第192話『彼女と彼の色々』
扉をノックする癖が付いたのは当然こっちに来てからだ。神殿の部屋の扉はどれも普通のドアなのだけれど、少し大きめに作られている。メイドさんが押して歩いているワゴンが入る大きさになっているかららしい。とはいえあまり大きなものを持ってくるわけでもないのだけれど。
ファーナの部屋をノックして「はい」と返事が返ってきた。ちょっと考えて、開けていいのかな? と思いつつぐっと扉をあけてみる。
「あっ」
「えっ」
扉を開けようとしてくれていたファーナがそのままの勢いで飛び出してくる。
「わ、とっあっ、す、すみませんっ」
「いや、こっちこそ。大丈夫?」
「はい。わたくしは何とも……ん?」
ぐっと俺の服の裾を掴んで顔を寄せるファーナ。バッと顔を上げて俺をジトッと睨む。
「あの二人の匂いがしますっ!」
「そ、そうなの? そう言えばクレナイの方を擽ってきたよ」
なんか嫌なモノが見つかったみたいに冷や汗をかく。別にやましい事はしてないよ。
「……ふぅん? 貴方は本当に誰とでも仲良くなりますね……」
「やな含みとか無い? それ? 友達いっぱいっていいよね!」
私的には大満足というか。もやもやするよりはいい結果になったと思う。
「ファーナも来てくれれば良かったのに」
「ダメです。わたくしが行くとややこしくなるでしょう。敵意を返してくる人に好意で接する事が出来ないのです。
特に、貴方が絡むと……そのっ」
もにょもにょと聞き取りづらくなっていったが、何となく俺のために怒ってくれたらしいことが解った。
「心配してくれてるの? ありがとな〜」
俺はファーナの部屋に入れてもらって、ファーナに椅子を勧めた。それに慣れた様に座ったのを見届けて俺も彼女の向かい側に座る。
こういった行動に慣れてきたのが此処の生活に慣れてきたってことだろうか。
俺を前にして少し視線を外し彼女は口を尖らせて眉を顰める。
「心配する要素しかありません。貴方は無用心すぎますっ」
それに対しては俺は苦笑するしかなかった。お腹に開いた穴の数だけ無用心だし。
「そうかなぁ。早いうちに普通に友達になっとけばいいよなって思わない?」
確かに殴ってきた相手に対しては敵意を持つのが普通なんだろうけど。シキガミの運命云々でそうなるのは俺からすれば理由にならないと思ってる。
「相手の失礼ですから怒るのは当然ではないですか?
わたくしとて、初めから敵意がなければ失礼の無いようにしています。キアリという子が居たでしょう」
「うん。採用の子だ!」
「採用?」
「いや、あのぐらい元気あると、バイトには採用かなって」
「採用って面接気分だったのですね……」
「仲間の数は一定人数で毎日のバランスを見たいね。人少なくて稼働率高い日があんまり出来ないようにしないとっ」
「レストランの話をしている時はコウキ目が輝いてますよね」
「遠い思い出になったら、あの日々事態も悪くないんだなって思えるようになったよ」
「元々好きそうだったじゃないですか」
「そんな好きなオーラ出してた?」
「出してました。口から漏れていましたね」
それにはありがとうと言っておいた。俺が生きてたあの日々を象徴するいい言葉だから。きっと今だって好きだし、お店を持つのもいいなぁと薄っすら考えている所もある。好きじゃなきゃいいお店はやっぱりやっていけない。
一通りの雑談を終えて、今回のことをお話しましょう、とファーナが言った。たった一言なのだけれど何故か緊張感があって、一瞬唾を飲み下すような間があった。
「本当に今日だけで色々あったなー」
決闘とか色々。キュア班にはもう来んなって言われるし。や、最近お世話になりすぎてて、治療を受けすぎるのは体に良くないから控えるようにといわれたのだ。
「ええ、またゆっくりという機会も少ないでしょうし」
色々と駆け足で進んでいく事態に、息もつけないまま走る羽目になる。今ファーナと話しておくことで、今居る位置や状態がわかって、どう進むべきかを決めることが出来るだろう。
「アイリスは本当に全部わかっててやってたのかな」
これに関しては本人に聞いてみるのが一番だけれど、今日は流石に遅いし会えない。まぁ終わった事と言えば終わった事で俺達が自分達のことさえ片付ければいいようにはなっている。
「真実は知りえませんけれど……。
