それを手加減といわないか」
「俺は友達には怪我させないんですぅ。
大丈夫だよ。勝つ気はあるよ。ヴァースもやってみてくれても良いよ」
ファーナが理由だったり、命がけだったりしなければ。剣で戦う事は面白いんだ。剣道が消えない理由がわかる。戦いにはいつも熱量がある。戦って勝つ事にはいつも意味がある。
そう、試合ならよかったんだ。スポーツマンシップに乗っ取って勝つか負けるか。そのやり取りは楽しいじゃないか。
しかしこの決闘は違う。最悪死を覚悟するものだ。
「……君らしいな。残念だがどうやってそれを実現する?
リングアウトか? 気絶か?」
「まだ一回しか後ろに下がらせた事も無いし。そもそもヴァースはリング際に来てくれないし。後ろに周り込むなんて出来ないし。法術だって使ってくるし……その二つは無理だろうなぁ」
紅蓮月は無意味だ。打ち合いは勝てない。炎陣旋斬も今は無意味だ。裂空虎砲は振れない。跳ね返されて使えない。そして神隠しも使えない。ヴァースはこれに対して完璧に対策を考えてきている。使い方次第というのもあるけれど、彼には打つ手が多すぎて効果が上げれるとは思えない。
と、なると。
それを使う日が来るとは思って居なかったが、俺は虹剣を逆手の持ち替えて、特に構えるでも無く息を吐いた。
「勝ってください!!」
ファーナが叫んだ。歓声の中に紛れていたけれど、俺は聞き間違え無い。
どっちに言っていたのかは解らないけれど。
勝った方がその言葉はもらう事になる。
「収束:1000! ライン:額の詠唱ライン展開固定!
術式!!」
タンッ! 額の詠唱ラインに光を溜めたままヴァースは破竹の勢いで走りだした。
「四界・桜火舞台!」
術式の初動現象が現れ始める。ゆらゆらと炎が牙の形を持って現れる。
同時に、舞台全体に炎が揺らめきだした。それは俺のものではない。ヴァースが走る道だけ、真っ直ぐ炎が無い。俺の行く道が塞がれた。これほど怖い術は他には無いだろう。目の前には突進してくるヴァース。揺ぎ無い強さのあるヴァース相手に正面のみの一対一でどれだけの勝算があるだろう。
額の詠唱ラインの残光が尾を引いて白く目に焼きつく。
けど、進まなければ俺の勝ちは無い。俺は歩くような速度で踏み出した。
勝つ気はあるが、殺す気は全く無い。
この技は踏み出して、噛み付く必殺技。
この舞台の上で「勝つ」には――。
「術式:無拍……!!」
俺が踏み出した所でヴァースがピタリと足を止めて、剣を俺に向けて突き出した。
「術式:光の戦進曲<アウゼ・レ・ニクト・ラン・ドーネス>!!」
は……!?
思わず息を呑んだ。正に文字通り全力を尽くして彼は俺を殺しに掛かってきている。袋小路に追い込んで範囲爆弾を投げられてどうやって逃げろというのか。真っ白な光の円が爆発を起こしながら俺に近づいてくる。
最初に打ったのは戦女神に貰った
血の気が引いた。流石に死んだかと思った。
でも。ここで死ぬならファーナとの約束も皆との約束も守れない。
それはホントに死ぬほど嫌だなと思って――。
無意識に逆手に持っていた虹剣を思い切り振り上げた。
ゴォッッ!!
目の前に迫った光が割れる。
高濃度の術になると完全な干渉が難しい。両肩にはバーナーで直接炙られるような痛みを感じた。直撃したら消し飛んだに違い無い。痛い、けど、それを噛み殺して必死に前を見る――。
ヴァースは俺がそんな風に避けてくる事がわかっていたのだろう。
次に見えたのは光の中から颯爽と飛び出してくる姿だ。虹剣が術を切れるのはわかっていた事。上位五節の法術が目暗まし。
ヴァースが首を狙って剣を大きく横薙ぎに振って来るのが解った。
その瞬間俺は後ろへと飛んだ。
ビュッ!
片手を離して一歩大きく踏み込んだ。一振りは真っ直ぐな突きへと変わって俺を追いかけてくる。その剣は俺に届く。
ザクッッ!
