第196話『13回』

「また人を拾ったのかヴァンツェ」
「お世話好きですね」
 ヴァンツェが手を繋いで歩いているのは弱々しい子供である。その光景自体は珍しい話ではなかった。必ずヴァンツェは戦争を終えるたびに一人か二人の戦争孤児を抱えて戻ってきた。
 彼の作った教会孤児院は下町の教会の傍にひっそりと存在している。其処にはもう何人のもの子が集められていただろうか。彼の私財でそれを行っている以上、何かを言うつもりは無かった。
「……まぁ私には身よりの無い子の事がわかってしまいますから。
 しかし、この子は訳ありなのです。私が預かり、育てます。
 さぁ、挨拶をなさいロード。国王様と王妃様です」
「……ひ、ぁ……ロード、です……」
 よっぽど人見知りなのか、すぐにヴァンツェの後ろに隠れてしまった。それにアリーが近寄って膝を追って目線を合わせて話しかけた。
 金色の髪をした年端も行かぬ子供である。
 アリーとその子供が小さく話しているのを尻目にウィンドとヴァンツェが話を進める。
「それで……この子を何故私達に会わせた?」
 ウィンドが訊くと、彼はため息を吐いた。
「会った事のある女性を忘れるとは、貴方は紳士ではないですね」
 彼がそう言うと、ウィンドは難しい顔をした。記憶に関しては曖昧な所がおおい二人である。だからこそ、こうやって少しずつ記憶の糸を手繰り寄せるように提供しているのだ。
「なんだと……? 私がこの子にあった事があるのか?」
「そうですね。まぁ、面倒がなくなったので良しとしましょう」
 そう言うとヴァンツェはその子を抱き上げて笑いかけた。
「さぁロード、一度神殿……いや、空き室へ行きましょうか。
 今日から三日ほど神殿奥の空き部屋を借りますね」
 出来たばかりの城にはまだ空き部屋が多かった。奥の客間としている部屋の一番奥は物置に近く、誰も近寄らない部屋である。
 ヴァンツェがその言葉を発すると王から嫌疑の眼差しが飛んできた。
「おい。いくらお前でもそれは許可しかねる。
 つか犯罪だロリコンめ!」
 ビッと失礼にも此方を指差す王様にため息をつくが、その隣で王妃が顔に両手を当てて眉を顰めていた。彼女はまともだと思っていたのに残念だ、と頭を振って一先ずロードを下ろした。
「誰がロリコンですか。アリー、貴女もそんな目で私を見ないで下さい。
 この子を今あまり人目に触れさせたくない理由があるのです。
 だから直接貴方がたを呼ばせて貰った。だから誰にも奥の部屋に近寄るなとは言わないで下さい。
 貴方達に知っていて欲しいだけです。知らなければ、誰も近寄る事はできませんから」
 近寄るなと言われると近寄りたくなるのが人の性である。存在を知ってしまうと、確認をしたくなる人が居るのである。
「あら、そういう術をかけたのですか」
「ええ」
 頷くとアリーがまた変な顔をする。
「すみません、目的がわからないとやはり……」
「うーん、出来ればこのまま見逃して欲しいです。お二人の驚く顔が見たい」
「ま、また何か変な事を? やめてくださいよ、わたくし達の心臓が持たないですっ」
 アリーがわたわたとヴァンツェを止める。
「お二人の武勇伝とは違うところですから。新鮮な驚きだと思います。けど、信じて貰えないと意味も無いので種を明かしますが――。
 この子はとある術が掛かっていて、今日明日中に大人になります」

