第195話『記憶の研究者』

 白衣を翻す浅黒い肌の女性。ファーナはさっきロードと呼んだその人は、俺が戦争時に助けてもらった事から俺の恩人。そしてこの国の医療技術のトップで、そもそも世界に名を通す人である。
 以前ファーナを手術を行い貫通した肉体を三日で治しきったこの人は、確かヴァンと同じく命名を持っていたはずだ。それを思い出している途中段階で、ファーナが彼女に今回の事情を聞き始めた。

「ロード、今回わたくし達はこの塔の外で、この塔丸ごとが赤く光るのを見て此処に来ました。その光の原因が何かわかりますか」
「……はい、恐らくマナの外部供給源として貴女方にお借りした小箱を使用させてもらっていますので、赤い行使光が出たのはその為かと思われます。
 この鏡は第10位以上のマナを必要とし、かつ膨大な量を使用します。その条件をより簡単に満たすにはこの小箱が必要だったのです」
 それ自体は納得できた。一応ジャハハさんはここの研究員だ。あの人に管理される事になっているが、あの人よりも上の階級の人に渡っていたところで余り不思議ではないだろう。
 小箱は一週経った時点で、何の途中だろうと強制的に回収する約束だ。しかしあまり他人の手に渡して欲しくは無かった。また貸しは何処行くかわかんないしね……タケがゲームが返ってこねぇって嘆いてた。まぁこれが上司のこの人のところで止まっていて良かったというべきか。ちょっとまた釘を刺しに行っとこう。
「この鏡は誰が作ったのですか?」
 ファーナは一度鏡を見てから視線を彼女に戻す。鏡には俺もファーナも映っている。術は解かれているらしい。試しに触れてみたが本当にただの鏡のようだ。
 
「……術式の作成は私です。考案は別の方のアイデアを元にしています」
「その方とは?」

 ファーナがその質問を投げると、ロードさんは押し黙った。少し言いづらいのであろうか、暫く時間を有して徐々に視線を下げた後、一つため息をついてから言った。

「……ヴァンツェ様です」

『ええっ!?』
 俺とファーナが驚く。当然だ。俺達があの鏡にあったのは俺が来てからだ。
「ヴァンツェが……? この鏡はいつから……!」
 ファーナが一歩進み出て、ロードさんに問う。

「……この鏡自体は五年ほど前から」
「五年!?」
「五年前……俺達がダルカネルの塔に行く前からだ」
 俺達が塔に行く前からヴァンはダルカネルについて知ってるって事だ。
 俺の思考に沿うように、ロードさんは頷いた。
「……いえ、そのダルカネルの文献がこの鏡の参考だそうです。中には図式をそのまま使っているところがあるのでそれを解読していたのです」
「何の為に……? 何の為にこの鏡を作ったのですか」
「……鏡面世界の構成、固着はかなり良い成果だと思いますが。
 これは私が目指している事の過程に過ぎません」
「貴方達が目指している事とは?」
「……医療技術ですよ。固定記憶技術の一つです」

 彼女には話し出すまでにちょっと間があるけど、考え込むように一度首を傾げる癖があるみたいだ。くいっと小さく傾けて、話している間にゆっくり戻っていく。
 ロードさんの雰囲気はヴァンに似ている。世の中には彼女のような難しい言葉を使う人が沢山居る。きっと総じて大人って言うんだろう。色んな業界で過してきた時間が長いほど色々な事を知ってる。