鎖骨の上に剣先が刺さる。後一歩踏み出されればその剣は俺を貫くだろう。
けど、よかった。その方が噛みやすい。
「獅子牙突――!」
右手に持った宝石剣。逆手に持った虹剣。
炎の牙と一緒にその剣は真っ白に光る程の熱を持っていた。
守るという意味の志は俺だって持っている。ずっと一緒にやってきて今更お役ゴメンなんて言われても腑に落ちない。
ヴァースと命の取り合いというのも納得できない。俺に触れた奴は皆友達だ。友達だって俺は大事にしたい。
多少傷が出来ようが――全部許す。
俺の主義を守るのは俺だけで良い――!
故に俺が此処で――何一つ折れてやる理由は無い!
「ッヅアアアァァァァ!!!」
ガシャァァァァン!!!
根元にその剣をあわせて、噛み千切るように振り切った。
大きな刀身の破片がキラキラと光を反射する。スローモーションになったみたいに一つ一つその破片は見て取れた。炎が消えて、身体を振った勢いで抜けた剣先が俺の血を振りまきながらカランと舞台の上を滑って進む勢いを無くしたらクルクルと回って息絶えたように止まった。
剣先を無くしたヴァースに剣を突きつけ、脳の裏でチリチリと焼けるような熱さが無くなるのを持っていた。
噛み切った時の振動が骨を伝って生々しい程の痛みに変わって俺に感じる事が出来た。それは剣の悲鳴だったのかもしれない。
一瞬の遣り取りを理解できた者は少ない。ヴァースですら唖然と俺を見ている。
突然、俺とヴァースに割って入る誰かの影を見た。瞬時に誰かがわからなかった。
金色の髪が目の前を過ぎる。その彼女は剣をかざす俺とヴァースの間に入って両手を広げた――。
「はぁ……っファーナ……いや、アイリス……?」
「アイリス様……何故出てきたのですか」
俺は剣を下ろして息を整える俺に向かってアイリスは満面の笑みを見せた。
「――決しました!」
彼女が言うと同時に、背中に軽いものがぶつかってきた。白いの手袋をした手が俺を抱きとめる。
「おぅっ!?」
脳が熱くて突然の事態に思考が追いつかない。
『ワアアアアアアアアアァァァァ!!!』
大きな歓声が聞こえて、舞台を埋め尽くした。自分の小さな息の音すら掻き消される程大きくて、
それと同時に、ジワリと鎖骨の下から熱を感じ始めた。
「さぁ、皆様、ご静粛に!」
アイリスが声を上げて観衆を見回す。その視線が巡ったほうから順に静かになっていく様は、彼女がとても大きな人物だと思わせる。
「勝者は決しました!」
アイリスの声がコロシアムにこだまする。
「友と認めた者を傷つけず!」
言われている間は彼女の賛美が俺のものだと気付いては居なかった。
「幾多の傷を受けて不屈!」
途端に両肩と足の裂傷が酷く痛みだした。鎖骨辺りも物凄く焼けた様な熱さを感じる。
「己が理想のままに勝利を手に入れた――シキガミ様です!!」
そしてその舞台が割れるような歓声と拍手に包まれた。
紙吹雪を見て、足から少し力が抜けていく。ふら付いたけど、後ろに居る誰かが支えて居てくれた。
「あ、ははは……勝ったのか、俺」
「はい。勝ちました」
アイリスが頷いた。後ろのヴァースは眼を閉じて頭を下げた。
このまま戦う事も出来なくは無かったと思うけれど、騎士名目上なら剣を無くした所で負けとなってしまうのだろうか。
「後ろに居るのはファーナ?」
「お姉様以外の誰だと言うのです」
この抱きつかれ慣れた感じは確かにファーナだ。
「手袋が血染めになっちゃうよ?」
「そんな野暮な事良いのですよ」
アイリスはそう言うと再び民衆を振り返った。
「本日はお集まり頂き有難う御座いました!
この戦いにより、シキガミ様がリージェ様を守るべく人である事を証明いたしました!
