第197話『黒いアレ』
 突然何かに目覚めたあの人は鏡の中へと走り去った。城の事情もヴァンツェの事情も知らないけど、どうやら途轍もない恨みがあるらしい。
 鏡の中に逃げた彼女を追って入る事が出来たのは俺だけだった。いつかファーナに言われた事があるのだが、俺達シキガミは世界のルールを越える存在故にある制約を受けないで居る事ができる場所があるらしい。その中の一つがあの鏡の中なんだろう。
 アルゼやロザリアさんがはじめ入ろうとしていたのだけれど、鏡にその姿は映らなくなっていた。どうやら追っていけるのは俺だけらしい。
 結局のところ俺がやる事になりそうなので行ってくるよ、と言いつつ鏡に触れる前にガッっと腕を掴まれて引き止められた。

「コウキ! 無闇に追いかけてはいけません!」
「でも俺だけだよ入れるの」
 自分を指して言ってみたが彼女は頑なに
「今度は目付け役が居ないのですから、危険です!」
「それって俺だけだと不安って事?」
「危険度の問題ですっ!
 此処は城に連絡して人を集めましょう!」
「でも俺が入れば」
「集めるのです! ダメです!」
 ファーナが俺を見てキッと目を細めた。なんかコウキは絶対に行かせてはならないという気概がヒシヒシと伝わってくる。
「じゃ、じゃあ、俺が城の人呼んで来るよ」
「ダメです!」
「ええっ何で?」
「貴方はわたくしと一緒にいて下さ……!
 他意はありません!
 ニヤニヤしないで下さいアルゼマイン!」

 ファーナが顔を真っ赤にしてワタワタと手を振る。
 その先には俺達のやり取りを見てニヤニヤとしていたアルゼがコホンと咳払いをしてからきりっと表情だけ整えてこちらに向き直った。
「なんでしょうか、リージェ様がいつに増して可愛くていらっしゃる」
「可愛いなどと今はそんな事を言っている場合ではありません!」
「そうだよ。最初から可愛いだろ」
 まぁそうだが、と笑ってファーナに視線を向けた。面白いほど真っ赤になっていて今度の怒りの矛先は俺になっていた。
「そ、そ、そういう事を言ってるのではなく!」
「俺何もしてないのに……じゃあ、二人で行けばいいの?」

 俺が言うと「そうですね」と言いかけたファーナと同じタイミングでロザリアさんが手を上げた。
「いえ、私が! 移動せずに救援を呼びます!」
「さすがロザリアさん!」
「ならばそれをお願いします」
 ファーナに言われて、ハッと敬礼した後窓の方へと小走りに向かった。
 そして研究塔の窓を開くと、身を乗り出して小さく何か詠唱を行った。術式行使光が青く光った後、パァッと赤い光が三度空に向かって放たれたようだった。
「照明弾信号か。あれなら確かに僕達が此処から動く必要は無い」
「あれって戦場でも使ってた光る奴だよね」
「そうだ。長時間光らせる術式で意外と術力を要求される。本来は札で支給されているものだ。収束して使えるようにと覚えているのはロザリアとアレン卿ぐらいのものだ」
 アルゼが関心を示して僕も覚えるべきだったかと顎に手を当てた。程なくしてロザリアさんは此方へと戻ってきて再びファーナへと敬礼をして報告をした。
「緊急収集信号を送りました! これで救援が此処に来るはずです」
「ご苦労様ですロザリア。引き続き此処で鏡の見張りを続けましょう」
「了解です」




 体感で言えば二十分は経ったと思う。
 この塔は高いとは言え、上るのに十分も掛からない。下の階で部隊の準備をして上ったとしてもそろそろ足音ぐらい聞こえても良いぐらいのはずだ。
 少しロザリアさんが苛立ちか焦りのようなものを見せ始めた。数分置きにカツカツと足音をさせて表情をむっとさせている。
「流石に遅くない? 今の時間あれば俺四人前のラーメンぐらい用意出来ちゃうよ」
「大人しく待ちましょう。ロードはあそこから逃げられないのですから」
 本当にそうだろうか。実はもう逃げられてるかもしれない。
「いやでもさぁ……やっぱり、俺行くよ」
「ダメですっ」
 再び袖を掴まれて止められる。俺は捕まれてない方の手で頭を掻いた。
「皆が来てもどうせ俺しか入れないと思うんだよね」
「それは……そうかも知れませんが……」
 腕を組んで珍しく黙していたアルゼが顔を上げた。チャリッとアクセサリがぶつかる音がして皆彼に眼を向けた。