「ではこの過程の先……真意を教えてください」
「……記憶の再生です」
「それは……!」
 記憶を求める必要がある――。そんな人は俺はひとりしか知らない。

「そう。ヴァンツェ様の記憶を再生する為のものです」
「やっぱヴァンか! っていうか記憶の再生はヴァンの人生目標だし別に何も悪いことしてないんならいいんじゃないの?」
「ええ……それはわかっています」
 ファーナは俺の言葉に頷く。
「しかし学術塔の使用時間外ですよ」
「……一般学者はもういない。
 私は管理権限を持ち合わせている。時間に縛られて研究をしない」
 ぴっと騎士隊長に指を突きつける。ファーナにはそれなりに丁寧な対応だが、騎士隊長には厳しい態度だ。
「しかし研究塔の私用化は禁止されているはずです」
「……私用じゃない。研究結果は常にヴァンツェ様に報告している。これを公表しないのは貴方達が懸念している通りだ。
 まぁ私利私欲による不老不死の商売化を防ぎ、命の価値を変えないこと。
 それは守ると誓います。どうかこの研究を止めないで欲しい。別に被験者を集めて人体実験などもやっていない。
 ボケ防止の研究でもしていると思ってくれ」
「……それなら良いとおもうけど、ヴァンツェの記憶喪失をボケ扱いってどうなの?」
 確かに俺らより大分年上だろうけども。
「下手な若者より覚えますからねヴァンツェは。寧ろ記憶は何より大切だと思わせる節があります」
「まぁ薬については例えです。あの方が衰えたなら世界の崩壊が始まったと思っていい」
 ロードさんが少し笑う。
「まぁ流通はしてませんし、術式を知っているのは私とあの方だけです。
 ……さて、本当はこの事実を知った時点で貴方達の記憶を始末しなくてはいけないのですが」

 鋭い視線が此方へと飛んできて、ピリッとした空気が広がる。
 当然事実を広めない為には隠す事がもっとも必要な事だ。
 今話したその広がるかもしれない確立を放っておく事が確かに一番良くないか。
 ザッと二人の騎士が構える。
「……もちろん何かしようとは思っていません。
 私は弱いですからね。何かしたところですぐに首を刎ねられるでしょうし。こんな事で大事な記憶を失ってしまうわけには行きません」
「記憶を失う……?」
「……こちらの話です。まぁ人の口に戸を立てる事は出来ません。声を奪う事は出来ますが伝える手段という物を全て排除しなくてはいけませんから。最も効率的な意味で口封じと言う時に死を意味するのが何故かわかるでしょう。
 でも貴女方は善に味方する者だ。ならば良い。それならばいくらでもやりようがある。そうヴァンツェ様も言うでしょう」

 ……何となくだけど、物凄く怖い人だな、と恐怖感を覚えた。そのやり様とかを訊いても、さぁ、どうでしょうね、とヴァンみたいに言うんだろうなって思う。それは誰に言っているわけでも無くて、自分がやる事は自分の中に秘めている時の言い回しだ。一度それを言ってしまえば後に何を言おうと結局はその人の行動だけしかその真意を示さない。
 押し黙ってしまったファーナを見てロードさんは小さく息をついた。この人に敵意は無いと思うけれど、目的の為に手段を選ばないというタイプの人だな、と言うのが何と無く会話の端で読み取れる。

「……もういいですか? 私は研究に戻ります」
 とてもドライな感じでロードさんは一度此方に背を向けた。
 俺達がどれだけ動揺したり身構えたりしても、彼女は一切俺達へ向ける視線の程を変えなかった。あと、ファーナから視線を外すと敬語じゃなくなるが、結局のところ俺達全員への関心は同じ程度と言うのが解った。
 ちょっと怖いがもうちょっと話してみたいかもしれない。
「ま、待ってください! わたくし達はこれと同じ鏡を見たことがあるのです」
「……本当ですか。何処で?」
「ダルカネルの塔と呼ばれる場所です」
 俺達が行った場所はそこだ。もっと煩い組み合わせだったけれど、あれは楽しかった。
「……この世の何処にあるのかも分からない場所へ行ったと言うのですか?」
 ――そんな大袈裟な場所だっただろうか。もっと見えやすい場所にあったけれど。
「意外と普通に地上に立ってたけど。目立つ感じで」
 俺が言った事に腑に落ちないような顔をして腕を組んだ後、小首を傾げたがすぐにまぁ悩んでも意味が無い事がとため息を吐いて俺を見た。
「……そうですか……一体何処に?」
「シルストリアの南で、元獣人村の近くだよ」
「……シルストリアの……南側には道は無かったはず。
 とはいえ私は久しくこの国から出ていませんから今は分からないというのが本当の所です。。まぁ魔術師の塔ですから、隠されていたとするのが正しいでしょう。その塔の存在を知らなければ、感知出来ないようにする事は珍しくも無い術式ですし。
 ……ちなみにその事をヴァンツェ様にはお話しましたか?」
「はい。一応。しかし話した時は特に気にしている様子は見せませんでしたが……」
「……あの方の近くに居るのに、鈍感ですね」
 その時に少しだけその人の何か動揺があったように見えた。キッと鋭い目付きでファーナを睨んだ。