『はい?』

 二人揃っておおきなハテナを見せる首の動きをした。そのあとゆっくりとヴァンツェを振り返る。
「まぁ明日、部屋を訪れてください。容姿が落ち着いたら、もう一度挨拶に行きます。それが二、三日です」
「あ、あの、ヴァンツェ、よく状況が飲み込めないのですが」
「この子が大人になる……おい、ヴァンツェ!」
 ビッと再び失礼な王が此方を指差す。さらに険しい顔をしてアリーが両手で顔を覆った。このままではロリコン疑惑が晴れない。
「だからもう――……面倒ですね。
 術が掛かっていると言ったでしょう。この子は元々大人の女性なのです。
 発動条件を満たすと、自分の身体を作り直して、この世に再び生まれるのです。
 そして、数日のうちに成人女性にまで急成長する。
 この光景を貴方達は一度、目の当たりにしています。
 貴方達はこの子に会ったことがあるのです。
 思い出す、出さないはどちらでも構いません。しかし縁がある。私は――彼女がとても優秀な人間だと記憶しています。故に此処で育って国の発展に一役買って貰おうと思いまして」
「青田買いが過ぎないか?」
「どんな子もあっという間に大人になるのですよ。リージェ様もすぐお嫁に行かれます」
「それは許さん。断じて許さん!」
「まだ赤ん坊ですよ。何を言っているのですか……」
 アリーに言われて冗談だ、と笑う。
 ぴっと指を立ててヴァンツェがそれではと言葉を置いてから二人の前にその子を押し出す。
「まずこの子に合言葉を教えてください。何でも構いません」
「合言葉?」
「はい、問答でも構いません。私の知らない言葉を教えて置いてください。
 物覚えは良いのですぐに覚えてくれますから」
「何故そのような事を?」
「お二人が確かめる為です。余り変な事を教え込まないで下さいね。
 しばらくあそこに居るので終わったら呼んでください」

 そう言ってヴァンツェが離れようとするとバッとその子もヴァンツェの後をついていこうとする。彼は足を止めてその子に一度二人から言われる合言葉を覚えてくるようにと言うと、その子供が渋々とウィンドとアリーのところへとやってくる。
 ヴァンツェは少し離れた城の壁に背を預けて腕を組んだまま眼を閉じて終わるのを待った。
 城の中庭は花壇と北側から真っ直ぐ中央にかけて木のトンネルが作られている。そこは光が柔らかくなり、居心地のいい場所になっていた。其処から北側の柱に寄りかかってヴァンツェが待っているのをチラチラと見ながら少女が言葉を待っていた。

 本当に彼女は短い時間で二人の言葉を覚えて風のようにヴァンツェの元へと走っていった。
 ヴァンツェは彼女が二人の言葉を覚えた旨を聞いて頭を撫でると二人を振り返った。

「ははは。では。経過をお待ちください」
「……随分と荒い作業だな。このやり方じゃ色々と不都合がないか?」
「私は勝負のルールは守る方です。不正はしませんよ。聞いてしまった所で誰に教える事もしないです」
 
「案ずるより生むが易しといいますし。
 一先ず私がやれる事をやったので、後はそれが上手く行くかどうかです」
 ヴァンツェが言うとアリーが不安げな声を上げた。
「うぅ……貴方を疑う訳ではないのですが、大丈夫なのですか?」
 何が、と言われるまでも無い。
 ヴァンツェのやろうとしている事が全く分からない。不安だったのだ。国における重要な役割を担うヴァンツェに何か不信を招くような事をさせてはならないのだ。

「大丈夫です。アリー。ウィンド。
 私の不祥事で国へ不信を招くような真似をするつもりはありません。だからこそ貴方達には見せたのです。
 この子は科学者にして大魔法使いなのですよ――」

 ヴァンツェはそれだけ言うとその子を連れて空き部屋へと向かった。全く迷いも無くヴァンツェは大丈夫だと言った。王と王妃は長い時間を共にした友人を信じる事にした。



 数日が経過した。城の中にはヴァンツェがやっている事で何も変化は無い。真新しい机で作業をする王様は、書類確認と最終承認印を押す作業に飽きて中庭を見下ろした。
 中庭は整理された花壇に花が咲いている。それはアリーが作らせたもので、彩りが季節ごとに代る様は見ていて美しいものだなと最近気付いた。
 アリーとファーネリアを連れて時折その中庭でくつろぐ事にしているが、その時間はとても心が休まる。

 そして中庭の先に目をやると礼の空き部屋があった。カーテンが掛かっていて、三日間ずっと開かれる事はなかった。元々そうだったように思うし、なんら不自然は無いのだと思う。あそこにヴァンツェが通っていると言う事を知らなければという前提があればだ。
 ヴァンツェは旧神殿の一室を自室とし、その隣の部屋を作業部屋と決めてその神殿で作業を行っている。日常業務でヴァンツェが何かを滞らせるという話は聞かない。本当に優秀な友人である。
 しかし行き過ぎる節もある。もしヴァンツェが何か良くないことをしでかしたり企んだりするのならば自分が行くしかないなとウィンドは思っていた。
 何気なく過したが三日程が過ぎただろうか。ヴァンツェの言った事が正しいならそろそろ会いに来るはずだが――。