「ここでこのままこうして居ても埒が明かない。
 ローズ、信号が伝わってないかもしれない。念の為一度下に降りて確認を」
 ロザリアさんは頷いてすぐに駆け出した。そしてアルゼは此方を向いた。
「コウキくんは先に入ってロード様の確保を。これに関しては抵抗できなくなるまでの攻撃がやむなしだ」
「アルゼマイン! 待ってください!」
「手遅れになる事が一番の問題なんです」
 妙に凄みのある言葉でファーナに言った。
「僕は鏡の中に入れないし、下に降りても騒ぎが別の方向に行きかねない。ここでリージェ様の護衛となろう。危険があればすぐに塔は離れる」
 降格されようとやはり元指揮官である。明確な言葉でやるべき事を伝えてから俺を見た。
「だから頼むよコウキくん」
「了解ッ!」
 俺がダッシュで鏡に向かおうとするとグッと右手が引かれた。
「うぉっ!」
「……ダメです」
「もぅなんでだよ!」
 俺が振り返るとファーナがキッと睨みつけるように此方を上目遣いで見た。
「……嫌な予感、では理由になりませんか?
 此処まで死線をいくつも潜り抜けてきた貴方ならきっと大丈夫なのでしょう。
 きっと、“なんとかする”のでしょう。
 でも、心配なんです……!」
「大丈夫だって」
「どうしてそう言えるのですかっあの人と貴方は恐らく相性で言えば最悪です!
 魔女の方がまだ術数が少なくて素直だと言えますっ!
 しかしロードは! その身に数千とも数万とも言える術式の知識を蓄えた、この世の魔法使いの一人なのです!」
「信じてくれないの? ショックだなぁ」
「そういう訳ではなくて……!」
「だいじょーぶ! 今日は牛乳ちゃんと飲んできたから骨は固めだよ! 野菜も一杯食べたから血もたっぷり!」
 俺は牛乳もほうれん草も大好物だ。牛乳は飲んで良しシチューにしても良しの。ほうれん草は炒めて良し漬けて良し
「怪我の心配もしていますけど!

 貴方が一人で居る事が最も心配なのです!」

 ファーナが心配しているのは、俺が無茶してロードに挑んで大怪我を負った時に――助けてくれる人が居ないこと。
 今彼女が目に宿している不安は、つい最近見た事がある。

 ヴァースと戦っている俺を、どれだけ不安な目で見ていたか。

 一緒に戦って来たんだ。俺がどれだけ仲間に支えられて戦ってきたかを知っている。
 本当は俺が弱い人間だって知ってる。だからいつも心配してくれて支えてくれてた。
 
「大丈夫だよファーナ!

 俺は! 剣が二つ無きゃ、戦えない!」

 ふふんっ! と思い切り胸を張った。
 一瞬ファーナがキョトンとした顔になった。
 だって俺は今剣を一つしか持って居ないし、その割には行く事に躊躇無いくせに剣がないと戦えないと豪語する矛盾だらけの発言である。
「俺は剣が使えるから今まで生きてこれたんじゃないんだよ。
 絶対剣が手元にある事が前提なんだ。
 その、ほら。今剣が一つしかないけど、ファーナが居るから大丈夫だって言ってるだけなんだ」

 なんだか言ってるうちに気恥ずかしくなってきてちょっと視線を外す。それがファーナに伝わったのかなんか変な空気になった。
 両手に剣が無くても、ファーナと彼女の歌があれば其処に在るものとなる。それは間違ってない。壁は一枚隔てるけど――あれぐらい別に大丈夫だと思ったんだ。

「ああ、暑い暑い。いやぁ青春っていいなぁー!」
 俺達をみてニヤニヤとしながらアルゼが大声で冷やかしてくる。
「う、うるせっ! 子供か!」
「人のそういう幸福を見ているとからかいたくてね。
 あぁ、好きなら好きと叫ぶといい!

