第198話『恋想夢話』
思えば、こんな事ばかりである。もう少し他の神子のようにわたくしも役に立つような身体能力や術式が使えれば良いのですが……。その時脳裏にちらつく顔がタケヒトの神子のシェイルだったのが何故か悔しい。しかし彼女は神子としては最も優秀だ。コウキに余り迷惑をかけ続けるわけにも行かない。習うべき所は習わなければならないと思う。
今はコウキが帰って来る事を祈るだけで、この場を離れる事も、鏡の中へ赴く事もできないもどかしい状況である。
鏡の中へ入って数分ほどだ。本当にさほど時間が経たないうちにコウキの異常を感じ取った。
「コウキが叫んでいます!」
「ええっ!? 中で一体何が……!?」
「解りませんが……! 痛みに……! コウキ!
剣が必要ではないのですか!」
コウキが苦痛に叫ぶ痛みのようなものが伝わってきた。自分が痛みを感じるのもあって目頭が熱くなる。
戦っているのなら剣を必要だと思ってくれなければ歌えない。
何故わたくしを必要としてくれないのですか――。
そう、痛みの向こう側に聞いても答えは返らず、別の場所から声が聞こえた。
「……彼に剣は必要無い。戦ってなど居ないのだから」
鏡の中にある空間にコツコツと靴を鳴らして鏡面近くまで歩いてきた。
「ロード……! コウキに何をしたのですか!」
こちらの問いにふむと顎に手を当ててからスッと手を横に差し出した。
こちらの空間が映りこむだけだった鏡の向こう側の景色が変わって、黒い見覚えのある球体が出現した。
「……少し精神的な痛みを味わってもらっているだけだ。
ただし、永遠に近い時間をだがね?
っははは。実にお人よしで簡単だなシキガミは……!」
「コウキを騙しましたね!?」
「……フフ、騙してなどいない。私は極普通にこの中に入ってくれと頼んだだけだ。
ああ、外傷は与えないと言ったが精神の苦痛の話はしていなかったかな」
歪に口の端を歪めて学者が笑う。
「……ははは! まぁそれはそれ。そんな哀れな少年を助ける為に貴方がたも此方へどうぞ。
勇気を出して無謀にも挑むも結構。賢く見捨てるも結構」
「コウキ……!!」
――前も。こんな風に。
戻ってこないんじゃないかって心配になった。
初めの試練はわたくしが試されていたのだと思う。
――コウキはあのまま戻ってこないのではないか?
その疑念を払う事は出来なかった。道中は楽しそうだったけれど、コウキは元々戦いは嫌だと言う人間だったし、この世界にはものが少ないなぁという不満も聞いて居た。
だからあの試練の内容をヴァンツェから聞いたときに、酷く焦った。もう帰ってこないかもしれないという言葉が過ぎって、パニックのようにコウキを呼んでいた。
『早く戻ってきてください! コウキ!!』
それを言ってしまえばあの時のまま、自分は変わっていないのである。
「コウキ――」
わたくしの声が聞こえますか。
最初はその黒い塊に手を伸ばすことすら怖かった。しかし今ならばその向こうにコウキが居る事が確信できる。
今、剣ではないわたくしが彼を救う事ができるのだとわかる――!
「今、助けに行きます……!!」
アルゼマインの制止を振り切ってその黒い塊の中へと飛び込んだ。
俺が目を開けた時には、見た事のある村の中だった。というかアキん家の前だった。おお、と思わず声を上げたら、ギィッとアキの家の扉が開いて質素な服を着ているアキが出てきた。何と無く懐かしくて声を掛けようとしたら、向こうが此方に気付いて笑ってから手を振った。
キラッと光るそれが見えてダッシュで後ろを向いて逃げる。
「うおおおおおおおお!?」
『あっ待ってくださいよ、コウキさーん!』
誰かに追いかけられる。そんな体験をした事はあるだろうか。俺は一杯あるけど。忘れ物をしているとか、そんなのじゃなくて普通にいつも通りの笑顔を貼り付けて、にこやかに手を振っていた彼女が――露骨に右手に果物ナイフぐらいの刃物持っててなんか良くわかんないけど俺を追いかけてくる。
それにしてもそれがアキと言うのが厄介な話で、超反応に困る。
「ねぇその刃物何!? 何するの!?」
『何もしませんよぅ! したとしてもちょっと痛いだけですよ!』
「それ割と殺意あるよね! あるよね!?」
『ちょっとですよ!』
「うわああ! あるじゃん!! 俺何かした!?」
『コウキさんは鈍感すぎです!
だからコウキさんを殺して! わたしも死ぬ!!』
「うわああああああ! 怖い怖い!!
そんなに病んでたの!? 笑顔の下は真っ黒なの!?」
ダッシュで村を走り回る事数分。結構疲れてきたけど向こうは全くその素振りが無い。疲れてスピードが落ちてきた事もあって、振り返るたびにジワジワと距離が詰まってくる。
つか村の中じゃ埒が明かないし、向こうに地の利がある。ここは村を脱出するしか――!