彼の起こす奇跡を! わたくしは信じようと思います!」
パチパチと大きな拍手が振って来る。
俺は剣を離して手を添えようと思ったのだけれど、手が痙攣して剣を放してくれない。
「そしてヴァース」
アイリスが声をかけるとヴァースがゆっくりと顔を上げた。
「貴方の想いは此処で彼に殺されました」
初めてヴァースが痛そうな顔をした。
傷つけたつもりは無かったのだけれどこの戦いで俺が勝てばヴァースの何かが終わるのは解っていた事。
後味悪いのが嫌だというのは俺の甘えなんだろうけれど。
「だから今――!」
アイリスは彼を見て言葉を続ける。
「わたくしのものになってください!」
「えっ……?」
思わず俺はアイリスを見た。後ろに居たファーナが思わず顔をだしてその光景を見てしまうほど、驚きの発言だった。
コロシアムは今までに無い静寂に見舞われ、その中心で高らかにアイリスが叫ぶ。
「貴方がリージェ様に焦がれるように!」
確かな熱量を持って
「わたくしは貴方を想っていました!」
彼女は瞳を潤ませながら、その熱量を魅せる。
「その冷め止まぬ熱はわたくしに下さい!」
顔は見る見るうちに赤く染まっていって
「わたくしの沈まぬ太陽は貴方なのです!」
少女は想いを告げる。
「ヴァース! わたくしのものになって下さい!」
『ええええええええええええ!!!』
『わあああああああああああ!!!』
驚く俺達と最高潮に沸騰する観衆。その収束の方向を誰も予期しては居なかった。
最高潮に湧いた観衆の中でヴァースが難しい顔をしている。アイリスは今まで見た事も無いほど可愛い顔で真っ赤になっている。
そういえば、ヴァースの前でだけ、妙におしとやかだなぁと思ってたんだけど、そういう事か……!
「さ……最初から、妙に焚き付けると思ったら……っ!」
ファーナも何か思い当たるものがあったのだろう。驚きを隠せずに言う。
難しい顔をしていたが、一度眼を閉じて顔を上げると、翳っていたものがなくなってそのまま小さく頷いた。
「うあ、ファーナ、お願いだ。俺の左手から虹剣もぎ取ってヴァースに! 指が動かないんだ!」
その選択をしたのはヴァースだ。勝利の余韻なんか今どうでも良くて目の前の事件に加担したくて仕方が無かった。
「え、ええっ? なぜ、そんな事をっ」
「いいからっ早くっ! 鞘も取ってっ」
「わ、解りましたっ失礼しますっ」
ファーナがさっと俺の手を押さえて剣を抜き取ると、手袋を取って汚れていない部分で拭いた。さっきの法術をきった時に左手は酷い火傷をしていて手が惨状なのだ。早く治療を受けるべきなのだがテンションがそれどころではない。
騎士の誓いは剣にする。
あの剣は俺が折ってしまった。ファーナがその剣を慎重に鞘に収めてヴァースへと渡す。頭を下げてそれを受け取ったファースが不思議そうにこちらを見た。
「これは……」
「あげるよ!」
「ええっ!? コウキ、それはっ」
ファーナが抗議してきたが、いいんだ、と俺は彼女に言って聞かせる。
「折っちゃった剣の弁償って事で許してよ!」
「しかし……」
「俺にはちゃんと二つ剣があるから。大丈夫」
宝石剣があって、ファーナもこれから一緒に居られるのだから。
英雄の剣は俺には必要ない。そもそも術式が使える人のほうがその剣の有用性を生かしきれる。
「俺の代りに色々守ってくれよ」
道を切り開く剣はいつも誰かの幸せのために虹を描く。ヴァースが掲げると虹色の光を帯びた。
「その剣を持ってるときは正直な事言わないと、呪われるから」
特に色恋は厳しいと思う。その変なところを除けば最高の剣だと思うけど。
「……流石魔剣という曰く付きの剣だな……」
「ですが、神々しいです」
アイリスが剣を見て言う。少し恥ずかしい衝動は収まったのだろうか。でもヴァースと目が合うとパッと視線を逸らして顔を赤らめる。
ひゅー、と口笛みたいな冷やかしの音も聞こえ始めた。その口笛を吹いている奴は俺の知ってる奴だったけど。
「私、騎士ヴァースは」
静かに、剣が虹色に淡く光り揺らしている。
その決意の声を待っているかのようだった。
「アイリス様を守り続ける事を――誓います」
大空が快晴で太陽の見守る中。大きな歓声の中で――その決闘は幕を閉じた。
余談だが、拍手をしようと頑張って手を開いて、パン! と手を打つと、傷口がパンっと開いた。その状態にファーナが泣いて、勝った俺が負けた人みたいに血だるまでファーナに連れられて救護室へと運ばれていった。
もっと重大な事を忘れている事に気付いたのはその日の夜に四人が国王様に呼ばれていると言われてからだった。
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