 愛は叫び! 熱量! そう在るべきだ!!」

 アルゼは満面の笑みと大声で俺達にそう言った。
 彼のブレーキ役を買ってくれていたロザリアさんは居ない。このまま聞いてると愛の伝道を長々と説かれてしまいそうだ。
「あ……う、その……」
 ファーナは沸騰したかのように真っ赤である。
 必然的に俺も多分そんな顔をしていると思う。
「……そうですね、壁の一枚程度でわたくし達の繋がりは途絶えませんでした。
 距離があっても、わたくしの声は貴方に聞こえてしまうのですよね……。
 信じます……。頑張って下さいコウキ」

 なんか、すげぇ恥ずかしかった。
 にやけるみたいに笑って、ああ、と頷いて鏡へ向かう事にした。
 もうファーナは俺を引き止めなかった。
 アルゼは――俺にパチィっとウィンクをしていた。なんか後で文句言ってやろうと思う。
 俺はその場から離れるべく脱兎の如く駆け足で鏡へと突入した。


「これは僕の戯言ですけれど」
 赤い背中を見送って、少し疑問に思って聞いてみた。
「貴女は彼の心情が読める事を罪悪と感じますか」
「……はい」
 控えめに答えが返って来てそれに首を傾げた。心通じていてそこまでお互いが近くに居て尚そう思うものだろうか。
「それが解ってしまうのが彼と貴女の良いところでしょう。
 ……僕はそれが死ぬほど羨ましい」
 後悔があるからこその言葉である。忘れてはいけない自分が背負うものである。
 
「でも、嫌われたら嫌じゃないですかっ。
 わたくしとて、この身は人なのですっ。
 余計な念も伝わってしまうと、その、いいんですけど、嫌なんです!」
 ああ、彼女はとても女性的に複雑で、自分が思っている事なんかよりもっと簡単な事に悩んでいた。
 だからこそ聞いてみたいというのは可愛い子をいじめてみたい気持ちと同じものだろうか。
「例えばどんな?」
「嫌ですよっ言いませんっ!」
「……僕ならば男心に沿うか沿わないかをお教えすることが出来ます。
 もちろんそれを誰かに言おうなどという気も御座いませんし、コウキくんがおそらくどう思っているかもお答えできます」
 自分でも尤もらしい事を言って真面目な顔をした。
「……わ、笑いませんか」
「ええ。僕の大事な全てに誓って笑いません」
「その、本当に、大したことでもなくて」
 しどろもどろになって視線を泳がせる。
「その……」
 自分の手をみて少し固まると耳まで真っ赤に染めながら呟くように言う。

「……手、とか……?
 ぎ、ぎゅってして欲しい……とか……」




 円筒形の空間の中に並ぶ本棚。大体奥から三列程度に浅く置いてあって、それは最初に入った時には無かった場所に数個出現していた。
「……シキガミ。遅かったな。作戦会議は十分してきたか?」
 何処かに隠れているのだと思ったその人は意外にも入ってすぐの場所からも見える本棚の上に座って読書をしていた。分厚い難しそうな本を閉じる事も無くペラッと次のページをめくった。
「えっ。いや、作戦はあんまり立ててないよ」
「……それを最初に敵にばらしてしまうのは良くない」
「あっ。それもそうだ。
 つかロードさんはなんで急に変な感じになったの?」
 俺はイマイチピンと来ない彼女と対峙する理由を尋ねる。
「……思い出したんだよ。私はヴァンツェ・クライオンに利用されていた」
 彼女は本に栞を挟んでからパタンと閉じた。そしてそのまま棚の上に置いてやっと視線を此方へと投げた。
「利用されてた? ヴァンツェが何か悪い事してたのか!?」
「……ああ、していたな……極悪だ。
 何せ女を騙して術式の研究をさせてその成果を自分の為に利用していたんだ。
 ……それがどれ程劣悪な行為かキミにはわかるだろうか」
「騙すのは良くない! それ本当か!?」
「……ああ」
「じゃあヴァンをちょっと問い詰めなきゃ……! あ、ヴァンいねぇし!!」
「……キミは毎日が楽しそうでいいな」
「えっ!? ありがとう! なんかよく言われる気がするなぁ」
「……馬鹿っぽいなって事だ」
 親切心か嫌味なのかわからないけれど言った言葉を直訳して俺に言いなおす。
「……まぁ知ってるけどね。
 良いんだよ事実だし。ヴァンに何されたのさ?」
「……それ訊くのか?」
「聞きたいよ」
「……仲間に失望するかもしれないぞ?」
「わかんないけど……俺は聞いときたい」
 彼女はふぅっとため息を吐いて、どこから話したものか、と顎に手を当てた。先ほどから全く動く気配は無い。