「まぁ、小箱の悪用とかじゃなくて良かったよ!」
 俺はふぅ、とちょっと大袈裟に息を吐いていってみた。
「……キミは簡単で良いな」
 難しい顔をしている皆に笑いかけると、事の張本人がため息を吐いた。
「簡単じゃないよ! 俺はアイスを三段乗っけるぐらい難しい!」
「……簡単だな」
「むしろ美味しい」
「……時々、訳が分からないといわれないか」
「むしろ良く言われるよ。頻度で言えばパンに出会うぐらい」
「……それは毎日だ」
「うまいとおもわない?」
「はは、全く思わないな」

 そんなやり取りをしているとファーナがそっと俺の肩に手を置く。

「すみません、コウキは五分以上難しい話を真面目に聞けない病気なんです」
 割と真顔でロードさんに言うと、さすがにロードさんの顔も少し綻ぶ。
「病気じゃないよ!」
「……お悔やみ申し上げる」
「それ死んだ人だから!」
「……ふふ。実に無駄なやり取りだ。ヴァンツェ様が好きそうな――」

 無駄なやり取り。それは実に面白いもので良いじゃないかと思うのだけれど。

「ああ、ヴァンはよく爆笑してくれるよ」
 机を叩いたり声を殺して涙目になっていたりする。確かにあまり多く見れるものではないが、面白い事とか下らない事はこよなく愛している人だと思う。
「……あの方も、そういう笑い方をするのか……」
「するよ!」
「そういう事をやらせるのは貴方だけですよコウキ」
「そうだっけ?」
 というか俺は基本的にやられてる側で自分でやってる事がドツボで笑っている印象だけど。だって女装とかさせられるし、ヴァンがらみの悪戯はあまり良い思い出が無いといっても過言ではない。
「……素直である、明朗な性格である事は良いことだ。
 嫉妬するな……、私の知らないあの方を見る事が出来るなんて」

 この人は――もしかして、ヴァンを?
 ちょっと気になったりもしたが、ヴァンがもてない訳はないと思うけれど、この人かなり本気なんじゃないかな。なんか、俺を見る目が笑ってなくて怖いんだけど……。
 スゥさんの事もあるし、あまりこの話は掘り下げないようにしよう。

 俺がそう決めたところで、本当にいいタイミングでロザリアさんが咳払いをした。
「さて……問題が無いようなら戻りましょう。
 夜分に失礼しました、ロード様。しかし危険があるなら警備兵を置いて欲しいです。手配します」
「……承知した。今日は引き続きこの鏡の解読を続けたい。
 この箱を貸してもらっていられる時間も少ない……本日から期限までわたしはここをほとんど出ないだろう」

 そういってポケットから彼女は小箱を取り出した。
 俺達の小箱はいつも通り、開けにくそうである。何と無く笑顔で手をだすアキが過ぎったのでプルプルと頭を振ってなかった事にして、その小箱を何と無く見つめる。

 今思ったんだけど小箱って凄いよな?
 あれが“試練”とかいって、モノに作用したり、空間に作用したりする。今回の戦争はそうだ。マナという膨大な力の元から固形の力にかわる小箱だが、空間に作用して互いを引き合わせるような事象関連の曖昧さにも触れる事が出来るのだろうか。過去の古傷を触るようなのとは違って、モット色々な記憶に触れてみたりする事だ。