恐らくアイリスで間違いありません。ヴァースが取る選択にしては、リスクが大きすぎますから。
恐らく昨日の段階で、ヴァースに打診があったはずです」
「ヴァースが簡単に肯くわけなさそうだしな。なんて言ったんだろ。気になるなぁ」
「そこまではわかりません。
ですが、婚約の話題で号外記事がにぎわいました。わたくし達は見事にダシにされたと言っていればいいでしょう。こういった記事の憶測の中に、もしかしたら正解は居るかもしれません」
そう言ってファーナは机の上に並べた新聞を指差す。初めからヴァースとアイリスが婚約発表する為の八百長だったとか、t
「いいダシ取られたねこりゃ」
「えぇ、一緒に煮込まれてしまいそうです。
……コウキに訊きたいことがあります」
意を決したように、深呼吸をして、真紅の瞳をこちらに向けた。
俺は肯いて言葉を待つ。
「きゅ、今日の戦いは、本心ですか」
「噛んだ! きゅって言った!」
「噛みましたけど! いいじゃないですか! わたくしとて緊張するのですー! 空気を読んでくださいっ!」
ファーナが頬に手を当ててぷるぷると頭を振りながら抗議してくる。最初に噛んじゃったところでもう俺のお笑いセンサーの反応速度にエアリーダーが勝てるわけが無いのだ。
「ははは!
うん、その。ゴメン。
ちょっと真面目になるから聞いて」
「……はいっ」
俺も流石に悪いなと思ったので、一旦視線を外してから息を整える。ファーナが落ち着いたので、俺も一呼吸置いてから姿勢を正してファーナを見た。
「俺、決闘って言われてもなぁってずっと思ってた。ヴァースが相手って言うのもある」
思ったのはやっぱり友達と戦うのやだなってこと。
剣を向けるのと拳を向けるのは違う。
「でもさ! ファーナが居なくなりそうだとか、言われると、イライラもしたし、会えなくなると、困る……寂しいし。それにファーナに泣かれちゃうと、どうすればいいかもわかんないし……。
んで、決めたんだ。
俺が言ったことを途中で止めるのは嫌だ」
ファーナを助けるって、一番最初に約束した。それは攫われた一件の後、守るんだって決めたばかりである。
「決闘って、言われてるからには負けたく無いし。
……こんな所で譲るぐらいなら、最初から一緒に居なきゃ良かったし。
だから俺なりのやり方で、勝って来た」
――あの戦いを受け入れる事にした。タケに殴られた事で、目が覚めたのだと思う。
どうして、自分の思っている事を貫き通さなくなったのか。
最近のキュア班通いで痛いのを無意識に避けていたのかもしれない。ヴァースと戦いたく無いのも本当だけれど――。
それ以上に、何故ファーナの近くに居る事に拘れないのか。俺は馬鹿だ。
聞くまでも無い。聞かれるまでも無い。俺は其処に居るべきだった。
「勝っちゃったから、俺のもの?」
俺が首を傾げると、ファーナも一緒に首を傾げた。
暫く無言の空間が続いて二人同時にボッと火を吹いたように顔が真っ赤になる。
別に、ホラ、なんか強制だったし、選択権はファーナにあると思ってるし、ちょっとからかうつもりだったのに割と本気のようになってしまったどうしよう!
「わっわわっ!
わたくしは、もう少し、そのっ。
フェアなのがいいです!
ああ、アキも、居ませんしっ!
終わってもいませんし!
その、意固地なのかもしれませんがっ!
せめて、私と貴方の命が確定するまでは待ちたいですっ!
だって、そうしないとっ!」
目をグルグルと回して色んな所へと視線を移しながら、早口で一気にまくし立てるとぎゅっと瞼を下ろして小さく息を吸った。
「……悲しいでは有りませんか。
結末が見えないままでは、私も、貴方も」
胸に手を当てて、不安そうな表情で顔を上げる。
「悲しい?」
「……はい。悲しくて辛いです。ただでえさえ、考えるだけで胸が張り裂けそうだというのに、この言葉の重さにわたくしは耐えられません」
愁いを帯びた表情のまま、ファーナが声を揺らす。
「……結末が見えないままなら、たとえ誰に言われようと揺らぐつもりはありませんでした……。
どうやったら傷つかず諦めてもらえるのか……そんな曖昧な態度たったから……」
ヴァースには曖昧に見える態度を取ってしまったとファーナが後悔する。
「……でも、わたくしとて人です……。
積み上げてきた物の高さを考えれば……!