 そんな事を悶々と考えていると、扉がノックされて開かれる。
「失礼します国王様」
 現れたのは銀色の髪を束ねた財政大臣で、いつも通りの登場である。
 彼は王にノックをせずに仕事部屋に入る事を認められている。そもそも王様の仕事の監視も仕事だったことがあるのだ。
 今日彼の様子が違ったのは、後ろに付き人を連れてきていた事だ。秘書や使用人は付けないヴァンツェが珍しく物静かな女性を連れて国王の部屋を訪れた。
「人払いを行いました。
 もうすぐアリーも此処へ来ます」
「……おい、もしかしてヴァンツェ、あの子が――」
 ウィンドが言うとヴァンツェはニッと不敵な笑みを見せた。
「はい。挨拶を」
 ヴァンツェがいうと、その女性が一歩前に出て頭を下げた。
 面持ちは少し緊張していて、彼女には
「……ロードと申します。以後お見知りおきを。本日より研究員助手としてヴァンツェ様の元で働かせて頂きます」
「……これは驚いたな……と、言うか本物か? まさか口裏を合わせたのではあるまいな?」
 王様が不審な目でロードとヴァンツェを見ると、キッとロードが目を吊り上げた。あの少女が数日でその姿になる
「……ヴァンツェ様を疑わないで欲しい。もし証明が必要なら……私を――」
「ウィンド。無条件に信じろと言いません。三日前彼女にだけ教えた言葉を聞きなさい」
「あ、ああ。言われた通り三つ教えたが……言えるか」

「……らーめん、うどん、そば、でした」

 ウィンドが言うと彼女は少し怪訝な顔をした。覚えているのだけれど謎の言葉である。
「貴方は麺類に飢えているんですね」
 話に聞いた事のあるヴァンツェが唯一それに突っ込む。食事のメニューの事だったのですね、と彼女は納得したように小さく頷いた。
「久しぶりに食いたいんだ。ああ、なるほど。確かに私が教えた言葉に違いないだろう」
 ノックの音と失礼します、という声が聞こえた。スッと静かに部屋へとやって来たのは少し疲れた表情のアリーである。
 此処の所遠出ととんぼ返りが続いている。そしてその後毎日夜通し書類処理と子供の世話に追われていたようである。誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きているような彼女であるが、流石に疲れを隠しきれなくなってきていた。

「すみません、遅れてしまいました……それで、お話とは?」
「先日私が挨拶に行くと言った件です。お時間使わせてしまってすみません。彼女が先日のロード当人です」
「合言葉は?」

「……たまには、私も遊びに連れて行ってくださいウィンド。でした」

 その言葉が放たれた瞬間に王妃がジト目で王様を見る。
 忙しいのは王妃だけではなかった。王も戦争から戻ったばかりで色々と後処理に奔走しているのだ。
 ただ彼女と国王の違いは根が真面目で国の事となると根を詰めてしまうアリーと、適度に息抜きをできるウィンドで大きく差が有るように見える。きっフラフラと城下に遊びに行くウィンドの事は知っていたのだろう。
「何故だか心が痛むな……」
 頭を掻くウィンドと共に苦笑いした。
「良ければ夜此処に美味しいお酒を届けさせますよ。お二人とも忙しいですから息抜きは必要です」
「頼むが――、どうもそれだけで済みそうも無いな」
「……何故だか体よく伝言板にされた気分だ」
 解せぬ、と少し眉を顰めて首を傾げていたが一息ついて二人を見直した。
「……それで、証明の件はこれで良かったですか?」
「いいえ、あと一つ」
 少し気を抜いた彼女に王妃が一度首を振って真っ直ぐ彼女を見た。少し気圧されて息を呑んだが、ロードもすぐに息を吐いて王妃に視線を返す。
「貴女にこれを教えて居る時、ヴァンツェは何処に居ましたか」
 あの時あの場所に居たのは四人である。
 しかもあの中庭で最も見えにくい場所に居た彼の立っていた場所を知っているのはあの場に居た者だけ。中庭を見下ろせるような場所からは見えない。そして目の前の廊下を通った者は居ない。
 記憶力が確かな子供であるのならそれ程度を思い出す事は容易と考えた。