「……思ったんだけど、小箱を使ってヴァンの記憶引き出すって出来ないのかな?
 これってすげぇマナのかたまりなんだろ?」
 じっと箱を見つめながら言っていると、同じ方向をみたファーナが首を振った。
「それでは無理です。マナがあっても、術式が無いんです」
「……そう、だから研究している」
 ロードさんの言葉が続く。俺はそれに首を振ると、ロードさんが首を傾げた。
「違うんだ。
 ほら、小箱ってさ、ただ単に俺達のレベルを上げてくれるマナアイテムじゃなくて、もっと違うアクセスが出来ると思うんだ。カードに言われた問題解決したときに出てくるものじゃん? 電池を取り出したっていうよりは剥がれて落ちたって感じだと思うんだ」
「剥がれ落ちると、どうなると言うのですか」
「また元に戻せるってことだよ。氷を水にして、水を氷に出来るじゃん」
「……成る程、この小箱をキミは“現象”に戻せると――?」

 ――パチンッ!

 言葉が、キーワードだったとは思えない。
 でも確実に、本当に俺達の目の前で突然、誰も予期しない形で小箱が消えた――。

「ぁ……ぅ……!!」

 バタン、と膝を突いて、ロードさんが倒れた。

「ロードさん!」
「どうかしましたか、ロード……?」
「あ、頭が、い、たい……」
「キュア班……! と言ってもロードがこれでは……!」
「私が呼んできます!!」
 言ってすぐにロザリアさんが駆け出す。
「僕が連れて行く。苦しいだろうけれど、我慢してください」
 アルゼが近寄ってきて、彼女に触れようとした。しかしその手は勢い良く弾かれる。
「……ぁ……! やめろ……! 触るな……!!」

 本当に苦しそうに、ポタポタと汗を流しながら歯を食いしばるロードさん。頭が痛いといいながら、頭を抱えてのた打ち回る。さっきまで冷静に言葉を喋っていた人のように見えない。

 それから暫くして、ぴたり、と彼女の声が止まった。気絶でもしたのかと思ったら、スッと立ち上がって、その瞬間足元にコトリと小箱が落ちた。

「ああ、思い出した」


「ロード?」
「私がすべきは」

「人の子の統一」

 何処を見ているのか分からない瞳で天井を見上げる。

「皆私の眷属となり」

 高らかに言い放ち、グッと拳を握る意。

「全ての命の価値を平等にする」

 そして、ギリッと歯を食いしばって憎しみを露にした。

「それをあの男が」


 彼女が一人で何か盛り上がっている間、俺達は置いていかれて三人で顔を合わせて首を傾げた。
 小箱に触れておかしくなったとしか思えない。

「ど、どうしたのですかロード?」

 ファーナがいうと、ぐりん、と此方を向いてファーナを見た。
 そして、歪に口を吊り上げて笑う。

「……貴女なら、復讐の価値がある」

 そう言って彼女は物凄い勢いでファーナに手を伸ばした。
 流石に危ないと思った俺は咄嗟にファーナを抱き寄せて、数歩後ろへと下がった。

「ファーナに触るな!」
 ――今のこの人は危険だ。一体何が起きたんだろうか。目の前に居た俺達すらよくわからない。
「どうしたのですか、貴女らしくない!」
「私らしい? 私を知らないくせによく言う!」

 本当に人が変わった。ファーナが声をかけるが、先ほどまでの落ち着いた対応は、見る影も無い。狂気の混じった笑った顔は、俺達を何か今までとは別のものとしてみている目だ。
 俺達の前にアルゼが歩み出て、剣に手をかけた。

 俺はまたとんでもないのを引いてしまったようだ。

前へ 次へ


Powered by NINJA TOOLS

/ メール