俺は村の入り口の方に向かって走り出す。ここからグラネダまでのマラソンは割とキツイが四の五の言ってられない。
入り口近くにある柵の付近で人が何人か居る事に気付いた。
『待ちなさいシキガミ様!』
「ロザリアさん! つぅか!
そのナイフ何!?」
ロザリア隊の女性一同だと思う。全員が何気なく持っている鋭いサバイバルナイフみたいなやつ。
『気にしない! さぁ早くこっちへ!』
「お断りしますぅーーー!!」
一気に道を折れ曲がって雑木林に突っ込む。
『逃げたぞ! 追え!! 何としても息の根を止めろ!! そして全員で均等に分配だ!!』
「怖ぇぇえええぇ!!」
雑木林を抜けて、舗装された道路に出る。
何で皆ナイフなの!? すげぇリアルな感じが嫌だ。
一応後ろからは誰もついてきていない。
鎧の人たちは走っても俺よりは早く走れないだろうし、長距離持たない。
そうなると一番問題になるのはアキだ。つか今アキの姿が見えないのが一番怖い。取り合えず一休みする為に、一度足を止めた。心臓がバクバク言ってるのは運動だけのせいじゃない。
ザザッガザッ!!
心臓が飛び出るぐらい驚いてその草木の音のほうを振り返った。
俺の前方の道に、アキがスタっと降り立ってにっこりと笑う。相変わらずナイフは持ったままである。
ザッザッと足音を立てながら、全くいつもと同じように見えるアキが近づいてくる。
戻ったら兵隊にザックザクにやられるだろうし、進んでもアキが延々追っかけて来るだろうし……!
なんだこの試練。
なんだこの試練。
なんだこの試練。
なんだこの試練!
何すれば良いのか全く解らねー!
投げっぱなしいくない!
「ぅわああああああ!!
ちょっとやめよう!
ナイフで殺されるとか嫌だ! もっとこう、違う方向で頑張ろうよ!」
ワタワタと身振り手振りしながら後ずさる。
突然、アキがピタリと足を止めて、スッとナイフを後ろに隠した。
なんとなく今更な行動にさらに警戒する。なんだろう、油断させておいて浴びせカチ割りとかの準備かもしれない。つかナイフを持っているという事自体が怖い。
『……コウキさんは』
一度ゆっくりと息を吸ってアキは言った。
『わたしが好きですか』
「そりゃ好きだよ! 嫌いな訳無いだろ!」
割と脳髄反射で答えたけれど、それにチョットだけ笑みを消してアキが俯いた。
暫く何も言わないまま、黙っていたけれど、また笑顔に変わっていた。俺はごくりと唾を飲み込んで言葉を待つ。
『……じゃあ満足して、わたしの方の試練は終わりにしてあげます』
「マジかよ!」
なんかよくわかんないけど試練終わった!
「アキありがとう! 太っ腹!」
『それお肉的な意味なら今すぐ試練再開です』
フッと隠していたナイフがまたキラリと光る。それに後ずさって気付いたが、迂闊な事に安心した時に距離を縮められていた。
「違うよ!! 滅相もありません! アキは試練でも優しいなって!」
『それってわたしがチョロイって事ですね? やっぱり殺します!』
「うわあああ! ちがっ! 何これぇぇ!」
この試練理不尽すぎるよ!
ダッシュで突っ込んできたアキを寸のところで押さえて避けてまた走り出す。
「やっぱりグラネダまでダッシュしないとダメなのかよ!!」
『待ってくださいコウキさん!』
『シキガミ様! 逃がしませんよ!!』
走る勢いなら俺のほうが速い。
ただ息の持続は、断然向こうが強い。どうやら疲れって無いみたいだし。
てか、普通にマラソン辛い!!
マラソンは苦手だ。ランナーズハイとか良くわからない事をタケに吹き込まれたけど、ただ苦しいだけじゃないのかあれって。断然俺短距離人間だし。
今なら高校のときに走ってた千五百メートルをものの数分で駆け抜けてやる自信があるが、普通にここからグラネダまでって歩いて数時間かかる距離だ。数十分走り続けるってやっぱり結構体力使うし、今はほぼ全力じゃないと逃げ切れない。
いや、ここは後ろ向きになっちゃダメだ。ランナーズハイを感じるんだ! あの雲まで俺は全力疾走!
目の前にどんな壁が現れようと、俺はグラネダまで逃げ切る!!
『はっはっは、何をそんなに急ぐ必要があるんだコウキ。
ここで少し我の相手をしていけ。なに、すぐに終わる。
キミが死ぬか、我が死ぬか。
それを決めるだけだからな』
最強の壁が現れた。
青の鮮やかな銀鎧、兜には鮮やかな彩った花びらのような装飾が揺らめく。物々しい剣を多く携えて、両手には透明な刃の剣を持っていた。
わざとらしい物言いと、ただ強さの極みから俺を見下ろす彼女が何故そこに立っているのか。
「ラジュエラ……!? う、嘘だろ!?」
『誠、遺憾だな。キミの試練とはいえ、我が身をこのような場にさらす事となろうとは』
「えっ!? ラジュエラ本物なの!?」
『ふむ、本物か偽物かで言えば、この世界ではどう考えても我を含めて全てが本物だろう?