「……お城の中庭の北側、向かって右側の柱に寄りかかっていました。
 脇目も振らず走って褒めてもらいに行きましたね」

 その答えを聞いてアリーが微笑んだ。
「あら、やっぱりヴァンツェに褒めてもらいたかったのですね」
「……子供だからです」
 気恥ずかしそうに言ったが一礼をして一歩身を引いた。
 彼女にできる証明は終わった。
 ヴァンツェは彼女に戻るように言って次の説明を待つ二人を見た。


「術についてですが――、彼女は他人の命を得る事で“再生”を作り上げた術士です。その術を自らに宿し、実行させています。
 たとえ彼女に死を与えたとしてたちどころに生まれ変わる……。――子供からやり直すのです。そして青年体まで急成長を行います。その間食べた食料によって身体の大きさは多少変わるようですが。
 そして要となる記憶の再結成。これは初めに身体を作った時に術式から脳に既に刻み込んでいるようなのです。
 それを思い出して扱えるのは95%程度……。
 今の彼女は本来の50%程度の記憶を有した状態となっていると思います」

 ヴァンツェは両手を組んで片目を閉じた。少し言葉を考えるような間を置いてからアリーを見る。
「危険な人物ではありませんか」
「先ほども言ったとおり、50%程度しかないのです。
 彼女の人生の記憶は無くなり、ほぼ歩く法術本棚の状態です。
 あとは私のやり方で、良い方向へ力を使わせようと思います」
 不敵に笑うヴァンツェに、ウィンドが顔を顰めた。
「ヴァンツェ、お前、何か変な事をしていないか」
「……していますね。まぁ事の瑣末です。結果は出して見せますよ」
「成る程、わたくし達が理解できる所ではないのかもしれませんけれど……少し気になった事があるのですヴァンツェ」
「ええ、一体何でしょうか」

「何故彼女の記憶が50%だと?」

 それは、と答えかけてヴァンツェは少し微笑んで口に指を当てた。
「秘密です」
「ふざけないで答えなさいヴァンツェ」

 王妃が空色の瞳をヴァンツェに向けて、声のトーンを少し下げた。その本気の威圧に負けたという風では全く無かったけれど、仕方が無いとため息をつきながら、ヴァンツェが

「13回……。
 95%を13乗すると、50%に近い数字が出ます」

 空気がひやりと冷たくなった。
 ヴァンツェが意図している事を理解して王妃が冷たい瞳で彼を見た。
「彼女は完全に死なない訳では無いようですけれど、それでも私達の誰もが知りえない未来まで生きる事が可能でしょう。
 来るべきが来るまでは彼女は私が管理します。彼女の罪の清算でもあるし私が負う罪でもある。
 世界で最も優秀な術士であり殺人者でしたが、記憶を奪い私が管理しながらその有効に利用させて貰いましょう」

 そういって笑う彼を見て、友人である二人がどれだけ複雑な心境に陥っただろうか。

「人でなしは貴方ではありませんか……!」

「私は世に理不尽が無くなるならいくらでも人でなくなって見せます。
 私が道を外したと思ったらいつでも殺してください」

 より真人間を産む為に彼が狂気を受け入れる。
 彼がやっている事は道徳や倫理に反する行為である。しかし世には常に“例外”的人間は存在し続ける。殺しても死なないのだから利用するのが得策だと考えた。

「……そんな事できるわけがないでしょう……貴方が居なければ彼女はまた記憶を取り戻して元に戻ってしまうのでしょう……?」
「そうかもしれません。出来るだけ真人間にはしてみるつもりです。
 私に似れば捻くれた人間にはまずならないでしょう」
「渾身のギャグ有難う御座います。全く笑えません」
「残念です」
 肩を竦めてヴァンツェは余裕の表情を崩さない。

「もちろんもしもが起きれば私の責任です。
 研究塔を彼女に渡して、ある事をしてもらう為に閉じこもってもらいます。恐らく殆ど彼女は自ら出歩かないでしょう」
「ある事とは?」
「私の為の研究開発です。もちろんそれとは別に城に提出する成果も出させますが」
「……なんだか、もう言葉もありません」
 とうに絶句しているウィンドも頷く。
「……貢がせる色男は怖いなホント」
 苦笑いでいうと、ヴァンツェが爽やかに笑って頭を振った。
「とんでもない。彼女が望んでやっている事ですから」
 とんでもない財務大臣に王と王妃が乾いた笑いを見せた。

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