運命を共に歩く貴方だからっ
揺らぐのですっ」
泣きそうな彼女が――妙に艶っぽい表情に見えて一瞬ドキリと鼓動が高鳴る。その想いの全てが正直な言葉である事が俺という存在のせいでわかる。
叫ぶように。全ての言葉を俺にぶつける。
「あれっ……」
「?」
「……俺、遠まわしにオッケー貰ってるの?」
俄かには信じられない話ではあるけれど。俺が今居る位置がたまたまファーナの部屋だからなのかもしれない。ほら、安らげる空気的な意味で。
声も出さないままファーナは見る見るうちに赤くなって、ガタンッと音を立てて立ち上がると、一目散に部屋を出た。
「っわああああっ!」
この辺の逃げ足を今まで速いなぁと思う以外にたいして気にした事は無い。
でも今はやっぱり逃がしてしまうのも俺の精神衛生上よろしくない。
此処は鬼ごっこをやらせたら街一番。追いかける事風の如し、逃げる事光の如しの俺が全力で追いかけるしかないな、と正直ほぼ反射だけで席を立って彼女を追う事にした。
そしてこの世界で強化された俺の運動能力全般を駆使して、後発でファーナを追いかける。夜の神殿は足音が良く響く。ファーナのパタパタと響く足音を俺の靴音が倍の音と歩数で距離を詰めていった。
「ファーナって足速いよね!」
「逃げ足ですけどね!!」
「俺鬼ごっこの鬼で負けたこと無いんだぜ!!」
「こ、来ないでください!!」
「断る!! 恥ずかしいから逃げるのいくない!」
横に並んで話しかけると、思いの他元気のいい声が帰ってきた。何処まで行くんだろう、と思っていると彼女は廊下の先の空いていた窓から二歩で思い切り踏み切って飛び出す。
しかも法術を唱えて脚力強化をしたのか、城の壁へと飛びついて、そのまま壁を走って階段を使わずに城へと行く。
なんかすげぇ、と思いながら俺も一旦窓から外に降りて、城壁を真っ直ぐ勢いだけで駆け上って、ダンッと城の中庭に降り立つ。腕を組んで法術なしで此処に来て見せたこともあってどうだ、とファーナに言って見る。
パタパタと逃走を再開するファーナに続いて俺も再び彼女に併走する。実際足の速さはそんなでも無い。でも俺だから追いつけているのか。元々の足の速さは自信がある。
「甘い! 甘いぞファーナ! 全てお見通しだ! 何処へ逃げようと無駄だよ!」
「悪役ですか! 貴方にわたくしの何がわかると言うのですか!」
「俺にファーナの何がわからないと思ってるのさ!」
「女心全般です!」
「さすがにそういう教科はなかったよ!」
「今からでも勉強すべきです!!」
「難しいって評判だよね!」
「ええ! 本当にそう思います!」
長い中庭をギャアギャアと謎の言い合いをしながら突っ切って、神殿とは逆のキュア班研究塔側まで来てしまった。彼女は一向に止まる気配を見せない。
また研究塔側への城壁をみて、また壁のぼりか、と思ったがこれ以上向こうに行く意味も感じないのでファーナには足を止めてもらう事にした。
「ファーナ!!」
声を上げて、彼女を掴んだ。
腕を掴んだせいで詠唱が止まって、壁に激突しそうな勢いで走っていたのをザザッと足を止めてギリギリのところで止まった。そんな彼女を逃がさないように壁に手をついて体を寄せた状態で俺も止まる。
両手を壁につけてファーナを前に押し迫った状態。
「ねぇ、ファーナ」
「は、はいっ……」
ぐっと近づくと、観念したかのように上目遣いで俺を見た。
その姿に、今までになく鼓動が高鳴る。こんな可愛かったっけ。
「この話はファーナの言う通り終わった後にしよう」
「……はい」
ファーナが近い。
彼女の熱気が俺に伝わってくる。その熱に中てられたかのように、俺の中の何かがどんどん膨張してあふれそうになる。
勇気を出してくれた彼女に、俺が言わなくてはいけない言葉がある。
「でもさ、覚えといて俺……!」
「……っ!」
「あれ、シキガミ様、リージェ様、如何なされましたか」