我等を偽物と考える君が偽物だ。この世界に於いて異端だろう?』
「でも試練の中だろ! じゃあ此処は本物に似せて作られた偽物じゃんか!」
『そうだな。もっと小さい……似ている世界だ』
「どうやって抜け出せばいいんだ!?」
『それはキミの頭で考えるんだ』
スッと剣を掲げてニィっと彼女は笑った。
薄い金色が夕陽にとけてキラキラと光る。ある人は美しいと言うだろう。俺はゾクゾクした。背筋が凍る体験をこれほどまでに怖い体験を俺はしたことない。
そもそも、ここまで走って来て、俺は一度も戦意を持たなかった。
当然アキと、ロザリアさんは俺が戦うべき存在だと認知していない。戦友であって敵じゃない。リアルな所だったら俺の寝首をかくなんてちょっと足早い蟻を潰す程度にチョロイ話だと思う。
そしてラジュエラだけど。この人の近くだと、俺絶対寝れない自身がある。
死んだ経験分、ラジュエラが危険人物だと身体に覚えこまされている。
今、剣が要る、けど――!
ここ多分ファーナの歌の圏外だろどう考えても……!
「ああもう!
誰か助けてぇぇ!! ファーーナァーー!」
空に向かって大声で叫んだ。
剣が欲しい!
右の森にはアキが潜んでるし、左は湖だし、後ろからはロザリアさんの軍隊が迫ってきてるし、目の前には人生最大の壁が立ちふさがってるし!
四面楚歌!? 逃げ道が無い! 後は湖にダイブして裂空虎砲を避けるゲームにチャレンジするか、誰かに挑むかだ!
「はい! 参りました!!」
ザザァ、と何処からともなく降り立ってパンパンと二度手を払った。結構土煙が経ってしまってケホケホと咽ていた。
煙が風に流れてしまえば、全身真っ赤な神官服に金色の髪。美人よりは可愛いという形を残した端正な顔を上げて真紅の瞳を俺に向けた。
え、なんか突然現れたんだけど、これどういう事? いや、どういう事って言うか。
「嘘だ! これ絶対あっち側のファーナだよね!?」
「あっち側もこっち側もありません! わたくしはわたくしです!」
ビシッと胸に手を当ててファーナが言う。
「だ、騙されないぞっ! そうやって俺の事をナイフで刺すんだ! 安心させてブスリ作戦なんだ! 女の子怖い!」
軽く女性不審に陥っている現在、どうやって誰を信じたものかというかもうどうすれば――。
軽くパニックになっている俺に、ファーナがピシャリと言い放つ。
「何を言っているのですか!
コウキ、アレが敵なのですね!? 炎月輪を出します! いくつ必要ですか!?」
「あ、あれ? ファーナ? ファーナなの?」
「だからそうだと言っているではありませんかっ!」
「ホント? 頬っぺた抓むよ?」
恐る恐る近づいて、むにっと頬っぺたを抓む。ファーナの。
「なひぇわひゃくひひゃ!?」
なぜわたくしが、と言っているようだ。
えっ? なんか本物臭いぞ? つか、ファーナじゃね?
「ファーナだ……」
「だ、だからそうだと言ってるではありませんかっ!」
彼女は怒ってキッと目付きを鋭くして俺を見た。それにゴメン、と言うと「い、いいですけど」と何か煮え切らない形でそっぽを向いた。
「どうやって此処に?」
「貴方を追って、球に入っただけです」
「そっか……ああ、よかった。ファーナは本物だぁぁあ」
なんか感動がきわまってファーナにガバッと抱きつく。ファーナの顔が見る見るうちに赤く染まって、ああ本物だなーと更に実感する。
偽物だらけの世界はやっぱり精神によろしくない。
「あっ、ちょっと、い、今交戦中でしょうっ! あ、あとで、というかっやめてくださいっ!」
あ、そうだった、と離れると「貴方はもっと緊張感を」と長々とお説教が始まった気がしたので意識を目の前に向けて言葉をシャットアウトした。
『君たちは相変わらず仲が良いな』
その言葉は俺達を知っているラジュエラのような言葉で、でもラジュエラとファーナは実際にはあった事は無い。
ラジュエラも、ファーナをメービィと重ねるのだろうか。
それを今、ここに居るラジュエラに聞いても仕方の無い事だろうけど。
「よし……! よし!
俺は今超強い最強の味方を得た!」
「コウキ、話を聞いていましたか?」
「行くぞファーナ! 炎月輪で大爆発しよう!」
「聞いてなかったのですね!? 後でもう一回しますからね!!」
「えぇー」
「えぇーじゃないです!」
俺はファーナの言葉を背に受けながら、今までの疲れを忘れて笑った。
それに答えるかのように、ラジュエラも口の端を歪めると剣を構えた。
地の上では初のラジュエラとの戦いが始まった――。
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