「まず私は、アイツに13回殺された」

「13回……?」
「……私は不死者だ。しかし一度死ぬと5%程の記憶を失う。
 書物に残るものは残してあるがそれでもその5%に当たるものは書物を読み覚えなおす物だ。もしくは思い出、と呼ばれるものだ。体験でしか生まれない。
 その記憶を削る“作業”の為にアイツは私を生き返るたびに何の罪悪も感じず、ただひたすら殺した。
 ……私が生きていた理由を削って――私を惚れさせて、自分の為に生きろと仕向けた。課せられたのは彼の記憶の研究だ。途方も無い研究の前に私は何度も挫折しそうになったものだ」
「……俺が聞きたいのはさ……。
 ロードさんは、ヴァンに13回も殺されるような事をしたの? って所」
「……さぁな。その程度は本人に聞かねばわからないだろう」

 俺の知っているヴァンツェ・クライオンは博識でお喋りだが品のある行動をする人だ。無茶をするのは俺の役目でヴァンじゃない。しかし、俺は元々ヴァンが国潰し程度の事ならすると言うのを本人の口から聞いてしまっているのでこの人が言っている何を否定できるわけでもない。俺の知らないヴァンが何をやっていたかは分からないのだ。

 コツコツと足音が聞こえて俺は剣を構えた。
 俺の様子を見てロードは立ち止まって手を上げると俺をみて指を一つ立てた。
「……キミとは此処で戦っても構わないが、一つ提案をしよう。
 私がキミに法術をかける。それに耐えれたらキミの勝ちだ。無条件に降伏しよう」

 法術を掛けられる事は多い。補助系はヴァンが完璧にサポートしてくれるしファーナだって使える。
「俺だって燃やされたら燃えるし、殴られたら痛いから嫌だよ」
 だからと言っていきなり火の玉で燃やされれば俺は燃える。攻撃法術なんか掛けられればひとたまりも無い。
「ああ。もちろんキミに傷を与えるような術は使わない。
 ただ……これに入って出てこれるかだ」

 彼女は言ってからパチンと指を鳴らした。すると彼女の真横の術式が起動して黒く丸い球体を生み出す。

「あっ! それ見たことあるぞ!」

 あの黒くて丸くて不気味な物体はなんせ――俺がいの一番に突っ込む事になった、最初の試練の再現とも思える代物である。

「ほう。なら話は早い。
 これはな、人の精神を試す為の術だ。
 これに入ればキミはいくつかの試練を与えられる。それをキミが無事潜り抜けたら私はキミの言う事に従おう」
 最初のあれはそういう意味だったのか。確かに喋る死体はキモくて精神的ダメージは多かった。俺だけど。
 剣を振るう事がきっと最も手っ取り早い問題なのだろう。けど――。
「……わかった。約束だよ。ちゃんとみんなと話し合おうよ。ヴァンがやった事も含めて」
「……そうだな。そうしてやる事にしよう」
 俺が言うと確かにその人は深く頷いた。それを確認してからすぐ俺はその球を振り返る。
 口の端を邪悪に歪ませていた事には全く気付かずに俺は感触の無い暗闇を模した球の中へと入って行った。

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