俺の中の何かが崩壊していっていた所で足音が聞こえてきた。それにファーナと一緒に驚いてバッと距離を取って上を見上げる。
「やー、あの辺が光ったと思ったんだけどなー、俺の気のせいかなー」
「そうですねっ、気のせいかもしれませんねっ!」
二人で壁を見上げて白々しくも謎の台詞を放つ。妙に元気良く相槌をするので俺が笑いそうになった。
「あ、あれ? ロザリアさん、どうしてここに?」
笑顔をつくろってから俺はロザリアさんを振り返る。俺達をみて、ロザリアさんは小さく首を傾げた。
「議会が終わって夜勤の騎士と話しこんでいたので少し遅くなったのですが兵舎へ戻る所です。
光とは、なんでしょう?」
塔をみていつも通りですね、とロザリアさんは言う。
「い、いや、うん。気のせいかなっ」
「で、ですねっ!」
ファーナが顔を真っ赤にしてプルプルと手を震わせている。色々限界が近くなってきているようだ。いきなりきたお陰で俺との立ち位置が物凄く近い所とか、今すぐに磁石で反発するが如く逃げたいのだろう。
「そうですか……。また研究と称して怪しい事をしていなければいいのですが……。
おや、リージェ様、どうかなさいましたか」
「いえ! 何でもありませんっ、す、少し肌寒いかな、と……」
ふふふ、とカラ笑いしながらファーナが言う。その姿にそうですか? と訝しげな顔をしてロザリアさんが空を見上げた。今日は快晴で別に暑くも寒くも無い良い天気だと思う。
それが原因なら何の熱のせいでなのだろうか――。
「そ、それはともかく、今日の会議はいかがでしたかっ」
ファーナの言葉にカッっとロザリアさんが踵をそろえる。
「はっ。明日正式にお二人にも通達される予定でしたが、この戦争には二つの隊が援軍として参加することが決まりました。
お二人は状況によりますが……この国の戦争に縛られる事はありません。
それが国の正式な合意となりました」
ロザリアさんはそう言って俺達を見る。
「明日今回の件とあわせて、国王様より通達があると思います。
貴方がたには、ヴァンツェ様を探して頂きたいとの事です」
「ヴァンか……。確かに何処行ったんだろ」
「そうですね、確かに気がかりです」
俺達はうーんと頭を悩ませる。
ヴァンが消えた。でもそれってもう魔女に連れて行かれたと考えた方が妥当だ。ノヴァと共に戦力としてあちらにカウントされるような存在になってしまったら、相当厄介だ。
そう考えると闇雲に探すより、戦争に参加した方がヴァンに会えそうな気もする。
ィィン……
そんな事を考えていると、何かが赤く光るのを感じた。
『えっ』
ファーナと二人同時に振り返ると、研究塔が赤い光を帯びて何度か光った後、また普通の状態に戻った。
「光りましたね、塔が」
ロザリアさんにもやっぱり見えたらしく、ふむ、と顎に手をあてて眉を顰めた。
「……ええ、光りましたね、今」
呆気に取られたような声でファーナが山彦をする。さっきからその状態である。
マジかよ、と思っていたのは俺だけじゃないはずだ。ファーナと顔を見合わせてパチパチと瞬きをする。どうしよう、本当に塔が光っちゃったんだけど。
「成る程、行って見ましょう。放っておくには規模が大きいようですし。異常が無いようでも注意ぐらいはしなくてはいけません」
ロザリアさんはふぅ、と息を吐いて、ガシャガシャと鎧を鳴らす。
その背中を見てから、一度ファーナに視線を戻す。
「あー……えと。うん。行こうか」
「はい……そうですね。コウキ」
「今日は色々起きるね」
「厄日かもしれませんね」
「あはは……まぁ、そうでも無いよ」
「そ、そうですか」
「とりあえずいつも通りになるよ」
「そうですね。取り合えずいつも通りの事ですものねこれも」
ファーナと向き合って小さく笑う。
毎日、絶え間ないこの事件が俺達の日常なのだ。
二人でロザリアさんを追うように歩き出した。
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